土曜日, 9月 5, 2026
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自宅に負傷した日本兵がかつぎこまれた【語り継ぐ 戦後81年】1

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飯田猷子さん

つくば市 飯田猷子さん(92)

筑波山麓のつくば市神郡に住む飯田猷子(みちこ)さん(92)の終戦は、小学6年の時だった。「戦争には良い思い出がなく、つらいことばかりなので、あまり話したくはない」と言いながらも、80年前を振り返ってくれた。

猷子さんは、室町時代から伝わる、和紙で贈り物を包む礼儀作法「折形(おりがた)礼法」の指導者で、「日本の折形歳時記 礼の心」などの著書がある。

81年前、筑波山麓の上空にはかなりの戦闘機が行き交った。空中戦を繰り返す戦闘機の様子も見られた。筑波山は飛行機にとっては目印なので、かなりの頻度でやってきたのではないかという。近隣の作谷には、落下傘やグライダーを用いて敵地に進むグライダー訓練基地だった西筑波陸軍飛行場があった。

ラジオで空襲警報が鳴ると、各家庭にある防空壕に身を寄せた。辺りが静かになると防空壕から出てくる。1時間ぐらい防空壕に身をひそめていたという。幸い神郡周辺に爆撃はなく家屋に被害はなかったが、近くの山林に戦闘機が墜落する事件があった。村人たちは米兵だと思い、竹やりを持って集まった。ところが、戦闘機に乗っていたのは日本兵。みんなで助け、当時、祖父が区長だったこともあり、猷子さんが住む飯田家にかつぎ込んだ。猷子さんは血だらけの兵士を見てとても怖かったと振り返る。兵士はその後、作谷にあった施設にかつぎこまれ手当てを受け、助かった。後に歩けるようになり、白い患者服を着たままお礼に来たという。

猷子さんは1933(昭和8)年、東京都北多摩(現在 東久留米市)の寺の長女として生まれるが、母の実家だった神郡に2歳で預けられた。その後、猷子さんの叔父にあたる飯田家の長男、次男が中国北部で戦死、3男も入隊したのち病気になり、戦後自宅で亡くなった。飯田家に男子の後継者がいなくなり、猷子さんは祖父母に育てられながら、飯田家の後継者となった。

1945(昭和20)年、戦況がひどくなるころは、通っていた田井国民学校(田井小学校、2018年に廃校)でも授業が少なくなり、サツマイモ作りなど農作業ばかりしていた。「当時の子供は食べるものも食べていないので力も出ず、くわなどの農具がうまく扱えず大変だった」。収穫前に、終戦を迎えた。

8月15日は、自宅で玉音放送を聞いた。意味はわからなかったが戦争が終わったことを知った。うれしいとか、悔しいとか、そういう感情はなかった。子供たちの間では、戦争が終わったのだから、勉強しなくても済むんじゃないかという噂も広がった。ただ「空襲警報もなくなり、戦争から解放されたのはうれしかったと思う」と語る。

猷子さんはその後、土浦の土浦二高に進学、自転車で常陸北条駅まで行き、旧筑波鉄道で通った。北条の坂がつらかった。大学に行きたかったが祖父母の反対で行けず東京洋裁学校をへて、大手電機メーカーに就職、社長秘書として2年勤め、大変勉強になったという。東京にいた4年間は、母親がいる東久留米から通った。

神郡の飯田家で生きていくことを納得し、つくばに戻り23歳で結婚。飯田家を守っていくことになる。一度東京に出たという体験が、田舎と東京の両方を知るという経験になり、田舎の良さや自然のありがたさがわかってとても良かったという。自然が好きで、日本アルプスなどの山を歩いた。「この年齢でも足腰が丈夫なのは若い頃山を歩いて鍛えておいたから」だともいう。

世界各地で今も戦争が続く世の中については「人間の欲望がある限り戦争はなくならない。欲望は人間の力の源でもあるから戦争をなくすのはとても難しい。小さなコミュニティでさえ、争いを起こす、人が争うのは必然のような気がするので、戦争がなくなる世の中は来ないのではないか」と話した。

今は本を読んだり、詩を書いたりして、ゆったりしたときを過ごしている。(榎田智司)

最終話《続・平熱日記》195

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】ちょうど24年前、大工の弟と2人でここに家を建てた。その時に内壁に使った漆喰(しっくい)が余ったので、それを木っ端に塗って絵を描いてみた。それから古いハエたたきを見つけて、その朽ちかけた金網に漆喰を塗って最初に描いたのは、小さな木彫りの馬の絵。その絵は手製の額に入れられて今も手元にある。

「平熱日記」と題してその小さな絵を発表したのが今から16年前。その4年後、タブロイド判「常陽新聞」に同じタイトルのエッセイを寄稿し始めた。新聞休刊後は、タイトルを「続・平熱日記」に変え、WEB版「NEWSつくば」に掲載してきた。これまでにざっと350話ほど。

近く「平熱日記」を出版

今年の初め、千曲市にあるアートコクーンみらいの上沢さんから「平熱日記」を本にしてみないかというメールが来た。文章もさることながら、毎回自筆の絵を載せ、それも長い間続いているのがいい、と。そう言われると、「飽きもせずに続いているもんだ」と思わないではないが、毎朝小さな絵を描き、日々の些事(さじ)を言葉でつづることは性に合っていた。

正直うれしかったが、どこか他人事のように感じた。確かに前からそういった声はないではなかったが、「それほどのもんでもない」と本人は思っていた。ところが、彼女はあっという間に立派な企画書を作り(彼女は物書きからスタート)、出版社に話を持ち掛けてくれた。紆余(うよ)曲折はあったものの、本になる算段はついた。

そこで、「続・平熱日記」となってからの200話近くから、約90話を抜粋することとなった。70話前後までの作品画像は、デジカメでWEB用に撮ったので印刷には耐えられそうもない。そこで出版を機に撮りなおすことにした。すでに現物がないものは、仕方なく別の絵の画像に差し替えることにした。

コーヒーの花が咲きましたよ!

その作業をほぼ終えた日のこと。NEWSつくばから、同メディアが配信開始から10年になるのを機に、コラムなどの顔ぶれを一新したいと言ってきた。この知らせに私は不思議な偶然を感じた。この夏からしばらく、故郷山口に帰って暮らしてみようと考えていた矢先だったからだ。私は何の未練もなく「続・平熱日記」を終えることにした。それから、このコラム「最終話」を出版される本の「まえがき」にすることを思いついた。

山口に発つ1週間前、スマホに着信が…。「コーヒーの花が咲きましたよ!」。カミさんが生前大切にしていた人の背丈もあるコーヒーの木。その後、わが子のように面倒を見てくれた「サイトウコーヒー」のマスターのやや興奮気味の声だった。送られてきてた、4年越しに咲いた星のような白いコーヒーの花の画像に「いってらっしゃい」と言われているような気がした。

コラム最後の絵は家の扉を描くことにした。家族や友人が出入りした扉。カミさんと結婚パーティーをした、今はなき東京芸大の大浦食堂からもらってきた扉の絵。(画家)

霞ケ浦、中京に勝利し2回戦へ【高校野球’26】

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好プレーに皆が一斉にメガホンを叩く=阿見町の霞ケ浦高校


甲子園球場で開催中の第108回全国高校野球選手権大会は9日の第4試合、県代表の霞ケ浦が中京(岐阜)と対戦、6-3で勝利し2回戦に勝ち進んだ。阿見町青宿の霞ケ浦高校ではパブリックビューイングが催され、生徒、保護者、OB・OGら約70人がスクリーンに向かって声援を送った。

霞ケ浦は一昨年の智弁和歌山戦に続く甲子園で2度目の初戦突破。快挙は母校で観戦応援するクラスメートたちにも勇気を与えた。サッカー部3年の濱田晋吾さんは「彼らの活躍が、自分たちも頑張らなくてはと思う原動力になった。次は自分たちがみんなを(全国選手権大会の舞台となる)国立競技場へ連れていきたい」と意気込み、同じく稲葉涼太さんは「普段クラスでは明るく元気な野球部員たちが、スクリーンの向こうで真剣な表情で戦っているのを見て感動した」と話した。

第108回全国高校野球選手権大会 1回戦(9日、甲子園球場)
霞ケ浦 001022100 6
中 京 100000200 3

霞ケ浦が中京のエースでU-18日本代表候補の鈴木悠悟投手を打ち崩した。3回表、7番・菊地勇一が四球と盗塁で二塁へ進み、9番・相田歩希の左中間への安打で生還。5回にも相田の右前打や2番・村上聖の左翼線二塁打などで2点を追加し、流れをたぐり寄せた。

6回には、それまで精密にコースへ投げ分けていた鈴木の制球が乱れ、2死一・二塁の好機。ここで8番DH(指名打者)野口空真の中前打と相田の右前打で2点を獲得した。相田はこの試合3安打2打点の活躍。7回には中京の2番手投手・西岡海心に対し、村上の中前打と盗塁から犠打、四球で1死一・三塁とし、5番代打・小磯陽希の内野ゴロで1点を追加した。

