火曜日, 4月 22, 2025
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《光の図書館だより》18 黄金週間も読書三昧 市立図書館開館中!

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【コラム・入沢弘子】「見てみて!もう100冊読んだよ」。児童コーナーを歩いていたら、本の通帳を手にした女の子に話しかけられました。「うわー、すごいね!本の通帳が出来てからまだ5ヵ月なのに100冊も読んだの?」。得意げに見せてくれた通帳には、借りた本のタイトルがビッシリ印字されています。「いつも日曜日にお父さんと来るの。学校でもらった『たからもの』に載っている本を全部読むんだ」と話してくれました。

当館では、「子どもたちの豊かな心と生きる力を育む」ことを基本理念に、2011年に『子ども読書推進計画』を立案。子どもたちが本に興味を持ち楽しむこと、読書に親しむ環境の整備、子どもの読書活動に関する社会の理解と関心を高めること―これら3つの柱で取り組みを進めてきました。現在は16年からの第2次計画に沿った全40の事業を実施しています。

17年11月にアルカス土浦に移転してからは、専用の部屋の設置とボランティアさんのご協力による「おはなし会」の開催、市内の高校図書委員が勧める本と書評の展示、読書履歴を記帳する「本の通帳」導入などの新規事業を開始。好評本の紹介冊子『たからもの』の全小中学生への配布や、独自の読書感想文コンクールのほか、約35の事業も継続しています。

高校生の利用者が「爆増」

これらの事業は、果たしてどのような効果があったのでしょうか。

昨年10月に当館がまとめた『新図書館開館1年間の利用者動向変化』では、小学1年生から高校3年生までの児童生徒への本貸出冊数は、旧図書館と比較して2.5倍の約8万3000冊に、新規登録者数は28倍の3752人になりました。中でも、高校生への貸出冊数は6倍に、新規登録者数は82倍に増えました。読書を楽しみ、図書館で過ごす子どもたちが確実に増えています。

文部科学省が17年に発表した『子どもの読書活動の推進等に関する調査研究』によると、「読書活動の度合いが高い児童・生徒の方が、論理的思考等の意識・行動に関する得点が高くなる」という結果が出ています。また、家庭の蔵書数が子どもの読書量に影響を与えるそうです。

当館では「子どもの読書週間」にちなみ、お勧めの本を包装したブックセットや、読み聞かせに最適な本の展示、子ども映画会などを企画。利用カードは全国どこにお住まいの方でも作成できます。ゴールデンウィークも無休の当館で、お子さまと一緒に「読書三昧」で過ごしてみませんか?(土浦市立図書館館長兼市民ギャラリー副館長)

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《くずかごの唄》37 上野の山の桜を心から楽しめない

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【コラム・奥井登美子】NHKの朝ドラ「なつぞら」を見ながらの朝食が楽しい。この間、敗戦直後の上野駅の場面が出てきた。見たとたん、私の記憶の一部がはじけ飛んでしまった。

学生時代の昭和26年。上野桜木町にあった東京薬科大学女子部に通うのに、上野駅で降り、芸大の前を通って行くのが一番の近道だった。

高校時代に厳しく発声法を教えてくれた石桁先生が芸大の教授になり、美術部にも高校の同級生がいたりして、芸大に楽しい行事があると誘ってくれるので、この通学コースはお気に入りのコースだった。

上野駅の浅草側構内には、浮浪児が何百人とたむろしていた。公園口の今の西洋美術館の辺りは、いつも100人以上の浮浪者が掘っ立て小屋を建て生活している。敗戦後の都内でも異様な場所だった。

問題は浮浪者の群れだ。なるべく遠くの方を歩いていたが、ある日、2人の男に囲まれてしまった。「学生さん、学生さん、弁当をお持ちですか。俺たちなにも食うものがなくて、死にそうなんです。お願いします、今持っている弁当を半分いただけませんか」。

私は2人から発散する異様な臭いに圧倒されて、半分くらいならいいかと、軽い気持で弁当をあげてしまった。

次の日、駅を降りたら、まるで待っていたように、昨日、弁当をあげた浮浪者に再び囲まれてしまった。言葉もていねいで、悪いことをする人たちではなさそうであるが、痩せさらばえた身体の、衣服の強烈な臭気が鼻を突いて、怖かった。

東京大空襲 大量の死体を処理

昭和20年3月10日。298機の飛行機から東京下町に1783トンの爆弾が投下された東京大空襲。死体の処理場がなくて、消防団員、受刑者まで動員。上野の山に大量の死体を埋めた経緯(いきさつ)が、吉村昭著「東京の戦争」(筑摩書房ちくま文庫)に詳しく書かれている。

私の通学したそのころも、東京都の腕章を巻いた男の人が、桜の木の下をスコップで掘り起こし、大空襲のときに臨時に埋めて処理した死体の骨を拾っていた。

西洋美術館が世界遺産になり、上野の山は、博物館、科学博物館、美術館と、日本の文化の中心地になっているが、私は70年近く経った今でも、悲しくて、切なくて、上野の山の桜を心から楽しむことが出来ないでいる。(随筆家)

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《制作ノート》6 孫たちの成長を描く 豊かな表情は魅力的

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【コラム・沼尻正芳】子が小さいころは仕事中心で、我が子を描く時間がつくれなかった。岸田劉生のように我が子を絵にしたいと思ったが、ちょっとしたスケッチや年賀状に描くくらいだった。

退職後、娘が結婚して2人の孫が産まれた。娘家族の家までは車で約15分だ。娘家族はたびたび一家で泊まりに来て、上の孫が幼稚園に入るころまで我が家は2世帯家族のようだった。「孫は無条件でかわいい」とよく言うが、孫たちとの交流はとても楽しい。あふれる好奇心や一心に見つめながら挑戦する姿は、いつしか忘れていた子どものころが蘇るようで、新たな発見でもあった。

幼子の無垢(むく)で豊かな表情はとても魅力的だ。日に日に変化する孫たちの成長ぶりは目を見張るばかりで、孫たちと一緒に遊びながら毎日のように写真を撮った。絵にできそうな写真を選んでは、それをもとに油彩で描いた。

絵は、孫たちの成長を後追いしながら増えていった。微笑む様子、真剣な様子、驚く様子、初めてのお座り、歩き初めなど、折々の姿や表情をモチーフにして描いた。孫たちの絵は、今、20点を超えた。最近は少し描き慣れてきたが、最初のころは描いては直し、描いては直していた。

悪戦苦闘で描き続けると目や鼻や口が微妙にずれたり、髪の量や顔の形などのバランスが崩れたりして、自分の思いに絵の表現がついてこなかった。幼子の柔らかで透き通る肌の色調や陰影表現にも苦労してきた。背景をどうするか、主役をどう生かすかその空間処理も難しく、試行錯誤はまだ続いている。

「明るく温かくたくましく健やかに」

肖像画は、顔も姿も背景もモデルの雰囲気を大事にしなければならない。だが、写真そのままではない。単なる似顔絵とも違う。風刺画とも違う。「明るく温かくたくましく、健やかに育ってほしい」。描き手の思いが絵に表現されなければ肖像画にならない。画家のフィルターを通した内的なものを表現していかなければならない。

描いた絵は、娘家族の家、娘の夫の実家、我が家、それぞれの家に飾っている。孫たちはそれらの絵を気に入ってくれているようだ。作品としてはさらに飛躍させたいと思っているが、孫たちに喜んでもらえることが何よりもうれしい。

