火曜日, 5月 7, 2024
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「君が代」と「さざれ石」 《ひょうたんの眼》59

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庭のサルスベリ

【コラム・高橋恵一】大阪府吹田市で小中学校の児童生徒が校歌と国歌「君が代」の歌詞を暗記しているかどうかという調査をしていたと報道された。市議会議員の要求で数年調査していたようだ。暗記しているかどうかということは、学校で歌詞を教えているということだが、歌詞の意味をどのように教えているのだろうか?

私が小学3年生のとき、君が代の意味を先生に質問したら、「『君が代』は、以前は『天皇陛下の治める世の中、天皇の国』の意味だったが、今は、君と僕、私とあなたの世の中という意味にしている。千代に八千代にというのは、とても長い期間という意味。『さざれ石』は小さな石の意味で、とても小さな石が、だんだん大きくなって岩に、さらに立派な巌(いわ)になってコケに覆われるまで、私たちの国が永遠に栄えることを願う歌だ」と説明してくれた。

1999年の国旗・国歌法の制定に際し、君が代は、大日本帝国憲法下、天皇=国家への絶対忠節を強制し、戦意発揚につなげた経緯から、国民主権の日本にはふさわしくないという意見が沸き上がったが、政府は、君が代の歌詞は、元々、新古今和歌集にあり、長寿を願う歌で、国民になじんでおり、変える必要がないとして、国歌に制定した。

ところが、「さざれ石」については、小さな石が、成長して大きな岩になるはずがないとの指摘があり、政府は、これを気にしたようだ。

当時、文部科学省が、庁舎建て替えに際して、別のビルに仮住まいをしていたのだが、その玄関ロビーに、砂利の混ざったコンクリートの固まりのような、高さ1メートル弱のモニュメントらしきものが置かれていて、「さざれ石」と表示されていた。その石は、石灰質角礫岩(せっかいしつかくれきがん)といって、液状化した石灰質が、接触する小石や砂などの接着剤となって固まった礫岩だ。

礫岩=さざれ石とする文科省の強弁

さざれ石は礫岩の構成員だが、凝結した時点で「さざれ石」ではなくなる存在だ。1963年頃、岐阜県の愛石家が、地元の伊吹山麓の河岸に散在する礫岩を「君が代のさざれ石」と発表して、広まったらしい。出雲大社、鹿島神宮、建長寺などにも、礫岩がおかれていて、「さざれ石」として案内されている。

しかし、新古今和歌集の詠み手は、伊吹山麓の石灰質角礫岩を知るはずもなく、平安時代の歌詠みとして、アミニズム的な感性から、小石(さざれ石)が古刹(こさつ)の苔(こけ)石や屏風(びょうぶ)岩のように成長するとしたもので、現代にもつながる、日本人的な豊かな感性の国風文学の表現であり、人々に受け入れられているのであろう。

礫岩を「さざれ石」だとする文科省の強弁は、忠君・愛国の軍国日本を絶対とし、国威発揚の道具として、「君が代」を強制した暗い過去に戻したい勢力への忖度(そんたく)であろうか? どう取り繕っても、さざれ石は、さざれ石。極小の小石だ。文科省が、先頭に立って国語をねじ曲げている。

学校も神社仏閣も所管は文部科学省。先の戦争では、学校も神社仏閣も、戦争遂行の先手とされていたことを忘れてはいけない。(地図好きの土浦人)

高速の爽快感、新幹線 《遊民通信》69

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【コラム・田口哲郎】
前略

先日、新幹線で博多まで行ってきました。東京駅を出発して5時間で着きました。博多は航空機で行くのが主流のようですが、鉄道好きとしては、新幹線以外に選択肢はありませんでした。東京駅を山手線で通るたびに、東海道新幹線を見かけては、旅情に思いを馳(は)せていたものです。

東海道新幹線といえば、幼い頃に新大阪から上京するときによく乗せてもらいました。私世代にとって新幹線といえば、丸いボンネットの0系です。いまはN700系。ずいぶん進化しましたが、カラーは白にブルーと新幹線は新幹線です。

さて、今回は内田百閒先生のように、用事もなく特急電車に乗って大阪に行ってきた、ということではありませんでした。用事がしっかりあったので、先生のように優雅に鉄道だけを楽しむ旅ではなかったのです。

しかし、5時間も超高速鉄道に乗っていますと、先生のエッセイを読むだけでは感じられないことに気づいたりしました。百閒先生は当時の特急「はと」が電気機関車に牽(けん)引されていて、時速70キロ以上出ているのではないか、とその速さに言及されています。いま時速70キロというと、常磐線の営業最高速度が時速130キロ超なのを考えると、速くはないのですが、戦後すぐには最先端であったでしょう。

このまえ乗った新幹線の最高速度は時速285キロです。百閒先生のときの4倍ほどになります。新幹線の車両は実によくできていて、揺れも騒音もないのですが、280キロの速さは体感できます。車窓の景色の流れが速い。目を閉じてもその速さを実感できます。日本国に通された鉄の道をすごいスピードで走り抜けるのは爽快でした。

なにか、日ごろの疲れが吹きとぶような、おはらいのような感覚がありました。百閒先生も用もないのにわざわざ電車に乗るために大阪に行っていたのは、このスピードの爽快感を味わうためではないのか、と思いました。国土を猛烈に走り抜けるという、現代では当たり前の体験。しかし、これは人類が日々更新している、新しい体験でもあります。

車内チャイムにみる時代の流れ

そういえば、新幹線の車内チャイムはTOKIOのBe Ambitiousが7月20日、20年来の勤めを終えて、最後だったそうですが、最後に聞けてよかったです。

20年前にAMBITIOUS JAPANをキャッチコピーに新幹線が走り抜けていた東京を思い出します。バブル崩壊後、IT革命勃発、グローバリゼーションの波の到来と、日本が新しい激動の時代に向かって立ち向かおうとしていた時代です。野心的であれ。

新しいチャイムは、UAさんの「会いにゆこう」だそうです。新幹線が日本の野望を担う大動脈から、個人と個人を結ぶ赤い糸に自己認識を変えたのでしょうか。時代の変化を感じずにはいられません。新幹線よ、永遠に。ごきげんよう。

草々
(散歩好きの文明批評家)

たくましい農家の女性《菜園の輪》13

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沢辺賢子さん(筆者撮影)

【コラム・古家晴美】今回は、つくば市北部の農村に住む沢辺賢子(たかこ)さん(78)にお話をうかがった。50年前に玉里村(現小美玉市)の農家から嫁いで来た。当時、舅(しゅうと)と姑(しゅうとめ)は、主に稲作と養蚕を営む農家で、自分たち息子夫婦はその手伝いをしながら、養豚やシイタケ栽培に取り組んでいた。

そして、その後約30年間は、バラを中心に栽培してきた。しかし、温室の燃料費高騰などもあり、バラ園は今年2月に閉園し、後継者である息子さんはブドウを栽培している。

専業農家の現役主婦の活躍ぶりには、頭が下がる。賢子さんがバラ園で働いていた2月までの生活は多忙を極めた。バラの作業にいつも追われ、近所の人とも長話もできず、家事と仕事の合間の時間に自家用畑の面倒を見ていた。

出荷前日の月・水・土の1日のスケジュールを振り返ると、朝6時に起床し、夫婦の朝食の準備、8時から花切り開始。12時に昼食の準備、13時半くらいからずっと花を束ねている。週末以外の18時には、家族の夕食の準備を始めなければならない。

