金曜日, 4月 26, 2024
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読書文化の復権を願って―水戸の佐川文庫 《邑から日本を見る》108

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【コラム・先﨑千尋】3月19日、水戸市の郊外、河和田町にある佐川文庫の木城館で行われたピアノ・リサイタルに足を運んだ。文庫を主宰する千鶴さんのお誘い。ここでのコンサートは若手の音楽家がメイン。この日は、東京芸大卒業後、ベルリン芸術大学でピアノを学んだ北村朋幹さんの晩年のベートーベンのピアノソナタ3曲。静かな、時には体全体を鍵盤にたたきつける動きに魅了され、ベートーベンを堪能した。

佐川文庫は、1984年から1993年まで水戸市長を務めた佐川一信さんの姉千鶴さんが「ぼくの好きな本や音楽を集めて一般に公開したい」という一信さんの夢を実現させて、2000年に開館した。3万冊の書籍と1万枚のクラシックCDでスタートし、現在は書籍が5万冊、CDが2万5千枚になっている。

佐川文庫は、生前に彼が集めた蔵書を自宅の後ろに小屋を建て、児童書も置いて、近所の子供たちに公開したことに始まる。彼が市長の時に建設した西部図書館はドーム形のデザインが特徴。周囲に大回廊があり、芝生の上でも本が読める。音響もよく、ここでCDを聴くとコンサート会場にいるような気分に浸ることができる。この図書館にも法律関係の専門書と洋書5千冊が寄贈され、佐川文庫という一室に収まっている。

「若い子が本を読むのには開放感がある方がいい」

一信さんは学生時代、図書館が開館すると入り込み、閉館になるまで本を読んでいるという読書三昧の生活を送っていて、図書館には強いこだわりがあった。その時の思い出が「読書文化の復権」という理念につながり、水戸芸術館とともに佐川市政の柱の一つになった。それを千鶴さんが引き継ぎ、読書と音楽の城=一信さんのメモリアルホールとしての「佐川文庫」に結晶したということだ。

ゆったりとした書棚。本を読むテーブルは庭に面し、ガラス張り。とても明るく開放感がある。座るスペースも一つ一つ広く作られていて、周りを気にしないでいい。「若い子が本を読むのには開放感がある方がいい。土日には子どもたちが勉強に来る」と千鶴さんは言う。絶えず静かな音楽が流れている。公共の図書館にはない雰囲気に浸れる。私はここでお茶をいただきながら、千鶴さんとしばしのおしゃべりを楽しむ。

一信さんは高校で私の2級先輩。下駄(げた)のような角張った顔で、生徒会長をしていたのを思い出す。早大大学院卒業後、大学で講師を務めながら会社を経営し、1984年に「市民派市長」として当選。水戸芸術館の建設や千波湖の浄化などの実績を残した。93年に当時の県知事がゼネコン汚職で逮捕された後の知事選に出馬し、いわれのない中傷を浴び、僅差(きんさ)で敗北。95年に54歳で亡くなった。セルバンテスの理想を追う姿に共感していた一信さんは、さながら現代の「ドン・キホーテ」だったのではないか、

佐川文庫に入ると、ぎょろりとした目の一信さんに、「お前、この頃どうしているんだ、がんばっているか」と声をかけられている気がする。(元瓜連町長)

恥ずかしながら 私のウイルス体験記 《文京町便り》2

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】前回のコラム(2月27日掲載)原稿を編集部に提出した数日後、私のパソコンがウイルスに汚染されました。今回はその顛末(てんまつ)をお話しします。

Wi-Fi接続していたPCが、2月23日午後2時過ぎ、けたたましい警告音(サイレン)とともに、甲高い女性の声「PCの電源を切らないで」が繰り返されました。PC画面には、赤字で「ウイルスに感染されました、至急、034-579-0166に電話をください」が出ている(あえて、その時の不自然な電話番号を表示しておきます)。

とりあえずは電話すると、画面で「MICROSOFT Windows, Mike Miller」と自称する人物が音声(不自然な日本語)で出現し、無料診断の結果、私のパソコンの問題点は「1.service stop, 2.no network security, 3.hacker found」だと表示。加えて、ハッカーの顔写真(囚人風の外国人(ボカシ))が表示され、恐怖感を煽(あお)る。

これを解消するには、plan 1(4年間保証で2万円)かplan 2(7年間保証で3万円)だと、と迫ります。私は、これはおかしいと反論するも、この担当者は近くにコンビニはあるか、と問う。コンビニFがあると答えると、そこで該当額のGペイカードを購入するように、と指示。

半信半疑ながら、そのコンビに出向き、店員(40歳前後の男性)にGペイカードの所在を尋ね(そもそも使ったことがないので)、経緯を話すと、「振り込み詐欺かもしれない」と案じ、「一度、家電屋で見てもらった方がいい」とアドバイス。我に返り(カードを購入せず)自宅に戻り、この間(15分程度)接続していたPCをシャットダウン。

ロシア製の対策ソフトをインストール

次は、近くの家電量販店Kでのやり取り。担当者(30歳前後の物静かな青年)は、PCのハードディスクをチェックし、特に問題は発生していない模様だと仮診断。私からは、思い返すと、ここ2週間ほど、PC導入時にデフォルトで設定したウイルス対策ソフトWの更新要求メッセージを無視していたことが今回の原因なのかもしれない、と反省の弁。

するとこの担当者は、同店推薦のソフトK(店頭販売のウイルス安全対策ソフト、3年保証、13,200円)のインストールを勧め、私もそれに応じました。その後、ウイルス対策は支障なく動作しているようですが、このソフトKはロシア人が設立した企業で、その持株会社はロンドンの企業とのこと。

まさに、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界のゆえに、何がより完全な対策なのか不明ですが、ロシアのウクライナ侵攻の前日だったことと符合しているとも感じています。ご参考までに、皆様にご報告しておきます。(専修大学名誉教授)

30年が、たった40分! 《写真だいすき》6

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暗い所に置かれていた風神像:1度のシャッターに約30分

【コラム・オダギ秀】大学を出てからずっと、写真を撮ることを仕事にしてきた。どのくらいの時間、写真を撮ってきたかと、フィルムを使っていた昔、計算してみたことがある。仕事として写真を撮って30年ぐらい過ぎたころだ。そしたらなんと、40分ほどにしかならない。

と言うのは。

フィルムの時代だから、36枚撮りフィルムを月に100本撮ったとして3,600枚。1年にすると43,200枚。それを30年続けて1,296,000枚。撮る枚数が少ない大判カメラで撮ることも多いから、実際にはその半分としても、約60万枚以上の写真を撮ってきたことになる。

その写真のシャッター速度を、1枚当たり平均250分の1秒で撮ったとすると、1/250秒×60万枚。するとそれは、合計40分ほどになる。たった!

