日曜日, 6月 15, 2025
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宍塚小廃校から5年半で再出発 土浦市教育相談室が移転

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改修工事中の旧宍塚小学校=土浦市宍塚

【鈴木宏子】2014年3月に廃校となった旧土浦市立宍塚小学校(同市宍塚)に10月1日、市教育相談室が移転する。教育問題に関わる電話相談に応じたり、不登校の小中学生などの適応指導教室「ポプラひろば」を実施し、増加している不登校の児童・生徒によりきめ細かな対応を図る。

旧校舎2階の教室や音楽室などを改修し、児童・生徒が勉強する学習室、体を動かすプレイルーム、相談ルーム、職員室、電話相談室などとする。現在、東真鍋町の市民会館脇にある教育相談室と比べ、学習室が2部屋になるなど広々とした環境になる。職員は移転前と同じ、指導主事や教育相談員など8人が配置される。

同適応指導教室には現在、小中学生10人程度が通学している。子供たちは学習室で自習したり、1対1で学習指導を受けたり、指導員に悩みを聞いてもらったりする。休憩時間にはゲームをしたり、卓球などをして体を動かす。

現在の土浦市教育相談室適応指導教室「ポプラひろば」

旧宍塚小では6月から9月中旬まで、教室の改修工事や校庭に駐車場を整備する工事が進められている。改修費は約3200万円。校舎1階と2階の一部は市の公文書書庫とし市内3カ所に分散している書庫を集約する。

現在、教育相談室がある東真鍋町の建物は、50年前の1969年に建てられた。移転後は解体され、改修工事中の市民会館駐車場拡張用地となる。

市教育委員会指導課の中山弘課長は「教室は改修され、装飾などもリニューアルされるので、子供たちが新鮮な気持ちでのびのびと生活ができる。さらに充実した環境となるので、お悩みの方は教育委員会にご相談いただきたい」と話す。

廃校時、地域住民から、宍塚小を売却せずに公共のものを入れてほしいという要望が出されたのを受けて、跡地活用の検討が進められてきた。当時、地域住民代表として同小教育後援会長を務めた同市佐野子の阿部守男さん(77)は「何か利用がないのか皆心配していたところ、3月に宍塚小で住民説明会が開かれ、そういう話があり、全員いいだろうとなった。利用してもらった方がいい」と話す。体育館やグラウンドなどは引き続き市民に開放される。

「まつりつくばには3日目がある」祭りの後の清掃活動に意義

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デッキブラシを持って歩道を磨く子どもたち=つくば市吾妻のつくばセンター広場

【崎山勝功】24、25日に開催の「まつりつくば2019」から一夜明けた26日、まつり会場の一つとなったつくばセンター広場(つくば市吾妻)に市民の有志ら約60人が集まって、広場の歩道やベンチなどの清掃に汗を流した。

参加者たちはそれぞれデッキブラシを持ち、タイル舗装された歩道に水や洗剤をかけて、歩道にこびりついた油脂や泥などの汚れを磨き落としていた。歩道には捨てたガムも点在してこびりついており、除去するのに苦心していた。

「大人が汚した街を子どもたちがきれいにするのダサくない?」

清掃活動は、2016年3月から市内で清掃活動に取り組む市民団体「グリーンバードつくば」が中心となって行った。フェイスブック上などで「まつりつくばには3日目がある」とのキャッチフレーズで市民に参加を呼び掛けた。まつりつくば会場の清掃活動は17年から始まり今年で3回目。同団体代表で会社経営者の堀下恭平さん(28)は「大人が楽しんで汚した街を子どもたちがきれいにするのダサくない?」と訴える。

この日は、広場の街路樹に設置のベンチなども清掃。ベンチのすき間には食品の食べこぼしなど汚れが目立ち、参加者たちはブラシなどで食べかすや汚れをていねいに取り除いていた。清掃活動に参加した、同市の中学生、辻野夏海さん(13)は「ベンチはコケがたくさんあってきつかったので大変だった。来年もやってみたい」と話した。

お掃除のために水を撒く子どもたち=同

グリーンバードの堀下代表と「同じ大学の出身」という縁で参加した、つくば観光大使の吉田さやかさん(28)は「清掃をやってくださる方がいるから、よりつくばを好きになるんだなと感じた」と語った。ラヂオつくばパーソナリティでフリーアナウンサーの小村悦子さんも清掃活動に参加し、自らデッキブラシを手に歩道やベンチを磨いた。「散らかっている街や汚れた街を見ると、何でポイ捨てするのとイライラする。1人で清掃活動はしづらいが、みんなで楽しんでできるので良かった」と振り返った。

清掃活動には市議や県議らも参加し、歩道清掃に当たった星田弘司県議は「祭りを盛り上げるだけでなく、街をきれいに盛り上げていくことも大切な事」と説いた。

同団体は、普段は毎月第1~第3日曜日と第2土曜日、第3水曜日の計5回、TXつくば駅や研究学園駅、みどりの駅の3駅周辺の清掃活動に取り組んでいる。ごみ拾いは子どもから高齢者まで幅広い層が参加できるため「自分たちの街を好きになるため、ごみ拾いをきっかけに人が集まってしゃべるなどの交流が目的」という。

――まつりつくば当日のスナップです――

まつりパレードで通りを埋め尽くした市内各所のみこしなど=24日午後8時過ぎ

 

屋台が並び、にぎわうつくばセンター広場周辺=24日午後3時過ぎ

 

まつりつくばに併せてつくばセンター広場特設ステージで行われた「いばらき国体」つくば市炬火(きょか)集火式。筑波山で採火した筑波山の火とつくばエキスポセンターで採火した科学の火を合わせてつくば市の火をつくった=24日午後7時ごろ

 

酒気帯び運転でつくば市消防士逮捕

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つくば市役所

つくば市は24日、市消防本部中央消防署豊里分署に勤務する消防士の男性主事(25歳)が、同日午前1時50分頃、同市遠東の市道で酒を飲んで車を運転し、道路交通法違反(酒気帯び運転)の疑いで現行犯逮捕されたなどと発表した。

つくば中央警察署によると、男性消防士は帰宅途中で、巡回中のパトカーに職務質問を受け、酒気帯び運転が分かった。同署によると容疑を否認しているという。

植木利男市消防長は「職員が酒気帯び運転で逮捕されたことは誠に遺憾。事実関係を確認し厳正に対処します」などとするコメントを発表した。

江崎賞に有機半導体の染谷東大教授 つくば賞は物材機構の廣崎フェロー

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江崎玲於奈賞の染谷隆夫さん(左)とつくば賞の廣崎尚登さん

