日曜日, 4月 28, 2024
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タオルの一生《短いおはなし》26

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

わたしは、ふわふわのタオルでした。
かわいいお花模様の、ピンク色のタオルでした。
上品な箱に入れられて、この家にやってきました。
大人も子どもも、わたしに頬ずりして言いました。

「肌触りがいいね」

「ふかふかで気持ちいい」

「ずっとすりすりしていたいな」

そうです。わたしはタオルの中でもひときわ人気者でした。
えへんと胸を張って、タオル掛けでみんなを待っていたのです。

しかし悲しいかな、月日は流れ、わたしは古くなりました。
何度も洗濯されてごわごわになりました。
ある日子どもが、ろくに洗わない泥のついた手を、わたしで拭きました。
「あらまあ汚い」と、おばあさんがわたしを漂白しました。
ちょっと待ってぇ~と叫んでも、声は届きません。
私は漂白されてしまいました。

自慢だったきれいなピンク色は、白と薄いピンクのまだらになりました。
お花模様は、もはや色とりどりのシミと成り下がりました。
生地の繊維も弱くなり、いつ穴が空くかビクビクしていました。
そしてついに、そのときがやってきたのです。

お母さんが、テーブルをわたしで拭いたのです。
そうです。わたしは雑巾にされてしまいました。
でも、テーブルの雑巾は、雑巾の中でも上位でした。
台所の油汚れを拭かれたり、トイレの雑巾になるよりは、ずっとマシなのです。
だからわたしは、たとえ食べ物のかすを拭かれても、じっと耐えました。

あるとき、子どもが言いました。

「お母さん、この雑巾、穴が空いてる」

が~ん。ついに、わたしに小さな穴が空いてしまったのです。

「あら、しょうがないわね。じゃあ、お台所の雑巾に格下げしましましょう」

格下げ…。嫌な言葉です。恐れていた言葉です。
わたしは台所の油汚れを拭かれた上に、焦げた鍋やこびり付いたカレーを拭かれ、ゴミ箱に捨てられるのです。
わたしの一生は、こうして終わりを迎えるのです。

しかしそのとき、子どもが言いました。

「お母さん、これ、絵の具拭きにしていい?」

「いいわよ」

ああ、なんとありがたいお言葉。
絵の具拭きになるということは、子どもと一緒に学校へ行けるのです。
格下げどころか、天にも昇る気持ちです。

わたしは翌日から、絵の具用の雑巾になりました。
赤青黄色、たくさんの色で、わたしはとてもカラフルになりました。
写生の時は、一緒に外に連れて行ってもらいます。
太陽の光を浴びながら、水色や緑に染まります。
わたしは今、とても幸せです。

子どもは、なかなか絵が上手でした。
将来、有名な画家になるかもしれません。
彼が有名な画家になったら『有名画家が使用した雑巾』として、美術館に展示されるかもしれません。
わたしはその日を夢見て、今日も絵の具箱の中で出番を待っているのです。(作家)

「… in宇部」後記② 同級生《続・平熱日記》156

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】イリコの絵を買っていかれた「いりこ」さん。実は個展を心待ちにしていてくれた中学の同級生の奥様だった。

「いりこ」というのはもちろんあだ名で、旧姓の「いり…」がその由来だそうだが、このいりこさんは奇遇にもギャラリー・オーナーの同級生だったのだ。つまり、旦那が私の同級生で奥様はオーナーの同級生。というわけで、図らずも彼の善意で私の個展の情報は中学の同窓会のSNSに回るという事態を招いた。

これはちょっと困ったことになったと思った。なにせ高校卒業以来、人生の裏街道をひた歩いてきた私にとって、故郷の友人は思い出の中にあって、できるだけ会いたくないというのが正直なところ。実際に、学校を出てからほとんど誰にも会ったことがないのだ。

しかしながら、絵描きというのは絵も描くが、絵を見せてなんぼのものである。ひとりで絵を描きたいのだが、みんなに見てもらいたいというひねくれた生き物なのだ。

結果的に、3人の同級生が個展会場に現れた。正直、会った瞬間は誰かわからなかった。しかし、「〇〇です」と言われた瞬間に、50年近く前の顔が瞬時に頭に浮かんだ。

「これ俺」「ヨシナガくん?」

1人目は前述の彼、2人目は地元にいて家業を継いだ男で、どこか華のある男だったが、高校の同級生と組んだロックバンドを今も続けているという。そして、3人目は会うなり「これ俺」とスマホの画面を見せてきた。

その画面を見た途端、「ヨシナガくん?」と。それは保育園のお遊戯会のときに彼と2人で踊った「角兵衛獅子」の画像だった。そのモノクロの写真は我が家にもあったし、多分何度も稽古をしたのだろう、幼心にはっきりと覚えている。

と同時に、彼にとって彼自身を私に思い起こさせる最良の手段として、わざわざこの画像をスマホに納めて会場に現れたことに胸が熱くなった。

というのも、彼とはその後、高校までを共にするのだが、恐らく同じクラスになったことはなく、つまり彼との確かな思い出、記憶としてはこの角兵衛獅子以来あまりないのだ(実は前述の2人も同じクラスになったことがない)。

彼はニコニコほほ笑む奥様を同伴していて、「再婚なんだ」と紹介してくれた。それから地元の大企業に勤めてけっこう偉くなっていること、お母様がご健在で私の母のことを気にかけてくださっていることなども分かった。そして「この絵をください」と、昨夏にふと訪れた徳山動物園の象の絵(紙粘土で作ったものを描いた)を買ってくれた。

5月末からは「… in丸亀」

しかし一番驚いたのは、会期中に同級生が持ってきてくれた、数年前に開かれた中学の同窓会のパンフレット。なぜか当時の校長の挨拶文が載っているのだが、それがなんと実家の向かいのヒロちゃん(高校では柔道部の先輩)だったこと。

さて、5月末からは「平熱日記 in 丸亀」が香川県のギャラリーで開かれる。それをSNSで知った高校の同級生達。丸亀行を企てているという。そっとしておいて欲しくもあり、有り難くもあり。(画家)

常陸農協が子ども食堂を開設《邑から日本を見る》158

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那珂市瓜連の子ども食堂

【コラム・先﨑千尋】今月13日、常陸農協(秋山豊組合長)は、那珂市瓜連にある「ふれあいプラザ瓜連」の一角に「子ども食堂(スワン食堂)」を開設した。同プラザは旧瓜連支店の事務所だったところで、近くの小学生や親子連れの家族でにぎわい、50人以上が来店した。この日のメニューはカレーライスと野菜サラダ、ゼリーなどで、12時半には売り切れとなった。

同農協では5年前から、子どもたちに農協を知ってもらい、身近に感じてもらおうと「子ども食堂」を開く準備を進めていたが、コロナ禍で地区内の小学校の了解を得られず、農協女性部のメンバーを中心に「レインボーサロン」を立ち上げ、準備を進めてきた。月に1回、メニューの開発をし、郷土料理などで腕を磨いてきたが、最近では毎回30人近くが参加し、ソバ打ちや豆腐、コンニャクづくりなど、地元の素材を使い、季節に合わせたメニューは、仲間からもおいしいと評判を呼んでいる。

茨城県内では、農協が各種の子ども食堂に食材を提供してきた事例はあるが、農協自体が運営主体となったケースは初めてだ。全国でも農協直営の子ども食堂は多くはない。「全国共済農協連(全共連)」の地域貢献活動の支援も受けている。3月23日のプレオープンの時にも50人近い参加者があった。スタッフはレインボーサロンの会員たち。