大人ばかり7人の大家族の食事では、1日8合の米を食べきる。それに伴う大量のおかず作りも一仕事だ。朝からずっと花の作業と家事に付きっ切りとなり、息つく暇もない。

そして、日・火・木の花の出荷が終わる午前10時からお昼頃を、賢子さんは自家用畑の作業時間に当てていた。この地域では、自家用野菜を作る畑を「〇〇の畑」と地名で呼ぶ以外に、「ソトヤラ」(外谷和原)とも言うとのこと。

賢子さんは、5畝(せ=500平方メートル)の畑を1人で面倒を見ている。舅の手伝いをしながら、畑仕事を覚えた。姑は養蚕にかかりきりになっていたので、舅が自家用野菜を栽培していたのだ。賢子さんが本格的に作り始めたのは、舅が他界してからのことだ。

干し柿、こんにゃく、たくあんも

今の季節は、ナス、キュウリ、トマト、ピーマン、インゲン豆、ジャガイモ、白瓜、玉ねぎ、トウモロコシなどが食べ頃だ。また、仏壇に供えるための百日草、ダリア、グラジオラス、ホオズキも大輪を咲かせ、実をつけている。

畑の中央の小梅と南高梅、柿の木の根元には、こんにゃくが青々とした葉を茂らせている。去年は梅干を10キロ漬けた。今年は干し柿とこんにゃくを作る予定だ。冬になれば、大根35キロをたくあん漬けにする。大根の運搬を除けば、すべて1人でこなす作業だ。

賢子さんにしても、他界されたお姑さんにしても、農家の女性は、まさしく「縁の下の力持ち」だ。たくましい。(筑波学院大学教授)

エマニュエル・シャメルトさん《続・平熱日記》138

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】「パパ、前の家に飾ってあったカッパの絵、あれすごく好きだったんだけど、どこにある?」と次女に聞かれたのはそう前のことではない。そういえばどこに片付けたのだろう?

それは何かのポスターの裏側に墨で描かれたカッパの絵。描いたのはエマニュエル・シャメルト。私が大学院にいるときに、彼は留学生として研究室にやって来た。当時、ヨーロッパからの留学生は珍しかった。ハンサム(本当にアランドロン系)でフレンドリーなフランス人。そして、私がフランスに行くきっかけを作ってくれた人。

エマニュエルとの思い出はたくさんある。チェスや将棋、大学の中庭でサッカーをしたり、お酒を飲んだり。トレビアンなポトフを作ってくれたことも。もちろん、彼の描く絵、作るオブジェ、そして好んで作っていたエッチングはとても記憶に残っている。彼の描く絵は一見すると子供が描いたもののように見える。

また、廃材や日用品を画面に張り付けていくアッサンブラージュ(掃除機が張り付けてあったときはさすがに驚いた)の作品。毎日、アトリエで増殖していく、例えば、木の端材を積み上げてペイントしていくようなオブジェなど、とにかくエネルギッシュで屈託がない作品の数々。しかし、そこには彼のエスプリが込められていて、何とも言えない魅力を感じる。

そんな彼と触れているうちに、何となくフランスという国に興味を持ち、やがて私は留学を決意する。エマニュエルには美人で聡明なリリアンさんという許嫁(いいなずけ)がいて、彼女もやがて東大に留学してくるのだが、博士課程まで在籍した彼は長く充実した日本での留学を終えて、私の帰国とほぼ入れ違うように彼女とフランスに帰って行った。

その後リリアンさんとの間に女の子が生まれ、「僕は子供のミルク代を稼ぎに行かなくてはならない…」というような漢字とジョークがたっぷり入った手紙を最後に、しばらく連絡を取ることもしなくなってしまった。

What a wonderful artist, …

先日、彼の訃報に触れた。彼は4年前に亡くなっていた。そしてこのたび、彼の個展を開いていた当時神宮前にあった兒嶋画廊さん(現在は国分寺市)で、8月6日まで「メモリアルエキシビション エマニュエル・シャメルト展」が開かれるとを知った。その副題は「What a wonderful artist, we’ll never forget」。(「なんて素晴らしいアーティストなんだろう、私たちは決して忘れない」※訳は編集者による)

彼の人柄と作品を好きだった多くの友人知人の協力によって開かれるという。生涯エマニュエルは絵を教えることを避け、長いものに巻かれることなく、ひとりのアーティストとして制作を続けたそうだ。

そう思って家の中を探してみた。そうだ、あのカッパは芥川龍之介のカッパだ…。でもやっぱり見つからない。とにかく、次女を誘って彼の作品に会いに行くとしよう。きっとエマニュエルはウィンクで出迎えてくれるだろうから。

追記。私はエマニュエルが好んで描いたモチーフのひとつ「電車」を描くことにした。彼はなぜか1両だけを描いた。それによく似た電車(正確にはディーゼル)を学校に行く途中で見かけることがあるのでそれを描いてみた。(画家)

福島県小名浜で「汚染水を海へ流すな!」集会《邑から日本を見る》140

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海の日アクション2023「汚染水を海へ流すな!」(写真は筆者提供)

【コラム・先﨑千尋】17日に福島県いわき市の小名浜マリンパークで開かれた海の日アクション2023「汚染水を海へ流すな!」に参加した。この集会は「これ以上海を汚すな!市民会議」と「さようなら原発1000万人アクション実行委員会」が主催して開かれた。集会には、福島第1原発事故による汚染水の海洋放出に反対する地元の漁業関係者や専門家など県内外から約300人が参加し、集会後に小名浜漁港周辺をパレードした。

最初に同市民会議共同代表の織田千代さんが「海は、数えきれない命のかたまり。なぜ政府は汚染水の海洋放出を急ぐのか。薄めないと流せないということは汚染されているということだ。汚染水が流されたら、次の世代、その先の人たちに汚染された海を手渡すことになる。豊かな海の恵みに包まれている私たちの暮らしを忘れず、影響を抑えようと努力してきたことを無駄にしないために、海洋放出をストップさせよう」と訴えた。

続いて、小名浜機船底曳網漁協の柳内孝之専務理事が「事故後、原発から汚染水が海に流出し、福島の漁業は操業を自粛せざるを得なかった。しかし、わずかでも流通させなければ福島の漁業は終わってしまうので、試験操業を始めた。沿岸漁業の水揚げ量は約5500トンと事故前の2割にとどまるが、着実に増加してきている。漁業者は復興の妨げになる海洋放出を止めてと願っているが、国と東電は『漁業者の理解なしには放出しない』という約束を破ろうとしている。そういう国と東電を私たちは信用していない。また、IAEAは我々の生活を保障してくれない。処分の仕方を再検討してほしい」と、力を込めて語った。

東京大名誉教授の鈴木譲さん(魚類免疫学・遺伝育種学)は「薄めたトリチウムでも、海に流し続けたら海洋生物にどのような影響が出るのかは誰にも分からない。海洋放出によって海の生物が真っ先に影響を受ける。とんでもないことが起こり得る。国と東電は犯罪行為を行おうとしている。海洋放出すると言っているのは犯行の予告だ」と国と東電を糾弾した。

