月曜日, 4月 29, 2024
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イヌもOKの「プラスワンカフェガーデン」 《ご飯は世界を救う》56

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イラストは筆者

【コラム・川浪せつ子】前回の「珈琲俱楽部なかやま」(4月18日掲載)を読んで、連絡をくださった方が何人もおりました。NEWSつくばの記事がネットで拡散しているようです。「なんだか出て来たから、読んだよ~♪」と言われたことも。

「かつて、なかやまさんで働いていました」というメールもいただき、驚きました。23年も続いているお店のオーナーの方でした。早速、そのお店「プラスワンカフェガーデン」(つくば市桜)を訪ねたら、ステキなカフェ&ガーデン。

ご夫婦で「なかやま」で働いて、その後独立され、今の場所に。「なかやま」の雰囲気とは違うものの、センスの良さは抜群。名前に「ガーデン」が付いているのは、ワンちゃんと一緒にひと息つけるカフェというコンセプトだそうです。

建物、インテリアもオシャレです。お話をお聞きしたところ、お店の名前は「+1 Living(プラスワンリビング)」というインテリア雑誌から頂いたとか。残念ながら、雑誌は創刊から41年目、2019年に廃刊になったそうです。

お店が出来たころは、こんなオシャレなお店は今の地域にはない、と筑波大学の芸術系の方々が多く来たそうです(今も)。納得。

笑顔とおもてなし

でもお店って、インテリアやお料理が良くても、経営者、スタッフさんの感じが良くないとね。総合力がものを言いますもの。小さな配慮にキュンとするのですよね。

私は今まで食べ物のコラムを書いてきて、取材したことはありませんでした。でも今回ばかりは、「なかやま」さんとの関係をお聞きし、食事をして帰ろうとしたら、お店の方が玄関までお見送りをしてくださいました。お忙しい中、笑顔とおもてなし。

人と接するときのホンワカな心があるからこそ、23年も続いてきたのだと思いました。プラスワンカフェガーデンさん、これからも、ステキな空間とおいしいご飯、楽しみにしています。ご連絡をありがとうございました。(イラストレーター)

原発運転は「国の責務」か《邑から日本を見る》137

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写真は筆者

【コラム・先﨑千尋】北朝鮮による弾道ミサイルの発射失敗や、首相の「バカ息子」が昨年暮れに首相公邸で乱痴気(らんちき)騒ぎをしたというニュースに隠れて、国会では次々に、私たちの暮らしに直接関わる大事な法案が十分に審議されないままに成立している。

その一つであるマイナンバーカードについては、トラブル続きなのに、来年秋に現在の健康保険証を廃止してマイナ保険証に一本化するという。「お~こわ」だ。マイナンバーカードはイヤだと言う人は切り捨てられてしまう。国民背番号制が完成する。

もう一つは、原子力発電の活用は国の責務だとする「GX(グリーントランスフォーメーション)脱炭素電源法案」が、先月31日に参議院で可決成立したことだ。この法案は「原子力基本法」など5つが束ねられた「束ね法」。見出しの文言が基本法に盛り込まれ、原発の60年超運転を可能にする「原子炉等規制法」も含まれている。

今回の改正は、「原発の活用によって電力の安定供給や脱炭素社会に貢献する」ためだそうだが、「国の責務」遂行のために、原子力事業の維持に必要な人材育成・確保、産業基盤の維持・強化、事業環境の整備などが国の基本的施策とされている。

何のことはない。脱炭素は名目で、原子力産業保護政策ではないか。エネルギー政策の観点からは、原子力は多様な選択肢の一つにすぎない。再生エネルギーや省エネルギー対策には「国策」がないのが不思議だ。

東京電力福島第1原発の事故後に導入された運転期間の制限も緩められ、60年を超える稼働まで可能になった。新たな基準を老朽化した東海第2原発に当てはめると、同原発が休止している期間(14年)を加えると、なんと74年間稼働できることになる。

「難題に背向ける無責任」

機械はすべて、動いていなくとも年数がたてば老朽化・劣化する。10年間動かさなかった車など、誰も怖くて運転できないではないか。世界の原発の平均寿命は、IAEA(国際原子力機関)の発表によれば29年。世界で最も長く稼働した原発でも、53年だそうだ。アメリカ、インド、スイスなど地震も津波もない国と、地震大国の日本とは違う。

このところ電気料金の高騰が続くが、国や電力会社は、原発を再稼働すれば燃料代が安くなり、電気料金の抑制につながると主張している。

しかし、毎日新聞経済プレミア編集長の川口雅浩氏は今月2日の配信で、東電の公表資料をもとに分析し、そんなことはないと言っている。川口氏によれば、東電が他社から購入する火力などの電力の市場価格は20.97円/1kWhなのに、原発の発電コストは34.25円となる計算だ。柏崎刈羽原発を2基稼働するよりも、市場から火力発電など他社の電力を購入した方が安く済む。

私は、原発の運転延長や新設よりも、廃炉や核のゴミ処理対策、福島原発の事故処理の方を優先すべきだと考えているが、岸田首相や多くの国会議員、経済産業省の役人などはそう考えていないようだ。朝日新聞は2日の社説で「難題に背向ける無責任」と書いている。私もそう考えるが、私たちが目覚めない限り、国の姿勢は変わらないだろう。(元瓜連町長)

原色牧野日本植物図鑑と胴乱《くずかごの唄》128

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】原色牧野日本植物図鑑を開けて、描かれている植物画をゆっくりと鑑賞する。日本画ののびのびした優美さと、浮世絵のロマンがいかんなく発揮されていて、胸がどきどきして、いつまで見ていても飽きない。

タイトルは、雄しべのいろいろ、こんな葉もある、雄しべのつきかた、花冠(かかん)のつくり、葉のつきかた 花序(かじょ)のいろいろ―などと科学的に漏れのないように、すべての植物の特徴が繊細な線画として網羅されている。

私は、牧野富太郎先生の性格はもしかしたら葛飾北斎に似ているのではないかと思う。世間的なわずらわしさ、経済的な負担などは一切捨ててしまって、自分の好きなことだけ、自分の思う方向に、周りのことに関係なくひたすら突進する。彼がもしも浮世絵師になっていたなら、北斎をしのぐ存在になったかもしれない。

元々「動乱」用の容器

私は学生時代、牧野図鑑の絵にひかれて、うかうかと植物研究部に入ってしまった。ビニール袋のない時代。植物採集に行くとき、楕円形の大きなブリキの容器「胴乱(どうらん)」を使っていた。標本にするために採った植物を大事に入れて、花や葉を痛めないように持ち帰る容器だ。

私たちも、植物採集のときは必ず胴乱を持ってくるよう指導された。NHKの朝ドラ「らんまん」の槙野万太郎(モデルは牧野富太郎)さんもこの胴乱を肩に引っ掛けている。

銅乱という容器は、江戸時代は火薬を運ぶ容器だったらしい。「火薬入れ」がなぜ「植物入れ」に化けてしまったのか? さっぱりわからないが、長さ50センチ、厚さ15センチくらいのブリキの容器で、肩から下げる太い紐(ひも)がついている。

薬用植物は道端に生えているものは少なくて、せせらぎの中、崖の途中、足場の悪い石ころだらけの場所ばかりである。この重くて大きな容器を肩にかけて、石ころだらけの山道を登り降りする。体力ある男の学生には何でもない容器だったのかも知れないが、私たち女子学生にとっては「動乱の胴乱」だった。(随筆家、薬剤師)