霞ケ浦の先発は小林将大。高橋祐二監督は「最低でも打者一巡、良ければ5回まで」との目論見で送り出したというが、大きく曲がるスライダーとキレの良いストレートで次々と相手打線をほんろう。初回こそ野手が打球を足に当てる不運もあり1点を失うものの、その後は凡打の山を築いた。7回には相手打線もタイミングが合ってきて1点を奪われるが、この回途中からエース稲山幸汰がマウンドを引き継ぎ、中京の追撃をかわした。

霞ケ浦の2回戦は14日、第2試合で鳴門渦潮(徳島)と対戦する。試合開始は午後4時の予定。

「倭文織」をご存じですか《邑から日本を見る》197

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「倭文織考」の表紙(左)と裏表紙。写真は筆者

【コラム・先﨑千尋】本コラムをお読みの皆さんは「倭文織」のことをご存じだろうか。私たちは「しづおり」と言っている。「倭文」だけだと、「しどり」、「しずり」、「しとり」、「しつ」などと読んでいる。

倭文織は、藤布、葛布、科布(しなふ)、からむし織などと同じく、山野に自生する植物(楮=こうぞ=など)を素材とした自然布の一つなのだが、いろいろな文献には残っていても現物が存在しないので、どのような織物なのかが分からず、幻の織物とされてきた。

私は35年前の瓜連(現那珂市)町長のとき、この復元に取り組んだ。私の町は奈良時代には「倭文郷(静織郷、しどりのさと)」と言われていた。713年に編まれた『常陸国風土記』久慈郡の条には「郡の西十里に静織の里あり。上古の時、綾を織る機を知る人あらざりき。時にこの村に初めて織りき。因りて名づく」とある。

また、同町にある常陸二宮静神社には、織物の神様・建葉槌命(たけはつちのみこと)がまつられており、織物関係者の信仰が篤(あつ)い。

倭文織を生産する専門的技術者は倭文部(しとりべ)と呼ばれていた。その一人、倭文部加良麻呂は、防人(さきもり)として北九州に派遣され、そのときに詠んだ長歌が『万葉集』に残っている。

私はこのような歴史遺産をよみがえらせようと考え、県の助成を受け、倭文織のルーツ調査を始め、復元のために、原料となる楮の栽培、織る機を購入、技術者を養成した。瓜連小学校には全国初の「しづ織クラブ」も誕生。織物が好きな人たちはグループ「手しごと」を組織し、現在に至っている。

倭文の名を冠した神社は全国に14社あり、関東、山陰、近畿に多い。地名だけだとさらに多く、北は岩手県にまで残っている。苗字が倭文という人もいる。あまり知られていないが、静岡という地名も「しづはた」に由来する。

この織物については、『日本書紀』『万葉集』『古語拾遺』『延喜式』『常陸国風土記』などに記載されており、特に平安時代の『延喜式』には頻繁に登場する。しかし、その素材についての記述はない。

「倭文織」の文献を1冊にまとめて刊行

私はこの時から、倭文織や自然布、古代布などの文献を集めるため全国各地を訪ねた。それが600余になったので、これをまとめるのが自分の使命と考え、5年前に書き始めた。今回やっとそれがまとまり、A4判112ページの『倭文織考』を自費出版した。

その内容は、我が国の倭文織に関する明治以降の研究史、静、倭文、志鳥などの地名、神社名と人名、建葉槌命と関わりのある香香背男(かがせお)、倭文織に関する最近の動向、文献リストなど。これまで目に触れられなかった江戸時代末期の松浦道輔の『倭文考』も、翻刻収録した。表紙は、江戸時代初期に書かれた「常陸名所図屏風」から採った。

本書は非売品。国会図書館と県内の主な図書館、博物館にあるので、関心のある方はそちらで読んでほしい。

最後に。私の筆力が最近衰え、切れ味が鈍くなったので、このコラムは今回でおしまい。長い間のご愛読に深謝。さらば。(元瓜連町長)

県の対応に変化 つくばの県立高問題《竹林亭日乗》43

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桜川の青木堰(写真は筆者)

【コラム・片岡英明】7月21日、つくばエリアの県立高不足の解決を求め、つくば市選出の山本県議、うの県議、ヘイズ県議が見守る中、つくば市の小森谷市議会副議長、松本副市長、松本総務部長らの参加のもと、総勢13人で柳橋県教育長に9回目の要望書を提出した(7月21日付)。

副市長からは、地域の子ども急増、小中学校の建設状況、県立竹園高学級増への市支援などについて説明。副議長からは市議会の意見や市民の声が紹介され、県議からは県執行部に不足問題を解決するよう要求してもらった。県側も、山口学校教育部長が「貴重な声として受けとめたい」と懇談の最後まで同席した。また、海老沢高校教育課長、片見改革推進室長らも出席し、ていねいで率直な意見交換ができた。今回はこの対話で感じた新しい可能性について報告したい。

懇談では、生徒・保護者の願いが県担当者の心に届き、県執行部内に大きな変化が生まれているのが分かった。つくばエリアの県立高不足の実状が県に伝わり、解決の土台ができてきたと思う。懇談では、つくば市の人口は県内1位となったが、このままでは県立高不足がさらに悪化すると県資料で説明、「水戸市の水準は求めていない。せめて県平均並みにしてほしい」と県の決断を促した。

そして、つくばエリアの県立高不足解決には、まず2019年改革プランの積み残しを解消するために、竹園高校の学級増を求めた。また、現在県が作成中の2027年改革プラン(2027~33年)で、つくばエリアの県立高定員を県平均水準にするよう求めた。つくばエリアの問題点を県が理解し対応すれば、この地域の人口・生徒増を県の発展に生かすことができる。

「迷い」から「見直し」に

今まで県のつくばエリアの県立高不足対策には迷いがあった。それを簡単にまとめると、以下のような流れになる。

▽2022年11月の県議会:教育長「進路選択に影響が出ないように計画を示す」と、前向き答弁。

▽2024年10月の県試算:「2030年に3学級増必要」と「土浦・牛久・下妻を加えた拡大つくばエリアを設定すれば学級増は必要ない」と、2つの矛盾した試算を発表。

▽2025年の高校審議会:「入学者数と募集学級数の展望」で、生徒が増えているつくばエリアの学級数を2033年には57学級に逆に削減するとの展望を提示。

生徒増の中でつくばエリアの学級減という不自然な2025年「展望」に対しては、懇談の場で事実に基づいて質問したところ、県は事前に検討した上で「見直し」を明言した。県の対応は、今までの「迷い」から「見直し」に転換したと思う。これは改善の一歩であり、評価したい。県議・市議・市執行部「オールつくば」の願いが通じたのではないか。

この姿勢転換の延長上で、現在作成中の2027年改革プランで、つくばエリアの県立高定員を県平均水準まで引き上げるよう改善してほしい。私たちは今後も市民の多くの声を県に伝えていきたい。(元高校教師、つくば市の小中学校の高校進学を考える会 代表)

先端技術の社会実装支援へ つくば市がファンド創設

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つくばスーパーサイエンスシティファンド設立に当たり、第1号の連携協定機関となった筑波大学との連携協定書を示す(左から)筑波大の加藤光保プロボスト、五十嵐立青つくば市長、つくばスーパーサイエンスシティ構想全体統括者の鈴木健嗣筑波大教授

「地方は収益化に課題」

自動運転バスや遠隔医療など、先端的な技術やサービスを社会実装する「つくばスーパーサイエンスシティ構想」の取り組みを、実証実験に終わらせることなく社会実装につなげようと、五十嵐立青つくば市長は7日開かれた定例記者会見で、新たなファンド(基金)を6日付で創設したと発表した。

つくばスーパーサイエンスシティファンドという名称で、最大9割の税負担軽減を受けることができる企業版ふるさと納税を活用して、市外に本社がある企業などから新たな寄付を募る。寄付金は、6割を市の社会実装事業に活用し、4割を大学や研究機関に補助金として交付する。

背景には「郊外型スマートシティではマネタイズ(収益化)の課題がある」と同市の小田切美穂政策イノベーション部長は説明する。都心部では、カーシェアリングやシェアサイクルなどのシェアモビリティは単独で収益化できているのに対し、地方では自動運転バスも構造的に赤字が見込まれている。同サイエンスシティ構想の全体統括者を務める鈴木健嗣筑波大教授は「地方のスマートシティは、実証実験で終わってしまうもの、補助金が切れたら終わってしまうものなど苦戦している」と話し、小田切部長は「つくばは大学や国立系研究機関が集積しているのが最大の強みなので、連携しながらマネタイズの課題を克服していこう」という試みになると説明する。

4割の交付対象となる大学や研究機関については、同市と連携協定を締結した上で、市に事業提案してもらい、市が地方創生の効果などを審査した上で補助金として交付する。さらに連携協定を締結した大学や研究機関は、市と連携して寄付の募集を行う。企業にとっては、大学などに直接寄付する場合の税負担の軽減効果は約3割なのに対し、つくば市の企業版ふるさと納税を活用すると最大6割の税額控除を受けられるため、併せて、企業の税負担が最大9割軽減される。