中国中央電視台も取材

市民のリレートークでは、会津若松、郡山、いわき、福島など県内からの参加者と、東電柏崎刈羽原発のある新潟県刈羽村や中部電力浜岡原発のある静岡県御前崎市などから11人が発言。多くの人が制限時間を超えて反対の声をあげた。

大熊町から会津に避難している馬場由佳子さんは「子どものいる母親として海洋放出に反対する。国と東電は大熊町など地元の復興のために汚染水を流すと言っているが、大熊の復興って何だ。子どもを守ることが復興ではないのか。ふざけんな!」と声を詰まらせながら訴えていた。

この集会には海洋放出に反対している中国から、中国中央電視台(テレビ局)が取材に来ていた。集会後、参加者は小名浜魚市場やイオンモールの前をパレードし、買物客らに汚染水の海洋放出反対を訴えた。(元瓜連町長)

交通手段の利便性と多様性:地方高齢者の観点から《文京町便り》18

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】近頃、高齢ドライバーによる自動車事故多発が報じられる。高齢ドライバーの認知症検査の厳格化や、運転免許証返上も促されている。

しかし、交通事故を起こした高齢ドライバーの(平均的な)言い訳としては、自分の近年の運動神経や反射機能(の低下)には不安を感じないでもないが、自分の日常生活でマイカー運転は不可避・不可欠だ、だから運転免許証も手放せず、(結果的に事故を起こした)この時もいつものようにマイカー運転を続けていたのだ、ということだろう。この感覚・認識は、現役を退き故郷に戻って生活している私にも、実感としてわかる。

私が評議員を務める日本計画行政学会の年次総会での公開シンポジウムが、2023年6月17日、都内の大学で開催された。テーマは「国土計画の今と今後の在り方」だった。登壇した講演者は、国土交通省(2001年1月の中央省庁再編後は官房長を含めて14の局長を抱える巨大官庁)の担当局長(現・国土政策局長、元・国土計画局長)の現職・元職、さらには国土審議会の中核メンバーなどだった。

このシンポジウムでの基本的な問題意識は、かつての全国総合開発計画から国土形成計画法を経て、21世紀前半の全国の国土整備をどのように進めるべきか―というものだった。

そもそも全国総合開発計画は、法律それ自体は1950年に公布されていたが、池田内閣の国民所得倍増計画(1960年)策定を受けて、1962年10月に第1次(全総、一全総とも略される)が閣議決定されてから、1998年の「21世紀の国土のグランドデザイン」まで、5次にわたって約10年ごとに策定されてきた。

しかし、中央省庁再編も経て、それまでの開発中心主義からの転換を目指して、新たな国土形成計画(全国計画)が2008年と2015年に策定されている。現在は第3次計画の公表に向けての最終段階である。

「シルバー民主主義」が成立していない

「中間とりまとめ」(2022年7月公表)によると、国土の現在の課題に対する令和版の解決の原理は、①民の力を最大限発揮する官民共創、②デジタルの徹底活用、③生活者・事業者の利便の最適化、④横串の発想―で、検討されている重点分野は、(1)地域生活圏、(2)スーパー・メガリージョンの深化、(3)令和の産業再配置、(4)国土利用計画―だそうである。

私には、この計画策定にかかわっている関係者の説明は、全国で展開しているさまざまな課題に対してDX(デジタルトランスフォーメーション)に代表される新機軸を取り入れその全国展開を図ろう、という(旧来型の)スタンスの継承、と受け止められた。そこで私は、地方在住の年金生活者の立場からは、新機軸の安易な押し付けではなく、旧来型のシステム・技術体系の使い勝手の改善を心掛けてほしい―と質問・問いかけた。

具体的には、バスの使い勝手が悪いのは、その運行が時刻表とは乖離(かいり)していること。運行本数も多く経営規模も確かな大都市部では、近年、バスの運行状況はバス停ごとに確認できるようになっているが、本来バス利用への依存性が高いはずの地方圏ではそうしたサービスが未整備のままである。

こうした利用者の現在のニーズを無視して、5~10年先のバラ色を披露されても、地方在住の年金生活者には当面の課題解決には至らず現実的とは思えない。こうした計画策定のプロセスや方向性を見ると、とても「シルバー民主主義」が成立しているとは思えない。高齢者の運転免許証返上が進まない所以(ゆえん)でもある。(専修大学名誉教授)

夜の観察会・夏《宍塚の里山》103

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ニイニイゼミの羽化

【コラム・鶴田学】今回は、宍塚の里山(土浦市)で夏に行われる夜の観察会について紹介します。街灯もなく真っ暗な里山の細い道をたどるのは、子どもたちだけでなく、大人でもなかなか体験したことがないと思います。

7月半ばの夜、懐中電灯を持って長靴・長ズボンをしっかりはいて、日の入り前の6時半に集合。注意事項を聞いてからの出発ですが、だんだんと暗くなってきます。こどもたちはウズウズしていますが、夜の里山にはマムシやヤマカガシなどの毒蛇がいたり、笹で手を切ったり、かまれると痛いキリギリスの仲間もいます。注意はしっかり聞いてもらわないと困りますね。

最初はセミの羽化を観察します。7月半ばの夕方には、主にニイニイゼミの羽化が一斉に始まります。夕暮れ前は、まだ始まったばかりで、まだノコノコと幹を登っていたり、足場を確かめていたり、脱皮が始まっていたりするものもいて、見つけるたびに、歓声が湧きますが、ほどほどにして、帰りにまた様子を見ることにします。

羽化するセミのそばには、捕食者のキリギリスの仲間やムカデなども見られます。ちょうど暗くなってきた空に、コウモリが飛んでいることもあります。

次は、クヌギなどに糖蜜を塗って、虫を集める糖蜜トラップの様子を見ます。こちらは、子どもたちの大好きなクワガタ類やカブトムシ、きれいなシタバガの仲間などを観察できます。

一人前のニイニイゼミになっていた

いよいよ日も落ちて、真っ暗な細い道を、懐中電灯をたよりに歩きます。ライトに反射して、ガの類の目はオレンジに、クモ類の目は白く輝いて見えます。バッタの類やナナフシなどの姿も見かけます。

さらに、懐中電灯も消して、真っ暗な中、陸生ボタルの幼虫が光るのを探します。暗闇に慣れるまで数分待つと、地面の近くで光るのが見えるようになってきます。ヘイケボタルやゲンジボタルなどの水生ボタルは、実は少数派で陸生ボタルのほうが多く、しかも成虫はほとんど発光しません。

今度は林の中に白い布を張って、ライトで照らして光に寄ってくる虫たちを観察します。コガネムシなどの甲虫類、ガの仲間、バッタの仲間など、本当に色々な虫たちを見ることができ、飽きないですね。

最後にもう一度、セミの羽化を観察。少し緑味を帯びていたものが、すっかり色づいて、一人前のニイニイゼミになっていました。ここまでで夢のような夏の夜の探検は終了。コロナの関係もあり、30名の人数制限がありますが、是非、参加してみてください。(宍塚の自然と歴史の会 会員)

結婚式への参列に思うこと《電動車いすから見た景色》44

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イラストは筆者

【コラム・川端舞】今月末、親戚の結婚式に参列するため、故郷の群馬に帰省する。式に着ていく服を探すため、介助者と一緒にショッピングモールに行った。介助者に手伝ってもらい、いくつかドレスを試着し、気に入ったものをレンタルする。店員とのやりとりも、契約書類への記入も介助者に手伝ってもらった。