つまり、ボクが、一生懸命、30年間、写真を撮り続けてきたと言っても、シャッターを切っていた時間は、ほんの1時間にも充たない、約40分でしかないということなのだ。

こんな話をすると、大方の人は「ふふうん」と、感心したような顔をする。それが狙いでこんな話をしているのだが、しかし、この話にはウソがある。実は、一度のシャッターに、何十分もかかることもあるのだ。

30~40分かけて1枚のシャッターを切る

たとえば、薄暗いお堂の中の仏像を撮影させていただく時など、30~40分かけて1枚のシャッターを切るというようなことは、ごく当たり前のことなのだ。自分の体が動いてカメラに振動を与えてしまわないよう、そっとシャッターを開き、暗いからフィルムに写真が写るまで、じっと身をすくめて時が流れるのを待つ。

寒さで身体が震えたり、暑さで汗がしたたっても、ただじっと、30分も1時間も、時が過ぎるのを待つのだ。

そのような時は、30年かけて切ってきた60万回のシャッターと同じ長さの時間を、たった1回のシャッターに費やすことになるのだ。数回シャッターを切れば、それだけで何時間にもなるのだから。

考えてみると、「製造」時間に、そんなにも差がある製品なんて、他にあるだろうか。ある時は、数百とか数千分の一秒で生み出されるのに、ある時は、その何万倍もの時間をかけて作られる。その製品を見る者は、そんなことを意識することはまずなく、同じ次元で評価する。

写真というのは、面白い世界だと思う。(写真家、土浦写真家協会会長)

春は「フナののっこみ」の季節 《宍塚の里山》87

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フナの子どもたち

【コラム・福井正人】私たちの会は毎月第3日曜日、地元農家と「田んぼさわやか隊」を結成し、宍塚の里山周辺の水田の整備活動を行っています。このエリアの農業水路には、春になると「フナののっこみ(産卵のための遡上=そじょう=)」が見られます。今回はそこで見られる魚たちを紹介します。

宍塚大池を水源とするこの水路は、大池から備前川までの約2キロ、宍塚の里山から北東に流れています。上流域は里山の谷津田の脇を流れる土水路で、昔ながらの水路の景観を残しています。中流域が田んぼさわやか隊の活動エリアで、圃場(ほじょう)整備された田んぼの脇を流れていますが、土水路のまま残されています。

下流域は三面コンクリートになっていますが、中流域から流出した土砂が堆積していることが生き物にはプラスになっているようです。残念ながら、上流域の里山内の水路と中流域の土水路の間には、コンクリートU字溝暗渠(あんきょ)と約40センチ水位差がある場所があります。このため、上流域と中流域の魚類の行き来、特に遡上を阻害しています。

会が地元の方のお話をうかがってまとめた聞き書きには、昔はウナギをはじめとして多くの魚類が下流側から宍塚大池まで遡(さかのぼ)っていたことが紹介されています。それを思うと残念ですが、里山内の水路には、いまでもドジョウやヨシノボリなどの魚類や多くの生き物を育んでいます。

備前川から産卵のために遡上

中流域に目を向けると、水路は里山の谷津田域のそれに比べると直線的ではあります。でも、土水路として残されているため、側面や底面にデコボコがあり、植物なども生えるため、水の流れに緩急ができ、隠れ場所もあって多くの生き物に生息する場を提供しています。

特ににぎやかになるのが、田んぼに水を入れ始まる4月~初夏です。4月になるとフナが備前川の方から産卵のため遡ってきます。これが「のっこみ」です。特に、雨が降って水量が増えた翌日に多く見られます。水位の上昇や水の濁りが遡上を誘発しているのかもしれません。

5~6月になると、この水路でふ化したフナの子どもが見られるようになります。また5月下旬から初夏にかけては、ハゼの仲間(ウキゴリ、ヨシノボリ、ヌマチチブ)の子どもたちが霞ケ浦から備前川を経て遡ってきます。この水路が「魚のゆりかごと」して機能していると思うと、うれしくなります。

水量が少なくなる秋には、これらの魚たちは備前川の方へ下っていきますが、秋から冬の間も常に水が流れているため、水が枯れることはなく、ドジョウやヨシノボリなどは通年見ることができます。こうして見ると、田んぼさわやか隊の活動エリアが、多くの生き物を育む場所としても重要なことが分かります。

田んぼさわやか隊では隊員を募集しています。興味を持たれた方のご参加をお待ちしています。(宍塚の自然と歴史の会理事)

都市の中の「自然」から学ぶ 洞峰公園・不忍池 《遊民通信》37

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【コラム・田口哲郎】
前略

つくば市の洞峰公園は手入れがゆきとどいていてきれいなので、たまに散歩します。ある朝方、遊歩道脇の草むらにカモがあおむけに転がっていました。おそらくネコかカラスにやられたのでしょう。思わず目をそらし、かわいそうにと心の中で手を合わせました。でも、こんな近代都市のなかの公園も「自然」なのだなと感じました。この地球、いえ宇宙はあまねく自然の摂理に支配されていますから、当然なのですが。

大学に行くときに上野の不忍池の脇を通ります。コロナ禍終息がまだ見通せず、すべての講義がオンラインでしたが、資料を借りに行く場合は、どうしてもキャンパスまで行かねばなりません。不忍池にはカモやハトに混じってユリカモメがいて、手すりにとまって休んでいます。このユリカモメ、東京都の鳥ですが、『伊勢物語』のあずまくだりに都鳥(みやこどり)として出てくることは以前書きました。

東京という街は1000年余りでかなり変わりました。東国のひなびた土地だったのが、太田道灌(おおた・どうかん)のころから里になりはじめ、江戸時代、明治・大正を通じて世界有数の大都市に。戦争で焼け野原になって復興したけれど、今度は目に見えない微細生物のせいで、大きな変化をせまられている。このユリカモメはそんな人間社会の変化をあのつぶらな瞳で見つめてきたのです。

人間が社会を必死につくってはこわしてまたつくる苦労をしているのを、悠然と眺めている姿に「自然」を感じます。人間社会も有無を言わさずに「自然」なのかもしれませんね。いまだに人の世は食うか食われるかの原理から脱していないように思えます。洞峰公園のカモが身をもって教えてくれたことです。動物は生きるためには食わなきゃいけません。摂理ですから仕方がない。でもそのどうしようもない営みを反省するのは、人間だけができることとも言えます。

罪なき「自然」と人間

遠藤周作はキリスト教作家ですが、小説やエッセイの主なテーマのひとつは原罪です。人間は生きているうちに、知らず知らずのうちに他人を傷つけてしまっている。意図して傷つけたなら悔いる理由もあるが、無意識に傷つけたら傷つけたという意識すらないので、もっとも恐ろしいというのです。

この生まれながらにしての罪というテーマは、人間が生きているかぎり必ず生まれるものです。夏目漱石の『こころ』の先生が自殺した理由も同じ罪の意識でしょう。人間は自然の摂理から逃れられないのですから、罪からも逃れられないわけです。

