土曜日, 6月 29, 2024
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《食う寝る宇宙》72 「自助」「共助」が大事!「防災国大」に参加

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【コラム・玉置晋】10月3日、防災推進国民大会(通称:ぼうさいこくたい)というイベントに参加しました。名前の通り、一般~専門家向けの防災を学ぶことができるイベントです。

僕は太陽フレアなどで、将来、社会インフラなどに甚大な影響を与える可能性がある宇宙天気災害に興味があって、大学院で研究をしています。そのため、地震や水害といった僕らがすでに被害を被っている災害の研究動向や社会の対応状況を勉強しておきたいと考えています。そこで、大学の先生から、このイベントをご紹介いただいたというわけです。

様々な講演を聴いて気になったのは、自分で守る「自助」、みんなで守る「共助」、国や自治体による行動「公助」の3つの「助」が必要だということを、皆さん述べておられた点です。

自助や共助は、僕ら自身のアクションになるけど、イザというときの備えができているかといえばちょっと自信がない。本コラムでは宇宙天気防災研究者という肩書になっていますが、本人の防災意識を問われると、ちょっとつらい。

本イベントの参加レポートは大学院の授業単位にも考慮されるそうなので、ちょっと本気で聴いています! 今年はオンラインで開催されており、発表の動画(https://bosai-kokutai.com/)はアーカイブされています。みなさんもよかったらいかが?

宇宙天気はどのような影響を及ぼすか?

最近の災害関係のトピックスがもう一つ。宇宙天気防災関係です。10月7日、情報通信研究機構(NICT)さんが「太陽フレアなどの宇宙天気による社会への影響と評価~宇宙天気は日本にどの様な影響を及ぼすか~」と題するプレスリリース(https://www.nict.go.jp/press/2020/10/07-1.html)を出されましたので、注目です。

ポイントは、

  • 「科学提言のための宇宙天気現象の社会への影響評価」を作成・発表
  • 大規模な太陽フレアが発生しても、地上での「健康」への影響はほぼないことを確認
  • 各事業者が適切な対応策を取ることで宇宙天気現象に対して社会的な強靭(きょうじん)性が増すことを期待

―とのことです。

太陽活動が主な源である宇宙天気による災害はまれであるものの、一度発生すると広範囲で大規模に影響を与えることが知られています。でも、どれくらいの規模の現象がどれくらいの頻度で発生するかなど、社会への影響の定量的な議論は十分ではありません。

プレスリリースにも書かれていますが、この状況は「宇宙天気予報の警報を発信しても、そのために備えをどのようにしたよいのかについての指針がなく、その結果、ユーザは過剰な心配あるいは無関心に陥っていた」という現状につながっています。

ポストコロナ時代においては、宇宙天気の影響に対策が必要な自動運転やドローン物流が注目を浴びてくるでしょうし、数万機の小型衛星による通信網の構築はもう間近です。

「各事業者が適切な対応を取ること」で、災害レベルの宇宙天気現象に対して、正しい知識が普及し、社会的な強靭性が増すと期待されていますので、よろしくお願いします。つまり「自助」「共助」でございます。(宇宙天気防災研究者)

《くずかごの唄》71 コロナ時代のお別れ会

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】内山充氏は義兄奥井誠一が東北大教授のときに助教授だった人。当時学生だった人たちは奥井・内山コンビの授業が印象的だったという。誠一は現役の45歳で死亡。内山氏はその後、厚生労働省国立衛生試験所の所長として保健衛生に大きな働きをして昨年亡くなった。コロナ騒ぎの中で「内山充先生を偲(しの)ぶ会」が延び延びになっていたが、この間、やっと実現にこぎつけた。

50年たっても懐かしい学生時代の先生たちを偲んで、誠一先生の墓参りを済ませてから、偲ぶ会に出席したいという人が何人か出てきた。11時に土浦集合、墓参りして13時に東京へ向かうまで、2時間しかない。

誠一兄の親友で、東北大教授の、後に星薬科大学長になった亀谷哲治さん親子が設計した風変わりな家も見たいという。私は計画を聞いて困ってしまった。時間がない中、50年前に亡くなった懐かしい人を想い出してもらう作戦を考えなければならない。

ギンナン、クリ、レンコン、イチジク、ナス

兄が生まれたときに父が記念に植えたイチョウ。今は大木となって我が家の庭の真ん中を占領している。ギンナンは臭くて、ツラの皮の厚い人でないとかぶれてしまう。我が家には人一倍ツラの皮の厚い人がいるので、ギンナンを拾ってむいてみた。

クリの渋皮煮。クリを選ぶのが難しい。幸い、国際囲碁協会会長の合田健夫妻が八郷から大きなクリを届けて下さった。「全自動栗むき機」というあだ名の亭主が、学生時代に植物成分の分析で植物の皮むきをしたことを思い出しながら、徹夜して渋皮をむいてくれた。

霞ケ浦のレンコン。私の発明したレンコン料理。これは穴の中にぎゅうぎゅうとひき肉を詰め込んで、丸ごと煮る。冷めてから横に切ると、ひき肉が模様になってかわいい一皿になる。

兄が好きだったイチジクの木。木も3代目だが元気に実をつけてくれた。庭の甘柿は甘過ぎるのでサラダにする。

一番のごちそうは、ナスのぬかみそ漬。庭で育てた採りたてのナスを漬ける。あまりに手間と時間がかかるので、ぬかみその樽を捨ててしまいたい思ったこともある。姑(しゅうと)に相談したら怒られ、先祖からの菌床にぬかを足しながら100年近く使っている。

「内山充先生を偲ぶ会」の当日、4人の70歳の元学生を土浦に迎えて、亀谷先生、内山先生、奥井先生を偲びながら、ワインで乾杯することができた。(随筆家、薬剤師)