帰り道に駅に寄り、群馬までの新幹線の切符を購入。結婚式当日は、別の介助者と一緒に群馬に行き、一泊して帰ってくる予定だ。

帰省する準備をしながら、ふと考える。今の私が、自分らしい生活ができているのはなぜか。公的な介助制度も、バリアフリーな駅もほとんどなかった時代から、自分で介助者を集めて一人暮らしをし、体を張って、公共交通機関のバリアフリーを求めた障害者たちがいたからだ。

彼らが闘ってこなかったら、私は介助者と一緒に、ショッピングモールに行くことも、群馬に帰省することもできなかっただろう。それをありがたいと感じる一方、重度障害者が支援を受けながら、一人暮らしをしたり、外出することは、もっと当たり前のこととして認識される必要があるとも思う。

障害者たちが必死に闘って求めてきたものは、特別なものではなく、本来なら最初から持っているべき人間としての当たり前の権利なのだ。

心待ちにしているもう一つの結婚式

今の社会で、重度障害者が一人暮らしをすることが当たり前だとは見なされていないように、どんなに愛し合っても、家族になることを権利として認められていない人たちがいる。

友人とパートナーはもう何年も一緒に暮らし、本来ならいつ結婚してもおかしくない。しかし、2人は戸籍上の性別が同じであるため、今の法律では婚姻届を出せない。

法律が変わり、婚姻届を提出できたら、挙式するそうだ。式の招待状が来るのを、私は心待ちにしている。一方で、そもそも、戸籍上、異性同士の2人なら、互いの同意のもと婚姻届を提出すれば家族になれるのに、なぜ同性同士だと、その権利が認められないのか。

2人が無事に婚姻届を提出できた日、おそらく私は心の底から2人を祝福するだろう。ただ、それは決して特別なことではなく、人間として当たり前の権利が認められただけであることを覚えておかないとならない。

「他の人と同じ権利を行使するのが、なぜこんなにも大変なのだろうか」。そんなことを考えながら、群馬に帰省する。(障害当事者)

筑波実験植物園 季節の花を楽しむ《ご近所スケッチ》5

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筑波実験植物園(イラストは筆者)

【コラム・川浪せつ子】筑波実験植物園の正式名は国立科学博物館 筑波実験植物園です。上野にある国立科学博物館が本館で、つくば市にあるのは植物関連の分館。こんな素晴らしい施設が近くにあるのは驚きです。

四季折々お散歩してもいいし、お花の季節にはそれぞれの草花に会いに行きたくなります。私のお気に入りは上のイラストの水生植物園。それから温室です。行ったこともないサバンナや熱帯雨林。「どこでもドア」を開けて入り込んだ気分になります。

また色々なイベントがあるので、それに合わせて訪問します。NHKの朝ドラで、今、植物学者「牧野富太郎」博士の人生を元にしたドラマが放映されています。筑波実験植物園でも4月末から6月初めまでミニ企画展「牧野富太郎 植物を観る眼」が開催されていました。早々に見てきました。

牧野博士は今風のイケメン?

ミニ企画ということでしたが、とても充実した展示でした。レプリカではありましたが、先生の線画のスケッチは素晴らしいものでした。色は付いていないのに、色を感じさせてしまう描写。つくづく「線に命が宿る」と。特別に植物学を専門学校で学んだわけでなく、絵も誰かに習ったわけでないのに、驚異的ですよね。

展示を見ていたとき、2人の女性の会話が聞こえてきました。「ね、ねぇ。こっち見て! 牧野先生の若いころの写真あるから」「あら~! 今でいうジャニーズ系のイケメンじゃない~」。まさしく! その後、知り合いの方々にこの話をしたら大うけでした。気になる方はネットで見てくださいね。(イラストレーター)

筑波実験植物園(同)

世界のつくばで子守唄を終えて《映画探偵団》66

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】7月1日、『世界のつくばで子守唄/海のシルクロード・ツアー2023』をホテル日航つくばで開催した。2日前から参加希望者が急に増え、満員のため30名ほどお断りした。外国人は67名でその子どもたちも含めると80名近くになった。参加者は計200名だった。17カ国の人が参加し民族衣装がカラフルで美しかった。

予想以上の反響で戸惑った。中でも「ただの子守唄コンサ一トだと思って来たら違っていた」「アジアを旅する気分になった」という声が多く聞かれた。多分、アジアの子守唄の合間に『金色姫伝説』を入れたからだと思う。

つくば市神郡(かんごおり)に残された『金色姫伝説』は「金色姫が天竺で4度にわたり継母から殺されそうになった話」と「金色姫がたどり着いた神郡で病死し蚕となる話」で構成されている。途中の「金色姫航海の話」が欠けている伝説なのだ。この金色姫の航海を子守唄でまがりなりにも再現したので予想と異なっていたのだと思う。

森繁久弥主演の「社長シリーズ」

東宝映画の森繁久弥主演の「社長シリーズ」は『へそくり社長』(1956)に始まり『続・社長学ABC』(1970)まで14年間続き33本作られた。ただし1963年頃からは植木等の「日本一シリーズ」に人気が移り始めていた。私は植木等の世代なので社長シリーズはあまり見ていなかった。社長シリーズには、いつも芸者役が出てくるため、「芸者文化史/銀幕の芸者たち」の社会人講座をするためまとめて見た。そこには高度成長期における日本人の仕事ぶりが面白おかしく描かれていた。

毎回設定が異なる社長シリーズは「正篇」「続篇」2本で1つの物語になっていて、日本の観光地や香港やハワイなどの海外が出てくる観光映画となっている。

森繁久弥が演じる社長はバリバリ働くが、芸者やバーのマダムにほれる浮気ぐせがある。秘書役の小林桂樹は真面目で社長に尽くすが、夜の宴会まで付き合わされるので、自分の時間が奪われボヤキ気味である。加東大介の部長は堅物で社長もいささかもて余し気味だ。同じく部長の三木のり平は「パッといきましょう!」が口ぐせで会社の費用でお酒を飲むのが楽しみの宴会部長。そして英語混じりで変な日本語を話す日系2世役のフランキー堺はいつも突飛(とっぴ)な行動を見せる。

5人が宴会でやる余興場面がこの作品の見世場となっている。それぞれ主演級の役者が丁々発止と演じる様は、裏読みすると役者同士の演技合戦にも見え、実にスリリングである。しかし全体のシ一ンの意味を心得た上での演技なので、抑制も効いていて気持ちがよい。

終始笑いに満ちた実行委員会

今回のイベントを終え、思い出したのがこの社長シリーズだった。実行委員の皆さんが、こちらが細かいことを言わなくても動いてくれるため、いつの間にか外遊する森繁久弥演じる社長の気分にさせられた。終始笑いに満ちた実行委員会だった。

イベントは、金色姫が筑波・神郡についたところで、「つづく」と締めくくった。社長シリーズは「正」「続」2本で1つの話。だから次は『金色姫伝説』の筑波篇を予定している。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

TX土浦駅接続計画 空港延長も再議論《吾妻カガミ》162

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土浦駅東口のコンテナヤード。TXのホームがこの辺にできる?