キリスト教はこの問題にとくにこだわって考えてきたように思います。摂理だから罪つくりは仕方ないと割り切るのではなく、悔いあらためて神との対話のなかで罪を消化しようとする。これはあまり原罪のような意識を持たない日本人にはよく分からない話です。とはいえ、罪は絶対に悪いことに変わりありません。罪なき「自然」は決して幻想ではない、と思うのです。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

受け継がれる土になじむ習慣 《菜園の輪》2

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中本さん親子。父の川島弘之さんと3世代

【コラム・古家晴美】最寄り駅から徒歩圏内にあるつくば市内の貸し農園を利用している、40代の中本暁子さん親子―息子の容太郎くん(小学校低学年)、70代の父の川島弘之さん、母の和子さん―に、お話をうかがった。暁子さんは、農園近くのマンションに13年前に引っ越してきてから、同僚の紹介によりここで野菜作りを始めた。畑は約30平方メートルで、年間使用料は約1万円である。

前のアパートでも庭先を使って野菜を作っていた。父が家の庭で畑仕事をする姿を見て育ち、自然と植物の成長を見守ることに楽しさを感じるようになったと言う。暁子さんは独学で野菜作りに取り組んでいたが、8年前の妊娠で畑の手入れが十分にできなかった。

そこに手を差し伸べたのが弘之さんだ。平日の畑の管理を和子さんと行い、週末には孫の容太郎くんと畑で会うという楽しみもできた。容太郎くんは歩けるようになると、ほどなく、はだしで畑に入り、土遊びを始めていたと言う。現在でも友達を呼んで、共にじゃがいも掘りをしたり、ミミズを関心深気に観察したりと、農業に対する関心も高い。

父の参加により、菜園は新たな段階に入る。暁子さんによれば、父が牛糞(ふん)や山からいただいてきた腐葉土を畑に入れてくれたことにより、収穫量が大幅に増えた。

中本暁子さん・容太郎くん、川島弘之さん・和子さん親子

弘之さんは農家の出身で、幼いころから土いじりになじんでいた。土がないと落ち着かないと言う。教員生活の合間に、庭先でずっと野菜作りをしてきた。しかし、全く苦労がなかったわけではない。秋蒔(ま)きで越冬させねばならない三度豆(さんどまめ)は、この畑ではその時期に蒔くと枯れたり、カラスに食べられた。試行錯誤を繰り返しながら、遅蒔きにして5月に収穫することにした。

また、容太郎くんのリクエストに応えて作り始めたスイカも、最初の2年はうまく実がならなかったが、摘果(てきか)の工夫を重ね、昨年は10玉近く収穫できた。基本的に無農薬で有機肥料しか使わないので、安心して大根の葉っぱも食べられるし、何といっても、植物が育つのを見守る楽しみは農耕民族のDNAでしょうね、と暁子さんは言う。

今年は冬が寒く氷点下の夜になり、菜花(なばな)は全滅し、ほうれん草も乾燥してしまった。大根は地面から下は食べられたものの、地上に出ている部分は凍ってしまい、食べられなかった。自然に左右されることが多い野菜作りだが、親子3世代、親の背中を見ながら、土となじむ習慣は、脈々と受け継がれているのではなかろうか。(筑波学院大学教授)

「エノコログサ」の名前の由来は? 《続・平熱日記》106

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【コラム・斉藤裕之】アトリエには冬を越すために置いてある鉢が3つ。食べ終わった後の種から生えたアボカド。これは樹齢20年ぐらい。数年前に買ったレモン。それから一番古くからあるブーゲンビリア。どれも大ぶりの鉢で結構な重さがあって、背丈は40~50センチほど。

薪ストーブの近くに置いたせいか、レモンは小さな白い花をこの冬中絶え間なく咲かせていて、アボカドも大きな葉を茂らせている。ブーゲンビリアも若芽を出して元気そうだったのだが、だんだんと葉が少なくなってきた。落葉しているわけでもなく不思議に思っていたら、ある日、犬のハクが葉を食べているのを見つけた。

エノコログサという雑草がある。ネコジャラシとも呼ばれて馴染(なじ)みのある草だが、エノコロ、すなわち犬コロの尻尾に似ているところから名前が付いたといわれる。

しかし、犬は胃の中をきれいにするのにこの草を好んで食べて吐き出す。少なくとも我が家にいた犬はすべてそうだった。犬コロが好んで食べるから、エノコログサと名付けられたと私は勝手に考えている。しかし、ブーゲンビリアの葉を食べる犬は初めてだ。

まるで犬コロの常備薬

ところで、授業もそろそろ終わりに近づいてきて、毎年、最後の授業には何か気の利いた話でも一席ぶって…と思うのだが。「ありがとうございました。私のこと忘れないでね!」と言って、教室を後にする生徒たち。

多分忘れないけど、正直に言うとほとんど名前を憶えていない。ここ数年は悪気があるわけでもなく、本当に名前を覚えられないし、覚える間もなく1年が過ぎるのだ。それから、何人かは覚えているとか、逆に何人かは覚えていないというのはまずい。例えば廊下ですれ違いざまに、「私の名前覚えていますか?」と聞かれることがある。「〇村〇子!」と適当な名前を言う。

その名前があまりにも昭和過ぎて、相手も笑っている。もしもこの時2人連れだった場合、1人は覚えていて2人目目は覚えていないとなると、生徒は傷つく。教師たるもの常に公平でなくてはならない。だから誰の名前も覚えていないということにしたわけだ。

さてエノコログサは、まるで犬コロの常備薬のように、真冬でもほんの少しだけ律儀に緑の葉を残している。ハクもそれを食べてはオエオエやっている。よく見ると、昨年の穂がそのまま立ち枯れて、早春の風にそよいでいる。その形は麦に似ていて、実際に食用になると聞いたことがある。

ウクライナの小麦の穀倉地帯の地質を「黒土」と習ったことを思い出す。テストに「〇〇戦争はなぜ起こったか?」という質問があったら、「人間が愚かだから」と今なら書く。

結局、今年も最後の授業は特に何も言わずに終わってしまった。そろそろ3つの鉢も外に出そう。(画家)

公有地売却に見る「逃げ」のつくば市長《吾妻カガミ》129

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つくば市役所正面玄関サイド

コラム・坂本栄】つくば市が総合運動公園用地跡の売却要項を発表しました。この土地をどうするかは五十嵐市長の政治案件ですが、売却の手順にはおかしな点がいくつかあります。売却に反対する市民団体は市の動きに怒り、市長解職(リコール)運動を開始しました。これから数カ月間、つくば市は騒々しくなりそうです。

事業提案(プロポーザル)方式で行われる売却の詳細やスケジュールについては、「一括売却へ10日公募開始 つくば市旧総合運動公園用地」(3月8日掲載)、「一括売却へつくば市公募開始 リコール運動へ市民団体は受任者集め…」(3月10日掲載)をご覧ください。

市民の声も議会の役割も無視

おかしな点その1は、売却が市民の支持を得ていない(市民の声から逃げている)ことです。コラム125「公有地売却に見る つくば市の牽強付会」(1月31日掲載)でも書いたように、市が行ったパブリックコメント(意見募集)では、77人のうち売却に賛成は2人、残りは反対か対案提示か分類不可でした。2択方式(賛成か非賛成)で分けると、賛成はたった3パーセントです。

パブコメではサンプルが少ないから、住民投票とか無作為アンケート調査で改めて市民の声を聴いてみよう―というのが五十嵐流だと思いますが、わずかな賛成にもかかわらず、市長は民間売却に打って出ました。きちんと調査するのが恐かったのでしょうか?