農協がどうして子ども食堂に取り組むのかについて、秋山組合長は「子どもがどんどん少なくなって、地域が寂しくなる。こうした状況を見て農協が何もしないでいるのは耐えがたいと感じていた。次世代に農協の存在を知ってもらう方法として子ども食堂を開くことを考えついた」と話す。 

「ふれあいプラザ瓜連」の萩野谷一成店長は「当面、月に1回開くが、回数を増やしたい。子どもたちにも料理づくりに参加してもらったり、近くの畑を借りて有機野菜を栽培し、食材に使ったりすることなども考えていきたい。周辺の高校生や大学生の力を借り、学習支援にも取り組んでいきたい」と、今後の抱負を語っている。

子ども食堂は全国で増えている

子ども食堂は、2012年に東京都大田区の「きまぐれ八百屋だんだん」というところで始めたのが全国初。その後、子どもや保護者、地域住民に無料または安価で「栄養のある食事・温かな団らん」を提供するための社会運動になり、テレビや新聞雑誌など多くのメディアから注目を集め、瞬く間に全国に広がっていった。

NPO全国こども食堂支援センター「むすびえ」の調査によると、子ども食堂は18年以降毎年1000カ所以上増え続け、昨年10月現在で全国に9132カ所あり、利用者は推計で大人と子どもで延べ1584万人、うち子どもは1091万人に達した。同年度の公立中学校の生徒数とほぼ同じになる。県内の子ども食堂は今年2月現在で187カ所あり、水戸市、つくば市、日立市、土浦市など、都市部に多い。

子ども食堂は子どもの貧困対策というイメージが先行していたが、最近は食育推進や子育て支援、世代間交流、地域活性化など、地域の特性に合った様々な活動が取り組まれているようだ。農協が地域の子どもたちとどう関わっていくのか。今後の同農協の子ども食堂の展開を注目したい。(元瓜連町長)

秋田で「新作花火コレクション2024」《見上げてごらん!》26

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第92回土浦全国花火競技大会10号玉の部優勝「昇曲付五重芯銀点滅」(土浦市提供)

【コラム・小泉裕司】4月27日(土)、秋田県大仙市で「大曲の花火-春の章」が開催される。大会プログラムのメーンは、次代を担う45歳以下の若手花火師による花火競技大会「新作花火コレクション2024」。「10号芯入割物の部」と、4号10発、5号5発による「新作花火の部」の2部門で競われ、各部門の優秀作品4作品と総合優勝者1人を決定する。

また、会場で鑑賞した花火鑑賞士のオンライン審査により選ばれた花火師に、「日本花火鑑賞士会特別賞」として、ドラえもん黄金ブロンズトロフィーを授与する。

山﨑煙火製造所の匠の技 

茨城県からは、山﨑煙火製造所(つくば市)の石井稔さん(40)が初出場。18歳で入社、経験年数で言えば20年を超える中堅花火師。社交的な場面は得意ではないとのことだが、技術力のある若手登用を掲げる山﨑智弘社長の後押しで、今回の出品が実現したように思う。

4月4日(木)、秋田県大仙市のコミュニティFM局 FMはなびの「花火の星」に出演し、師匠・杉山花火師の弟子として、社名を汚さない花火をご覧に入れることができればと、大会出場への意気込みを語った。

10号玉の部は、最高難度と言われる「昇曲付五重芯銀点滅」を出品。これまでも数々の競技大会で優勝の実績を残す山﨑煙火の十八番だ。特に、親星(下記解説)全体が銀色にキラキラと点滅しながら一斉に消滅する消え口の見事さは、ほかの花火師もあこがれる匠の技。点滅の消え口は、素人目にも鮮やかで夜空に残る余韻が心地よい。

石井さんは、工場内では多重芯の星込めが専門と言うから、色のキレを含め、他作品の追随を許さぬ「ぶっちぎり」状態は間違いない。

新作花火の部の作品名は「雪舞いの笠地蔵」。おとぎ話の世界の描き方に興味津々。昨夏の大曲で観客が驚愕(きょうがく)し、10号自由玉の部で優勝した「海月(くらげ)、漂う」の創造性が生かされるのだろうか。キラキラの銀点滅による「雪舞い」なのだろうか、勝手に想像を巡らせている。

こうしたネーミングはとても重要で、来場者は、打ち上げ前のイマジネーションを膨らませると同時に、打ち上げた花火との整合性を楽しむ。大会審査においても、主要な評価項目に違いない。

花火鑑賞士特別賞の行方は?

大会審査員は、出品作品に順位を付ける公正厳格さが求められる一方、花火鑑賞士会賞は、作品の出来映えを踏まえながらも、好みの煙火業者に票を投じる鑑賞士も少なくないように思う。それはそれでいいと思っている。

私たち花火鑑賞士は、競技大会をはじめ各地の花火大会を鑑賞しながら、花火の魅力に陶酔し、好みの花火や煙火業者への思いを募らせる。こうした過程を経て投じる1票だ。点数化できない「思い」「心」を花火師に届けたいのだ。

今大会の出場者18人中、11人が初出場と昨年までと様変わりしており、普段は訪れることのない地で活躍する花火師の作品を、仲間と堪能できることもうれしい。

半年前からホテルを予約

いずれにしても、この1票のために半年前からホテルを予約し、GW初日の1カ

親星:丸く開く割物花火は、幾重もの「芯星」と一番外側の「親星」で構成されている。

飲み屋街の看板群の秘密《看取り医者は見た!》17

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写真は筆者

【コラム・平野国美】私は家系的に下戸で、飲み屋に出かけることは滅多にありません。しかし、ある時から飲み屋街の看板を眺めて歩くのが好きになりました。特に、陽が落ちてネオンに電源が入り浮かび上がった様は格別なのです。

その日もスマホを片手に飲み屋街の写真を撮っていました。そうしたら、後ろから怪しい男がついてくるのです。踏み込んではいけない場所に足を入れてしまったのか? 写してはいけないものを撮ったのか? 足早に立ち去ろうとすると、「おい、待て」と声をかけられたのです。

怪しいお前も看板屋か?

見た目70代の男は服装こそラフですが、危険な感じはありませんでした。「お前は同業者か?」と顔をのぞき込んできました。この方は何を生業(なりわい)としている方なのだろうか?

「さっきから見ていると、飲み屋の看板をずっと撮影しているから、看板屋か? 映画のセット屋か?」と、尋ねてきました。自己紹介は省略して、「おいちゃんは何をする方?」と尋ねると、「昔はな、こういう飲み屋の看板とか作ってたんだ。あんたも同業者かと思ってな」と答えました。

「お話を聞かせてください」と、喫茶と書かれた看板の店に一緒に入りました。場所は奥浅草の千束通り辺り。時間は夜の8時。古い「昭和」の喫茶店に2人で入り、生ぬるいコーヒーを飲みながら話を聞いたのです。

看板・のれん・マッチ箱

「仕事はデザイナーということでしょうか?」「デザイナー? そんなんじゃないな。俺、そういう奴ら嫌いなの。蝋石(ろうせき)って知ってるか? 子供のころから、あれで道に絵や文字を書いて遊んでいたのよ。字がうまいっていうんじゃなくて、なんていうかなあ」

何が言いたいのかを推測して、「味のある字が書けるみたいな?ですか」「そう、それだ。少し、近所じゃ評判になった。書道でも習うかって言われたけど、ああいう堅苦しいのは、俺ダメ。学校も大嫌い」と懐かしそうに語るのです。