ここ6年、毎年孫たちの絵をグループ展や個展で展示してきた。八王子に住む娘の義父母も展覧会場に毎年来てくれる。孫たちの絵は、娘家族、娘の夫の家族、我が家の3家族が会うきっかけをつくり、孫たちの絵を観て皆で会食することが毎年の恒例行事になった。

今年の春、上の孫は小学生に、下の孫は幼稚園児になった。今年は、孫たちの入学、入園を祝って3家族で高尾山にハイキングした。6歳と3歳の孫たちも自力で山頂まで登った。

日々成長する孫たちを、これからも心を込めて描いていきたい。孫たちの健やかな成長を願いながら、絵も自己表現としてより飛躍させ、成長させていきたいと思う。(画家)

《茨城の創生を考える》8 人手不足の地方は改正入管法に期待できるか

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ダイヤモンド筑波

【コラム・中尾隆友】近年、地方の多くの経営者から人手不足を懸念する声が高まっている。私の周りの経営者の中にも、ベトナム、カンボジア、ミャンマーといった国々へ人材獲得に乗り出している人が増えている。そういった背景もあり、今年の4月1日に施行された「改正出入国管理法」への彼らの期待は大きい。

しかし、私が地方経済の視点から懸念しているのは、外国人労働者の東京圏への一極集中がこれまで以上に進むことになるだろうということだ。なぜなら、以前からある「技能実習生」の制度では、外国人労働者は一回決まった勤め先から移動することができなかったのに対して、今回の新しい「特定技能」の制度では、「業種の変更はできないが、勤め先は自由に選ぶことができる」という仕組みが組み込まれているからだ。

先進国で働いている外国人労働者の多くは、初めから永住や国籍取得を目的としてやってくる移民ではない。将来のための貯蓄や母国への仕送りのためにやって来ているので、一生懸命働くことによって、できるだけ多額のお金を稼いで帰国しようと考えているのだ。

都道府県の最低賃金を上位からみていくと、東京985円、神奈川983円、大阪936円、埼玉・愛知898円、千葉895円と並んでいる。その一方で下位からみていくと、鹿児島761円、青森・岩手・秋田・鳥取・高知・佐賀・長崎・熊本・大分・宮崎・沖縄762円、山形763円、島根・愛媛764円と続いている。茨城は822円と全国では16位に位置しているが、東京圏(東京、神奈川、埼玉、千葉)に比べるとどうしても見劣りしてしまう。

外国人労働者は高賃金の東京圏に集中?

外国人労働者の立場から判断すると、地域によって最低賃金が約20~30%も異なるというのは、働く場所を決める上で非常に大きな要素となりうる。ただでさえ外国人労働者の30%が東京都に集中している現状にあるというのに、賃金水準の高い東京圏に今まで以上に集中していく一方で、地方(とくに東北、四国、山陰、九州など)では人手不足がますます深刻化する事態が予想されるわけだ。

大企業の地方の工場が多い製造業の分野ならまだしも、地方に雇用が集中する農業・漁業といった分野では、外国人労働者が賃金の高い埼玉・千葉に集まる傾向は強まっていくことになるだろう。また、全国いたるところで人手不足にある介護の分野でも、外国人労働者が希望する介護施設は、東京圏の施設に偏るという傾向に拍車がかかっていくのではないだろうか。

茨城も含め地方の企業が外国人労働者に働きに来てもらうためには、日本人と同等の給与・待遇を提供することが必要不可欠だ。決して低賃金で働かせて搾取しようなどと考えてはいけないのだ。(経営アドバイザー)

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《地域包括ケア》34 看取り 終末期患者の尊厳を支える

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在宅医療・介護連携の推進=厚労省資料から

【コラム・室生勝】前回、看(み)取りは患者の臨終に立ち会う意味と書いたが、厳密に言えば、あと数週間ないし数カ月のうちに死亡すると予期される終末期の患者の心身の苦痛を和らげ、最期までその人の尊厳ある生活を支えることである。

看取りは、往診や訪問診療している医師だけでなく、その人を支えているケアマネジャーはじめ、多職種の連携で行うべきである。例えば、ヘルパーは排泄の介助や身体の清拭(せいしき)を、理学療法士は寝たきりで関節が固まらないようにリハビリを行い、できるだけ苦痛がない生活を持続できるようチームで支える。

医師の役割は、終末期と診断すると同時に、余命や予後(医学的な経過見通し)を家族や関わっている多職種に告げることである。さらに、終末期の症状に家族が動揺しないよう、想定される病状を説明しておくことである。

主治医による「死の準備教育」

私が開業医のとき、余命1~2カ月前から、訪問看護ステーションの看護師と分担して、週1~2回、想定される病状を家族に説明する「死の準備教育」をした。

高齢者の場合、最期に向かってゆっくり衰弱していくことが多いので、家族は死に近づいていることが分かる。経過は人それぞれ違うが、一般に次のような症状が現れることを説明しておく。

自分がどこにいるのか、話しかける人が誰なのか分からなくなり、また眠りがちになる。そのようなときには、相手が誰なのか優しく教え、いつも見慣れている家具を示し、本人の部屋であることを教え安心させる。

眠りがちは意識が薄れた状態のこともあり、反応が鈍くなるが、話かけは続ける。時々目を開けたときは不安げだが、聴き慣れた声で、安心した表情になる。そのような意識障害が度々あると、昏睡状態に進む。

意識障害が進むと、食事も飲水もしなくなるが、無理矢理与えると、誤嚥(ごえん)するのでよくない。口を開けて呼吸していることが多く、口の中や唇が乾燥するので、頻回(ひんかい)に水を含ませた脱脂綿で唇を湿らせる。

血圧は下がり気味で、肌も冷たくなる。しかし、本人は寒さを感じていないので、布団を何枚もかける必要はない。血液の循環が悪くなり、尿量が極端に減り、色も濃くなる。足や臀部のむくみ(浮腫)が現れ、床ずれが出来やすくなる。

呼吸に伴いゼーゼーする音が聴かれ、苦しそうに見えるが、本人は意識障害があり苦しさを感じていない。意味不明なことを言ったり、呼吸が不規則になったり、声かけにも反応しなくなる。顎を上下させる苦しそうな呼吸が5~10秒ほど止るようになると臨終が近い。しかし、本人は昏睡のため苦しさを感じていない。

家族だけで看取れるよう指導

臨終近くなれば医師のする仕事はなく、私は、訪問看護師に家族とともに看取りをお願いした。医師も看護師も臨終に間に合わないこともあるので、家族だけで看取れるように指導した。

1976年5月から14年7カ月間に在宅で死亡した118人の患者について検討したことがある。深夜に亡くなった23人のうち、15人(65.2%)の臨終に私は立ち会っていない。家族だけが立ち会った。介護保険制度がなく、訪問看護ステーションもない時代に、主治医の「死の準備教育」で深夜の看取りを家族だけでできた。医師は深夜の臨終に立ち会わなくてもよく、死亡確認を数時間内に行えばよいと考えている。(医師、高齢者サロン主宰)

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《宍塚の里山》37 竹が一斉に黄色く色づく「竹の秋」

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孟宗竹の黄葉。これからもっと黄色に色づきます

【コラム・及川ひろみ】いよいよタケノコのシーズン。茨城県南、秋からこの冬にかけて大変雨が少なかったことと、春になってもいつになく寒い日が続いたためか、今年は極端にタケノコの出が遅れ、ここにきてようやく地面に顔を出し始めています。例年なら今ごろにはすくすく伸びた青竹が見られるころなのですが。