【コラム・坂本栄】茨城県の大井川和彦知事は6月下旬、現在つくば駅止まりのTXをJR常磐線土浦駅まで延ばしてもらい、これが実現した後、同駅から茨城空港につなぐことを議論してもらうという計画を発表しました。この中には土浦駅延伸に向けた3フェーズ(段階)も記載され、土浦駅接続&空港延長(?)が県の計画に位置付けられました。

延伸実現に向けた3段階の作戦

発表文TX県内延伸に係る方面決定についての結論部(いわば戦略目標と作戦要綱)を整理すると以下のようなことです。

▼目標:常磐線土浦駅への接続を実現その後に茨城空港延伸を議論

▼フェーズ1(たたき台の作成):沿線開発による需要拡大策・費用削減方策、採算性が確保できるルート・事業のスキームなどを検討関係機関との調整に向けて県の素案を策定

▼フェーズ2(調整と磨き上げ):関係者との調整と追加調査国交省・交通政策審議会答申に盛り込み

▼フェーズ3(計画の総仕上げ):関係都県や関係者と調整路線計画・建設計画・事業計画を決定TX運行会社などと共同して事業許可を取得

沿線開発→乗客増という好循環

私はコラム155「…土浦駅延伸 次の焦点は…」(4月17日掲載)や147「…延伸実現へのシナリオ」(2022年12月19日掲載)などで、茨城空港の首都圏第3国際空港化、研究学園都市の米ボストン化を想定して、TXを空港まで延ばすよう主張してきました。こういった声が県に届いたのか、戦略目標には空港延伸が余韻として残りました。

また155で「(第三者委員会の提言には)実現可能性が優先され地域開発の夢が見えない」(地元経済人)との声を紹介しましたが、フェーズ1に「沿線開発による需要拡大策・費用削減方策を検討」が入りました。記事「…『祝賀集会』…」(7月2日掲載)でも言及されているように、つくば駅―土浦駅間には新駅が2~3設置されるようですから、沿線開発乗客増加という好循環が起き、県が心配する採算性はクリアされるでしょう。

延伸沿線開発では、現TX敷設の際に県土地開発公社とUR都市機構が沿線土地を分担して先行取得した先例に倣(なら)い、県、つくば市、土浦市の土地公社による土地取得も検討課題になります。

知事任期と微妙に重なる時間表

記事「土浦駅に決定…」(6月24日掲載)によると、知事はフェーズ2の交通政策審議会答申を2028年と想定しています。この中に、土浦駅← 現TX(つくば駅―秋葉原駅)東京駅の両方向延伸を入れさせ、総経費を東京、埼玉、千葉、茨城で分担する形に持ち込む(茨城の負担を抑える)―これが知事の基本作戦ですから、同年が決戦の年になります。

面白いことに、大井川知事の任期(現2期目は2021年夏~2025年夏、出馬当選すれば3期目は2025年夏~2029年夏)と作戦要綱のタイムテーブル(実現可能な県の素案を作るフェーズ1は2期目後半、1都2県と中央政府に諸工作するフェーズ2は3期目前半、計画を具体化するフェーズ3は3期目後半)がほぼ重なります。延伸作戦は政治作戦でもあるわけです。(経済ジャーナリスト)

自分を野次り続ける《続・気軽にSOS》137

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【コラム・浅井和幸】今ではどうか知りませんが、私が若いころの野球事情は、味方の応援と相手チームへの野次(やじ)が半分半分だったと記憶しています。味方がボールを見逃したら「大丈夫、次の球打ってこー」と大声を出し、相手チームがボールを見逃したら「バッター、ビビってるよー」と声を張り上げるのです。

味方を盛り上げ、相手をこき下ろす。なんともはや、これが世間一般で思われている「爽やかな少年たちの野球」で、大人たちはこのように指導していたのです。まぁ、自分の力を発揮して、相手の弱点を突くというのが対戦スポーツの醍醐味(だいごみ)で、それをルールの中で行っているから素晴らしいのかもしれませんが…。

この、言葉で相手を攻撃して相手の力を発揮させない、ネガティブな刺激によりネガティブな結果を生み出すということはそれなりに効果があり、勝負事ではまあまあ力を発揮します。

ネガティブな自己暗示

さて、そのネガティブな気持ちや言葉を自分に向け続けたらどうなるでしょうか。「俺はダメな人間だ」「世界中の人が自分を悪く言っている」「もっとちゃんとしないといけない」「自分は恥ずかしい生活を送っている」などなど。

野球の試合であれば、その口汚いチームと対戦している時間以外は、野次は飛んできません。しかし、自分が自分であるのは24時間365日です。自分が自分に向かって野次を飛ばし続ける。それはとてつもないプレッシャーで、手も足も縮こまり、人の目も見られなくなり、笑顔もなくなり、身動きできなくなるのも当然です。ネガティブな自己暗示、悪い過去や未来のイメージトレーニングを続けているのですから。

習慣化した自分への野次、家族への野次、自分の所属するコミュニティへの野次…。何を目的として、そのネガティブな野次、口汚いこき下ろしをしているのか、もう一度考え直してみてください。

事実ではない(たとえ事実の部分があっても)目的を失って辛くなりすぎることに、苦行以外の何も得られないことでしょう。うまくことが進んでいないときは、もう少しだけ自分や自分に相対するもの、自分が属する何かへの野次は控えることをお勧めします。(精神保健福祉士)

日本の花火大会のルーツは?《見上げてごらん!》16

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イラストは筆者

【コラム・小泉裕司】前回の15「花火を観るなら有料観覧席でⅡ」(6月18日掲載)で紹介した「隅田川花火大会」は、日本最古の花火大会とされている。大会公式HPでは、「両国の川開き」という名称で、享保17年(1732)、大飢饉(ききん)と疫病の流行による犠牲者の慰霊と悪疫退散を祈って江戸幕府8代将軍吉宗が催した水神祭に続き、翌年に両国橋周辺の料理屋が許可を得て花火を上げたことが始まりと解説している。

国内の花火企業約300社が加入する公益社団法人日本煙火協会の平成30年度版「花火入門」でも「通説」と前置きしながら、夏の花火大会のルーツとして紹介している。同様の記事は、様々なメディアで散見するので、このように承知されている読者も多いのではないだろうか。

ところが、「花火入門」の令和元年度版からこの記述は消失し、最新の令和5年度版(6ページ)でも、隅田川での花火鑑賞の記録としては、さらに100年以上前の寛永5年(1628)、浅草寺に来た天台宗の僧・天海を花火でもてなしたという記録にさかのぼり、その後の両国橋架橋により花火の名所となったとある。

記述変更の経緯について、テレビの花火解説でおなじみの日本煙火協会河野晴行専務にたずねたところ、墨田区すみだ郷土文化資料館開館20周年を記念して開催された特別展「隅田川花火の390年」の図録(2018年)に掲載されている同館福澤徹三学芸員の「論考-享保18年隅田川川開開始説の形成過程」を根拠にしたとのこと。

この論考では、過去の膨大な記録を読み解く中で、隅田川での花火の記録は寛永5年が初見であり、享保18年開始説の記録は存在しない。同時に、「享保説」は明治24年から昭和9年までの44年間にわたって3段階の付け加えが行われ、日時的にも根拠のない「創作」であると論じている。今後も有力な新資料が発見されない限り、現在流布している「享保説」を採用することはないとしている。

一方で河野氏は、「享保説を声高に否定するようなことはしない」とも言う。「粋」を信条とする花火師の世界。「眉間にしわを寄せて議論するような野暮(やぼ)は言いなさんな」ということなのだろう。