【相澤冬樹】ナノサイエンスとナノテクノロジー分野の研究で世界的な業績を挙げた国内研究者を顕彰する第16回江崎玲於奈賞の選考会が23日、つくば市竹園のつくば国際会議場で開かれ、東京大学大学院教授の染谷隆夫さん(50)に決定した。県内において顕著な研究成果を収めた研究者を対象にした第30回つくば賞は物質・材料研究機構フェロー、廣崎尚登さん(64)に授与されることになった。授賞式は11月13日、同会議場で開かれ、両氏にそれぞれ1000万円と500万円の副賞などが贈られる。

染谷さんは、伸縮性と生体親和性をもつ有機半導体の新領域を開拓した。人の皮膚に貼っても違和感がないほど薄くやわらかいプラスチックフィルムの上に、センサーや太陽電池などのエレクトロニクスを実現するナノ技術。医療やスポーツなど多くの産業分野への応用につながる業績が評価された。

廣崎さんは白色LED用蛍光体の開発でサイアロン材料(ケイ素をベースにアルミニウム、酸素、窒素を合成したセラミックス)に着目、優れた発光特性を得てLED液晶ディスプレイの普及を加速させる原動力となった。

両賞は県科学技術振興財団とつくばサイエンス・アカデミーが主催し、県などが共催する。江崎玲於奈賞は関係学会や研究機関等から推薦のあった業績について、江崎さんはじめ、ノーベル賞受賞者の白川英樹さん、野依良治さん、小林誠さん、同市在住の元宇宙飛行士、毛利衛さんらが選考する。今回は12件の推薦があった。

つくば賞は、県内の大学、官民の研究所など108機関へ推薦を依頼し、書面審査と予備審査会を経て、23日の委員会でつくば奨励賞と共に選出された。江崎さんほか、筑波大学の永田恭介学長らが選考に当たった。

選考会に臨む江崎玲於奈委員長(左)ら=つくば市竹園のつくば国際会議場

つくば奨励賞受賞者と研究テーマは次の通り。(敬称略)

◆つくば奨励賞(実用化研究部門)島村清史(52)、ガルシア・ビジョラ・エルカルナシオン・アントニア(47)=以上、物質・材料研究機構 船木秋晴(36)フジクラ「レーザー加工機用の優れたファラデー回転子の開発と実用化」

◆つくば奨励賞(若手研究者部門)林洋平(38)理化学研究所「難病患者特異的iPS細胞を用いた革新的治療法の創出」

来館者100万人達成! 土浦市新図書館

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中川清土浦市長(右端)から記念品の贈呈を受ける100万人目の来館者の小学4年、佐久本蓮さん(中央)と母親のみさおさん=土浦市立図書館

【鈴木宏子】土浦駅前に移転した市立図書館(同市大和町)の来館者数が23日、100万人を達成した。2017年11月に移転・開館以来、1年9カ月での達成となった。年間目標の40万人より1.4倍多い来館者があり、想定より9カ月早い達成となった。

23日午後1時30分過ぎ、100万人目の来場者となった土浦市下高津、市立下高津小4年の佐久本蓮さん(10)に、中川清市長から、市の名産品「土浦ブランド」認定商品の飯村牛と市のイメージキャラクター「つちまる」のぬいぐるみなど記念品が贈られた。

蓮さんはこの日、母親のみさおさんと来館した。「急に呼び止められてびっくりした」と話し、新図書館について「移転前と比べて座りながら読めるのでいい」と述べた。現在、月2回ぐらい来館して毎回本を借りているという。母親のみさおさんも「飲み物を飲むところもあって、居心地がいい」と語った。

同館によると新図書館は、市民1人当たりの貸出冊数が4.26冊と移転前の2.2倍になった。来館者の4割が高校生など10代の学生というのが特徴という。

駅前の活性化にも貢献している。駅前の1日の通行者数は開館1年後の昨年11月に平日が約4万2100人、休日が約3万5800人となり、市役所が駅前に移転した15年11月と比べ、平日で1.1倍、休日は1.5倍に増加した。市役所が休みになる休日のにぎわいづくりに貢献していることが示された。

入沢弘子館長(56)は「100万人達成は開館以来の悲願で、予定より早くこの日を迎えられ職員一同うれしく感じている」とし「開館2周年の今年秋には、本をテーマに様々な催しを行う『図書館フェス』を実施し、既存利用者の図書館への親近感醸成と、新規利用者獲得を目指したい」とした。

同館は延床面積約5100平方メートル、蔵書数約56万冊、閲覧席数約650席といずれも県内一。

➡土浦駅前「本屋」座談会の過去記事はこちら

➡土浦市立図書館館長のコラムはこちら

第30回機に「ブラインド」に変更 かすみがうらマラソン2020

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2018年のかすみがうらマラソン

【谷島英里子】来年の第30回大会に向けた「かすみがうらマラソン」実行委員会が19日、土浦市内で開かれ、来年4月19日開催することを決定した。また、第30回を機に昨年までの名称「国際盲人マラソン」を「国際ブラインドマラソン」に変更し、大会名称を「かすみがうらマラソン兼国際ブラインドマラソン2020」(土浦市、かすみがうら市など主催)にする。

ブラインドは目が不自由な人という意味。同事務局によると、ブラインドは全盲者だけを指すのではなくWHO(世界保健機関)の定義でも障害の程度の軽いクラスの視覚障害者までを含めた言葉。全国的にもブラインドが使用されているという。

マラソンは土浦市川口運動公園周辺をスタート、かすみがうら市歴史博物館先を中間点とし、川口運動公園のJ:COMフィールド土浦をゴールとする湖岸周回コースで競う。

種目、募集人数、参加費は次の通り。

【かすみがうらマラソン】▽一般の部=フルマラソン1万5000人、7000円▽10マイル6000人、5500円▽5㌔2000人、3500円▽5㌔チーム対抗レース=1万円

【国際ブラインドマラソン】▽フルマラソン=7000円▽10マイル=5500円▽5㌔=3500円(いずれも定員なし)

エントリーは先着順で、県民先行エントリーは11月23日から、一般エントリーは12月4日からを予定している。

詳しくは大会ホームページhttps://www.kasumigaura-marathon.jp/

➡昨年のかすみがうらマラソンの様子はこちら

廃校で障害者生活支援ロボコン つくば市旧菅間小で来年から10年連続

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旧菅間小学校

【鈴木宏子】つくば市立秀峰筑波義務教育学校(同市北条)の開校などに伴って廃校となった筑波地区の小中学校跡地10校の利活用で、旧菅間小学校(同市中菅間)を、障害者生活支援ロボットコンテストの事業拠点にしたいという要望がジャパンイノベーションチャレンジ実行委員会(東京都目黒区、上村龍文委員長)からあり、同市が受け入れる方向で協議を進めている。

市科学技術振興課によると同コンテストは、同小体育館内に住宅模型を設置し、障害者が介助者の支援なしで自立した生活を送るための生活支援ロボットの開発技術を競う。ロボットには、起床から就寝までの日常生活で、例えば「夜中にトイレに行くのを支援する」「入浴を支援する」「宅配便の受け取りを支援する」など10程度の課題を設定し、達成されるまで毎年競技を続ける。