「ある日、いつも通り、蝋石で遊んでいたら、ちょっと強面(こわおもて)のおっさんが、ずっと上から眺めているんだよ。おい坊主、卒業したら、うちに来いって言われ、いつの間にか、そこに就職したんだ」

コーヒーを一口すすって、「事務所と言っても、親方の家にソファーと机を置いてよ。合羽橋の道具街の近くだから、居酒屋やスナック開こうとする客がワンサカ来てよ。俺が話を聞いて、文字とちょっとした絵を入れて、看板、のれん、マッチ箱を作って開店させるんだ。それで50年ぐらい生きてきた」

他の看板とのバランスが大事

「この辺りの店には、まだそれが残ってる。灯りがつかなくなったネオンも随分あるけど。でも、ある時から広告会社とかデザイナーが出てきて、俺たちはお払い箱になった。その店だけが目立っちゃダメなんだ。ほかの看板とのバランスが大切なんだよ」(訪問診療医師)

レインボーの中で、虐殺に抵抗する《電動車いすから見た景色》53

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筆者が手作りした、LGBTQのシンボルであるレインボーフラッグとパレスチナの旗

【コラム・川端舞】毎年4月後半に開催される国内最大級のLGBTQ(性的少数者)関連イベント「東京レインボープライド」。今年も19日から3日間、予定されている。

例年、イベントにはイスラエル大使館がブースを出展していた。イスラエル政府はLGBTQフレンドリーであると世界にアピールすることで、パレスチナへの占領という負のイメージを覆い隠そうとしていると批判されてきた。「東京レインボープライド」もイスラエルのイメージ戦略に利用されているのではないかと、当事者団体などが指摘している。

今年のイベントも、パレスチナで虐殺を続けているイスラエルに製品・サービスを提供しているとして、世界中で不買運動が呼びかけられている企業が協賛しているため、イベントに参加するべきかどうか、当事者団体のなかでも激しく議論されている。

一方、毎年イベントに参加することを生きる目標にしている人もいるだろう。今の社会は、出生時に割り当てられた性別と、自認する性が一致し、異性愛である人を前提につくられ、そこから外れた人はいないことにされている。自分の性別に違和感を持ったり、同性に恋愛感情をもつことが周囲に知られた瞬間、偏見にさらされる危険性もある。

そのような社会でかろうじて生き延びるために、本当の自分を隠しながら毎日を過ごしているLGBTQ当事者がたくさんいるはずだ。過酷な状況を生きる当事者が、「年に一度、本当の自分を認めてくれる仲間に会える」「東京なら、地元の知人に出くわす心配もなく、堂々といられる」などの思いで、「東京レインボープライド」に参加することを誰が責められるだろうか。

イスラエルがパレスチナでの虐殺を覆い隠すために、LGBTQを利用するのは決して許せないが、イベントでLGBTQの人権を祝うのが悪いわけではない。

LGBTQはパレスチナにもいる

……と偉そうなことを言っておきながら、私も今回のイベントに参加する予定だ。普段からLGBTQの社会問題に関心を持っているが、それを気軽に話せる場はあまりない。そんな私を気にかけてくれた高校時代の友人が、「一緒に行こう」と誘ってくれた。

しかし、イスラエルの虐殺に加担したくない。友人に相談し、イベント最終日のパレードにパレスチナの旗を持ちながら参加することにした。そもそも、LGBTQはイスラエルの専売特許ではないし、LGBTQ当事者は日本にもイスラエルにも、当然、パレスチナにもいる。LGBTQの人権と、パレスチナへの連帯を天秤にかけるべきではない。

きれいごとかもしれないが、LGBTQとパレスチナ、双方に連帯するために私は友人と一緒に歩く。(障害当事者)

デイズタウンの「季彩 かがり」《ご飯は世界を救う》61

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イラストは筆者

【コラム・川浪せつ子】コロナの終わりが視野に入ってきたといわれますが、つくば市内の飲食店に様変わりがありました。私の大好きだった居酒屋が閉店。悲しい。和食を食べるのにどこに行ったらいいのだろう…。そんなとき見つけたのが、TXつくば駅近く「デイズタウン」地下1階の「季彩 かがり」さん(竹園1丁目)。

デイズタウンは、この中にあったスーパーがなくなってから、足が遠のいていましたが、地下へ階段を降りてみて見つけました。かなり以前からあったのね。和風宴会だけかと思っていたら、ランチがすごい。おいしくて低価格。これでいいのか、こちらが心配になるほど。
今回はお刺身セットを注文しましたが、日替わり定食もあります。千円出しておつりがたくさんきます。

中でもお気に入りは「コロッケ定食」。絵にはしにくい、何でもないジャガイモコロッケなのだけど、おいしい。鶏のから揚げの上には大根おろし。体に優しい「とり雑炊」。私の好きな「親子丼」。グルメレポートはしないのですが、言いたくなってしまう。隠れ家的なランチ場所ですね。

夢が広がる空間 本屋さんも

また、デイズタウンには、スーパーがあった所に書店が入りました。ララガーデンが1年ほど前に閉店し、そこに入っていた本屋さん。

ネットで何でも買える時代になりましたが、やはり書籍は手に取ってセレクトしたい。そして、本屋さんでは思いがけない、ステキな出合い本もあるのです。人生の方向性を示してくれる本があることも…。

この本屋さんでは雑貨なども販売。友人などへの、ちょっとしたプレゼントにも活躍しています。今、日本中の本屋さんが閉店の危機と聞きますが、これからは夢の広がる空間、物・体験を提案していってくれる場所になったらなぁ、と思います。(イラストレーター)

化け猫映画vs.ゾンビ映画《映画探偵団》75

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】化け猫映画の『怪談佐賀騒動』(1953)を見返したが、今見ても怖かった。SFXのすぐれたハリウッドホラー映画や演出のテクニックがさえるジャパンホラー映画より、因果応報を描いた化け猫映画のほうが怖い。多分、子どもの頃に見た化け猫映画のトラウマで怖さを感じてしまうのだろう。

化け猫映画とは、悪い奴のいじめによって非業の死をとげた主人の飼い猫が化け猫となり仇(かたき)をとる話だ。つり上がった目、真っ赤に裂けた唇、ぴょこんと立った両耳の姿で悪党たちに襲いかかる。観客は仇を討とうする化け猫を応援し感情移入するべきなのだが、化け猫のあまりの不気味さに襲われる悪党側の気持ちになって恐怖を感じてしまうのだ。

化け猫映画の歴史は古い。明治時代の『鍋島の猫』(1912)に始まる。私が初めて見たのが新東宝の『亡霊怪猫屋敷』(1958)。怖くて夜中トイレに一人で行けなかった。子どもの私に化け猫映画を見せた大人は誰だろうか。

化け猫女優・入江たか子

その後、化け猫映画の歴史を調べ、戦前の化け猫スタアは鈴木澄子、戦後は入江たか子だと知る。入江たか子には覚えがあった。

黒澤明監督の『椿三十郎』(1962)に家老の奥方が出てくる。貫禄があり、主役の三船敏郎に引けを取らず存在感を示し、上品な雰囲気を醸し出していた。入江は華族出身の戦前の大スタアで、女優で初めてプロダクションを作った映画史に残る美人女優である。だが、戦後は一転して化け猫女優として人気を得る。