五十嵐市長は「企業にとってもメリットが大きいので、社会実装を進めたいと思っている企業にメッセージが届き、先端技術やサービスの社会実装を社会課題の解決につなげていきたい」と話した。ファンドの目標金額については「目標は設定していないが、昨年度はスーパーサイエンスシティに関する企業版ふるさと納税が3件、計1350万円あった。ファンドを創設したので今年度はその金額を上回っていただければ」と述べた。

4割の交付対象となる第1号の連携機関に筑波大学が決定し、連携協定の締結が行われたことが併せて発表された。(鈴木宏子)

「気持ちが世捨て人だった」ときに考えたこと《ハチドリ暮らし》64

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写真は筆者

【コラム・山口京子】抗がん剤治療中、「気持ちが世捨て人だった」ときに思ったことがありました。自分は直にいなくなるけれど、子どもや孫たちの暮らしは続いていく。これからの暮らしはどうなるのかしら…と。とりあえず、現在を捉えるにあたって、三つのことが頭に浮かびました。

文化なき文明、不公正な法律…

一つは「文化なき文明」。確かに文化は存在しますが、ここの文明には文化が見えない…。この文明は地下資源に依存しており、大量の生産・消費・廃棄・汚染システムは強力です。「便利で楽」は、私たちが自ら求めたものでしょうか? それとも、どこか別のところからやってきたものでしょうか? 足るを知ることが大事と言われますが、消費の場面では買わせる広告があふれています。

二つ目は「借金(債務)が成長の燃料」というシステム。多くの国々が巨額の借金を抱えています。これまでは機能したとしても、これからどうなるのか?インフレ・金利上昇・増税が不可避なのか?と。金利が上昇すれば債務返済に負担が課されます。歳出構造が変わってしまうのでは? インフレでお金の価値が目減りすれば、実質的に家計から政府へ所得が移転されると指摘されています。

三つめは「不公正な法律」が成立しているという疑念です。表向き法律は国民のためと言いながら、実際は反対のことが起きているのでは? 改正労働者派遣法は働く人の立場を低下させたのではないか? この法律は個人よりも市場の利益優先では? 「法律ができて、それで利益を得る人と、損を被る人はだれなのか、調べることが大事だ」と、ある本に書かれていました。

自立・自給・自尊がつながる暮らし

そもそも、国会が国民の代表機関であり得ているのかと、疑問視する専門家もいます。戦後の米国との関係、勝共連合との関係はどうなのか? また、「主権者は国民ではなく市場である」という説もあります。AIの覇権競争はどうなるのでしょう? 防衛費アップや武器輸出でGDPが上ると言いますが、そういうGDPとは何なのでしょう?

今の時代は大きな転換期だと言われます。自立・自給・自尊がつながりあった暮らしのかたちができないものか―次のシステムを考えています。(消費生活アドバイザー)

筑波大生が夏休みの宿題応援 小学生ら絵画や書道に挑戦

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直接絵を描いて子供たちにアドバイスする筑波大生(右)

夏休み中の小学生が、筑波大で芸術を学ぶ大学生らのアドバイスを受けながら、夏休みの宿題の絵画や書道に挑戦するイベント「夏休み宿題応援」が7日、つくば市二の宮のギャラリー、スタジオ’Sで催された。ギャラリーを運営する関彰商事(本社 筑西市・つくば市、関正樹社長)と筑波大による取り組みで、この日は午前9時半からと11時から書道教室、午後1時からと3時から絵画教室が開かれ、つくば市や近隣地域から小学生計約70人が参加した。今年は前日の6日に筑西市でも同様のイベントが開かれ、小学生約40人が参加した。

スタジオ’Sで午後1時から始まった絵画教室には保護者に付き添われた17人の小学生が参加し、それぞれが、ポスターコンクールに出展する製作途中の「防犯」「交通安全」などの作品を持ち寄った。講師になったのは筑波大芸術専門学群の大学生と大学院生の計5人。小学生らは五つのテーブルに分かれて作品を広げ、大学生らが、下書きの描き方、構図の作り方、絵の具の塗り方などを、それぞれの進行状況をみながらアドバイスした。

「夏休み宿題応援」イベントの様子=つくば市二の宮、スタジオ’S

牛久市から参加した小学5年の上田ももなさんは、昨年出展した交通安全のポスターを持参して参加した。「今年はもっとうまく描いて入選したい」と意気込みを話し、大学生から、下書きの構図を変えることをアドバイスされ、早速描き直していた。つくば市立東小2年の子どもの付き添いで参加した母親の二階堂里万子さんは「普段はユーチューブなどを参考にしながら子供に教えているので、専門的に学ぶ大学生から教えてもらえるのはとてもありがたい」と話していた。

講師を務めた筑波大大学院生の稲田来瞳(くるみ)さんは「子供たちに教えるのはとても難しいが、何を伝えたいのかを思って描くことや、自分だったらこんな風に描くだろうと想像して指導した」と語った。

当日は県つくば美術館のスタッフが、トイレットペーパーの芯を使った作品などを持参して参加し、同美術館で15日に開催される、とび出すカード作りのイベント「つくぞう つくるぞう!」や、火~金曜の午後と日曜・祝日の午前中に開催中の、だれでも自由に創作活動ができる「つく美でつくり場」などを紹介をした。

県つくば美術館のスタッフも参加し、同館の企画を紹介などした

書道と絵画を対象とした今回の企画は、2016年からスタジオ’Sと筑波大が毎年開催している子ども向け企画「キッズアート体験」の中で好評だった二つの科目に特化し、18年から独立した形で始まった。20年からは県近代美術館も協力している。

関彰商事広報の石井雅也さんは「『夏休み宿題応援』は好評で、人気が高く、すぐに定員いっぱいになる」とし「今後も同様の企画を続けていきたい」と話した。(榎田智司)

水草の進化と不思議を紹介 見て、触って、学べる企画展 筑波実験植物園

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企画展を紹介する筑波実験植物園の田中法生さん

水面に浮く水草は、なぜ沈まないのか。なぜ、大きさも形も異なる、さまざまな葉があるのか―。水草を見て、触って、その不思議を学べる企画展「水草―水辺を生きる多彩なかたち」が7日、つくば市天久保の国立科学博物館 筑波実験植物園(遊川知久園長)で始まった。会場には、水草を美しく配置した水槽をはじめ、様々な水草を実際に触ることができるタッチプール、顕微鏡をのぞいて小さな水草や食虫植物を観察するコーナーなどが並ぶ。夏休みの子どもたちが、水辺の植物を身近に感じられる展示だ。絶滅危惧種に指定されている希少種や南米アマゾン地方に生育するものなど、同園が栽培、保全する約250種の水草を見ることができる。会期は16日まで。

押して分かる、浮く仕組み

「触ってみてください。ここに空気をためることで、水に浮くことができるんですよ」

展示会場の一つ、研修展示館の入り口に設けられた幅約3メートルのプールで、水面に浮かぶ多年生の水草・ホテイアオイを手に、同園研究員で展示責任者の田中法生さん(56)が話す。

研修展示館前に置かれたプールに浮かぶ水草について説明する田中さん

葉の付け根にある膨らんだ部分を指で押すと、内部に空気をためる空洞があることが分かる。空気をためるものや、水をはじく表面を持つものなど、水面に浮かぶ仕組みは植物によって異なるという。同じプールには複数の種類の水草が浮かんでいる。子どもたちは実際に触りながら、それぞれの硬さや形、浮き方の違いを比べることができる。

世界には約2800種の水草がある。同園は世界の水草の約1割にあたる約160種類、国内種に限っては約5割に当たる約120種を栽培・保全している。

大きさも形もさまざま

同園で水草をテーマにした企画展が開かれるのは2024年以来、2年ぶり。今回は、水草が持つ多様な「かたち」に焦点を当てた。

水草の中には、長さが最大7メートルにもなる細長い葉をつけるものや、直径が2メートルほどになる大きな皿のような葉を持つものがある一方で、一つの植物体がわずか0.5ミリほどしかないものもある。会場には、パイナップルのような硬く鋭い葉が特徴で、その独特な姿から「浮き草の異端児」とも呼ばれるストラティオテスや、同園が日本で初めて長期栽培と開花に成功した「オッテリア・メセンテリウム」、つくば市と協力して市内での自生を確認したクロホシクサなど、希少な水草も間近で観察できる。

研修展示館2階には、絶滅危惧種などの希少種が展示されている

水草は水に「戻った」植物

水草が持つ多彩な形の背景には、水中から陸上へ進出し、再び水辺へ戻ってきた植物の長い歴史がある。植物の祖先は水中で誕生し、およそ5億年前に陸上に進出した。その後、陸上でさまざまな姿に進化した植物の一部が、再び水中や水辺で暮らすようになった。それが現在の水草だという。水草には、バラやイモ、イネなど、陸上で身近に見られる植物の仲間も数多く含まれている。

「陸上植物から水草が誕生した出来事は、進化の歴史の中で一度だけではない」と田中さんは言う。DNAを用いた研究で植物の系統樹をたどると、陸上から水中への進出は、進化の歴史の中で約200回起きたと考えられている。数億年前に水中へ入った植物もあれば、比較的最近になって水辺で暮らすようになったものもあるという。