おかしな点その2は、市が事実上保有する用地の売却を議会に諮らなかった(議会から逃げている)ことです。その理屈は、土地は都市開発公社(市の不動産部門)が所有し、市の帳簿に記載された財産ではないから、議会の同意はいらない―だったそうです。議会手続をきちんとするのが恐かったのでしょうか?

4年前、五十嵐市長は「大型事業の進め方に関する基本方針」をまとめ、ビックプロジェクトを進める際には「民意の適切な把握」「議会への適切な報告」をきちんとやると宣言しました。公有地処理は大型事業ではありませんが、民意把握と議会了解の大事さは同じはずです。民意と議会を無視した市長は、自分で定めた市政運営の基本を自ら捨てたようです。

市民団体が掲げる5つの罪状

五十嵐市長はどうして運動公園用地跡の売却にこだわるのでしょうか? 「五十嵐市長リコール住民投票の会」記者会見リリースに面白い数字が出ています(青字部をクリックすると出てきます)。

市長リコール団体が「罪状」として挙げているのは、①運動公園用地の民間一括売却、②センタービル改修事業の不手際、③市政を批判した元市議提訴、④市長が受領した多額の政治献金、⑤市長1期目の退職金辞退―の5点です。「エッ」と思ったのは④の金額の多さです。

茨城県選挙管理委員会に提出された政治資金収支報告書によると、2016年度(1回目の市長選挙の年)4397万円、2017年度1086万円、2018年1041万円、2019年度1440万円、2020年度(2回目の市長選の年)2651万円―だったそうです。政治資金と土地売却は何か関係があるのでしょうか?(経済ジャーナリスト)

手こぎボート、モーターボート、ヨットとの出会い 《夢実行人》6

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【コラム・秋元昭臣】小学生のころの話。春になると、土浦市内を流れる桜川には色とりどりのボートが浮かび、土手には舞台もできました。花見は土手に敷物を広げて弁当。ボートをこげない母は、弟に「いつかボートに乗りたいね」と話していました。

中学生のころの話。父や友人たちが入る土浦中学(現土浦一高)ボート部が、桜川畔の貸しボート屋「鈴木ボート」で、ヨット「早風号」を打つ(作る)ことなりました。私はボート屋の兄さんと顔見知りになり、小遣いをためてボートを貸してもらいました。桜川を下り、常磐線の鉄橋をくぐりると霞ケ浦が見え、波も風も大海のようでした。

高校(土浦一高)時代の話。創立間もないヨット部に入部。当時、事業用以外の小型モーターボートは免許がなくても運転できました。弟の高校入学祝いのときに小型を借り、霞ケ浦に出たのがモーターボートの初体験でした。

大学時代の話。ボートを借り、コウモリ傘を帆代わりにして遊びました。東京からの友人が浮き輪を持って来て、「これで大丈夫かな~」には笑いました。当時、ライフジャケットは貴重品。一高ヨット部で使っていたのは、霞ケ浦航海軍空隊予科練生が着用していたお古でした。

「ま~、ボートは木製だから、転覆しても浮いている。でも、オールだけは流さないで!」。これがボート屋のアドバイスでした。そこには下駄箱があり、靴を預けて乗ったものです。乗り逃げされないためだった? 船に乗ること=家に上がること? それが作法だったのかもしれません。

家族5人でヨット「早風号」を操船

ヨット「早風号」が完成すると、鈴木ボートで父の帰りを待って、家族5人で乗りました。空冷式の小型船外機を掛けて出発。桜川から霞ケ浦に入るところで、マストを立てる作業は楽しいものでした。

コースは風により違いましたが、霞ケ浦の(土浦海軍)航空隊跡沖から引き返すのが一つのルートでした。帆は2枚あり、小さな前帆(ジブセール)は子供たちが担当。大きな帆(メンセール)は父が舵(かじ)を取りながら操っていました。今に比べたら「ヨットまがい」でしたが、当時は霞ケ浦唯一。帆は地元「香取テント」製でした。

鈴木ボートの話では、霞ケ浦で初めてヨットを走らせたのは、茨城大学農学部の先生だったそうです。「早風号」は何度も改造され、私の一高ヨット部時代も、帆走の姿を見ることができました。(元ラクスマリーナ専務)

事実と推測は分けて考える 《続・気軽にSOS》105

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【コラム・浅井和幸】事実と推測は分けて考えることが大切です。ですが、以外にこれは難しく、私たちは普段の生活で事実と推測をあいまいにしたまま生活しています。もちろん、事実と推測の間にきっちり線を引くことは難しいので、二つを分ける境界線の識別は難しいでしょう。ですが、事実とは明らかに隔たりのある推測を事実と思い込んで考えてしまうこと、感じてしまうこと―が多々あるものです。

自分から笑顔であいさつをしたのに、それに対して相手はそっけない素振りだった。だから相手は自分を嫌っている。「そっけない素振り」は事実ですが、「嫌っている」は推測ですね。そもそも、あいさつもあまりできないほどコミュニケーションが苦手なのかもしれません。いつもはもっと素っ気ない人なのに、いつもより笑顔を作ろうと努力した結果なのかもしれません。(以前、コミュニケーションが苦手な美人がお高くとまっていると思われるというコラムを書いたことがあります。)

人を見るとほえる犬、かむ犬がいます。威嚇をしてくるぐらいに、強気な犬であると考える。「ほえる」「かむ」は事実で、「強気」は推測あるいは評価ですね。強気どころか怖がりでビクビクしているから、ほえたりかんだりする犬はいます。

「自分が相手を嫌いだ」「相手が自分を嫌っている」

学校に行けないのは不真面目だからでしょうか。もしかしたら、真面目過ぎて、全てを完璧にこなさなければいけないと、重く考えていて学校に行けなくなったのかもしれません。

認知のゆがみや物事への決めつけは、とても生きづらい悪循環を起こすことがあります。周りとうまくいかないことが多い場合は、事実と推測の区別がついているか、もう一度考え直す必要があるかもしれません。もしかしたら自分は、目が合ったらけんかを売ってきたと決めつける、不良少年のような感覚で生活しているかもしれないということを。

