月曜日, 7月 1, 2024
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《吾妻カガミ》91 つくば市長の退職金辞退に違和感

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】つくば市長2期目を目指す五十嵐さんが1期目の退職金2040万円を辞退、それを可能にする条例が9月18日に市議会で可決されました。法的な障害をクリアするために22円だけもらうそうですが、今回はこの退職金問題を取り上げます。というのは、美談風に報じられているこの件、「何か変だな」と思っているからです。

経緯や背景については、本サイトの記事「廃止を公約の退職金22円に つくば市長」(6月5日掲載)をご覧ください。ポイントは①市長は4年前の市長選で退職金廃止を公約②6月5日の記者会見で公約を果たすと言明③ただ制度上0円は難しいので最少額の22円を受け取ることにし、関連条例案を提出すると表明―です。

整理すると、前回市長選の公約「市長特権の退職金の廃止」を、今回市長選(10月25日)の4カ月半前に確認、そして市長選の1カ月ちょっと前に必要な手続きを終わらせ、公約の順守を市民に示した―といった流れになります。公約は選挙の肝(きも)ですから、五十嵐さんにとって、6~9月のこのプロセスは必要不可欠だったのでしょう。

仕事をうまくこなす自信がなかった?

しかし私は、退職金廃止という公約そのものに違和感を持っています。退職金はハードな仕事をこなす市長の報酬の一部ですから、大きな失政をしないことが前提にはなりますが、堂々と受け取るべきと考えているからです。それなのに、選挙で退職金廃止を公約したのは、市長の仕事をうまくこなす自信がなかったからでしょうか?

私は33年間、経済記者として企業経営を見てきました。さらに10年間、メディアの経営に携わっていたこともあり、「仕事の達成度とトップの報酬はリンクさせた方がよい」と考えています。そうしないと、トップのやる気が落ち、仕事の結果に対する言い訳を許すからです。企業の支出に占めるトップ報酬はわずかですから、ケチるよりはきちんと報いた方が全体としてプラスになります。

こういった観点からすると、報酬規定で約束された退職金の辞退を公約するのは何か変です。トップの職を引き受ける以上、むしろ、成果を約束して増額を求める方が自然ではないでしょうか。これとは真逆の廃止を公約したことが、不思議でなりません。

辞退の公約と順守は選挙にプラス?

想像するに、五十嵐さんは選挙での「受け」を意識して、2016年の市長選で市長退職金廃止を公約、20年の市長選を前に廃止公約を実行に移したのでしょう。廃止公約が市長選ではプラスに働き、公約を守らないとマイナスに作用すると判断したのだと思います。そう考えれば、私の「何か変」「不思議」は解けます。

つまり、多くの市民は<おカネに拘(こだわ)らない市長は好ましい人物>と思うだろう―五十嵐さんはこう読んだというのが私の見立てです。私の観点からすると、これはおかしな考え方です。(広島県の国会議員夫婦のように)おカネをばらまく行為も、(五十嵐さんのように)おカネを遠慮して市民受けを狙う行為も、政策を競う選挙本来の姿に反するからです。

1期目の「実績」を自賛する五十嵐さんは、退職金廃止公約を反故(ほご)にし、むしろ増額条例案を出したいと、胸を張るべきでした。(経済ジャーナリスト)

《雑記録》16 トランプ夫妻コロナ感染 米大統領選挙情勢

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【コラム・瀧田薫】10月2日、アメリカ大統領トランプ氏夫妻が新型コロナウィルスに感染したとの速報が世界中を駆け巡った。11月3日の投票日まで約1カ月となったこの時点で、米国内外で懸念されていたことが実際に起きてしまった。とにかく、前代未聞の事態である。

これに、アメリカの政府、政界、経済界、マスコミはどう対応するか、アメリカ社会全体にどのような影響が及ぶか、さらに諸外国や国際機関がどう反応するか―しばらく様子を見てみないと、なんとも言えない。しかし、どのみち大混乱は必至だ。

4年前、2016年の大統領選挙にロシアがサイバー攻撃を仕掛けて不法介入したことについては周知の事実だが、今回はロシアだけでなく中国も選挙介入の絶好の機会と考えているだろう。

ワシントン発ロイター(8月7日)によれば、米国家防諜安全保障センターのW・エバニナ長官は、ロシア、中国、イランがそれぞれオンライン上での偽情報拡散などを通じて投票行動に影響を与え、民主的プロセスに対する信頼を失墜させたり、選挙データの改ざんなどによって、米選挙制度をかく乱する恐れがあると警告している。

なお、ロシアは、前回選挙と同様、トランプ大統領を支援し、バイデン候補の評判を落とす動きをしているといい、中国はトランプの再選を望んでおらず、米政策に影響を与えることを狙いとしているという。

「分断」された現在のアメリカ社会

9月29日、米大統領選第1回テレビ討論会があったが、討論とは名ばかりで、トランプ氏とバイデン氏の「ののしり合い」でしかなかった。

米CNNテレビの記者による「勝者はいない。負けたのはアメリカ国民だ」とのコメントは、この討論会の真実を言い当てていた。両候補とも、ただひたすら支持者向けのパフォーマンスに徹したのは、現在のアメリカ社会の「分断」状況を熟知した上でのことだろう。

他方、討論会の終了後、バイデン陣営と民主党に多額の選挙資金が集まり、討論会当日だけで3600万ドル超の献金があった(ロイター・30日)と報じられている。

これはバイデン氏の熱心な支持者からの献金だろうか。そうではあるまい。民主党への献金が、リベラル派のギンズバーグ連邦最高裁判事の死去後から急増したということからしても、とにかくトランプ再選だけは阻止したいという有権者からの献金であると思う。アメリカ社会の分断は、まさに底なしの様相を見せている。(茨城キリスト教大学名誉教授)

《続・気軽にSOS》70 つらくなったときに誰を頼るか

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【コラム・浅井和幸】Aさんが自らの命を絶つしか方法が思い浮かばない―その不安感、恐怖感、絶望感は、そうでない立場に立つBさんには想像を絶するものです。BさんがかつてAさんと「同じ状況」を経験していても、それは「似た状況」であって「同じ状況」ではありません。

他の人の苦しさを簡単に推し量ることは誰にもできません。苦しさの最中にいる本人でも、分からないこともあるものです。「視野が狭くなっている」と表現することも可能な苦しい状況ですが、その「視野の狭さ」が当人には感じることのできる世界の全てなのです。

AさんとBさんには何ができるでしょうか。まずBさんですが、ある日、突然Aさんのような苦しい状況に陥るかもしれません。そのときのために、Bさんは普段から信頼できる複数の人間関係をつくっておきましょう。何かにつけて、その人たちに相談する習慣をつけておくとよいです。

つらくなったときには、誰を頼るか、どこに連絡を取るかなどを、日ごろからメモしておくのもよい方法です。これは、普段から避難訓練をしていたり、「119」「110」などの電話番号を意識したりしている方が、いざ火事や事故のときに行動がとりやすいのと同じです。