異なる祖先を持つ植物が別々に水中に進出したため、水草はもともと異なる形を受け継いでいる。一方、祖先が違っていても、同じ水中環境に適応するうちに、似た形になることもある。例えば、水の抵抗を受けにくくするために葉が細くなったり、水中から二酸化炭素などを取り込みやすくするために、葉が細かく枝分かれしたりする。「祖先が違うために形が異なる一方で、同じ環境に適応した結果、形が似ることもある。この二つが組み合わさることで、水草の複雑で多様な形が生まれている」と田中さんは説明する。

日本の水草、約4割が絶滅の危機

展示では、水草を取り巻く厳しい状況も紹介する。日本に生育する約270種の水草のうち、約43%が絶滅の危機にあるとされる。水質の変化や湿地の開発に加え、水田やため池の管理方法が変わったことも、水草が減少する原因になっている。

多くの水草は、かつて川が氾濫する場所に生育していた。堤防の整備などによって氾濫する場所が減ると、水田やため池が水草の新たな生育場所になった。しかし近年は、除草剤の使用や農業の効率化、ため池の利用減少などにより、水草が暮らせる場所が再び減っている。アメリカザリガニなどの外来生物に食べられたり、生育地を荒らされたりする問題も深刻だという。企画展では、茨城県やつくば市内に残る希少な水草を展示し、身近な水辺でも植物の減少が進んでいることを伝える。

まずは水草を好きになって

会場では、顕微鏡を使って食虫植物も観察できる。葉についた小さな袋に餌となる生き物が近づくと、入り口が開き、一瞬で吸い込む。タイミングが合えば、水中の食虫植物が獲物を捕らえる瞬間を見ることができる。また、世界で最も小さな花をつける体長0.5ミリ程のミジンコウキクサの、肉眼では気付きにくい花を拡大映像や模型を手掛かりに探すコーナーもある。

顕微鏡をのぞきながら食虫水草に餌をやることができる

田中さんは水草の魅力について「植物全体の中では少数派だが、形や生き方の多様性はものすごい」と語り、「実際に水草を触ったり、観察したりして、いろいろな水草があることをまず知ってもらいたい。たくさんの水草があることで、水辺の生態系が成り立っている。そんなことにも思いをはせながら、水草を好きになってほしい」と話す。(柴田大輔)

◆同展は、つくば市天久保4-1-1 国立科学博物館 筑波実験植物園で開催。開園時間は午前9時から午後5時、入園は午後4時半まで。入園料は一般320円、高校生以下と65歳以上、障害者などは無料。会期は8月16日(日)まで、会期中は休園日なし。教育棟ではプロのアクアリウム レイアウターによる水草水草が展示されている。

◆15日午後1時半からは、研修展示館3階のセミナー室では、高校生以上を対象とした、田中法生さんによる講座「植物研究最前線『水草のかたちの謎』」が開かれる。定員30人、事前予約制。詳細は、同園ホームページへ。

合併めぐり土浦市長「かすみがうら新市長の検証見守りたい」

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定例記者会見で話す安藤真理子土浦市長=6日、土浦市役所

かすみがうら市との合併について、土浦市の安藤真理子市長は6日開かれた定例記者会見で、7月のかすみがうら市長選で無投票当選した金子敏明新市長が先月28日、土浦市の市長室に就任のあいさつに訪れた際、金子市長から「かすみがうら市内部で精査し、改めて検証していく」との話があったことを明らかにした。安藤市長は「元々かすみがうら市からの提案なので、新市長がどう検証していくかを見守りたい」などと話した。

両市の合併をめぐっては、かすみがうら市議会で6月16日、両市の合併協議・検討の場設置を求める決議が全会一致で可決されたのを受けて(6月11日付)、かすみがうら市の宮嶋謙市長(当時)と来栖丈治市議会議長が翌17日、土浦市役所を訪れ、同市の安藤市長と勝田達也市議会議長に、合併に向けた協議・検討の場の設置を求める要請書と要望書をそれぞれ提出した(6月17日付)。提出を受けた土浦市の安藤市長は7月6日、かすみがうら市で7月12日告示の市長選が行われることから「新しい市長がどのような考えなのか見極めたい」などと話していた。

6日の会見で安藤市長は、就任あいさつ時の金子新市長の発言について「(かすみがうら市の)議員の皆さんは全員賛成だが、市民の皆さんの声を聞きたいということだった。(新市長が)検証していくということであれば、それを見ていきたい」と話した。宮嶋前市長と金子新市長との間の姿勢の変化については「私がコメントする立場にない」とした。

一方、市町村合併について安藤市長自身の考えを問われると「市民が、合併して良かったと思う合併ならいいと思う」と話し、「平成の大合併についても、いいこともあるし課題もあり、検証していく必要がある。合併特例債のようなものがあれば合併が進むかもしれないが(特例債は)終了している」などと話した。その上で、かすみがうら市との合併については「(土浦市内の)各地区に出向いて市民の皆さんと話す機会があるので、市民の皆さんの考えを聞きたい」などと話すにとどめた。

50万都市圏は広域連携が現実的

大井川和彦知事が県議会6月定例会で、高橋直子県議(いばらき自民党、土浦市選出)の一般質問に答え「TXの土浦延伸は、つくば・土浦地域がより密接に連携し、人口50万人規模以上の都市圏を生み出す大きなチャンスになる」などと答弁したことについても質問が出て(7月20日付)、安藤市長は「50万都市圏については(市町村合併というよりも)まずは意識をもって広域連携をしていきましょうというのが現実的ではないか」などと述べ、「50万都市圏のためにまず一番必要なことがTXの土浦延伸だと思う」と強調した。(鈴木宏子)

広島・長崎の原爆パネル展開催 土浦市民ギャラリー【戦後81年】

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5日から始まった「ヒロシマ・ナガサキ原爆パネル展」=土浦市民ギャラリー

広島・長崎の原爆被害の実相を多くの市民に知ってもらおうと「ヒロシマ・ナガサキ原爆パネル展」(土浦市主催)が5日から、土浦駅西口前の土浦市民ギャラリーで始まった。原爆投下直後の広島、長崎の街の様子や放射線被害の実情などを紹介した写真パネル30点と、戦争を知らない若い世代に向けて、16の問いで構成された「核兵器と戦争に関する16の問い」のパネル17点の計47点が展示されている。会場では、被爆直後の広島の映像と被爆者の証言、被爆体験を語り継ぐ取り組みなどを紹介した広島平和記念資料館制作の動画「ヒロシマ 被爆者からの伝言」が上映されている。

同市は1988年に非核平和都市を宣言し、93年から毎年、原爆パネル展を開催している。翌94年からは、8月6日に広島市で催される平和記念式典に、中学生と市民代表を派遣している。今年も原爆パネル展の開催と併せて、市内8校の中学生16人と市民代表2人など計21人を広島平和使節団として5日から7日まで広島に派遣している。

会場の様子

原爆パネル展は、全国の非核平和宣言都市でつくる日本非核宣言自治体協議会(事務局・長崎市平和推進課)からパネルを借り受け、展示している。原爆投下直後の街の様子については、燃え残りの火がくすぶる爆心地から500メートルの広島市中心部の写真や、臨時救護所に収容された負傷者の写真などが展示されている。米国が、広島と長崎に原爆を投下した理由については「投下により戦争を終結できれば、戦後、ソ連(当時)の影響が広がるのを避けられ、膨大な経費を使った原爆開発を国内向けに正当化できる」からだったなどと説明している。

「16の問い」は、「あなたに思い出したくない辛い過去はあるか」「核兵器廃絶は実現できるか」などの問いについて「正解はないが、あなたの答えを探してほしい」と呼び掛け、核兵器廃絶の取り組みについて「人々の声が、核兵器を禁止する新しいルール『核兵器禁止条約』をつくった」などと紹介している。

同展を主催する同市総務課は「会場にお越しいただいて、平和の大切さや戦争の恐ろしさ、核兵器使用の悲惨さなどについて考えるきっかけにしていただければ」と話し、来場を呼び掛けている。(鈴木宏子)

◆同展は16日まで、土浦市大和町1-1 アルカス土浦1階、土浦市民ギャラリーで開催。入場無料。開館時間は午前10時~午後6時。月曜休館。

人形に命を吹き込む50年 筑波大学人形劇団「ノイ」

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人形劇団ノイのメンバー。活動拠点にする筑波大学春日キャンパスで

「人形って、生きているように見える瞬間があるんです」。今年、旗揚げから50年を迎えた筑波大学の学生人形劇団「ノイ(NEU)」の塚越彩加さん(20)はそう話す。筑波大学開学3年目の1976年に発足したノイは、現在、学部生18人、大学院生4人の計22人で活動する。ドイツ語で「新しい」を意味する「ノイ」という名前には、旗揚げ当時の学生たちの「新しい人形劇をつくろう」という思いが込められている。半世紀の歴史の中で受け継がれてきたのは、「人形劇を『面白い』『楽しい』と思う気持ち」だ。