防衛機制という言葉を聞いたことがあるでしょうか。保健体育の授業で習ったかもしれませんが、人がストレス状態になるとき、自分を守るための心のメカニズムです。その防衛機制の一つに「投影」というものがあります。自分の中にあるものを認めたくないときに、それを相手のせいにする心の動きです。「自分が相手を嫌いだ」ということを認められず、「相手が自分を嫌っている」というようなものです。

世界は自分を嫌っている、社会はたいしたことができない、周りの人たちは無能だ、みんなが悪意を持って接してくる―などなど。実は、自分自身が受け止めきれないために認められない、自分自身への評価なのかもしれませんよ。(精神保健福祉士)

当たり前に介助を受けられる安心感 《電動車いすから見た景色》28

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【コラム・川端舞】私は障害のため、口周りの筋肉をうまく使えず、食事を食べこぼしたり、よだれをたらしたりしてしまう。それが原因で、子どもの頃は周囲から怒られたり、からかわれたりしていた。きちんと唾液や食べ物を飲み込めるようにリハビリをし、親にも「毎回、意識して飲み込みなさい」と言われ続けた。

しかし、勉強や遊びに集中すると、いつの間にか、よだれで服を汚してしまう。親からは「よだれは努力次第で直せる」と言われたが、どんなに気を付けていても、少し気を抜くとよだれは出てしまい、再び親に注意されることの繰り返しだった。中学・高校時代は、よだれで制服を汚してしまったことを親に知られないように、毎日、親が仕事から帰ってくる前に、自分でハンカチを濡らし、制服の汚れを拭いていた。

大人になった今でも、食べこぼしたり、よだれをたらしたりしてしまったとき、どうすればいいのか分からなくなる。服を汚してしまったのを介助者に見られるのが恥ずかしい。

しかし、介助者は嫌な顔一つせず、当たり前のように、食べこぼしを拾ったり、ティッシュでよだれを拭いたりしてくれる。私が無意識に謝ると、「なぜ謝るの?」と逆に聞かれることもある。「介助者は舞さんの介助をするために、舞さんの家に来ているのだから」と。自分が悪いから出てしまうのだと思っていたよだれを、ただの生理現象と捉え、さりげなく片付けてくれる介助者を見ると、「今の自分のままでいい」と言われているようで安心する。

「当たり前」を絶やさないように

障害者に対し、「助けてもらって当たり前に思うな」と言われることがあるが、食事をする、服を着替える、買い物に行くなど、生活するために必要な介助を当たり前に受けられることが、「自分はここにいていいのだ」という安心感につながる。

でも、その「当たり前」は昔からあったわけではなく、今まで多くの障害者たちが社会と闘い、重度障害者が介助を受けて1人暮らしができる仕組みを作った上に、現在、私の気持ちを大切にしながら生活を支えてくれる介助者がいるからだ。その「当たり前」に感謝しながら、「当たり前」を絶やさないために、私のできることをしていきたい。

その1つが、自分のような障害者のありのままの暮らしを社会に発信することで、介助者のサポートがあれば、どんなに障害が重くても1人暮らしできることを多くの人に知ってもらうことだと私は思っている。(障害当事者)

小学6年生の東京大空襲 《くずかごの唄》104

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【コラム・奥井登美子】半藤一利氏の著書に「15歳の東京大空襲」というすさまじい内容の体験本がある。私たちは、小学6年生の夏休み、空襲に備えて東京に子供がいてはいけないと、3~6年生が強制疎開させられた。

学校ぐるみで学童疎開した6年生は、疎開中は寮母さんが足りないので、下級生の面倒をみたり、お医者さんに薬を取りに行ったりと、班長さんと言われながら雑用をこなした。

1945(昭和20)年3月。中学の受験日に備えて、何日か前に一斉に帰京しなければならない。まさか3月10日に東京大空襲があるとは知らず、2~3日前に帰京した人が多い。東京大空襲では、墨田区、台東区、江東区などに、334機の爆撃機が爆弾を落として8万5000人が焼死している。

敗戦から3年経って、小松川高校に転校した私は、友達が空襲体験を語りたがらないのに驚いた。あまりに過酷な体験なので思い出したくないのだ。

やけど跡を懸命に隠す少女

家族が全員壕(ごう)の中で亡くなったのに、自分は生き残ったという人も何人かいた。防空壕という名の、手堀り壕の中は狭い。10人ぐらいでいっぱいになり、中から蓋を閉められてしまう。疎開していて防空壕の仕組みの分かっていない6年生は、火の迫ってくる中、どうしてよいかわからずに立っているうち、蓋が閉まって、中に入れなくなってしまった。家族は壕の中で蒸し焼きになったが、1人生き残ることができたという。

火をよけてガード下に逃げ、3歳の弟の手を握っていたら、手が冷たくなってくる。不安になってよく見たら、弟は死んでいたという友だちもいる。酸素の少ない空気が3歳の子供の背の高さに流れて、酸欠で亡くなってしまったのだろう。背の高さで生死が分かれてしまうこともありうるのだ。

やけどの傷跡を、懸命に隠している少女も何人かいた。みな残酷な体験を忘れようと、必死になって楽しいことだけを探し回っていた。はしゃぎ屋の敏ちゃんが、30年後に「ガラスのうさぎ」を書いて話題になった、高木敏子さんだ。彼女と同じような体験をした少女たちがたくさんいたことを忘れてはいけない。(随筆家、薬剤師)

トナリエキュート1階の「魚丼屋」《ご飯は世界を救う》45

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【コラム・川浪せつ子】TXつくば駅を上がったところの商業施設「トナリエキュート」。1階にあるパン屋さんのカフェにはよく寄りました。ところがそのお店が2月中旬で閉店。コロナ禍でお客さんが減ったためなのでしょうか。悲しい出来事でした。1階のフードコートに入ったことはありませんでした。

2月19日午後、つくば市主催の「ショートムービーコンペディション」(2月26日付)がつくばエキスポセンターのプラネタリウムで開かれました。私はその選考委員。その前に食事をしようと、フードコートに立ち寄りました。私はちらし寿司が好きなのですが、外食ではあまりお目にかかれません。でも、ありました。「魚丼屋」さんが。

注文したのは「漬けばらチラシ・アボカド丼」。お値段はとってもお手頃。大好きなちらし寿司に、これまた大好きなアボカド! かわいいお魚の小さな入れ物にお醤油。何とも言えない幸福感。お味もグー。

コロナで映像業界も美術業界もピンチ

今回のコンペはグレードが高く、プロの方が多く出展してくださったようです。審査委員長の中山義洋監督さんが「コロナでは、飲食業界より映像業界の方が大変です。失業率ほぼ70パーセント」とスピーチ。これには驚きました。そのため仕事が減ってしまい、プロの方がこのコンペに出展して下さったのかなと。

コロナで仕事が激減したのは映像業界だけではありません。美術業界もピンチです。画家さんたちの出展するギャラリーも、閉鎖する所が増えています。絵が売れない。そして有名な先生が教えるカルチャー教室も人が減っています。

