月曜日, 4月 29, 2024
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「翻訳」に必要なもの 《ことばのおはなし》59

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【コラム・山口絹記】前回の記事では、翻訳について考えるために、通訳と翻訳の考え方の違いについて書いた。今回は翻訳(英語から日本語)の難しい部分について、実例を交えながら書いてみようと思う。

さっそくだが、 “prom(プロム)”ということばをご存じだろうか。 これはアメリカのハイスクールの伝統的なダンスパーティーを指す単語なのだが、プロムを経験したことのある日本人は当然ながら少ない。今、私はニュースサイトのコラム記事を書いているわけで、”プロム”という文化について長々と連載記事を書いてもよいわけだが(記事としての価値があるかは別)、小説の翻訳となるとそうはいかないだろう。これは、文化の違いによる翻訳の難しさだ。

また、安易な引用は避けるが、宗教的なイディオム、テキストの引用、習慣や儀式を背景に持つ文脈の翻訳が難しいのは想像できるだろう。キリスト教圏においてどれだけの割合が聖書を読んでいるかはわからないが、日本人のそれよりも多いことは間違いない。これは「宗教の違い」による難しさ、ととらえてもよいのだが、もっとわかりやすく言うと「常識」の違いだ。

「常識」ということばの扱いもまた難しいのだが、例えば一般的に『桃太郎』のおおまかなストーリーを知らない日本人はかなり希少と言っていいだろう。普段から意識することはあまりないだろうが、日本に生まれ育った者であれば、『桃太郎』という単語一つでかなり多くの文脈を共有できる。”どんぶらこ”でも”鬼退治”でも”きびだんご”でもよい。ちょっとした単語から、私たちは多くの共通したイメージを共有できる。これって実はすごいことだとは思わないだろうか?

「英語力」ではない部分が試される

では翻って、このコラムを読んでいる方の中に、『トム・ソーヤーの冒険』を読んだことがある方はどれだけいるだろう? 『ハックルベリー・フィンの冒険』は? その中に登場する文脈、センテンスが引用されたり、少しもじられたりしたら、どれだけの日本人が理解できるだろうか。これが誤解を恐れずに言ってしまえば「常識」の強さであり、その「常識」が共有できなかった場合は、相互理解のうえでおおきな足かせになることは想像に難くない。

実のところ私自身、海外小説を原文で読んでいると、いまいち何のことだかわからないことがままあるのだ。文脈から察するに、こういう場面が描かれているのだろうな、というのはわかるのだが、本当に理解しようとすると、いわゆる「英語力」ではない部分が試される場面が非常に多い。そしてこれは、海外の論文やニュースなどを読んでいる時より、児童文学を読んでいるときの方が多かったりするのだ。

あらゆる文化の違いを乗り越えて文章を理解するための知識と経験と想像力、そして、それを他者に伝えるための文章力が翻訳という行為に必要な最低限の資質だと私は考えている。次回は、ここからさらに一歩進んだ難しさについて書いていこうと思う。(言語研究者)

常陸利根川沿い香取市 佐原の大祭《日本一の湖のほとりにある街の話》13

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【コラム・若田部哲】小江戸三市の一つとして知られる、千葉県香取市佐原。江戸時代、江戸を洪水から守るため利根川の東遷(とうせん)が行われたことから、利根川の水運と陸路の結節点として栄えた商業都市です。本コラムは「周長日本一の湖」霞ケ浦の周りの様々な営みをご紹介する連載。香取市って霞ケ浦に接していないのでは?とお思いの方もおられるかと思います。

ですが、古代、霞ケ浦は「香取海(かとりのうみ)」という広大な内海であり、堆積や干拓などの結果、現在の霞ケ浦(西浦)、北浦、常陸利根川へと姿を変えました。広義の霞ケ浦とはこの3つの水系の総体であり、香取市は北側でこのうちの常陸利根川に接しているのです。

この香取市を代表する「佐原の大祭」は300年以上の伝統を持ち、国の重要無形民俗文化財、ユネスコ無形文化遺産にも登録され、その文化的価値が非常に高く評価されているお祭り。今回は、千葉県唯一の重要伝統建造物群保存地区である佐原の町並みの中で開催される、この祭礼についてのご紹介です。

歴史的な町並みを山車が進む

祭りの間、町に響く「佐原囃子(はやし)」は日本三大囃子にも数えられており、このお囃子にのせて、歴史的な建物が建ち並ぶ佐原の町並みの中を、山車が家々の軒先すれすれに進みます。その様は迫力・風情とも圧巻の一言、関東三大山車祭りの一つに数えられるのもさもありなんというものです。

大祭は、7月の「八坂神社祇園祭」と、10月の「諏訪神社秋祭り」の2つのお祭りに分かれており、夏は小野川の東側に10台の山車が、秋は小野川の西側に14台の山車が登場。この山車、町内ごとにそれぞれとても個性豊かで、いずれも総欅(ひのき)造りの本体に重厚な彫刻が施され、上部には江戸・明治期に制作された、高さ4メートルにも及ぶ大人形が飾られています。

人形は「イザナギ」「スサノオノミコト」など日本神話にちなむものや、「神武天皇」「源頼義」などの歴史上の人物など様々。ちょっとユーモラスなものとして、「浦島太郎」や「鯉」などのものもあります。

若頭の打つ拍子木に合わせ、小野川沿いを曳き回される様はもちろん、狭い道路で山車がすれ違う場面も迫力満点。豪快な山車の引き回しと伝統的な町並みが織りなす風情を求め、35万人もの観光客が訪れるそう。まだご覧になっていない方は必見、江戸情緒あふれる素晴らしいお祭りです!(土浦市職員)

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

これまで紹介した場所はこちら

防衛予算・財源の見通し《雑記録》49

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【コラム・瀧田薫】6月16日、参院本会議で「防衛財源確保法」が可決され、成立した。衆議院のホームページ「立法情報」によれば、法案時の名称は「我が国の防衛力の抜本的な強化等のために必要な財源の確保に関する特別措置法案」とあり、議案の種類としては「閣法」(内閣提出法案)とされている。

条文を一読した感想を率直に述べれば、自民党・防衛族議員を核として集合した利害関係者(与党議員、防衛省官僚と制服組、防衛関連企業とそのエージェント、金融機関その他)、その間で複雑に絡み合う思惑や利害得失、それに伴う権力闘争など、そこに生じた軋轢(あつれき)や混沌(こんとん)の様(さま)が透けて見える法案となっている。

特に財源確保の方法について、問題の先送りが目立ち、近い将来、こうした欠陥の修正が必要になると思わせる内容だ。

たとえば、増税をさけるために、「歳出改革」「決算剰余金」「国有財産の売却」「建設国債の防衛費転用」など、税金以外の収入を複数年にわたって確保することとして、一般会計に「防衛力強化資金」を創設することになったが、どれをとっても安定財源とは言えない代物だ。「歳出改革」は民主党政権時代の「事業仕分け」を思い出させる。

「決算剰余金」はもともと補正予算の財源に充てられてきたものであり、これを防衛費に転用してしまえば、コロナ禍後に膨張した補正予算の財源として赤字国債のさらなる増発が必要になるだろう。「国有財産の売却」は複数年度にわたって確保できるはずもない。

建設国債の軍事転用は戦争の教訓により、戦後長く「禁じ手」とされてきた。建設国債の使い道は公共事業(橋や道路)であり、この場合は資産として国富増につながるが、防衛費に転用すれば、その効用は失われる。建設国債の防衛費転用は増税の幅を少しでも小さくするための苦肉の策であろう。

国力は軍事力だけでなく総合力

結局、防衛費の財源は、赤字国債か増税の二者択一あるいは併用のどちらかに求めるしかないと思われる。いずれにしても、この先、国民にとって厳しい状況が待っている。インフレが続き、金利が1%上昇すれば、国債償還のために年間約3兆円強のお金が新たに必要になる。そうなれば、防衛費増など絵に描いた餅になる。

