土曜日, 4月 19, 2025
ホーム ブログ ページ 14

「勘十郎の馬鹿っ堀」 《写真だいすき》22

0
宝珠庵赤子:石仏は、人々を救ってくださる仏さまではなくて、救って欲しい人々の姿なのだと思いながら撮影することもある(撮影筆者)

【コラム・オダギ秀】何十年の時が流れても、いつまでも心に残る撮影は、少なくなかったが、いま、その地を訪ねたら、新しい住宅が並び、わずかな水溜(た)まりがあり、ここがあの撮影地だったかよと思った。

霞ケ浦の北岸近くに、紅葉(もみじ)と言う美しい名の集落があり、そこに紅葉運河という古い大きな堀跡がある。堀は、紅葉から大洗に近い涸沼の海老沢という入り江まで、途切れ途切れにつながっていた。その堀は三百年ほども前、運河として掘られたものだが、数十年前の撮影に訪ねた頃は、田んぼや溜め池となっているところがあって、水をたたえてはいても流れてはいず、もちろん運河とは言えず、ただの水溜まりの連なりであった。

堀を見下ろす土手の木立の中に、素朴な小さな石の慈母観音菩薩さまがあった。慈母観音は、子安観音とか子育て観音などと呼ぶこともあり、しっかりと幼子を抱き、その成長を願うものだが、その観音さまは、菩薩と言うより、妙に人間的な息づかいを感じさせる野の仏さまで、心に残った。

江戸時代初期、奥州諸藩から江戸に送られる米は、多く海から船で運ばれ涸沼に入り、対岸の海老沢に荷揚げされると紅葉村まで陸送され、ふたたび船積みされて、北浦、利根川、江戸川を経て江戸に運ばれた。

紅葉運河は、この涸沼の海老沢から紅葉村までの陸送区間を船で結ぼうという、当時としては壮大な目論見の運河なのだった。

宝永四年(1707)、深刻な財政難に苦しんでいた水戸藩は、船運経路の発展と通航船からの交通税の取り立てをねらい、松波勘十郎という浪人事業家を起用して、この紅葉運河を起工した。それは、幅40~50メートル、深さは20メートル余り、延長10キロにもおよぶ運河を通すという大工事で、しかもそれをわずか半年で完成させようとしたのだった。

この工事のため、延べ百数十万人にのぼる農民が強制的に労役に駆り出され、賃金も支払われず酷使された。過酷な工事は、2年足らずの後、領内全域にわたる農民一揆を引き起こし、失敗に終わった。

「酷かったもんだよ」。堀端の家の古老に堀の由来を尋ねると、三百年も昔のことなのに、ほんの少し前に聞いたかのように、その様を語ってくれた。忘れ去られずに語り継がれるほど、過酷な歴史だったと言うことだろうか。

堀を見下ろす慈母観音菩薩さま

じつはボクは、堀のことではなく、堀端の慈母観音さまのことを尋ねたのだ。すると古老は、ひとしきり過酷だった運河工事の話をし、それから「それでな」と、慈母観音さまの話に入った。

「工事には、犠牲者も少なくなかったのよ。紅葉におった、かよさんという女房の旦那も駆り出され、事故に遭って簡単に死んでしもうた。かよさんには可愛がっている幼子がおってな。だが、労役で野良仕事が出来んかったから、金もなく食わせるものもなく、幼子も死んでしもうた。夫を亡くし子をなくし、つらかったろうなあ。それで世をはかなんだかよさんも、堀に身を投げて死んでしもうた」

堀を見下ろす慈母観音菩薩さまは、そのかよさんを供養する像だと言う。「観音さまは、あれはかよさんじゃ。かよさんと、かよさんの子じゃ」。だからいつも食べ物を供えて慰めていると、笑いのない眼で古老は語った。

慈母観音は、本来、母と子を護ってくれる菩薩と言われる。だが、木立の陰に立つこの観音さまには、子を守ることができなかった母の悲しみが満ちていた。

堀工事はずさんで、涸沼と紅葉との高低差を確かめることさえなく進められたから、結局、低池から高地へ水が流れる運河とはならず、通船を見ることはなかった。後の人々は、ただの溜まり水をたたえたこの堀を、工事を進めた松波勘十郎の名をとり、「勘十郎の馬鹿(ばか)っ堀」と呼んでいたが、今の人々は、勘十郎堀という名さえ、定かには知らないようだ。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

タロットカードで街を眺める ひたち野うしく《遊民通信》68

0

【コラム・田口哲郎】
前略

オカルトが似合う街は新興住宅地だと前回書きました。新興住宅地は伝統的な宗教色がありません。そしてオカルトは伝統宗教とはちがった意味をもとめます。ですから、新しくできた、科学技術があちこちに感じられる新興住宅地を歩いていると、そこはかとなくオカルトの匂いを感じるのです。

現在のオカルトの源流は19世紀フランスに求められます。そのオカルティスムの祖はエリファス・レヴィとされています。レヴィはタロットカードをユダヤ神秘主義思想にもとづいて整備しました。この思想は歴史があり、ある意味伝統的です。それではオカルトは宗教的伝統がないわけではないではないか、と言われそうです。たしかに源流ではそうです。

でも、現在までさまざまな社会の変化を経たオカルトには、宗教的伝統の影はほとんどないと言えるでしょう。宗教の伝統で育ったオカルトが世の中に広まる途中で、旧来の宗教の養分を消化吸収して、新しい「宗教のようなもの」をつくろうとしています。

「Ⅵ 恋人たち」のカード

前置きが長くなりましたが、ここでタロットを使って、オカルトが似合う街を眺めてみたいと思います。私は散歩していて、オカルトと街をつなげてみたらどうかと思いつきました。今回は、ひたち野うしくを、タロットの大アルカナ(22枚)のなかの1枚をひいて、オカルト的に見てみます。よくカードを切って、1枚を選びました。出たカードは「Ⅵ 恋人たち」のカードです。

このカードの絵柄は、太陽の光のもとで、雲のなかに大天使がいます。地上にはアダムとイブを思わせる裸の男女が向かい合って立っています。大地の奥には高い山が遠くに見える。男女それぞれの背後には1本ずつ気があり、男の後ろの木は炎の花が咲いている。女の後ろの木にはリンゴがなっていて、幹にヘビがからんでいます。このカードは全体的にとても明るく美しいイメージです。

ひたち野うしくは超高齢社会にあってとても若い街です。子育て世代も多く、小・中・高生が多く歩いています。若い家族が子どもを育てて、活気がある街。これがこの「恋人たち」のタロットカードによく表れていると思います。1回1枚ひいただけではただの偶然じゃないかと言われそうですが、この偶然を信じることが、オカルトには大切だと思います。ごきげんよう。

草々
(散歩好きの文明批評家)

自分らしく生きるということ 《ハチドリ暮らし》27

0
旅先で苔の生えた樹や岩を見つけました(筆者撮影)

【コラム・山口京子】「自分らしく生きる」というフレーズをよく見かけます。そんなとき、「自分とはなんだろう?」とわからなくなります。「自分らしく生きる」とは、他人の評価を気にしないで、自分の価値観を大事にして、自分の気持ちに正直に生きることを意味するようです。

では、自分が持つ価値観はどんなものなのか、自分の気持ちに向き合ってどんな気持ちが表れるのか…。自分が持つ価値観はどういう価値観か。それはどうやって形成されたものか。時代や社会、家族の影響が少なくないでしょう。今の自分の気持ちに向き合うとき、思うのはケンカはしたくないということです。

