【コラム・冠木新市】「第1回 世界のつくばで子守唄/海のシルクロード・ツアー2023」(7月1日)まであと2週間となった。初めは「子守唄コンサート亅が目的だったが、その後、「子守唄を通じて世界の人々との交流する場をつくる」に変わった。

実行委員会には外国人が必ず参加し、交流を深めた。さらに、外国人の歌い手同士の交流もいつの間にか始まっていた。マレーシア、インドネシア、ミャンマー、中国、台湾など人。国を超えた交流は、「アジアが一つ」に見えてわくわくさせられる。

定員を30名増やし160名にしたが、残りは10席を切った。関係者に遠慮してもらい、いろんな人に参加してもらおうと思っている。当初、参加者は日本人と外国人半分ずつと考えていた。だが、帰化した人や日本人と外国人の間に生まれた子どもをどちらに入れるか判断がつかなくなった。

コッポラ監督の『コットンクラブ』

日本人と外国人と分ける発想自体が古いのだと肌で実感できた。いや、この感覚を以前に映画で味わったことがある。フランシス・フォ一ド・コッポラ監督の『コットンクラブ』(1984)でだ。

1928年に始まるこのドラマの主人公は2人いる。白人のトランペット吹きデキシ一(リチャード・ギア)と黒人タップダンサーのサンドマン(グレゴリー・ハインズ)だ。しかし、2人は顔見知り程度で、最後まで直接交流するシ一ンは無いに等しい。そして、2人の恋愛や兄弟間のいざこざを描く舞台になるのが「コットンクラブ」である。

黒人のショ一を見せ、白人の客だけのクラブには、2人に関係する人物や、暗黒街のボスたち、実在した映画スタアのグロリア・スワンソン、チャ一リ一・チャップリンらが続々と集まってくる。つまり、1軒のクラブに主人公の知人と他人、無名人と有名人、黒人と白人、芸人と経営者などなど、この現実世界の人間関係をぎゅっと詰め込んでいる。

では、監督コッポラは、そうした混沌(こんとん)とした人間関係と舞台を使って何を、描こうとしたのか。それが分かるのは長いラストシーンを迎えてからである。タップダンス・シーンと暗黒街のボスを暗殺するマシンガンのカットバックの後、結婚式を終えたサンドマンたちが教会の階段をドッと降りてくる。

また、暗殺されたボスの棺おけが運ばれていく場面。デキシ一が駅で母親に別れをつげたあと、列車が待つホ一厶で恋人と再会する場面。以上の明暗重なる場面に、コットンクラブのステージショ一がカットバックされる複雑なフィナ一レ。

現実のドラマの部分とステージショ一の部分をたたみ込む演出で、あら不思議、ドラマとステージショ一の境界線が消滅し、白人と黒人の世界が融合してしまうのだ。現実の人生と虚構の舞台は微妙に結びついているというコッポラ監督のメッセ一ジも伝わってくる。

英語と正調茨城弁で進行

当日は会場を海に、16テ一ブルを島に見立て、金色姫が乗ったうつろ舟が回っていく。ナビゲーターは、英語と正調茨城弁で進行する。もちろん歌は外国語である。歌い手は全員客席に座る。どんな雰囲気になるのか全く予想がつかない。ちなみに、偉い人の挨拶はない。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)