金利がさらに上昇すれば、財政破綻の可能性すらある。大増税となれば、消費が低迷し日本経済の地盤沈下が加速しかねない。

1940年代、大日本帝国の指導者は「日米開戦やむなし」として、勝算のない国家総力戦に乗り出した。現在、「防衛費増額やむなし」として、そこで思考停止してしまえば、この国の将来に明るい展望が持てなくなる。つまり、今回成立した「防衛財源確保法」については、この国の安全保障を考えるための一つのたたき台でしかないとの認識に立つべきなのである。

本来、国力というものは軍事力だけでなく、外交力、経済力、技術開発力、情報力そして教育も加わってはじめて更新される総合的な力であることを忘れてはなるまい。(茨城キリスト教大学名誉教授)

土浦市議会の珍事 少数派連合が議長選出《吾妻カガミ》161

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6月議会最終日の土浦市議会

【コラム・坂本栄】4月の土浦市議選挙で当選した議員による初議会が6月に開かれました。その初仕事ともいえる議長選びで、最大会派から議長を出すという慣例が破られ、複数小会派と無所属の議員が語り合って小会派の代表を議長に選出するという珍事が起こりました。これまで比較的平穏に運営されてきた市議会、これからは一波乱あるかもしれません。

公明党が独自候補→最大会派が敗北

今春の市議選のあと、市議会(定数24)の会派(議員グループ)色分けは、郁政会8、新勇会4、公明党4、共産党2、政新会2、社民党1、無所属3になりました。

議長選びは長い間、郁政会(選挙前は11)から内々候補を出し、公明党が内々支持して選出するというパターンが続いてきました。ところが今回は、新勇会4+共産党2+政新会2+社民党1+無所属2=11が島岡宏明氏(新勇会)を担ぐことで内々合意。公明党4が慣例を破って自会派の吉田千鶴子氏を内々立てたことから、郁政会8+無所属1=9が内々推す勝田達也氏(郁政会)が島岡氏に敗れました。

簡単に言えば、異なった政治理念を持つ小会派と無所属の議員が連合し、公明党が自前の候補を擁立して事実上の中立姿勢を貫いた結果、これまで議長を輩出してきた最大会派が敗北するという図式です。土浦市議会で一体何が起きているのでしょうか?

市長選前哨戦と反郁政会工作の場に

歴代議長(現職では海老原一郎氏→篠塚昌毅氏→小坂博氏。その前の内田卓氏→矢口清氏は今春引退)が属する郁政会の複数議員に何があったのか聞き出しました。

「春の市議選直後に郁政会を抜けて新勇会を立ち上げた島岡氏が多数派工作に動いた。安藤真理子市長は水面下で島岡氏を応援した」「前回市長選で郁政会は4期市長をやった中川清氏を推しており、今秋の市長選で2期目を狙う安藤市長としては郁政会の影響力を弱めたかった」「島岡氏の議長就任によって新勇会を核とする小会派が親安藤市長グループを形成することになる」

要するに、議長選出の場が市長選前哨戦と反郁政会工作の場にもなったということです。ドラマチックな展開であり、土浦市議会も面白くなってきました。

「若い新議員の声を反映させたい」

上記の解説については島岡議長と安藤市長に、郁政会にも小会派連合にも距離を置いた公明党の動きについては平石勝司代表に、聞いてみました。

「若い議員と新しい議員の声を議会に反映させたいと考えていた。議長選に挑んだのはその一環。若手や新人と勉強しながら(郁政会に多いベテラン議員から)若い議員にバトンをつないでいきたい。郁政会を出たのは重要教育関係事案で会派の他議員と考え方が違ったこともある」(島岡議長)。「いろいろな動きがあることは知っていたが、議会がやることに市長は関与してはいけないし、現に関与していない」(安藤市長)。

「他の2議長候補(いずれも3期目)に比べ市議歴が長く人物的にも優れた自会派の吉田議員(6期目)を立てた。議会に出される議案については是々非々(賛成も反対もする)で対応していく」(平石代表)。

いずれにしても、16年続いた中川時代の議会秩序が安藤市政下で崩れつつあるのは確かです。今回の議長選びを機に郁政会が反市長に傾き、議長選出では同調したものの理念が違う少数会派連合がばらけると、独自の立ち位置を保つ公明党が「キャスティングボート」を握ることになります。(経済ジャーナリスト)

「転ばないようにね」の危険性《続・気軽にSOS》136

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【コラム・浅井和幸】高齢になると転倒事故はとても危険です。大けがにつながったり、歩行困難になる障害が残ったりすることもあるでしょう。なので、出来るだけ「転ばないようにね」と声をかけることは間違っていません。

さらに転倒防止のために、転倒リスクがある場所に手すりをつけたり、滑りにくい素材の床材を使ったり、段差をなくしたりと対応します。これらの手法は、転倒しにくい環境づくりとして推奨されます。

転倒リスクは環境だけではありません。高齢者自身の筋力や運動能力、視力などの衰えも転倒リスクとなります。なので、運動をすることも推奨されるのです。

ですが、環境づくりがうまくいくことで転倒しにくくなりますから、運動などして自分を鍛える必要がなくなるという捉え方もできます。そうなると、自分自身の能力である部分での転倒リスクが上がるということが起こるでしょう。バリアフリーが進みすぎると、余計に転倒しやすくなると言われるゆえんです。

転倒防止のために、運動をして自分自身の転倒リスクを下げることになります。そこで、転ばない練習と転ぶ練習が大切で、両者は似て非なるものです。柔道で相手がこちらを倒そうとしてくるところを、一生懸命にバランスをとってこらえるのが倒れない練習で、自ら積極的に倒れて受け身の練習をするのが倒れる練習と言えるでしょう。

そうは言っても高齢化すれば、努力しても筋力や運動能力が相対的に下がっていくので、転ぶ練習をしろとは言いにくいものです。転ぶ練習で骨折したら目も当てられません。それでも、出来る範囲で練習をした方がよいのではないかなと思います。

それが、まだまだ成長段階の未成年から中高年までであれば、積極的に転ぶ練習をした方がよいでしょうね。転ばない練習で得た身体操作は、いざ転んでしまったときには役に立たない技量ですから。

失敗によって得られる貴重な経験

これは、勉強でも、仕事でも、人間関係でも、他の社会生活でもすべてに当てはまります。自己肯定感とか、成功体験とかの経験、練習はとても大切です。ですが、いかに失敗した経験から立ち直れるかの練習もとても大切なものなのです。成功体験ばかりに意識が偏ってしまうと、いざ失敗した時に受け身が取れずに大きな支障が出てしまうことになりかねないのです。

絶対負けられない試合、絶対失敗してはいけないこと、絶対に…、このような場面が生きていてどれぐらいあるものなのでしょうか。絶対ミスをしてはいけないのであれば物事を行わない、絶対負けないと言うことは明らかに弱い相手と戦うか、試合をしない、ひきこもれということになります。

親や支援者が、子どもや被支援者から失敗によって得られる貴重な経験を奪ってはいけません。自分が前に進めなくなったとき、どう相手に接してよいか分からなくなったとき、失敗しない方法ばかりでなく、どこまでなら失敗してもよいだろう、失敗させてもよいだろうかと考えるくせをつけることで、道が見えることもあります。(精神保健福祉士)

里山の昆虫に見る生物多様性《宍塚の里山》102

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宍塚の里山で見られる昆虫たち(写真説明は文末に)

【コラム・吉武直子】近年、COP18(国連気候変動枠組条約第18回締約国会議)の生物多様性戦略やSDGs(持続可能な開発目標)に見られるように、健全な生物多様性を保つことが世界的に重要な課題となっています。