ケンカって、しようと思ってするのではなく、相手がいて、相手と合意がつかなくなって、聞き苦しい言葉があったりすると、手や足が出てしまう。物心ついたころから、父親が母親を殴ったり蹴ったりする光景を見てきました。酒が入ると一方的に殴りつける父親。しらふのときは借りてきた猫のような父に、殴ったことをまくしたて非難する母。その繰り返しが何十年も続きました。

子どものころ、妹とケンカして、泣かせてしまった記憶があります。結婚してからは夫とケンカになったり、子どもとケンカしたり大人気ない自分です。自分の至らなさと配慮のなさを自覚しないまま、自分が言っていることは正しいと一方的に主張していました。

自分も相手のこともきちんと知る

自分が正しいと思っていても、それは自分のご都合主義でしかなかったかもしれません。また、正しいと思っていたとして、それを相手に伝わる言葉で相手が納得できる裏付けをもって説明できたのか。相手の言い分をどれだけきちんと聞き取れたのか、感情的に反応しなかったか。…出来ていなかった。

それが出来るには時間がかかります。とても難しいと感じています。でも、穏やかに暮らしたいので、穏やかな人間関係を持ちたいのです。

自分のことも相手のこともきちんと知ろうとすること。自分の主張と相手の主張を踏まえて、時間軸も意識しながら合意を見つけること。時には、距離を置いてみること。事柄によっては、ほどほどで落ち着くようにすること。

「自分らしく生きる」というけれど、自分に執着しないほうが幸せに暮らせる気がします。最近は対面でのセミナーに呼ばれることが増えました。テーマについての自分の思いを相手に伝わる言葉で話すことの大切さを痛感しています。さまざまなテーマをいただいて、レジュメを作ることが楽しく、あっという間に時間が過ぎてしまいます。(消費生活アドバイザー)

杏の里と杏仁豆腐《続・平熱日記》137

0
絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】「杏(あんず)の実がなったから!」というギャラリー「art cocoon(アートコクーン)みらい」の上沢さんからの知らせを受けて、またもや信州は千曲市にやって来た。梅雨の晴れ間、杏農家の柳町さんの車で畑に向かう。その光景は…梅に似た何千本? もある杏の樹には、黄色や赤みがかった大きな実がたわわになっていて、花の時期、桃源郷と見まがうばかりの杏畑は、私にとってはより興奮する「花より団子」状態となっていた。

もっと驚いたことに、この街にはいたるところに杏が植えられていて(中には直径50~60センチを超える木も)、街路樹や河川敷、民家の庭にも大きな杏がうそみたいになっているのだ。

こんな街、こんな風景、見たことない! とにかく一つ食べてみた。初めて食べる生杏は思ったより硬い、シャキシャキとした食感で、ただ甘いだけでないワイルドな味。値段も手頃で、生食用とジャム用を買い求めた。夏のような日差しの中だったけれど、信州の空気は気持ちよかった。

さて午後は、個展の案内状をデザインしてくれた西澤さんが松本に連れて行ってくれるという。およそ30年ぶりの松本。まずは日本書紀にも出てくるという浅間温泉のギャラリー「ゆこもり」を訪ねる。先祖から受け継いだという湯治場は、まさに文豪が滞在でもしていそうなたたずまい。高低差のある敷地を廊下で結んだ建物をリノベーションして展示スペースにしたというオーナーは、現在も滞在型のアートギャラリーを目指して改装中とのこと。

続いて、すぐ近くの「松本本箱」という温泉旅館と書店を合体させた、とてもおしゃれな施設も訪ねる。湯船や洗い場までもが本とくつろぎの空間となっていて驚いた。それから市内に移動して、友人が関わっている陶器店を訪ねたが、街は古いものと新しいものがうまく調和して多くの人でにぎわい、活気があった。

北アルプスや上高地などの自然や観光地にも恵まれ、音楽、演劇、クラフトなどでよく耳にする「松本」。市内を流れる女鳥羽(めとば)川の流れも清く、とても魅力的な街に思えた。

松・竹・梅 → 桃・李・杏

ところで、杏の種から杏仁豆腐(あんにんどうふ)を作りたいという上沢さん。実は杏仁豆腐は妻の大好物だったのだが、私は杏仁豆腐がそもそも杏の種の中身「杏仁」からできるなんてなんて思いもしなかった。調べてみると、食べられている杏仁豆腐のほとんどは杏の種とは別の似たものでできているとのこと。また、わりと簡単に種を割ることもできて、杏仁豆腐を作るのもそれほど難しくなさそうだ。

しかし、杏畑はご多分に漏れずの後継者不足で、今はNPO法人がそんな畑の面倒を見ているそうだ。農業体験としての収穫作業ツアーとか…。

世代を経て、「松」「竹」「梅」に代わって、今は「桃」「李」「杏」などの文字が名前によく使われる。名前に杏の字を持つアンズちゃん達を招待しての収穫祭とか。本物の杏を見ると、自分の名前にもより愛着が沸くと思う。6月下旬には、パーコットという桃のような大きさの品種が旬を迎えるそうだ。来年は、いや将来は、季節労働者として訪れるのも悪くない。(画家)

汚染水を海洋放出しないでください《邑から日本を見る》139

0
田植えから2カ月。穂ばらみ期を迎える谷津田(撮影は筆者)

【コラム・先﨑千尋】国際原子力機関(IAEA)のラファイル・グロッシ事務局長は4日に首相官邸で岸田首相と会談し、東京電力福島第1原発の「処理水」を巡り、海洋放出の安全性に対する評価を含む包括報告書を渡した。また原子力規制委員会は7日に東電に海洋放出設備の検査適合の終了証を交付した。国際機関の「お墨付き」を得たので、岸田首相は「夏ごろ」とする放出時期を最終判断する、と伝えられている。

IAEAの報告書は、「処理水」の放出による人や環境への放射線への影響について、「放出計画は国際的な基準に準拠しており、影響は無視できるレベル」と評価。基準を超える濃度の処理水流出を避けるための放出設備の設計・安全管理や、原子力規制委員会の対応も適切、としている。しかし、報告書には「(政府の)方針を推奨するものでも、支持するものでもない」とも書いており、日本政府と一定の距離を置いている。

国と東電は2021年4月に海洋放出する方針を決定した。この決定により東電は放出設備工事を進めてきた。東電の計画では、「処理水」は大量の海水で100倍以上に薄め、トリチウム濃度を国の排出基準の40分の1未満にする。その上で、沖合1キロ先の海底トンネルの先端から放出する。放出時期は30年程度に及ぶ見通しだ。

これらの動きに対して、直接被害を受ける立場の漁業者は反対の姿勢を崩してこなかった。2015年に福島県漁業協同組合連合会(福島県漁連)は国と「関係者の理解なしには(処理水の)いかなる処分もしない」という文書を取り交わし、全国漁業協同組合連合会(全漁連)も、毎年の総会で海洋放出に反対する決議を続けてきている。

先月、西村康稔経済産業相は福島、茨城、宮城の漁連を訪れ、海洋放出への理解を求めたが、いずれの漁連も反対を表明している。

「差止め請求裁判を起こせばよい」

岸田首相は、国の内外に対して丁寧に説明を行っていきたいと語っているが、漁業者は反対の姿勢を崩していない。反対が続けば「理解」を得たことにはならない。村井嘉浩宮城県知事も5月19日、西村大臣に「海洋放出は漁業への風評被害が心配されるので、それ以外の処分方法を検討するよう」要請している。東京新聞は「10年かけてようやくという今、なぜ流すのか。風評被害はもう起きている」と報道している(7月5日)。

事故を起こした原発への地下水の流入を防ぐために凍土壁を作ったが、依然として地下水は原発敷地に入っている。これを止められれば、地下水が原発敷地に流入しなければ今ある「処理水」も増えない。海洋放出を行わないため、さらに廃炉作業を円滑に進めるために、この作業を最優先に進める必要がある。