コンテストを実施することで技術開発や製品化の加速を目指すのが狙い。コンテスト自体は数日間の開催で、年1~2回程度開く。すべての課題が達成されるまで10年間程度かかると想定し、達成まで毎年連続してコンテストを開催する。賞金は同実行委が総額1億円を用意し、国内外から参加者を募る。20チーム程度の参加を想定しているという。

同実行委の上村委員長は、ふるさと納税サイト「ふるさとチョイス」を運営するIT企業、トラストバンク(東京都目黒区)の元取締役で、現在は同実行委の委員長として2016年から毎年、北海道上士幌町の町有林でドローンを活用した山の遭難救助ロボットコンテストを開催している。

旧菅間小の体育館と校舎の一部はコンテストの準備期間などを含めて年60日間程度、使用する。体育館の一部にはコンテストが終了するまでの約10年間、住宅模型を常設する。市は同実行委に年約300万円程度で同小の土地建物を貸与する。

昨年12月、同実行委から廃校をコンテストの事業拠点として活用したいという打診があり、市と協議を進めてきた。今後は、9月下旬に市開発審査会に諮る。承認されれば、10月以降、会場設置工事に着手する。第1回コンテストの開催は来年9月ごろを目指しているという。

同校は、選挙の投票所や指定避難所となっており、引き続き投票所や避難所として利用する。校庭の一部には消防団の詰所が設置される予定。

教職員研修会の要望も 旧山口小

ほかに旧山口小(同市山口)校舎を、教職員の資質向上に関する講習会や研修会で利活用したいという要望が21世紀教育会(同市大曽根)からあるという。同校舎は耐震基準を満たしてないことから、市は課題や貸し出し基準などを整理し検討、調整するとしている。

➡つくば市の廃校利活用に関する過去記事はこちら

真夏の豪雨体験に1200人 防災科研でつくばっ子びしょぬれ

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傘も雨具も役立たないほどの豪雨のなかから抜け出てくるチビっ子たち=防災科学技術研究所の大型降雨実験施設(つくば市天王台)

【相澤冬樹】防災科学技術研究所(つくば市天王台)のつくばちびっ子博士向け企画、豪雨を体験する大型降雨実験施設の公開イベントが20日行われた。防災科研まとめで1200人の親子連れが参加して、真夏の屋内豪雨を楽しんだ。

昼過ぎに降雨のあったつくば市、アメダスだと正午過ぎに1ミリ、午後5時に6.5ミリの降水量を記録したが、大型降雨実験施設では1時間あたり600ミリというゲリラ豪雨並みの風雨が吹き荒れた。10分間に50ミリを記録(2011年、新潟市)した日本最高記録並みの豪雨を15分にわたって再現するもので、屋内とはいえ風が吹き、水たまりに足をとられる環境、歩くだけで目を開けていられないほどの体験となった。

防災科研の同実験施設は、1974年に供用開始した。ゲリラ豪雨の頻発(ひんぱつ)を受ける形で2013年の改良工事で1時間あたり600ミリの降雨量に増強された。幅44メートル、長さ72メートルの散水面積の一部を使い、毎年台風シーズンを前にした今の時期に豪雨体験の公開を行っている。

雨具、長靴、かさ持参を参加の条件に募集し、20日は例年通り30分置きに3回の体験を予定していた。親子合わせて1回350人ほどが体験できるが、この日は3回目を終えても行列が途絶えず、ついに4回目の実施となった。事前の注意で「走らない」「水遊びをしない」などの注意を受けるが、豪雨の中に歩き出した子供たちは次第に夢中になり、全身びしょ濡れになって抜け出てくる。

つくば市緑が丘の小学校3年生、温井千遥さん(8)は「すごい雨で、こんなの経験したことないから驚いた」そうだ。つくばちびっ子博士で訪れた施設は、これで14カ所目。18カ所以上が基準になっている最優秀つくばちびっ子博士の認定まであと一息、「夏休み中に達成したい」と声を弾ませた。

豪雨体験に集まったつくばちびっ子博士参加の親子連れ=同

TX沿線にさらに2校新設 つくば市

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左側は研究学園駅周辺・研究学園葛城地区の土地利用計画図。(仮称)研究学園小学校と中学校併設校の予定地は地図左下。右側はみどりの駅周辺・つくばみどりの里地区の土地利用計画図。新設校の予定地は地図中央より左下の赤い部分

【鈴木宏子】つくばエクスプレス(TX)沿線で児童・生徒数が急増し、いずれも2018年4月に開校したばかりのつくば市の小中一貫校、学園の森義務教育学校(研究学園駅周辺)とみどりの学園義務教育学校(みどりの駅周辺)で教室が足りなくなる問題=5月30日付=で、同市は19日、両駅周辺でそれぞれ学校用地を新たに購入し、さらに2校を新設する計画を発表した。同日開かれた市議会全員協議会に説明した。

研究学園は小中併設

研究学園駅周辺・研究学園葛城地区の(仮称)研究学園小学校と中学校併設校の建設予定地

市教育局によると、研究学園駅周辺は、市役所西側に学校用地2.5ヘクタールと公益用地0.5ヘクタールの計3ヘクタールの県有地を新たに購入し、小学校と中学校の併設校を新設する。開校は23年4月の予定。小学校は20学級程度、中学校は10学級程度の規模になる。併設校は小中一貫校とは異なり、校長がそれぞれに配置され別々に運営される。校舎や体育館などの施設も別々に建設される。一方、予定地が手狭なため、予定地西側の畑地1.5~1.7ヘクタールを追加購入しグラウンドにする計画だ。現在、地権者に説明したばかりだという。

学園の森は、開校2年目の今年度、敷地内に27教室を増築中だ。市が5月に発表した児童・生徒数推計によると、さらに対策を講じなければ23年度には教室が足りなくなり、27年度に児童・生徒数が3300人を超えると推計されている。

みどりのは通学区見直しも検討

みどりの駅周辺・つくばみどりの里地区の新設校予定地

一方、みどりの駅周辺は、みどりの学園義務教育学校から約500メートル南の学校用地2.5ヘクタールと公益用地0.6ヘクタールの計3.1ヘクタールを県から購入し学校を新設する計画だ。24年4月に開校の予定だが、周辺を含め通学区域の見直しを併せて検討するため、新設校を小学校にするか中学校にするか併設校にするかは、通学区の見直しと併せてさらに検討して決める。

みどりの学園は今年度、敷地内に15教室を増設、さらに20年度と21年度にも敷地内に17教室を増設する計画だ。児童・生徒数推計によると、さらに対策を講じなければ24年度には教室が足りなくなり、29年度には市内最多の4000人を超える学校になると推計されている。