信頼できる人と時間を共に

そして、渦中にいるAさんはどうすればよいでしょうか。まず「死にたい」と考えてしまう状況は、充分に医療に頼る理由になるということを覚えておいてください。

熱が出てフラフラのときに内科を受診して服薬で症状を緩和したり、消化のよいものを食べてゆっくり休むように、精神科や心療内科を受診して服薬やカウンセリングで症状を緩和すること、睡眠などで休養をとることが大切です。「死にたい」は疲労がたまり過ぎた状況です。

信頼できる人と時間を共にしてみましょう。気持ちに余裕が出たら、アドバイスも聞いてみてください。アドバイスには絶対に従わなければいけない訳ではなく、別の考え方もあるということの確認する程度で構いません。無理なアドバイスは聞き流します。

Bさんが持つとよいAさんに対する心構えも、とても難しい問題です。緊急な場合は救急車を呼ぶということになります。緊急を要しないときは、Aさんに寄り添い、空間や時間を共にすることから始めてください。

Aさんに余裕があるように感じられ、できそうと判断できれば、少しアドバイスをしてみてください。アドバイスができそうもなければ、Bさんが専門家に相談してみてもよいでしょう。

アドバイスをしたら、Aさんが余計につらそうにしていれば、無理強いせずに、また寄り添ってあげてください。つらい理由が何かを無理に聴かず、Bさんの正当性を押し付けず、そっと隣にいてあげてください。Aさんが明日に希望を持てたら理想的ですが、そうでなくとも、そこに居てよいという安心感を感じられるようになるために。(精神保健福祉士)

《ことばのおはなし》26 しおりひものおはなし

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【コラム・山口絹記本についているひもには名前がある。あれはしおりひもというのだ。新しい本には、ひもがくるんとまるまってページに挟まっている。それをピンと伸ばして最初のページに挟むところから、おはなしは始まる。

しおりというのは、そのおはなしの中で自分がどこに立っているのか、迷子にならないための目印だ。これがあるから、安心しておはなしの中を好き勝手に歩いていられる。しおりひもがついていない本には、自分の好きなものを挟んでおけばよい。

しかし、本の外の世界にはしおりがない。だから、気を抜くと自分が今どこにいるのかすぐにわからなくなる。どこにでも置いておける、消えないしおりがあればいいのにな、と、ときどき思う。走りすぎて自分の居場所がわからなくなっても、気がついたら知らない場所にいても、怖くない。

何をしおりにしたらいいのだろう。大切な人だろうか。自分の家? よく行く喫茶店? 残念ながら違う。人も、家も、喫茶店も、いつかはカタチを変えて、無くなってしまう。それではしおりにはならない。そういうものたちは、しおりではなく、本でいったら文章だからだ。自分のおはなしに登場するものを、しおりにしたって仕方がない。

私にとってのしおりとは、何だろう。今まで過ごしたおはなしと、今現在、そしてこれから先に紡がれるおはなしのなかで、ゆるぎない目印になるもの。目に見えるものでは駄目なのかもしれない。カタチがあるものではいけないのかもしれない。

自分のおはなしのしおりは“ことば”

小さいころから考えていたこの問題の答えを見つけたのは、大学の卒業式の日だった。

式から帰ってくると、4年間お世話になった教授からメールが届いた。そのメールには、祝辞とは少し違うことばがあった。これから生きていくなかで、人生の指標になるような、支えになるような、とても力強くて、優しいことばだった。

そのメールを読んだとき、自分のおはなしのしおりは、“ことば”なのだということに気がついたのだ。少し不思議なおはなしだ。本のしおりはことばに挟むものなのに、私のおはなしのしおりは、“ことば”なのだ。でも、それはとても自然に、ひらりひらりと落ちてきた桜の花びらが、すっと肩に乗るくらいに、音も無く私の心の中に落ちて落ち着いた。実はもう、たくさんのしおりを持っていたのだ。

だから、ある日突然、失語で自分の中からことばが消えたことは、私にとって明確な理由を持って、事件だった。私はことばと同時にしおりをなくしたのだ。同時に、1秒たりとも迷わず、ことばを取り戻すために努力ができた。面白いものだな、と思う。

日々、光陰矢のごとしと過ぎていく日常の中で、今この瞬間に必死になっていると、ついいろいろなことを忘れてしまう。いつも一緒にいた大切な人、好きだった場所、よく聴いていた音楽、そういったものがあっという間に過ぎ去って、薄れていく毎日だ。だからこそ、大切なことばを心に刻んで、しおりにして生きていく。(言語研究者)

《食とエトセトラ》7 子ども時代に本物に触れる

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宮城県知事賞を受賞した29歳のころの作品

【コラム・吉田礼子】つくば市にあるノバホールで、劇団四季のミュージカル「王様の耳はロバの耳」を観たのは、娘が小学1年のころでした。舞台上の子どもたちの熱気、歌詞、メロディーは今でも鮮やかによみがえります。

当時、劇団四季は、日本中の子どもに本物の舞台芸術を伝えたい、とりわけ地方の子どもたちに届けたい―と、高い理想を掲げていました。日本財団の賛同もあり、格安のチケットを入手でき、プロのミュージカルを観ることができました。

娘のピアノ発表会も同じステージでできたことは、貴重な思い出 です。子ども時代に「本物」に触れることは、美しいものを感じる心、真贋(しんがん)を見極める目を育てます。幼い時のことを覚えていなくても、豊かな心の財産になります。

親としても、豊かな経験が一緒にできるのはありがたいことです。また、子どもと共通の趣味の持てるようになったのはうれしいことです。大人は種をまく人、子どもは自ら育つ力を持つ存在と言えるでしょう。

なぜ『百本しんにゅう』を書くのか

私は30年ぐらい、子ども書道教室を主宰していました。小学1~2年生にとって、毛筆は初めての経験。筆の持ち方、道具の扱い方、筆の入れ方、横画、縦画、丸、点、はね、はらいなどを、一生懸命覚えます。

毎回お手本を書くことは大変です。まずお手本を見て学んでもらいますが、お手本通りに書けることは到着点ではありません。ある技術を習得するための一つの目安に過ぎません。はるか遠くの高みにある、美しいものを美しいと感じる感性の世界を目指します。いわば同門の志のようなものです。

書道も技術だけではなく、「道」が付くものは修養が肝心です。子どもだからと手加減してはいけません。小学6年の子が「低学年のとき、百本ノックのように『百本しんにゅう』をなぜ書くのか意味が分からなかった。でもこのごろ分かってきた」と漏らしたことがあります。成長の姿には心を打たれました。(料理教室主宰)

《令和楽学ラボ》9 茨城の和紅茶づくり

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高安園の城里和紅茶

【コラム・川上美智子】「古内(ふるうち)茶の紅茶ができたので1つ持っていってください」と、9月の茨城県議会の折に加藤明良議員から声をかけられました。水戸光圀(みつくに)が愛(め)でた古内の在来種の茶葉100%を原料にした紅茶は、きれいにパッケージされ、高安園の城里和紅茶と名付けられていました。

「昨年、この紅茶を銀座の茨城県アンテナショップ『Ibaraki Sense(イバラキ・センス)』に出品したところ、お客様から台湾の東方美人(オリエンタル・ビューティー)の香りがすると言われたんですよ」と、うれしい報告もありました。