つくば中学受験事情 分析事始め《竹林亭日乗》5

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田植えから1カ月(写真は筆者)

【コラム・片岡英明】5月の「つくば子どもと教育相談センター」総会で県立高校問題を5分ほど話した。すると参加者から中学受験の質問があり、それを契機に話し合いが盛り上がった。そこで今回は中学受験について考える。

中学受験の背景

つくば市は人口増の中、県立高校が削減され、そこにTX沿線開発で小中学生が激増。さらに2020年から県立付属中設置で高校入学枠の削減が追い打ちをかけた。つくば市の小中学生は自分の進路の選択肢が狭くなり、そのために中学受験に目が向いているのか。

中学受験に対する首都圏からの転入増の影響はどうか。東京の全日制高校は186校の都立より245校の私立の方が多く、その割合は4対6。私学の流れが強い。さらに187校ある私立中の133校(71%)が中高一貫。東京の中学受験の文化がつくば市にも流入しているのか。

しかし、生徒や保護者が知りたい中学受験に関して冷静な情報は少なく、素朴な疑問が解消されないまま、塾ベースの宣伝や口コミに流される傾向がある。そのため保護者にも不安がある。

そこで、「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」は6月の学習会で、つくばの県立高校不足の周辺の問題としてデータに基づいて中学受験についても考えることにした。

中学進学者の推計

まず、最初のデータでつくば市の中学進学数を捉える。つくば市ホームページのopen data(オープンデータ)で前年の小6と次年度の市立中1年の生徒数の差を調べる。これを県立中学、県内私立中、県外私立中などへの中学進学者数とする。もちろん小学卒業時の転出や中学1年の転入もあるので概数である。

<6年間の中学進学者の推移>

▽2018年:中1=1940人、前年小6=2193人。差は253人(11.5%)

▽2019年:差は285人(12.3%)

▽2020年:差は249人(10.4%)

▽2021年:土浦一高が付属中募集開始。差は304人(12.3%)

▽2022年:水海道一高・下妻一高も付属中募集開始。差は331人(12.8%)

▽2023年:中1=2155人、前年小6=2506人。差は351人(14.0%)

<上の数字から言えること>

▽つくば市では中学進学者が人数・割合ともに増加傾向

▽23年は18年より中学進学者が約100人増

▽22年の小6は17年より313人多く、中学進学増は小学生増に伴う面も

▽正確に把握するには転出などを含む資料や中学別の分析が必要

中学受験 学びの視点

中学受験は、つくばの生徒増・県立高不足・県立中設置・東京などの影響以外にも、生徒・保護者の希望、通学条件や費用負担、私立中や塾の指導など多くの要素が絡んでおり、単純な評価・批判はなじまない。

今は中学受験の論評よりも現状把握が先決である。子どもの気持ちを大事にしながら、まず情報を集め、丁寧に語り合うことから始めてほしい。

小中学生の学びの要点は何か? それはどこで学びのスイッチが入るかにある。生徒に学びのスイッチが入れば、高校や過去の成績に関係なく大きく伸びていく姿を見てきた。ゆえに中学受験を生徒にとっての学びの視点で考えてほしい。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

ワンピースのおんな《続・平熱日記》135

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】トイレの中に随分前の「暮らしの手帳」という雑誌が置いてある。その中に「ワンピースのおんな」というタイトルのページがある。ワンピースを着た、多分それなりのキャリアを積んだとおぼしき女性の写真が載っていて、文章はちゃんと読んだことがないのだけれどもちょっと気になっていた。

そのワンピースのおんなは突然現れた。それも大柄の模様の「マリメッコ」のワンピースを着て。妻は大学を出てすぐに有名な布団屋さんに就職した。そのときの担当が有名ブランドのライセンス商品のデザインだった。だからうちには試作品などのタオルや生地サンプルなんかがあって、おおよそ暮らしぶりとはそぐわない一流ブランドのタオルなんかを普段用に使っていたのだけれども、その中にマリメッコという聞き慣れない独特のプリント柄が特徴のブランドがあった。しかし、私にはなじみがないだけであって、フィンランドを代表する有名ブランドであることを知った。

ワンピースのおんなは関ひろ子さんという。職業はアーティストのエージェント? ややこしい業界の話は置いておくとして、1990年代、美術畑とは無縁だった彼女はある若手作家をプロデュースし始め、やがてその作家は世に知られるまでの存在となる。千曲でお世話になったart cocoonみらいの上沢かおりさんもほぼ同時期に同様の活動を始めた方で、お2人はそれまでの閉ざされた?アート界に風穴を開けた、大げさではなく、美術史に残る先駆者的な存在なのだ。

今回の千曲での私の個展を含めたギャラリーのオープンに際しては、ひろ子さんはかおりさん宅に泊まって、プレス関係から食事の支度まで実に楽しそうに手伝いをしていた。

着ることは自由と尊厳につながる

ひろ子さんが一足先に東京へ戻られる日の午前中、時間があるというので、ワンピースを着た彼女と長野歴史館を訪れることにした。歴史に興味がある人にとってはたまらない展示なのであろうが、一般人の私はごく平均的な速度で見終わって出口にたどり着いた。ところがワンピースの女はいつまでたっても出てこない。やっと現れた彼女はどうやら係の女性に解説をしてもらっていたようで、お礼のあいさつをしながら出口にやって来た。後でその様子を話すと、「あの人は好奇心のカタマリなのよ」とかおりさん。

ワンピースのおんな…。パリでピナ・バウシュのコンテンポラリーダンスの公演を見たのを思い出した。ダンサーはワンピースを着て踊っていた。なぜワンピースだったのか…。バウシュ自身もワンピースのおんなだったような…。それから…そうだ! 以前よく描いていた少女。それは震災の後、被災地でトランペットを吹く少女の画像を見て描き始めた力強い少女像。私は無意識のうちにその少女にワンピースを纏(まと)わせていた。

ワンピースのおんなという連載記事は、その後1冊の本になっているらしい。あとがきに「お気に入りのワンピースを着ることは自由と尊厳につながる…」と、ある。(画家)

➡斉藤さんの過去のコラムはこちら

オカルト、エリファス・レヴィ《遊民通信》66

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【コラム・田口哲郎】

前略

ずいぶん前からオカルトに興味があります。オカルトといえば、学研の月刊誌「ムー」です。UFOやツチノコ、心霊現象など、科学で解明できない現象について扱っています。オカルトはちょっとゾクゾクしますし、謎が解けそうで解けないところが魅力だと思います。

オカルトについて調べてみると、オカルトの元となった思想があることがわかりました。それはオカルティズムと呼ばれるもので、19世紀フランス最大の魔術師といわれるエリファス・レヴィ(1810-1875)が大成したとされています。オカルトはヨーロッパのキリスト教文化圏で生まれ、発展したものであるのは確実なようです。

少しその背景を説明すると、18世紀末のフランス革命でカトリック教会の一強支配が崩れて、聖職者ではない俗世の作家たちが、キリスト教会が担っていた精神的役割を肩代わりするようになりました。そのとき、いわゆる「宗教」には収まらない「宗教的なもの」が次々に生み出されてゆきました。その「宗教」の枠をはみ出した「宗教的なもの」の中の一つが、オカルティズムです。

オカルティズムの大成者レヴィはなにを隠そう、元カトリック修道士であり、詩人でもありました。そのレヴィがキリスト教会と絶交して、しかし人類を救いたいという一心で、つくりあげたのがオカルティズムなのです。