汚染水の処理方法はいくつかあるが、そのまま保管すればいいではないか。いくら薄めても総量は変わらない。海に流された汚染水がどう動くのか、どのような被害が出るのか、誰も予測できない。

では、海洋放出を止める方法はあるのか。「原発を止めた裁判長」樋口英明さんは、「汚染水の差止め請求の裁判を起こせばいい」と話している(「日々の新聞」6月30日)。(元瓜連町長)

私学の学費補助590万円の崖《竹林亭日乗》6

0
初夏の田んぼ(筆者撮影)

【コラム・片岡英明】昨年11月の茨城県議会で、県の森作宜民教育長は「中学生の進路選択に影響がないよう学級増の計画を示す」と答弁し、中学生徒に期待を持たせた。そして3月の県議会で、星田弘司県議がその計画を示すように求めた。

すると教育長は、つくば市の中学生がエリア内外の県立高校のほか、「私立学校などを含めた多様な選択肢の中から学校を選んで通学している」と、県立高学級増の計画を示さず、足踏みの答弁をした。

生徒の声に応え、つくばエリア県立高の入学枠を県平均水準まで引き上げる決断を示す場面なのに、後ろ向きであった。まるで、①定員割れの県立高に行って②交通費がかかるエリア外の高校も考えて③授業料は高いが私学もある―と聞こえる。

県が焦点をずらしているので、私たちの学習も、県立高の魅力アップ、通学やスクールバス問題、さらに私学の学費問題へと広がった。そこで、今回は私学の学費補助について考える。

私立高への学費補助の現状

私学振興助成法が1975年に成立し、私学への経常費助成が始まった。主な私学助成は、①学校運営のための経常費助成②生徒への授業料補助③生徒への入学金補助―の3つから成る。

<経常費助成>

茨城の2023年度の経常費助成(私立高校生1人当たり)は、国からの35万4027円に県の2万3505円を加えて、37万7532円である。

公立高校は生徒1人当たり約120万円の経費がかかると言う。その運営経費と私学経常費助成の差が保護者負担となり、私学の高学費を生んでいる。

昨年の茨城の私立高校初年度納入金は平均81万9691円である(内訳:授業料38万4875円、入学金18万3958円、施設費25万0858円=文科省学校基本調査)。

<授業料補助>

国は2010年度からの年収910万円未満の世帯に11万8000円支給することを始めた。さらに2020年度から、私立高校生に対する就学支援策を拡充させ、授業料部分について、年収590万円未満世帯には39万6000円の学費補助を開始した。

<入学金補助>

国と連動して各県も入学金補助を始め、茨城の場合は2017年度から年収350万円未満の世帯には9万6000円、同590万円未満の世帯には4万8000円の入学金補助を開始した。

私学もあると言うなら「崖」の解消を

国の授業料補助が年収590万円を境に低下することから、「590万円の崖」が発生、保護者負担が急増する。そのため各県は国の支援策充実に合わせ、それまで独自に行っていた授業料助成の仕組みを変え、年収基準緩和、補助額アップなどにより、崖の解消に努めた。

関東都県を見ると(独自加算分は県内在住のみ)、▽東京:年収910万まで46万9000円、▽埼玉:同500万まで59万6000円、同700万まで38万7000円、▽千葉:同590万まで52万2000円、同800万まで24万1000円、▽神奈川:同590万まで45万6000円、同700万まで19万3000円、▽群馬:同590~910万まで16万5120円。

茨城は、それまでの県独自の加算を都・他県のように授業料補助アップに切り替えず、県加算をやめた。そのため、私学の授業料補助は国の就学支援のみとなり、都・他県と比べ「590万の崖」は急になった。

高校進学前の中学生に「私学もある」と言うのなら、県は「590万の崖」を全力で解消してほしい。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

「翻訳」に必要なもの 《ことばのおはなし》59

0
写真は筆者

【コラム・山口絹記】前回の記事では、翻訳について考えるために、通訳と翻訳の考え方の違いについて書いた。今回は翻訳(英語から日本語)の難しい部分について、実例を交えながら書いてみようと思う。

さっそくだが、 “prom(プロム)”ということばをご存じだろうか。 これはアメリカのハイスクールの伝統的なダンスパーティーを指す単語なのだが、プロムを経験したことのある日本人は当然ながら少ない。今、私はニュースサイトのコラム記事を書いているわけで、”プロム”という文化について長々と連載記事を書いてもよいわけだが(記事としての価値があるかは別)、小説の翻訳となるとそうはいかないだろう。これは、文化の違いによる翻訳の難しさだ。

また、安易な引用は避けるが、宗教的なイディオム、テキストの引用、習慣や儀式を背景に持つ文脈の翻訳が難しいのは想像できるだろう。キリスト教圏においてどれだけの割合が聖書を読んでいるかはわからないが、日本人のそれよりも多いことは間違いない。これは「宗教の違い」による難しさ、ととらえてもよいのだが、もっとわかりやすく言うと「常識」の違いだ。

「常識」ということばの扱いもまた難しいのだが、例えば一般的に『桃太郎』のおおまかなストーリーを知らない日本人はかなり希少と言っていいだろう。普段から意識することはあまりないだろうが、日本に生まれ育った者であれば、『桃太郎』という単語一つでかなり多くの文脈を共有できる。”どんぶらこ”でも”鬼退治”でも”きびだんご”でもよい。ちょっとした単語から、私たちは多くの共通したイメージを共有できる。これって実はすごいことだとは思わないだろうか?

「英語力」ではない部分が試される

では翻って、このコラムを読んでいる方の中に、『トム・ソーヤーの冒険』を読んだことがある方はどれだけいるだろう? 『ハックルベリー・フィンの冒険』は? その中に登場する文脈、センテンスが引用されたり、少しもじられたりしたら、どれだけの日本人が理解できるだろうか。これが誤解を恐れずに言ってしまえば「常識」の強さであり、その「常識」が共有できなかった場合は、相互理解のうえでおおきな足かせになることは想像に難くない。

実のところ私自身、海外小説を原文で読んでいると、いまいち何のことだかわからないことがままあるのだ。文脈から察するに、こういう場面が描かれているのだろうな、というのはわかるのだが、本当に理解しようとすると、いわゆる「英語力」ではない部分が試される場面が非常に多い。そしてこれは、海外の論文やニュースなどを読んでいる時より、児童文学を読んでいるときの方が多かったりするのだ。

あらゆる文化の違いを乗り越えて文章を理解するための知識と経験と想像力、そして、それを他者に伝えるための文章力が翻訳という行為に必要な最低限の資質だと私は考えている。次回は、ここからさらに一歩進んだ難しさについて書いていこうと思う。(言語研究者)

常陸利根川沿い香取市 佐原の大祭《日本一の湖のほとりにある街の話》13

0
イラストは筆者

【コラム・若田部哲】小江戸三市の一つとして知られる、千葉県香取市佐原。江戸時代、江戸を洪水から守るため利根川の東遷(とうせん)が行われたことから、利根川の水運と陸路の結節点として栄えた商業都市です。本コラムは「周長日本一の湖」霞ケ浦の周りの様々な営みをご紹介する連載。香取市って霞ケ浦に接していないのでは?とお思いの方もおられるかと思います。

ですが、古代、霞ケ浦は「香取海(かとりのうみ)」という広大な内海であり、堆積や干拓などの結果、現在の霞ケ浦(西浦)、北浦、常陸利根川へと姿を変えました。広義の霞ケ浦とはこの3つの水系の総体であり、香取市は北側でこのうちの常陸利根川に接しているのです。