《遊民通信》2 コロナ禍とオンライン講義:東大の場合

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東大安田講堂=本郷キャンパス

【コラム・田口哲郎】

前略

安倍前首相がコロナ禍を機に国土開発を集中から分散へと根本的に変える、と述べたことは前回書きました。安倍氏の言葉の重さを私は実感しています。まず身近なところからお話しましょう。

私は現在、東京大学文学部に通っています。今年春学期の講義はすべてオンラインで行われました。秋学期の講義は対面授業とオンライン授業を併用することになりましたが、結局ほとんどの講義はオンラインで行われます。

さて、講義のオンライン化は今年の春に急きょ始まったことであり、昨年度の3月まで想像だにしなかったことです。私は遠距離通学者で、本郷キャンパスまで片道2時間弱かかりますから、常々自分が大学に行くのではなく、大学が家に来ればいいのにと思っていたものです。それが現実になってしまいました。

戸惑ううちに講義は始まりました。長時間通学がないのは大変楽です。天候の心配もありません。休み時間が10分、昼休みも50分しかないので、教室間移動を急ぐ必要もないのも楽でした。

また、大教室で大人数がいる講義で手を挙げて質問するのは勇気が要りますが、オンラインだと先生にチャットで質問できたり、音声でもマイクにささやく程度で届きますから、引っ込み思案の私にはありがたい機能がありました。

オンライン講義の本当の意味と影響

最初はオンラインの快適さが目立ち、オンライン礼賛者になりました。今でも文系学部はオンラインで事足りると思っています。

しかし、オンライン講義によって、大学という場の本質が浮かび上がってきました。コロナ禍前の大学は「通う」ことが当然でした。建物が立ち並ぶキャンパスがあり、先生と学生が集い、教室で、部室で、カフェテリアで、運動場で、学問のみならず様々なことを語り合い、議論していました。人間が物理的に集うキャンパスが学生生活を総合的にパッケージングしていました。

ところが、コロナ禍はオンライン化によりキャンパスというパッケージを破りました。情報だけがキャンパスというインフラを通さずに学生に届くシステムを公然と造り出したのです。

今までもIT技術の進展によって、大学の学知は大きな影響を受けていました。特に電子書籍の登場で、紙媒体が主体である大学図書館の相対的価値は落ち込んでいました。タブレット端末があれば、アレクサンドリア図書館並みの書籍情報を検索・保有することができるからです。

知は情報です。古来人間は情報を得るために大学に集いました。IT技術は情報利用を便利化した反面、大学図書館の権威をなし崩しにしてきたのです。オンライン化はそれに究極の一手を打とうとしています。図書館のみならず、大学の権威そのものを失わせる可能性を秘めているのです。

知のIT化の波がアカデミズムに達しました。これから……、紙幅がないようです。その問題については次回の便で。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

《ひょうたんの眼》31 成長戦略はデジタル化でよいのか?

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酔芙蓉(すいふよう) 朝は白く咲き、夕には酒に酔ったように紅色に変色

【コラム・高橋恵一】アベノミクスによる景気の好循環や女性活躍社会など掛け声倒れの長期政権が終了し、新政権がスタートした。政権への諸疑問に対する納得いく説明もないまま。

新首相は、国民に「自助、共助、公助、絆」を呼びかけ、コロナ対策と景気回復を重要目標に、戦略目標としてデジタル化と規制改革を掲げ、具体的施策として、少子化対策のための不妊治療補助と業務の効率化のための「はんこ」廃止を打ち出した。

前首相は、少子高齢化を「国難」と言い放ったが、少子化も高齢化も人類が生活水準の高度化とともに迎える現象であって、長寿をいかに前向きに受け止めて社会経済の仕組みを構築していくか、少子社会で安心して産み育てる環境を整えるかであろう。医療福祉、教育、経済など、こちらも多面的な対策が求められている。不妊治療への保険適用に続いて、その数百倍以上の予算規模の少子高齢化対策は打ち出されるのだろうか。

「はんこ」の役割は、本人の意思確認、案件への同意・承認、権威の証明などであろう。特に、同意承認は、組織の意思決定の過程で膨大な作業になっている。しかし、本来、多数の承認が必要なのだろうか? 私の経験でも、稟議(りんぎ)書に10人以上の印が押されて決済を求められた経験があるが、押印者の1人に、案件の説明と意見を聴くと、内容を理解していない場合が多かった。

意思決定に責任を持って対応する人間だけに絞ればよいだけだ。「はんこ」を止める以前に、はんこを押す人数を減らすことが先だ。最前線、現場の実務者に、権限と責任を持たせることが真の改革であろう。

IT化で利益を得るのは誰か?

デジタル化の推進が新政権の最重点とされ、今般の新型コロナ感染対策でも、デジタル化の遅れが悪影響したといわれている。国際的にも遅れを挽回するため、デジタル庁を新設して推進するのだという。具体的には、マイナンバーカード登録を、2022年までには100%にするとか、キャッシュレス化も100%を目指すのだろう。

ところで、私の手伝っている「いのちの電話」(自殺予防のため24時間体制の電話相談)では、SNSでの相談事業も始めるが、SNS管理事業者に、登録料30万円と、月額10万円の管理料を払うことになった。

相談員は無償のボランティア、事務局は最低賃金ぎりぎりの非常勤。収入源は、有志の企業や個人の寄付金という事業である。また、小さな駅前の床屋さんは、老婦人1人で営業しているが、カード会社への登録料とキャシュレス決済の手数料が5%かかるので、お客さんの強い要請がないときは、現金決済にしてもらっているという。

