火曜日, 10月 8, 2024
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幻の「筑後氏」から脱し、正しい「小田氏」に 《ひょうたんの眼》49

【コラム・高橋恵一】土浦市立博物館の特別展「八田知家と名門常陸小田氏」(3月19日~5月8日)では、小田氏の初代・八田知家(はった・ともいえ)が「八田氏」から「筑後(ちくご)氏」に名乗りを変え、「小田氏」を名乗るのは、4代目の時知(ときとも、1250年ごろ)からと説明されていました。

私は、八田氏の名乗り(今でいえば苗字)を「筑後」に変えたとする説明は誤りと思うから、訂正すべきだと、特別展前に博物館宛てに出した文書、それから本コラム47(4月20日掲載)で指摘しました。しかし、博物館の本サイトへの「お応え」寄稿(4月27日掲載)では誤りでないとの論拠が示されず、特別展のシンポジウム(5月1日)でも、参加者から質問があったのに、「筑後の件は置いておく」と、取り上げられませんでした。

博物館などが「八田知家」が「筑後」に名乗り(苗字)を変えたとする根拠は、歴史書「吾妻鏡(あずまかがみ)」の中の記述で、知家の子供たちが「筑後太郎」「筑後六郎」などと名乗ったとしていることです。

吾妻鏡の人名表記は、名(苗)字に太郎とか七郎などの生まれ順ないし家における順序が示され、さらに実名からなるのが基本とされ、八田右衛門尉(うえもんのじょう)知家、北条小四郎義時(ほうじょう・こしろうよしとき)、結城七郎朝光(ゆうき・しちろうともみつ)などとされています。さらに、本人が五位以上の(朝廷が任ずる)官職に就くと、官職名だけとなり、相模守(さがみのかみ=北条義時)、筑後守(八田知家)などと表記されています。

その子息たちは、親の官職名の後に、名字を省略して、自分の官職や通称と実名が表記されています。北条泰時(やすとき、義時の嫡男)は相模(さがみ)太郎、八田知重(ともしげ、知家の嫡男)は筑後左衛門尉(さえもんのじょう)知重結城朝廣(ゆうき・ともひろ、上野介朝光=こうずけのすけ・ともみつ=の嫡男)は上野七郎左衛門尉朝廣などと表記されています。

いずれも、吾妻鏡の編者が、多くの御家人の人名を記述するにあたって、家系や官位などを整理・判読できるように、ルールに従って記述したと考えられます。つまり、筑後左衛門尉知重、の「筑後」は「筑後守の子息の…」という意味であり、名字を表記しているわけではありません。「相模」太郎も「上野」七郎左衛門尉朝廣も同じ表記ルールです。

「筑後氏」の採用は各種の歴史にも影響

さらに、吾妻鏡の成立は、源氏3代の将軍記が1270年代前半、それ以降の将軍記は1300年ごろとされており、八田氏が名字を変えたとされる時期から70年後にならないと、「筑後知重」という表記は見ることができないのです。名乗りを変えたとする知家は、「筑後」を子息の名乗りの前に表記されることを、いつ認識できたのでしょうか?

今回の特別展やその際に出された図録では、発掘調査の結果、小田城あるいは居館が八田知家の時代に小田に存在したことを否定できない、と報告されました。知家が建立したとされる極楽寺も同様です。小田を名乗ったのは4代目時知からとされる根拠の宝治合戦(ほうじがっせん、1247年)での3代・泰知(やすとも)失脚説も、誤りの可能性が大きいとされました。

近年のつくば・土浦地方の市町村史や歴史展示では、「筑後氏」説の採用を受けて、小田城と八田・小田氏の登場を、従来の通説より70年ほど遅れた年として説明しています。これは鎌倉時代の約半分の年数になり、考古学や交通史、文化史、宗教史などにも影響を与えます。幻の「筑後氏」から脱し、出版物や展示などが訂正される必要があります。(地図と歴史が好きな土浦人)

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