里山は人が手を入れて維持管理してきた環境で、林、田んぼ、草地、池、水路、湿地といった、いくつもの異なる小さな環境の複合から成り立っています。そこには多くの生物が生息しています。中でも昆虫は様々な環境に適応し進化した生物で、言い換えればどんなところにでもいるとも言え、このような複合環境では非常に多くの種を確認することができます。

また、植食性昆虫や訪花昆虫に見られるように昆虫と植物の間には利用しあう深い相互関係があり、生息する植物の種数が多ければ昆虫の種数も多いとも言えます。今回のコラムでは、この昆虫についてお話します。

未知の種が見つかる可能性

宍塚の里山からは何種もの昆虫の新種が発見されています。近年での一例を挙げると、1994年にNipponosega yamanei Nicolai V. Kurzenko Arkady S. Lelej 1994 ナナフシヤドリバチ、2020年にPilophorus satoyamanus Yasunaga Duwal Nakatani, 2020 カスミカメムシ科の1種が新種記載されています。

生物の新種は、その種の1個体以上の標本を指定し、特徴や近縁種との区別を明確に記した記載論文を発表することで認められます。これらの種も宍塚で採集された標本を元に書かれています。踏査し、採集し、調べれば、宍塚からこれから先も未知の種が見つかる可能性が大いにあります。

生物種の記録を共有する

ある地域にどんな生物種がいるのか、過去どんな生物種がいたのか、地域生物相を知ることは生物多様性の保全の基礎となるものです。生物の種名を決定する同定はその中で不可欠な作業です。

脊椎動物では目視、全形写真、声、食痕や足跡から同定できるものがほとんどです。昆虫は大型種では同定ポイントが写った全形写真、セミ類やコオロギ類のように種固有の鳴音を発する種ではその音から同定ができますが、小さな昆虫では体の外部構造を細かく観察する必要があります。

そのため、小さな昆虫は乾燥してマウントしデータラベルを付けた標本にして同定することが多くなります。また、標本はいつ、どこにどんな種がいたのかを記録する実物の証拠でもあります。最近はSNSに写真を上げて種名を人に聞いたり、記録報告したりすることが多くなりましたが、実物に優れるものはありません。

地域の生物相を記録する標本は重要なもので、公共の財産として扱われるのが望ましいのですが、標本資料はその保管に人の手やスペースを大きく要します。近年、博物館などの文化研究施設が縮小される中、寄贈などで増え続ける標本の保管は問題となっています。標本が失われることを念頭に置いたうえで、それを生かすには分布の報文や種のリストを公共の場に向けて発信することが現状での着地点かと考えています。

生物多様性戦略に向けて、宍塚の会でも生息する生物種の情報を共有しようという動きも生まれ始めています。記録には多くの人の目と手と知識が必要です。年月を重ねて専門性を高めた人でも、最初は「野外を歩いてみよう」「この生きものはなんだろう」から始まります。ぜひ、里山を散策したり、宍塚の会の観察会に参加したりしてみてください。(宍塚の自然と歴史の会会員)

【写真の説明】(左から)カオジロヒゲナガゾウムシ(初夏、雑木林内の菌が入った落枝や朽ち木で見られます) コカマキリ(秋、草地や林縁で見られます) アオオサムシ(春~夏に林床や散策路を歩いている姿が見られます)

税収予測の悩ましさ・融通むげ 《文京町便り》17

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】岸田政権は、内閣支持率がなかなか好転しない中、重要な施策にも取り組んでいる。通常国会の会期末(2023年6月)だけでも、次元の異なる少子化対策、防衛財源確保法や骨太方針2023などがある。衆議院の解散風が吹いていたにしては、問題提起・頭出しだけでも重みのあるテーマである。

それを進めるうえで問題になるのは財源・税収の目途(めど)だが、これらの中長期施策では現時点では具体的ではない。そこで野党は、これらの施策の実現可能性には疑問を示している。

毎年度の次年度予算編成の流れは、以下のようである。経済財政諮問会議の骨太方針(6月)、財務省からの予算編成方針(初夏)、各省庁から夏過ぎに歳出に関する概算要求が出され、財務省主計局(および総務省)による予算査定の終盤に(晩秋)、財務省主税局(および総務省)から次年度の税収予測が明らかになる。その前提あるいはフィードバックとして、翌年度の経済成長(GDP成長率)の見通しがセットになる。

これらの予算案・見通しは三位一体の関係にある。どのような施策を行うかでGDPは変化する(施策⇒GDP)、そのGDP次第で税収見積もりは変動する(GDP⇒税収)。同時に、税制・税収いかんでGDPも変わってくる(税収⇒GDP)。

したがって、これらの作業は(翌年度予算編成の最終段階である)12月に同時に進行する。ここで重要になるGDPは名目値である(物価上昇率やGDPデフレーターを差し引いた実質値ではない)。なぜなら税収額が名目値だからである。マクロ計量経済モデル・予測で重視される実質値ベースとは、一線を画すゆえんである。

タナボタ税収はその年度で配分?

税収予測で悩ましいのは、税収の自然増収をどう見込むか、である。経済学の基本概念に税収の所得弾力性(税収の増加率を分子に、課税標準・GDPの増加率を分母にした割り算)があるが、これは一般的・標準的には1以上である(要するに、課税標準・GDPの伸び以上に税収は増える)。

例えば、法人税を筆頭に所得税や消費税などの主要税目は、税収の所得弾力性は1.1以上である。これは、税務当局にとっては自然体(作為の無い)の増収である。だが納税者にとっては、追加的な余分の税負担である。

しかし、作意が込められる可能性もある。税務当局としては次年度GDP成長率を慎重に見て、次年度税収見込み額を控えめにし、財務省全体で次年度歳出予算の膨張に歯止めをかけようとしているかもしれない。しかし、翌年度は想定上に景気が回復して税収は順調に伸びる(当初予算額を超える)かもしれない。

この増収分も自然増収というが、このタナボタ税収は当該年度で配分される(当初予算歳出額が増額される)可能性がある。

一般会計税収の当初予算と決算の食い違いを対前年度伸び率で比べると、2019年度6.6%増・3.2%減、2020年度1.6%増・4.1%増、2021年度9.5%減・10.2%増、2022年度13.6%増・6.1%増、2023年度6.4%増・予算執行中、という実績である。したがって、一般会計税収の2020年度・21年度ではコロナ禍でも、いずれも、当初予算で想定した以上の決算額が実現していた。

この再現(当初予算額以上の税収額の見込み)を2022年度~24年度で狙っているとすれば、岸田政権の衣の下もおのずから透けてくる。2023年度予算の執行状況が見極められる23年末に、財源の目途をつけると言っているゆえんかもしれない。(専修大学名誉教授)

眼鼻について 《写真だいすき》21

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カッと見開いた眼や寝ているのか起きているのかわからないような眼もある=写真は筆者

【コラム・オダギ秀】人を表すには、写真にせよ絵画にせよ、眼鼻の表現が大切だ。眼鼻が見えないと、どんなヤツかわからん。とくに眼が、どんなふうに表現されているかが、とにかく大切。こんな眼付きじゃ犯人みたいだぜ、なんて言われる。

「眼を開けている時に撮ってね」

仏像の場合は、眼の表現、つまり眼の形や造形方法によって、制作意図や時代などが推定されることが多い。多くはその仏像の持つ意味などが表わされる。だがボクが、好きで、しばしば撮影している石仏の場合は、一般の仏像より、何かと困ることがある。石仏は、そのほとんどが、開いているか半眼か、どちらかなのだ。

石仏は、まずほとんどは、仏像制作の専門家である仏師が彫ったものではなく、石屋さん、つまり石塀や庭石、墓石を扱う石切場の石工が彫っているし、頻繁に彫仏の仕事があるわけでもないから、それほど詳しい知識もなければ工法にも大きな差のある技術があるわけでもないことが多い。