暗い話で終わりたくないな。

広島に原爆が落ちた翌年、がれきの中に若木が伸びてきたそうです。植物は強いですね。あの日、広島にいた実父がそう話してくれました。希望は捨てないでください。(イラストレーター)

原子力施設攻撃は人類への犯罪行為だ 《邑から日本を見る》107

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門出彩るサイネリア =那珂市のしどり農園

【コラム・先﨑千尋】プーチンのとどまるところを知らないウクライナへの侵略。強大な核戦力を背景にし、2月末には核兵器運用部隊を戦闘警戒態勢に置くよう命令した。さらに停止中のチェルノブイリ原発を占拠し、今月4日にはウクライナ南部のザポロジエ原発を武力で制圧した。同原発は6号機まであり、欧州で最大。ウクライナ総電力の2割を供給している。同国のクレバ外相は「爆発すればチェルノブイリ事故の10倍の被害になる」と警告している。

運転中の商用原子力発電所への軍隊による攻撃は史上初めて。国際法やジュネーブ条約・議定書に明確に違反する行為だ。運転員はロシア軍に銃口を突き付けられながら運転を続けている模様だが、心身ともに疲労して、正常な運転操作やトラブルへの対応ができなくなる可能性が高い。また、運転を素人が強制的に止めれば、最悪の場合、東京電力福島第1原発事故の時のように原子炉が炉心溶融後に原子炉建屋が爆発・崩壊することもあり得る。変電所や送電網が破壊されれば原発の運転も不安定になり、不測の事態が起きることも想定される。

最新の情報では、チェルノブイリ原発では外部からの電源が切断され、非常用電源で動かしているようだが、放射能漏れなどが懸念される。ザポロジエ原発で外部電源が遮断されたら、ロシアも含めてヨーロッパ全体に被害が及ぶ。ロシアは、訓練を受けた原子炉操作員を制圧した発電所に配置し、ウクライナの操作員から引き継ぐことを考えているのだろうか。誰でもわかるように、素人は手を出せない。

原発は何よりも「おっかない」代物

プーチンの狙いは何か。原発の制圧で、電力という市民生活の要を押さえ、ウクライナのゼレンスキー政権に圧力をかけ、核戦力に言及し、欧米に圧力をかけるねらいのようだ。毎日、ウクライナの人たちが殺害され、街が破壊され、他の国に避難する映像をテレビで見せつけられているが、プーチンはよその国に「中立化、非武装化、政権交代」を要求し、住宅や病院、学校までも破壊している。聞く耳を持たない彼の暴虐をどうすれば止められるのか。胸が痛むばかりだ。

IAEA(国際原子力委員会)のラファエル・マリアーノ・グロッシ事務局長は、2020年に原子力の安全と防護の7つの柱を表明した。それは、原子炉、核燃料プールなどの施設の物理的な安全性が維持されなければならない、運営スタッフは安全及びセキュリティの義務を果たし、不当な圧力から解放された意思決定を行う能力を有するなど、基本中の基本なのだが、それがプーチンにいとも簡単に破られてしまった。「人が作ったルールは人によって破られる」ということだ。

わが国の原発はどうか。当然だが、今回のような戦争を想定した防御策は講じていない。自然災害も含めて有事の際、原発は巨大なリスクになると肝に銘じる必要があることをウクライナ情勢は教えている。本県には日本原電東海第2発電所があり、会社は再稼働を目指しているが、すぐ近くに住んでいる私にとっては、原発は何よりも「おっかない」代物である。(元瓜連町長)

『男と女』 2つの続編 《映画探偵団》53

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【コラム・冠木新市】フランスの映画監督クロード・ルルーシュが28歳のとき、自分のプロダクションで作った『男と女』(1966年)はざん新で衝撃的だった。望遠レンズで撮った仏北西部ドーヴィルのきらめく海辺の景色。ロング―アップと、自由自在に構図を変えた短なカット割り。全編に流れる新人作曲家フランシス・レイのジャズ調音楽。若者たちで作られたこの作品によって、世界の映像表現は一変したと言っても過言ではない。

お話は、妻を亡くしたレーサーのジャン・ルイ(ジャン・ルイ・トランティニャン)と夫を失った映画の記録係アンヌ(アヌーク・エーメ)との出会いを描いた恋物語。30代の2人は、ドーヴィルにある同じ寄宿舎に子どもを預けている。色々あって、ラストは駅のホームで抱き合う2人を捉え、ぐるぐる回るカメラワークにテーマ曲が流れ、ストップモーションで終わる。ハッピーエンドで幸せな気分にさせてくれる作品だった。

続編『男と女Ⅱ』(1986年)が、同じ監督とキャストで20年後に製作される。ところが、1作目で感動した観客はギョツとしたと思う。2人は一緒にならず、駅で別れたという皮肉な設定で始まるからだ。

ジャンはレーシングチームの監督で、息子の結婚相手の妹と恋仲。一方、アンは映画プロデューサーとなり、年下の恋人がいる。戦争映画の興業で失敗したアンは、昔の自分の恋物語をミュージュカルにしようと企画し、ジャンの許可を得るために20年振りに再会する。

50代になった2人の再会シーンを見ると、1作目の幸せな気分がよみがえる。また1作目を再現する撮影風景はとても奇妙で面白い。だが出来上がった映画を試写すると、皆が納得せずお蔵にしてしまい、今度は全く別の実録犯罪映画を作り始める。ルルーシュ監督はまるで1作目を否定するようなドラマ展開を見せるのだ。しかし結局、2人は年下の恋人と別れ、一緒になるハッピーエンドを迎え、1作目の観客に満足感を与えてくれる。

研究学園都市 → スーパーサイエンスシティ

そして2作目から33年後。やはり同じ監督とキャストで第3作『男と女 人生最良の日々』(2019年)が公開される。80代後半となった2人はあれからどうなったのか。

今では雑貨店を営むアンヌのもとに、ジャンの息子が訪ねて来る。施設にいる認知症の父親がしきりに昔の彼女のことを思い出すので、会ってもらえないかとお願いに来たのだ。2作目を見た観客はアレッと思う。

なんと、3作目は2作目の続きではなく1作目の続きで、53年後の別のお話だからである。ルルーシュは3作目を作るに当たり、2作目の存在を消してしまった。だから、1作目に直接つながる続編は2作目と3作目と2つあるわけだが、どちらの続編を好むか私はまだ決められないでいる。

筑波研究学園都市建設の閣議了解(1963年)に始まって、科学都市つくば市(1987年)となり、今ではつくばスマートシティ(2019年)、つくばサイエンスシティ、つくばスーパーサイエンスシティが作られるみたいだ。1作目が研究学園都市だとすると、次につながるシティはなんなのだろうか。私は、53年たっても変わらない映画のドーヴィルみたいな街であってもらいたいと思っているのだが…。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