①『怪談佐賀騒動』(1953) のヒットを皮切りに 、②『怪猫有馬御殿』(1953)は12月29日公開のお正月映画である。当時、新年から化け猫映画を見る観客がいたわけだから、いかにすさまじい人気だったかが分かる。翌年には2本製作され、③『怪猫岡崎騒動』(1954)はシリーズ最高のヒットを記録した。④『怪猫逢魔ケ辻󠄀』(1954)もお正月映画だった。⑤『怪猫夜泣き沼』(1957)が最後で、入江たか子は5年で5本の作品を残した。

ハリウッドのゾンビ映画

それからも、日本映画界で化け猫映画は何本も作られるが、東映の『怪猫トルコ風呂』(1975)を最後にその歴史は途絶える。ホラーとお色気とコメディーを合わせ持つこの作品を期待して見たが、少しも怖くなくて失望した。だが今では、カルト映画として人気が上がってきている。

化け猫映画が途絶えた頃から、ハリウッドのゾンビ映画が続々作られた。ゾンビ映画の歴史も古い。『恐怖城』(1932)が始まりだから、かれこれ90年も続いている。私は、ゾンビ映画が好きではない。ゾンビは理由もなく健康な人々に襲いかかり、仲間を増やしていく。一体、何が目的なのだろうか。

この30数年、子どもたちの不登校問題が話題になっている。その背景は、いじめに原因があるような気がしてならない。もしや、この30数年次々と公開されたゾンビ映画の人気と関連しているのではと妄想してしまう。

ゾンビと比較すれば、化け猫のほうが健康的である。子どもたちに化け猫映画を見せ、いじめると化け猫に襲われると、因果応報を無意識に刷り込んだらどうだろうか。こんなこと言うと、寄ってたかって匿名の人たちに批判されるかな?  サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

町の「光」を観る《デザインを考える》7

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焼き畑の女たち(左)、コド漁

【コラム・三橋俊雄】1988年、私が所属する研究室に、新潟県のS町から「観光開発基本計画」の依頼がありました。S町は大小48の集落が河川流域と海岸線に沿って分布し、約1万人の人びとが居住している高齢化・過疎化の進む町でした。

私たちは、本計画案策定にあたり、「観光」の本来の捉え方を、古代中国・周時代の『易経』に倣い、「町の光を観(み)る」ことに置きました。はじめに、半年をかけて「町の光」の総点検を行うことにしました。その「光」のいくつかを、写真とあわせて紹介しましょう。

焼き畑の女たち

S町の焼き畑は8月お盆にかけて行われ、主人公は女たちです。この町特有の「ボシ」と呼ばれる頭巾(ずきん)をかぶり、ナタやクワを手にして、焼き畑の左右の縁に陣取ります。深夜零時に火入れ、その後、枯れ草に火を移しながら、山の上部から下部へ向かって順に広げていきます。

火は次第に燃え広がり、隣接しているスギ林や夜空までをも鮮やかに浮き出させます。飛び火や延焼から火を守る女たちの堂々とした姿は、めらめらと燃え盛る炎に照らされて、エロティシズムさえ感じさせるほどです。明朝、灰の熱いうちに赤カブの種をまきます。

コド漁

サケの上る道を推定して川底の砂をかき取り、「スジ」と呼ばれる魚道を作ります。その魚道の脇に、流れと直角に雑木の柵を打ち込み、その上に笹をかぶせます。川を上ってきたサケが、笹の下のよどみで一休みしているところを、長い竿(さお)の先にある「カギ」で素早くかき取ります。この伝統的な漁は9月から12月まで行われます。

シナ布(左)、奉納相撲

八幡様の奉納相撲

筥堅(はこがた)八幡宮のある集落では、氏子たちが中心となり秋季例大祭が催されます。小中学生が担ぐ子ども神輿(みこし)には大人たちが大きな声でゲキをとばしたり、神輿の方向を直したり、あれこれ世話を焼き、女子高生とお母さんたちは、そろいの浴衣姿で「勝木小唄」や「佐渡おけさ」などを踊りながら、集落を練り歩きます。また、境内では庄内・越後の対抗奉納相撲がおこなわれます。

シナ布

シナ布は、北日本に多く自生するシナの木を原料とする、麻に似た感触の織物です。その工程のほとんどが昔ながらの手仕事で、豪雪地帯における冬場の家内仕事として細々と受け継がれてきました。Kさんは、その「シナ織」の技術を用いてバッグなどの製品化を試み、郷土工芸の一つとして、町の欠かせない物産となっています。

内発的な地域づくり

このような事例から、人びとの「町の光を消してはならぬ」との強い思いを見てとることができます。「観光」とは、日常の暮らしの中に「光」を発見し、それらを地域の「誇り」や「喜び」として再確認し、守り、磨き、町内外に「知らしめ」「分かち合う」ことであり、それが「町の光を観る」という、内発的な地域づくりの姿勢であると強く感じました。(ソーシャルデザイナー)

つくば洞峰公園問題を総括する《吾妻カガミ》181

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茨城県庁(左)とつくば市役所

【コラム・坂本栄】寄稿「つくば洞峰公園市営化で市長が隠していたこと」(4月2日掲載)で、酒井泉氏は市の広報紙「かわら版」30号では市民が共有すべき事実が伏せられていると指摘、市長は民主主義の基本が分かっていないと批判しています。私は、①交渉力の乏しさ、②財政運営の甘さ、③市民調査のおかしさ―について指摘しておきます。

明らかな事実A:器量不足

コラム175「… 県案丸呑みの不思議」(1月15日掲載)で、「県から公園を無償で譲り受けるに至るプロセスで、知事と市長の間でまともな話し合いが無く、…維持管理費を丸々押し付けられた」と書きました。

国と県が主導して建設した学園都市の洞峰公園は、県の財産であると同時に市民が自慢する公園です。こういった施設の運営方法をめぐって、知事と市長の意思疎通が2年にわたり不十分であったというのは異常です。

175で引用した市議の発言によると、「市長が知事にアポを取って話し合ったことは一度もない。何度も直接協議するよう求めたが、その気配すらなかった」「一部市民から県の計画に反対する声が出たあと、市長は県に懸念を伝えたとSNS(ネット発信ツール)に書き込んでいた」そうですから、市長の交渉力(首長に必須の器量)には疑問符が付きます。

明らかな事実B:甘々財政

洞峰公園問題は、園内の野球場に設けるアウトドア施設の運営益を公園管理費の足しにしたい県と、都市公園をいじらないよう求める市がぶつかる形で始まりした。結局、公園部分どころか体育館施設も市に移管されましたから、管理費負担の面では県の勝利でした。

「かわら版」では、公園市営化で「…樹木が立ち並ぶ緑豊かな環境」が維持できると、プラス面を強調しています。新規財政負担(マイナス面)に触れたのは「維持管理費約1億5000万円/年度 目標使用年数(80年)を実現するための施設修繕費約3500万円/年度」の1行だけです。財政面での敗北を知られたくなかったようです。

171「…『劣化』容認計画」(23年11月20日掲載)でも取り上げたように、1億5000万円+3500万円の年間経費は、園内施設を修理~修理で済ませ、老朽化しても更新しない「ケチ・ボロ」計画です。こういった雑な施設維持に加え、将来必要な体育館建て替えなどを考えると、甘々で無責任な財政運営です。

明らかな事実C:誘導操作

「かわら版」では、洞峰公園を無償で譲り受けることの是非を聞いたアンケート結果を紹介しています。それによると、「賛成」+「どちらかといえば賛成」が74%だったそうです。

172「…市の変な調査」(23年12月4日掲載)で、「これは市民の判断を『昰』に誘導する手法であり、市民の声をきちんと聞く調査とは言えません」と書きました。そして、この種調査の基本である回答者無作為抽出を避けており、「調査の体を成していない」と指摘しました。