この香取市を代表する「佐原の大祭」は300年以上の伝統を持ち、国の重要無形民俗文化財、ユネスコ無形文化遺産にも登録され、その文化的価値が非常に高く評価されているお祭り。今回は、千葉県唯一の重要伝統建造物群保存地区である佐原の町並みの中で開催される、この祭礼についてのご紹介です。

歴史的な町並みを山車が進む

祭りの間、町に響く「佐原囃子(はやし)」は日本三大囃子にも数えられており、このお囃子にのせて、歴史的な建物が建ち並ぶ佐原の町並みの中を、山車が家々の軒先すれすれに進みます。その様は迫力・風情とも圧巻の一言、関東三大山車祭りの一つに数えられるのもさもありなんというものです。

大祭は、7月の「八坂神社祇園祭」と、10月の「諏訪神社秋祭り」の2つのお祭りに分かれており、夏は小野川の東側に10台の山車が、秋は小野川の西側に14台の山車が登場。この山車、町内ごとにそれぞれとても個性豊かで、いずれも総欅(ひのき)造りの本体に重厚な彫刻が施され、上部には江戸・明治期に制作された、高さ4メートルにも及ぶ大人形が飾られています。

人形は「イザナギ」「スサノオノミコト」など日本神話にちなむものや、「神武天皇」「源頼義」などの歴史上の人物など様々。ちょっとユーモラスなものとして、「浦島太郎」や「鯉」などのものもあります。

若頭の打つ拍子木に合わせ、小野川沿いを曳き回される様はもちろん、狭い道路で山車がすれ違う場面も迫力満点。豪快な山車の引き回しと伝統的な町並みが織りなす風情を求め、35万人もの観光客が訪れるそう。まだご覧になっていない方は必見、江戸情緒あふれる素晴らしいお祭りです!(土浦市職員)

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

これまで紹介した場所はこちら

防衛予算・財源の見通し《雑記録》49

0
写真は筆者

【コラム・瀧田薫】6月16日、参院本会議で「防衛財源確保法」が可決され、成立した。衆議院のホームページ「立法情報」によれば、法案時の名称は「我が国の防衛力の抜本的な強化等のために必要な財源の確保に関する特別措置法案」とあり、議案の種類としては「閣法」(内閣提出法案)とされている。

条文を一読した感想を率直に述べれば、自民党・防衛族議員を核として集合した利害関係者(与党議員、防衛省官僚と制服組、防衛関連企業とそのエージェント、金融機関その他)、その間で複雑に絡み合う思惑や利害得失、それに伴う権力闘争など、そこに生じた軋轢(あつれき)や混沌(こんとん)の様(さま)が透けて見える法案となっている。

特に財源確保の方法について、問題の先送りが目立ち、近い将来、こうした欠陥の修正が必要になると思わせる内容だ。

たとえば、増税をさけるために、「歳出改革」「決算剰余金」「国有財産の売却」「建設国債の防衛費転用」など、税金以外の収入を複数年にわたって確保することとして、一般会計に「防衛力強化資金」を創設することになったが、どれをとっても安定財源とは言えない代物だ。「歳出改革」は民主党政権時代の「事業仕分け」を思い出させる。

「決算剰余金」はもともと補正予算の財源に充てられてきたものであり、これを防衛費に転用してしまえば、コロナ禍後に膨張した補正予算の財源として赤字国債のさらなる増発が必要になるだろう。「国有財産の売却」は複数年度にわたって確保できるはずもない。

建設国債の軍事転用は戦争の教訓により、戦後長く「禁じ手」とされてきた。建設国債の使い道は公共事業(橋や道路)であり、この場合は資産として国富増につながるが、防衛費に転用すれば、その効用は失われる。建設国債の防衛費転用は増税の幅を少しでも小さくするための苦肉の策であろう。

国力は軍事力だけでなく総合力

結局、防衛費の財源は、赤字国債か増税の二者択一あるいは併用のどちらかに求めるしかないと思われる。いずれにしても、この先、国民にとって厳しい状況が待っている。インフレが続き、金利が1%上昇すれば、国債償還のために年間約3兆円強のお金が新たに必要になる。そうなれば、防衛費増など絵に描いた餅になる。

金利がさらに上昇すれば、財政破綻の可能性すらある。大増税となれば、消費が低迷し日本経済の地盤沈下が加速しかねない。

1940年代、大日本帝国の指導者は「日米開戦やむなし」として、勝算のない国家総力戦に乗り出した。現在、「防衛費増額やむなし」として、そこで思考停止してしまえば、この国の将来に明るい展望が持てなくなる。つまり、今回成立した「防衛財源確保法」については、この国の安全保障を考えるための一つのたたき台でしかないとの認識に立つべきなのである。

本来、国力というものは軍事力だけでなく、外交力、経済力、技術開発力、情報力そして教育も加わってはじめて更新される総合的な力であることを忘れてはなるまい。(茨城キリスト教大学名誉教授)

土浦市議会の珍事 少数派連合が議長選出《吾妻カガミ》161

0
6月議会最終日の土浦市議会

【コラム・坂本栄】4月の土浦市議選挙で当選した議員による初議会が6月に開かれました。その初仕事ともいえる議長選びで、最大会派から議長を出すという慣例が破られ、複数小会派と無所属の議員が語り合って小会派の代表を議長に選出するという珍事が起こりました。これまで比較的平穏に運営されてきた市議会、これからは一波乱あるかもしれません。

公明党が独自候補→最大会派が敗北

今春の市議選のあと、市議会(定数24)の会派(議員グループ)色分けは、郁政会8、新勇会4、公明党4、共産党2、政新会2、社民党1、無所属3になりました。

議長選びは長い間、郁政会(選挙前は11)から内々候補を出し、公明党が内々支持して選出するというパターンが続いてきました。ところが今回は、新勇会4+共産党2+政新会2+社民党1+無所属2=11が島岡宏明氏(新勇会)を担ぐことで内々合意。公明党4が慣例を破って自会派の吉田千鶴子氏を内々立てたことから、郁政会8+無所属1=9が内々推す勝田達也氏(郁政会)が島岡氏に敗れました。

簡単に言えば、異なった政治理念を持つ小会派と無所属の議員が連合し、公明党が自前の候補を擁立して事実上の中立姿勢を貫いた結果、これまで議長を輩出してきた最大会派が敗北するという図式です。土浦市議会で一体何が起きているのでしょうか?

市長選前哨戦と反郁政会工作の場に

歴代議長(現職では海老原一郎氏→篠塚昌毅氏→小坂博氏。その前の内田卓氏→矢口清氏は今春引退)が属する郁政会の複数議員に何があったのか聞き出しました。

「春の市議選直後に郁政会を抜けて新勇会を立ち上げた島岡氏が多数派工作に動いた。安藤真理子市長は水面下で島岡氏を応援した」「前回市長選で郁政会は4期市長をやった中川清氏を推しており、今秋の市長選で2期目を狙う安藤市長としては郁政会の影響力を弱めたかった」「島岡氏の議長就任によって新勇会を核とする小会派が親安藤市長グループを形成することになる」

要するに、議長選出の場が市長選前哨戦と反郁政会工作の場にもなったということです。ドラマチックな展開であり、土浦市議会も面白くなってきました。

「若い新議員の声を反映させたい」

上記の解説については島岡議長と安藤市長に、郁政会にも小会派連合にも距離を置いた公明党の動きについては平石勝司代表に、聞いてみました。

「若い議員と新しい議員の声を議会に反映させたいと考えていた。議長選に挑んだのはその一環。若手や新人と勉強しながら(郁政会に多いベテラン議員から)若い議員にバトンをつないでいきたい。郁政会を出たのは重要教育関係事案で会派の他議員と考え方が違ったこともある」(島岡議長)。「いろいろな動きがあることは知っていたが、議会がやることに市長は関与してはいけないし、現に関与していない」(安藤市長)。