東方美人は知る人ぞ知る最高級の赤烏龍(うーろん)茶です。100グラム〇万円もする高価なお茶で、現在ではなかなか手に入りません。今から25年前にその香りを分析する機会を得、マスカットのような独特の香りが、2,6-dimethyl-3,7-octadiene-2,6-diol(2,6-ジメチル-3,7-オクタジエン-2,6-ジオール)と本物質が脱水したHotrienol(ホトリエノール)の2つの化合物に起因することを突き止めました。

また同時期に、マスカットフレーバーが特徴であると言われるインド・ダージリンのセカンドフラッシュの紅茶試料も手に入り、分析を行うことになりました。この紅茶も、他の紅茶に比較し2化合物の含有比が高いことがわかり、ダージリン紅茶の特有香になっていることを明らかにしました。

そして、赤烏龍茶とダージリン紅茶の共通点を調べているうちに、どちらもウンカ芽(昆虫のウンカの加害を受けた茶芽)を原料にしていることを突き止めました。学会で加害を受けて生成する化合物の発表をしたところ、海外の科学者たちは色めき立ち、最終的に中国の著名な茶の研究者が、2,6-dimethyl-3,7-octadiene-2,6-diolは、加害を受けた茶芽がウンカの天敵の昆虫を呼び寄せるために作り出した化合物であることを明らかにしました。

ウンカの加害を受けた二番茶で

昨年5月、城里町で茶の香気研究の講演を依頼され、茶業者の方々にこのウンカ芽の話をさせていただきました。その折に、紅茶づくりはウンカの加害を受けてからの二番茶を使うとマスカットフレーバーが付与するので、「紅茶づくりは二番茶で」を強調させていただきました。それを忠実に実行して出来上がったのが城里和紅茶だとうかがい、本当にうれしく思いました。

ずっと以前に、静岡の茶業者への講演でも二番茶を使った紅茶製造をお奨めし、和紅茶づくりの火付けとなりましたが、この茨城でお役に立てることは研究者冥利(みょうり)に尽きます。近年、奥久慈や猿島でも和紅茶がつくられるようになりましたが、新参の古内のおいしい和紅茶をぜひお試しください。(茨城キリスト教大学名誉教授)

《邑から日本を見る》72 安倍政治を検証する(2) 私たちの暮らしとアベノミクス

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【コラム・先﨑千尋】浜矩子(はま・のりこ)同志社大学教授が「アホノミクス」と揶揄(やゆ)したアベノミクスは、私たち国民に何をもたらしたのだろうか。私たちの暮らしは、安倍政権の7年8カ月で、それより前に比べてよくなったのだろうか。

そのことを検証するには数字を見ればわかる。8月31日の「東京新聞」が「数字で見る生活の変化」を出しているので、それからいくつかを引用する。

平均月給は横ばい、消費者物価指数は5%上がり、実質賃金指数は11%下がった。エンゲル係数は23.5%から26.9%に上がり、非正規労働者比率も2ポイント上がった。日経平均株価は1万円から2万3千円と2.3倍になり、年収1千万円以上の人が172万人から249万人と45%も増えた。企業の内部留保も273兆円から470兆円と1.7倍に増えている。

これらからわかることは、私たち庶民の暮らしは落ち込み、大企業や株に投資できる一部の人たちが潤った。国民が1年でつくる富の生産量は一定だから、富の分配の段階で格差が広がったことを示している。

安倍政権が打ち出したアベノミクスは、経済の好循環、財政再建と経済成長の両立を目指し、大胆な金融政策、機動的な財政政策、投資を喚起する成長戦略の3本の矢を柱とした。異次元の金融緩和の行きつくところはゼロ金利。そのことにより、地方銀行など金融機関の多くは本来の金融事業で赤字になり、頭を抱えこんでいる。

財政では、日銀の輪転機をフルに回し、国債を大量に発行し、それを日銀が抱え込む。国と地方が抱える借金残高は1100兆円を超え、政権の発足時から250兆円近く増えた。日銀が抱える国債の割合は13%から44%になってしまった。

「実を結ばずに散るあだ花」

アベノミクスを実現する政策は、地方創生、働き方改革、女性活躍社会、1億総活躍社会、人づくり革命(人生100年時代構想)と、目くらましのように、検証もせずに次々に新しい看板を出し続けてきた。経済産業省官僚の発想でしかない。資本主義社会での経済活動は本来自由だ。しかし放っておくともうからない分野の仕事は誰もしないし、新たな発明や発見をした人たち、巨大企業が潤うことになってしまう。

そうしたことを是正するために国家があり、税があり、経済政策や社会政策が講じられる。経済政策は、国民の幸せを実現し、弱者が傷まないような配慮をする。自分の力だけではどうにもならない人たちがいる。勝ち組の頭を押さえ、負け組を助ける。それが「公助」だ。

しかし、安倍政権がやってきたことはそれとは真逆。大企業の利益を最優先し、弱者は自己責任、自助努力が足りないと切り捨ててきた。当初、富める者が富めば、貧しい者にも自然に富がしたたり落ちるという「トリクルダウン」が言われていたが、最初に挙げた数値でわかるように、そのようなことは起きなかった。

結局、アベノミクスは一般庶民にはほとんど恩恵をもたらさず、「実を結ばずに散るあだ花」だったということだ。揚げ句の果て、高齢化、人口減少が進む中で、将来への負担転嫁がますます大きくなってしまった。その罪はとてつもなく大きい、と言わざるを得ない。(元瓜連町長)

《食う寝る宇宙》70 新たな太陽活動サイクルが始まった!

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【コラム・玉置晋】2019年12月より新たな太陽活動サイクルに突入していたことが公式発表されました。太陽活動には活発な時期(極大期)と静かな時期(極小期)があります。この欄(コラム67)で「間もなく、新たな太陽活動サイクルの始まりが宣言されることでしょう」と述べましたが、アメリカの航空宇宙局(NASA)からプレスリリースが出ましたので、その一部を抜粋して紹介します。

NASAプレスリリース

太陽サイクル25がここにある。NASA、NOAAの科学者はそれが何を意味するのか説明する。

第25太陽活動サイクルが始まった。火曜日(9/15)のメディアイベントで、NASAと米国海洋大気局NOAAの専門家は、新しい太陽周期に関する分析と予測、そして宇宙天気の活発化が地球上の私たちの生活と技術、そして宇宙の宇宙飛行士にどのような影響を与えるかについて話し合った。

NASAとNOAAが共催する国際的な専門家グループであるソーラサイクル25予測パネルは、2019年12月に太陽の極小値が発生し、新しい太陽周期の開始を示したと発表した。我々の太陽はとても可変なので、このイベントを宣言するには実際の数ヶ月後までかかることがある。科学者は太陽周期の進捗(しんちょく)状況を追跡するために太陽の黒いシミ(黒点)を観測する。黒点は太陽活動に関連しており、太陽フレアやコロナ質量放出などの巨大な爆発の起源として、光、エネルギー、太陽物質を宇宙に噴出す可能性がある。