いくつかのポイントを寺の僧侶などに教えてもらい、それによって彫ることが多かった。だから、地蔵さまなど、よく注文される仏さまの眼は、教えられたように半眼にする、となる。半眼とは、瞑想(めいそう)している眼で、開いていれば雑念が見え過ぎ、閉じていれば寝てしまったようだから、半眼ということなのだ。細く開いた、半分だけ開いた眼だ。

だから、眠っているようでなく、開いているようでなく撮る。ちゃんとそう彫ってあれば、撮影も難しいことではない。

むかし、「♬今日でお別れね」と歌った眼の細い歌手を撮った時は、「ボクはいつも眼を閉じた時に撮られちゃうの、眼を開けている時に撮ってね」と言われたが、半眼でない、ただ細い眼は、どうしても閉じたような眼になってしまう。だから、思いっきり開けて歌えよ、と思ったが、石仏の場合は、寝てないように、人間臭いギョロリ眼にならぬように撮る。

するとありがた味がきちんと写る。しかも動いていない。だから簡単な撮影と言われそうだが、そういうワケでもない。と言うのは…。

すごい眼を見せるモデルさん

仏像はもちろんだが、人の顔というのは、眼鼻をどう撮るかの表現で、大きく変わる。じつはカメラの位置が数センチ、ほんの5センチぐらい違うだけで、変わってしまう。魅力的にも嫌らしい顔にも撮れるのだ。その狙い通りのドンピシャの位置を見つけるのが大変。だが面白い。楽しい仕事とも言える。一般的には、眼鼻を撮る難しさなんてわからないから、勝手な言葉で評されている。

優れたモデルさんは、もちろん、眼の重要さはよくわかっていて、シャッターを切る瞬間がわかるらしい。今だ、とシャッターを切ろうとすると、その瞬間、それまで何でもなかった眼がキラリと光ったり、狙った眼になるのだ。いい眼だからシャッターなのではなく、シャッターを切ろうとする瞬間、さらにいい眼になるのだ。「だって、シャッター切る瞬間って、わかるわよ」なんて笑っていた。

もっとも、そのことがわからぬカメラマンもいるのだが、すごい眼を見せるモデルさんは、本能なのか、感覚が鋭いのか、はたまた努力なのか、すごいもんだと思う。「は〜い、チーズ」なんて声をかけられて写真を撮ってもらっているうちは、ちゃんとしたモデルにはなれないってことだよ。あなたは?(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

「3年後、海外旅行に行こう」《続・平熱日記》136

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】妻が亡くなってから次女とメールのやり取りをするようになった。それまではほとんど連絡を取ることがなかったのに…。とはいえ、何を食べたとかどこに行ったとかというような他愛もない内容で、でもそんなことのやり取りをしていたら、本当に突然に次女と海外旅行に行くことを思いついた。なんとなく3年後ぐらいに。

何年も先のことを考えて予定を立てるという能力がない。目の前のこと、とりあえず明日のことを考えて暮らすのが精いっぱいだったからだろう。例えば、割と年を取ってからも次のオリンピックが開かれる頃はどこで何をしているやら、などと考えていた。

しかしここにきて、そろそろ日雇い先生もお払い箱が近くなってきたし、3年後ぐらいには立派な年金受給者になっているはずだ。それから次女は妻と毎年旅行をしていたことも思い出した。果たして次女は私の旅のお供をしてくれるだろうか。

「海外旅行いこう」「なんで?どこに?」「理由はない。3年後。どこか行きたいところある?」「マルタ、フランス、イギリス、ギリシャ…」「わしはクロアチアと…、とりあえず全部行っとくか」

体力をつけておく―私は本気だ

パスポート探してみた。懐かしい昔のでっかい赤いやつ。写真が若い。それから小ぶりになった10年パスポート。最後に行ったのはスウェーデン。もう20年以上前。そういえば、最近なにやらパスポート申請をしたら抽選で割引になるとか聞いた。

マイナポイントとかもそうだが、お上は最近こういうのが好きね。でもなんか、不公平な感じ。まあそれで文句もないけど。例えば旅館で机いっぱいに並べられた豪華な夕食が苦手。どこに入ったらいいかわかんないベッドがダメ。そば殻の枕派。もちろんパックツアーは無理。ゆえにゴートゥーナンチャラの恩恵も受けることもない。

風呂敷ひとつ持ってというのが理想。パンツ2枚シャツ2枚。幸い貧乏にも旅にも慣れている。ところで、今はどうやってお金払うのかな。カード? なにせトラベラーズチェックの時代だから。スマホがあれば地図や時刻表も要らないということか。まあその辺も含めて老いては子に従え、ってことか。

朝、SNSに妻の誕生日の通知が届いてちょっと戸惑う。アカウントを閉じた方がいいのだろうが…。その夜、というか翌朝?3時ごろ目が覚めてしまった。次女からメールが来ていて妻の誕生日だったことに触れていたので、返信したらすぐに返事が来た。「まだ起きている?」「これから寝るところ」。どうやら東京と茨城にも時差があるらしい。

さて今年の厄払い、胃カメラ様を飲み込む儀式が無事に終わり、結果は極めて健康体。ということで明日は草刈りのアルバイト。明後日は…、そして3年後は…。体力だけはつけておかないと。次女はどう思ったか知らないが、私は本気だ。(画家)

「いのちを生きる」会津・小林さんの写真集《邑から日本を見る》138

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小林芳正写真集の表紙

【コラム・先﨑千尋】「有機農業は生き方だ」。農協陣営での有機農業運動のカリスマだった小林芳正さんは日頃そう語り、宮沢賢治を人生の理想としていた。小林さんは、福島県熱塩加納村(あつしおかのうむら=現・喜多方市)農協の営農指導員として有機農業を、一個人としてではなく、地域ぐるみの取り組み(面的展開)として進めた。学校給食にも有機栽培の米や野菜を提供し続けた。

また、農業だけでなく、地域社会づくりや農村文化の向上にも力を尽くした。百合の一種である可憐なひめさゆりを植え、年中行事や伝統食・保存食を伝え、残すことに努力した。「ひめさゆり群生地」は、今では30数万本ものひめさゆりが咲きそろい、観光客を呼ぶ。農村の普通の景色や生き物の姿、人々の営みをカメラに収めることも好きだった。

その小林さんは昨年7月に88歳で亡くなった。膨大なネガフィルムが残されていた。小林さんの病状悪化が伝えられた昨年4月、同村の有機米を使い、酒にしてきた酒造会社や有機農産物販売会社など小林さんを慕う人たちが集まり、「小林芳正写真集刊行委員会」を立ち上げた。小林さんの生前には間に合わなかったが、今年2月に写真集が完成した。

写真集のタイトルは『いのちを生きる-小林芳正写真集』。「いのちの輝き」「有機の里熱塩加納」「子どもたちに伝える『農』の心」「この村で、ともに生きる」の4編構成。同村の学校給食に関わった坂内幸子さん、喜多方市大和川酒造の佐藤彌右衛門さんらの寄稿文、小林さんのプロフィールも入っている。

「子どもたちに安全な食材を」

ここで、「百姓」という肩書の名刺を持つ小林さんの業績を振り返ってみよう。

小林さんは1934年生まれ。福島県農事試験場で学んだあと農業に従事し、28歳の時に同村農協の営農指導員になった。日中は管内の田んぼを見回り、農協の事務所へは夕方に「出勤」したという話が伝わっている。

1980年に有機農業に取り組み、89年には同村の学校給食に、親たちと一緒になって、有機の米「さゆり米」と野菜の供給を始めた。「次の世代を担う子どもはかけがえのない地域の宝。その子どもたちに安全な食材を」という考えからだった。

92年に農協を定年で退職した時、NHKテレビは午後7時半から、小林さんの仕事を振り返る特別番組を放映した。NHKが1人の農協職員の歩みをこのように放映したことは、それまでにはなかった。