TX延伸ルート 県が調査開始 《茨城鉄道物語》21

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つくばエクスプレス

【コラム・塚本一也】2月10日付で「TX延伸、調査費1800万円」という見出しの新聞報道がありました。「ついに来たか」と思った方はたくさんいたのではないでしょうか。これまでの茨城県の総合計画には、TX延伸先として、①筑波山方面、②水戸方面、③茨城空港方面、④土浦方面―の4案が書かれていました。これを一つに絞り込むため、2022年(令和4年)度予算に調査費を計上するという内容です。

私はこれまで、つくば駅が終点のTXを北部に延ばす必要性を訴え続け、自費で「つくばエクスプレス最強のまちづくり」(三省堂出版、2014年刊)という本まで出しました。県議という立場になってからも、あらゆる場面でその必要性を説いてきました。来年度、県が北部延伸に向け一歩踏み出すことになり、感慨無量です。そこで今回はこの問題について少しおさらいします。

本コラムでTX延伸について論じたのは、「つくばエクスプレス延伸論に思う」(2018年6月21日掲載)が最初です。TXの次のステップの議論には、南部(東京駅方向)延伸論と北部(つくば駅より先の県内)延伸論があります。両論は関係していますが、分けて考えた方がよいと思います。また県内延伸については、TXの原点である「第2常磐線構想」がなぜ必要だったのか―そこまで戻って考える必要があります。

つくば市が主導して地元をまとめよ

第2常磐線構想は「常磐線混雑緩和対策」として生まれました。それから社会情勢も変化しましたが、基幹鉄道=大型インフラの必要性は変わりません。常磐線のバイパス(迂回路)の役割が求められたTXは、その機能を満たすためにも、どこかで常磐線とクロスさせなければいけません。これがTX県内延伸の大前提です。

TX県内延伸図

2005年のTX開通までの間に、栃木県や群馬県には新幹線が開通。在来線は湘南新宿ラインや上野東京ラインによって、東海道線との相互乗り入れになりました。全国的には、北海道や九州に新幹線が開業し、それぞれ次のステージに向かっています。山形新幹線はフル規格化を、北陸新幹線は新幹線ルート環状化を目指しています。

このような状況下、TX(秋葉原駅―つくば駅)開通から16年間をへて、茨城県はようやく次のステップに動き出しました。首都近郊の鉄道計画で大事なことは、準新幹線ともいうべきTXの機能を損なわないような線形を確保しつつ、東京への通勤可能な「1時間圏内」をどこまで広げられるかということです。

さらに重要なのは、TX延伸が県内のみならず、県外の沿線地域や国土開発に意味のある貢献ができることです。そういった広い視野と連携があってこそ、茨城県が孤立しないで延伸計画を進めることが可能になります。そのためには、TXの名前にもなっている、つくば市が主導して、関係地元の熱意をまとめ上げることが必要です。(一級建築士)

科学のまち つくばで教養について考える 《遊民通信》36

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【コラム・田口哲郎】
前略

つくば駅前の中央公園を散歩していたら、男性と猫が並んで歩く銅像が目に留まりました。近づいてみると、それは「朝永振一郎博士と愛猫」像でした。ノーベル物理学賞を受賞した博士は筑波大学の前身、東京教育大学の学長でした。朝永博士はつくば市に住んだことはなさそうですが、研究学園都市・つくばに縁がある偉人ということになるのでしょう。

つくば市は科学のまちで、科学をウリにできるのは素晴らしいことです。科学技術は社会の発展に実際に役立ちますから、たたえられるのは当然ですね。

それに引き換え、文学は飯を食えるようになった後、暇があったらやるような、趣味の世界のことと思われがちですから、社会的地位を科学技術に譲らざるを得ないのは仕方ないのかもしれません。

でも、人類は石けんを発明するよりもずっと前に詩を作っていた―なんて言葉もありますから、科学技術も文学、どちらも必要なのは間違いないようです。

ホメロス『イリアス』を朗誦する英首相

先日、You Tubeで面白い動画を見つけました。英国のボリス・ジョンソン首相がロンドン市長時代、あるトークショーに出演したものです。ジョンソン氏はウィットに富んだ話で会場や司会者を笑わせます。

そして、ふいに「メーニナエイデテアペーイアデオーアキレイオス」と唱え始めます。それは古典ギリシア語で、ホメロスの叙事詩『イリアス』の冒頭なのです。その後の40行を3分間、ろうろうと朗唱します。2700年ほど前の詩を原語で。ジョンソン氏の強弱の付け方が独特なので、会場からはまた笑い声が起こる。

シェイクスピア作『ジュリアス・シーザー』のセリフに「it was Greek to me」というのがあり、直訳は「それは私にとってギリシア語だった」ですが、慣用句的に「それは私にはちんぷんかんぷんだった」という意味になります。

古典ギリシア語の文法はとても複雑で難しく、西洋人にとってもラテン語と並んで難しい言葉なのです。タモリがでたらめの外国語のマネをして、人を笑わせる芸に近い感じです。しかし、ジョンソン氏のギリシア語はでたらめどころか、教養の正統中の正統なのです。

古代ギリシア文化はヨーロッパ文化の根源のひとつです。ですから、ヨーロッパの人々は古典ギリシア語を学ぶことを重視して、ギリシアの哲学・文学を読む古典学が生まれました。古典学は中等教育にも取り入れられ、近年まで教養の基本になっていました。

この古典学をリードしてきたのは、独ボン大学、仏ソルボンヌ大学、英オックスフォード大学です。ジョンソン氏はそのオックスフォード大学で古典学を修めました。

過激な言動で世間を騒がせ、トランプ前米大統領の同類のように映るジョンソン氏。おどけたり失言したりするのはただのフリなんじゃないと思わせるほど、『イリアス』朗唱はすごさを感じさせます。教養とは何なのかを改めて考えさせられる動画でした。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

介護施設の父と通所する母 《ハチドリ暮らし》11

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【コラム・山口京子】父が現在の介護施設に入所して、ちょうど1年が経過。先月、ケアマネジャーさんから連絡がありました。父が軽い肺炎で、医師から酸素導入の処方があったという報告でした。継続的ではなく、肺の機能が回復すれば外せるとのこと。

しばらくして、また施設から電話がありました。父が酸素導入の管を嫌がって外し、大声で怒り出して困っているというのです。認知の低下があるのかもしれません。家族としては、本人が嫌がるなら外してくださいと、施設担当者と医師に伝えました。

家にいるときから、本人は「こんなに長生きしたんだから、早くお迎えがくればいい」と言っていました。介護が必要になってから5年目、今年89歳になります。自分のことが自分でできない不甲斐(ふがい)なさを持て余しているようです。冗談なのか本気なのか。本当にそう思っているのかもしれません。

施設の父とは、ガラス越しに対面はできますが、踏み込んだ会話は難しくなっています。入所するに当たって、いくつもの書面を作成しました。終末期医療については、痛みは取ってほしいが、延命治療は不要であると意思表示しました。

