【コラム・高橋恵一】1987年4月、茨城県の高齢福祉課に高齢化社会対策企画室が設置された。当時、日本の人口の高齢化は、急激に進行しつつあった。全国的には、その現象を単なる老人福祉問題としていたが、県では、高齢化社会問題として考え、新しい組織を設置したのであった。

高齢化社会の行政課題を検討・抽出し、それらの対策の方向をまとめたのが「茨城わくわくプラン」(1988年3月)、茨城県高齢化社会対策である。施策は、高齢者の健康福祉対策から、住宅・交通環境など多岐にわたり、竹内(藤男)県政では唯一といえる、福祉部が主導したソフト政策であった。わくわくプランについては、別の機会に譲りたい。

高齢化の進行で、特に深刻な問題が老人介護であった。有吉佐和子の小説「恍惚(こうこつ)の人」で問題提起されたことが、現実になっていた。そのような状況下で、国内各地でモデル的に老人医療・福祉サービスに取り組んでいる事例があった。その一つが、国立霞ケ浦病院(現霞ケ浦医療センター、土浦市)で整形外科部長の関先生が中心となって取り組んでいた「地域医療カンファランス」である。

足を骨折した老人が、手術治療をして退院しても、帰宅後のリハビリが充分でないため、歩くことができなくなってしまった事例があり、病院スタッフが相談をして、当時、訪問看護が認められていない中で、看護師さんが無償でリハビリ、生活指導に当たった。

治療は、病院だけでなく、家庭や地域と連携しなくては完成しないとして、関係者のカンファランスを始めたものである。参加者は、土浦市内の他の病院や診療所の医師や看護師、リハビリ技術者、保健師や市福祉課の職員、社会福祉協議会の職員など、全員時間外に無報酬の参加であった。先日まで、このNEWSつくばでコラムを執筆していた室生勝先生は、カンファランスの創設メンバーの1人である。

「土浦市ふれあいネットワーク」

茨城県では、この取り組みをシステム化・事業化し、対象者一人ひとりについて、それぞれの在宅ケアチームを組み対応する仕組みとした。

さらに、対象者とチーム活動の状態を常に把握し支援するコーディネーターを配置した。事業主体は市町村とし、事業の核となるコーディネーターの人件費を県が補助することとした。1988年度、地域ケアシステムモデル事業を開始し、土浦市は対象市町村となり、「土浦市ふれあいネットワーク」の事業名で今日まで継続している。

県の地域ケアは、2000年度の介護保険制度のスタートに当たって、介護サービスのモデルとなり、さらに、国は2025年を目標に「地域包括ケアシステム」の構築を目標としている。

掲載したイラストは、30年前の手書きの茨城地域ケア概念図である。国の包括ケアの概念図に酷似している。自助ではなく、30年前から土浦や茨城が目指してきた、一人ひとりの高齢者の自立を支援するシステムとして充実するよう期待するところである。(地図好きの土浦人)