竹の成長、伸び盛りの時期は1日で1メートル以上、2カ月もすると20メートルもの高さになります。成長の早さの秘密は、竹の先端にある生長点の成長だけでなく、節ごとにある生長点すべてが同時に伸びることで急成長します。

短期間で成長できるのは、地下茎から大量に養分、水分が送られてくるからです。地下茎でつながる竹は、どれも同じ遺伝子を持つクローンです。そこで花を咲かせた竹は一斉に枯れます。

さて、この時期、短期間に大量に養分を使う竹、その後地下茎は一休み状態になり、前年までに成長した竹は一斉に葉を落とし、次の新しい葉の成長を待ちます。竹が一斉に黄色く色づく光景が「竹の秋」、俳句の季語(春)にもなっています。

静けさの中、ハラハラ散る竹、いつもは真っ暗な竹林、この時ばかりは見上げると青空が見えます。そして間もなく若葉を広げ、目にも鮮やかな新緑の竹林になります。

地下茎の成長もすさまじい

竹、地下茎の成長もすさまじいものがあり、条件によっては年間7~8メートルも成長、その結果、竹林の拡大、雑木や杉林を飲み込む勢いで広がり、地域の自然環境の脅威になっています。特に西日本では、竹林対策に取り組み県市町村も多くあるほどです。

広がる孟宗竹(モウソウチク)林の勢力を抑えるやり方として、根元から切るのではなく1メートルくらいの高さに切る「竹の1メートル切り」が成果を上げています。これには切る時期が重要で、タケノコが5~6メートルに育ったところで1メートル切る方法、そのころ前年までに育った竹を1メートルに切るやり方と、冬季切ることを組み合わせて行うのが効果的だそうです。

若い竹が育つころ、タケノコだけでなくほかの竹にも養分が大量に送られます。1メートルに切った竹にも、あたかも立派に育った竹に送り込むように養分が送られます。その結果、竹の切り口からは養分を含んだ水が大量にしみ出し、間もなく切り口はオレンジに染まり、液があふれます。養分を無駄に使わせ、竹を弱らせる作戦で勢力を抑えると考えられています。

西日本では、竹林問題、ほとんどが孟宗竹ですが、関東では真竹も問題になっています。孟宗竹と真竹では葉や枝も違いますが、孟宗竹の先端は葉の重み頭を垂れ、真竹はスクッと伸びて立つことから、遠くからも見分けることができます。

さて、つくば・土浦あたりで食べておいしいタケノコは、孟宗竹とハチク、それに続くのが真竹です。孟宗竹のタケノコはえぐみがありますが、ハチク、真竹は孟宗竹ほどのえぐみはなく、湯でこぼさないで、料理に使えます。(宍塚の自然と歴史の会代表)

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《ひょうたんの眼》15 今上天皇への感謝

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ボタンの花

【コラム・高橋恵一】今上天皇が退位され、新天皇が即位されるとともに、元号が「令和」に変わる。

平成の30年余を振り返ると、前半の10年は、東西冷戦が終結して、第3次世界大戦は遠のき、日本も高度成長の余韻(よいん)で、そこそこに経済成長があった。しかし、21世紀に入っての20年は、新自由主義経済理論の下、格差社会が生じて拡大し、世界も、9.11の米国同時テロの惨事が発生し、テロと地域紛争の時代になってしまった。

平成の、今上天皇や現在の皇室は、昭和天皇の想いを引き継ぎ発展させ、先の戦争を反省し、平和を求める日本人の心を理解して貰う努力を、平和憲法下の国民統合の象徴としての天皇の使命として続けてこられた。

沖縄やサイパン、パラオなどに慰霊の旅をされて、日本人、外国人を問わず、兵士と民間人を問わず、戦火に斃(たお)れ、戦争の被害を受けたすべての人々の慰霊をし続けた。その姿は、国内だけでなく、日本から侵略を受け、日本と交戦した国の人々からも、理解され、尊敬もされているに違いない。被災地の訪問を含め、今上天皇の国民に寄り添う姿は、美しかった。

人々の心に寄り添わない安倍首相

一方、小泉改革の後始末を任された2度の安倍政権は、人々の心に寄り添うどころか、上から目線の押し付け強行政治を展開した。

安倍首相は、天皇皇后両陛下が、被災地を見舞ったときに、避難所で膝をついて被災者と同じ目線で慰めるご様子を、よい感覚で見ていなかったそうだが、国民の反応があまりにもよかったので、最近は、首相自身も膝をついて話すようになった。口先だけで、誠意のないパフォーマンスが見え見えであろう。

外交姿勢にしても、韓国との慰安婦問題や徴用工問題で、首相の第一声は「10億円払ってある」「1965年の2国間の協定で解決済み」であった。

そこには、被害者である個人への同情も慰めも無かった。知日派の韓国の元議長は、戦時中ひどい目にあった被害者を慰める言葉を安倍首相から欲しいが、とても温かい言葉など期待できないので、人々の気持ちを理解できる今上天皇から慰めの言葉が欲しいと言ったのだろう。それを、天皇陛下に失礼だと言って、ますますこじれさせてしまった。

今回の元号の決め方だが、ネーミングというのは、好き嫌いが千差万別で、人気投票をしてもパーセンテージが出るだけで、決着がつくものでもない。極論に走らない「学者、有識者」が、そっと議論をして選定し、余計な説明をしなくてもよかったのではないか。

少なくとも、国会での歪曲(わいきょく)した解釈・答弁を繰り返して、学問的な素養が足りないのではないかと思える人の「俺が決めたのだといわんばかりの説明」は、新元号の受け入れに邪魔になったと思う。

天皇や皇室の話題は、歴史、伝統をかざして煽(あお)れば、ナショナリズムを高揚させやすい。それは、政治がメディア操作で簡単にできる。今上天皇は、基本的人権と国民主権、平和主義の日本国憲法に基づく天皇であることを体現し、平成の時代を振り返って、何よりもこの30年間、日本に戦争がなかったことを喜んでおられる。天皇の神格化など望んでおられないのだ。(元オークラフロンティアホテルつくば社長)

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《食う寝る宇宙》36 茨城大学博士後期課程に入りました

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【コラム・玉置晋】4月5日、茨城大学大学院の入学式に出席しました。「理工学研究科博士後期課程複雑系システム科学専攻」という、とても複雑で難解なことができるようになりそうな所に入学します。ミッションは3つ。①博士後期課程は通常3年間で所定の単位を修得する②査読付き論文を出版する③博士論文の審査に合格する―ことです。

博士後期課程は3年間が標準修了期間ですが、仕事をしながら研究活動を行う私は「長期履修制度」を用いて、6年間でこれらに挑戦します。

フルタイムの仕事をしながらの研究は、時間のやりくりに苦労します。4月は無計画に活動してしまいました。夕方、仕事から帰って来て、「一緒にテレビを見よう」と言う妻に、「すまぬ、ちょっと研究が忙しい」と対応していまい、「家族サービスがなっとらん」とクレームが来ております。

夜は「奥様ファースト」の時間としなければ、家庭の平和が危うくなる。研究に投入できるウィンドウは朝しかないですな。「朝活」です。平日は、朝3~6時は研究の時間、6~7時は運動の時間、7~8時は家事の時間としよう。月曜と木曜、僕の住んでいる地域は燃えるゴミの日なのでちょっと忙しい。え~と、宇宙ゴミの日は?