NASAとNOAAは、連邦緊急事態管理局やその他の連邦機関や部門と共に、国家宇宙天気戦略とアクションプランに協力して、宇宙天気の準備を強化し、宇宙天気の危険から国を守る。

宇宙天気予報は、アルテミス計画の宇宙船や宇宙飛行士を支援するためにも重要である。この宇宙環境を調査することは、宇宙飛行士の宇宙放射線被ばくを理解し、軽減するための第一歩である。ゲートウェイから行われる最初の2つの科学調査は、宇宙天気を研究し、月軌道上の放射線環境を監視する。科学者たちは予測モデルに取り組んでいるので、気象学者が地球上の天気を予測するのと同じように、いつか宇宙天気を予測することができる。

「悪天候というものはない、あるのは準備が悪ことだ」と、NASAの有人探査・作戦ミッション総局の主任科学者ジェイク・ブリーチャーは言った。「宇宙天気とは何か、我々の仕事は準備することである」。

僕らもしっかりウォッチ

アメリカの宇宙天気防災に関する取り組みは本気です。僕らもしっかりウオッチしていきたいと思います。(宇宙天気防災研究者)

《ひょうたんの眼》30 土浦、茨城から始まった地域ケア

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地域ケアの概念図

【コラム・高橋恵一】1987年4月、茨城県の高齢福祉課に高齢化社会対策企画室が設置された。当時、日本の人口の高齢化は、急激に進行しつつあった。全国的には、その現象を単なる老人福祉問題としていたが、県では、高齢化社会問題として考え、新しい組織を設置したのであった。

高齢化社会の行政課題を検討・抽出し、それらの対策の方向をまとめたのが「茨城わくわくプラン」(1988年3月)、茨城県高齢化社会対策である。施策は、高齢者の健康福祉対策から、住宅・交通環境など多岐にわたり、竹内(藤男)県政では唯一といえる、福祉部が主導したソフト政策であった。わくわくプランについては、別の機会に譲りたい。

高齢化の進行で、特に深刻な問題が老人介護であった。有吉佐和子の小説「恍惚(こうこつ)の人」で問題提起されたことが、現実になっていた。そのような状況下で、国内各地でモデル的に老人医療・福祉サービスに取り組んでいる事例があった。その一つが、国立霞ケ浦病院(現霞ケ浦医療センター、土浦市)で整形外科部長の関先生が中心となって取り組んでいた「地域医療カンファランス」である。

足を骨折した老人が、手術治療をして退院しても、帰宅後のリハビリが充分でないため、歩くことができなくなってしまった事例があり、病院スタッフが相談をして、当時、訪問看護が認められていない中で、看護師さんが無償でリハビリ、生活指導に当たった。

治療は、病院だけでなく、家庭や地域と連携しなくては完成しないとして、関係者のカンファランスを始めたものである。参加者は、土浦市内の他の病院や診療所の医師や看護師、リハビリ技術者、保健師や市福祉課の職員、社会福祉協議会の職員など、全員時間外に無報酬の参加であった。先日まで、このNEWSつくばでコラムを執筆していた室生勝先生は、カンファランスの創設メンバーの1人である。

「土浦市ふれあいネットワーク」

茨城県では、この取り組みをシステム化・事業化し、対象者一人ひとりについて、それぞれの在宅ケアチームを組み対応する仕組みとした。

さらに、対象者とチーム活動の状態を常に把握し支援するコーディネーターを配置した。事業主体は市町村とし、事業の核となるコーディネーターの人件費を県が補助することとした。1988年度、地域ケアシステムモデル事業を開始し、土浦市は対象市町村となり、「土浦市ふれあいネットワーク」の事業名で今日まで継続している。

県の地域ケアは、2000年度の介護保険制度のスタートに当たって、介護サービスのモデルとなり、さらに、国は2025年を目標に「地域包括ケアシステム」の構築を目標としている。

掲載したイラストは、30年前の手書きの茨城地域ケア概念図である。国の包括ケアの概念図に酷似している。自助ではなく、30年前から土浦や茨城が目指してきた、一人ひとりの高齢者の自立を支援するシステムとして充実するよう期待するところである。(地図好きの土浦人)

《宍塚の里山》69 最近ヘビが増えた! 人気の親子観察会

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シマヘビの幼蛇とアオダイショウ幼蛇(円内)

【コラム・及川ひろみ】宍塚の里山では、今年はヘビが多く、日に数回見ることもあります。かつてはどこにでもいたヘビですが、最近は少なくなっている―そんな中での出来事です。

ヘビといえば、その言葉を聞いただけで、顔をそむける方もいると思います。しかし、ヘビ好きの方も結構多く、観察会で一番人が集まったのはヘビ観察会。200人の親子がやって来たこともありました。これは、当会が主催する各種観察会の参加者レコードです。

なぜヘビが里山に増えたのか? もちろん、餌になる生き物が増えたからです。以前、カエルが好みそうな湿地や田んぼを増やしたら、赤ガエルが6倍に増えたことがありました。赤ガエルは春先、水があるところに産卵しますが、その卵塊を数えれば大体の生息数がわかります。

カエルは生きているものしか食べないことから、環境の変化を捉えるバロメーターです。卵塊を数えることができる唯一のカエルがアカガエル。6倍に増えたときには、環境保全の意味が実感できました。

里山には3~4年前から、どこからやって来たのか不明なカエル、ヌマガエルが定着しました。その繁殖力は半端でなく、今ではあちこちでピョンピョン、踏みつぶしそうなほどです。その結果、それまであまり見なかったヘビが増え、人前でも見られるようになりました。普通、ヘビは人が近づく前に素早く身を隠しますが、それでも見られるようになったのです。

「マムシって、どんな虫ですか?」

ヘビは、アオダイショウ、ヒバカリ、シマヘビ、ヤマカガシ、マムシなどが見られます。足元によく注意して、藪(やぶ)に足を踏み入れるときには、特にマムシに注意してくださいと話します。先日若いお母さんから、「マムシって、どんな虫ですか」と質問されました。そんな時代になってしまったのです。

そこで子どもがやって来る観察会の開始時には、「マムシ・スズメバチ注意」と熱っぽく語ります。そんな怖いヘビならいない方がいい? いえいえ、生き物は生態系で考えることが重要で、マムシもその大切な一員です。

一番普通のヘビはアオダイショウです。農家や広い庭のあるお宅なら、いまでも結構見られます。アオダイショウの幼蛇はマムシにそっくり。よく似た模様で、近付くと頭も三角にして威嚇、かみつくこともあります。どうしてこのような姿や動作を手に入れたのか、自然界には不思議があふれています。シマヘビも幼蛇と親とは大違いです。

蛇の観察会。子どもは興味津々で、講師が持つ蛇に触りたくてうずうず。そして親は遠巻きに。しかし観察会が終わるころになると、ほとんどの親と子どもは恐る恐る手を出します。すべすべした触り心地、不思議な感触に引き込まれます。(宍塚の自然と歴史の会 前代表)

《県南の食生活》17 栗王国茨城 「筑波」「ぽろたん」

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栗の渋皮煮

【コラム・古家晴美】今年は長い梅雨、夏の猛暑と続いたが、ようやく秋の気配が感じられる。先日、旬を控えまだ小ぶりの栗の実をいただき、渋皮煮を作って初秋の味覚を楽しんだ。