一方、学校が新設されても、学園の森、みどりの学園いずれも、文科省が解消を促している過大規模校(31学級以上)となり、課題は残る。

「26億円損切り」と懸念 つくば市総合運動公園用地売却問題 1社が40億で取得提案

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旧総合運動公園用地=つくば市大穂

【鈴木宏子】住民投票で事業が白紙になったつくば市の旧総合運動公園用地(同市大穂)約46ヘクタールについて、市が一括売却する方針を固め、4月から事業提案を公募していた問題=4月26日付=で、同市は19日、公募の結果、1社から商業施設や物流倉庫などとして複合的に利用する提案があったと発表した。同日、市議会全員協議会を開き明らかにした。提案事業者の用地取得予定価格は「40億円~」だった。議会からは「66億円で買った。26億円損切りになる」など市がこうむる損失を懸念する意見が出た。

提案事業の内容は①東大通り沿いなどの2区画を商業用地(計約14ヘクタール)とし土地を賃貸して、大手ショッピングモール、スーパー、飲食店、ホームセンターなど大規模商業施設を誘致する②西側約13ヘクタールを物流用地とし土地を賃貸して、物流・倉庫企業を誘致する③南側約10ヘクタールを倉庫用地とし自社で利用する④商業用地の南側約2ヘクタールを老健(介護老人保健施設)・緑地用地とし、土地を賃貸して、緑地、公園設備を敷設し、健康促進の一環としてスポーツジムや運動場、健康センター等を推進する―など。

民間事業者が市に提案した計画概要

提案事業者名は公表しないという。事業者の土地取得の希望時期は来年2月ごろ。

公募は4月26日から7月5日まで実施した。市によると、2件の応募があったが、1件は辞退した。

売却に向けた手続きは2段階で実施する。今回はあくまで事業内容の提案を募集しただけ。今回の提案をベースに市が土地利用計画を策定し、さらに不動産鑑定評価を実施した上で市が売却価格を設定し、改めて売却先を公募する。

議会からは「(取得予定価格の)40億円は大きなマイナス(が出る)」などの意見が出た。

これに対し五十嵐立青市長は「(民間に売却すれば)年7000万円を超える固定資産税と都市計画税が市の収入になり、(現在、金融機関に支払っている)利子年3000万円がなくなる」などと説明し理解を求めた。

今後の日程は、9月上旬に市民説明会を実施し、9月までに土地利用計画案を策定し不動産鑑定を実施、10月ごろ都市計画変更手続きに着手し、11~12月に売却先の事業者を公募する。

➡つくば市総合運動公園問題に関する過去記事はこちら

筑波山の観光客22万7千人増 1人当たりの消費額は減少

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筑波山

【山崎実】茨城県観光物産課の観光客動態調査結果によると、昨年の茨城県への観光入込客数の延べ人数は6183万6000人(前年比0.9%増)で、調査を開始した1970年以降、過去最多を記録した。また入込客数の実人数は4040万9000人(同2.2%増)、観光消費額は2555億円(同2.8%減)だった。

県内44市町村のうち、つくば市は大洗町に次いで観光入込客数が2番目に多く、特に筑波山(つくば市)が22万7000人増加したのを始め、新たに調査地点に追加した宝篋山(同)は7万1000人増えた。

入込客数の延べ人数は県内406の観光地点、行事、イベント等の入込客数の総数で、地域別では県央1989万8000人、県南1387万8000人が他地域に比べ多かった。県南は筑波山、宝篋山のほか、みほふれ愛プラザ農産品直売所(美浦村)も8万5000人増とそれぞれ人気を集めた。県内18カ所の公設海水浴場の入込客数は11万8000人増となった。

入込客数の上位市町村は①大洗町(453万1000人)②つくば市(421万7000人)③ひたちなか市(392万2000人)④笠間市(370万4000人)⑤水戸市(367万6000人)がベスト5。

外国人観光客(実人数)は34万2000人で、前年より4万5000人(15%)増えた。2016年から毎年15%程度増加し続けている。

一方、観光消費額は全国的に旅行消費額が下がっていることなどを反映し、2554億7400万円で、前年比2.8%減となった。全体の入込客数は増えたが、宿泊観光客の減少(対前年16万4000人減)や1人当たりの観光消費額が前年の6645円から6322円と323円(4.9%)減ったことなどが影響した。

利用交通手段は自家用車が圧倒的に多く全体の85.5%を占め、県外からの入込客数では千葉県(678万人)、東京都(641万3000人)、埼玉県(516万4000人)がベスト3。

満足度については「ひじょうに満足」と「やや満足」を合わせ79.3%に達した。

課題も見えてきた。県北臨海、山間地域への入込客数(延べ人数)は両地域合わせても803万人(前年は816万6000人)と伸び悩んでいる。また茨城県は依然として滞在型観光地としての地歩を築いていない。県、市町村は今後、新たな魅力ある観光振興対策を迫られる。

うれしくてしんどい大玉 「幸水梨」つくばで出荷最盛期

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猛暑日も庭先で穫れたてのナシを取り引きする塚本梨園=つくば市大砂

【相澤冬樹】気象庁アメダスの最高気温で35.3℃(つくば)を記録した猛暑日の17日、旧盆の出荷最盛期にようやく一区切りをつけたナシ農家が取材に応じてくれた。つくば市大砂の塚本忠男さん(71)、朝5時からの収穫作業を終え、自宅わきの選果場に戻ってきた。「今年の夏はおもしろかった。異常気象の年ほど栽培の醍醐味がある」と日焼けした顔をほころばせた。

今の時期、塚本さんが収穫しているナシは、早生の代表品種「幸水」。大砂地区の5カ所に約1.5ヘクタールを持つナシ園のうち、約1へクタールで栽培している主力品種だ。ハウス栽培を止めた塚本さんの出荷は7月から始まるが、ピークはお盆需要が高まる8月中旬。炎天下、収穫作業にひとり黙々励む。

箱詰めする塚本忠男さん=同

「日中の収穫はしない。日差しの中だと皮が厚くなってしまうので、朝5時ごろから遅くても午前10時には切り上げるようにしている」とこだわりをみせる。収穫したナシを自宅に持ち帰ると妻の待つ選果場へ。ここへ客が次々にやってきて、思い思いのサイズを見つくろって購入していく。庭先には試食のテーブルがあり、客が自ら包丁を入れ、手をべとつかせながら味わっていく。

もちろん市場にも出荷している。「7月は長雨の影響で、市場では幸水が小玉のサイズばかりになった。そこへうちが大玉を持ち込んだものだから、高値で商いできた。そこがナシつくりのおもしろいところ」。収穫時期以外は土壌の世話と樹木のせん定に労力を費やす。その結果が収穫となって結実するのが果樹園芸の醍醐味というのだ。