危険な宇宙に浮かぶゴミ

3月27日、インドが、高度300キロで地球を周回する自国の人工衛星をミサイルで破壊する実験を行いました。これにより、破砕した衛星およびミサイルは、400あまりの破片となって、様々な軌道に秒速7~8キロで散乱しました。これには高度400キロを飛行する国際宇宙ステーションの軌道も含まれます。

今回のケースは高度が低いので、破片の多くは比較的早く高度を下げ、地球大気との摩擦熱で消滅すると予想されますが、一部は消滅まで時間がかかる可能性があります。2007年、中国が高度600キロで実施した衛星破壊実験で飛散した宇宙ゴミは、未だに軌道上を高速で周回。これを避けるために、日本を含め各国の人工衛星は衝突回避運用を余儀なくされています。

「使い捨てられた人工衛星、シャトルが切り離したタンク、ステーション建造時に出た廃棄物。宇宙に浮かぶたくさんのゴミ、スペースデブリは実はとても危険な存在です。2075年、これは宇宙のゴミが問題になった時代の物語」

僕が大好きなアニメ「プラネテス」(原作・幸村誠)の冒頭のナレーションです。原作の漫画は1999~2004年に連載され、アニメ放映は2003~04年でした。2007年の中国の衛星破壊実験の少し前だったので、宇宙ゴミは2070年代の問題と描かれていましたが、2019年の時点で大きな問題となっています。(宇宙天気防災研究者)

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《続・平熱日記》36 実家と有名人② 「エバ」の貞本ギコー

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【コラム・斉藤裕之】さて実家の家探しも終わり、次の日は弟が手に入れたという漁船で粭(すくも)島から弟夫妻とかみさんと出航。この島はフグのはえ縄漁の発祥地で、小さいころから親父に連れて来られた馴染みの島です。

出航後、わずかな時間で漁場に到着。前日の強風もぴたりと止んで、春の瀬戸内はのたりのたり。ですが、潮の関係か腕が悪いのか、アジが少し釣れただけで、餌もなくなり早々と納竿(のうかん)を決め港に戻りました。

そこで待っていらしたのは、先程洋上で同じく釣りをしていたヒサユキさんとおっしゃる弟の友人。島育ちの大先輩です。「持って行きさん」と、丸々太ったメバルをクーラーいっぱいに分けてくれて。ちなみにヒサユキさん、生まれてこの方、死んだ魚は食べたことがないそうな。

もらった魚は、すぐ近くで週末古民家蕎麦(そば)屋「ホーランエー食堂」を営む、これまた弟の親友トオルちゃんのところで、シゴ(魚をさばいておろすこと)をさせてもらいました。おまけに、抜群に美味しいお蕎麦までごちそうになって。ちなみに「ホーランエー」とは海中をお神輿(みこし)担いで渡る、粭島に伝わる神事のかけ声から。

富士山を見ると受験に失敗する?

さて、まだお昼過ぎ。かみさんは随分前に訪れた錦帯橋に行ってみたいというので、車に乗り込みました。時おりしも桜の開花宣言直前。これは幸い。咲き始めると大渋滞。天気もよく、外国語が飛び交うケーブルカーで岩国城へ。天守からは、遠く瀬戸内の島々、眼下には蛇行する清流、錦川に錦帯橋。世界遺産を目指しているのも頷(うなず)けます。

その夜は、春告魚、メバルの煮つけ。「身がホロっととれるんよ」と、メバルを食べるたびに母は口癖のように言っていたよね、と義妹。母は煮つけを「メバルを炊いたん」と言っていた。お風呂も、「薪で焚いたん」のに入って熟睡。ある意味とても贅沢(ぜいたく)。

帰りの新幹線で思い出すのは、18の春、ともに大志を抱き上京したもう1人の友。「エバンゲリオン」のアニメーターとして、今や世界に名を馳せる貞本義行。こちらも小中高の幼馴染(おさななじみ)。愛称は名前の音読み「ギコー」。

私が漠然と美大にあこがれていたころ、彼はアニメーターになるべく、確実にその歩みを進めていました。同じ新幹線に乗って上京した折、初めて見る富士山に感動している私と対照的に、彼は富士山を見ると受験に失敗するというジンクスを守り、決して見ようとしませんでした。

「富士山がきれいにみえるよ」。今はかみさんと眺める自分がいます。「パパ、絵描きが有名になるには3つの方法があるの、知ってる?」「もはや残されたのはただひとつ。長生きすること」だって。「ひかり」は「のぞみ」に、「平成」は「令和」に。まあボチボチいきましょう。(画家)

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《邑から日本を見る》38 山美し、されど民貧し

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飯野農夫也氏の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】わが家の田植えはいつものように5月の連休だ。田んぼは5反歩だから、田植えそのものは半日で終わる。それまでの準備で骨が折れる。わが家は、いわゆる中山間地まではいかないが、なだらかな丘陵地帯なので、田んぼは谷津田。イノシシが出没するので、その対策も怠れない。水は小川から引き込む天水頼り。雨が少ない年は水引きに苦労する。

土手の草を刈る。水漏れを防ぐために畦畔版(けいはんばん)を張る。トラクターが入らない角の所を万能(まんのう)で掘り起こす。水を入れるまでの作業が結構ある。そして種まき。育苗箱に土を入れ、タネを播(ま)き、ハウスで水をかけながら成長させる。

農協に頼めば1枚幾らでやってもらえるが、わが家ではいつものように、孫の手を借りながらタネをまき、苗を育てる。田植えをしたあとも水の管理や草取り、周りの草刈りなど、出来秋まで手が抜けない。

丹精(丹誠とも書く)という言葉がある。ものごとに心をこめるという意味だ。農作業は手作業が多いから、私たちのやることは丹精そのものだと思っている。散りゆく山桜や木々の芽吹きのもえぎ色を見ていると、老いの我が身でも、いのちが輝き、若さみなぎる想いがする。

国連「小農宣言」 日本は棄権

しかし、「山美しく、民貧し」。農業はグローバル化の波に呑まれ、米価は30年前の半値ほど。肥料、機械などの固定経費がかさみ、確定申告は毎年数十万円の赤字になる。江戸時代の年貢、戦前の小作料は収穫高の半分だった。労賃部分が残らないのだから、形、中身は違っても、私たちの暮らしは今だって戦前や江戸時代と変わらない。しみじみそう思う。

昨年12月に、国連は「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」(小農宣言)を採択し、2019年から28年までを「家族農業の10年」と定めた。この宣言は、小農の価値や役割を再評価し、食の主権、種子、水の権利を守るべき、などとしている。わが国は、残念ながら、この宣言に対し棄権している。安倍首相は、小農は不要だと考えているようだ。

農業生産者のうち家族農業の世帯は、世界では70%、わが国では98%を占め、世界の食糧の80%を生産している。農業は私たちの命の源である食料を生産するだけでなく、自然景観を守り、地域社会を維持する役目を果たしている。また、担い手の農民は伝統文化の継承者でもある。

わが国の農政は、「国際化に対抗できる強い農業。輸出できる農業」をめざしているようだ。県内でも鹿行地域のように、儲かる農業をしている人や地域は確かにある。私はそれを否定はしない。しかし、だ。私が住んでいるこの地域の農地をわずか5~6人の農業者で担えるのか。もしそうなったら、私が住んでいるこの地域はソロバンが合わないから、真っ先に切り捨てられてしまうだろう。