「他の2議長候補(いずれも3期目)に比べ市議歴が長く人物的にも優れた自会派の吉田議員(6期目)を立てた。議会に出される議案については是々非々(賛成も反対もする)で対応していく」(平石代表)。

いずれにしても、16年続いた中川時代の議会秩序が安藤市政下で崩れつつあるのは確かです。今回の議長選びを機に郁政会が反市長に傾き、議長選出では同調したものの理念が違う少数会派連合がばらけると、独自の立ち位置を保つ公明党が「キャスティングボート」を握ることになります。(経済ジャーナリスト)

「転ばないようにね」の危険性《続・気軽にSOS》136

0

【コラム・浅井和幸】高齢になると転倒事故はとても危険です。大けがにつながったり、歩行困難になる障害が残ったりすることもあるでしょう。なので、出来るだけ「転ばないようにね」と声をかけることは間違っていません。

さらに転倒防止のために、転倒リスクがある場所に手すりをつけたり、滑りにくい素材の床材を使ったり、段差をなくしたりと対応します。これらの手法は、転倒しにくい環境づくりとして推奨されます。

転倒リスクは環境だけではありません。高齢者自身の筋力や運動能力、視力などの衰えも転倒リスクとなります。なので、運動をすることも推奨されるのです。

ですが、環境づくりがうまくいくことで転倒しにくくなりますから、運動などして自分を鍛える必要がなくなるという捉え方もできます。そうなると、自分自身の能力である部分での転倒リスクが上がるということが起こるでしょう。バリアフリーが進みすぎると、余計に転倒しやすくなると言われるゆえんです。

転倒防止のために、運動をして自分自身の転倒リスクを下げることになります。そこで、転ばない練習と転ぶ練習が大切で、両者は似て非なるものです。柔道で相手がこちらを倒そうとしてくるところを、一生懸命にバランスをとってこらえるのが倒れない練習で、自ら積極的に倒れて受け身の練習をするのが倒れる練習と言えるでしょう。

そうは言っても高齢化すれば、努力しても筋力や運動能力が相対的に下がっていくので、転ぶ練習をしろとは言いにくいものです。転ぶ練習で骨折したら目も当てられません。それでも、出来る範囲で練習をした方がよいのではないかなと思います。

それが、まだまだ成長段階の未成年から中高年までであれば、積極的に転ぶ練習をした方がよいでしょうね。転ばない練習で得た身体操作は、いざ転んでしまったときには役に立たない技量ですから。

失敗によって得られる貴重な経験

これは、勉強でも、仕事でも、人間関係でも、他の社会生活でもすべてに当てはまります。自己肯定感とか、成功体験とかの経験、練習はとても大切です。ですが、いかに失敗した経験から立ち直れるかの練習もとても大切なものなのです。成功体験ばかりに意識が偏ってしまうと、いざ失敗した時に受け身が取れずに大きな支障が出てしまうことになりかねないのです。

絶対負けられない試合、絶対失敗してはいけないこと、絶対に…、このような場面が生きていてどれぐらいあるものなのでしょうか。絶対ミスをしてはいけないのであれば物事を行わない、絶対負けないと言うことは明らかに弱い相手と戦うか、試合をしない、ひきこもれということになります。

親や支援者が、子どもや被支援者から失敗によって得られる貴重な経験を奪ってはいけません。自分が前に進めなくなったとき、どう相手に接してよいか分からなくなったとき、失敗しない方法ばかりでなく、どこまでなら失敗してもよいだろう、失敗させてもよいだろうかと考えるくせをつけることで、道が見えることもあります。(精神保健福祉士)

里山の昆虫に見る生物多様性《宍塚の里山》102

0
宍塚の里山で見られる昆虫たち(写真説明は文末に)

【コラム・吉武直子】近年、COP18(国連気候変動枠組条約第18回締約国会議)の生物多様性戦略やSDGs(持続可能な開発目標)に見られるように、健全な生物多様性を保つことが世界的に重要な課題となっています。

里山は人が手を入れて維持管理してきた環境で、林、田んぼ、草地、池、水路、湿地といった、いくつもの異なる小さな環境の複合から成り立っています。そこには多くの生物が生息しています。中でも昆虫は様々な環境に適応し進化した生物で、言い換えればどんなところにでもいるとも言え、このような複合環境では非常に多くの種を確認することができます。

また、植食性昆虫や訪花昆虫に見られるように昆虫と植物の間には利用しあう深い相互関係があり、生息する植物の種数が多ければ昆虫の種数も多いとも言えます。今回のコラムでは、この昆虫についてお話します。

未知の種が見つかる可能性

宍塚の里山からは何種もの昆虫の新種が発見されています。近年での一例を挙げると、1994年にNipponosega yamanei Nicolai V. Kurzenko Arkady S. Lelej 1994 ナナフシヤドリバチ、2020年にPilophorus satoyamanus Yasunaga Duwal Nakatani, 2020 カスミカメムシ科の1種が新種記載されています。

生物の新種は、その種の1個体以上の標本を指定し、特徴や近縁種との区別を明確に記した記載論文を発表することで認められます。これらの種も宍塚で採集された標本を元に書かれています。踏査し、採集し、調べれば、宍塚からこれから先も未知の種が見つかる可能性が大いにあります。

生物種の記録を共有する

ある地域にどんな生物種がいるのか、過去どんな生物種がいたのか、地域生物相を知ることは生物多様性の保全の基礎となるものです。生物の種名を決定する同定はその中で不可欠な作業です。

脊椎動物では目視、全形写真、声、食痕や足跡から同定できるものがほとんどです。昆虫は大型種では同定ポイントが写った全形写真、セミ類やコオロギ類のように種固有の鳴音を発する種ではその音から同定ができますが、小さな昆虫では体の外部構造を細かく観察する必要があります。

そのため、小さな昆虫は乾燥してマウントしデータラベルを付けた標本にして同定することが多くなります。また、標本はいつ、どこにどんな種がいたのかを記録する実物の証拠でもあります。最近はSNSに写真を上げて種名を人に聞いたり、記録報告したりすることが多くなりましたが、実物に優れるものはありません。

地域の生物相を記録する標本は重要なもので、公共の財産として扱われるのが望ましいのですが、標本資料はその保管に人の手やスペースを大きく要します。近年、博物館などの文化研究施設が縮小される中、寄贈などで増え続ける標本の保管は問題となっています。標本が失われることを念頭に置いたうえで、それを生かすには分布の報文や種のリストを公共の場に向けて発信することが現状での着地点かと考えています。

生物多様性戦略に向けて、宍塚の会でも生息する生物種の情報を共有しようという動きも生まれ始めています。記録には多くの人の目と手と知識が必要です。年月を重ねて専門性を高めた人でも、最初は「野外を歩いてみよう」「この生きものはなんだろう」から始まります。ぜひ、里山を散策したり、宍塚の会の観察会に参加したりしてみてください。(宍塚の自然と歴史の会会員)

【写真の説明】(左から)カオジロヒゲナガゾウムシ(初夏、雑木林内の菌が入った落枝や朽ち木で見られます) コカマキリ(秋、草地や林縁で見られます) アオオサムシ(春~夏に林床や散策路を歩いている姿が見られます)

税収予測の悩ましさ・融通むげ 《文京町便り》17

0
土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】岸田政権は、内閣支持率がなかなか好転しない中、重要な施策にも取り組んでいる。通常国会の会期末(2023年6月)だけでも、次元の異なる少子化対策、防衛財源確保法や骨太方針2023などがある。衆議院の解散風が吹いていたにしては、問題提起・頭出しだけでも重みのあるテーマである。