レヴィは今のオカルトで扱う未確認飛行物体・生物などについて研究したわけではありません。ユダヤ神秘思想にもとづいたカバラを極めました。これは現代のタロットに通じるものです。それもたとえば恋愛運や金運を占うという意図ではなく、宇宙を支配する聖なる知恵を知り、その知恵によって世界を知り、よりよく生きることを目指しました。その知恵を人びとに伝えることで、人びとが幸せになることが大切なのです。

人間の根本的な存在を問いつづける

夜空を眺めていると、宇宙が見えるような気になり、目をつぶると、自分が宇宙の中の小さな存在であることが実感できます。そもそも宇宙や人間の存在自体が不思議です。

その意味は、日常にかまけていると気にもなりませんが、ふと瞑想(めいそう)すると、この宇宙の意味を誰も教えてくれないことに気づきます。そもそも教わるものではないのですが、では探求したとしても、答えなどない。でも、宇宙はたしかに存在して、地球は自転・公転し、宇宙の中を時速11万キロで駆け抜けています。科学で事実はわかっても、宇宙の存在の意味はわかりません。

こうした人間が持たざるをえない根本的な疑問は、人を不安にもさせますが、深い静寂にも導きます。

レヴィはこうした人間の根本的な存在の意味を研究して、人びとに伝えたかったのです。こうしてオカルティズムは150年以上前に生まれ、そして現代にまで脈々と続いています。こんな人間の思いを大切にしたいですね。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

フィンランドのNATO加盟 安保の新動向《雑記録》48

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写真は筆者

【コラム・瀧田薰】2023年4月4日、フィンランドが北大西洋条約機構(NATO)の31番目の加盟国となった。この日はNATO発効(1974年)から74回目の記念日でもあった。

もともとスウェーデンの一部であったフィンランドは、1809年にロシアに割譲されてロシアの一部となったが、1917年(ロシア・十月革命)に「フィンランド共和国」として独立した。その後、大国ソ連と長い国境線で隣り合うことになった同国は、二度の対ソ戦、そして対独戦にも耐え、秀でた外交力とそれを支える高度な国際政治研究力を備え、近年は非同盟と軍事的中立によって独立を貫くことに成功してきた。

そのフィンランドが、なぜ、わざわざNATOに加盟したのか。ロシアによるウクライナ侵攻であると誰しもが考えそうだが、軍事専門家は、NATOと北欧諸国(スウェーデンを含む)との間で、「北極圏における戦略的環境の変化」「新たな領域における抑止と防衛の強化の必要性」で認識が一致した、そことが大きいと指摘する。

例えば、IINA(International Information Network Analysis)の長島純氏による「戦略的環境の変化から読み取るNATO拡大と5条適用の問題」(2023年5月16日)など。

すなわち、地球温暖化の影響によって北極海航行の自由度と資源の開発可能性が上昇し、北極海を取り巻く国家間の資源や安全をめぐる競争が激化していることが一つ。もう一つ(フィンランドを動かした真の理由)は、最近の情報通信技術(ICT)、特に宇宙空間における衛星通信の利活用の可能性が飛躍的に向上し、経済・軍事両面における安全保障に死活的影響を与えるようになったことだという。

ハイブリッド戦争 一国対応に限界

具体例をあげれば、衛星システムを使った民間衛星通信サービス「スターリンク」や、商用衛星画像、スマートフォンが撮影した画像データをビッグデータ化するシステムなどで、いわゆる「ハイブリッド戦争」に登場する種々の装置・技術である。フィンランドは、もともとICT先端技術を軍事面で積極的に利用しようとしてきたし、その技術力はNATOの歓迎するところであるが、技術開発競争を一国で担うことに実は限界を感じてもいたようだ。

ともあれ、フィンランドのニーニスト大統領は、NATOに加盟したことで「国防マインドセット」を変更しなければならなくなったと述べた(加盟式典演説、4月4日)。フィンランドは「自分の国は自分で守る」ことを国是としてきた。つまり、他国には頼らないが、他国を支援もしないし、他国の戦争に巻き込まれることもないという前提が存在した。

しかし、この考え方を捨て、あえてNATO加盟を決断したのである。確かに、自国有事の際の安全保障の強化にはなるだろう。その一方で、ソ連や中国とNATO加盟国との間であれ一朝ことあれば、即座に防衛出動する責任を負うことにもなった。フィンランド軍関係者の思いは複雑ではなかろうか。(茨城キリスト教大学名誉教授)

博物館の歴史論争拒否、土浦市法務が助言 《吾妻カガミ》159

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論争の契機になった土浦市立博物館の「東城寺と『山の荘』」展の図録(左)と、市役所が入るウララビル

【コラム・坂本栄】今回は158「土浦市立博物館が郷土史論争を拒絶!」(5月29日掲載)の続きになります。市立博物館と本堂清氏の郷土史論争。博物館の論争拒否に対し、本堂氏は「(博物館がそう出るなら同施設を管轄する)市教育長に検討申請書を提出する」と反発しており、エスカレートしそうな雲行きです。

また取材の過程で、本堂氏を門前払いするようアドバイスしたのが市の法務部署であったと聞き、土浦市の博物館マネジメントにも唖然(あぜん)としました。論争を挑む本堂氏をクレーマー(苦情を言う人)並みに扱うよう指導したわけですから。

郷土史をめぐる主な論争は3

私は中世史に疎いこともあり、市立博物館(糸賀茂男館長)の学芸員にこの論争の要点を整理してもらいました。

いつから山の荘と呼ばれたか

▼本堂氏:『新編常陸国史』(国学者中山信名=1787~1836=が著した常陸国の総合史誌)の記述からも明らかなように、「山の荘」(土浦市北部の筑波山系地域)の名称は古代からあったのに、博物館は同歴史書の記述を無視して同名称を古代史から抹消した。

▼博物館:『新編常陸国史』では「山の荘」が古代にさかのぼる名称とは述べられていない。「山の荘」の名称が史料に初出するのは『常陸国富有人注文』(室町時代の文書)であり、古い時代からの名称であることを裏付ける史料はない。

山の荘は方穂荘の一部なのか

▼本堂氏:博物館は「山の荘」の地が「方穂荘(かたほのしょう)」(つくば市の北部を流れる桜川の南側を中心とした地域)に含まれていたと解釈しており、「山の荘」の名称を歴史上から抹消した。

▼博物館:「方穂荘」が桜川の北側地域(旧新治村など)を包むと解釈するのは妥当であり、『承鎮法親王附属状』(鎌倉時代の文書)の記載でも、「山の荘」にある東城寺の周辺は「方穂荘」と呼ばれていた。

東城寺があった場所はどこか

▼本堂氏:博物館は「東盛寺」が桜川の南側を中心部とする方穂荘にあったと解釈しているが、方穂荘の中心部にあった「東盛寺」は山の荘の「東城寺」とは別の寺である。

▼博物館:近年発見された史料から、中世の文書に見られる「東盛寺」が「東城寺」を指すのは間違いない。「東城寺」は歴史上1カ所だったと考えている。

学術を市民につなぐ使命を放棄?