市の調査は、希望者だけに回答用紙を箱に入れさせる+市のHPに書き込ませる方式ですから、賛成者を動員することで結果を操作できます。市民の声を公平に聞くには、新聞やテレビが実施する世論調査方式(回答者を無作為に選ぶやり方)でなければ意味がありません。「賛成74%」はこういった誘導操作で作られた数字です。

クリアになった迷走の構図

緑地部の現状を維持し市の負担を抑える方策はなかったのでしょうか? ありました。例えば、153「…住民投票が必要?」(23年3月20日掲載)で示した霞ケ浦総合公園方式(土浦市と県が共同管理)です。体育館などは県に任せ、緑地部などを市が管理する方式(管理下の野球場はいじらない)で、これなら市の財政負担は半分以下で済みます。

試しにアウトドア施設を認め、迷惑施設と分かったら撤去させる手もありました(逆に大騒ぎするような施設ではないことが分かったかもしれません)。これなら市の負担はゼロです。いずれの策も、力量不足(A)では無理だったでしょう。結果、財政負担(B)が生じ、AとBをごまかすために市論操作(C)に動いた―これが洞峰公園問題の構図です。(経済ジャーナリスト)

「さくらまつり」と「みんなでゴミ拾い」《けんがくひろば》5

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けんがくさくらまつり(3月末撮影)

【コラム・島田由美子】2月のこの欄で告知した「けんがく さくらまつり2024」が、3月30日、TX研究学園駅前公園の古民家周辺で開催されました。今回はその報告と、けんがく(研究学園駅周辺)地区で気軽に参加できる活動「研究学園 みんなでゴミ拾い」を紹介します。

いろいろなイベントで世代交流

さくらまつり当日は天気に恵まれ、大勢の住民の方においでいただきました。様々な世代が集まり、シニアグループにグラウンドゴルフを教わる中学生や、おじいさんと昔あそびを楽しむ親子連れの姿が見られました。古民家内には、子どもたちの書や大人たちの水彩画やクラフト作品が展示されました。

縁側前のステージでも、サロンのウクレレグループや研究学園中学校吹奏学部の演奏からガマの油口上まで、バラエティに富んだパフォーマンスが披露され、目指していた「地域の文化祭&新歓祭」を実現できました。

さくらまつりを主催した「けんがく まちづくり実行委員会」の目的はイベントを催すこと自体ではなく、イベントをツールとして、地区の活動団体が連携し、まちをよりよくすることです。

今回、初めての試みとして、「けんがく まちづくりコーナー」を設け、地区の20年間の移り変わりが分かる写真や地区の活動団体をマッピングした地図などを展示しました。来場者の方々にも「けんがくの夢」を桜型の付せんに書いていただき、大きな桜の木を完成させました。

また当日、イベントマップと一緒に、活動団体の活動を一覧にした「けんがく まちづくりカレンダー」を配布し、興味をもった団体にコンタクトしやすいようにしました。

ゴミを拾いながら情報もゲット

新年度になり、新しいことを始めたい人や地区に移ってきて知り合いをつくりたい方にぴったりのイベントが 「研究学園 みんなでゴミ拾い」。研究学園グリーンネックレス タウンの会が2019年から主催しています。このイベントの目的は、おしゃべり。ワイワイガヤガヤお話しながら、まちを歩いて、友達を見つけたり、お店を発見したり、新情報をゲットしたりします。そのおまけとして、まちもきれいにします。

月に1回、活動を初めてから今年で6年目になります。コロナ禍の時期、当初は中止していましたが、「ゴミ拾い」は3密にならないため、少し落ち着いてから再開し、遠出ができず、娯楽施設にも遊びに行けないご家族に楽しんでいただきました。

先月、毎回参加してくれていたご家族のお母さんに「転勤族なので、もうすぐ引っ越します。このゴミ拾いはまちに慣れていなくても参加しやすく、子どもたちも毎回、楽しみにしていました」と言ってくただき、この活動の意義が再確認できました。今後も無理なく続けていきます。(けんがくまちづくり実行委員会 研究学園グリーンネックレスタウンの会 代表)

「みんなでゴミ拾い」を終えて

<みんなでゴミ拾い>

▽4月28日(日)午前10~11時、研究学園駅北口集合、ゴミ袋でモンスターこいのぼり作り、花菖蒲プレゼント。

▽5月26日(日)、7月7日(日):場所、時間、催しの問い合わせはこちら

コロナ後 県南がまたベッドタウン化する?《遊民通信》86

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【コラム・田口哲郎】

前略

コロナ禍では国土開発について、首都一極集中からの脱却と地方再生が謳(うた)われました。テレワークの推進や移住の促進で首都圏から地方への人口移動がなされた感じがします。阿見町は人口が5万人を突破しましたね。

でも、コロナ禍が一応の収束をみて、改めて見るとどうでしょうか。テレワークもとりあえずなんとなく減っている感じで、出勤が増えているような気がします。3月のダイヤ改正で、常磐線の品川駅〜土浦駅間は、10両編成の列車から15両編成列車への輸送力増強がなされたそうです。東京に通う人が増えているということなのでしょう。

そうなると、また常磐線の取手駅から土浦駅あたりは東京中心のベッドタウン化してしまうのではないか…。そんな予感が頭をよぎります。

たしかに、コロナ禍という災禍によってテレワークという、ずいぶん前から実用可能だった技術によって、物理的な人間の移動が不要な画期的な便利さが世に知らしめられたのは大いに良いことです。東京の街を歩いていても、以前のような全体的で慢性的な混雑はなく、インバウンドの旅行客で観光スポットは混んではいるものの、日本人の数は減っているようにも見えます。

それでも、首都東京の特権的な地位というのが、またじわじわと復活しているのは確かだと思います。この流れは止められないものなのか、とモヤモヤしていたのですが、東京を中心とする地方と中央の間の移動はいまに始まったことではなく、江戸時代にもあったことを知り、そうか仕方ないか、と思いました。

人の移動は経済効果を生む

ご存知の通り、江戸時代には参勤交代があり、外様大名は1年おきに国元と江戸を行き来しました。今のように数時間で東京に着ける時代ではないので、大名行列は道中、いくつもの宿場町に泊まり、そこで多額のお金を落とす。宿場町がある藩はその恩恵にあずかることができます。

人間が移動することは経済を動かすという視点に今さらながら気づかされました。逆に人間が移動しないと、経済圏がブロック化して、金の回りが鈍くなるような気がします。

コロナ禍は新たな可能性を示す結果になりました。でもそれを追求するばかりでは良くない。古来の人間の移動が経済のためにも大切だ。そもそも人間は「動」物なのだから。そんな必要性がまたじわじわと再認識されて、アフター・コロナのテレワークの減少につながっているのかもしれません。

そう考えると、人間の移動も無駄ではないし、茨城県南の街がベッドタウンとしての本領を発揮するのも悪いことではないと思えてきます。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

TX沿線県立高問題 知事の答弁に希望《竹林亭日乗》15

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4月の筑波山(筆者撮影)

【コラム・片岡英明】茨城県の3月議会で星田県議(つくば市区)が「TX沿線開発と今後のまちづくり」について質問。大井川知事から、TX開通後東京圏から多くの子育て世代が移住し、沿線の人口が8万4000人も増え、今後も増加が見込まれる、沿線3市(守谷市、つくばみらい市、つくば市)を一体として魅力あるまちづくりを進めたい―といった趣旨の答弁があった。