なお、「疫病」をコレラと表記している解説も一部見られるが、コレラが江戸で流行となったのは、「安政コロリ流行記-幕末江戸の感染症と流言」(白澤社、2021年)によれば、安政5年(1858)であり、これはもう「論外」。

花火見物は「特別な時間」

それにしても、4年ぶりの「隅田川花火」を2週間後にして、「何、無粋なこと言ってんだか」とお思いの読者には、「粋」なお話をひとつ。

両国橋周辺が花火の名所となった江戸時代後期の旧暦5月末から8月末まで、毎日20発ほどの花火が上がっていたそうで、遊び好きな江戸っ子にとって花火見物は堂々と夜遊びができる特別な時間。

1発打ち上げるのに30分以上かかっていたようで、次の花火を待つ闇夜に乗じ、素敵な人に声をかけるなんてこともあったとか。当時の浮世絵に見る川端に憩う女性のファッションで、気合いの入り方が読み取ることができるとも。本日は、この辺で「打ち止めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

気温が体温と同じぐらいに《くずかごの唄》130

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】気温が、体温と同じくらいになるなどということは、今までの日本で考えられなかった現象である。コンクリート道路の上などは40度C近くになってしまう。

こうなると自分で自分の体温が維持できない人たちが増えてくる。

今までにない身体現象だから、あいまいに、おおまかに、春は「花粉症」、夏は「熱中症」と呼んでいるが、呼吸、皮膚炎、頭痛、咽喉炎、生理痛などが体温の変化と複雑に絡み合ってしまっている。

こういう時代が来ることは、医療関係者も予想していなかったにちがいない。

平凡に解熱鎮痛剤を処方する医者。抗アレルギー薬を入れて処方する医者。熱があるからといって抗生物質を処方する医者。先生たちも気温と体温の、からみあいのめちゃめちゃに頭を悩ましているに違いがいない。

えっ、ドクダミって薬草なの?

暑すぎるので雑草たちも元気がない。その中で、なぜか根茎で増えるヤブガラシとドクダミだけは元気過ぎるほど元気で、我が家の庭も草抜きが大変だ。

子供たちにドクダミの花を見せてあげる。

「ほら、ドクダミの花、可愛いでしょ」
「おかしな匂いがするね」
「嗅いでごらんなさい。薬草の匂い」
「えっ、薬草なの? ドクダミは毒草だと思っていた」
「冗談じあない。十薬といって10の効果のある薬草の中の王様なのよ。昔は家で採ったドクダミを、きれいに洗って軒下にぶら下げて、干してある家もあったわよ」

昔の子供たちはごく自然に、ドクダミは身近にある家庭用薬草ということを知っていたのに、今の子供たちは全然知らない。

「毒ではないのに、何で毒ダミなんていう名前なの?」

さあ困った。何でドクダミなどという名をつけたのだろう。「牧野富太郎先生、教えて下さい」(随筆家、薬剤師)

「勘十郎の馬鹿っ堀」 《写真だいすき》22

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宝珠庵赤子:石仏は、人々を救ってくださる仏さまではなくて、救って欲しい人々の姿なのだと思いながら撮影することもある(撮影筆者)

【コラム・オダギ秀】何十年の時が流れても、いつまでも心に残る撮影は、少なくなかったが、いま、その地を訪ねたら、新しい住宅が並び、わずかな水溜(た)まりがあり、ここがあの撮影地だったかよと思った。

霞ケ浦の北岸近くに、紅葉(もみじ)と言う美しい名の集落があり、そこに紅葉運河という古い大きな堀跡がある。堀は、紅葉から大洗に近い涸沼の海老沢という入り江まで、途切れ途切れにつながっていた。その堀は三百年ほども前、運河として掘られたものだが、数十年前の撮影に訪ねた頃は、田んぼや溜め池となっているところがあって、水をたたえてはいても流れてはいず、もちろん運河とは言えず、ただの水溜まりの連なりであった。

堀を見下ろす土手の木立の中に、素朴な小さな石の慈母観音菩薩さまがあった。慈母観音は、子安観音とか子育て観音などと呼ぶこともあり、しっかりと幼子を抱き、その成長を願うものだが、その観音さまは、菩薩と言うより、妙に人間的な息づかいを感じさせる野の仏さまで、心に残った。

江戸時代初期、奥州諸藩から江戸に送られる米は、多く海から船で運ばれ涸沼に入り、対岸の海老沢に荷揚げされると紅葉村まで陸送され、ふたたび船積みされて、北浦、利根川、江戸川を経て江戸に運ばれた。

紅葉運河は、この涸沼の海老沢から紅葉村までの陸送区間を船で結ぼうという、当時としては壮大な目論見の運河なのだった。

宝永四年(1707)、深刻な財政難に苦しんでいた水戸藩は、船運経路の発展と通航船からの交通税の取り立てをねらい、松波勘十郎という浪人事業家を起用して、この紅葉運河を起工した。それは、幅40~50メートル、深さは20メートル余り、延長10キロにもおよぶ運河を通すという大工事で、しかもそれをわずか半年で完成させようとしたのだった。

この工事のため、延べ百数十万人にのぼる農民が強制的に労役に駆り出され、賃金も支払われず酷使された。過酷な工事は、2年足らずの後、領内全域にわたる農民一揆を引き起こし、失敗に終わった。

「酷かったもんだよ」。堀端の家の古老に堀の由来を尋ねると、三百年も昔のことなのに、ほんの少し前に聞いたかのように、その様を語ってくれた。忘れ去られずに語り継がれるほど、過酷な歴史だったと言うことだろうか。

堀を見下ろす慈母観音菩薩さま

じつはボクは、堀のことではなく、堀端の慈母観音さまのことを尋ねたのだ。すると古老は、ひとしきり過酷だった運河工事の話をし、それから「それでな」と、慈母観音さまの話に入った。

「工事には、犠牲者も少なくなかったのよ。紅葉におった、かよさんという女房の旦那も駆り出され、事故に遭って簡単に死んでしもうた。かよさんには可愛がっている幼子がおってな。だが、労役で野良仕事が出来んかったから、金もなく食わせるものもなく、幼子も死んでしもうた。夫を亡くし子をなくし、つらかったろうなあ。それで世をはかなんだかよさんも、堀に身を投げて死んでしもうた」

堀を見下ろす慈母観音菩薩さまは、そのかよさんを供養する像だと言う。「観音さまは、あれはかよさんじゃ。かよさんと、かよさんの子じゃ」。だからいつも食べ物を供えて慰めていると、笑いのない眼で古老は語った。

慈母観音は、本来、母と子を護ってくれる菩薩と言われる。だが、木立の陰に立つこの観音さまには、子を守ることができなかった母の悲しみが満ちていた。

堀工事はずさんで、涸沼と紅葉との高低差を確かめることさえなく進められたから、結局、低池から高地へ水が流れる運河とはならず、通船を見ることはなかった。後の人々は、ただの溜まり水をたたえたこの堀を、工事を進めた松波勘十郎の名をとり、「勘十郎の馬鹿(ばか)っ堀」と呼んでいたが、今の人々は、勘十郎堀という名さえ、定かには知らないようだ。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