茨城県の栗生産量は、10年以上、全国1位を誇っている。県南地域の生産地としては、かすみがうら市、石岡市をはじめ、つくば市、土浦市などが挙げられる。これから秋が深まるにつれ、店頭にも多く並ぶことだろう。

栗は縄文時代の遺跡からも出土され、日本人にとっては馴染(なじ)み深い食べものだ。ニホングリの原生種と考えられているシバグリは、北海道中部から九州南端まで自生しており、それを採取して食用としていた。7世紀末になると、諸国で栽培を奨励する記録が残っており、栽培の歴史も古い。最古の産地は、丹波地方とされている。

茨城県で本格的に栽培され始めたのは、近代に入ってからだ。しかし、1936(昭和11)年には、他県を圧倒して大量の茨城栗がアメリカに輸出されている。では、「栗王国茨城」の礎は、どのように築かれたのであろうか。

下志筑村 (しもしづくむら、旧千代田村、現かすみがうら市)の長谷川茂造は、1898(明治31)年に山林を開墾し、苗産地(川口市安行)から取り寄せた苗を植え付け、栗栽培を始めた。当時、このような形での栗園経営は全国的にも珍しく、周囲の人を驚かせたと言う。

「芋名月」、「豆名月」「栗名月」

その後、丹波栗や栗の接ぎ木法について研究していた水戸出身の八木岡新衛門が、郷里に戻り千代田村の栗栽培を指導した。千代田地方では、1919(大正8)~25(同14)年にかけて、栗の栽培面積が2倍、生産量が1.6倍へと急成長を遂げた。

また、東京帝大農学部で八木岡の後輩、中志築村の大地主・兵藤直彦も、冷害に強い栽培方法を見つけ、新品種の育成に努めた(『常陽藝文』1997年10月号)。このようにして、現在の「栗王国茨城」は、これらの人々の献身的な努力によって支えられてきた。

その後も、大粒の品種「筑波」や渋皮がきれいに剥(む)ける「ぽろたん」など新品種に改良され、茨城の栗は進化し続けている。

ところで、今年の「十五夜」は10月1日だ。供物として、月見団子とススキを飾るが、地域により芋を供えるところも多く、「芋名月」とも言う。これに対し、旧暦9月13日(今年は10月29日)は「十三夜」で、「豆名月」「栗名月」とも呼ばれている。栗や豆を13個ずつ供える。

月の出方を見ながら、十五夜は大麦、十三夜は小麦の作柄を占うものとされてきた。この晩に晴れていれば豊作になるという。十五夜の中秋の名月を鑑賞する慣習は、古代に中国から伝来したが、十三夜は日本独自のもので、十五夜と両方そろわない「片月見」を嫌った。国産小麦の自給率が低迷している昨今だが、今年の占いはどのように出るだろうか。(筑波学院大学教授)

《続・平熱日記》70 水戸の歴史館で学んだこと

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【コラム・斉藤裕之】ここ数年でカミさんと県内をよく回った。この日訪ねた水戸の歴史館で茨城の歴史を見ながらそう思った。「魅力のない県、茨城」。私も始めはこの手のランキングに目くじらを立てるのは大人気ないと思っていたが、万年最下位効果?もあってか不思議と茨城をメディアでよく見かけるような気がする。

例えば、U字工事(ゆーじこうじ)のネタがなぜ受けるのか。これが20位とか30位の東京から遠い地方ではつまらない。つまり、茨城は今や「万年最下位のいじられキャラ」としてのおいしい地位を築きつつあるということか。

さて展示も終盤に差し掛かったころ、「廃藩置県」というところに目が留まった。「牛久県、知事、周防(すおう)の守…」? 周防といえば我が故郷・山口県東部。「周防だって」とかみさん。ググってみる。なんと、長く牛久藩を治めた領主は戦国時代に周防の国からはるばる呼ばれた方で、それに因(ちな)んで姓を山口氏としたそうだ。

「そうじゃったんか!」と山口弁で呟(つぶや)きそうになった。ちと大袈裟(おおげさ)だが、たまたま住んでしまったと思っていた牛久に、少しだけ運命的なものを感じた。しかし、この微妙な感動を誰と分かち合えるわけでもなく、とりあえず共感してくれそうなのは、縁あって牛久で2棟の家を建てた山口に住む弟くらいのものか。

「今日は終戦記念日じゃ」

実は歴史館に来たのは、カミさんの同僚の方が企画に携わった展示をやっているとのことで、お供することになった次第だ。35度を超えた気温も手伝って、「茨城と戦争」というテーマはちょいと気が重かったのだが。

私の故郷は海軍の燃料所があったところで(今も数万トン級のタンカーが出入りする)、戦時中は空襲を受け、母はよくその話をした。学校の先生も、よく戦争中の体験を語った。時代は高度経済成長期。忙しくておかずの少ない夕餉(ゆうげ)には「今日は終戦記念日じゃ」、ご飯をがっついて食べる様子を見ると「欠食児童がおるよ」などと、まだまだそんな言葉が日常的に使われていた。

そんなことを思い出しながら見る戦時中の白黒写真に写っているのは、どこかで見かけたような今の若者たちとよく似た顔の青年たちだ。

「茨城? 結構いいところだよ!」

最近気になることがある。震災以降のことだろうか。子供たちまでもが「ぼくらのプレーでみんなを勇気づけたい…」とコメントし始めたことだ。そう、スポーツやエンターテイメントの世界で、よく耳にするようになった。そんなことを考えて試合をされたり、歌われたら堪(たま)らない。頼むから、そんな薄っぺらい大人の受け売りはやめてくれ。

将来に向けて、自分で考えることのできる子供を文科省は育てるらしいが、国や会社にいいように使われないような教育のことかな? 戦争に反対する糸井重里さんの名コピーを思い出した。「とにかく死ぬのやだもんね」。

20年前に、今住んでいる土地を探してきのはたカミさん。帰りに立ち寄った直売所で、新鮮で美味しそうな野菜や果物でいっぱいになったカゴを抱えてご満悦。「茨城? 結構いいところだよ!」(画家)

《吾妻カガミ》90 つくば市長選 際立つ2候補の違い

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】今秋のつくば市長選挙に、2期目を目指す五十嵐立青さんに挑戦すると、富島純一さんが立候補を表明しました。コロナ禍で選挙戦にならないのではないかと心配していましたが、42歳の五十嵐さんと37歳の富島さんの激突になりそうです。以前のコラム「つくば市長選 2つの風景」(7月6日掲載)でも触れましたように、政治家も政策も選挙で鍛えられます。若い2人のバトルが楽しみです。

挑戦者・富島さんの出馬会見については、「会社経営の宮島純一氏が出馬表明」(8月31日掲載)をのぞいてください。現職・五十嵐さんの続投表明については、「2期目へ、五十嵐市長が立候補表明」(2月27日掲載)をご覧ください。この間6カ月。選挙の構図がやっと整いました。