それを進めるうえで問題になるのは財源・税収の目途(めど)だが、これらの中長期施策では現時点では具体的ではない。そこで野党は、これらの施策の実現可能性には疑問を示している。

毎年度の次年度予算編成の流れは、以下のようである。経済財政諮問会議の骨太方針(6月)、財務省からの予算編成方針(初夏)、各省庁から夏過ぎに歳出に関する概算要求が出され、財務省主計局(および総務省)による予算査定の終盤に(晩秋)、財務省主税局(および総務省)から次年度の税収予測が明らかになる。その前提あるいはフィードバックとして、翌年度の経済成長(GDP成長率)の見通しがセットになる。

これらの予算案・見通しは三位一体の関係にある。どのような施策を行うかでGDPは変化する(施策⇒GDP)、そのGDP次第で税収見積もりは変動する(GDP⇒税収)。同時に、税制・税収いかんでGDPも変わってくる(税収⇒GDP)。

したがって、これらの作業は(翌年度予算編成の最終段階である)12月に同時に進行する。ここで重要になるGDPは名目値である(物価上昇率やGDPデフレーターを差し引いた実質値ではない)。なぜなら税収額が名目値だからである。マクロ計量経済モデル・予測で重視される実質値ベースとは、一線を画すゆえんである。

タナボタ税収はその年度で配分?

税収予測で悩ましいのは、税収の自然増収をどう見込むか、である。経済学の基本概念に税収の所得弾力性(税収の増加率を分子に、課税標準・GDPの増加率を分母にした割り算)があるが、これは一般的・標準的には1以上である(要するに、課税標準・GDPの伸び以上に税収は増える)。

例えば、法人税を筆頭に所得税や消費税などの主要税目は、税収の所得弾力性は1.1以上である。これは、税務当局にとっては自然体(作為の無い)の増収である。だが納税者にとっては、追加的な余分の税負担である。

しかし、作意が込められる可能性もある。税務当局としては次年度GDP成長率を慎重に見て、次年度税収見込み額を控えめにし、財務省全体で次年度歳出予算の膨張に歯止めをかけようとしているかもしれない。しかし、翌年度は想定上に景気が回復して税収は順調に伸びる(当初予算額を超える)かもしれない。

この増収分も自然増収というが、このタナボタ税収は当該年度で配分される(当初予算歳出額が増額される)可能性がある。

一般会計税収の当初予算と決算の食い違いを対前年度伸び率で比べると、2019年度6.6%増・3.2%減、2020年度1.6%増・4.1%増、2021年度9.5%減・10.2%増、2022年度13.6%増・6.1%増、2023年度6.4%増・予算執行中、という実績である。したがって、一般会計税収の2020年度・21年度ではコロナ禍でも、いずれも、当初予算で想定した以上の決算額が実現していた。

この再現(当初予算額以上の税収額の見込み)を2022年度~24年度で狙っているとすれば、岸田政権の衣の下もおのずから透けてくる。2023年度予算の執行状況が見極められる23年末に、財源の目途をつけると言っているゆえんかもしれない。(専修大学名誉教授)

眼鼻について 《写真だいすき》21

0
カッと見開いた眼や寝ているのか起きているのかわからないような眼もある=写真は筆者

【コラム・オダギ秀】人を表すには、写真にせよ絵画にせよ、眼鼻の表現が大切だ。眼鼻が見えないと、どんなヤツかわからん。とくに眼が、どんなふうに表現されているかが、とにかく大切。こんな眼付きじゃ犯人みたいだぜ、なんて言われる。

「眼を開けている時に撮ってね」

仏像の場合は、眼の表現、つまり眼の形や造形方法によって、制作意図や時代などが推定されることが多い。多くはその仏像の持つ意味などが表わされる。だがボクが、好きで、しばしば撮影している石仏の場合は、一般の仏像より、何かと困ることがある。石仏は、そのほとんどが、開いているか半眼か、どちらかなのだ。

石仏は、まずほとんどは、仏像制作の専門家である仏師が彫ったものではなく、石屋さん、つまり石塀や庭石、墓石を扱う石切場の石工が彫っているし、頻繁に彫仏の仕事があるわけでもないから、それほど詳しい知識もなければ工法にも大きな差のある技術があるわけでもないことが多い。

いくつかのポイントを寺の僧侶などに教えてもらい、それによって彫ることが多かった。だから、地蔵さまなど、よく注文される仏さまの眼は、教えられたように半眼にする、となる。半眼とは、瞑想(めいそう)している眼で、開いていれば雑念が見え過ぎ、閉じていれば寝てしまったようだから、半眼ということなのだ。細く開いた、半分だけ開いた眼だ。

だから、眠っているようでなく、開いているようでなく撮る。ちゃんとそう彫ってあれば、撮影も難しいことではない。

むかし、「♬今日でお別れね」と歌った眼の細い歌手を撮った時は、「ボクはいつも眼を閉じた時に撮られちゃうの、眼を開けている時に撮ってね」と言われたが、半眼でない、ただ細い眼は、どうしても閉じたような眼になってしまう。だから、思いっきり開けて歌えよ、と思ったが、石仏の場合は、寝てないように、人間臭いギョロリ眼にならぬように撮る。

するとありがた味がきちんと写る。しかも動いていない。だから簡単な撮影と言われそうだが、そういうワケでもない。と言うのは…。

すごい眼を見せるモデルさん

仏像はもちろんだが、人の顔というのは、眼鼻をどう撮るかの表現で、大きく変わる。じつはカメラの位置が数センチ、ほんの5センチぐらい違うだけで、変わってしまう。魅力的にも嫌らしい顔にも撮れるのだ。その狙い通りのドンピシャの位置を見つけるのが大変。だが面白い。楽しい仕事とも言える。一般的には、眼鼻を撮る難しさなんてわからないから、勝手な言葉で評されている。

優れたモデルさんは、もちろん、眼の重要さはよくわかっていて、シャッターを切る瞬間がわかるらしい。今だ、とシャッターを切ろうとすると、その瞬間、それまで何でもなかった眼がキラリと光ったり、狙った眼になるのだ。いい眼だからシャッターなのではなく、シャッターを切ろうとする瞬間、さらにいい眼になるのだ。「だって、シャッター切る瞬間って、わかるわよ」なんて笑っていた。

もっとも、そのことがわからぬカメラマンもいるのだが、すごい眼を見せるモデルさんは、本能なのか、感覚が鋭いのか、はたまた努力なのか、すごいもんだと思う。「は〜い、チーズ」なんて声をかけられて写真を撮ってもらっているうちは、ちゃんとしたモデルにはなれないってことだよ。あなたは?(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

「3年後、海外旅行に行こう」《続・平熱日記》136

0
絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】妻が亡くなってから次女とメールのやり取りをするようになった。それまではほとんど連絡を取ることがなかったのに…。とはいえ、何を食べたとかどこに行ったとかというような他愛もない内容で、でもそんなことのやり取りをしていたら、本当に突然に次女と海外旅行に行くことを思いついた。なんとなく3年後ぐらいに。

何年も先のことを考えて予定を立てるという能力がない。目の前のこと、とりあえず明日のことを考えて暮らすのが精いっぱいだったからだろう。例えば、割と年を取ってからも次のオリンピックが開かれる頃はどこで何をしているやら、などと考えていた。

しかしここにきて、そろそろ日雇い先生もお払い箱が近くなってきたし、3年後ぐらいには立派な年金受給者になっているはずだ。それから次女は妻と毎年旅行をしていたことも思い出した。果たして次女は私の旅のお供をしてくれるだろうか。