しかし、脱サラして始めたのが約40年前、箱詰めするナシの重さがこたえる年齢になった。苗木から育てた樹木も老木となり、更新をしていかなければならない。そんななか、県の育成品種である「恵水」の育成にも取り組んでいる。4L以上限定という大玉規格なのが特徴だ。「新しい品種というのは接ぎ木によって育てるのだけど、実が穫れるまで大体5年かかる。それを3年でできるようにするのが腕の見せどころ、年の功だね」と胸を張るが、技術を伝える後継者が不在なのが悩ましいところだ。

幸水の出荷はほぼ8月いっぱい、それから豊水に切り替わり、恵水は中旬からお彼岸にかけて出てくるそうだ。

◆塚本梨園(つくば市大砂)電話029-865-0855

【戦後74年の夏】7 ドローンで見る廃墟 鹿島海軍航空隊跡地の風化 ㊦

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鹿島航空隊跡地、気缶場の上空から煙突部分をのぞく=撮影・伊能正登(TSORD)

【相澤冬樹】病院関係者によって「霞ケ浦分院史」(1992年)が刊行されている戦後の記録に比べ、鹿島海軍航空隊時代の資料は皆無に等しい。海軍は終戦を前に記録類を徹底的に破棄し、機体などは戦後接収した米軍により処分されたという。証言できる人を探しても、村周辺にはまるで見つからなかった。

国立環境研究所の敷地の北側にこんもりとした森があり、誰いうとなく「アベック山」の名がついた。戦時中、航空隊の兵士が訪ねてきた娘との逢瀬(おうせ)に利用した森だというが、真偽のほどは分からない。しかし、地元の人間が好んで語るエピソードは、これくらいしかない。

航空隊員が見た夏の空

結局、土木建築群だけが戦争遺跡となった。ツタ草のからまる旧司令部庁舎はコンクリート壁の厚さが30センチ、天井までの高さが4メートル以上あるという頑丈な造りで、雨漏りにも持ちこたえている。霞ケ浦分院時代に内部が改造されたが、一部の部屋はヒノキの板壁でシャンデリアやセントラルヒーティングも完備していたという。煙突直下の建物は「気缶場」と呼ばれた。気缶(汽缶)はボイラーのことで、ここには暖房用石炭ボイラーがほぼ原形をとどめ残存している。

ドローンからだとむき出しになったボイラー棟の屋根の鉄骨越しに内部をのぞける。風雨にさらされ、室内にまで夏草が入り込んでいる。村によれば鉄骨に腐食は見られないことから修復は可能ということだが、耐震性など安全強度までは計られていない。煙突越しに機体を高度100メートル以上で飛翔させると、霞ケ浦の土浦入り北方の青空に筑波山の群青の双峰がとらえられる。航空隊員が見た夏の空もこんな景色だったろうか。

ほぼ原形をとどめ残存しているボイラーの焚き口

跡地活用基本構想に進展なく

美浦村は17年3月、同跡地活用基本構想をまとめた。①病院跡地②村域③広域-の3つのエリア単位で、それぞれに所在する資源を活用して文化や観光、レクリエーションの振興につなげようとしたものだ。

鹿島航空隊については「遺構を訪ねることができるよう整える」として、現況保全、防水・耐震補強等を施したうえで、見学ツアーや歴史体感イベントを展開するとしている。さらには道の駅やサイクリングステーションの設置、マリンスポーツ拠点、霞ケ浦巡回航路の整備などを提案している。

アイデア素材を列挙してまとめた内容で、事業規模も事業主体も定めないままの構想。2年以上を経過したが具体化に向けての取り組みはない。病院跡地について昨年11月、一般向け、有識者向けに公開する2日間の内覧会を行っただけだ。

内覧会でのアンケートでは、施設の一般公開を望む声が過半数に達したが、公開に先立っての学術的調査や安全性への配慮を求める声は根強くあった。公開方法についても「戦争遺跡である以上、平和学習、平和教育の意味を持った活用が大前提であり、その共通理解のもとで整備などを進めていく必要がある」などの意見が出された。

美浦村企画財政課によれば、「取り壊してソーラー発電所を拡張するようなことはない」そうだが、これらの論点の整理については未着手。どの方向に向かっていくかの見通しも立っていないという。

(シリーズ「戦後74年の夏」終わり)

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【戦後74年の夏】6 ドローンで見る廃墟 鹿島海軍航空隊跡地の風化 ㊤

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霞ケ浦分院跡地は鹿島海軍航空隊跡地の一部=美浦村大山

【相澤冬樹】夏がくれば思いだす――のは、霞ケ浦に突き出た美浦村の東端、鹿島海軍航空隊跡地のこと。戦争遺跡があったり、心霊スポットの廃墟があったり、水辺レジャーの基地があったり、夏になると注目を集める場所だ。なかでも霞ケ浦分院跡地と呼ばれる遺構は、解体されるのか保全されるのか、「この先どうなる?」とよく聞かれる。許可を得て敷地内に入れてもらい、ドローン撮影を敢行した。

病院跡地に立つ旧軍施設

美浦村大山、南に小野川の河口が切れ込んだ半島状の土地約23ヘクタールが、鹿島海軍航空隊跡地である。国交省管理の水防拠点になっている湖岸の約1.5ヘクタールを除けば、ほぼ7ヘクタールずつ3等分できる。北から国立環境研究所水環境保全再生研究ステーション、中央の東京医科歯科大学霞ケ浦分院跡地、南の堤防の内側にある民有地である。戦後すぐに払い下げられた民有地以外の土地は、1946年から霞ケ浦分院が占めたが、1974年に北側部分は環境研(当時、国立公害研究所)に移管となった。

霞ケ浦分院は1997年までに閉院、最終的に中央部約7.6ヘクタールの土地を村が取得した。中央を走る道路の南側部分3.3ヘクタールは村営のメガソーラー発電所となっており、北側部分4.3ヘクタールは周囲をフェンスで封鎖している。分院跡地と呼ぶが、残っている建造物は旧軍時代からのものばかりである。ランドマークになっている煙突とボイラー棟が、深い夏草のなかから立ち上がっている。

許可を得て取材チームが入った8月初め、旧軍時代の司令部、分院時代の本部として使われた鉄骨コンクリート造の庁舎は民間のセキュリティー会社に管理が委ねられていたが、役場職員がその施錠を解こうとしたところ、ドアノブがバールのようなもので破壊されていて、ついに開錠できなかった。ドローンを飛ばすと、夏草は陸屋根になった屋上にも根を張って繁茂している。

いわゆる廃墟マニア、あるいは心霊マニアの関心をひくスポットだけに不心得の侵入者が後を絶たないらしい。建設から80年、無人となって20年、すさまじい風化のなか保全は成り立つのか、今後が注目されているのである。