受け継いできた技術と人のつながり

「ごめん! そこはもう少し間を詰められるかな」

仕切りを外した畳敷き10畳二間の稽古場に、張り詰めた声が響く。声の主は、8月に都内で公演を予定する、宮沢賢治原作の「注文の多い料理店」で演出を務める同大2年の田中咲妃さん(19)だ。公演が間近に迫り、稽古にも熱が入る。「この作品は昨年5月の初演以来、何度も改良を重ねてきた。人の身体表現と人形劇をどう組み合わせるかが大切。もっと見やすく、分かりやすい作品になるよう、最後まで磨き上げていきたい」と話す。

8月の公演に向けて稽古に熱が入る

ノイが活動拠点とするのは、TXつくば駅近くの筑波大春日エリアの春日課外活動施設だ。2002年に同大と統合した旧・図書館情報大学の敷地内にあった旧宿泊施設をアトリエとして使用している。

室内には、次回作に向けて制作途中の美術道具が並ぶ。舞台で使う人形は、人形の胴体や頭に直接手を入れて、指や手首の動きで動かすパペットや棒遣い人形、作品によってはより直感的に操作できる糸操り人形を用いている。人形は、和紙や新聞紙、包装紙などを型に何層も貼り重ねる「張り子」という技法も用いられ、衣装や舞台美術など、公演で使うほぼ全ての道具をメンバー自身が手作業で仕上げるのが劇団発足以来続く伝統だ。一体あたり、試作の期間も含めると、完成までに約1カ月を要する。演目によっては、人形と共に、役者の身体表現も取り入れ物語の世界を表現する。

「活動を始めてまず難しかったのは人形作り。構造を考えたり、縫製したり、丈夫に仕上げたり、工程がとても多い。上手な人を見ると『どうしてこんな仕組みを思いつくんだろう』と驚く」と、入団3年目の塚越さんは振り返る。照明機材や音響機材、大きな黒幕なども代々受け継がれてきたものだ。「今改めて全部そろえようと思ったら、本当に大変」と語る。

学生メンバーが必要な道具を手作りする

一方で、「伝統は技術的なものだけではない」と話すのは、ノイ代表の横井一葉さん(20)だ。「50年という歴史の中で、人のつながりも受け継がれてきた。OB・OGの皆さんとは今も交流がある。公演を見に来てくださったり、ワークショップなど学外のイベントで、プロとして活動されていたり、自分で劇団を立ち上げたりした先輩たちから直接アドバイスをいただく機会もある。本当に貴重」

コロナ禍経て「バージョンアップ」

演目は、劇団によるオリジナル作品が中心だが、近年は、神話や童話をモチーフにしながら人形劇としてより物語を引き立たせるためにセリフや場面を追加するなど再構成した作品も増えている。一方で、公演を控える「注文の多い料理店」は、原作の文章を忠実に再現しており、ノイの中では珍しい作品だ。メンバーは、公演ごとに役者として舞台に立つこともあれば、演出担当者として役者への演技指導、照明や美術、音響効果などを指示する舞台の責任者も務める。脚本は、演出担当者が一人で作ることもあれば、メンバー全員で話し合いながら仕上げることもある。

一時期は、劇団員が10人を切る時期が続いたこともあった。活動を自粛せざるを得なかったコロナ禍では、公演のサイクルや演出方法など途切れてしまった伝統もあった。しかし活動を再開させる中で、以前よりバージョンアップさせたのが公演方法だという。

以前は、春の新歓公演、夏の新人公演、雙峰祭(学園祭)公演、卒業公演、演劇祭への参加などと年間スケジュールが決まっており、公演ごとに新作を作るのが慣例だった。一方、現在は、定期的な公演のほかに、地域の幼稚園や保育園、小学校から依頼を受けて行う公演が増え、年間を通じて舞台に立っている。

「コロナ禍で劇団の運営方法や文化を引き継ぐことが難しくなった。公演ごとに新作を作り、一つの作品に全力を注ぎ、公演が終われば一区切り、という印象がこれまでのノイにはあった」と横井さんは言う。「演劇にはそうしたスタイルも多くある。例えばミュージカルは長期間同じ作品を上演するし、小劇場では1週間ほど公演し、次の作品へ移ることもある。ただ、その方法では作品を改善する機会も少なく、経験も次につながりにくかった」と話す。一方、プロの人形劇団は、幼稚園や小学校などを巡回しながら、何度も同じ作品を上演することが多い。「私たちも、これまで小劇場のようなスタイルだったが、今はプロの人形劇団に近い形へ少しずつ移行しているところ」だと横井さんは説明する。

ノイのマスコットになっている約30年前に作られた人形「宇宙人」

「楽しむこと」が伝統

「仕掛けのある人形が思い通りに動いた時は、本当にうれしい」と話す横井さん。「脚本の面白さがお客さんに伝わって、笑ってくれたり、泣いてくれたりすると、『頑張って良かった』と思えるし、自分が思い描いていた動きが、人形でそのまま表現できた時は本当に感動する。驚きと美しさの瞬間をつくりたい、子どもにも分かりやすく、大人にも通じる驚きと感動を大事にしたい」

50年を迎えて横井さんは「活動を休止してしまった学生人形劇団が少なくない中で、他大学の人形劇団出身の方から『うちの大学では劇団がなくなっちゃったんだよね』と言われる。ノイ出身でプロとして活動する先輩からも『今もノイはにぎやかでうれしい』と言われると、うれしいです」

ノイの一番の伝統は「楽しむこと」だと横井さんはいう。「作品づくりをしていると『こう動かしたいのにうまくいかない』『思ったように見えない』と苦しくなることがたくさんある。でも、その試行錯誤そのものを楽しんでほしい。『楽しむこと』をノイの伝統として受け継いでいってほしい」という。

「趣味は『人形劇』と胸を張って言えるくらい、人形劇にどっぷり浸かっている。人形劇が本当に好きなので」と笑顔を見せる横井さん。「人形劇というと『子どものためのもの』というイメージを持っている方も多いと思う。でも私たちは、その先入観を覆すような作品づくりを目指している。どの作品にも『面白かった』『驚いた』と思っていただける見どころがあると信じている。11月には学園祭での公演もある。ぜひ劇場へ足を運んでいただけたらうれしいです」。(柴田大輔)

◆筑波大学人形劇団ノイの公演スケジュールや活動の詳細は、同劇団の公式サイトへ。

世界で一番幸せ者です《続・気軽にSOS》174

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【コラム・浅井和幸】2014年にタブロイド判「常陽新聞」に《気軽にSOS》を寄稿、その後、ネットメディア「NEWSつくば」に《続・気軽にSOS》のタイトルで継続、このコラムも干支(えと)が一回りしました。今回が定期寄稿の最後になりますが、この欄を通じて、私自身のことも発信でき、とても幸せな時間でした。

周りの人からこのことを聞かれたら、私は「自分は世界で一番幸せな人間である」と答えます。実際、いろいろな反応がありました。

Aさんは「自分はやっとこの年齢(80歳)になって、その気持ちになれた。浅井の年齢でそう感じることは素晴らしい」と言ってくれました。Bさんは「そう感じられるように、自分もいろいろと学んでいきたい」と言っていました。Cさんは「こんな不幸がたくさんある世界で、そんな能天気な言葉が信じられない」と言ってくれました。

各人が、今どのように生きていて、この世界をどのように感じていて、浅井に対してどのような立場で接しているのかで、それぞれの感想は変わってきます。多くの感想から感じることは、自分が立派な人間だと思われたい、自分が賢い人間だと思われたいと背伸びしている人は、義務をあまり課して自分を追い詰めていなか、ということです。

「おいしいね」と感想を伝えるよりも「〇〇の料理はまずい」と言えるほうが、味が分かる人間であると見られるように。「人の悪口を言えるほうが人間を知っているのだ」とアピールできると思い込んでいるように。

お金に困ったことがないと聞くと、どれほど金持ちなのかと考えてしまいがちですが、あまりお金を使わない生活であれば、お金持ちでなくともお金に困ることはありません。たくさんの収入や資産があっても、支払いが多ければお金に困るものです。

「足るを知る」ということは「我慢をする」とはイコールではないでしょうし、「今後は全く成長しない」ということともイコールではないでしょう。現在に喜び、さらなる高みを目指して力を付けいく「足るを知る」という境地もあるはずです。

私の幸せの定義

今後、私の考えはどんどん変わっていくかもしれませんが、今のところ、私の幸せの定義は次の状態です。

ある程度の余裕があり、何となくこの先も何とかなるだろうという感覚を持ち、そのうえで、五感(六感もかなぁ)で良さを感じたときに感じられるもの。五感とは、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚です。例えば、美しいとか、かっこいい音楽だなとか、おいしいとか、いい匂いとか、よい肌触りとかを感じることです。

何となく大丈夫かなという感覚は難しいので、つらく苦しいときでも、とにかく、空を見上げて面白い雲だなとか、肌触りの良いタオルだなと思うような体験を繰り返してみてください。きっと、不幸しかないようなこの毎日の中で、少しの光を感じられるときが来るかもしれません。(精神保健福祉士)