IT化、デジタル化、キャシュレス化の進展で、膨大な利益を得られるのは誰なのか? マイナンバーカード登録が100%になったら、システム管理会社は10%登録時の10倍以上の収入増になるのだろう。政府肝いりの目玉政策は、御用業者の稼ぎと連動することになる。

コロナ対策と言いながら、持続化給付金やGOTOキャンペーンの事業請負業者の手数料など、コロナショックで困っている人の支援なのか、便乗業者への利益供与なのか、なんともいやらしい事態の展開である。(地図好きの土浦人)

《宍塚の里山》70 里山のドングリ

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左は雑木林に飛び込んだカケス。右上はアラカシドングリ、右下はクヌギドングリ

【コラム・及川ひろみ】ドングリの季節を迎えました。宍塚で一番多いのがコナラドングリ。次いで、アラカシドングリ、クヌギドングリ、シラカシドングリ。わずかですが、スダジイドングリも拾えます。

ドングリが落ちたところをよく見ると、気が早いものでは皮が割れ、地中に根を伸ばし始めているものがあります。ドングリは乾くと発芽率が極端に落ちますが、落下後、適当な水分があると間もなく発芽します。

しかし、多くのドングリが見られるというのに、育った若木を見ることがほとんどありません。乾燥で発芽しないドングリが多く、発芽しても、光量不足でコナラやクヌギは成長できないのです。

そこで、放置した里山では、これらの若木の更新がほとんど起こりません。シラカシやアラカシなどカシの仲間は暗い林でも発芽・成長しますから、幼木が見られますが、雑木林はコナラやクヌギ、カシ類の大きな木に覆われ、薄暗い林になっています。

明るい森づくりを目指している林、伐採が進んだ竹林など、会が活動する場所では、コナラやクヌギの若木が見られます。

ドングリの散布はほとんどが風によりますが、実は動物によっても行われています。植物は自ら動き回ることができませんが、風や動物を利用し、種子散布を行います。ドングリは大き過ぎて、風による遠方への散布は期待できませんが、実は鳥によってかなり遠くに運ばれます。

鳥の脳は意外と発達している

この季節、里山にはギャーギャーと鳴く鳥、カケスが多く見られますが、林の樹冠すれすれ、低空飛行をするカケスをよく見ると、くちばしにドングリをくわえています。冬季、餌が少ない時期に掘り返し食べるために、この季節せっせとドングリを運び、雑木林に埋めます。カケスが林に滑り込む姿には、そんな理由があるのです。

冬季、これを掘り返し食べますが、雑木林のどこに埋めたのか、よく覚えているものだと感心します。鳥の脳は思いのほか発達していることが、最近の研究で明らかになっています。

カケスが口にくわえるドングリ、一個のように見えますが、口からのどにかけて数個のドングリが入っていて、効率よく運びます。それでも、春までにすべてを掘り出すわけではなく、掘り残すドングリもあり、それが発芽します。そこで、カケスが森をつくると言われています。

これらの樹木は、春、花を咲かせ、コナラ、シラカシ、アラカシはその年の秋にドングリが実りますが、クヌギは翌年の秋、ようやくドングリになります。(NPO法人宍塚の自然と歴史の会 元代表)

《法律かけこみ寺》23 大いなる(負の)遺産

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土浦市文京町の神龍寺山門(写真は本文と関係ありません)

【コラム・浦本弘海】

「先生、こ、この手紙を見てください」

「なんだね、ピップ君」

「ぼくはピップ君じゃありませんし、先生もジョー・ガージャリーってガラじゃないでしょ!」

「ところで、手紙って?」

「そ、それがどうも先生の伯父さんがお亡くなりになったようで、先生が法定相続人になったそうです」

「はて、ぼくに最近亡くなった伯父はいないぞ」

「で、でもほら」

「うーん、誰だ?」

「誰だっていいじゃないですか。遺産が手に入るチャンスですよ」

「フッ、どうせ負の遺産なんだろ、オチがみえみえだよ。こいつは相続放棄だな」

今回のテーマは遠い親戚が亡くなって、なぜか法定相続人になってしまった場合の対処法です。少子化が進み、見ず知らずの親戚の法定相続人になる方が増えてきました。

しかも、被相続人(=亡くなられた方)のお子さんなどが相続放棄をした結果、繰り上がり(?)で法定相続人になるケースも見られます。

相続財産がプラスならまだしも、法定相続人として被相続人の借金を請求されることも。そこで今回は相続放棄について取り上げます。

相続放棄は慎重に

相続放棄の手続きは比較的簡単です。相続放棄の申述書という書類を書いて(書式、記載例はネットで入手できます)、添付書類(被相続人の住民票除票、放棄する者の戸籍謄本など)を付け、家庭裁判所に申し立てれば完了です。

申し立て先は、被相続人の最後の住所地を管轄する家庭裁判所で、費用は収入印紙800円と連絡用の郵便切手くらいです。

また、相続放棄が家庭裁判所に受理されたことを証する書面として、相続放棄受理証明書があります(150円)。

相続放棄の一番の注意点は、相続放棄ができるのは原則として相続の開始があったことを知ったときから3カ月以内ということです(民法915条1項)。あまり悠長に構えていると相続放棄ができなくなってしまいますので、特にご留意ください。

ちなみに相続財産を使ってしまうと、原則として相続を承認したことになります(民法921条)。

「ふーっ、早々に相続放棄をしたからよかったものの、危うく会ったこともない伯父の借金を背負うところだった」

「でも先生、この方、かなりの資産家らしいですよ」

「な、なにー」

こういうケースもありますので、相続放棄は慎重に。(弁護士)

《吾妻カガミ》92 つくば市長選 実績集と公約集

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3氏のポスターが貼られた掲示板=市役所前

【コラム・坂本栄】つくば市長選挙(10月25日投開票)が迫りました。市内に編集室を置く本サイトにとって市長選は最大のネタです。この5カ月の関連コラムとしては、「市長の退職金辞退に違和感」(10月5日)、「際立つ2候補の違い」(9月21日)、「市長の看板公約を検証」(8月17日)、「紙爆弾戦開始」(7月20日)、「市長選 2つの風景」(7月16日)、「市長選まで5カ月」(6月1日)―があります。青字部を押してのぞいてみてください。

立候補者は、現職の五十嵐立青さん(2月27日)、会社経営者の富島純一さん(8月31日)、元研究機関勤務の酒井泉さん(10月12日)の3人。各候補の出馬記事もクリックしてご覧ください。酒井さんは決断が遅れたこともあり、事実上、五十嵐vs.富島になりそうです。

五十嵐市政1期 合格点?落第点?