国連の「小農宣言」と「家族農業の10年」が官邸農政を見直すきっかけになれば、と私は真面目に考えている。しかし、消費者である国民が、単純に「食べものは安いほうを選ぶ」と考えているうちは、事態は動かないと思えてならない。家族農業が支えている今の日本の農業に思いをはせてほしい。(元瓜連町長)

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《沃野一望》4 安芸五蔵と別れる松陰

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つくば道

【ノベル・広田文世】

灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼

我(わが)ひめ歌の限りきかせむ  とて。

あこがれの水戸をたずね、あこがれの水戸学の師と面談した吉田大次郎(のちの松陰)だったが、昼間から酒を飲み歓談する水戸の気質に、どうも馴染めない。会澤正志斉を何回か訪ねるが、交わりは深まらず感激にほど遠い。

水戸ではむしろ、ともに水戸をめざそうと江戸から出立してきた宮部鼎蔵や安芸五蔵との交友を深めてゆく。もともと、これらの友との盟約を守るために脱藩までしてきた大次郎であった。水戸を拠点に常陸国の沃野を遍歴する旅は、いつも三人連れになる。

三人が常陸をめざした理由のひとつに、安芸五蔵の仇討ちをサポートする目標があった。大次郎は、少年のように安芸五蔵に心酔している。(こんないい人は、いない)

大次郎は、今回の紀行を記した「東北遊日記」に、熱血漢安芸五蔵を長々と紹介している。

「安芸は故あり、姓名を変じ郷貫(きょうかん:郷土の戸籍)を詐(いつは)り、芸人那珂弥八と称す。弥八の先は江戸但馬守にして、実に那珂彦五郎より出づれば、…、那珂は常陸の郡名、而して江戸は那珂の村名なり。弥八の先は常陸に大をなし、彦五郎は南朝の王事に死す。…」まだまだ、続く。

対照的に、あれほど憧れたはずの会澤正志斉の人物紹介は、まったく残されていない。「午後、二子(宮部と安芸のふたり)と会澤を訪ふ」とあるくらいの素気ないあつかい。松陰流感激のかけらも残っていない。

そして大次郎たち三人は、およそ一ヶ月、常陸国各所を遊歴したのち東北へむかう。いよいよ安芸五蔵が挑む仇討ちを手助けする旅立ちだった。

「仇討ちはひとりでやる」

七日後、白河の宿へはいった。

ここで大次郎は安芸五蔵からあっさりと、「仇討ちは、ひとりでやる。他藩士の援助をうけたとあれば、武士道がすたる」と、もっともらしい理由で拒絶され、「明日からは分かれて、別の道を歩もう」と同行さえ断られる。

白河宿は、一転、「別離の席」となる。それぞれは、別れを惜しみ、号泣する。安芸もまた泣くが、安芸は、はるかに「大人」だった。腹のなかの「あっかんべえ」が見え透いている。

白河で大次郎たちと別れた後の安芸は、敵討ちをせずに姿を消してしまう。

後日、安芸の失踪を知った大次郎は、ここでも、「我に軽信の癖あり」と自省する。その後大次郎は、安芸について二度と語ることはなかった。大次郎の人物眼の稚拙さが、はからずも浮き彫りになった白河宿の別離だった。

ちなみに、もうひとりの宮部鼎蔵。宮部とも別の道を歩み、宮部は後年、有名な京都池田屋の変で新撰組に惨殺される。松陰斬首の後のこと。(作家)

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《続・気軽にSOS》35 どうして運転中に人格が変わるのか

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【コラム・浅井和幸】私は、高齢者入所施設と児童通所施設に、毎月1回ずつ訪問をしています。ギターを弾きながら歌を、参加者と一緒に歌います。中には踊ってくれる人、ジャンプしてくれる人、泣いてくれる人までいます。高齢者施設は童謡や演歌が中心で、児童施設は童謡やアニメなどが多いでしょうか。

毎回、楽しく歌っていますが、出来るだけリクエストに応えたい、季節の歌を入れたいと欲張ると、練習不足がたたり、ギター演奏か歌が崩れます。気を抜いたときや、余裕を持ち過ぎて気が散った時も、ミスすることが多いですね。

そして、言い慣れない言い回しや、難しい漢字、難しいギターコードなどが出てくると、ミスをすることも多いです。ギターだけ、あるいは歌詞を読むだけならば問題ないのに、それが重なるとミスをします。ミスするだけでなく、演奏や歌が微妙に遅くなるということが起こります。

それはまるで、パソコンやスマートフォンで作業をしているときに、複数の作業を並行で行っていると、それらの動きが遅くなるのと似ています。

使い慣れない歌い方や難しい漢字が重なることで、情報量が多過ぎてパソコンやスマートフォンのように、私の頭の情報処理速度が間に合わずに歌のテンポを保てなくなるのです。簡単に言うと、頭の中が忙しいということですね。

運転中の頭の中は大忙し

頭の中が忙しいというと、自動車の運転です。オートマチック車がほとんどで、簡単だろうと思われていますが、刻々と変わる道路状況、余裕を見せてのギリギリの運転、これからの約束の待ち合わせのことなど、頭の中は大忙しなのです。

運転中、人が変わる人がいると聞くことは多いでしょう。これは、頭の中が忙しいから、理性で自分の感情を抑える機能に能力を割り当てられなくなっているのです。普段のストレスがたまっていて、抑える力にまで能力を割けないのかもしれませんね。

だから、ちょっとした周りの自動車の運転の仕方や、歩行者の予期せぬ行動に腹が立ってしまうのです。繰り返しますが、普段ならば処理できている情報が処理しきれず、感情を抑える処理に回すことが出来ないのです。

ここからも分かるように、その人の本性は、ちょっとしたパニック状態のときに出るものと言えます。忙しさや、急展開の状況、初めての状況という混乱状態のときの対処が、その人の能力を見るのにうってつけなのです。

もちろん、自分を見つめ、反省して成長するにも、ちょっと忙しいときの自分を顧みるとよいですね。人に当たり散らすでしょうか? 自分を傷つけるでしょうか? 泣きわめく? 黙り込む? 笑う? 泣く?

ま、ちょっとした混乱に対して、ワクワクする冒険心を持てというのは、とても難しいものです。だから、泣いてもいい、怒ってもいい。それを受け止めて、どのような自分になりたいかを考える。そこから始めましょう。(精神保健福祉士)

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《霞ケ浦 折々の眺望》4 選んだ道が正解になるよう皆で努力した

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湖水晩景

【コラム・沼澤篤】前回のコラムで、霞ケ浦地方が江戸期の利根川東遷に端を発する首都開発の陰で犠牲になってきたという論旨を展開した。実は、話はそれで終わらないことが霞ケ浦問題の難しさ。

利根川東遷による土砂の運搬、堆積でかつての古鬼怒湾、香取海が浅くなり、十六島をはじめ、多くの洲や島が出現した。現在その場所は、香取市から稲敷市にかけて穀倉地帯になり、美味しい米の品種が作付けされている。江戸時代の簑和田浦(御留川と呼ばれた幕府禁漁区)や榎浦は現在、本新干拓地,稲波干拓地となり、山形県や富山県からの入植者が世代を継いでいる。