鹿島神宮を訪ねて《ふるほんや見聞記》19

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鹿島神宮境内に設置された御船祭の案内板

【コラム・岡田富朗】今年は、12年に一度の午年(うまどし)に執り行われる鹿島神宮の「式年大祭 御船祭(みふねまつり)」が、9月1日から3日まで斎行されます。祭礼は、1日の勅使参向例祭(ちょくしさんこうれいさい)・神幸祭(じんこうさい)、2日の御船祭、3日の行宮祭(あんぐうさい)・還幸祭(かんこうさい)の3日間にわたって執り行われます。12年に一度、午年に斎行されるのは、十二支が一巡する節目であることに加え、午が方角では南、時刻では正午を表し、陽の気が最も盛んになると考えられているためです。この大祭には、「天下泰平」「諸願成就」「魔陣退散」の願いが込められています。

鹿島神宮では年間90を超える祭儀が執り行われ、祭頭祭(さいとうさい)や白馬祭(おうめさい)、流鏑馬(やぶさめ)など特色ある諸行事が数多く行われていますが、その中でも一番規模の大きな祭礼が御船祭であり、本邦内海で行われる御船祭としても最大の祭典です。開催期間中は多くの人出が見込まれるため、神宮周辺では交通規制が実施されるほか、シャトルバスが運行されます。

御船祭の起源は二千年以上前にさかのぼるとされ、平安時代より体系化され、世情に合わせその規模や形を変えることはあっても、現代まで脈々と受け継がれてきた祭礼です。

鹿島神宮の御祭神「武甕槌大神」(たけみかづちのおおかみ)は鹿嶋の地域だけでなく、日本全国を守護する神として古くから信仰されてきました。その御神威を広く全国に届けるため、祭礼の舞台となるのが、かつて「香取の海」と呼ばれた広大な水域です。現在の霞ケ浦や北浦、水郷地帯一帯に広がっていたこの内海は、古代には東国最大級の水上交通の要衝でした。

現在の御船祭は1870(明治3)年に再興されたもので、御分霊をお遷(うつ)した御神輿に約2000人が供奉して北浦湖岸の大船津へ向かいます。大船津河岸の大船津鳥居(西の一之鳥居)に御船祭の時期のみ設置される船着き場で神事が執り行われます。そこから色鮮やかな五色の吹き流しや龍頭を飾りつけた「御座船」を先頭に、幟旗や大漁旗を飾り付けた約100隻の供奉船(ぐぶせん)が約11キロをわたって香取市加藤洲に向かって進み、香取神宮のお迎えを受けます。

武甕槌大神と経津主大神

鹿島神宮の御祭神「武甕槌大神」と香取神宮の御祭神「経津主大神」(ふつぬしのおおかみ)は、ともに協力して日本の基礎を築き上げた神として神話で語られています。御船祭では、「今後も共に国の安寧のために力を尽くす」ことを確認することに重要な意義があるとされています。香取神宮では2026年4月に12年に一度の「式年神幸祭」を執り行い、「経津主大神」を鹿島神宮の神職がお迎えしています。

こうした歴史ある式年大祭を迎えるにあたり、2020年から5年7カ月にわたり、記念事業として境内の主要建造物を修繕する「令和の大改修」が進められてきました。6月には楼門改修工事の完了をもってすべての工事が終了し、修復を終えた楼門が参拝者を迎えます。楼門は1634(寛永11)年、水戸藩初代藩主・徳川頼房によって奉納されたもので、日本三大楼門の一つに数えられ、国の重要文化財にも指定されています。(ブックセンター・キャンパス店主)

6月に屋根のふき替えと塗装工事を終えた楼門

筑波大、2年ぶりの皇后杯出場ならず 女子サッカー県予選 準優勝 

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前半8分、敵陣に攻め込む筑波大の戸塚(水色のユニフォーム)=撮影/高橋浩一

第32回茨城県女子サッカー選手権 兼 皇后杯JFA第48回全日本女子サッカー選手権関東予選茨城県予選は1日、水戸市立サッカー・ラグビー場(ツインフィールド)で決勝が行われ、筑波大学女子サッカー部とQOL IBARAKI MITO CIRUELA(シルエラ)が対戦、筑波大は0-1で敗れた。2年ぶりの皇后杯出場はならず、準優勝となった。

第32回茨城県女子サッカー選手権大会(8月1日、水戸ツインフィールド)
筑波大0-1シルエラ
前半0-0
後半0-1

前半9分、石原がゴールに迫る

シルエラはかつてMITO EIKO FC茨城レディースとして活動していたチーム。2019年にFC水戸シルエラに改名し、22年に運営会社の移管に伴いFC QOL MITO CIRUELAに再改名し、この年関東女子サッカーリーグ2部に昇格した。25年には体制を一新、ゼネラルマネージャーに赤崎秀平さん(筑波大学、J1鹿島などでプレー)、アドバイザーに鈴木隆行さん(元日本代表、J1鹿島、J2水戸などでプレー)が就任し、監督には佐藤誠一郎さん(元水戸商高監督、前つくばFCレディース監督)を迎えた。

前半16分、縦パスを受けて反転、シュートを放つ打田もえ

「前回対戦したときからスタッフも選手も替わっており、気を引き締めて臨んだ。前に足が速い選手がいて攻撃力があり、後ろの守備もしっかり固めている」と、筑波大の吉田拓矢監督は印象を語る。

前半30分、ドリブルで運ぶ大野

試合では、前半は筑波大が圧倒的にボールを保持した。攻撃時は4-3-3、守備時は4-4-2のフォーメーションで、サイドからは左ウイングの戸塚環が両足を使ったステップやドリブルで敵陣を切り裂き、中央では大野羽愛から石原百華へのホットラインが機能していた。シルエラはパスの狙いは良いものの選手の動きと合わず、ボールをロストする場面が多く見られた。

前半38分、浮き球に足を伸ばす三上心優

前半の給水タイム以降はシルエラの動きが良くなり、筑波大のパスを巧みに刈り取る場面なども多く見られるようになった。後半に入ってもシルエラの勢いは続き、7分にはついにゴールを割られてしまう。左サイドのペナルティエリア横へ攻め込んだ相手選手を倒してしまい、直接フリーキックに。相手が中央で頭で合わせたボールを一度ははじき返したが、こぼれ球を押し込まれ、これが決勝点となった。「ファールを取られた位置も、はじき返した位置も悪かった。壁が壁として機能していない。最後の寄せをチームとして徹底しなくては」と、筑波大主将でDFの山崎琳の反省の弁。

後半アディショナルタイム、途中出場した川勝梨央のドリブル

筑波大の次の目標は、関東大学女子サッカーリーグ1部への復帰。2部リーグ優勝なら自動昇格、3位以内なら入れ替え戦の機会が与えられる。「いま5位で残り5試合。取りこぼしは許されない」と吉田監督。そのためには今日の敗北も糧にしたいところ。「1試合の中でチャンスはそう何度もない。決めるところを決めきることが大事。うまいから勝てるわけではない。勝ちきるメンタリティーも鍛えなくては」と、9月末からのリーグ戦再開に備える。(池田充雄)

優勝したシルエラの集合写真
準優勝の筑波大の集合写真

バイシクル・ダイアリーズ ⑷《ことばのおはなし》95

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写真は筆者

【コラム・山口絹記】前回記事では、人生初の本格的なサイクリングがヒルクライムになりつつあるところまで書いた。

冷静に振り返ってみると、私がこんな無謀なコトに及んだのにはそれなりの理由があるように思う。つくば市に暮らし始めて10年以上たつのだが、実はつくばの中心部の街並みには坂がほとんどないことを意識せずに暮らしてきた。したがって、普段ロードバイクで走る分には坂道を経験したことがなかったのだ。平地に飼いならされていたと言ってもよいだろう。

そして、今回のライドにおける前半30分、約10キロが実はずっと下り坂だったことに私は気が付いていなかった。初心者の私でもしっかりペダルを踏み込めば時速40キロ以上出せることを、自分のバイクの性能ゆえと思い込んでいたのだ。ロードバイクってこんなに速いんだ! すごい! 端的に言って間抜けである。

平坦と思い込んでいた下り坂の爽快な記憶をひきずったまま、私はヒルクライムを開始した。何かつらいけど、まぁなんとかなるだろう、そう思った。実は、私が走っていた道は「八幡高原チャレンジコース」という名のコースの一部で、中上級者向けの山岳コースという位置づけになっているらしい。

走行開始から2時間30分、短い下りから突然の上り坂、獲得標高にして760メートルで両脚を激しくつった。下りで重くしていたギアのまま、上りに突入したのが原因だ。ショルダーバッグを投げ捨てたくなるのをこらえ、坂道に罵声を浴びせ、悲鳴をあげながらバイクをひいて歩いて登る。食料はない。持ってきたのは水500ミリリットルだけ。軽い遭難である。

走行距離42キロ、3時間40

そこから45分かけて、もう一度短い下りを挟んだ上り坂を悲鳴と愚痴を吐き散らしながら標高1040メートルの八幡崎に登頂した。獲得標高959メートル。少し曇ってはいたが那須野が原の景色が広がっていた。なんてこった、ちょっと気持ちいい。