小林さんは農協にいる時から子どもたちに農業を教え、共に作業していた。これがのちに全国で初めて小学校に「農業科」が設置されるきっかけとなった。小林さんはそこで農業科支援員となり、子どもたちと田畑に立った。現在は喜多方市のすべての小学校で取り組まれており、2013年には、喜多方市小学校農業科が日本農業賞「食の架け橋の部」で大賞を受賞している。

私は40年以上前から小林さんのところに通い、有機農業や学校給食、地域づくりなどのことを学んできた。酒米の「五百万石」の種子を分けてもらったこともあった。写真集を見て当時のことを思い返している。ありがとう、小林さん。(元瓜連町長)

対岸の家 《短いおはなし》16

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美浦村から見た霞ケ浦と筑波山(筆者撮影)

【ノベル・伊東葎花】
歩くことが困難になり、施設のお世話になっています。
施設の前には大きな湖があります。湖の向こう側は、私が生まれ育った町です。
晴れた日は高台の小学校が見えます。その先が私の家です。
誰も住んでいません。両親はとうに亡くなり、独り身なので家族もいません。
残された家が不憫(ふびん)でなりません。

「そろそろ戻りましょう」

職員さんが来ました。陽が暮れて、向こう岸にチラチラ灯りが揺れています。

「ねえ、湖の向こう側に行くには、車椅子でどのくらいの時間がかかるかしら」

「丸一日かかりますよ。ここからまっすぐ、橋でも架かっているなら別だけど」

職員さんは笑いながら車椅子を押してくれました。
本当に橋が架かっていたら、どんなに近いでことでしょう。

それから私は、湖のほとりに行くたびに想像しました。ここからまっすぐ、向こう岸まで延びている橋を思い浮かべました。
透明な硝子で出来ている橋はどうかしら。まるで湖の上を歩いているみたいで素敵(すてき)。
そんな夢みたいなことを考えていると、寂しさや不安が消えていきます。

ある日のことです。日暮れまで、湖のほとりで対岸の町を眺めていました。
夕凪(なぎ)の中に、誰かの声がしました。目を凝らすと、向こう岸から誰かが叫んでいます。
「ごはんだよー」と言っています。
母の声です。母が私に向かって叫んでいます。
きっと帰りたい気持ちが、幻を見せているのです。

目が眩(くら)むほどの強い光が湖の上を走りました。
次の瞬間、私の足元から向こう岸まで、橋が架かっていたのです。
それは、私が夢見た硝子(ガラス)の橋でした。
私は立ち上がりました。自分でも驚くほど自然に立てたのです。
あれほど重かった身体が、走り出すほど軽やかです。
橋に足を乗せました。すっかり藍色になった湖の上を、ゆっくり歩き出しました。
時おり魚が跳ねて、小さな水音を立てます。楽しくて、踊るように橋を渡りました。

対岸の町に着くと、一気に坂道を駆け上がりました。毎日のように上っていた坂です。
とうに閉店したはずの駄菓子屋が、店先でラムネを売っています。

「早く帰らないと叱られるよ」

とっくに死んだはずの店のおばちゃんが、笑いながらラムネをくれました。
青い瓶に映った私は、おかっぱ頭の小さな子供になっていました。
家の前に母がいて、「いつまで遊んでるの」と私を叱ります。
夕餉(ゆうげ)のいい匂いがします。

私は振り返り、向こう岸を見ました。
湖のほとりに、空の車椅子がポツンと置かれています。
硝子の橋は、跡形もなく消えていました。
もうあの場所に戻ることはありません。
私は扉を開けて、「ただいま」と大きな声で言いました。(作家)

雑草の不思議 蒲の穂《くずかごの唄》129

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】コロナで休んでいた「河童(かっぱ)サロン」の復活。笛の名人・相崎伸子さんが「わらべ歌」を皆で歌おうと提案してくれた。歌いながら、みんなで手の指、足の指を動かして、外反母趾(ぼし)の予防運動にもなる。伸子さんの発明した楽しい遊びである。

伸子さんのご主人、相崎守弘先生の同僚だった島根大元教授の森忠洋先生も参加してくださった。森先生は「やってみませんか 家庭でできる生ごみの処理 生ごみ堆肥化・分解大作戦」という分かりやすく、面白い本を書いた人である。

「わらべ歌」も奥が深い。昔の歴史を知らないと理解しにくいわらべ歌もある。大黒様の唄(明治38年 石原和三郎作詞)。

♫ 大きな袋を肩にかけ、大黒様が来かかると、ここにいなばの白兎(うさぎ)、皮を剥(む)かれて赤裸、大黒様は哀れがり、「綺麗(きれい)な水に身を洗い、蒲(がま)の穂綿(ほわた)にくるまれ」とよくよく教えてやりました。大黒様のいうとおり、綺麗な水に身を洗い、蒲の穂綿にくるまれば、兎はもとの白兎 ♫

ガマのホワタとホオウの関係は?

「ガマのホワタって、いったいどのようなものなの?」

「聞かれたら、困ると思って、原っぱを探して、蒲の実を持ってきたわよ」

伸子さんは真茶色の、膨らんだ細長いダンゴのような蒲の草の実を、採ってきてくれて見せてくれた。赤裸の兎が、たちまち元の白い毛の生えた兎に戻ってしまう不思議さ。私は穂をごしごしとこすってみた。中からたくさん出てきたのは鮮やか過ぎるほど鮮やかな真黄色の粉末だ。

漢方薬「蒲黄(ホオウ)」という名で薬用の止血剤に使った粉らしい。「白くてふわふわしたものかと思ったら、違うのね」。わらべ歌に出て来る「ガマのホワタ」と「ホオウ」の関係は何なのだろう。

「ねっ、牧野富太郎先生教えてください」(随筆家、薬剤師)

オカルティズムが似合う街《遊民通信》67

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【コラム・田口哲郎】

前略

生まれてこのかた新興住宅地に住んできました。東京、大阪、宮城、茨城の中の新しくつくられた街にしか住んだことがありません。もちろんほかの地域には古い街があり、そこでは古来の風習が残ったりしているわけですが、私はそういうものとは無縁に育ってきました。住んだことのあるところは、どこでも身の回りには、古い寺社仏閣がありませんでした。

新しい街はきれいですが、伝統がありません。寺社仏閣が担う伝統がないのです。あるのは、家、公園、スーパーマーケット、ホームセンターや家電量販店ばかりです。ですから、土浦の中心部のような古い城下町に憧れたりするわけですが、それも憧れで終わるわけです。

そこに住んでらっしゃる方々の生活にも憧れます。いわゆる年間行事があり、伝統的なしきたりに従ってすることも多いのだろう、なんて思いをはせるのです。こうした行事の多くは宗教的なものだと思います。街に伝統があるということは、宗教的な色彩が強いということかもしれません。しかし新興住宅地には、そういった色合いもないわけです。

新しい街にはオカルティズムが妙に合う

ひたち野うしく駅は、関東の駅百選に選ばれるほどの造形美がある銀色の近代的な建物です。その周りには整然と並ぶ新しく美しい家々が広がっています。所々にマンションが建ち、広い道路には今どきの自動車がスイスイと通っています。こうした街並みを見ながら、ふと「ここにはオカルティズムが似合うなあ」と思いました。

オカルティズムは前に書きましたが、19世紀ヨーロッパで誕生した新しいスピリチュアリティです。キリスト教の支配から解放された社会に出現した、新しい霊性ともいえます。

世の中が変わっても、人間自身は変わらないと言われます。宗教の束縛を受けなくても、科学や理性を信じていれば、豊かに安全に暮らせるようになった人間は、自由です。でも、新興住宅地に住みながら伝統的な街の暮らしに憧れる者がいるように、自由な生活の中で、旧来の霊性というものに憧れる者もいるでしょう。この近代的な街にあって、生活している者が持つのは、そう簡単には変わらない人の心です。