「海外旅行いこう」「なんで?どこに?」「理由はない。3年後。どこか行きたいところある?」「マルタ、フランス、イギリス、ギリシャ…」「わしはクロアチアと…、とりあえず全部行っとくか」

体力をつけておく―私は本気だ

パスポート探してみた。懐かしい昔のでっかい赤いやつ。写真が若い。それから小ぶりになった10年パスポート。最後に行ったのはスウェーデン。もう20年以上前。そういえば、最近なにやらパスポート申請をしたら抽選で割引になるとか聞いた。

マイナポイントとかもそうだが、お上は最近こういうのが好きね。でもなんか、不公平な感じ。まあそれで文句もないけど。例えば旅館で机いっぱいに並べられた豪華な夕食が苦手。どこに入ったらいいかわかんないベッドがダメ。そば殻の枕派。もちろんパックツアーは無理。ゆえにゴートゥーナンチャラの恩恵も受けることもない。

風呂敷ひとつ持ってというのが理想。パンツ2枚シャツ2枚。幸い貧乏にも旅にも慣れている。ところで、今はどうやってお金払うのかな。カード? なにせトラベラーズチェックの時代だから。スマホがあれば地図や時刻表も要らないということか。まあその辺も含めて老いては子に従え、ってことか。

朝、SNSに妻の誕生日の通知が届いてちょっと戸惑う。アカウントを閉じた方がいいのだろうが…。その夜、というか翌朝?3時ごろ目が覚めてしまった。次女からメールが来ていて妻の誕生日だったことに触れていたので、返信したらすぐに返事が来た。「まだ起きている?」「これから寝るところ」。どうやら東京と茨城にも時差があるらしい。

さて今年の厄払い、胃カメラ様を飲み込む儀式が無事に終わり、結果は極めて健康体。ということで明日は草刈りのアルバイト。明後日は…、そして3年後は…。体力だけはつけておかないと。次女はどう思ったか知らないが、私は本気だ。(画家)

「いのちを生きる」会津・小林さんの写真集《邑から日本を見る》138

0
小林芳正写真集の表紙

【コラム・先﨑千尋】「有機農業は生き方だ」。農協陣営での有機農業運動のカリスマだった小林芳正さんは日頃そう語り、宮沢賢治を人生の理想としていた。小林さんは、福島県熱塩加納村(あつしおかのうむら=現・喜多方市)農協の営農指導員として有機農業を、一個人としてではなく、地域ぐるみの取り組み(面的展開)として進めた。学校給食にも有機栽培の米や野菜を提供し続けた。

また、農業だけでなく、地域社会づくりや農村文化の向上にも力を尽くした。百合の一種である可憐なひめさゆりを植え、年中行事や伝統食・保存食を伝え、残すことに努力した。「ひめさゆり群生地」は、今では30数万本ものひめさゆりが咲きそろい、観光客を呼ぶ。農村の普通の景色や生き物の姿、人々の営みをカメラに収めることも好きだった。

その小林さんは昨年7月に88歳で亡くなった。膨大なネガフィルムが残されていた。小林さんの病状悪化が伝えられた昨年4月、同村の有機米を使い、酒にしてきた酒造会社や有機農産物販売会社など小林さんを慕う人たちが集まり、「小林芳正写真集刊行委員会」を立ち上げた。小林さんの生前には間に合わなかったが、今年2月に写真集が完成した。

写真集のタイトルは『いのちを生きる-小林芳正写真集』。「いのちの輝き」「有機の里熱塩加納」「子どもたちに伝える『農』の心」「この村で、ともに生きる」の4編構成。同村の学校給食に関わった坂内幸子さん、喜多方市大和川酒造の佐藤彌右衛門さんらの寄稿文、小林さんのプロフィールも入っている。

「子どもたちに安全な食材を」

ここで、「百姓」という肩書の名刺を持つ小林さんの業績を振り返ってみよう。

小林さんは1934年生まれ。福島県農事試験場で学んだあと農業に従事し、28歳の時に同村農協の営農指導員になった。日中は管内の田んぼを見回り、農協の事務所へは夕方に「出勤」したという話が伝わっている。

1980年に有機農業に取り組み、89年には同村の学校給食に、親たちと一緒になって、有機の米「さゆり米」と野菜の供給を始めた。「次の世代を担う子どもはかけがえのない地域の宝。その子どもたちに安全な食材を」という考えからだった。

92年に農協を定年で退職した時、NHKテレビは午後7時半から、小林さんの仕事を振り返る特別番組を放映した。NHKが1人の農協職員の歩みをこのように放映したことは、それまでにはなかった。

小林さんは農協にいる時から子どもたちに農業を教え、共に作業していた。これがのちに全国で初めて小学校に「農業科」が設置されるきっかけとなった。小林さんはそこで農業科支援員となり、子どもたちと田畑に立った。現在は喜多方市のすべての小学校で取り組まれており、2013年には、喜多方市小学校農業科が日本農業賞「食の架け橋の部」で大賞を受賞している。

私は40年以上前から小林さんのところに通い、有機農業や学校給食、地域づくりなどのことを学んできた。酒米の「五百万石」の種子を分けてもらったこともあった。写真集を見て当時のことを思い返している。ありがとう、小林さん。(元瓜連町長)

対岸の家 《短いおはなし》16

0
美浦村から見た霞ケ浦と筑波山(筆者撮影)

【ノベル・伊東葎花】
歩くことが困難になり、施設のお世話になっています。
施設の前には大きな湖があります。湖の向こう側は、私が生まれ育った町です。
晴れた日は高台の小学校が見えます。その先が私の家です。
誰も住んでいません。両親はとうに亡くなり、独り身なので家族もいません。
残された家が不憫(ふびん)でなりません。

「そろそろ戻りましょう」

職員さんが来ました。陽が暮れて、向こう岸にチラチラ灯りが揺れています。

「ねえ、湖の向こう側に行くには、車椅子でどのくらいの時間がかかるかしら」

「丸一日かかりますよ。ここからまっすぐ、橋でも架かっているなら別だけど」

職員さんは笑いながら車椅子を押してくれました。
本当に橋が架かっていたら、どんなに近いでことでしょう。

それから私は、湖のほとりに行くたびに想像しました。ここからまっすぐ、向こう岸まで延びている橋を思い浮かべました。
透明な硝子で出来ている橋はどうかしら。まるで湖の上を歩いているみたいで素敵(すてき)。
そんな夢みたいなことを考えていると、寂しさや不安が消えていきます。

ある日のことです。日暮れまで、湖のほとりで対岸の町を眺めていました。
夕凪(なぎ)の中に、誰かの声がしました。目を凝らすと、向こう岸から誰かが叫んでいます。
「ごはんだよー」と言っています。
母の声です。母が私に向かって叫んでいます。
きっと帰りたい気持ちが、幻を見せているのです。

目が眩(くら)むほどの強い光が湖の上を走りました。
次の瞬間、私の足元から向こう岸まで、橋が架かっていたのです。
それは、私が夢見た硝子(ガラス)の橋でした。
私は立ち上がりました。自分でも驚くほど自然に立てたのです。
あれほど重かった身体が、走り出すほど軽やかです。
橋に足を乗せました。すっかり藍色になった湖の上を、ゆっくり歩き出しました。
時おり魚が跳ねて、小さな水音を立てます。楽しくて、踊るように橋を渡りました。

対岸の町に着くと、一気に坂道を駆け上がりました。毎日のように上っていた坂です。
とうに閉店したはずの駄菓子屋が、店先でラムネを売っています。

「早く帰らないと叱られるよ」

とっくに死んだはずの店のおばちゃんが、笑いながらラムネをくれました。
青い瓶に映った私は、おかっぱ頭の小さな子供になっていました。
家の前に母がいて、「いつまで遊んでるの」と私を叱ります。
夕餉(ゆうげ)のいい匂いがします。