挑戦者と現職者 それぞれの強み

挑戦者にとって有利なのは現職の「失政」を突けることです。経営者歴16年の富島さんは記者会見で、五十嵐さんの失政(総合運動公園問題が未解決、TXつくば駅周辺整備が停滞など)を念頭に置いて、「1期4年で結果を出せないのでは動きが遅い。経営では毎年結果を出さなければ倒産してしまう」と、現職の力量に疑問を呈しました。

思い起こすと、4年前の選挙では挑戦者だった五十嵐さんも、前市長の失政(総合運動公園計画を発表市民の多くが計画に反対住民投票の結果を受け計画推進を断念)に乗じて、前市長の後継候補を破りました。攻めの富島さんが、今度は守りの五十嵐さんをどう攻めるのか、注目しています。

出馬表明が遅れた富島さんにとって不利なのは、現職の五十嵐さんに比べ、知名度が低いことです。しかも、新型コロナ禍で大集会や小会合が思うように開けませんから、圧倒的に不利です。富島さんはこうしたハンディキャップを、印刷物の大量配布、ネットの活用などでカバーするそうですが、十分な展開ができるのか、こちらも注目しています。

「合意形成」型と「代表率先」型

五十嵐さんと富島さんのキャリアは対照的です。五十嵐さんは大学院卒で市民運動家・市議上がり、富島さんは中学卒で起業家・会社経営者上がりと、両候補のコントラストは際立っています。

会見で対抗馬との違いを質問された富島さん、「ひとつは学歴。もうひとつは、五十嵐さんはイケメン、私はこんな顔」と、笑いを取っていました。あとで聞いたところ、市長になるまで本格的に組織を動かしたことのない頭デッカチの五十嵐さんと、各種法人を立ち上げ現場を動かしてきた自分とでは地頭(じあたま)が違うと、引け目はありませんでした。

五十嵐さんの市政運営スタイル、富島さんの会社経営スタイルから見て、2人の違いは仕事の進め方の違いだと思います。市長としての五十嵐さんはコンセンサス(合意形成)型でしたが、富島さんはリーダーシップ(代表率先)型になるでしょう。今、つくば市が必要としているのはどちらでしょうか?(経済ジャーナリスト)

《沃野一望》19 伊東甲子太郎の3 御陵衛士隊長伊東甲子太郎

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かすみがうら市中志筑、恋瀬川右岸から見た筑波山

【ノベル・広田文世】

灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼

我(わが)ひめ歌の限りきかせむ  とて。

新選組のなかで「参謀」というナンバー2の地位をあたえられた伊東甲子太郎は、ひとつの隊内勢力、いわば伊東派を構築していったが、甲子太郎の野望は、そこにとどまるものではなかった。新選組全体を掌中(しょうちゅう)におさめ、尊王攘夷へむけ天下を動かす組織ののっとりをねらっていた。

しかし、もともとが京都守護職松平容保(かたもり)支配下の武闘殺人集団の新選組が、伊東甲子太郎の独断を容認するはずがなかった。とくに、もう一方のナンバー2、武闘派筆頭土方歳三は、ことあるごとに甲子太郎を排斥し、その旨を局長近藤勇へ注進した。

「このままでは新選組は、あやつに牛耳られてしまいます。斬りましょう」

近藤勇は、思案した。土方の憤懣(ふんまん)はもっともだ、さりとて、甲子太郎の組織力と舌鋒(ぜっぽう)は使い方次第だ。近藤は、他人を論破してゆく弁舌への秘かな憧れをいだいている。

そんな折も折、孝明天皇が崩御された。御山陵(ごさんりょう)が東山に築かれた。御陵を守備する兵が必要とされた。

ふってわいたこの役目に、裏で薩摩藩と連絡をとりあっていた伊東甲子太郎がとびついた。朝廷に、衛士の大任を志願した。

慶応三年六月、朝廷より拝命が下される。

伊東甲子太郎は、同志15名とともに新選組を“脱退”し、京都東山高台寺月真院(こうだいじ げっしんいん)へうつった。俗に「高台寺組」とよばれる。御陵衛士隊長伊東甲子太郎の誕生だった。

事実上の新選組脱退

新選組は、武闘殺人集団の性格上、組織維持のため、脱退者に極めて厳格な処分、すなわち、追撃し惨殺をもって対処する方針を堅持してきた。しかし、伊東甲子太郎たち15名にたいしては、当座の表面上、何の咎(とが)めもしなかった。

甲子太郎は、近藤勇に釘をさして去った。

「朝廷より、われらにたいし御陵衛士のご下命がありました。新選組を脱退するものではありません。高台寺で衛士の役目を務めるものです」

「仕方ないでしょう」

江戸深川から同志8人で新選組へ加盟した伊東甲子太郎は、新選組隊内活動で、あらたに賛同をえた者もふくめ、新組織の首領として京で動きだす。朝廷との連絡、薩摩藩との連携など、組織の基盤作りにぬかりはなかった。

しかし、大儀名分はどうあれ、事実上の脱退にちがいはない。土方歳三は、許せなかった。理屈をかざし脱退してゆく者を認めてしまえば、新選組はなりたたない。

さらに、隊内に残った隊士のなかにも「高台寺組」と連絡をとりあっている者の存在が発覚した。土方は、それらの者を、有無をいわせず斬り捨てた。

「伊東という黒幕を斬らねば、第二第三の裏切り者がでる。新選組は内部崩壊する」

土方の強腰に、局長近藤勇がおれる。

「わしにまかせろ。わしが始末をつける。隊内には、極秘だ」(作家)

《続・気軽にSOS》69 仕事はお金のため?

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【コラム・浅井和幸】30代男性のAさん。彼は借金をし、家賃を滞納していた。身よりもなく、人生の半分は家族とのつながりのない生活を送っている。こういった話を聞くと、怠け者で、誰ともコミュニケーションが取れないというイメージを持つかもしれないが、彼は嘘をつかず、人懐っこく、朗らかなしゃべり方をしていた。

複数のアルバイトをし、質素な生活をしている。しかし、職場の友人と遊ぶことにお金を使ってしまい、生活の基本に回せていない状況だった。お金を使ってでしか、人とつながれない寂しい状況だったのかもしれない。

アルバイトも長く続けていたけれど、新型コロナの影響が大きい分野で、出勤時間が減り、生活に支障をきたすようになった。それでも、一つのアルバイトは、正社員になれるかもしれないという期待もある。

私が「何か将来の夢か希望はありますか?」と聞いたら、「こんな自分がおこがましいのですけれど」と前置きし、「〇〇の店を自分で出せたら最高ですね」と答えてくれた。

なるほど、だから今のバイトなのかと納得した。そのバイトで足にけがをしたAさんだが、「これも仕事をしているのだからしょうがないです。それよりも、いろいろ技術や知識を得られるので楽しい」と、明るく答えてくれた。

おおよその収支を聞き取り、対策を考えてやり、彼は生活の立て直しを始めた。数年は苦しいだろうけど、頑張れば何とかなるだろう。「一緒に悩んでいきましょう」と言って別れたが、何かあるごとに相談の連絡があった。