「とうちゃんは、死にたいとばかり言ってるよ」

でも実際の場面で、具体的な判断が求められる際の難しさに、戸惑っています。呼吸ができないで苦しいと感じたとき、酸素導入を望むのか、やっぱり嫌がるのか。これから父の体はどんなふうに変化していくのか。意識がなくなった後、医師の処方と家族の思いはどう折り合うのか。

「とうちゃんは、死にたいとばかり言ってるよ」と、母が言います。父が入っている施設にデイサービスで通っている母の話です。母はもう覚悟をしているのかもしれません。

「自分の方が早く逝くこともありえるのだから、そのときはよろしく頼む」とも言われています。「こんなに長生きするとは思わなかった」が口癖の母です。両親が結婚してから67年。だんだんと一つの家族の終わりが近づいているのかもしれません。

何かを成すには時間がいるということは事実でしょう。でも、人生は時間の長さではないかもしれません。でも、そう思えるのに随分時間がかかってしまいましたいつだって、「今」においてしか、生きることはできないのだもの。人は記憶や意識という機能を持つ、やっかいな生きものなのでしょうか。優れた生きものなのでしょうか。

今年もまた、ジャガイモの種を植え付けました。庭にはフクジュソウが咲いています。(消費生活アドバイザー)

もうひとりの斉藤くん 《続・平熱日記》105

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【コラム・斉藤裕之】4年生の時だったか、近所に同じ斉藤くんという名前の子が引っ越してきた。走るのが速く、バク転やバク宙さえも軽々とこなす彼は、すぐにクラスの人気者になり、同じ名字ということもあって私たちはすぐに友達になった。

当時、父は地方新聞を発行していて、小学校のころから、私と弟はわずかな件数ではあったが、放課後、その配達を手伝わされた。もちろんタダではなくて、1軒につき月20円をもらった。例えば20軒担当すると月に400円もらえる。小学生としてはいいお小遣い稼ぎだったのだろうが、雨の日も風の日も、決して休むことを許されないのは正直しんどかった。

しばらくたって、私は斉藤くんを新聞配達の助手にすることを思いついた。私たちは配達する新聞を半分に分けた。私はいつものルートを配り始める。そして、斉藤くんは配達ルートのゴール側からスタートする。ちょうど中間地点で鉢合わせれば、配達終了という寸法だ。

こうして2人で得た数カ月分の報酬をためて、いざデパートのおもちゃ売り場に買いに行ったモノ。それは「トランシーバー」だった。

トランシーバーをそれぞれ持ち帰った2人。私は興奮を抑えながら、あらかじめ決めた時間にスイッチを入れた。「応答せよ!応答せよ!」。ボタンを押して話をしても、返事がない。たかだか100メートルほどの距離だが、結局、斉藤くんの声が聞こえることはなかった。

今も元気にしているのだろうか

トランシーバーにはトランジスターという当時最先端の半導体が使われていた。あれから半世紀。次々と進化を遂げた半導体は私たちの生活を一変させた。

ケイタイに興奮し、スマホに狂喜し、人々はWiFiに群がった。かつての「一心同体」は今や「一心半導体」となったわけだ。しかし、ある日ハタと気づいた。むしろ電話もメールも来ない日々のなんと穏やかなこと。スワイプするのはほどほどに。イイネの数に意味はない。自分は自分、人は人。小さいころから言われてきたことじゃないか。

ある日の夕方、「ピンポーン」。どうやら新聞屋さんのようだ。少し前に購読料も上がって、そろそろ新聞も止め時かと、カミさんとも話していたところだった。でも、新聞を止めると本当に文字を読まなくなる。かといって、7割方の記事は見出しだけしか読んでいないのだけれど。すると「新聞、もう1年契約したよ。ストーブのたき付けも要るしね」。洗剤を抱えたカミさんが言った。

斉藤くんは今も元気にしているのだろうか。多分ね。知らないでいる方が幸せなことだってある。何もかもが明らかな世界は案外つまらない。トランシーバーのザーという音が今も耳に残る。(画家)

つくば市長の批判封圧は広報作戦の一環 《吾妻カガミ》128

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「つくば市民の声新聞」(左)と市長の似顔絵入り広報紙

【コラム・坂本栄】前回と前々回は五十嵐つくば市長の<元市議提訴~和解取り下げ>について検証しました。126「…市民提訴 その顛末を検証する」(2月7日掲載)では、杜撰(ずさん)な提訴など問題点を4つ指摘。127「…元市議の市政批判はウソだった?」(2月21日掲載)では、安易な目玉公約作りなど疑問点を3つ示しました。

こういった作業をしているうち、市長による元市議提訴が広報作戦の一環であったことに気付きました。今回はこの問題を取り上げます。

「発信の在り方を根本から検討」

2020年10月の選挙で再選された五十嵐市長は、選挙後最初の記者会見で「発信の在り方を根本から検討したい」と述べ、その理由として、①市の施策を知らない市民が多かった、②対抗候補も市政の基本を知らなかった、③市政について相当いい加減なことを書く人もいた―ことを挙げました。

詳しくは、記事「発信の在り方 根本から検討」(2020年11月5日掲載)、コラム95「つくば市長の『上から目線』」(2020年12月7日掲載)をご覧ください。

この会見は11月4日。元市議を名誉毀損で訴えたのが11月30日ですから、会見の時点で、ミニ紙「つくば市民の声新聞」(写真左)で五十嵐市政を批判した元市議(相当いい加減なことを書く人?)を提訴する準備が進んでいたようです。

2期目の市広報紙(写真右)を見ると、市民に市政情報を「PR色を抑え自然体」で提供するというよりも、「市民受けを意識した話題」が多く、割り引いて読むか、別の情報で補正する必要があります。市長は都合が悪い情報を隠すこともあり、コラム95(2020年12月7日掲載)、コラム126(2月7日掲載)の中で、その具体例を挙げておきました。

自慢話が多い市政広報。元市議提訴=批判封圧。五十嵐市長の広報強化と批判封圧はセットになっていたようです。コラム101「…市長の名誉毀損提訴を笑う」(2021年3月1日掲載)でも指摘したように、いずれも非民主国(中国やロシア)が好んで使う手法です。

広報紙と批判紙のセット配布を!

政策を批判されたら、「言論による名誉毀損にはまず言論で対抗すべき」という法理論に従い、言葉には言葉で応じるのが政治の作法だと、旧知の弁護士は言います。また、言葉で反論せず裁判に持ち込んだのは、批判者を萎縮させる狙いがあったのではないか、とも。

<元市議提訴~和解取り下げ>と<自慢話が多い市政広報>で、五十嵐市長の広報作戦は市民の信頼を失いつつあります。

そこで提案です。「対抗言論」の考え方を広報に導入し、市広報紙と市政批判紙(ミニ紙もその一つ)を一緒に市民に配ったらどうでしょうか。実現すれば、つくば市は民主市政のモデル都市「世界のあしたが見えるまち」になるでしょう。セット配布で、元市議提訴の失態を少し挽回できるかもしれません。(経済ジャーナリスト)