タロットカードで街を眺める ひたち野うしく《遊民通信》68

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【コラム・田口哲郎】
前略

オカルトが似合う街は新興住宅地だと前回書きました。新興住宅地は伝統的な宗教色がありません。そしてオカルトは伝統宗教とはちがった意味をもとめます。ですから、新しくできた、科学技術があちこちに感じられる新興住宅地を歩いていると、そこはかとなくオカルトの匂いを感じるのです。

現在のオカルトの源流は19世紀フランスに求められます。そのオカルティスムの祖はエリファス・レヴィとされています。レヴィはタロットカードをユダヤ神秘主義思想にもとづいて整備しました。この思想は歴史があり、ある意味伝統的です。それではオカルトは宗教的伝統がないわけではないではないか、と言われそうです。たしかに源流ではそうです。

でも、現在までさまざまな社会の変化を経たオカルトには、宗教的伝統の影はほとんどないと言えるでしょう。宗教の伝統で育ったオカルトが世の中に広まる途中で、旧来の宗教の養分を消化吸収して、新しい「宗教のようなもの」をつくろうとしています。

「Ⅵ 恋人たち」のカード

前置きが長くなりましたが、ここでタロットを使って、オカルトが似合う街を眺めてみたいと思います。私は散歩していて、オカルトと街をつなげてみたらどうかと思いつきました。今回は、ひたち野うしくを、タロットの大アルカナ(22枚)のなかの1枚をひいて、オカルト的に見てみます。よくカードを切って、1枚を選びました。出たカードは「Ⅵ 恋人たち」のカードです。

このカードの絵柄は、太陽の光のもとで、雲のなかに大天使がいます。地上にはアダムとイブを思わせる裸の男女が向かい合って立っています。大地の奥には高い山が遠くに見える。男女それぞれの背後には1本ずつ気があり、男の後ろの木は炎の花が咲いている。女の後ろの木にはリンゴがなっていて、幹にヘビがからんでいます。このカードは全体的にとても明るく美しいイメージです。

ひたち野うしくは超高齢社会にあってとても若い街です。子育て世代も多く、小・中・高生が多く歩いています。若い家族が子どもを育てて、活気がある街。これがこの「恋人たち」のタロットカードによく表れていると思います。1回1枚ひいただけではただの偶然じゃないかと言われそうですが、この偶然を信じることが、オカルトには大切だと思います。ごきげんよう。

草々
(散歩好きの文明批評家)

自分らしく生きるということ 《ハチドリ暮らし》27

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旅先で苔の生えた樹や岩を見つけました(筆者撮影)

【コラム・山口京子】「自分らしく生きる」というフレーズをよく見かけます。そんなとき、「自分とはなんだろう?」とわからなくなります。「自分らしく生きる」とは、他人の評価を気にしないで、自分の価値観を大事にして、自分の気持ちに正直に生きることを意味するようです。

では、自分が持つ価値観はどんなものなのか、自分の気持ちに向き合ってどんな気持ちが表れるのか…。自分が持つ価値観はどういう価値観か。それはどうやって形成されたものか。時代や社会、家族の影響が少なくないでしょう。今の自分の気持ちに向き合うとき、思うのはケンカはしたくないということです。

ケンカって、しようと思ってするのではなく、相手がいて、相手と合意がつかなくなって、聞き苦しい言葉があったりすると、手や足が出てしまう。物心ついたころから、父親が母親を殴ったり蹴ったりする光景を見てきました。酒が入ると一方的に殴りつける父親。しらふのときは借りてきた猫のような父に、殴ったことをまくしたて非難する母。その繰り返しが何十年も続きました。

子どものころ、妹とケンカして、泣かせてしまった記憶があります。結婚してからは夫とケンカになったり、子どもとケンカしたり大人気ない自分です。自分の至らなさと配慮のなさを自覚しないまま、自分が言っていることは正しいと一方的に主張していました。

自分も相手のこともきちんと知る

自分が正しいと思っていても、それは自分のご都合主義でしかなかったかもしれません。また、正しいと思っていたとして、それを相手に伝わる言葉で相手が納得できる裏付けをもって説明できたのか。相手の言い分をどれだけきちんと聞き取れたのか、感情的に反応しなかったか。…出来ていなかった。

それが出来るには時間がかかります。とても難しいと感じています。でも、穏やかに暮らしたいので、穏やかな人間関係を持ちたいのです。

自分のことも相手のこともきちんと知ろうとすること。自分の主張と相手の主張を踏まえて、時間軸も意識しながら合意を見つけること。時には、距離を置いてみること。事柄によっては、ほどほどで落ち着くようにすること。

「自分らしく生きる」というけれど、自分に執着しないほうが幸せに暮らせる気がします。最近は対面でのセミナーに呼ばれることが増えました。テーマについての自分の思いを相手に伝わる言葉で話すことの大切さを痛感しています。さまざまなテーマをいただいて、レジュメを作ることが楽しく、あっという間に時間が過ぎてしまいます。(消費生活アドバイザー)

杏の里と杏仁豆腐《続・平熱日記》137

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】「杏(あんず)の実がなったから!」というギャラリー「art cocoon(アートコクーン)みらい」の上沢さんからの知らせを受けて、またもや信州は千曲市にやって来た。梅雨の晴れ間、杏農家の柳町さんの車で畑に向かう。その光景は…梅に似た何千本? もある杏の樹には、黄色や赤みがかった大きな実がたわわになっていて、花の時期、桃源郷と見まがうばかりの杏畑は、私にとってはより興奮する「花より団子」状態となっていた。

もっと驚いたことに、この街にはいたるところに杏が植えられていて(中には直径50~60センチを超える木も)、街路樹や河川敷、民家の庭にも大きな杏がうそみたいになっているのだ。

こんな街、こんな風景、見たことない! とにかく一つ食べてみた。初めて食べる生杏は思ったより硬い、シャキシャキとした食感で、ただ甘いだけでないワイルドな味。値段も手頃で、生食用とジャム用を買い求めた。夏のような日差しの中だったけれど、信州の空気は気持ちよかった。

さて午後は、個展の案内状をデザインしてくれた西澤さんが松本に連れて行ってくれるという。およそ30年ぶりの松本。まずは日本書紀にも出てくるという浅間温泉のギャラリー「ゆこもり」を訪ねる。先祖から受け継いだという湯治場は、まさに文豪が滞在でもしていそうなたたずまい。高低差のある敷地を廊下で結んだ建物をリノベーションして展示スペースにしたというオーナーは、現在も滞在型のアートギャラリーを目指して改装中とのこと。

続いて、すぐ近くの「松本本箱」という温泉旅館と書店を合体させた、とてもおしゃれな施設も訪ねる。湯船や洗い場までもが本とくつろぎの空間となっていて驚いた。それから市内に移動して、友人が関わっている陶器店を訪ねたが、街は古いものと新しいものがうまく調和して多くの人でにぎわい、活気があった。

北アルプスや上高地などの自然や観光地にも恵まれ、音楽、演劇、クラフトなどでよく耳にする「松本」。市内を流れる女鳥羽(めとば)川の流れも清く、とても魅力的な街に思えた。

松・竹・梅 → 桃・李・杏

ところで、杏の種から杏仁豆腐(あんにんどうふ)を作りたいという上沢さん。実は杏仁豆腐は妻の大好物だったのだが、私は杏仁豆腐がそもそも杏の種の中身「杏仁」からできるなんてなんて思いもしなかった。調べてみると、食べられている杏仁豆腐のほとんどは杏の種とは別の似たものでできているとのこと。また、わりと簡単に種を割ることもできて、杏仁豆腐を作るのもそれほど難しくなさそうだ。