左に南岸、右に東岸のスロープ。中央突端部にカタパルトの跡がある=撮影:伊能正登(TSORD)

湖岸のスロープから飛び立つ

鹿島海軍航空隊は、阿見町にあった霞ケ浦海軍航空隊の水上班が移転して1938(昭和13)年に開隊した。水上機の操縦訓練を行う練習航空隊であり、のちに予科練出身の飛行練習生が93式水上中間練習機で猛訓練を行った。いわゆる「赤とんぼ」の水上機バージョンで、滑走のためのフロートが付いていた。第二次大戦末期には特攻作戦の搭乗員として多くを送り出した。

大山地区の突端は、湖に2方向が面していることから、横風に弱い水上機の離陸に適していた。東側と南側の滑走路は、水面に向かって傾斜のついた斜路になっていて、大山スロープ(ゲレンデ)の呼び名がある。

この湖岸施設は現在も国交省管理の水防拠点に位置づけられており、2009年、土木学会選奨の土木遺産に認定された。斜路はプレジャーボートやジェットスキーの船艇搬入に便利なことから近年レジャー客の利用が増え、夏場の週末ともなるとごった返すほどの人出になる。民有地は艇庫が立ち並び、水上飛行機の格納庫も置かれている。(つづく)

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真夏日にハスの刈り取り 酸欠の宍塚大池でボランティア活動

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炎天下、ハスの刈り取り作業に汗を流す宍塚の自然と歴史の会のメンバー=土浦・宍塚大池

【相澤冬樹】土浦市宍塚の宍塚大池で14日、ハスの刈り取り作業が始まった。旧盆の迎え日、猛暑厳しき折にゴム製の胴長を着用し、ため池に浸かってハスを抜き取る力仕事。陣頭指揮のNPO法人、宍塚の自然と歴史の会代表の及川ひろみさん(75)には、湖面を埋めるハスの葉を急いで除去しなければならない理由があった。「ちょうど大学生と高校生がボランティアで来てくれることになった」ため、この日から作業を開始した。

約100ヘクタールのかん養林に囲まれるように、約3.3ヘクタールの広さに水をたたえる宍塚大池。農業用水として利用される。NEWSつくばの9日付けコラム「宍塚の里山」で、及川さんが「大池はピンクの蓮の花が満開です」と書いたように、ハスの群生は水面を埋めるように育って、8月初めには花の見ごろを迎えていた。中旬には花期は終わりに近づいたが、花托(かたく)がふくらんで実をつけ始めており、なお生長を続けている。

作業中もコイやオオクチバスの死がいが上がる=同

見た目には華やかだが、ハスの浮き葉、立ち葉の周囲は水草のヒシが取り囲むように密集し、水面をすっかり覆っている。池の水は酸欠状態になっていると見られ、ここ数日、コイやフナ、オオクチバスなどが次々に水面に浮き上がって、へい死が確認された。「多様な生物相」が大池の魅力だけに放置しがたい水環境になっている。

9月からエアレーション実験を予定

同会の活動と連携し、大池周辺を研究フィールドにしている茨城大学農学部の黒田久雄教授(農業工学)の申し入れで、9月から水質浄化のために空気を送り込むエアレーション実験を行うことになった。水処理専業の大手企業が協力する。

このため、水面がまったく見えない状態は望ましくないとして、及川さんの判断でハスの刈り取りを決めた。堤防道路入口付近の500平方メートルほどの湖面からハスを抜き取って、実験に備えることにした。

ちょうど夏休み中の課外活動で、ボランティア先を探していた同市内の高校生から申し込みがあり、筑波大学院生で同会会員でもある東谷一煕さん(24)のボランティア活動日に当たっていたため、及川さんら4人で作業をすることになった。野生のハスは根や地下茎が地中深く潜り込んで、とても手で引っこ抜くことはできない。装置がないため、レンコン農家のように水圧をかけて掘り取ることもできない。腰まで水に浸かり、水面を覆うハスの葉を根本から、花や実もろとも刈り取る力勝負となった。

生物多様性を研究テーマに、普段から山岳や防災分野でフィールドワークをしているという東谷さんは「大池での作業は息抜きみたいなもの」だそうが、高校生はほとんど無口で作業をこなす。この日の日中の最高気温は31℃、直射日光こそなく猛暑日とはならなかったが、真夏日に初めて身につける胴長の蒸し暑さはこたえる。2時間ほどをかけて、100平方メートルほどの水面がやっと見えてきた。

同会では1990年から毎年、動員をかけ、舟で刈り取り作業を行っていたが、ハスの勢いに押されるように中断、今回6年ぶりの再開となった。作業は断続的に夏休みの間じゅう続く。

【戦後74年の夏】5 引揚者住宅から始まった土浦の戦後 ジオラマで蘇る少年時代

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原の前住宅にあった4棟長屋の模型は上から間取りをのぞける構造になっている=土浦市中、原ノ前公民館

【相澤冬樹】この春、土浦市立博物館で開かれた特別展「町の記憶―空都土浦とその時代」、海軍航空隊や戦前の町の記憶をたどる展示に、入場者が思い思いに見入る会場で、ほとんど全員が足を止めるコーナーがあった。同市原の前にあった引揚者住宅の模型、街区全体を住宅地図のように復元したジオラマで、見下ろす来館者たちが「これあそこじゃない?」などと記憶を呼び覚ますシーンが見られた。

戦後生まれが大多数となった来館者に、戦争や銃後の暮らしの「記憶」はない。だから戦前を引き継ぐ風景や地図は思い出を語る糸口になりやすい。しかし模型製作者の同市中(なか)、大貫幾久男さん(71)を訪ねると、旧海軍航空廠(しょう)の兵舎跡とされる引揚者住宅に、戦前の生活は刻まれていなかったというのである。

同市右籾の第一海軍航空廠(現在の陸上自衛隊霞ケ浦駐屯地)は終戦に前後して取り壊され、その現場作業に就くため父親が栃木県藤岡から土浦にやってきたのは1947年のこと。翌48年に生まれた大貫さんは5人きょうだいの末弟だった。当時の土浦には、戦争終結に伴い引き揚げてきた無縁故の(国内に身寄りのない)在外邦人を収容する「引揚寮」が数多く設けられていた。空き家となった海軍住宅や航空廠の工員宿舎が多数あり、転用されたためだ。その戸数約800という。

6畳一間に7人が暮らす

原の前の引揚者住宅もその一つ。大貫さんの入居した住宅は47年に払い下げられているが、「真っ先だったから、一番南の見晴らしのいい住戸に入れたと聞いた」という。43年ごろ工員宿舎用に接収され建設されたが、戦局の悪化で入居者を迎えないまま終戦に至った。復員軍人や引揚者向けに入居者募集が行われたのは戦後になってからだった。