自由ゆえの不安がわいてきても、逃げ込む神社やお寺、教会も近くにはない。さて、それではタロット占い、水晶占い、星座占いをしてみようかと思うこともあるでしょう。

実際、私はエリファス・レヴィの影響で、タロットを勉強しています。そして、変わりばえのない整った街を歩きながら、さきほど出たタロット・カードの絵柄を思い浮かべながら、自らの来し方と今のうつつと、ゆく末に想いをはせたりするのです。その感覚が風景に妙にマッチすることは、発見でした。街の風景とタロットの絶妙な調和などについて書いてゆきたいと思います。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

マジョリティとしての特権 《電動車いすから見た景色》43

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イラストは筆者

【コラム・川端舞】マジョリティと呼ばれる人々は多くの場合、特権を持っている。入り口に段差があるかどうかを気にせずに、飲食店やホテルを選べるのは、車椅子やベビーカーが必要ない人の特権。音声による説明がなくても、インターネット上の写真・グラフなどから情報を得られるのは、目が見える人の特権。店員から商品の説明を口頭でしてもらって買い物ができるのは、耳が聞こえる人の特権。

婚姻届により、血縁関係のない2人が家族として認められるのは、戸籍上の異性同士で愛し合った人だけの特権。どんなに2人が愛し合っていても、戸籍上の性別が同じであれば、現行の法律では婚姻届は出せない。

日本の難民認定手続きがどう変わっても、日本を追い出される心配をしなくていいのは、日本国籍を持つ人たちの特権。日本国籍を持つ私には、日本を追い出される恐怖など想像すらできない。

奪った権利をマイノリティに返すだけ

マジョリティとは誰のことだろう。私は車椅子がないとどこにも行けない点ではマイノリティだが、視覚的な図で表された情報でも、音声だけの情報でも困らずに利用できる点ではマジョリティだ。入管難民法がニュースとして話題になるまで、自分が日本国籍という特権を持っている自覚すらなかった。

また、私は誰に身分証明書の性別欄を確認されても、何も困らない。これもマジョリティの特権なのだが、出生時に割り当てられた性と性自認が一致しない「トランスジェンダー」に対し、自分のように生まれた時の性と性自認が一致する多数派は「シスジェンダー」と呼ぶことさえ最近まで知らなかった。

しかし、シスジェンダーとしての自覚を持つと、今の社会がトランスジェンダーの権利を犠牲にし、シスジェンダーが生活しやすいようにつくられていることが見えてくる。例えば、学校の制服を男女で分ける仕組みは、自分らしい性を表現したいトランスジェンダーの生徒を犠牲にしている。

そして、自分もそのような社会をつくっている一員だと思うと、シスジェンダーである私たちこそ社会を変えていかなければならないことに気づく。

マイノリティの人権問題は、マジョリティ側が自分たちの持っている特権に気づき、その特権をマイノリティ側にいかに還元するかの問題でもある。決してマイノリティに特別な権利を与えることではなく、マイノリティから奪ってきた人間としての基本的な権利を、彼らに返すだけだ。(障害当事者)

土浦博物館の郷土史論争拒否で議論沸騰 《吾妻カガミ》160

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土浦市立博物館(左)と市役所

【コラム・坂本栄】今回も土浦市立博物館と地元郷土史家の歴史論争問題です。1回目は158「…博物館が…論争を拒絶」(5月29日掲載)、2回目は159「…論争拒否、土浦市法務が助言」(6月5日掲載)。コメント欄への投稿に加え、コラム《ひょうたんの眼》(6月14日掲載)や市議会も論争に参入。議論が沸騰してきました。

苦情と歴史論争は次元が違う

「博物館の仕事は、城郭(研究の砦)に籠(こも)って研究するだけではなく、その成果を市民に知ってもらうことにある。この論争を見ていると、博物館は市民とのコンタクトが薄いような気がする。本堂さんとの対話を面倒くさいと断つようでは、市立博物館とは言えない。博物館は学術と市民の間に立って、学問の成果を市民につなぐのが本来の仕事」(土浦の歴史好き)

「郷土史家との対話拒否は行政の下手なリスク管理の見本。歴史論争の回答書にあんな文言(コラム158で引用)を入れたらメディアに叩かれるのは当然。博物館が論争を打ち切るのはその存在を否定するようなもの。それを市の法務担当が指導したというのは論外。一般行政への市民のクレームと市民の博物館との論争は区別しなければいけない。次元が違うものだから」(リスク管理人)

議会も博物館の対応に疑問符

コメントの中には、本堂氏が博物館に11回も通ったことに注目し、博物館の論争拒否通告を支持するコメントもありました。

しかし、博物館の面談記録(各回60~90分、糸賀館長か担当学芸員が対応)によると、2020年12月1回、2021年2月2回、同3月1回、同9月1回、2022年6月1回、同7月1回、同9月1回、同10月1回、同11月1回、同12月1回だったそうですから、論争の間隔としてはむしろ控えめなぐらいです。

この問題は市議会教育厚生委員会(矢口勝雄委員長)の会合でも話し合われました。関係市議によると、博物館が面談拒否の理由を「11回も来られ困った」と説明したとの報告について、委員からは▼本堂氏はクレーマー扱いされて戸惑っている▼市の弁護士が間に入り拒否を通告させたのは問題ではないか▼微妙な問題であり博物館は冷静に対応すべきだ―などの発言があり、博物館の対応に疑問符が付いたそうです。

自分の立ち位置から語る歴史

コメントにはクールな意見もありました。「歴史とは自分の立ち位置から過去を描写する作業。郷土史家も館長も自分の史観に都合いいように解釈している」(歴史論争嫌い)。話が脱線しますが、私の旧友、門跡寺院(もんぜきじいん=皇族や公家の寺)の門主(もんす=住職)さんの史観はその極致でした。自分事なのです。

寺は天台宗ですから総本山比叡山を焼き払った織田信長は極悪人。寺に手水(ちょうず)石を寄贈してくれた豊臣秀吉は偉い。寺領の一部を奪い他寺に与えた徳川家康は小悪人。雄藩に担がれて権力に復帰した明治天皇は期待の星。天皇制と華族制(彼もその家柄)を廃止したマッカーサー元帥は「けしからん」と。(経済ジャーナリスト)

花火を観るなら有料観覧席でⅡ 《見上げてごらん!》15

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イラストは筆者

【コラム・小泉裕司】シーズン到来で、2023年の花火事情が見えてきた。隅田川花火のように、コロナ禍を経て数年ぶりの開催に至る大会が増える一方で、資材や火薬そのものの高騰、安全対策への不安などから、開催をあきらめた大会もあると聞く。

開催を決めた土浦や大曲のように、やむなく有料観覧席の値上げで支出の増大に対応する大会もある中、今回のタイトル付けに逡巡(しゅんじゅん)したが、それでも、「主催者おすすめのビューポイントから花火を見上げてほしい」(2022年7月17日付の本コラム)の思いは、揺らぐことはない。

それはさておき、これまで全国の主要な花火大会の魅力を取り上げてきたが、この時期に至っては、遠方の宿泊施設を個人で確保することは困難。旅行会社のツアー頼みも割高感は否めない。ということで、今回は、つくば・土浦方面から日帰り可能な都内および茨城県内の花火大会をラインアップしてみた。

東京編

国は一昨年11月、基本的対処方針を決定し、大規模イベントの開催にあたり、細部の運用は都道府県に委ねた。結果、昨年、土浦をはじめ多くの花火大会が3年ぶりの開催を決める一方、東京都は国の対応への不満から、開催に難色を示し、都内ほとんどの大会が中止となっていた。

そして今年、方針の撤廃に伴い、東京の夏の風物詩「隅田川花火大会」が4年ぶりに帰って来る。7月29日(土)、第1会場(桜橋~言問橋)は、午後7時打上開始、最大5号玉(直径15センチ)。1.5キロ下流の第2会場(駒形橋~厩橋)は、午後7時30分から打上開始、最大3号玉(同9センチ)。打上玉数は2会場合計2万発、第1会場では選抜業者10社による「花火コンクール」も行われる。