利根川東遷による水害常襲地が、長い時間をかけた人々の営為によって、美田や酪農地帯に変貌した。退路を断って入植した方々が、自分の選択が正解になるように、困難を切り抜けて日々努力した結果である。

干拓を推進した事業家、干拓農業の指導者、土地改良区の関係者の努力も忘れてはならない。また治水の父、須田誠太郎氏(元牛堀町長)はじめ、利根川水系の霞ケ浦・北浦の築堤、利根川と常陸利根川最下流の分離、直線化、浚渫(しゅんせつ)、拡幅、常陸川水門建設による水位管理や塩害防止に取り組んだ技術者や行政職員の努力も特筆される。

置かれた立場で頑張るしかない

ただし全てが良かったわけではない。流入河川河口部の内湖的浅瀬は自然浄化作用が大きく、魚類などの繁殖の場所であるが、干拓によって多くが失われたことが霞ケ浦の水質悪化や魚類の激減を招いた。築堤も岸辺の植生や砂浜を激減させた。常陸川水門は湖水の閉鎖性を高め、結果的に富栄養化を加速度的に促した。

海から遡上する魚類の通過が困難になり、金銭補償されたが、漁業に大打撃を与えた。水質悪化は、流域の産業化(養豚、レンコン、コイ養殖など)と生活排水に起因するところも大きい。最悪期のアオコ大発生の要因は複合的であった。

しかし、地域社会は徐々に法整備、政策の高度化、下水道整備をはじめ、多額の予算を投入した諸対策を実施してきた。家庭排水対策など住民の意識向上の成果もある。その結果、霞ケ浦の環境は少しずつ改善されてきた。水害の心配が少なくなった湖水は住民生活の安定に貢献した。

利根川東遷等によって常総地方が首都発展の犠牲になったことは事実だが、個人レベルでも地域社会レベルでも逆境をはねかえし、選択した道が正解になるように、長い間の努力によって、県南、県西、鹿行地方のインフラや産業構造を形成してきた。

8年前の東日本大震災と原発事故で被災した福島県内の中学校卒業式で、校長が巣立つ卒業生へ「選んだ道が正解となるように努力してください」と祝辞を贈ったことがテレビで報道された。我々はどのような時代であれ、置かれた立場で頑張るしかないのだろう。(霞ヶ浦市民協会研究顧問)

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《ご飯は世界を救う》10 「ビストロ・シェ・レノン」

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ビストロ・シェ・レノン

【コラム・川浪せつ子】我が家から歩いて行ける「ビストロ・シェ・レノン」さん(つくば市松野木)。今の場所には数年前に、一軒家のレストランとして開店しました。以前、洞峰公園北駐車場横の美味しいお店がなくなってしまい、残念に思っていたら、移転していたのでした。

名前が変わっていたので、始め分かりませんでした。それからは時々お伺いして、ランチの絵をたくさん描かせていただきました。それから超人気店になり、予約しないと入れないようになってから、ご無沙汰していました。

私は小さな水彩画教室をやっていて、たまに生徒の皆さんとランチ会をします。「次はどこにしましょう?」と話していたら、リクエストがあったのは「ビストロ・シェ・レノン」さん。久々のランチはすごく美味しくて。オマケにお店の方がふと、「今日は描かないのかなぁ~?」。直ぐに予約して、今度は連れ合いと行きました。

彩画教室から見える世相

そして今回は、小さな水彩画教室からでさえ、世相が見える、というお話です。

<その1> 今回のランチ会には、数カ月前に辞められたAさんもいらっしゃいました。Aさんの長野県で1人暮らしのお母様(93才)が、今年になって倒れてしまい、緊急入院。その後、リハビリ、転院、施設探し…と、絵を描いているどころではなくなってしまいました。

<その2> 数年前、Bさん(70才過ぎ)宅で教室をやっていたことがあります。2年過ぎたころ、Cさんのお嬢さん(独身同居)が重たい病気になり、Cさんは絵を続けるのが難しくなりました。その時Aさんは、お母様の介護で時々大阪まで通っていました。Aさん自身高齢者です。またDさん(70才過ぎ)の同居の義母さん(90才半ば)も、介護負担が増えてきました。そんなことが重なり、この教室は解散となりました。

<その3> 2年少し前、水彩画教室に入られたEさん。「東京の両親が高齢なので続けられるかなぁ」と。そして、とうとうお父様が要介護4になってしまい、「水彩画が楽しくてしかたがない」と言っていたにもかかわらず、「まったく集中できません」とリタイアです。

<その4> Fさんは、北海道のご両親が高齢化したので、こちらのケアマンションに転居。お父様は認知症ですので、妻(Fさんのお母様)が見ていましたが、お母様も高齢でかなり厳しくなってきました。またFさんのお嬢様が、昨年赤ちゃんを産みましたが、4月から職場復帰です。60才少しのFさんは、ご両親、お嬢さんの子供のケアをすることに。Fさんもお絵かきどころではなくなりました。

今の日本の抱えている様々なこと。小さな集団からでさえ、肌身に感じる日々です。絵が描けることの幸せをしみじみ感じます。絵を描くという時間を持つことで、皆さんのストレスの解消にならないだろうか。いろいろな方のシンドイ気持ちを、できることならひと時でも、絵で癒すことはできないかと思案する毎日です。(イラストレーター)

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《くずかごの唄》36 高齢者へ薬の飲み方説明会②

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【コラム・奥井登美子】薬の飲み方説明会で大事なのが質問の時間だ。高齢者が、急速に変化する今の医療とどう向き合って生きているかが、質問の内容から少しわかるような気がする。

近ごろは、サプリメントをどう考えて、利用するかしないか困っているという質問が多い。サプリメントの過剰な広告は、テレビ、週刊誌、新聞などで見ても聞いても、とにかくしつこい。生真面目な人の中には、何か一つくらい飲んでいないと健康が保てないのではと、心配になる人もいるらしい。友達や親戚の人に薦められて困っているという人もかなり多い。

私としては「サプリメントは、全部、完全に無視してください」と言いたいところだが、それがそうともいえない事例もある。

60歳の女の人。神経がぴりぴり、いつも興奮していて、どうしても眠れない。いろいろな科の医者に罹(かか)って薬を試してみたが、治まらない。ある日、市販のサプリメントを飲んでみたら、あら不思議。気持が落ち着いて、よく眠れるようになったという。

その人にとって、そのサプリメントはその人なりの精神安定剤なのだ。以来、私は「サプリメントは精神安定剤として必要ならば飲む。それ以外は無視していい」と、言ってしまう。

医者と薬剤師をお友だちに

漢方薬も、足つりの痛みなど、劇的に効くことがある。江戸~明治時代、感染症などでばたばたと子供たちが死に、平均寿命が30歳以下だった時代を、漢方薬で生き延びてきた遺伝子が、私たちの身体の中で生きているらしい。

今の漢方薬は、インスタントコーヒー同様にフリーズドライになっているので、これを茶碗に入れて、煎じ薬としてお湯を入れ熱くして飲んでみる。煎じ薬といっても若い人たちは全然わからない。

「インスタントコーヒーを粉のまま飲む人いないでしょう」。熱湯に入れて飲んだときに美味しいと感じた漢方は効くけれど、不味(まず)くて、匂いもいやだと感じた漢方は効かない。私は自分を実験動物にして、漢方の味見を実験してみた。不思議な薬なのだ。

急速に変化する医療の世界を賢く生きるのには、「セカンドオピニオン」として、その人の生活状態をよく知っている人で、つまらないことでも大事なことでも、何でも相談出来る医者1人と、薬剤師1人を友達にしておいて、気楽に相談してみる、それが一番いいのだというほかない。(随筆家 薬剤師)

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《法律かけこみ寺》5 長い前置き 著作物ってなに?