しかし、杏畑はご多分に漏れずの後継者不足で、今はNPO法人がそんな畑の面倒を見ているそうだ。農業体験としての収穫作業ツアーとか…。

世代を経て、「松」「竹」「梅」に代わって、今は「桃」「李」「杏」などの文字が名前によく使われる。名前に杏の字を持つアンズちゃん達を招待しての収穫祭とか。本物の杏を見ると、自分の名前にもより愛着が沸くと思う。6月下旬には、パーコットという桃のような大きさの品種が旬を迎えるそうだ。来年は、いや将来は、季節労働者として訪れるのも悪くない。(画家)

汚染水を海洋放出しないでください《邑から日本を見る》139

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田植えから2カ月。穂ばらみ期を迎える谷津田(撮影は筆者)

【コラム・先﨑千尋】国際原子力機関(IAEA)のラファイル・グロッシ事務局長は4日に首相官邸で岸田首相と会談し、東京電力福島第1原発の「処理水」を巡り、海洋放出の安全性に対する評価を含む包括報告書を渡した。また原子力規制委員会は7日に東電に海洋放出設備の検査適合の終了証を交付した。国際機関の「お墨付き」を得たので、岸田首相は「夏ごろ」とする放出時期を最終判断する、と伝えられている。

IAEAの報告書は、「処理水」の放出による人や環境への放射線への影響について、「放出計画は国際的な基準に準拠しており、影響は無視できるレベル」と評価。基準を超える濃度の処理水流出を避けるための放出設備の設計・安全管理や、原子力規制委員会の対応も適切、としている。しかし、報告書には「(政府の)方針を推奨するものでも、支持するものでもない」とも書いており、日本政府と一定の距離を置いている。

国と東電は2021年4月に海洋放出する方針を決定した。この決定により東電は放出設備工事を進めてきた。東電の計画では、「処理水」は大量の海水で100倍以上に薄め、トリチウム濃度を国の排出基準の40分の1未満にする。その上で、沖合1キロ先の海底トンネルの先端から放出する。放出時期は30年程度に及ぶ見通しだ。

これらの動きに対して、直接被害を受ける立場の漁業者は反対の姿勢を崩してこなかった。2015年に福島県漁業協同組合連合会(福島県漁連)は国と「関係者の理解なしには(処理水の)いかなる処分もしない」という文書を取り交わし、全国漁業協同組合連合会(全漁連)も、毎年の総会で海洋放出に反対する決議を続けてきている。

先月、西村康稔経済産業相は福島、茨城、宮城の漁連を訪れ、海洋放出への理解を求めたが、いずれの漁連も反対を表明している。

「差止め請求裁判を起こせばよい」

岸田首相は、国の内外に対して丁寧に説明を行っていきたいと語っているが、漁業者は反対の姿勢を崩していない。反対が続けば「理解」を得たことにはならない。村井嘉浩宮城県知事も5月19日、西村大臣に「海洋放出は漁業への風評被害が心配されるので、それ以外の処分方法を検討するよう」要請している。東京新聞は「10年かけてようやくという今、なぜ流すのか。風評被害はもう起きている」と報道している(7月5日)。

事故を起こした原発への地下水の流入を防ぐために凍土壁を作ったが、依然として地下水は原発敷地に入っている。これを止められれば、地下水が原発敷地に流入しなければ今ある「処理水」も増えない。海洋放出を行わないため、さらに廃炉作業を円滑に進めるために、この作業を最優先に進める必要がある。

汚染水の処理方法はいくつかあるが、そのまま保管すればいいではないか。いくら薄めても総量は変わらない。海に流された汚染水がどう動くのか、どのような被害が出るのか、誰も予測できない。

では、海洋放出を止める方法はあるのか。「原発を止めた裁判長」樋口英明さんは、「汚染水の差止め請求の裁判を起こせばいい」と話している(「日々の新聞」6月30日)。(元瓜連町長)

私学の学費補助590万円の崖《竹林亭日乗》6

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初夏の田んぼ(筆者撮影)

【コラム・片岡英明】昨年11月の茨城県議会で、県の森作宜民教育長は「中学生の進路選択に影響がないよう学級増の計画を示す」と答弁し、中学生徒に期待を持たせた。そして3月の県議会で、星田弘司県議がその計画を示すように求めた。

すると教育長は、つくば市の中学生がエリア内外の県立高校のほか、「私立学校などを含めた多様な選択肢の中から学校を選んで通学している」と、県立高学級増の計画を示さず、足踏みの答弁をした。

生徒の声に応え、つくばエリア県立高の入学枠を県平均水準まで引き上げる決断を示す場面なのに、後ろ向きであった。まるで、①定員割れの県立高に行って②交通費がかかるエリア外の高校も考えて③授業料は高いが私学もある―と聞こえる。

県が焦点をずらしているので、私たちの学習も、県立高の魅力アップ、通学やスクールバス問題、さらに私学の学費問題へと広がった。そこで、今回は私学の学費補助について考える。

私立高への学費補助の現状

私学振興助成法が1975年に成立し、私学への経常費助成が始まった。主な私学助成は、①学校運営のための経常費助成②生徒への授業料補助③生徒への入学金補助―の3つから成る。

<経常費助成>

茨城の2023年度の経常費助成(私立高校生1人当たり)は、国からの35万4027円に県の2万3505円を加えて、37万7532円である。

公立高校は生徒1人当たり約120万円の経費がかかると言う。その運営経費と私学経常費助成の差が保護者負担となり、私学の高学費を生んでいる。

昨年の茨城の私立高校初年度納入金は平均81万9691円である(内訳:授業料38万4875円、入学金18万3958円、施設費25万0858円=文科省学校基本調査)。

<授業料補助>

国は2010年度からの年収910万円未満の世帯に11万8000円支給することを始めた。さらに2020年度から、私立高校生に対する就学支援策を拡充させ、授業料部分について、年収590万円未満世帯には39万6000円の学費補助を開始した。

<入学金補助>

国と連動して各県も入学金補助を始め、茨城の場合は2017年度から年収350万円未満の世帯には9万6000円、同590万円未満の世帯には4万8000円の入学金補助を開始した。

私学もあると言うなら「崖」の解消を

国の授業料補助が年収590万円を境に低下することから、「590万円の崖」が発生、保護者負担が急増する。そのため各県は国の支援策充実に合わせ、それまで独自に行っていた授業料助成の仕組みを変え、年収基準緩和、補助額アップなどにより、崖の解消に努めた。

関東都県を見ると(独自加算分は県内在住のみ)、▽東京:年収910万まで46万9000円、▽埼玉:同500万まで59万6000円、同700万まで38万7000円、▽千葉:同590万まで52万2000円、同800万まで24万1000円、▽神奈川:同590万まで45万6000円、同700万まで19万3000円、▽群馬:同590~910万まで16万5120円。

茨城は、それまでの県独自の加算を都・他県のように授業料補助アップに切り替えず、県加算をやめた。そのため、私学の授業料補助は国の就学支援のみとなり、都・他県と比べ「590万の崖」は急になった。

高校進学前の中学生に「私学もある」と言うのなら、県は「590万の崖」を全力で解消してほしい。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)