手元に五十嵐後援会・討議資料があります。地元記者クラブの横顔取材の際にもらったものですが、1期目の実績集(4年間の軌跡)です。内容は「徹底した行政改革」「安心の子育て」「頼れる福祉」「便利なインフラ」「活気ある地域」「誇れるまち」に分類され、全27施策に合格印☑が付いています。

選挙用ですから、全部「やった、やった」になっています。しかし、このリーフレットの中で、五十嵐さんが「9割以上の公約が達成もしくは順調に進んでいる」と自賛しているのを読み、強い違和感を覚えました。

というのは、市長1期目を優・良・可・不可で採点すると、私の判定は不可だからです。4年前、五十嵐さんの選挙キャンペーンの50~100パーセントが目玉公約「運動公園問題の完全解決」に注がれました。ところが、「市長の看板公約を検証」(8月17日)で指摘したように、この公約は完全未解決でした。エネルギーの過半を使って訴えた公約が実績ゼロ点ですから、他の公約が優・良・可であったとしても、総合点は不可(60点以下)=落第になります。

2度目の万博 大風呂敷?現実策?

横顔取材で配られた富島後援会の討議資料は公約集です。まず「長期ビジョン 科学万博をもう一度」と大風呂敷を広げ、主な公約として「スタジアムを整備」「市立高等学校を設置」「(6地区協議会に)学園地区とTX沿線地区を追加」「国・県・近隣自治体と連携」「中核市に移行して児童相談所・保健所を市が運営」の5施策を掲げています。

「2度目の万博」への想いを富島さんに聞くと、①2035年開催に向け教育・研究・産業などの基盤を整えるテコになる②万博を知らない若者に夢を持ってもらえる③万博報道によって新しいつくばを内外にPRできる④万博に向け国や県との関係を深められる―といった「効用」を期待しているそうです。

富島公約が面白いのは、万博と5つの主公約がリンクしていることです。万博をターゲットに、15年かけて研究学園都市を大リフォームする構想と言えるでしょう。 現職はその実績をあれこれ言われますが、夢を語れる挑戦者は楽しそうです。(経済ジャーナリスト)

《沃野一望》20 伊東甲子太郎の4 惨劇油小路

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かすみがうら市中志筑、恋瀬川右岸から見た筑波山

【ノベル・広田文世】

灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼

我(わが)ひめ歌の限りきかせむ  とて。

御陵衛士(ごりょうえじ)という名目で新選組を離脱した「高台寺(こうだいじ)組」15人を壊滅させるため、新選組局長近藤勇は、周到な手順を踏んだ。御陵衛士隊長は、元新選組ナンバー2の伊東甲子太郎、容易に倒せる相手ではなかった。

近藤勇は、甲子太郎が新選組隊内に内偵探索要員として残してきた佐野七五三之介ら4人を、ひそかにほうむる段取りを、まず、整えた。会津屋敷へ行って軍用金を受け取ってこいと命じた。4人は、毎度の用向きであり、土方歳三も同行とあって、疑いをもたずに会津屋敷へ参上、帰り際には酒肴の接待まで受けた。土方が、さりげなく席を外したときだった。別室で機をねらっていた新選組隊士が酒席へ踏み込み、槍を突き立て4人を惨殺した。新選組隊内の他の隊員に極秘の抹殺劇だった。

こうして、高台寺組への密偵者を絶ったところで近藤は、伊東甲子太郎へ宴席への招待状を送る。

すでに佐野たち4人が惨殺されていることを知らない甲子太郎だったが、招待状の裏に仕組まれているであろう策謀に、当然配慮すべきであった。事実、江戸深川佐賀町の伊東道場以来の同志篠原泰之進は、誘いを断るよう、強く進言した。

にもかかわらず甲子太郎は、敢然と近藤の誘いに乗ってゆく。甲子太郎の胸中に、過剰な自信があったことは否めない。「近藤さんは、まだ、わしの論説を頼りにしている」。さらに、万が一の際の北辰一刀流の技量にも、絶対的な自信をもっている。

高台寺組壊滅

宴は、近藤勇の妾の家で開かれた。名目はまさに、「時局についてご高説をお聞かせください」だった。策謀の隠蔽にすぎない表向きの誘い言葉だったが、近藤の、多少の本音もふくまれていたかもしれない。

宴席で近藤は、甲子太郎の弁舌にまかせ、好きに語らせた。席の意味を知り尽くした妾の孝子は、如才なく席をとりもち、甲子太郎は気分よく、いつになく酒を飲んだ。

席では何事もなく、したたかに酔った甲子太郎は、夜遅く近藤の妾宅をひとりあとにした。

謡曲など吟じながら、木津屋橋を東にわたり油小路(あぶらのこうじ)へさしかかったときだった。新選組隊士大石鍬次郎の長槍が、甲子太郎の肩口から喉を刺し貫いた。甲子太郎は、必死に反撃し、次に斬りかかる隊士を斬り倒したが、反撃はここまでだった。甲子太郎は、油小路に息絶える。さらに、遺体は、高台寺組をおびき出すために、油小路に晒される。遺体収容に向かった高台寺組の半数近くが路上に惨殺され、高台寺組は壊滅する。

伊東甲子太郎の野望は、京都油小路で無惨にも消え去った。慶応3年11月のこと。(作家)

《続・気軽にSOS》71 やる気のスイッチってないの?