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土浦市神龍寺(本文とは関係ありません)

【コラム・浦本弘海】今回は前回から引き続き著作権のお話しです。法律的な難しいところは、「そんなものか」と読み流してくだされば幸いです。

前回は「著作権ってなに?」を著作権法の(難しい)用語で説明しました。ごく大ざっぱにまとめれば、「著作物を著作権者に無断でコピー等して使っちゃダメ!」ということでした。

今回は「著作物ってなに?」ということを解説します。ただ、結論的にいえば、他人が撮った写真や住宅地図は、著作物と考えた方が無難です。

と、前置きをして本題です。

著作権法は「著作物」を「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう」と定義しています(著作権法2条1項1号)。

これは「著作権法における著作物とはなにか」ということですので、「著作物に音楽の範囲に属するものは含まれないから、音楽のコピーは自由だ!」と主張しても、その考えは(現行の著作権法上)裁判所に受け入れられる余地はありません。

またこの定義は、①「思想又は感情」、②「創作的」、③「表現したもの」、④「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」という4つの要件に分解できます。

AIの創作活動は?

要件④は法的にはあまり問題となることがないので省略します(「この映画は文芸か美術なのか、それが問題だ」というようなことは、著作権法上はありません)。

要件①は、基本的にヒトが何かを創作すれば満たされます。一方で単なるデータは除かれますし、自然や動植物が生み出したものは美しくとも著作物たりえません。将来AIが創作活動を行うようになった場合にどうなるかは興味のあるところです。

要件②は、ヒトが何かを作っても、ありふれた表現であれば「創作的」ではありません。「こんにちは」という5文字のあいさつ文はありふれており、「創作的」と認められません。日本には俳句という文芸があるので、文字数的には17文字くらいから「創作的」と認められる可能性があります。

ある表現が著作物か否かが争われるのは、ほぼこの創作性についてです。

要件③は、表現されていないもの(たとえば著者の頭の中にだけある小説)は著作物となりません。表現されていないものまで保護することは現実的でも必要でもないと考えられたのでしょう。

ちなみに日本の著作権法は無方式主義です。特許権のように登録をしなくても、またかつてのアメリカのように著作権表示(マルシー)をしなくても、著作権は発生します。

写真や地図は?

要件②との関係で問題になりやすい創作物に写真や地図があります。

写真は対象をカメラで機械的に撮影するため、小説や絵画などと比べると一般的に創作性が感じにくいようです。

また、地図は実際の地形などを平面上に表現した図ですので、実用性の観点から正確性を重視すればするほど似たようなものになり、創作的でなくなる傾向があります(個性的な地図はかえって使いにくい)。

写真や地図に創作性が認められるか否はケースバイケースであり、一概には言えませんし、法律の専門家でも判断が分かれる境界的なものもあります。

ただし、リスク回避の点からすれば、他人が撮った写真や地図は、著作物と考えた方が無難です。マナーの点からも、その方がトラブルになりにくいです。(弁護士)

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《吾妻カガミ》54 県内の医療格差 プアーとリッチ

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土浦協同病院=土浦市おおつ野(かすみがうら市に隣接)

【コラム・坂本栄】茨城の人口当たり医者数は都道府県の中ではビリの方ですが、土浦・つくば地域に住んでいる人にとっては「どこの話?」だと思います。勤務医が詰める総合病院の数は「十分では?」と感じている人もいるでしょう。ということは、「十分でない!」地域があるということになります。

3月末、県内の医療格差を拡げるニュースが飛び込んできました。新聞を読んでいたら、中高同級生の佐野治君(JA県中央会会長)が会見、行方(なめがた)市にあるJA病院「なめがた地域医療センター」の機能縮小を発表した、というのです。入院ベッド数を4分の1に減らし、救患の受け入れを止める―がそのポイントでした。

霞ケ浦の対岸、行方地域の医療劣化につながるこの決定、医療リッチ地域の土浦・つくば市民には「ああそうか」程度の話だったと思いますが、新聞に載った行方市民のコメントは深刻でした。緊急病院がなくなるわけですから当然です。

でも、佐野君の決断は仕方がないと思っています。同級生だから味方しているわけではありません。6つの病院を経営するJA茨城厚生連(JAの病院部門)の収支がピンチだからです。すでに4年も赤字が続き、今年も10億近くの赤字になるそうです。経営の視点からこの数字は放置できません。リストラせざるを得ません。

そこで提案します。行方市、潮来市、鉾田市など、なめがたセンターを利用する住民が多い自治体はJAに赤字補填(ほてん)を申し入れ、リストラに待ったをかけたらどうでしょう。関係市が病院経営の支援に動き、行政(医療・福祉・教育は行政の肝です)と経営(公的病院でも経営が大事です)の間で、機能縮小を抑える「解」を見つけたらどうか、と。

湖岸台地に建つ土浦協同病院の偉容

行方地域のプアー化を横目に、リッチ地域の住民は「自分たちに関係ない話」と知らんプリはできません。なぜなら、厚生連の赤字の原因をつくったのは、県南に医療リッチをもたらした土浦協同病院(土浦市おおつ野)だからです。

霞ケ浦岸の台地に建つ同病院の偉容を、私は毎朝、対岸から眺めて散歩しています。最新の医療機器を備え、最上階には展望レストラン、2階には学会も開ける講堂まである、当時の病院長の夢が詰まった施設です。しかし良いことの陰には悪いことがあるものです。全国に誇れる病院にと張り切り過ぎ、建築費が予算を50%もオーバーしてしまったのです。

厚生連赤字の原因は、病院経営環境の変化(来院数減や医療保険など)もあると思いますが、主因はこの予算超過(約150億円)です。新病院の完成によって、リッチな地域はよりリッチになり、ほかの地域がプアーになる―居心地が悪い話です。(経済ジャーナリスト) 

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《食う寝る宇宙》35 放送大を「初めて」卒業 目指せ生涯学習

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【コラム・玉置晋】無事に放送大学大学院修士全科生を修了しました。3月23日、東京・渋谷のNHKホールで放送大学の卒業式がありました。放送大学の卒業式は初めてで、充実した社会人学生の研究生活を振り返り、感慨ひとしおでした。

僕、今、変なこと言いましたね。「放送大学の卒業式は初めて…」と。「何回目の御卒業ですか?」という放送大卒業生のあいさつが飛び交うこの異様さ。生涯教育、恐るべし。

放送大学の学部には6つのコースがあります。彼らは1つのコースを卒業しても、それで満足することはありません。6つのコースを制覇することは「グランドスラム(放送大学名誉学生)」と呼ばれています。卒業式ではグランドスラム達成の方の表彰がありましたが、1人や2人ではありません。数十人規模。

皆さん、実に学問をエンジョイしている。101歳で卒業された方もいらっしゃる。僕はまだまだ青いっす。学長先生のお話の中で、恐ろしいことを知りました。医学分野の話ですが、1950年代の時点では、医学知識が倍になるには50年かかっていたそうです。80年にはこれが7年になり、2010年には3.5年になったそうです。そして20年には73日になるそうです。

1950年代なら、1回学校を出れば、50年間は学んだ知識は担保されていましたが、今やその担保が2ヵ月で吹き飛ぶということです。学び続けなければ、すぐに知識が陳腐化することを示します。放送大の学生が、何度も卒業する姿は珍しいことではなく、「学び続けること」が必須の時代に突入したのでしょうね。

茨城大大学院とのダブルスクール

次年度、僕は茨城大学大学院に進学しますが、放送大学の学部生としても再入学しました。ダブルスクールとなります。きっと、僕も生涯をかけてグランドスラムを目指していくのでしょう。もう、抜け出すことはできません。

卒業式が終わり、大型バスを何台も連ねて、祝賀会会場に向かいます。それこそ、北海道から沖縄まで学習センターがあり、それらの卒業生が集まります。ここでは実に多くの出会いがありました。同窓会にも入れていただき、出会った方々との今後の関わりが楽しみですね。

全国の地酒も集まっていました。僕は飲めないので、その恩恵にはあずかれませんが、皆さん、飲み比べを楽しんでおられました。お酒が好きな方は、これを目指して入学されるのもアリかも?