論争で注目されるのは、本堂氏が口伝(くでん=言い伝え)や『新編常陸国史』を使って自説を展開しているのに対し、博物館はより古い文書を多用していることです。また博物館は、故網野善彦氏(中世史の権威、元名古屋大教授)の史観や学説に多くを依拠しています。

こういった論争を踏まえ、博物館は1月30日付の回答書で「…『口伝』をもってしては、第三者がこれを再検証することは困難です。口碑伝説、口頭伝承は、歴史研究にとって大切な資料のひとつですが、資料としての取り扱いは難しく、それを根拠にすることについては、博物館は慎重に考えています」と述べています。

中世史学者の糸賀館長(プロ)と郷土史研究者の本堂氏(セミプロ)ではレベルが違うということでしょうか。口伝も含め多様な説を集め、それらを公開しながら議論し、市民に郷土史への関心を持ってもらう―これが市立博物館のミッション(使命)のはずです。それなのに学術研究の城郭のように運営するのはいかがなものでしょうか。

学術を市民につなぐのが仕事の博物館が市民の参加を拒むことは、その使命の放棄ではないでしょうか。郷土史に関する見方が2つあっても何も困らないし、むしろその方が楽しいのではないでしょうか。(経済ジャーナリスト)

阿見町の予科練平和記念館 《日本一の湖のほとりにある街の話》12

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イラストは筆者

【コラム・若田部哲】終戦直前の1945年6月10日。この日は、阿見・土浦にとって決して忘れてはならない一日となりました。当時、阿見は霞ヶ浦海軍航空隊を有する軍事上の一大重要拠点でした。そのため、B29による大規模爆撃を受けることとなったのです。当時の様子は、阿見町は予科練平和記念館の展示「窮迫(きゅうはく)」にて、関係者の方々の証言と、再現映像で見ることができます。今回はこの「阿見大空襲」について、同館学芸員の山下さんにお話を伺いました。

折悪くその日は日曜日であったため面会人も多く、賑わいを見せていたそうです。そして午前8時頃。グアム及びテニアン島から、推計約360トンに及ぶ250キロ爆弾を搭載した、空が暗くなるほどのB29の大編隊が飛来し、広大な基地は赤く燃え上がったと言います。付近の防空壕(ごう)に退避した予科練生も、爆発により壕ごと生き埋めとなりました。

負傷者・死亡者は、家の戸板を担架代わりに、土浦市の土浦海軍航空隊適性部(現在の土浦第三高等学校の場所)へと運ばれました。4人組で1人の負傷者を運んだそうですが、ともに修練に明け暮れた仲間を戸板で運ぶ少年たちの胸中はいかばかりだったかと思うと、言葉もありません。負傷者のあまりの多さに、近隣の家々の戸板はほとんど無くなってしまったほどだそうです。

展示での証言は酸鼻を極めます。当時予科練生だった男性は「友人が吹き飛ばされ、ヘルメットが脱げているように見えたが、それは飛び出てしまった脳だった。こぼれてしまった脳を戻してあげたら、何とかなるんじゃないか。そう思って唯々その脳を手で拾い上げ頭蓋に戻した」と語ります。また土浦海軍航空隊で看護婦をしていた女性は「尻が無くなった人。足がもげた人。頭だけの遺体。頭の無くなった遺体。そんな惨状が広がっていた」と話します。

累々たる屍と無数の慟哭

この空襲により、予科練生等281人と民間人を合わせて300名以上の方々が命を落とされました。遺体は適性部と、その隣の法泉寺で荼毘(だび)に付されましたが、その数の多さから弔い終わるまで数日間を要したそうです。

先の平成の世は、戦禍を免れ得た稀有(けう)な時代でした。しかし、現在私たちの多くが当然のように享受している日常は、こうした先達の累々たる屍(しかばね)と、無数の慟哭(どうこく)の上に成り立っていることを忘れてはならないでしょう。

「予科練の歴史を通じ、平和の尊さを学んでほしい。この地でも空襲があり、その延長線上に今の我々の生があることを感じてもらえたら」。山下さんはそう語ります。この凄惨(せいさん)な記憶と平和の尊さを語り継ぐべく、同館は空襲のあった6月10日に、毎年無料開放を実施しています。ぜひこの機会に、身近なところにも存在する戦争の記憶をご覧ください。(土浦市職員)

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

➡これまで紹介した場所はこちら

キャッチフレーズの怖さ《続・気軽にSOS》134

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【コラム・浅井和幸】キャッチフレーズとは、時に人が悲しみから抜け出すきっかけになり、時に勇気をもって立ち向かうようになる素晴らしいものです。

・夢は必ずかなう
・人間生きているだけでもうけもの
・明けない夜はない
・親が変われば子が変わる

これらは前を向くときに、説得力のある大きな力になります。少ない文字数で端的に表せる素晴らしいものですね。しかし、「端的に表せる」表現は危険をはらんでいます。時に、一方的に決めつけて責め立てる言葉となることもあるので、注意が必要です。

例えば、優勝を逃した選手に向かって「大丈夫、夢は必ずかなうよ」と言えるでしょうか? 大切な人が交通事故で重体となり、虫の息のときに「人間生きているだけで儲けもの」と声をかけられますか?

苦しみのさなか、泣き叫んでいる状況で、そのようなキラキラした言葉をかけることはマイナスになることはあっても、決してプラスにはなりません。端的に言い切る言葉は、時と場合、その人との関係性で、言って良いか悪いか決まってきます。

自分が良いと思う言葉だからといって、いつも良い言葉として受け取られないことは肝に銘じておくべきです。また、キャッチフレーズに縛られて、その言葉が示すことは逆の言動をしてしまうこともあります。

「8050問題」というキャッチフレーズ

人に共感をすることが大切だと伝えたいがために、共感が出来ない相手を責め立てる。「あなたは共感力が足りない。なんで人に共感できないのだ」と。相手がいかに共感できずに周りを傷つけているかを説教して、ケンカになったり、相手を悲しませたりする場面はまあまあ見られます。

このとき、共感が苦手な人の気持ちに共感を出来ずに、共感を押し付けている状況で、自分自身が相手に共感する気持ちから離れていることに気づきにくいものです。

ちなみに、ひきこもり問題で「8050問題」というキャッチフレーズがあります。親が80歳で、ひきこもった子どもが50歳。親の年金だけの収入で苦しい生活を送っているという問題を世間に広く伝え、しかも若者だけの問題ではないのだと認識してもらうためには、とてもよいものだと考えます。

しかし、80歳と50歳。人口が多い団塊の世代と団塊ジュニアがその世代になってくると考えると…。止めておきましょう。ひきこもり問題が若者だけの問題ではなく、中高年、高齢者も含む問題には変わりないのですから。

キャッチフレーズにとらわれずに、うまく使う方法を試行錯誤していけると、より人とのコミュニケーションや自分が成し遂げたいことに利用できるかもしれませんね。(精神保健福祉士)

米国のペットショップ禁止法《晴狗雨dog》8

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写真は筆者

【コラム・鶴田真子美】2017年に米カリフォルニア州で法改正があり、2019年から、ペットショップでイヌ、ネコ、ウサギを販売できなくなりました。ただし、保護シェルターの里親募集中のイヌ、ネコはショップに置くことができます。ショップには、首輪やリード、水槽や金魚、キャリーバックやケージなどが並びます。

ニューヨーク州でもこのペットショップ法案が通り,2024年から施行される予定です。それ以降は、保護シェルターが提供する保護イヌ、ネコ、ウサギのみが販売されることになります。

ニューヨーク州は、ペット販売業の規模が大きく繁殖も盛んであるため、店舗やブリーダー(育種家)からの抵抗はすさまじく、訴訟も起こりました。店頭で商品としてのイヌ、ネコ、ウサギを売買できなくなったブリーダーは失業の不安を訴え、ニューヨークで実施しても他州で買えるなら意味がないと反発。「ニューヨークのブリーダーとペットショップが困るだけだ」と矛盾を訴えました。