TX沿線3市の現状、特に教育環境はどうなっているのだろうか? 先につくば市と守谷市の県立高への進学や通学状況を取り上げたが(23年10月10日付24年1月12日付)、今回はつくばみらい市も含めた3市の県立高について考えたい。

県立高環境、常磐線>TX

2023年度入試時のつくばみらい市の市立中卒業者は442人。県立高への進学者は、伊奈高79、水海道一高48、守谷高36、藤代紫水高23、藤代高22、取手一高21、竹園高15、水海道二高14、牛久栄進高10、つくばサイエンス高9、竜ケ崎一高8、取手二高8―と、分散している。

人口が増えている同市にとって、通学手段や定員を含む県立高問題は市の将来に関わる重要テーマと言える。そこで、TX沿線3市の市内県立高への入学状況を見ると、以下のようになっている。

市立中卒業数 市内県立高入学  割合
▽つくば    2183   318    14.6%
▽守谷      642    69     10.7%
▽つくばみらい  442    79     17.9%
▽合計     3267   466    14.3%

3市とも市内入学は1割台にとどまっている。この数字は常磐線沿線の土浦38.4%、牛久24.0%、取手39.4%に比べると大幅に低い。そこで、TX3市を一体とした県立高入学割合を見ると、以下のようになっている。

生徒 3市県立高入学 割合
▽つくば    2183   413   18.9%
▽守谷      642    164   25.5%
▽つくばみらい  442    139   31.4%
▽合計     3267   716   21.9%

常磐線沿線3市を一体として計算した割合は、土浦45.2%、牛久54.4%、取手44.6%、3市合計で47.8%。TX沿線3市合計で21.1%だから、常磐線沿線3市の半分以下という圏内入学率である。

沿線の県立高充実=沿線発展

TX沿線、常磐線沿線のいずれに住むかで県立高校進学条件に大きな違いがある。そのため、TX沿線の中学生には高校選択・通学に大きな負荷がかかっている。今後もTX沿線の人口・子ども増が見込まれることから、このまま放っておくと一層悪化する。

県は、県立高校の定員不足がTX沿線発展のボトルネックになっている事実を見てほしい。その上で、TX沿線・つくばエリアの中学生に県平均水準の県立高枠を確保してほしい。県立高の入学枠を広げることが、TX沿線の発展、ひいては県の発展につながると考える。

3月議会での知事の答弁を聞き、知事も多くの地域住民の願いと同じ方向性を持っていることが分かった。ここにTX沿線3市の中学生の希望を認めた。そして、つくばの高校新設問題の外堀は埋まったと感じた。知事答弁の延長線には、TX沿線への県立高新設があると思うからだ。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

フィルムカメラのおはなし《ことばのおはなし》68

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写真は筆者

【コラム・山口絹記】時折ふるーいフィルムカメラを頂くことがある。「亡くなったお父さんが使ってたんだけど、私は使い方がわからないから」とか「押し入れから出てきたんだけど、撮れるのかしら」といった具合だ。

そうやって受け取ったカメラは、試しにフィルムを入れて撮った写真を見せてあげることにしている。受け取ったカメラもなんとなく廃棄しにくいので、たまっていくのがまことに難儀である。

先日「こういうカメラ欲しいって言ってたよね?」と言ってヨドバシカメラの袋を差し出された。少し遅い誕生日プレゼントと言うことらしい。

ちなみに私が常日頃から欲しいと言っているカメラというのは、いわゆるレンジファインダーカメラだ。しかし、ヨドバシカメラで買える現行のレンジファインダーなんて高級カメラしかない。へたすると100万オーバーである。

妙に軽い袋を開けて出てきたのは、なんとプラスチック製のハーフサイズフィルムカメラと、ISO感度100のリバーサルフィルムだった(わかる方にはわかるすごい組み合わせ)。なるほど、そうきたか。

実のところ、このカメラはレンジファインダーではないのだが(見た目は似ている)、発売された時からずっと欲しいと思っていたカメラなので、素直にとてもうれしいプレゼントだった。

人間とは厄介な生き物

それにしても、この時代に新品のフィルムカメラをプレゼントされることになるとは思わなかった。なにせフィルムがとても高価になってしまった。私がまだ17歳の頃、フィルムカメラを使っていた20年近く前は500円ほどで買えたネガフィルムも、今では2000円くらいになってしまった。当時5本5000円くらいで買っていたリバーサルフィルムも、今では1本4000円近くするものが多い。

ハーフサイズカメラというのは、フィルムを本来の半分(ハーフ)ずつ使うことで、ざっくり2倍の枚数を撮影できるカメラのことだ。フィルム代を節約できるのが利点で、まさに今の時代に再び真価を発揮できるカメラと言っていいだろう。

画質は落ちるが最近ではそういう写りも流行(はや)っているらしい。仕事の機材として高画素のデジタル一眼を使用している私でも、その解像度に疲れてしまうことがあるくらいだから、なんとなくわかる気がする。

片や写真はスマホで十分、という世界があり、さらなる高画素化を進める最新カメラの世界があり、一方できれいに写りすぎないカメラが好まれる世界もあるのだから、人間とはどうにも厄介な生き物である。(言語研究者)

戦争を扱った2冊の本を読んで《ハチドリ暮らし》36

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写真は筆者

【コラム・山口京子】1日家にいて、新聞もテレビもラジオもインターネットも遮断すると、静かな空間ができます。自分の身の周りの静かさを実感しつつ、それでいて、自分を取り巻く社会がどうなっているのかに注意を向けないと、この暮らしも危うくなるのではと…。

新聞を読むにしても、関心がある記事は最後まで読みますが、そうでなければ見出しだけでスルーしています。そういう姿勢に、最近不安を感じるのです。関心がある記事だけ読んで、そうでない記事は読まないという態度は、いかがなものかと。

関心がなくても読まなくてはいけない記事があるはず…。そもそも自分の抱く関心がどういうものなのか、それはどうやって形成されたのか―自分に向き合って考えなければならないのではと。

消費者問題や家計管理などには関心がありますが、外交、政治、戦争などについては難しくて読み過ごしてしまうのが正直なところです。ですが、テレビや新聞ではウクライナやイスラエルの報道が目につきます。こんなむごいことが今の時代になぜ起こっているのか。

人間関係も国同士の関係も、一方が100%正しくて、他方が100%間違っているということはないでしょう。時事的なニュースだけでは、問題の歴史的背景や構造は分かりません。また、そのニュースの出所がどこなのかも注意が必要でしょう。

「世界から戦争がなくならない本当の理由」

なので、そういうときには図書館に行って関連する書籍を探します。2冊の本が目に留まりました。1冊は「世界から戦争がなくならない本当の理由」(祥伝社、池上彰)。もう1冊は「ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義」(大和書房、岡真理)です。

「世界から戦争が…」は、2015年、戦後70年の教訓を語るものとして出版されています。日本が戦後処理を人任せにしてきた結果を今も引きずっている、戦後日本の歪みが沖縄の基地問題に表れているのではないか、戦後日本の安全保障は米国に振り回されてきた―と。

そして、日本を「2度と戦争のできない国」にするために憲法9条を与えながら、自分たちの都合で「軍隊ではない軍隊」をつくらせ、さらには集団的自衛権の行使も可能にして「戦争のできる国」に戻そうとしている―と。そして米国が関与した戦争のあらましがつづられています。

「ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義」

昨年出版された「ガザとは何か…」では、主流メディアは、連日、ガザについて報じながら、その内容は事態の重大さに見合ったものもなければ、問題の核心を伝えるものではないと指摘しています。現在のメディアの姿勢を端的に説明しているように思いました。