「生活保護を受けた方がよいでしょうか?」

ある日、Aさんから「自分は生活保護を受けた方がよいでしょうか?」と、いつもと違う暗い声が電話から聞こえてきた。ある専門家から、そのようなアドバイスを受けたそうだ。

その人の考えは、働いても借金しなければいけない、家賃も払えない生活では、仕方がないだろうとのことだった。そんな状態で、辛い仕事をあえてする必要があるのかという理由も見え隠れしていた。

いくつかのアルバイトをしているAさんは、生活保護水準よりも少しだけ収入は高かった。私は、Aさんの希望や仕事に対する考え方も聞いていたので、疑問が沸き上がった。

仕事は辛いか? 働くのは嫌か? 働かない生活、医療費に困らない生活保護の方により魅力を感じるか? その他、いくつかの質問をしてみた。

仕事は辛いこともあるが、嫌ではない。むしろ、やりたい職種であるし、人に「ありがとう」と言ってもらえるし、やりがいがあるという答だった。

今、人生すべての決定をする必要はないが、その時点では、生活保護ではなく、働いて自分の希望に近づく道を選んだ。働くことは、お金を稼ぐことだけではなく、人とのつながり、人に感謝してもらう喜びを感じられる場でもあるのだから。(精神保健福祉士)

《電動車いすから見た景色》10 自分の中の矛盾と向き合う

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イラストは筆者

【コラム・川端舞】前回までのコラムで、障害のある子どもとない子どもが同じ教室で学べる学校は、全ての子どもが安心して過ごせる環境だと偉そうに書いたが、障害のある子どもが普通学校に通うことに完全には賛成できない気持ちもある。矛盾していると自分でも思うし、情けないとも思う。

高校の卒業式が終わった夜、私は母を怒鳴った。「なぜ自分を普通学校に入れたのか」と。22年前、私が小学校に入学するとき、重度障害のある私を普通学校に入学させるために、両親は何度も、特別支援学校への入学を勧める教育委員会と交渉した。小学校入学後も、低学年の頃は、毎年「次年度は特別支援学校が適当である」という通知が家に届いたそうだが、両親は私を普通学校に通わせ続けた。

そんな母を高校の卒業式の夜に私は怒鳴った。「特別支援学校に行きたかった」とも言った。高校時代まで、自分以外の同級生はみんな健常児という環境で育った私は、言語障害のある自分は気軽に話してはいけないと思っていた。その反面、気軽に話せる友達がずっとほしかった。同じような障害のある子がいる特別支援学校なら、もっと友達ができたのではないかと思い、自分を普通学校に通わせた母を怒鳴ってしまった。

一緒に考えてくれる人の存在

しかし、私が学校で話せなかったのは、私に障害があるからでも、普通学校に行ったからでもない。障害児も普通学校に通うことが当たり前の環境で、どうすれば言語障害のある私でも他の子どもと関われるようになるのかを一緒に考えてくれる先生がいてくれたら、当時の私も安心して同級生と話せたかもしれない。同じ学校に自分以外にも様々な障害のある子が通っていて、障害のある子とない子が入り混じって過ごしていたら、「自分もここにいていいんだ」と思えたかもしれない。

障害のある子とない子が同じ教室で学び、できないことはお互いに助け合うことで、障害のない子にとっても安心して過ごせる環境になることに異論はない。

しかし、障害のない子がたくさんいる教室に、障害のある子が1人だけいる環境だったり、どうすれば他の同級生とうまくかかわれるのかを一緒に考えてくれる人がいない環境だったりしたら、障害のある子が孤立してしまう可能性もある。自分と同じような経験は誰にもしてほしくない。インクルーシブ教育を考えるとき、無意識にそう思ってしまう。それが今の等身大の私である。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

《くずかごの唄》69 東京下町の食文化

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【コラム・奥井登美子】沢村貞子さんは1996年に亡くなったが、一時は日本を代表する幅の広い俳優で、私はこの人の気どりのない演技と、会話の中の早口の浅草言葉がことのほか好きであった。

この間、NHKテレビの料理番組で、貞子さんの大学ノート26冊分の家庭料理のレシピを紹介していた。沢村さんは明治41年(1908)に東京の浅草で生まれて育った人である。貞子さんだけではない。この時代に育った東京下町の女たちは、いわゆる「お惣菜(そうざい)」作りにかなりの知恵と情熱を傾けていた。

私の母も京橋区新栄町生まれの下町育ちで、お惣菜作りの情熱はハンパではなかった。

「お母さんは死ぬとき、最後の食事は何を食べたい?」

「そうね、フランスパンがいいわ、バターのいいのをつけて」

洋風のパンと言われたのが、私にはちょっと意外だった。近所に、芥川龍之介の父親が経営する牛乳屋さんがあって、そこへ行けばバターもチーズもいろいろな種類のものが手に入ったという。明治生まれの東京人あこがれの食は,洋風のお惣菜だったのかも知れない。

父の鉄砲洲(てっぽうず)小学校の同級生、尾崎喜八さんの詩にも、外国への憧憬(しょうけい)がちらちら見える。

常陸の醤油は「おひたじ」

母はお醤油を「おひたじ」と言っていた。

土浦に来ると、家の人たちが食事に「おひたじ」をたくさん使うので驚いていた。醤油は常陸筑波の産、土浦から船で江戸に運ばれて普及した調味料なので、「常陸」が下町風になまって「おひたじ」という呼び名になったらしい。

母も沢村貞子さんが好きだった。私が沢村さんの声、言葉のテンポ、リズムが好きだといったら、沢村さんのリズムは浅草の言葉だから真似してはいけないと言われてしまった。真似するどころか、私には、浅草と京橋の言葉のリズムの差さえわからない。

「真似なんて、私に出来っこないわよ。安心して」

東京にも地域によっていくつかの方言があることはわかっていたが,私には浅草と京橋の言葉の区別さえつかない。母の大嫌いな山の手のいわゆる「ザーマス言葉」は「そうざあます」(ございます)がなまったものらしい。

「おひたじ」のように、お惣菜の中に残っていた調味料や器具の東京方言、もっと、母に聞いておけばよかったと思う。(随筆家、薬剤師)

《ご飯は世界を救う》27 パン&カフェ「デリフランス」

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イラストは筆者

【コラム・川浪せつ子】「少しコロナ禍も落ち着いてきたかな」と、恐る恐るランチ再開。なるべく大きな空間で、密にならない場所を求めて頭を巡らせます。そして思いついた、つくば駅の真上「キュート」1階のパン屋&カフェ「デリフランス」さん。

調べて見ましたら、こちらのお店は全国展開。コロナで一時休業などの店舗もあったようです。

飲食する場所は広く、天井も高く、テーブル間もユッタリ。今回訪ねると、いろいろな対策も。パン本体、以前はオープン売りでしたが、今は1個1個ラッピング。パンは、出来たては熱いし、冷ましてからラッピングするのは大変と思います。

そして、新メニュー「BENTO」(お弁当?)と記載された箱には、この絵のような少し小さ目のパンがいろいろ。なんだかうれしくなって、これをチョイス。お値段も600円で、コーヒーは50円で付けることができました(2020年8月現在)。お得感満載!! 絵の手前の小さいパンは、甘いパンも食べたい私が付け加えました。