間断なき高密な打ち上げが印象に残る花火大会だ。ちなみに、川幅が狭く、観客の安全確保のために定められた「保安距離」が確保困難のため、大玉の打ち上げはない。市民協賛席と呼ばれる有料観覧席の募集はすでに終了したが、ビルや船上など、鑑賞スポットの選択肢の多様さは都会ならでは。道路上、ビルとビル、街路樹の枝の隙間から花火を見上げる「東京人」のたくましさに圧倒される。

東京23区内で、打上総数1万発以上で、これからでも有料観覧席が購入可能な大会をまとめてみた。

開催日 大会名 会 場 打上玉数/煙火業者
7/22(土)19:20 足立花火大会 荒川河畔 1.5万発、北陸火工
7/25(火)19:20 葛飾納涼花火大会 江戸川河畔 2万発、イケブン
8/5(土)19:00 ※対岸同時開催 いたばし花火大会 戸田橋花火大会 荒川河畔 合計1.3万発 ホソヤエンタープライズ
8/5(土)19:15 ※対岸同時開催 江戸川区花火大会 市川市民納涼花火大会 江戸川河畔 合計1.4万発、宗家花火鍵屋

茨城編

4月16日付の本コラムで紹介した「おみたま花火大会」が加わり、さらに分散化した日程は、見る側、打ち上げる側の両者に好都合でもあり、「いばらきの花火暦2023」は、今までにない充実ぶりだ。

開催日 大会名 会 場 打上玉数/煙火業者
7/29(土)19:30 水戸偕楽園花火大会 千波湖畔 5千発、野村花火工業
8/12(土)19:00 とりで利根川大花火 利根川河畔 7千発、山﨑煙火、筑北火工等
9/16(土)18:00 利根川大花火大会 利根川河畔 3万発、野村、山﨑など4社
9/30(土)18:00 大洗海上花火大会 大洗海岸 1.2万発、野村花火
10/7(土)18:00 おみたま花火大会(新) 霞ケ浦湖上 5千発、山﨑煙火
10/21(土)18:00 ちくせい花火大会 小貝川河畔 2万1発、山﨑、森煙火、野村
10/28(土)17:30 常総きぬ川花火大会 鬼怒川河畔 詳細未定(4年ぶり)
11/4(土)17:30 土浦全国花火競技大会 桜川河畔 2万発、55業者(実績)

※昨年開催した「いなしき夏まつり花火大会」(8/19)、「鹿嶋市花火大会」(11/26)は、出稿時点で日程が未発表のため表から除いた。

どの花火に行こうか迷ったときは、土浦全国花火競技大会の結果など参考にして、打ち上げ業者で選ぶのも一興だが、いずれも申し分ない実績を誇ることだけは保証付き。本日は、この辺で「打ち止めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

<注>表中の煙火業者は過去の実績であり、あくまでも参考

あなたは運が良い方ですか? 《続・気軽にSOS》135

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【コラム・浅井和幸】不遇な少年時代を経て、自分の実力で成功した人を、私たちはカッコイイと感動します。人に頼らず、自分の腕で不運を乗り越えて何かを成し遂げる、自分の力を見せつけることを私たちは夢見ます。それは悪いことではなく、物事を乗り越えるには必要な力です。

しかし、物事がうまく行っていないときには、この癖が嫉妬やさらなる不運を招いてしまうことになりやすいのも事実でしょう。自分よりうまく行っている人はただ運が良かっただけと切り捨て、自分よりうまくいっていない人に対しては頑張りが足りないからだと軽く見る。

苦しく余裕がないと視野が狭まり、周りの良い意見も悪い意見も区別がつかず、周りに対してのネガティブな感情がわきます。自分のことを誰もわかってくれないし、自分は誰のことも分かりたくない。

世の中は嫌な事だけしか起こらないのだから、目をつぶり、耳をふさいだ方がましだ。それが、休息になっていれば余裕につながるのですが、嫌なことばかり考えていると心理的に疲弊は大きいです。

人は運が良いときもあれば、運が悪いときもあるもの。ですが、上記のような状況になると、良い運には気づきにくくなり、悪い運には過敏になっていきます。自分は運が良いと思っている日常は、上記とは逆の道をたどるのですが、運が悪いと思っている人が自分は運が良いと思えように即変われというのは無理難題です。

ささいな喜びを見つける

人生一発逆転をするような、大きな意義のあるイベントに出くわすとか、生活を一変するような趣味を見つけるとかと考えずに、普段軽く見ているようなささいな喜びを見つけましょう。

せっかくの休みに何もせず無意味な時間を過ごしたと思わず、心身の休息は取れたかもしれないことに気づくことです。さっき食べた食事にちょっとだけおいしいと感じたものがあったことを思い出し、何かきれいな花を見つけてきれいだと声に出す。昔聞いた音楽を聞き、少しだけ心地よいなと感じる。ちょっとしたせっけんのにおいを良いかもと感じ、触り心地の良いタオルをなでて気持ち良いかなと感覚を味わってみる。

このささいな良さを感じて、積み重ねることを続けていると、心地よいことに敏感になっていけます。それはさらなる快さにつながり、運の良さにつながっていきます。

お金がたくさんほしいのに、お金の勉強をしない。ダイエットしたいのに、たくさん食べる。苦しむのは嫌なのに、今考えても改善しないのに、嫌な仕事や嫌な人のことを1日中恋焦がれるように考え続ける。自分が行きたい場所とは逆の方に全力疾走しているようなこの状態に、人はなりやすいものです。

少しだけ今行っている努力を緩めて、余裕が出来たら、ちょっと方向を変えて目的の方向を向いてみる。無意識の行動に気づくことは難しいことですが、気づくことが出来たら大きな急激なことではなく、簡単でささいなことを繰り返し行うことで、いつの間にか運がよくなっている自分に気づく未来が訪れることでしょう。(精神保健福祉士)

子守唄で境界線が解けていく《映画探偵団》65

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】「第1回 世界のつくばで子守唄/海のシルクロード・ツアー2023」(7月1日)まであと2週間となった。初めは「子守唄コンサート亅が目的だったが、その後、「子守唄を通じて世界の人々との交流する場をつくる」に変わった。

実行委員会には外国人が必ず参加し、交流を深めた。さらに、外国人の歌い手同士の交流もいつの間にか始まっていた。マレーシア、インドネシア、ミャンマー、中国、台湾など人。国を超えた交流は、「アジアが一つ」に見えてわくわくさせられる。

定員を30名増やし160名にしたが、残りは10席を切った。関係者に遠慮してもらい、いろんな人に参加してもらおうと思っている。当初、参加者は日本人と外国人半分ずつと考えていた。だが、帰化した人や日本人と外国人の間に生まれた子どもをどちらに入れるか判断がつかなくなった。

コッポラ監督の『コットンクラブ』

日本人と外国人と分ける発想自体が古いのだと肌で実感できた。いや、この感覚を以前に映画で味わったことがある。フランシス・フォ一ド・コッポラ監督の『コットンクラブ』(1984)でだ。

1928年に始まるこのドラマの主人公は2人いる。白人のトランペット吹きデキシ一(リチャード・ギア)と黒人タップダンサーのサンドマン(グレゴリー・ハインズ)だ。しかし、2人は顔見知り程度で、最後まで直接交流するシ一ンは無いに等しい。そして、2人の恋愛や兄弟間のいざこざを描く舞台になるのが「コットンクラブ」である。

黒人のショ一を見せ、白人の客だけのクラブには、2人に関係する人物や、暗黒街のボスたち、実在した映画スタアのグロリア・スワンソン、チャ一リ一・チャップリンらが続々と集まってくる。つまり、1軒のクラブに主人公の知人と他人、無名人と有名人、黒人と白人、芸人と経営者などなど、この現実世界の人間関係をぎゅっと詰め込んでいる。