しかし、生体販売への抵抗感が市民の側にはありました。メリーランド州では2020年、ペットショップが禁止になり、イリノイ州では2021年、ペットショップがブリーダーから入手したイヌ、ネコを販売することを禁じました。

米国でのペットショップ禁止はブリーダーでなく、まずバイヤー(買い手)のところからスタートしました。買うのを止めさせるのは需要の抑制につながります。売り手からでなく買う方から止める、売らせないより買わせない―。このように米国の「PET STORE BAN(ペットショップ禁止」はスタートしたのです。

実は、ホームブリーダー(自宅で母子を大事に生育するブリーダー)はこの法改正に賛成しています。彼らはエシカル(倫理的)ブリーダーとも言われ、半年や1年前から希望者と契約を結び、家庭環境下で子イヌを育てます。子イヌは母親や兄妹たちと過ごし、心身の健康と社会性を獲得します。

このように、優良ブリーダーは子イヌや子ネコたちが大切に飼育されることを望んでいるのです。

一方で、パピーミル(子イヌ工場)と呼ばれる劣悪な繁殖場もあります。これを完全に禁止にするには、子イヌ工場で育った子イヌは売れないようにすること、消費者に買わせないことなのです。

法改正を経て、ペットショップで買えなくなった市民らはパピーミルからは買わずに、直接ホームブリーダーの元に足を運ぶようになります。飼い主となる人は、家庭に迎えるイヌ、ネコがどのような環境で育ったかを知る権利があります。購入者、つまり消費者には、トレーサビリティー(過程追跡)などの情報提供は当然入手する権利があります。

このように欧米では、利益のために、命ある伴侶動物を大量に繁殖させ、店に並べる行為を禁止しようとする動きが始まっています。その理由は、シェルターに保護イヌ、保護ネコがあふれているからです。産ませなくても、虐待や殺処分から救われたイヌ・ネコが各地のシェルターにはあふれているのですから。(犬猫保護活動家)

「通訳」と「翻訳」 《ことばのおはなし》58

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写真は筆者

【コラム・山口絹記】前回の記事(5月7日付)で、絶版本の翻訳をする、ということについて書いた。今回はそもそも「翻訳」とはどういうものなのか、ということについて、少し距離をおいて書いてみようと思う。私は以前、某企業において通訳業務を担当していた。「通訳」と「翻訳」、いずれも二つ以上の言語の仲介をするということに関しては変わりないのだが、実は結構性質の違う行為なのだ。

「翻訳」というものについてより理解するために、まず「通訳」という行為について少し想像してみよう。その場にいる複数人が、共通の話題に関して意思疎通をはかりたいと考えている。違っているのは使用している言語のみだ。英語を話す者、日本語を話す者、それぞれが発言する内容を、私がリアルタイムで訳して相手に伝えていく。

通訳である私は、明確にその場に存在していて、その場の人間は常に相手の表情や空気を感じつつ、私のことばに耳を傾けている。通訳と言っても、私の場合は部外者ではなかったので、議題についても両言語で参加するわけだ。会話を続けていく中で、カンどころを押さえておけば基本的に問題がない。

通訳という業務にもいろいろあると思うのだが、比較的こういった業務(一関係者として通訳する)は比較的難易度が低く、仲介する両者ともに属さない通訳業務のほうが、より難易度が高いだろう。なぜなら、その場に通訳者として存在はしているのだが、内容に関する専門知識は事前に別途学んでおかなければならないし、存在自体を強く意識させてしまうようでは円滑な議論ができないからだ。

翻訳者の存在を意識させない

さて、翻訳者の存在は読者に意識させるべきだろうか。私は基本的に意識させてはいけないと思う。特に文学であれば読者は物語を読みたいわけで、それが翻訳されたものかどうかなど関係がない。知ったことではないのだ。

翻訳されているからこそ読めるのだが、大多数の読者は、もともとどういった表現でその文章が書かれているかには関心がない。関心が強ければ自分で原書を読もう、言語を学ぼうとなるだろう。

そして、翻訳するものが文学作品であれば、当然「文体」が大切だ。文学作品を書くとなると、一般的に平均よりも高い文章作成能力が要求される。読書好きな方であれば、この著者の文体が好き、なんてことは当然にあって、これはおそらく一般的な通訳者には強く要求されないタイプの問題だ。

通訳者にも高いレベルの言語能力は要求されるが、あくまで優先されるべきは正確な情報であって、それをおろそかにしてまでその場の人間の感情を揺さぶることを優先するべきではない。

一方で、文学の翻訳においては、物語の世界に読者を誘導させるために、時に正確な情報伝達をあきらめなくてはならないときがある。このバランス感覚がおそらく文学の翻訳におけるキモなのだが、この話は次回にまわそう。まさかのシリーズ化である。(言語研究者)

トレンド Well-being《令和楽学ラボ》23

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アンネのバラが満開の茨城キリスト教大学キアラ館

【コラム・川上美智子】私が勤務する「みらいのもり保育園」の母体は、関彰商事です。現在、「Well-being(ウエルビーイング)カンパニー」を目指し、社内でも地域でも取組みを進めています。例えば、高齢者のWell-being向上のため、筑波大学と連携して運動指導(機能訓練)とe-スポーツを併用する実証実験を行っています。社内においては、社員のWell-being調査やWell-beingプログラムが始まりました。

また、先日、日立製作所の東原敏昭会長の講演を拝聴する機会がありました。グローバル社会で活躍する企業として、SDGs(持続可能な開発目標)などの社会課題を解決し、人々の幸せや「Quality of life(クオリティー・オブ・ライフ、生活の質)」の向上を目指し、人間中心とWell-beingの2つを掲げ、イノベーションを通じて世界中の人々が望む良いこと、「good(グッド)」の実現に挑戦しているということでした。

いずれの企業も、事業と社会貢献の目標にWell-beingを掲げていて、私にとっては実に懐かしい言葉との出会いでした。今から四半世紀前(1998年)、茨城キリスト教大学が、まだ文学部のみの単科大学であったときの話になります。

高学歴化が進み、女子の進学先が短期大学から4年制大学へとシフトする時代を迎え、学内では短期大学を4年制大学に改組するプロジェクトを立ち上げました。新学部の母体となったのが大学のキリスト教学科と短期大学の生活文化学科で、新学部設置のため奔走する3年間となりました。

その結果、創設者ローガン・ファックスの意思を継ぎ、福祉、心理、食物の専門分野が軸となる「人間福祉学科」と「食物健康科学科」の2学科構成の「生活科学部」を文部科学省(当時、文部省)に設置申請することになりました。

生涯使える資格の付与に重点を置き、人間福祉学科では社会福祉士受験資格、精神保健福祉士、社会福祉主事任用資格、認定心理士、中高教諭免許(社会・公民)、社会教育主事、学芸員、食物健康科学科では管理栄養士受験資格、栄養士、中高教諭免許(家庭、後に栄養教諭も)、食品衛生監視員、食品衛生管理者資格、社会福祉士受験資格の多岐にわたる資格が取得できる学科が2000年に誕生しました。