帰りはほぼ下り坂だ。延々と苦しんだ登りを15分で下ることができた。総走行距離は42.21キロ、約3時間40分のライドだった。

記憶領域の小さい私の脳みそに残ったのは、那須野が原の景色と下りの気持ちよさだったのだろう。帰ってきた3日後の5月6日深夜、偶然「ツール・ド・つくば2026」のエントリーページを見つけた私は、深く考えずにその場でエントリーした。ツール・ド・つくばのコースは全長約12キロ、高低差約500メートルだという。途中から歩いたとはいえ、すでに私は脚がつるまでに760メートル登り、距離にしたら40キロ以上走っているのだ。

翌日、過去のツール・ド・つくばの映像をYouTubeで見た私は凍り付いた。なんかみんなピチピチの服にサングラスをつけて走っている。こんな服持ってない。というか、思ったよりだいぶ本格的である。まずいかもしれない。大会の本番は5月31日。あと3週間である(言語研究者)

最期の1週間、家では何が起こるのか?《看取り医者は見た!》54

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写真構成は筆者

【コラム・平野国美】患者さんのご家族から受ける相談には、いくつか共通するものがあります。その代表が、この問いです。「先生、あとどれくらいなのでしょうか?」。その奥にあるのは、残された時間の長さへの関心だけではありません。「これから家で何が起こるのか、自分たちで看られるのか」という不安です。病名は理解していても、その先の日々に何が起こるかは、案外、誰も知らないのです。

私は23年にわたる訪問診療で、3400人ほどの患者さんの最期に立ち会ってきました。その経験から言えるのは、人生の最終盤の1週間には、多くの方に共通する「ゆるやかな道筋」があるということです。それを知っているかどうかで、ご家族の1週間はまったく違うものになります。

まず、食が細くなります。ご家族はここで一番動揺されます。「食べないから弱るのではないか」と。しかし順序は逆です。体が「店じまい」の支度を始めたから、食べなくなるのです。この時期の体は、栄養を受け取る力そのものを畳みつつあります。無理に食べさせることは、むしろ本人を苦しめることがあります。好きなものを一口、ふた口。それで十分なのです。

次に、眠る時間が長くなります。ウトウトと、1日の大半をまどろみの中で過ごすようになる。呼びかけへの返事が減ると、ご家族は「意識がなくなった」と悲しまれますが、耳は最期まで働いていると私たちは考えています。返事がなくても、声は届いています。

そして最後の数日、呼吸の仕方が変わります。喉の奥でゴロゴロと音がしたり、あごを上下させるような呼吸になったりします。初めて見るご家族には、苦しんでいるように見えます。夜中にこの呼吸が始まって、救急車を呼ぶべきか迷ったという話を、私は何度も聞いてきました。しかし、これは死前喘鳴(ぜんめい)、下顎(かがく)呼吸と呼ばれる、体が閉じていく自然な過程です。本人の意識はすでに深いところにあり、見た目ほどの苦痛はないとされています。

最期は医療でなく家族の出番

以前、看取らせていただいたある男性のご家族には、この道筋を初診の日を含め、何度かお伝えしてありました。最期の夜、例の呼吸が始まったとき、娘さんは慌てませんでした。「先生の話していた呼吸だ」と気づき、救急車ではなく、父親の手を握ることを選ばれました。翌朝、私が死亡診断に伺うと、娘さんは泣きながら、しかしどこか晴れやかに言われました。「最期まで家の音の中に居させてあげられました」

死の間際の変化は、知らなければ「異変」ですが、知っていれば「道筋」です。異変には救急車で応じるしかありませんが、道筋とわかれば、手を握って寄り添うことができます。最期の1週間に家で起こることの多くは、医療の出番ではなく、家族の出番なのです。

そして、その道筋を前もってご家族に手渡すこと。それが私たち訪問診療医の、処方より大事な仕事なのかもしれません。(訪問診療医師)

「甲子園2勝以上目標」霞ケ浦高校で壮行会【高校野球茨城’26】

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全校生徒が迎える中、壮行会会場に入場する選手たち

高校野球茨城大会で2年ぶり4回目の優勝を果たし、県代表として全国大会に出場する霞ケ浦高校野球部の壮行会が31日、阿見町青宿の同校で行われた。会場には全校生徒が集まり、チアダンス部、吹奏楽部と共に、選手たちに大きな拍手を送った。 

村上聖主将は「皆さんの応援のお陰で夏の大会を優勝することができ、甲子園に出場することができる。甲子園では2勝以上することを目標に全員野球で一戦一戦戦っていくので応援よろしくお願いします」とあいさつした。

あいさつする村上聖主将

髙橋祐二監督は「初戦から決勝戦まで数多くの盛大な声援のお陰で茨城県を制すことができ、ありがとうございました。霞ケ浦旋風を甲子園で巻き起こして、一戦必勝で皆さんと大きな声で校歌が歌えるように頑張って参ります。ご声援よろしくお願いします」と話した。

岡村守学校長は「野球は最後の最後までどうなるか分からないが、高校生らしく、霞ケ浦高校らしく、仲間を信じて諦めず、全力で戦い抜いてもらいたい。この夏で全てを出し切ってもらいたい。霞ケ浦高校の野球を全国の皆さんに見せてあげよう。甲子園の1勝は簡単ではないが、学校全体で一丸となって、みんなで声援を送って、全力でみんなで勝たせてあげよう」と全校生徒に応援の後押しを呼び掛けた。

生徒代表から花束を受け取る村上聖主将

壮行会では、校歌を斉唱し、全員でステージ上の選手に向かい熱いエールを送った。

参加したチアダンス部部長の池田來未さんは「決勝は接戦でハラハラしながらの応援だったので、より大きな声を出して、応援で勝たないといけないという気持ちが強かった。勝って霞ケ浦の野球はすごいと感じた。前回は強豪の智弁和歌山に勝っているので今回も一戦一戦勝って優勝出来るように頑張ってほしい。同じクラスの西野結太さん、塚田泰生さん、石沢夢叶さんはとても明るくて、ムードメーカー、いつもみんなを笑わせてくれる。甲子園でもみんなを笑顔にしてほしい」と話した。

壮行会で選手たちにエールを送るチアリーダー

チームは31日、茨城空港から現地に向けて出発した。全国大会の組み合わせ抽選会は8月1日にオンラインで行われ、対戦カードが決まる。大会は5日から阪神甲子園球場で開幕する。

エースの稲山幸汰投手は、県大会での疲労はなく調子は良いという。常総学院との決勝戦で3本のタイムリーを放ち優勝に大きく貢献した菊地勇一選手も、決勝までは調子が上がらなかったが、3本のタイムリーで勢いづいて打撃が良くなった。万全の状態で、夢の舞台、甲子園で2勝以上を目指す。(高橋浩一)

答申受け全面見直し つくば市 茎崎給食レストラン整備事業

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茎崎給食レストランの建設が予定されていた岩崎保育所跡地=つくば市上岩崎

つくば市が同市上岩崎の市立保育所跡地に建設を計画していた「茎崎給食レストラン整備事業」に対し、事業の必要性や効果などを検証する市長の諮問機関、大規模事業評価委員会(委員長・藤川昌樹筑波大教授)がこのほど、「検討・整理を要する事項が複数ある」とする厳しい内容の答申をまとめた。答申を受け五十嵐立青市長は、31日開かれた市議会全員協議会で「答申の指摘を踏まえると、当初の計画通りに事業を実施することは困難」だとし、事業を全面的に見直すことを表明した。

市議からは「元々の計画段階の検討が不十分だった」とする意見があった一方、「(事業見直しを)もう一度考え直してもいいのではないか。再度検討いただきたい」「答申は全面否定ではない。答申を受けて引いてしまうのではなく練り直すべき」などの意見が相次いだ。

五十嵐市長は「(同事業は自身の)公約でもあり、つくれるものであればつくりたいが、今回の答申を読み込めば、表現として『中止すべき』と書いてないからと、いろいろ解釈をして進めることにしてしまえば、ガバナンス(統治の仕組み)不全につながってしまう。大規模事業評価制度は(住民投票で白紙撤回された)総合運動公園の反省から生まれた制度なので、(同評価委の)専門家の皆さんに真摯に議論いただいて出された答申を、真摯に受け止めず、我田引水的な解釈をしてこれを進めてしまったら、一事業というよりガバナンスそのものに関わる問題になってしまう」などと話し理解を求めた。

三つの複合施設

同事業は①予定地に隣接する市立茎崎第二小学校に自校式給食を提供する調理機能➁市産の地場野菜を貯蔵したり加工して市の学校給食に提供する機能③茎崎二小の児童生徒約250人と一般市民約50人に計300食の給食を提供するレストラン機能の三つを備えた複合施設。

今後について五十嵐市長は①自校式給食提供機能について「現在(大規模な給食センターで複数の学校の給食をまとめて調理する)センター方式を採用し2万7000食を提供でき充足している。今のところ自校式給食のグランドデザインを描けるかは難しい」と話し、自校式給食施設の整備についてはいったん断念し、市全体の給食提供体制の見直し時期を判断していくとした。➁加工・貯蔵機能については「市内のさまざまな農業者団体と話をして、どのような可能性があるかを調査したい」とし、事業主体や、整備場所などを再検討していくとした。③給食レストラン機能については、学校の年間行事の中で地域住民と一緒に活動するイベントなどの際に児童生徒が地域住民と一緒に給食を食べるなど、既存の学校施設などを活用し、地域と児童生徒の交流機会を創出する方策などを検討していくとした。