ストックホルム国際平和研究所の2022年版(調査は2021年)によると、世界全体の軍事費は2兆2400億ドル(約300兆円)で、うち米国が約39%の8770億ドルを占めたということです。(消費生活アドバイザー)

裏金問題と自民党政権の調査《ひょうたんの眼》67

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アシビ(写真は筆者)

【コラム・高橋恵一】自民党安倍派の政治資金パーティーのキャッシュバックによる裏金づくり事件で、39人の国会議員が、自民党から処分を受けました。離党勧告が2人、党員資格停止が2人。対象議員86人のうち、47人が処分無しでした。

この事件は、自民党の派閥が、政治資金獲得のために開催するパーティーの収益の一部を現金で還元し、派閥側の支出記録も、各議員の収入記録も残さず、金の動きを隠す裏金を作ったらしい、というものです。

安倍派では、約20年前から行われていたようで、野党やマスコミが暴いたのでなく、神戸学院大の上脇博之教授の政治資金規正法違反容疑の告発で明らかにされました。

検察とは別に、政治不信に対応すべく、自民党・岸田政権も調査に乗り出したのですが、実態が明らかになりません。誰が主導した事件か? 裏金は何に使われたのか?―が明らかにされていません。

まず、何に使われたのかですが、何に使ったかの説明もせず、使途不明あるいは思い出せないということは、不法な買収とか供応、選挙違反となるような選挙運動の経費に使ったと判断せざるを得ないでしょう。手ぬぐい一本の配布や香典一つで責任を取り、議員辞職した例は数多くあります。

今回の事件は、不正とわかっていた裏金処理の確信犯です。金額の多寡にかかわらず、議員辞職すべきでしょう。

それよりも、誰が主導したかですが、裏金で最大の効果を得たのは、故安倍総理でしょう。安倍一強の体制は、配下の議員数の多さ以外の何物でもないでしょう。裏金の効果は絶大で、また違法性が高いという認識があったから還元を止めようとしたのでしょう。

止めていれば、今回の事件は、告発を受けることも無かったかもしれません。調査すべきは、還元再開後ではなく、20年前からの裏金と選挙・政治への影響です。

賢明な国民に期待

旧統一教会問題も、中途半端な教会と議員の表面的な関係だけの調査で、今後関係を断つという裏付けの無い結末でお茶を濁してしまいました。本来は、安倍政権が教会との癒着の中で、選挙協力をいかに得ていたを調査すべきでしょう。国政だけでなく地方議会も、「政策協定」により、ジェンダーフリーの否定、家父長制的な政策提言が多くの地方議会で議決されているのです。

岸政権の調査は、まさに政治家が説明責任を果たさせず、いずれも本質に踏み込んでいません。

極言すれば、裏金問題といい、旧統一教会問題といい、本来であれば、議員の資格の無い者の多数で、政権与党が成り立っていたことになります。この間、大企業や外国資本に有利な経済財政運営がなされ、慢性的な低賃金と非正規雇用が続き、格差社会が拡大し、一方で、分不相応な軍事「費」大国がつくられようとしています。

最悪の安倍政治が、終焉どころか、増長しているように見えます。まっとうな政治家と、まっとうなマスメディアと、賢明な国民に期待するだけです。(地歴好きな土浦人)

裁判所は水俣病患者を救済しないのか《邑から日本を見る》157

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不知火海。写真は筆者提供

【コラム・先﨑千尋】いつものように3月下旬には水俣から甘夏が届く。「他人に毒を盛られた者は他人に毒を盛らない」。50年近く前、海で魚を取れなくなった水俣病の患者たちは、そういう思いで陸に上がって甘夏を作り続けてきた。その甘夏を口に入れる。甘酸っぱい果汁が口の中いっぱいに広がる。何度も通った水俣のミカン畑に思いをはせる。

そんな折、ショッキングなニュースが届いた。先月22日に、熊本地裁は水俣病患者の訴えを退ける判決を下した。この裁判は、2009年施行の水俣病被害者救済特別措置法(特措法)に基づく救済策の対象外となった144人が、国と熊本県、原因企業のチッソに損害賠償を求めていたもの。同様の裁判で、原告全員を救済した昨年9月の大阪地裁判決とは大きく異なる判決となった。

原告側は、チッソ水俣工場から不知火海(しらぬいかい)に排出されたメチル水銀を、魚介類を通じて摂取したことによる水俣病だと主張。大阪地裁は原告側が訴える手足の感覚障害の原因を検討し、「水俣病以外の原因では症状を説明できない」として法律の線引きを一蹴し、原告全員を水俣病患者だと結論づけた。

しかし今回の熊本地裁判決では、疫学調査の結果や地元医師の診断書の信用性を疑問視し、25人のみを水俣病と認めた。そして、不法行為から20年経つと損害賠償請求権が消滅すると定める民法の「除斥期間」の起算点について、水俣病を発症した時期(大阪地裁は水俣病と診断された時点)とした。

このため、熊本地裁は水俣病と認めたものの、全員が発症から20年以上経過しているという民法の規定を適用し、賠償請求は棄却された。

環境省は特措法を遵守せよ

水俣病が公害病として認定されたのは1968年。しかし、いまだに被害の全体像がつかめず、国による救済策の対象外となった人たちは、これまで繰り返し司法に訴えてきた。特措法では居住地や出生年で線引きがあり、救済を受けられないまま取り残された人たちは裁判に訴えざるを得なかった。

そして、不知火海沿岸に住んでいた人の健康調査を速やかに行うと定めた法施行から15年経っても、実施のめどが立っていない。

私は、同じ趣旨の裁判なのにどうして裁判官によって結論が違うのかを考えてみた。判決文を書く基準の民法も特措法も同一だ。特措法の狙いは「あたう限りすべて救済する」だ。それなのに結論は真逆。裁判官の解釈によって結論が違うのだ。原告の1人は、判決後に「予想外の結果だ。頭が真っ白になった」と語っている。一方、環境省の担当者は「勝った」と話していると新聞は伝える。

なるほど、国は「勝った」。しかしその国とは何なんだ。森友事件に巻き込まれて自死した赤木俊夫さんは常に「私の雇用主は日本国民。その国民のために仕事ができる国家公務員に誇りを持っている」と話していたと聞く。裁判官も環境省の役人も、本来、国民のために仕事をするのが務めのはずだ。

水俣病の患者たちは法に触れることはしていない。チッソがまき散らした有機水銀を摂取した魚を食べ、身体がおかしくなった。その人たちをあたう限り救うために特措法ができたはずなのに、健康調査を15年もほったらかしにしている。それを裁判官も環境省の役人も認めず、環境省の役人は罰せられない。おかしいではないか。(元瓜連町長)

「… in 宇部」後記① 指輪と魚の話 【続・平熱日記】155

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写真は筆者

【コラム・斉藤裕之】その日は春の嵐。3月も後半に入ろうというのに、山口県の山あいにある弟の家の窓の外は横殴りの雪。そんな中、空路東京からわざわざ個展会場にやって来てくれたのは教え子のF君(コラム150に登場)。

「海を見たいですね、瀬戸内海を!」。彼のリクエストに応えて車を走らせること20分。海岸線が見え始めると、そうだ!マヨねえから借りた山下達郎のCDをかける。男2人のライドオンタイム。しかしながら、車から出た私たちを待っていたのは強烈な寒風。

遠くに九州の国東半島を望みながら、瀬戸内海を背景にスナップ写真を1枚撮って、そそくさと車に戻った。「おー寒い~」

ケンブツジャコ

個展会場に戻って作品を見終わったF君は「色の違う指輪」(コラム150に掲載)という作品をご所望だという。え?でもこれは私と亡き妻の指輪を描いたものだけど。当時私の指には金色の指輪が似合わず、結果的に同じデザインで妻はゴールド、私はプラチナという、色の違う指輪にしたのを昨年描いたものだ。そんな他人の指輪の絵をなぜ欲しがる?