人間の生と環境を取り戻す

その時の申請書のキーワードがWell-beingでした。設置の趣旨は以下のようになりました。長文ですが、引用しておきます。

「20世紀の科学技術の発展は、豊富な生活物資や快適、かつ便利な生活環境をもたらし、人間の生活様式を大きく変えました。他方において人間は繁栄の故に生じた環境破壊の危機、自ら生み出した化学物質による生命や健康の危機、精神や心の疲弊といった、健やかな生を脅かす今日的課題も抱え込みました。これらの問題群を冷静に見据え、その原因と結果を分析し、本来の豊かであるべき人間の生と環境を取り戻すこと、それが現在、人間にとって最優先の課題となっています。即ち、人間の「ウエルビーイング(良き生)」の回復が21世紀の人類の課題であり、そのための人材養成こそが急務なのです」

Society(ソサエティー)5.0が実現する2050年には、人間の仕事がAIやロボットに全て置き換えられると言われています。そのような危惧から、今、Well-beingが見直されているのかもしれません。せめて、Well-beingに関わる部分は人間主体であり続けてほしいと思います。(みらいのもり保育園長、茨城キリスト教大学名誉教授)

異星人と犬 《短いおはなし》15

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】
若い女が、ベンチで水を飲んでいる。
傍らには、やや大きめの犬がいる。
「犬の散歩」という行為の途中で、のどを潤しているのだ。
なかなかの美人だ。身なりもいい。服もシューズも高級品だ。
彼女に決めるか。いやしかし、犬が気になる。
動物は敏感だ。余計なことを感じ取ってしまうかもしれない。

私は、遠い星から来た。今はまだ体を持たない。水のような流体だ。
ターゲットを探している。性別はどちらでもいいが、女の方に興味がある。
すっと入り込み脳を支配して、地球人に成りすますのだ。
そして我々の星にとって有益なデータを持ち帰ることが目的だ。
誰でもいいわけではない。容姿は重要。生活水準も高い方がいい。
あの女は、大企業に勤めている。申し分ない。
犬さえいなければ。

私には時間がない。地球時間で5時間以内に入り込まないと、気体になって宇宙に戻ってしまうのだ。
意を決して、女に近づいた。耳の穴から入り込む。一瞬で終わる。
一気に飛び込もうとジャンプした私の前に、犬が突然現れて大きくほえた。

しまった。犬の中に入ってしまった。

「ジョン、急にほえてどうしたの?」
女が、私の頭をなでている。どうしたものか。
地球人については学習してきたが、犬についてはまったくの無知だ。
逃げようと思ったが、首からひも状のものでつながれている。
とりあえず、犬になりきって様子を見よう。そしてチャンスを狙って女の方に移るのだ。
立ち上がって歩き出した私を見て、女が目を丸くした。
「ジョン、2足歩行が出来るの? すごいわ。ちょっと待って、動画撮るから」
しまった。犬は4本足だった。

それから私は「人間みたいな犬」として、ユーチューバー犬になった。
ソファーでテレビを見たり、フォークを使って食事をするところをネットでさらされた。
想定外だが、女と同じベッドで寝られることだけは、まあよかった。
女は優しくて、いつも私をなでてくれた。
「いい子ね」と褒めてくれた。
女が眠っている間に、犬の体から女の体に移動することは易しい。
しかし女の無防備な寝顔を見ると、なぜか躊躇(ちゅうちょ)してしまうのだ。

ある日、散歩中に女子高生と目が合った。
彼女は「かわいい」と言いながら近づいて、私の耳元でささやいた。
「地球時間0:25に集合よ。帰還命令がきたわ」
仲間だった。

女が眠るのを待って、犬の体からそっと抜け出した。
最後に女の顔を見る。美しい。天使のようだ。
ありがとう。有益なデータは手に入らなかったが、地球の女の美しさを十分に伝えよう。

そのとき、急に犬がほえた。
女がぱちりと目を開けて、私を見た。しまった。正体を見られたか。

「ジョン、こんなところでオシッコしないでよ。バカ犬!」

あっ、私、液体だった…。(作家)

土浦市立博物館が郷土史論争を拒絶!《吾妻カガミ》158

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本堂清さん(左)と改修前の土浦市立博物館(現在工事中)

【コラム・坂本栄】土浦市立博物館と市内の郷土史研究者の間で論争が起きています。争点は筑波山系にある市北部(旧新治村の一角)が中世どう呼ばれていたかなどですが、博物館は自説を曲げない相手の主張に閉口し、この研究者に論争拒絶を通告しました。アカデミックディスピュート(学術論争)を挑む市民をクレーマー(苦情を言う人)と混同するかのような対応ではないでしょうか。

「山の荘」の呼称はいつから?

博物館(糸賀茂男館長)と論争しているのは、藤沢(旧新治村)に住む本堂清さん(元土浦市職員)。社会教育センターの所長などを務め、退職後は市文化財審議委員、茨城県郷土文化振興財団理事も歴任した歴史通です。「山の荘物語」(私家版)、「土浦町内ものがたり」(常陽新聞社)、「にいはり物語」(にいはりの昔を知り今に活かす会)などの著作もあります。

争点はいくつかありますが、主なものは現在東城寺や日枝神社がある地域の呼び方についてです。本堂さんは、同地域は古くから「山の荘」と呼ばれていたと主張。博物館は、同地域は「方穂荘(かたほのしょう=現つくば市玉取・大曽根辺りが中心部)」に含まれ、中世室町時代以前の古文書に「山の荘」の記載はないと主張。この論争が2020年12月から続いています。

博物館によると、この間、本堂さんは博物館を11回も訪れ、館長や学芸員に自分の主張を展開したそうです。そして、文書による回答を要求されたため、博物館は「これ以上の説明は同じことの繰り返しになる」と判断。これまでの見解をA4判3枚の回答書(2023年1月30日付)にまとめ、最後のパラグラフで論争の打ち切りを伝えました。

その末尾には「以上の内容をもちまして、博物館としての最終的な回答とさせていただきます。本件に関して、これ以上のご質問はご容赦ください。本件につきまして、今後は口頭・文書などのいかなる形式においても、博物館は一切回答致しませんので予めご承知おきください」と書かれています。博物館は市民との論争に疲れ果てたようです。

博物館=権威vs.市井の研究者

本堂さんはこの対応に怒り、「博物館は間違ったことを言っており、茨城県史を歪めている。市町村史も執筆している館長の糸賀さんは中世史の先生(常磐大名誉教授)だが、歴史学者の故網野善彦氏(元名古屋大教授)の間違った説をそのまま展開している。しかも、それを単に肯定するだけでなく、誤りを補強している」と言っています。

さらに、「糸賀さんが館長に就任した後、『山の荘が方穂荘に含まれていたという説はおかしい』と面談で指摘したら、『その話は止めましょう』と言われた。それなら文字でと書面による回答を求めた。相手がどう出ようと論争は続ける」と諦めていません。

中世史家を館長に擁する市立博物館vs.その権威に挑む市井の研究者。似たような構図は隣の市にもありました。つくば市の施策をミニ新聞で批判した元市議vs.それを名誉毀損だと裁判所に訴えた市長―です。土浦のケース(権威vs.市民)はつくばのケース(権力vs.市民)ほど深刻ではありませんが…。(経済ジャーナリスト)

<参考> つくばのケースは、126「…市長の市民提訴 その顛末を検証する」(2022年2月7日掲載)に出ています。

<予告> 本堂清さんと土浦市立博物館の論争のポイントについては、次回のコラム159で取り上げる予定です。

「リニア中央新幹線」論の不思議 《文京町便り》16

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】リニア中央新幹線の工事をめぐる静岡県とJR東海の協議が、膠着(こうちゃく)しています。そもそもリニア中央新幹線とは、品川駅から名古屋駅までの286キロを所要時間40分で結ぶ21世紀の「夢の超特急」です。2027年開通に向けて、国は2014年10月、品川~名古屋間の工事の実施計画をJR東海に認可しています