私は振り返り、向こう岸を見ました。
湖のほとりに、空の車椅子がポツンと置かれています。
硝子の橋は、跡形もなく消えていました。
もうあの場所に戻ることはありません。
私は扉を開けて、「ただいま」と大きな声で言いました。(作家)

雑草の不思議 蒲の穂《くずかごの唄》129

0
イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】コロナで休んでいた「河童(かっぱ)サロン」の復活。笛の名人・相崎伸子さんが「わらべ歌」を皆で歌おうと提案してくれた。歌いながら、みんなで手の指、足の指を動かして、外反母趾(ぼし)の予防運動にもなる。伸子さんの発明した楽しい遊びである。

伸子さんのご主人、相崎守弘先生の同僚だった島根大元教授の森忠洋先生も参加してくださった。森先生は「やってみませんか 家庭でできる生ごみの処理 生ごみ堆肥化・分解大作戦」という分かりやすく、面白い本を書いた人である。

「わらべ歌」も奥が深い。昔の歴史を知らないと理解しにくいわらべ歌もある。大黒様の唄(明治38年 石原和三郎作詞)。

♫ 大きな袋を肩にかけ、大黒様が来かかると、ここにいなばの白兎(うさぎ)、皮を剥(む)かれて赤裸、大黒様は哀れがり、「綺麗(きれい)な水に身を洗い、蒲(がま)の穂綿(ほわた)にくるまれ」とよくよく教えてやりました。大黒様のいうとおり、綺麗な水に身を洗い、蒲の穂綿にくるまれば、兎はもとの白兎 ♫

ガマのホワタとホオウの関係は?

「ガマのホワタって、いったいどのようなものなの?」

「聞かれたら、困ると思って、原っぱを探して、蒲の実を持ってきたわよ」

伸子さんは真茶色の、膨らんだ細長いダンゴのような蒲の草の実を、採ってきてくれて見せてくれた。赤裸の兎が、たちまち元の白い毛の生えた兎に戻ってしまう不思議さ。私は穂をごしごしとこすってみた。中からたくさん出てきたのは鮮やか過ぎるほど鮮やかな真黄色の粉末だ。

漢方薬「蒲黄(ホオウ)」という名で薬用の止血剤に使った粉らしい。「白くてふわふわしたものかと思ったら、違うのね」。わらべ歌に出て来る「ガマのホワタ」と「ホオウ」の関係は何なのだろう。

「ねっ、牧野富太郎先生教えてください」(随筆家、薬剤師)

オカルティズムが似合う街《遊民通信》67

0

【コラム・田口哲郎】

前略

生まれてこのかた新興住宅地に住んできました。東京、大阪、宮城、茨城の中の新しくつくられた街にしか住んだことがありません。もちろんほかの地域には古い街があり、そこでは古来の風習が残ったりしているわけですが、私はそういうものとは無縁に育ってきました。住んだことのあるところは、どこでも身の回りには、古い寺社仏閣がありませんでした。

新しい街はきれいですが、伝統がありません。寺社仏閣が担う伝統がないのです。あるのは、家、公園、スーパーマーケット、ホームセンターや家電量販店ばかりです。ですから、土浦の中心部のような古い城下町に憧れたりするわけですが、それも憧れで終わるわけです。

そこに住んでらっしゃる方々の生活にも憧れます。いわゆる年間行事があり、伝統的なしきたりに従ってすることも多いのだろう、なんて思いをはせるのです。こうした行事の多くは宗教的なものだと思います。街に伝統があるということは、宗教的な色彩が強いということかもしれません。しかし新興住宅地には、そういった色合いもないわけです。

新しい街にはオカルティズムが妙に合う

ひたち野うしく駅は、関東の駅百選に選ばれるほどの造形美がある銀色の近代的な建物です。その周りには整然と並ぶ新しく美しい家々が広がっています。所々にマンションが建ち、広い道路には今どきの自動車がスイスイと通っています。こうした街並みを見ながら、ふと「ここにはオカルティズムが似合うなあ」と思いました。

オカルティズムは前に書きましたが、19世紀ヨーロッパで誕生した新しいスピリチュアリティです。キリスト教の支配から解放された社会に出現した、新しい霊性ともいえます。

世の中が変わっても、人間自身は変わらないと言われます。宗教の束縛を受けなくても、科学や理性を信じていれば、豊かに安全に暮らせるようになった人間は、自由です。でも、新興住宅地に住みながら伝統的な街の暮らしに憧れる者がいるように、自由な生活の中で、旧来の霊性というものに憧れる者もいるでしょう。この近代的な街にあって、生活している者が持つのは、そう簡単には変わらない人の心です。

自由ゆえの不安がわいてきても、逃げ込む神社やお寺、教会も近くにはない。さて、それではタロット占い、水晶占い、星座占いをしてみようかと思うこともあるでしょう。

実際、私はエリファス・レヴィの影響で、タロットを勉強しています。そして、変わりばえのない整った街を歩きながら、さきほど出たタロット・カードの絵柄を思い浮かべながら、自らの来し方と今のうつつと、ゆく末に想いをはせたりするのです。その感覚が風景に妙にマッチすることは、発見でした。街の風景とタロットの絶妙な調和などについて書いてゆきたいと思います。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

マジョリティとしての特権 《電動車いすから見た景色》43

0
イラストは筆者

【コラム・川端舞】マジョリティと呼ばれる人々は多くの場合、特権を持っている。入り口に段差があるかどうかを気にせずに、飲食店やホテルを選べるのは、車椅子やベビーカーが必要ない人の特権。音声による説明がなくても、インターネット上の写真・グラフなどから情報を得られるのは、目が見える人の特権。店員から商品の説明を口頭でしてもらって買い物ができるのは、耳が聞こえる人の特権。

婚姻届により、血縁関係のない2人が家族として認められるのは、戸籍上の異性同士で愛し合った人だけの特権。どんなに2人が愛し合っていても、戸籍上の性別が同じであれば、現行の法律では婚姻届は出せない。

日本の難民認定手続きがどう変わっても、日本を追い出される心配をしなくていいのは、日本国籍を持つ人たちの特権。日本国籍を持つ私には、日本を追い出される恐怖など想像すらできない。

奪った権利をマイノリティに返すだけ

マジョリティとは誰のことだろう。私は車椅子がないとどこにも行けない点ではマイノリティだが、視覚的な図で表された情報でも、音声だけの情報でも困らずに利用できる点ではマジョリティだ。入管難民法がニュースとして話題になるまで、自分が日本国籍という特権を持っている自覚すらなかった。

また、私は誰に身分証明書の性別欄を確認されても、何も困らない。これもマジョリティの特権なのだが、出生時に割り当てられた性と性自認が一致しない「トランスジェンダー」に対し、自分のように生まれた時の性と性自認が一致する多数派は「シスジェンダー」と呼ぶことさえ最近まで知らなかった。

しかし、シスジェンダーとしての自覚を持つと、今の社会がトランスジェンダーの権利を犠牲にし、シスジェンダーが生活しやすいようにつくられていることが見えてくる。例えば、学校の制服を男女で分ける仕組みは、自分らしい性を表現したいトランスジェンダーの生徒を犠牲にしている。

そして、自分もそのような社会をつくっている一員だと思うと、シスジェンダーである私たちこそ社会を変えていかなければならないことに気づく。

マイノリティの人権問題は、マジョリティ側が自分たちの持っている特権に気づき、その特権をマイノリティ側にいかに還元するかの問題でもある。決してマイノリティに特別な権利を与えることではなく、マイノリティから奪ってきた人間としての基本的な権利を、彼らに返すだけだ。(障害当事者)