コロナ禍、工夫を重ね集客に努力

カフェ部分は前から離れていたのですが、少し近めの場所はアクリル板で仕切られていました。コロナで時短営業をしているようです。また、レジやドリンク作業部分には、以前は若い女性が数名働いていましたが、どうもパン製造の方と思わしき男性お1人。コロナの影響で、アルバイトさんなどは自宅待機と言われていますよね。その影響でしょうか。

飲食店、食物販売店さん、その他いろいろなお店が工夫を重ね、集客に努力なさっているのを見て、本当に頭が下がります。今までの普通の業務に追加して、コロナ対策をしているにもかかわらず、客足は伸びず売り上げが減少。

「Go To Eatキャンペーン事業」も始まるようですが、コロナが早く収束し、すべての働いている方々が、大変な状況から良い方向に行けるよう祈るばかります。(イラストレーター)

《法律かけこみ寺》22 登記にかける症状

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土浦市神龍寺(本文とは関係ありません)

【コラム・浦本弘海】不動産の売買は多くの方にとって、あまり経験のない一大事ではないでしょうか。そして、不動産の売買に関して法的にトラブルになりやすいのが登記。そこで今回は不動産登記について取り上げます。

ところで、民法では「不動産」を「土地及びその定着物」とアバウトな定義をしていますが(民法86条1項)、不動産登記法は「不動産」を「土地又は建物をいう」(不動産登記法2条1号)と具体的に定義しています。不動産登記の文脈では、「不動産」とは土地か建物と考えてください(樹木は含みません)。

ちなみに、民法は「動産」を「不動産以外の物」と、これまた無味乾燥な定義をしています(民法86条2項)。日本語的には動産という概念が先にあって、動産以外の物が不動産のようにも思いますが、不動産を定義するほうが法的には簡単だったのでしょう。

不動産登記について、売買をするうえでどうしても欠かせない重要な知識が「不動産登記には公信力がない」ということです。

「あ、それ知ってる」という方は今回のコラムはパスで。

所有権者が真の所有者とは限らない

「不動産登記には公信力がない」というのは、別の言い方をしますと、登記簿上、所有権の権利者(所有権者)とされている者が(法律上の)真の所有者とは限らない、ということになります。

したがいまして、登記簿上の所有権者がAさんだとして、BさんがAさんから不動産を買ったとしても、不動産の真の所有者がCさんだった場合、Bさんはその不動産を自分の物にすることが(原則)できません。

「え? 登記を信じて買ったのに!?」

そうなんです。登記を信じても(必ずしも)法的な保護を受けられない、それが「公信力がない」という意味です。これがドイツであれば、ドイツでは登記に公信力がありますので、Bさんは不動産を自分の物にすることができます。

ここだけ見ますと、登記を信じた者が保護される法制度の方がよいようにも思えますが、一方でCさん側から見ると、自分の不動産が勝手に売られて、それを取り戻すことができない(たとえばAさんがCさん名義の土地を違法に自分名義に変えて売った場合)のも釈然としません。

BさんとCさん、どちらを保護するかという悩ましい二択で、日本はCさんを保護する制度を採用したということになります。

法に正義はないのか!

というわけで、不動産をご購入されるときは、登記簿上の所有権者から購入することは大前提としても、登記を絶対視せず、他に真の所有者らしき人がいないか現地をきちんと確認することも大切です。

「CとAがグルになっていた場合は? 法に正義はないのか!」

たしかにCとAがグルになって、Bさんに不動産は渡さず金は持ち逃げ…ひどい話です。このような場合、民法94条2項(虚偽表示)を類推適用して、Bさんが保護される場合があります。裁判所の目にも涙、といったところでしょうか。(弁護士)

《邑から日本を見る》71 安倍政治を検証する(1) 許せない国家権力の私物化

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【コラム・先崎千尋】安倍首相の退陣表明を聞いていて、本人には悪いが「神輿(みこし)は軽くて〇〇がいい」という政治の世界ではよく聞く言葉を思い出した。青木理『安倍三代』(朝日新聞出版)によれば、安倍晋三(以下敬称略)は「目立たない凡庸ないい子」で、これといったエピソードがなく、政治にほとんど関心を持たなかったという。その安倍の首相在任期間が最長となった。

その秘密を解き明かすキーワードが、「神輿」ではないのか。神輿が軽かったから、担ぎ手である周りの政治家や官僚、財界、うまい汁を吸おうとすり寄ってくる人たちにうまく利用されたのではないか。神輿である親分は軽い方が、部下は担ぎやすく動かしやすい。一連のコロナ騒ぎでそのことが証明されたではないか。

彼は「コロナに打ち勝って東京オリンピックを開く」と言ったが、コロナウイルスは人間相手とは勝手が違うので、コロナに打ち勝つことはできないし、制圧することもできない。

安倍は国会で何度も「悪夢のような民主党政権」という汚い言葉を使った。私も言おう。「悪夢のような安倍政権」と。自己利益のためだけに行動し、自分の支持者にしか便益をもたらさない。反対派には何もやらない。自分に異を唱える人を「左翼」と叫び、敵と味方に分けてしまい、分断をあおる。

何かあったときに「責任は私にある」と言い続けても、その責任を取ろうとしない。それだけではなく、「美しい」この国を、取り返しがつかないほどめちゃくちゃにしてしまった。「取り戻そう、日本」。

憲法無視、国会軽視

まず、安倍退陣表明を受けて、新聞はどう捉えたのかを社説で見てみよう。「讀賣」は「長期政権の功績大きい」と褒めたたえているが、「朝日」は「安倍政治の弊害清算の時。分断、忖度(そんたく)克服を」と安倍政権の功罪を検証することを提言している。「毎日」も「安倍支持の弊害 民主主義ゆがめた深い罪」と厳しい。

安倍政治の弊害、罪の最たるものは、憲法無視、国会軽視であろう。彼は「私は立法府の長」といみじくも言ったが、国会を内閣の下請け機関のようにしてしまった。モリカケ問題、「桜を見る会」の問題で野党が追及しても、首相や閣僚の答弁はのらりくらり。誠実に取り合おうとしなかった。「丁寧に説明する」と言いながら、一度も丁寧に説明しなかった。

憲法では、議員の4の1以上から請求があれば臨時国会を開かなければならないのに、野党から追及されるのを恐れてか開かなかった。考えが異なる内閣法制局長官の首をすげ替え、憲法解釈を自分の都合のいいように変えてしまった。集団的自衛権の容認も同じだった。結果として失敗したが、検事総長人事にまで手を出そうとし、法律を変えようとした。

令和という年号制定の時には自分の好みを入れさせ、天皇には発表直前に通知するだけ。日本の首相は、憲法や天皇の上にあるということを内外に知らしめたのだ。

公文書の改ざんや「桜を見る会」問題など、自分に都合の悪い資料を廃棄してしまったことも国政運営の根幹に関わることだ。隣の韓国では、前大統領が自分の親友に便宜を図ったということで大統領の座を追われ、逮捕されている。安倍は「この国はいい国だ」とうそぶいているのだろうか。恐ろしいことだ。(元瓜連町長)