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【コラム・浅井和幸】自分は、追い詰められないと物事が始められない。そう考える人は多いのではないでしょうか。やる気スイッチがあればよいのにと、締め切りギリギリ、約束の時間ギリギリになってしまうときに、思ってしまうものです。

そういう私も、今、この原稿を日付の変わるギリギリに書き始めています。あまり説得力がないことは分かっていますが、とりあえず、そんなヤツの話でも聞いてやろうかという寛容な気持ちで読んでいただけると幸いです。

まずは、やる気が起きないときに、私たちが行っていることは何でしょうか。

(1)嫌な作業であり、先々まで、いろいろと考えてしまう
(2)なんとなく、ダラダラした状態である
(3)緊張し過ぎ、「…しなきゃ」と考えれば考えるほど、身体が動かない
―などは代表的なところでしょうか。

まず、(1)です。なかなか物事を始められないときというのは、嫌なことを考えて1歩目が動かないように考えてしまっています。その作業は、嫌なことだから避けよう、始めないようにしようとしてしまうのです。

やる気というのは、行動した後に出てくるものだと心得ましょう。大掃除をするのはおっくうで先延ばしにしてしまいますが、とりあえず机の上を拭いたら、別のところの汚れも気になり始めて、さらに掃除をしたくなるという経験をした人は多いでしょう。

あまり立派な計画を立てずに、目の前の一つだけを片付けます。とりあえずで構いません。体の位置を変える、目をぐるぐると動かす、手を握ったり開いたりする、その場で足踏みをする。何か簡単にできるところを動かしてみましょう。

完璧性よりも最初の一歩が大切

(2)はリラックスし過ぎ、(3)は緊張し過ぎということになります。物事を始める前は、適度な緊張が必要です。

(2)の場合は、少し緊張に持っていくために、手で体を軽くたたいたり、「よしっ」と声を出して気合いを入れたり、顔に力を入れて、表情だけでも気合いを入れるのです。その場でストレッチや軽い筋トレを初めても、面白いかもしれません。

(3)は、緊張し過ぎているので、少々、リラックスに持っていく必要があります。その作業の好きなところを考えたり、作業が終わったらゆっくり休めるとか、褒められることを想像したりします。

少々無理やりにでも、笑顔をつくったり、笑い声を出したりしてもよいです。作業をしなければいけないと自分を追い詰めるのではなく、これができたら嬉しいことが待っていると意識するようにしましょう。

全てを完璧に仕上げることよりも、とりあえずの初めの一歩が大切であることを感じましょう。いろいろ試してみて、自分らしいルーティーンを楽しみながら見つけてみてください。(精神保健福祉士)

《電動車いすから見た景色》11 遠いようで身近な市議会

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ほにゃらのメンバーたち

【コラム・川端舞】10月18日告示、同25日投開票で行われる、任期満了に伴うつくば市長選と市議会議員選。立候補予定者のパンフレットが続々と自宅の郵便受けに入ってくる。

正直、私は今まで市政にあまり関心がなかった。国政についてはテレビのニュースである程度の情報は入ってくるが、市政については自分から進んでインターネットなどで調べない限り、情報を手に入れられない。市議会で何が話し合われ、それが自分の生活にどうかかわっているのか、イメージができなかった。

そんな私が市政に関心を持つようになったのは、ここ数年、障害者団体「つくば自立生活センターほにゃら」に関わるようになってからだ。

今年8月、つくば自立生活センターは、市長選・市議選の投票時の参考にしてもらおうと、これまでの議会ではどのように「障害」について議論してきたかをまとめた冊子『つくば市議会を「障害」でポチッと検索』を刊行した。私も冊子の中でコラムを一つ書くなど、編集に関わったが、その過程で恥ずかしながら初めて市議会の議事録を読んだ。

それまで、議会で議員がどのように質問し、どのような方々がどのように答えているのか、考えもしなかった。議事録を読む中で、議員の皆さんは私たち市民の困りごとを一般質問という形で代弁してくれていることが分かった。市議会の議事録は市議会ホームページから誰でも閲覧できる。

障害についてだけでなく、それぞれ自分の興味のあるテーマについて検索し、自分にとって重要な質問をしてくれている議員に投票してみるのもいいかもしれない。

市民団体からの提案

また、私も関わっている市民団体「障害×提案=住みよいつくばの会」では、市長選、市議会議員選の立候補者予定者に、障害者についての政策提案を渡し、賛成するかどうか、実現に向けて積極的に動くかどうかを質問している。

詳細は本サイトの記事「障害者団体が提案型公開質問状 つくば市長・市議選に向け」(10月12日付)をご覧いただきたい。

具体的な提案は6つ。いずれも障害者やその家族の生活に直接関わるものだ。障害者やその家族、支援者など、多くの人が話し合って作成した提案が、選挙後の議会でどう議論されていくか注目していきたい。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

《ご飯は世界を救う》28 学園の森の「ハレゴハン」

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イラストは筆者

【コラム・川浪せつ子】今月も「密」にならない場所を探して。数年前に2度ほど行ったカフェ「ハレゴハン」さん。つくば市学園の森の「MeeToco」(筑波ハム直売所、陣屋敷地内)にあります。久々にこちらをセレクションしたのは、テラス席があるから。席数が少ないので前日に予約しておきました。