さらに予定地の今後の利活用については「8月9日と10日に住民説明会を開き、そこで皆さんからどのような希望があるかうかがっていきたい」と述べた。

グランドデザイン無い

大規模事業評価委で問題にされたのは、①自校式給食について、これまで同市は、大規模な給食センターを次々に整備し1日計約3万食の調理能力を整え、2025年4月には桜給食センターを稼働させるなど市全体の給食供給体制を充足させたのに、その直後に茎崎給食レストランを計画し、自校式給食の実証を行う計画を立てたなどの整合性の無さだ。答申は、市の学校給食の提供体制の中で給食レストラン事業をどのように位置づけるかというグランドデザイン(長期的構想)が無い中で、必要性や妥当性を判断することは困難だなどと指摘した。➁加工・貯蔵既往については、市全域分の加工・貯蔵機能を、市域の南端に近い場所で行うことの妥当性について十分な理解に至らないなどと指摘し、③給食レストラン機能については、一般来客の提供食数を1日50食と見込み、営業時間1日2時間、2回転と想定するが、需要予測、営業計画、配置計画、既存施設の活用など代替手段との比較検討が不十分で、地域交流や居場所づくり、健康増進などの課題に対して給食レストランが本当に最適で必要なのかの十分な説明や整理が無いので、判断材料が不足しているなどとした。

その上で「結果として使用されない施設や非常に効率の悪いものが出来上がった場合に『(地域住民の)要望があったので仕方ない』ということは行政の言い訳として許されない」などと厳しい意見を付けた。

総事業費当初の2.5倍

同給食レストラン整備計画は、敷地面積約2500平方メートル、複合施設は鉄骨2階建て、延べ床面積約1083平方メートルで、事業費は計14億3900万円の計画だった。今年7月から実施設計、2027、28年度に建設工事を実施し、29年にオープンする予定だった。

当時、茎崎地区の小中学校などに計約2500食を提供していたた茎崎給食センターが老朽化し、解体する計画が出される中(2025年3月末に廃止)、茎崎地区住民から同給食センターの建て替えを求める要望などが出された時期に、市から、給食レストラン整備計画が持ち上がった。当初の事業規模は5億円程度とされ、2024年度に基本計画策定と敷地測量が実施、25~26年度に基本・実施設計に着手した。その後、資材費や人件費の高騰などから事業費は当初見込みの2.5倍の14億3870万円になることが見込まれ、10億円を超える事業であることから、昨年12月、大規模事業評価委員会で事業計画の検証がスタートした。これまで市は、基本計画と測量に174万円を使い、基本・実施設計は1793万円の予算のうち537万円をすでに前払いしているという。

大規模事業評価は、総合運動公園建設計画が住民投票で白紙撤回となったのを教訓に10億円以上の事業を対象に第三者が必要性や優先性、経済性など6項目を評価する市独自の制度で、実施は上郷高校跡地に建設予定の陸上競技場に続いて2事業目。陸上競技場は当時、妥当とする答申が出された。その後、事業費が増えている。(鈴木宏子)

筑波大生有志ら「筑波学生新聞」を発行 宿舎値上げ問題きっかけ

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「筑波学生新聞」創刊号を手に、顔を出さないことを条件に取材に応じる編集スタッフの筑波大生=つくば市吾妻の公園

公式サイトも開設

学生宿舎の値上げ問題をはじめとした大学側の対応に対する疑問をきっかけに(3月11日付18日付)、筑波大生有志らが今年4月、学生新聞「筑波学生新聞」を創刊し、7月中旬、だれでも無料で購読できる公式ウエブサイトを開設した。同大生によると「大学当局の意に反することを言いにくい」風土にも関わらず、「筑波大唯一の独立系メディア」と銘打ち、学生たちは意気軒昂(いきけんこう)に活動を続けている。

匿名を条件に取材に応じた新聞編集スタッフの一人は「(学生宿舎の)寄宿料の値上げをはじめ、大学のやっていることにおかしいと感じる点が多くあった」ことが、今回の発刊に至ったと話す。

同大にはもともと、大学公認の大学新聞「筑波大学新聞」とは別に、非公認ながらも学生たちが独自に編集制作した「筑波學生新聞」(※「学」の文字は旧字体)が2007年まで発行されていた。「筑波學生新聞」と、今回創刊された「筑波学生新聞」とは直接の関係は無いが、新聞編集スタッフは「昔あった『筑波學生新聞』は、大学に対して批判的な立場を貫いていたと聞いている。できれば、その志を受け継ぎたいという思いから、同じ名前を付けた」と、理由を説明する。旧「筑波學生新聞」は記事の中で、当時の「筑波大学新聞」と旧「筑波學生新聞」の違いを「権力と反権力」「拘束と自由」「強者と弱者」と表現していたという。

筑波学生新聞第2号の紙面画像と公式X(右)

臨場感が伝わる記事に

4月に創刊された筑波学生新聞は、創刊以降、2カ月に1回のペースで定期発行し、必要に応じて特別号を追加発行している。これまでに学生宿舎問題を取り上げた「宿舎問題特別号」と、大学公認の学生代表組織「全学学類・専門学群・総合学域群代表者会議」(全代会)の問題点を取り上げた「全代会問題特別号」を発行した。

このうち「宿舎問題特別号」は、「学生による質疑に多くの記述を割くよう心がけた。執筆に際しては、(学生宿舎値上げ問題の説明会)会場で反響を呼んでいたものや、すでに他の学生による発信の中でも注目されている点に気を配った。(説明会の)その場にいた学生記者にしか書けない記事にしたかった」と、臨場感が伝わるような記事に仕上げたと話す。

7月中旬に開設した筑波学生新聞の公式サイト

学内配布が困難に

創刊当初の今年4月は、印刷した紙の新聞を学内で配布できず、公式Ⅹ(旧ツイッター)で告知するのがやっとだった。

編集スタッフは、学内で配布できなかった理由を「新聞を配布する約5日前に、教員のサインが入った届け出を、(学生部などの)関係部署に提出する必要があるため」だと明かした。提出時に紙面の内容もチェックされることから、「事実上の検閲」を受ける恐れがあると危惧(きぐ)しているとする。

さらに「届け出には責任者の名前を書かなければならず、その教員や学生が大学から目をつけられ、場合によっては処分されるかもしれないという恐怖がある。普通に考えればこんなことで処分されるのはあり得ないが、予想の上を行くのがウチの大学(筑波大学)なので…」と懸念を示した。

学生の懸念について筑波大広報局に確認を求めたところ、「学内において文書配布を希望する場合、掲示又は配布予定の5日前(休日は期間に算入しない)までに大学側に『文書等掲示・配布願』を提出し、配布の許可を得る必要がある」との回答があった。その上で同大広報局は「『届出』という表現は不正確であり、提出書類は許可を求める願い書である」と念押しし、文書配布の可否を決める権限は大学当局にあることを強調した。

根拠として2005年制定の「筑波大学学生の活動に関する法人規程」の第14条から第18条で文書の掲示や配布について定めた項目があるという。同大の「文書等掲示・配布願」には、団体名と団体の代表責任者の氏名・住所・電話番号などに加えて、掲示・配布場所、配布枚数など細かく記入する書式になっている。

学生有志が今年4月1日、筑波学生新聞の創刊を公式Ⅹで発表すると、2日後には大学側から「筑波大学新聞と筑波学生新聞は異なります」という趣旨の注意書きが公表された経緯があるという。

茨城大学生とも協力

紙の新聞の学内配布は事実上ふさがれた形だが、紙面画像データは公式Ⅹからダウンロードできるため、Ⅹからダウンロードして印刷したり、スマートフォンやパソコンから閲覧できる。7月中旬からは公式ウェブサイトが開設され、スマートフォンやパソコンからの閲覧が便利になった。

取材や執筆、編集作業は現時点で、少数の編集スタッフが手掛ける。ほかに、茨城大学(水戸市)の学生有志も協力しているという。以前は茨城大にも学生新聞があったが現在は無くなったため、筑波大生有志と茨城大生有志が協力して「茨大学生新聞」も今年4月下旬に創刊。このため発行元の名称が「茨城・筑波学生新聞連絡会」となっている。

文化や思索の拠点に

編集スタッフは「筑波学生新聞」のこれからについて「『暴露やスクープをどんどんやっていきたい』というよりは、『普通に新聞をやりたい』ということ。週刊誌のようになるのが目的ではない」と話す。その上で、以前の筑波学生新聞が学外の文化人を招いて講演会を開いた事例を挙げて「筑波大学の中での文化や思索の拠点になるようなものを目指している。もちろん、暴露すべきことはしっかり暴露するが、大学をおちょくるのが目的ではない」との将来像を示した。

一方で、学生宿舎問題をはじめとした、学生たちが大学生活などで抱く疑問や違和感など「学生たちが『これっておかしくない?』という声も紙面で取り上げていきたい」との姿勢を強調した。(崎山勝功)

※これまでの筑波学生新聞の記事は、公式Ⅹと公式ウェブサイトで無料で読むことができる。公式サイトはこちら。公式Ⅹ(旧ツイッター) はこちら