ここに至るまでには、1962年、東京―大阪間(約500キロ)を1時間で結ぶ目標に対して、レールとの摩擦がない超電導による浮上方式の提案がありました(つまり、リニア新幹線の技術的提案です)。

1974年、運輸大臣は国鉄に、甲府・名古屋付近の山岳トンネル部の地形・地質調査を指示し、1990年11月には、山梨リニア実験線の建設に着手しています(要するに、新幹線ルートの工事に関わる課題の抽出・解決策の実効性チェックです)。

併せて、1979年の9都府県による「中央新幹線建設促進期成同盟会」、1988年の「リニア中央エクスプレス建設促進期成同盟会」、2009年の「リニア新幹線建設促進期成同盟会」(地元経済界や当該自治体からの要請=我田引鉄)などを踏まえた、JR東海への工事認可です。

つまり、長期の調査を経て着工したにもかかわらず、肝心の工事が一部区間(現在は田代ダム<静岡市>の取水抑制問題)でストップしています。

現時点での静岡県の主張は、「南アルプストンネル工事に伴う湧水を、JR東海は全量、大井川に戻すべし」のようです。この発言は、川勝平太知事(初当選は2009年7月で現在は4期目)が、3期当選後の2017年10月の記者会見冒頭で、ありました。それからは、複数の関係自治体、東京電力も巻き込んで、議論は二転三転しています。

元東大全共闘・山本義隆氏の指摘

この加熱した議論とは異なった視点からの書籍を、私に教えてくれた友人がいました。それは、山本義隆『リニア中央新幹線をめぐって~原発事故とコロナ・パンデミックから見直す~』(みすず書房、2021年4月)です。東大全共闘代表・山本義隆は、われわれ全共闘世代にとっては(ノンポリにしても)インパクトがあり、彼のその後の生々流転も気になっていました。

早速手にすると、目から鱗(うろこ)でした。リニア線は、そもそも、二重に電力を過剰消費する、というのです。まず浮体式、加えて推進力、そのいずれにも膨大な電力が必要なのです。この電源としては浜岡原発2基分が相当する、とのこと。ところが浜岡原発自体は、1号機・2号機は廃止措置中(2009年度以降)で、残りの3号機(2010年11月以降)・4号機(2012年1月以降)・5号機(2012年3月以降)はいずれも点検停止中です。

この浜岡原発相当のベースロード電源を2個分も必要とするリニア中央新幹線とは、人口減少社会の21世紀日本で、一体どのような交通システムなのか。大いに首をひねります。

ところが冒頭の、リニア中央新幹線の工事に関するここ数年来の議論には、こうした論点が全く登場しません。これは意図的なのかどうか不思議です。きわめて近視眼的・局所的に問題設定している気配すらあります。これでは、リニア中央新幹線は国家百年の計などとは、言明できないでしょう。(専修大学名誉教授)

上高津貝塚 数千年の「歴史」が目の前に《宍塚の里山》101

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上高津貝塚 発掘調査区壁面展示(左)と復元された竪穴住居

【コラム・阿部きよ子】里山は人間の暮らしと関わって育まれてきた環境です。過去から学び、この里山を未来に受け継ごうと、私たちは「宍塚の自然と歴史の会」の名で活動してきました。

土浦市宍塚と上高津にまたがる「上高津貝塚ふるさと歴史の広場」は数千年の歴史を体感できる貴重な場所です。特に、史跡公園南東部のドーム型建物の中は見逃せません。ここには、A地点貝塚の1991年調査区(1メートル×3.75メートル)の壁面が展示されているのです。

ヤマトシジミを主とする貝殻の層が、土器片、骨などをはさみながら斜面にそって堆積し、貝層下部に土器片がまとまる部分があり、その下に土の層が続いています。下の層から縄文時代中期の4500年前頃、貝層最上部で3000年前頃の土器片が出土しました。貝層下部にまとまる土器片は4000年前頃のものです。

長い縄文時代の中の1500年間、貝の廃棄開始からでも数100年以上の、この地での暮らしの痕跡が目の前にあるのです。

私はこの調査に、協力員として参加することができました。調査員が狭い発掘区に入り、上から少しずつ水平に掘り進め、5センチの深さごとに、土、貝、遺物全てを回収しました。長方形の穴の深さが1.5メートルぐらいに達したとき、目を見張る事態が起こりました。底に、切断された鹿の頭骨、鹿角、優美な模様の土器片などが敷き詰めたかのように出現したのです。

調査団長の慶応大学鈴木公雄教授が「この下には貝はないだろう」とおっしゃいました。その言葉通り、その下では、多少の土器片は出土しても貝は出ませんでした。

再生を祈る「送り場」

この地の縄文人は場所を定めて、大切だったものを置き、その上に長期間にわたり少しずつ貝などを堆積させていったと考えられます。アイヌ民族は、地域により方法は多様ですが、廃棄するものすべてに感謝と再生祈願の「送る」儀礼を行ったそうです。この地の縄文人も、定めた場所に使用済みの「お宝」を並べて、何らかの儀礼を行ったのではないでしょうか。

この貝塚は自然の恵みに感謝を捧げながら、廃棄するものたちの再生を祈る「送り場」だったと私は考えています。この調査で出土した物は、土器片はもちろん微細な魚骨から石ころまで、詳しく調ベられてきました。ぜひ、併設の考古資料館の展示もご覧ください。この地に生きた縄文人からの伝言や謎かけに、耳を傾け、今後の里山について考えましょう。(宍塚の自然と歴史の会 会員)

遠方の震度3情報は必要か? 《ひょうたんの眼》57

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いろはもみじの花

【コラム・高橋恵一】地震国日本とはいえ、相変わらず各地で地震が起こり、最近でも能登半島、房総半島、新島・神津島などでの地震が世間を不安がらせている。緊急地震速報が派手な警告音とともに流れると、我々の日常生活は中断されてしまう。警告報道には、工夫が必要ではないだろうか。

地震学の専門家は、なるべく分かりやすく説明しようとするのだが、規模が大きすぎて、よく分からない。茨城県南西部は、千葉県北西部とともに「地震の巣」などと言われており、震源地となる頻度の多い地域だが、この地域は、北米プレートとフィリピン海プレート、太平洋プレートが混在していて、ユーラシアプレートも影響しているという、地球全体の中でもまれな地域なのだそうだ。

大ざっぱに言えば、我々は、土と岩でできた厚さが100キロ程度ののし餅状の板(プレート)の表面で生活しているわけで、関東地方から東北日本は、北米プレートの上にある。その南から、フィリピン海プレートが年間数センチの速さで押し寄せ、伊豆半島や丹沢山地の辺りから北米プレートの下に潜り込んで、茨城県南西部では、60~80キロの深部に達している。

さらに太平洋プレートが、ハワイよりも東から押し寄せ、日本海溝から北米プレートとフィリピン海プレート、日本列島東北部の下に年間5~10センチの速さで潜り込んでいるという構成らしい。茨城県の地下では、80~100キロの深さに達しているのだろう。