お伺いしたのは、第1土曜日。ちょうど月1回の「陣屋市」で、筑波ハム直売所の割引とバザーが開催されていました。11時半に行ったときは、大きめの駐車場もいっぱい。コロナでも「割引」というのは求心力があるのですね。

今回食したのは「アヒージョ」というオリーブオイルとニンニクで食材を煮込むスペイン料理です。具材は魚介類やキノコのよう。初体験。

熱したオリーブオイルのスープ底には、ニンニクや香りづけの素材。フランスパンが添えてあって、漬けて食べると絶品!ですが、猫舌の私はちょっとやけど。冷ましながら時間かけて、具のエビなども。パンは別料金ですが、追加オーダーできました。

「ハレゴハン」さんは、他のお料理、そしてインテリア、エントランスも、とってもステキです。女性お2人で運営なさっているとか。オシャレって、心まで癒してくれますね。食べてお腹が満たされ、心まで温かくなったランチでした。(イラストレーター)

《遊民通信》1 「ゆうみん」がコロナ禍に思うこと

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【コラム・田口哲郎】

前略
はじめまして。みなさんは「ゆうみん」と聞いて何を思い浮かべますか? ポップスの女王ユーミンでしょうか? 今回お話したいのは「遊民」のことです。

字面から遊び人を連想されるかもしれませんが、ただの遊び人ではありません。遊民はまず街を歩き回ります。暇とお金がなければできません。金持ちという意味では遊び人ですね。でも、遊ぶと言っても飲み歩くわけではなく、日がな一日散歩をするのです。

ただ漫然とは歩きません。きょろきょろしつつ、興味を引いたものをじっと観察します。人々を、街を、自然を…。つまり、この世界のありとあらゆることを。遊民は散歩者でもあり、文明批評家でもあるのです。

私は今、2度目の大学生をしています。暇はありますが、金はないので、半遊民(貧遊民?)といったところでしょうか。

憧れの夏目漱石が学んだ東京大学に通っていますから、漱石の小説の登場人物たちのように「高等遊民」になってみたいですが、贅沢は言えません。劣等遊民でかまいません。その代わり、観察したことをお伝えしたいのです。

未曾有の社会変革の予感

アウトローとは言わないまでも、フツーの道をまっすぐ歩かずに、ウロウロ回り道してきたからこそ見えてくるものがあります。それが私のなけなしの財産かもしれません。

氷河期世代と言われた私の世代も四十路を過ぎました。バブル崩壊、平成大不況、IT革命、デフレ不況と、色々社会変化がありました。しかし! コロナ禍ほどの大変革がいまだかつてあったでしょうか? 高嶋政伸主演のドラマ「HOTEL」の名台詞(せりふ)を借りれば、「姉さん、事件です!」と、世界中に特大拡声器で叫びたいくらいです。

遊民(こう自称することをお許しください)にとって、死活問題が起こりました。コロナ禍で街から人が消えたのです。緊急事態宣言が出されている間、巣ごもりを強いられ、外出自粛を余儀なくされました。

遊民の唯一の目的である、目的無き散歩は不要・不急ですから、まずもって遊民が外出できない。仮に外に出られたとしても、人々が街にいません。人間が行き交ってこその街です。無人の街は、最初は珍しいかもしれませんが、すぐに飽きてしまうに決まっています。

ウィルスの拡大が収まれば、また元の社会が戻ってくると思っていました。が、そうではありませんでした。人間の移動はオンラインにとって代わり、街に人々は戻らず、歓楽街の灯は日ごとに小さくなっています。

6月18日の会見で安倍総理(当時)は、コロナ禍を機に国土の在り方を「集中から分散へ」「根本から変えていく」と述べました。「姉さん、事件です!」と、私はまたもや世界中いや全宇宙に叫びたくなりました。

なぜなら…。おっと、紙幅があまりありません。続きは次の便でお届けすることにいたしましょう。ごきげんよう。
草々(散歩好きの文明批評家)

  • 【たぐち・てつろう】慶應大学大学院文学研究科仏文学専攻修士課程修了。専門は19世紀パリの遊歩者について。その後、家庭教師、派遣社員などを経て、四十路過ぎで2度目の大学生。東京大学文学部在学中。興味・関心は、神秘主義、スピリチュアル、宗教、高等遊民、鉄道模型。茨城在住20年(現在は牛久市)。大阪・仙台育ち。

《続・平熱日記》71 ハトの子と動物園

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【コラム・斉藤裕之】我が家の軒先がよほど居心地がいいのか、山鳩が年中巣を掛けるのだが、先日、エアコンの室外機の下にハトの子がいるのを見つけた。産毛が少しあるが、結構大きい。巣から落ちたのか、羽ばたき損ねたのか。近づくと陰に隠れたので、そのまま放っておいた。

それからしばらくしたある日。突然、動物園に行こうとカミさんが言い出した。休日だからか、子供が小さかったころ以来の千葉の動物園は、多くの家族連れが入場門から長蛇の列をつくっていた。

実は故郷の実家のそばに動物園があって、物心ついたころからよく親に連れていかれた。小学校や中学のスケッチ大会もこの動物園だったが、動物園が主催する絵画展に1人で出かけて行って象の絵を描いていたら、地元のニュースにその映像が流れて驚いたこともある。

大人になってから、「ぞーさん、ぞーさん…」の歌は、この動物園の象をモチーフにして、同郷の偉大な詩人まど・みちおさんが作詞したものだと知った。

「そういえばあのハト、どうしたかしら?」とかみさん。「何か食べているのかなあ」「でも、親が餌を運んで与えるのを見たことないよねえ」。どうやら、ハトは親が吐き戻したものを子供に与えて育てるらしい。