入居当時の引揚者住宅での暮らしを語る大貫さん=同

住宅は6畳の和室一間と板敷3畳の台所に土間のついた間取りで、4軒を一棟に連ねた長屋状の建物だった。これが南北に最大16棟並んで、全93戸があった。杉板を張り合わせた外壁、杉皮で葺かれた屋根、4軒共用の井戸があった。長屋の両端の家は地続きの畑が使えたが、内側の2軒は離れた区画に畑を持ったそうだ。

原の前はかつての字名で中村、今の住居表示で中の一部にあるが、93戸の住宅は周囲から孤立して立地していた。父親の職場だった霞ケ浦駐屯地は常磐線の通る谷津地形をはさんだ対岸にあり、東京通勤者は谷津のあぜ道を歩き線路伝いに荒川沖駅に出たのだった。

地区内に商店はないから、畑を耕し、鶏を飼う「自給自足」の生活となった。住宅に風呂はなく、1キロ以上離れた右籾や大房の銭湯に通う日々だったという。両地区とも引揚者住宅から街区形成が進んだ町内だ。

大貫さんは常磐線に向かって立つ広告看板の下でよく遊んだ。白髪染めの「君が代」と清酒の「白雪」だけは覚えている。6畳一間の住宅に一家7人が暮らしたが、高校進学を機に単身東京の親戚宅に身を寄せたそうだ。のちに原の前に戻って、以前は畑だった場所に自宅を建てたが、少年時代の原風景に年々郷愁を募らせた。

原ノ前公民館に展示

約60年前の記憶をたどる形で模型を作り始めたのは2015年からだった。古い家に長く暮らした姉や周囲の人たちに聞き込みをするなどして、まず4棟長屋を作り、それから概ね200分の1の縮尺で全住戸を配したジオラマを作った。自身は建設関係の仕事に就いていたが、技術職ではなく、柱や梁の建て方など見様見真似での製作となった。

それぞれ1年ほどを掛けて16年には2点が仕上がった。「ほとんど我流。子供のころ好きだった住宅模型の工作を思い出しながら作業した」そうだが、趣味の日本画で培った筆遣いが役立った。田畑や台地の植栽はもとより、井戸や鶏小屋のディテールにまでこだわった。「君が代」と「酒の白雪」も書き入れた。その鮮やかな再現性が特別展で評価されたのだった。

原の前の引揚者住宅は水道が引かれると各戸こぞって家風呂を設け、敷地いっぱいに増改築を繰り返し、やがて周辺にも戸建て住宅が張り付いた。4棟長屋から分離された当時のままの家屋が今も1、2棟残っているが、住む人はいない。「戦争の記憶が薄れるように、僕らが生きた戦後の時代も忘れかけられている。そういう作業を一緒にしたいという人がいれば、また模型を作ってもいいと思っている」と大貫さん。2つの住宅模型は今、原ノ前公民館に展示されている。

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若手テニス選手の登竜門 19日からつくばでセキショウ国際女子

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「第30回セキショウ国際女子オープンテニストーナメント」のポスター=筑波学園記者クラブ

【崎山勝功】本県唯一の国際女子テニス大会、第33回セキショウ国際女子オープンテニストーナメント(関彰商事主催、つくば市共催)が19日から25日まで、つくば市北原の筑波北部公園テニスコートで開かれる。

県出身の選手も参戦

大会には、主催者推薦枠(ワイルドカード)で、県出身のアマチュア選手が出場を予定している。シングルス予選に、茨城国体予選準優勝でつくば市出身の佐藤久真莉さん(17)=富士薬品=、同国体予選優勝で牛久市出身の川村茉那さん(18)=フジキン=、筑波大学の阿部宏美さん(19)、筑波大OGの牛島里咲さん(23)=マサスポーツシステム=らがエントリー、20日からの本戦出場に挑む。

同大会は1987年に第1回大会を開催。2005年からつくば市内に会場を移して実施している。これまでにクルム伊達公子選手(1988年ダブルス優勝)や、リオ五輪代表の日比野菜緒選手(2013年シングルス優勝)も出場するなど、若手女子テニス選手の登竜門となっている。

大会期間中の20日~22日には関連イベントとして、小学生向けの「第7回セキショウチャレンジカップ2019」を、つくば市花室のNJテニスクラブで開催する。

猛暑対策 プロ教室が中止に

例年、大会期間中の最終日に開いてきたプロテニス選手によるテニスレッスン教室は、今年の開催中止を決定した。猛暑による健康被害へのリスクを考慮したため。関彰商事の広報担当者によると、昨年は気温が37~38度の猛暑日が続いたという。今年は猛暑対策として、観客にかき氷や氷のうを無料提供、屋外用のエアコンや大型ミスト扇風機を導入するなど、観戦の安全対策に力を入れている。

入場は無料。詳細、問い合わせは大会公式サイトで。

【戦後74年の夏】4 飛行場があったと零戦が伝える 筑波学園病院のモニュメント

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ゼロ戦のモニュメントの前で談笑する藤沢順一さんと女子事務員たち=筑波学園病院(つくば市上横場)

【大山茂】「今の若い人たちに戦争の悲惨さを知ってもらい、平和の尊さをかみしめてもらいたい」。元つくば市長で、筑波学園病院(つくば市上横場)を運営する筑波麓仁会の理事長、藤沢順一さん(78)は同病院の敷地内に5年前に建立した戦闘機のモニュメントの前で若い職員たちにこう語る。

病院は戦前の谷田部海軍航空隊(谷田部飛行場)跡地内に建つものの、今ではその面影を失い、過去を知る人は少ない。ところが兵士たちが出撃の際に祈願したという『谷田部神社』が今も病院近くにひっそり佇(たたず)んでいる。毎年桜の咲く時期に元航空隊員たちがこの神社に参拝しているとの話を伝え聞いた藤沢さんが「後世に飛行場が存在した事実を伝えなければ」と、象徴的な零戦像の建立を思いたった。

モニュメントが設置されているのは病院の正面入り口に近い緑地の一角。すぐ隣に飛行場時代から花を咲かせているという桜の老木が2本、まるで零戦を守るかのように枝葉を広げている。御影石のモニュメントは台座を含め高さ約2メートル、零戦の長さは約60センチ。400万円をかけ、笠間市の伝統工芸士に製作を依頼した。

谷田部基地と零式艦上戦闘機六二型=記録集「谷田部海軍航空隊記念碑建立にあたり」に寄せた元海軍中尉、香川宏三さん提供写真

市教育委員会の資料によると、谷田部飛行場は病院の敷地に本館が建ち、常磐自動車道をはさんで向こう側にある農研機構(同市観音台)の研究施設群には芝生の滑走路が、さらにその奥には飛行機を格納する掩体壕(えんたいごう)があった。太平洋戦争の最中には九三式練習機(通称・赤とんぼ)の飛行訓練が行われた。しかし戦局が悪化すると実戦機、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)が配備され、10代後半の若い兵士が特別攻撃隊(特攻隊)として南方の戦線に送り出された。