では、監督コッポラは、そうした混沌(こんとん)とした人間関係と舞台を使って何を、描こうとしたのか。それが分かるのは長いラストシーンを迎えてからである。タップダンス・シーンと暗黒街のボスを暗殺するマシンガンのカットバックの後、結婚式を終えたサンドマンたちが教会の階段をドッと降りてくる。

また、暗殺されたボスの棺おけが運ばれていく場面。デキシ一が駅で母親に別れをつげたあと、列車が待つホ一厶で恋人と再会する場面。以上の明暗重なる場面に、コットンクラブのステージショ一がカットバックされる複雑なフィナ一レ。

現実のドラマの部分とステージショ一の部分をたたみ込む演出で、あら不思議、ドラマとステージショ一の境界線が消滅し、白人と黒人の世界が融合してしまうのだ。現実の人生と虚構の舞台は微妙に結びついているというコッポラ監督のメッセ一ジも伝わってくる。

英語と正調茨城弁で進行

当日は会場を海に、16テ一ブルを島に見立て、金色姫が乗ったうつろ舟が回っていく。ナビゲーターは、英語と正調茨城弁で進行する。もちろん歌は外国語である。歌い手は全員客席に座る。どんな雰囲気になるのか全く予想がつかない。ちなみに、偉い人の挨拶はない。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

父の遺産を家族で話し合って相続した 《ハチドリ暮らし》26

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耕作放棄畑に桑の木が生え実がなっていた

【コラム・山口京子】父が亡くなり半年が経ちました。母と私たち三姉妹の4人が相続人となります。民法の法定相続分では、母が2分の1、3人の子どもがそれぞれ6分の1となります。90歳になる母は「面倒なことはいやだ、お前にまかせる」と言います。妹たちも「お姉ちゃんにお願いする」ということで、父の財産は私が相続することになりました。

遺産分割協議書を作成し、必要な書類を持って地元の司法書士の先生に手続きを依頼しました。それにあたり、不動産に関しては市役所で「土地評価証明書」をとります。そこには、実家の家と土地の他に田んぼや畑が記載され、その土地の所在地、地目、地積、評価額が出ています。司法書士から、この評価額は固定資産税評価額で、この額を相続税評価額に引き直すとこれくらいだよと教えてもらいました。

相続税の評価額は、田や畑の固定資産税評価額に倍率をかけて出します。倍率は所在地によって異なりますので、倍率表を見せてもらうと、「固定資産税評価額に乗ずる倍率等」で、該当する田や畑は約6倍となっていました。

相続税を計算するに当たり、相続税の基礎控除額のこと、相続財産になるものについての詳しい説明をしていただきました。相続人が4人の場合の相続税の基礎控除額は、5400万円(3000万円+600万円×法定相続人の数)です。その金額以下なら相続税はかかりません。わが家は相続税については手続きはいらないことが分かりました。

「相続土地国庫帰属法」のこと

農地の相続は農業委員会への申請が必要なため、その手続きを頼む際、田や畑は近所の農家に委託し耕作してもらっていることを伝えました。その農家さんにいつまで耕作してもらえるのかは分かりません。返されることを考えて、「相続土地国庫帰属法」のことを調べました。

相続した土地を国に引き取ってもらう制度ですが、土地の所在地や地目により管理料が異なります。原則の管理料は20万円ですが、例外に該当する田畑などを引き取ってもらう場合、10年分程度の管理料を納めることになります。管理料の額は面積により変わり、計算すると結構な額となりました。

収穫したお米を受け取っていますが、土地改良区や固定資産税の支払いなどを含めると持ち出しになっているのが現状です。それでも荒らすことを考えたら、委託している農家さんにずっと耕作してもらえるのがありがたいことだと。たくさんの農産物を輸入に頼りながら、自国の田畑は荒れていくというのは、どういうことなのでしょうか。(消費生活アドバイザー)

土浦博物館の姿勢を問う 八田知家展を回顧《ひょうたんの眼》58

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土浦市立博物館。来年1月上旬まで改修中

【コラム・高橋恵一】土浦市立博物館(糸賀茂男館長)の特別展「八田知家と小田氏」(2022年3月19日~5月8日)から1年2カ月が過ぎました。同展の「ごあいさつ=巻頭言」では、小田氏初代、八田知家が名乗りを「筑後」に変え、「小田」を名乗るようになったのは4代・時知のときから(1250年ごろ)と解説していました。知家が守護職になってから約70年ですから、これでは小田氏の本拠=守護所が何処にあったかわかりません。

特別展の「筑後」説は誤り

私は、苗字を「筑後」に変えたとするのは誤りであり、この特別展を機に訂正すべきと事前に博物館に伝え、本コラム47でもその旨を指摘しました。しかし博物館は、「苗字」と「名乗り」の解説を飛鳥時代の氏姓制度や「八色の姓」まで持ち出して、その可否については説明がありませんでした。

特別展中に開かれたシンポジウムでも、この件について参加者から質問があったにもかかわらず、博物館側の司会者が「筑後の件は置いておきます」と、質問を無視しました。

鎌倉武士(御家人)の本懐は「御恩と奉公」であり、将軍のために軍役などを提供する見返りとして、領地支配の保障を得ることにあります。その所領(本領)を苗字の地とすることから、苗字(名字)は鎌倉武士のアイディンティであり、高位の官職に浮かれて改姓するようなことは考えられません。

博物館が主張する「筑後」説の根拠は吾妻鏡です。現代語訳(五味文彦、本郷和人、西田友広編)と読み下し文(永原慶二監修)が刊行されているので、読んでみました。両書とも人名表記について解説があり、八田氏だけでなく、結城氏、北条氏、大江氏、三浦氏ら、他の御家人の人名表記も調べてみました。

こういった作業により、中世史の権威である糸賀館長の「筑後」説は、吾妻鏡を読み間違えていることを確認しました。多分、館長も学芸員も、本当はこのことを理解しているのではないかと思います。

私も「クレーマー」になる?

通説を否定し、新説として「筑後」を登場させたのは、1975年に発行された「土浦市史」です。糸賀館長は周辺市町村史へのかかわりや自分の著作物で「筑後」説を主張し、「常府石岡の歴史」でも小田に拠点を置けなったので小田氏と名乗らなかったとの説を展開しています。吾妻鏡の誤解釈から、幻の名字を引き出し、名字の地が無いとは無茶苦茶です。

これからでも特別展の説明を訂正すべきでしょう。鎌倉時代初期からの常陸国守護の活動拠点を70年間戻してください。

最近のコラム「吾妻カガミ」で、郷土史家の本堂清氏の質問に対する博物館の対応が取り上げられています。本堂氏は、旧新治村、土浦市、つくば市の歴史、この地域の故事来歴や伝統行事などを研究してきた方です。博物館は本堂氏の質問を拒絶するようなことをせず、保有する資料とその見識を駆使して、丁寧に対応すべきです。

博物館の本堂氏への対応を見ていると、上記のように博物館の見解に物申す私も、博物館に苦情を言う人(クレーマー)に指定されてしまうのでしょうか。(地図と歴史が好きな土浦人)

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▽常陸小田氏の土浦市展示に事実誤認あり《ひょうたんの眼》47(22年4月20日
▽「常陸小田氏の土浦市展に事実誤認あり」に応える 市立博物館(22年4月27日
▽「鎌倉殿の13人」の1人・八田友家と小田氏《ひょうたんの眼》48(22年5月1日
▽幻の「筑後氏」から脱し、正しい「小田氏」に《ひょうたんの眼》49(22年5月27日
▽土浦市立博物館が郷土史論争を拒絶!《吾妻カガミ》158(23年5月29日
▽博物館の歴史論争拒否、土浦市法務が助言《吾妻カガミ》159(23年6月5日