フラミンゴなどが有名で、ハトの仲間がそうした習性を持つことから、その吐き戻したものを「ピジョンミルク」というそうだ。なるほどね。そういえば、そういう名前の哺乳瓶の会社があったなあ。

「わんわんランド」にも行ってみた

早速ググると、こちらの会社は平和の象徴としてハトを使っているとのこと。哺乳瓶といえば、長女は哺乳瓶の吸い口の好みが激しく、当時あれこれ試した結果、「吸い口博物館」のようになってしまった。

結局、ドイツ製のある限られた吸い口を好むことが分かった。それでもちょっとした具合のせいで、同じ製品の中でもさらに好みがあって手間がかかった。次女は全く頓着なくカミさんの母乳を本体ごと見事に吸い尽くした。

さて、カミさんは意外にもペットロスらしく、動物園に行きたかった理由のひとつは、ふれあいコーナーで動物を触りたかったらしいのだが、あいにくコロナ禍で閉まっていた。カミさん、今度は「わんわんランド(犬のレジャーランド)」に行ってみたいと言う。休日の遅い時間にもかかわらず、ここも予想外の人出で驚いた。

故郷の動物園に話は戻るが、私は、象舎の一番左側で餌を手にして柵越しに背を伸ばすと、象の鼻を触れることを知っていた。象の鼻はかたくて優しかった。「触る」ことで、人は気持ちのバランスを保つ。そのバランスは今や大きく傾いている。

また、軒先でハトの鳴き声がする。もしや巣立った子バト、お前なのか? 哺乳類と違って唇や頬を動かす筋肉も表情もないので、ハトの顔は見分けがつかない。カミさんは、あの子バトと思い込んでいるようだ。(画家)

《邑から日本を見る》73 安倍政治を検証する(3) 農業・沖縄に冷たかった!

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【コラム・先﨑千尋】安倍政治は農業、農民にとってどうだったのか。安倍前首相はかつて「美しい日本」という表現を使った。その美しい日本は、自然豊かな風景と農山村、風光明媚(めいび)な海岸線などから形作られている。そこには昔から人が住み、農業、林業、漁業をなりわいとして生きてきた。江戸時代には「百姓は生かさぬように殺さぬように」という言葉があったが、民百姓はその中身はともかく、生きてきた。

今はどうか。ここで細かい数字を挙げることは控えるが、第1次産業といわれる農業、林業、漁業いずれでも、専業で暮らしている人はほんのわずかしかいない。理由は簡単だ。それでメシが食えない、生活できないからだ。それだけではない。山間部では「挙家離村(きょかりそん)」によって集落が消滅しているところも出てきている。

現日本郵政社長の増田寛也氏は、その著『地方消滅』で、864の市町村が消滅すると警鐘を鳴らしているが、田畑、山林が荒れ、イノシシなどが跋扈(ばっこ)し、小さな漁港も消えてしまっている。それを「美しい国」と言うのか。「美しい日本」を維持するために安倍政治は何をしたというのだろうか。自分の故郷を見よ。

安倍前首相は「岩盤規制にドリルで穴を開ける」と豪語した。そして農業つぶし、農協つぶしに走った。国会の議決によってではなく、規制改革推進会議という首相のお仲間の人たちが農業現場の声を無視し、大規模化や生産・流通の自由化、農業への企業参入、農協制度の見直しなどを進めていった。

とどめは、環太平洋経済連携協定(TPP)に反対した全国農協中央会(全中)を解体してしまったことだ。「美しい」という言葉とはまったく逆のことを安倍政治はやってきた。

安倍政権が「岩盤」と言う農村社会は、人々が弥生時代から山野を切り開き、作物を育て、家畜を飼い、自然と共生しながら文化を育み、地域社会を維持してきた。それをズタズタにしたのが安倍政治だ、と私は断罪する。

「地方自治体に抑圧的な政権」

安倍政権は地方の声を拾い上げることもしてこなかった。その典型は沖縄であろう。世界一危険な普天間飛行場を名護市辺野古に移設する計画に対して、沖縄県民は県民投票や相次ぐ国政選挙でノーの声を上げ続けてきた。

しかし、安倍政権は「辺野古が唯一の選択肢。それ以外は国の安全保障に反する」と言うだけで、議論を封殺し、他の選択肢を与えない。すり寄ってくる知事や自治体には予算の大盤振る舞いをし、反対の声を上げ続けた翁長知事には面会すら拒否した。

「丁寧な説明をする。県民に寄り添っていく」と言い続けながら、実行されたことはなかった。「歴代で最も沖縄に冷たい首相。これほど地方自治体に強権的、抑圧的な政権はなかった」と沖縄の識者たちは訴えている。

沖縄、そして日本のために政権がやるべきことは、わが国にとって屈辱的な日米地位協定の改定だ。首都東京上空の制空権はいまだにアメリカが持っている。コロナ患者の米兵がこの国に自由に出入りしている。米兵が犯罪行為をしても、基地内に逃げ込めば、わが国は手出しできない。

お隣の韓国や北朝鮮には強いことを言い続けていながら、武器の爆買いなどでもわかるように、アメリカには先方の言いなり。これで独立国と言えるのか。悲しいことだ。(元瓜連町長)

《食う寝る宇宙》71 おうちで「宇宙環境シンポ」に参加

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【コラム・玉置晋】10月7日、JAXAさん主催の「宇宙環境シンポジウム」に参加、講演させていただきました。一昨年は神戸大学が会場で、茨城から新幹線を使った日帰り弾丸ツアーでした。昨年は東京都市大学横浜キャンパスが会場で、自家用車で向かったのですが、首都高で道を間違えて、渋谷駅前から「遅刻しちゃうよ~」と、下道を泣きながら横浜に向かいました。