「実は僕らの指輪もそうなんですよ」「え?」。彼の薬指のプラチナ色の指輪の一部分はゴールドで、奥様のはその逆だという。もちろん私はそんなことなど知らずに、彼の結婚式の話をコラム150に書いて指輪の絵を添えたわけだが、偶然とはいえF君にとっては何か因縁めいたものを感じたのかもしれない。

それにしても、わざわざ山口まで来てくれたF君にはおいしい魚ぐらいはご馳走してやりたい。ということで、ギャラリーオーナーの涼子さんにお勧めの店を聞くと「ケンブツジャコって食べたことある?」。

この宇部あたりでしか食べないというケンブツジャコ(テンジクダイ)という金魚ぐらいの大きさの小魚(私は偶然昨年この魚を食べる機会があった。頭は固いので落として、カラ揚げに)を食べさせる店があるというので行ってみることに。残念ながら、その日はこの珍味をお目にかかれなかったが、それでもおいしい瀬戸内の魚をたらふく食べてF君も満足して東京に帰って行った。

イリコ

余談だが、宇部近辺ではケンブツジャコと共に「レンチョウ」いわゆる舌平目をよく食べる習慣があって、宇部のソウルフードなどと呼ばれているらしい。同じ県内、瀬戸内海でも、その土地、土地で食習慣が違うんだなあ。

また、山口の魚は冬の間ひとりでずっと鍋を食べ続けた私にとっても、春を告げる御馳走(ごちそう)となった。今回も、アジ、メバル、のどぐろ、フグ、いか、かわはぎ、さざえ、ウニ、セグロイワシ、サヨリなど(ほとんどは義妹の手料理によるもの)、それから島の岸壁で獲ったナマコも食べた。

そうそう、魚といえば昔「いりこ」というあだ名だったという方がイリコの絵を買っていった(詳細は次回に)。

帰りの高速では、何とも美しい富士山が現れたが首都高手前から壮絶な渋滞に巻き込まれて辟易(へきえき)した。半月ぶりの茨城は季節が止まっていたかのように木々が寒々しい。それでも日差しは春のもので、パクはいつもの散歩道を懐かしそうに楽しんでいた。(画家)

阿見町の「たけのこ料理」フェア《日本一の湖のほとりにある街の話》22

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イラストは筆者

【コラム・若田部哲】茨城県の阿見町は、総面積に対する竹林の面積が県内トップクラス。農林水産省が行っている農業状況調査の指標「農林業センサス」の直近のデータでは、同町の竹林の面積は102.4ヘクタールで、町総面積に対する割合は1.43%。県内44市町村の平均は0.39%であり、他市町村の約3.6倍の割合となっています。

このため、県内でも春のたけのこ生産が盛んであり、地元の直売所には季節になると新鮮なたけのこが並びます。さらに毎年4月には、たけのこ料理フェア「たけのこほっぺ」を開催。今回はこのイベントについて、同町商工観光課の井手さんにお話を伺いました。

農家の協力で「たけのこ」掘り体験

今回で12回目となる「たけのこほっぺ」では、町内6店舗の飲食店が、特産のタケノコを用いたメニューを提供しています。たけのこご飯や青椒肉絲(チンジャオロース)、てんぷらなど、お店ごとに工夫を凝らしたメニューはどれも美味!

また、同イベントで毎回好評なのが、たけのこ農家さんのご協力による「たけのこ掘り体験」。今回3カ所の竹林での開催が予定されているこの体験イベントは、毎年訪れる熱心なリピーターもおられるそうです。

お子さん連れや、都心からのお客さんも多いというたけのこ掘りの魅力を井手さんに伺うと「整備された竹林の中を歩く非日常的なさわやかさと、宝探し的なワクワク感に魅力を感じていただいているようです」とのこと。

整備された竹林は、目で鮮やかな緑を楽しめ、足裏で積もる葉の感触を楽しめる、とてもさわやかな体験です。また、良いたけのこは地面からまだ出ておらず、わずかに地面が隆起しているのを、上に積もった葉が少し浮いているのを足で踏んで探すのがポイントで、この点が宝探し的でとても面白いそうです。

採りたて「たけのこ」刺身は美味

採りたてのごく新鮮なたけのこは、アク抜きをせず刺身で食べることも可能で、これも自分で収穫してこそのお楽しみ。また、質の良いものの見分け方として、芽の部分が緑になっておらず黄色いものを選ぶと、柔らかくておいしいそうです。

今年のフェアは4月6日から30日まで。産地ならではの新鮮な味わいと、五感で楽しめるさわやかな行楽・たけのこ掘りを、ぜひお楽しみください。(土浦市職員)

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

→これまで紹介した場所はこちら

建つか?筑波大恩師の銅像《看取り医者は見た!》16

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具志堅用高さんの像(左)と油屋熊八さんの像

【コラム・平野国美】数年前に北海道のある街に出掛けた時のこと。地元の方との話の中で我が恩師の地元が確かここだと思い出し、名前を挙げてみると、「おお、YZ先生のお知り合いですか?」と、相手が身を乗り出してきました。

先生は筑波大学時代の担任で、留年を繰り返した私は、何度も天久保の寿司屋で説教と励ましを受けました。恐れ多くて、知り合いなどとは言えません。その後、先生は母校の東京医科歯科大学に転籍され、トップに登り詰めました。医学界では伝説の方です。

先生の業績で理解しやすいものは、東京工業大学と東京医科歯科大学統合(2024年10月発足)の地ならしがあります。20年以上前、ある空港でお会いしたとき、2大学だけでなく、4大学連合(東京医科歯科大、東京外国語大、東京工業大、一橋大)を唱えておられました。各大学の人材や単位の流動性を図るのだと。

銅像は街の歴史を刻む

地元の方は「立ち消えになりましたが、駅前に先生の銅像を建てようという計画案があったのです」と言っていました。この話を聞き、駅前広場に青空を指差して立つ先生のブロンズ像を想像しました。見た目は、俳優の國村隼さんと「こち亀」の両さんを足して二で割ったような感じです。

学生時代、なぜ東京医科歯科大を目指したのか、先生に聞いたことがあります。「俺、田舎が比布でよ。子供の頃に地元代議士の息子がよ、東京の大学に合格してよ。入学するとき、なまら、わんさの人が駅のホームに集まってよ。札幌に向かう電車に向かって、万歳三唱したの見てよ。俺も、いつか東京に行かなきゃって思ったわけよ。だから、冠(かんむり)に東京って書いてある大学を狙ったわけ」と、話されていました。

地元の人が言う駅前が、比布町なのか旭川市なのか分かりませんが、いつか銅像が実現してほしいものです。もう先生は80代に入り、穏やかな日々を過ごされていると思います。空港で最後にお会いしたときの言葉は「今からハーバードに行ってくる」でした。

銅像は芸術的な意味もあると思いますが、街の歴史を刻むものもあります。私が見てみたいのはロッキー・バルボア像(フィラデルフィア)です。今回の写真の右は別府駅前の別府観光の生みの親、油屋熊八さんの像、そして左の写真は石垣港にある具志堅用高さんの銅像です。(訪問診療医師)