地下深くに複雑な重なりを持つプレート上に住む我々は、体感的な経験値として、地震と自覚するのが震度3、少々強いと感じて、棚から物が落ちたりしていないかを確認したりするのが震度4、何かにつかまらなくては立っていられないのが震度5弱だが、震度5弱ではテーブル上のコップは倒れない。茨城南西部での感覚は、2週間に1回くらいの頻度で震度3の地震があり、たまに震度4に見舞われる程度だろう。

茨城南西部の東日本大震災のときは、震度6弱であった。大正時代の関東大震災や平安時代の貞観地震は、震度5強くらいだったから、数千年単位の地震だったといえる。

さて、地震の報道だが、震度1~2の場合は、報道の必要がないのではないか。すくなくとも、市町村ごとの報道は不要だ。関東地方に住む人間にとって、遠方の震度3の情報もいらない。予知や研究のための、観測やデータ処理は専門機関の役割だろう。

北朝鮮ミサイルのJアラートは不要

緊急事態を知らせる警告音がもう一つある。Jアラートである。北朝鮮からのICBM発射に対する避難指示だ。どの程度危険なのか、何が落ちてくるのか分からない。Jアラートが発せられたら、建物の中か、地下、物陰に隠れるように勧められる。しかし、弾頭が装着されていない、米国本土を狙う実験ミサイルがどのように危険をもたらすのだろう。

防衛力強化のためのプロパガンダとしたら、平和な日常を邪魔しないでほしい。国民は、環境破壊や感染症、生活不安などで、ストレスの多い生活を送っているのだから、非科学的な脅しは、止めてほしい。(地図好きの土浦人)

ヒューマンスケールに合った街 《遊民通信》65

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【コラム・田口哲郎】

前略

仙台に住んでいたことがあります。郊外の新興住宅地でのんびり生活していました。当時高校生でしたので、仙台という街がどんな街だとかそんなことはあまり深く考えていませんでした。ただ、住んでいるところから都心にある学校まで市営バスで30分ほどかかり、不便だなあと思っていたことは覚えています。大学入学と同時に上京して、今は茨城県民というわけです。

さて、コロナ前の2019年に仙台に遊びに行ったことがあります。牛タンを食べたり、青葉山に登ったりと楽しかったのです。仙台という街を離れてから見てみると、印象が違いました。住んでいた当時は、刺激のあまりない小さな地方都市くらいにしか思ってなかったのです。

しかし、首都圏という特殊な大都市に少々疲れた目で見ると、仙台は都市と自然が近いので、住人にとって良い街なのだとわかったのです。都心から少し歩けば広瀬川があり、利根川のように川幅が広くなく、曲がりくねって市内を流れて豊かな景色を見せています。けやき並木がコンクリートをやさしく緑に包んでいました。

かつて住んでいた住宅地から都心まで車で移動したのですが、わずか15分でした。そういえば、よく家から藤崎デパートまで車で行っていたことを思い出しました。地図を見てみると、仙台の都市圏は仙台駅を中心に半径15キロに収まります。

つくば駅から牛久駅までがだいたい15キロですので、つくば、牛久、土浦を結んだくらいのところに、仙台は中枢と郊外がだいたい収まることになります。

巨大な首都圏を住みよい街にするには

仙台は郊外から都心の百貨店まで車で20~30分です。茨城県南の場合、いわゆる総合百貨店はないので、百貨店に行くとなると、柏高島屋まで40キロ弱となるでしょうか。こうみると、関東首都圏の巨大さを思い知ることができると思います。巨大都市は人口も多く、土地の広さが必要になりますから、都市機能が分散することになります。そうすると、住人はその分移動をしなければならなくなり、生活に占める移動時間は増えるでしょう。

ヒューマンスケールという人間生活に適した都市の大きさを考えた場合、良し悪しは人それぞれの感じ方によりますが、首都圏と仙台では移動時間のロスには差が出そうです。もちろん、道路の整備状況、鉄道網の有無があり、一概には言えませんが、首都圏と仙台では移動時間に対する感覚は違い、仙台のほうが短いと思います。

コロナ禍で移動のムダを省くリモート通信技術が普及しました。まったく移動しないのも人間としては良くないのですが、何をするにも、それなりの移動時間が必要な首都圏の都市構造は、引き続きリモート通信技術によって見直されるべきだと思います。つくば・土浦を都心とする都市圏ができて、より暮らしやすくなるといいですね。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

「平熱日記 in 千曲」後記その2 《続・平熱日記》134

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】個展最終日の朝5時。心躍らせながら長野から白馬方面に向かう。30分も走ると朝日に映える巨大な雪山が目の前に現れた。秋にはまた信州の山をテーマにしたグループ展に参加することになっていることもあって、とにかく今回こそ信州に来たからには、北アルプスを間近で見たかった。

そして、ついに白馬に到着。しばし雪山を仰ぎ見る。それから、木崎湖を過ぎた辺りのコンビニで撮った山の画像を早速SNSにアップした。確か、この辺りの山の麓には東京芸大の山小屋「黒沢ヒュッテ」があって、私も何度か訪れた思い出があるのだが。

すると、すぐに「爺ヶ岳と鹿島槍ですね」とのコメントが。芸大で学生のときから長くお世話になった佐藤一郎先生だ。画像を見ただけで山の名前を即答とは、さすが山岳部OB。その直後には、これまた大学の先輩で確か山の専門誌にも寄稿をされていた画家の河村正之さんから「何度見てもいい山だ」とのコメント。私にはどれも同じに見える雪山も、見る人が見ると違いがわかるらしい。

大満足で千曲に戻り、その後、古い小学校の校舎があるというので見に行った。というのも、数年前から建物を紙粘土で作ったものを絵に描いていて、それをかおりさんが面白がってくれたので、この際シリーズ化してみるのもいいかもなんて話していたところに、地元の方が紹介してくれたのが千曲市の屋代小学校の旧校舎だったのだ。

それは洋式のしゃれた木造2階建て。屋根瓦こそ和瓦だが、薄い水色に塗られた鎧(よろい)張りの壁とわずかに上部がアーチ状の縦長の洋窓。それから、校長先生のスピーチ姿が想像できる2階に張り出したバルコニーが実にキュート。どちらかというと、アーリーアメリカンな印象の校舎は昭和50年前半まで使われていたとか。

あの貞本義行からのメール

こうして「平熱日記 in 千曲」は充実した楽日を迎えた。作品を片付け終わると、結構な時間になったところにある友人からメールが届いた。内容は中学の同窓会の連絡だったので、そのままにして床に就いた。次の朝、届いたメールの続きを開いて、私は体がかっと熱くなるのを感じた。

実は、昨夜のメールは小学校から受験で上京する新幹線までを共にしたエヴァンゲリオンの原作者で知られる、超有名アニメーターの貞本義行からだった。

同窓会に誘ってくれたことももちろんうれしいが、私の今回の作品をSNSで見て、とても魅力的だとの感想とともに、ぜひ購入したいと記してあった。ウダツの上がらない私と違って、彼は昔からずば抜けて絵がうまく、その才能を見事に開花させて、今や世界的なアニメーターとなった。その彼が何十年もの時を経て、私の絵を認めてくれたのだ。うれしくないはずがない。

最後の最後にこんなオマケまでついて、毎朝小さな絵を描き始めて10余年、見ず知らずの土地での今回の個展は、ある意味でレトロスペクティブ(回顧的)な思い出深いものとなった。千曲を去る日、かおりさんが庭のスズランを切って手渡してくれた。フランスでは5月1日に感謝を込めてスズランを贈る風習があるのを思い出した。(画家)