少しの間、宇宙のお仕事から離れていましたが、4月から復帰することになりました。また、「食う寝る宇宙」の日々となります。(宇宙天気防災研究者)

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《地域包括ケア》33 訪問診療してくれる医師の探し方

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【コラム・室生勝】知り合いのCさんに、故郷から呼び寄せた、ぜんそくが持病のお父さん(77歳、H郎さん)の「かかりつけ医」を探すのを手伝ってほしいと頼まれた。H郎さんは、家庭の事情でUさん宅近くのアパートで1人暮らしをしているが、買い物、調理、掃除、洗濯、入浴などの日常生活は自立している。時々、呼吸が苦しくなることがあるという。

早速、Uさんと私は、ネットでH郎さんが歩いて通える内科診療所を探した。高血圧もあり、大腸が敏感で下痢しやすいので、身体全体を診てくれる内科医が希望だ。将来、通院できなくなったときのことを考え、訪問診療をしてくれる内科医を探した。

医師会のホームページ(HP)から、3カ所の診療所を検討。2つにはHPがあったが、もうひとつにはHPがないうえに、医師会のHPにも診察時間さえ記載されていなかった。何のための医師会HPなのだろうか。3年以上、改訂されていないようだ。

HPがある2つの診療所から、往診はしないが訪問診療する診療所を選んだ。Uさんに、往診しない医師がどうして訪問診療するのかと聞かれた。訪問診療は定期的に患家(かんか)を訪問する診療だから予定を組めるが、往診は緊急に依頼されるので、外来診療で忙しいと対応できないからではないかと答えた。

つくば市のHPからも、往診や訪問診療をしてくれる医師を探すのは可能だ。 介護保険→その他→介護保険についてのパンフレット等→つくば市内の介護保険事業所を経て、やっと「つくば市在宅医療と介護のサービスマップ」にたどり着く。もっと探しやすくしてほしい。このマップは冊子にもなっている。

この情報は2018年1月のもので、医師会のHPよりも信頼できそうだ。訪問診療の内容のほかに、「看取り」可・不可の欄もある。可は臨終に立ち会うという意味である。往診か訪問診療のどちらかを行っている、あるいは両方行っている診療所は51カ所。訪問診療だけは44カ所で、うち5カ所が外来診療を行わない在宅医療専門診療所である。

つくばの在宅医療専門診療所

「地域包括ケアシステムの姿」にあるように、在宅医療介護サービスは30分以内に提供できることが望ましい。法定速度で車が患者宅に到着できる距離にすると、約10キロまでになる。長く通院していた患者が通えなくなったら、訪問診療するのが「かかりつけ医」の本来の姿である。

医師会HPの「かかりつけ医Q&A」の「かかりつけ医」を選ぶ3つの目安の一つに、「病気だけでなく、暮らし(生活)についても理解してくれて、身近で頼りになる。さらに、必要な時は往診や訪問診療など在宅医療もしてくれる」とある。

つくば市の訪問診療について、5つの在宅医療専門診療所に「任せ過ぎではないか」との声を耳にする。在宅専門医の訪問診療範囲は隣接市町村までに及び、往診の依頼があっても30分以内に到着できない場合もある。在宅専門医には、人工呼吸器、中心静脈栄養、緩和ケアなどの治療を担ってもらい、「かかりつけ医」は副主治医として、患者の願いに応えてほしい。(高齢者サロン主宰)

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《宍塚の里山》36 春はおいしい季節

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今が旬な野草たち

【コラム・及川ひろみ】宍塚大池の堤防を彩ったソメイヨシノから、宍塚の里山は淡い紅色の葉を添えて咲く山桜の季節を迎えています。「私はここよ」とばかりに、里山のあちらこちらで咲き誇っています。山桜はソメイヨシノより背が高く、ケヤキのように太い枝を広げて存在感がありますが、あまりの高さに近くを歩いても見落としてしまうこともあります。

さて、桜以外の里山の木々、枝先の若葉が葉を広げ、里山全体が若葉色に色付き始めています。この若葉、木の種類によって色が微妙に異なり、今ごろの里山は緑色とはいいがたく、実に様々な色合いに染まっています。

日本人の繊細な感性が生み出した緑の色を表す呼び名は、草色、若緑、若草色…、70種類以上あると言われますが、里山の春は緑の色のオンパレード。これが日々刻々色を変え、日ごとに山の色合いが変わり、その鮮やかさはまさに山笑うがごとしです。

散策路に目を転じれば、薄紫、濃い紫、白色のスミレ、目が覚めるような鮮やかな黄色の花々、田んぼにはレンゲ、真っ白なタネツケバナやノミノフスマ、そして草原にはピンクのホトケノザ、ムラサキケマンなどが一面に咲き誇り、春爛漫(らんまん)、テントウムシやチョウたちも春を待っていたかのようなにぎわいです。

28日に「里山の春を楽しむ会」開催

この季節のもう一つの楽しみは、春の美味しいものです。写真は、カンゾウの湯通しとタネツケバナ、タチツボスミレの花の和え物、カラスノエンドウの花と若葉、セリ、春の七草のゴギョウことハハコグサ、ヨモギ、そしてタラ、ハリギリ、サンショウの芽の天ぷらです。

ソースは、秋収穫した柚子の冷凍をすりおろしに酢味噌を和えたもの。味噌は宍塚特産大豆で作った、会の部会「野良クラブ」作。フキの若い葉もこの季節ならでは。もう少し後には、藤の花も酢の物、てんぷらにと、絶品の数々はまだまだ続きます。この節は春の野趣が味わえる絶好の季節です。

今回取り上げたものは見分けがやさしいのですが、以前タラの芽が食べたいという友に頼まれ、里山を案内しました。数芽取り、満足して帰ったのはよかったのですが、そのあと友人1人で山に入って、なんと山漆の芽を間違えて食べ入院。危ない目にあったと、あとで聞きました。確実に知ったもの以外は口にしないで。

植物はどれも敵(昆虫)に食べられないよう防衛機能を持っています。要は毒があるのです。それがヒトに影響があるかないかです。今回取り上げたものも食べすぎは厳禁。ほどほどが肝心です。

さて、会では428日、「里山の春を楽しむ会」を開催します。春の野草を味わう、新緑に染まった里山の春を楽しむイベントです。(宍塚の自然と歴史の会 代表)

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