モニュメントの除幕式には元航空隊員や霞ケ浦の予科練生、谷田部神社の世話人、地元関係者らが多数出席した。同航空隊の卒業生で千葉県在住の元海軍中尉は「多くの若者がこの地から出撃して命を落とした。生きながらえた者で慰霊祭を行ってきたが、当時を偲ぶ構造物はなく、寂しい思いだった。記念碑が建立されたことで戦友たちの心の拠り所ができた」と紅潮した表情で語ったという。

病院近くの常磐自動車道に架かる橋の名は『飛行場橋』。銘板に気付く人は少ない

今回、藤沢さんとモニュメントの前で撮影に応じた病院の女子事務員たちは、妻子を残して戦艦に突撃する特攻隊員の苦悩を描いた百田尚樹原作の映画『永遠の0(ゼロ)』の話題に触れながら、「平和な時代に生きていて良かった。これからも日本は平和でいて欲しい」と神妙な面持ちで語っていた。

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【戦後74年の夏】3 遺品の日章旗還る 比で戦死のつくば市笈川さん

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返還された父の日章旗を広げる娘の笈川美起子さん(中央)と家族

【谷島英里子】1945年3月9日、フィリピン・ルソン島で戦死した26歳の兵士が身に付けていた日章旗が2016年、つくば市の娘のもとに還ってきた。終戦から71年が経っていた。笈川美起子さん(75)は当時、母のお腹にいたため父の顔を写真でしか知らない。「70年以上も経ってとても驚いた。本当に、本当に家に帰りたかったのだと思う」と美起子さんは今も目頭を熱くする。

米の日章旗返還活動通じ

太平洋戦争の激戦地、ルソン島クラーク地区で戦死した父は、笈川清次郎さん。1920年生まれの秋田県出身。志願兵で、谷田部海軍航空隊で訓練を受け、戦地に赴いた。

美起子さんの両親の写真。軍装姿が笈川清次郎さんの遺影

戻ってきた日章旗は、カルフォルニア州在住の米国人男性が、元海兵隊員の父から譲り受け、保管していた。男性はテレビ番組で遺族への日章旗返還活動を行う団体「OBON」を知り、返還を依頼したという。日本遺族会、秋田県・茨城県遺族会、つくば市などを通じて笈川さんのものと判明した。墨で「祈 武運長久 笈川清次郎君」という激励の言葉が力強く書かれ、秋田の近隣住民とみられる名前が40人ほど記されている。また、2、3カ所小さな穴が開いているだけで、笈川さんが大切に身に付けていたことをうかがわせる。

母親が亡くなったのは返還の数年前だった。母からは生前、出征前の父が「美起子」と名付けていったという話は伝え聞いた。ほかに、美起子さんが父を感じることができたのは、兵隊姿の写真ぐらいしかなかった。会ったことはないし、もちろんお骨もない。周囲の人から、父は戦地で足を撃たれて死んだと聞いていた。寄せ書きの日章旗を目にすると父が必死で戦った思いを感じ、「とても悔しかったと思うし、やっと家に帰ってこられてよかった」と感慨深く語る。現在、日章旗は仏壇に納めて、毎日線香をあげているという。

美起子さんは戦後、母や親戚に大切に育てられた。衛生状況の悪化で伝染した頭のシラミには苦労したが、家では野菜をたくさん作っていたため食べ物には困らなかったという。テレビなどで戦時中の様子を見ると父を重ねてしまう。「戦争が二度とない世界で安心していきたい。日章旗を大切にし、次世代につなげていきたい」と話した。

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東京五輪へスイスチームが公開練習 つくばでトライアスロンの事前合宿

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陸上競技場を走るスイストライアスロンチームの選手たち=つくば市天王台の筑波大学陸上競技場(撮影/筑波大学・矢神若菜)

【崎山勝功】2020年開催の東京オリンピック・パラリンピックを前に、スイス・トライアスロンチームが11日、筑波大陸上競技場(つくば市天王台)で公開練習を実施した。チームは7月29日から8月13日まで、同大学をはじめ市内の施設で合宿中。報道関係者や一般市民らに向けて公開した練習では、選手たちは競技場内で走り込みや身体をほぐすストレッチなどの軽めの練習を行った。

同チームのアリッサ・クニック選手(23)は「全部つくば市の人たちが準備をしてくれて、整った環境で練習できる」と日本側の関係者らに感謝の意を示した。その上で「個人の目標は2024年(パリ五輪)だけど、2020年の東京ではミックスリレーでベストを尽くせるようにしたい」と意欲を語った。

ラース・ホーレンウェガー選手(21)は、日本の猛暑を1年前に体験できたのが事前合宿の大きな意義だったよう。「最初は暑さに慣れるのが大変だったけど、慣れるに従いから体調が整った」という。公開練習には市民ら約40人が見学に訪れており、ホーレンウェガー選手は「いつもはこんなにたくさんの人が練習を見に来ることが無いので面白いと思った。今の時点では全力を尽くすことが2020年の目標」と述べた。

同チームの選手たちは、15日から18日まで東京・お台場海浜公園で行われる「ITUワールドトライアスロン・オリンピック・クオリフィリーケーションイベント」に出場する。

スイストライアスロンチームメンバー(白色シャツの女性)に取材する「こども記者クラブ」の記者=同

◆こども記者も選手たちを取材

この日の公開練習には、報道各社の記者たちに交じって「こども記者」たちが取材に励んだ。つくば市の「こども記者クラブ」事業の一環で募集した約15人が参加した。

こども記者たちは、市内在住の小学4年生から中学3年生の児童生徒らが、3人1組のチームを組んで、記者・カメラマン・インタビュアーとなって1本の記事を作成。この日の取材では、同事業の運営協力を担う筑波大学新聞編集部の大学生記者たちが、こども記者たちの引率に当たり、デジタル一眼レフカメラでの撮影の仕方や、選手たちへの取材をサポートした。

同新聞編集部の木村誠編集長(20)は、「子どもたちが『こういうところを聞きたい』というのが新鮮で、積極的に取材に動いてくれたのが良かった」と評価した。写真撮影でも「練習後、自分からどんどん撮っていった。いい写真で『これは使える』というのが多かった」と、こども記者たちの活躍に感心していた。

選手への質問を担当した、こども記者の小澤真結さん(15)=並木中等教育3年=は「日本の文化で好きなものは」「トライアスロンの3つの競技の中でどれが好きか」「精神面で辛かったときどうする」「東京五輪の目標」など矢継ぎ早に質問。その中で「身体の面で辛いときはどうする」という質問に、「コーチがいるから大丈夫」という答えが返ってきて、「コーチとの信頼関係」が印象に残ったという。