今年の宇宙環境シンポジウムはオンライン。自宅からパソコンでアクセスして講演を聴講、さらに発表できるのはうれしいことです。上はYシャツを着ていましたが、下はパジャマだったことは、ここだけの内緒です。

ノーベル物理学賞 今年も宇宙分野

今年のノーベル物理学賞は宇宙分野から選出されました。ブラックホールの形成の証明、銀河系中心の巨大ブラックホールの存在を明らかにした、イギリス、ドイツ、アメリカの3研究者が受賞しました。

昨年は宇宙論や太陽系外惑星に関する研究が受賞していますので、2年連続で宇宙分野から選ばれました。ノーベル物理学賞は、宇宙・素粒子分野と物性分野が1年毎に選出されるのが恒例でしたので、驚きました。

オンライン授業か 対面受業か

10月に入り、大学は後期授業が始まりました。僕が所属する茨城大学でも、一部の授業で対面での授業が開始されたようです。「ようです」と、他人事な表現なのは、僕が仕事にかまけて全く登校していないからです。

不真面目な学生のことは置いておいて、学生の皆さんにとって、オンライン授業と対面受業ではどちらが有益なのでしょうか。キャンパスライフを楽しむ、研究室での活動となると、対面に優位性を感じるのですが、授業となると果たしてどうでしょうか。

先生の立場、学生の立場、それぞれから聞いてみたいものです。パジャマじゃ、対面授業には出られないしなあ。僕はオンライン派かな。(宇宙天気防災研究者)

常磐線普通車両 土浦駅2番線

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常磐線普通車両=土浦駅2番線

【コラム・塚本一也】つくばエクスプレス(TX)が開通して、北千住駅での乗り換えが非常に便利になった。橋上のコンコースで、常磐線や東武線と乗り換えが可能となり、地下へ移動すれば、千代田線とも乗り換えができる。これで東京の都心や繁華街をほぼ網羅することになるが、唯一アクセスが改善されなかったのが新宿方面である。

アプリを使って検索すると、幾つかのルートが候補となるが、乗り換えや所要時間を考えると、いずれも決め手に欠けるように思う。

私は拙著の中で、常磐線を、墨田操車場から田端操車場経由で山手貨物の線路を使い、池袋から新宿・渋谷方面へ走らせる「常磐新宿ライン」を提案したことがある。私の提案以前に、常磐線の輸送力増強のために、ある研究機関がその実現可能性を調査したことがある。

当時とは事情がだいぶ変わっており、埼京線や湘南新宿ライン、果ては相鉄線までもが山手貨物を利用して新宿・池袋方面へ直接乗り入れするようになった。現在では、山手貨物のダイヤがきつくなっており、また常磐線も利用者が減少していることから、その必要性を唱える者は私ぐらいであろう。

東京駅の後は新宿へのアクセス

しかし、本来であれば、上野東京ラインで東京駅へ乗り入れを果たした後は、東葛地区や茨城県が構想すべき鉄道網の整備は、新宿へのアクセス改善である。TXが臨海方面へ延伸する計画が取りざたされており、秋葉原から中央線と並行して新宿へ進む可能性はほぼ断たれている。

だが、歴史的に見て、千葉県や埼玉県が東京へのアクセスを計画した時に、どのような施策をとってきたかを考えれば、新宿へのアクセスがいかに重要であったかがわかる。

総武本線は快速が東京駅に乗り入れて横須賀線と直通運転をしている一方、緩行線はお茶の水から中央線へ乗り入れして新宿へ向かっている。京浜東北線が大宮から東京へ向かえば、埼京線は新宿へ向かっている。このように首都圏の鉄道網は、東京への乗り入れを果たした後は、新宿への乗り入れを実行してきたのである。

茨城県は東京への鉄道アクセスに関しては後発である。その間、東京の開発も変化をしてきた。都庁が新宿へ移転した後に、次の開発地域として湾岸地区から臨海地区が注目されている。茨城県には、将来を見据えた戦略的な鉄道の計画が求められている。(一級建築士)

《映画探偵団》36 センタービル改造資金13億円の使いみち

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【コラム・冠木新市】つくば市議会の9月定例会で、1人の市議が「つくばセンタービル改造計画」に疑問を投げかけた。議会が終了して数日後、「いがらし立青活動報告第8号」(9月19日付)がポストに入っていた。表紙には「ソトカフェ始まりました!」、裏には「中心市街地に関する取り組み/センタービル・センター広場のリニューアル」との記事が出た。

次は、「広報つくば10月号」(10月1日付)に、初めて内容を発表するかなと想像した。しかし「ソトカフェ」と「中央公園の噴水」のことしか出ていなかった。

議会で質問した市議のチラシ(10月2日付)が投げ込まれた。「今年度中につくば市は市税6000万円投入」とのタイトルで、「アイアイモールの場所と地下市営駐車場(資産価値14億~16億円)を現物出資してまちづくり会社を設立し、貸しオフィスを運営させる予定です。まちづくり会社の経営収支も工事内容も明らかになっていません。市民の意見を取り入れ再考を!」とあった。

10月2日(金)と3日(土)の夕方5時から8時過ぎまで、ソトカフェに行き友人とビールを飲んだ。人はまばらだった。三密を避けるのだからそれはよい。しかし、あまりにも暗い空間だ。せめて照明を用意するとか、広場を囲むようにイスとテーブルを配置するとか、もうひと工夫あってもよいのではないかと思った。ビールの店も早々と店じまいしてしまった。そんな暗い空間である映画を思い出した。

マーロン・ブランドの『ゴッドファーザー』

美人の娘をレイプされた父親が、犯人のチンピラを殺して欲しいとマフィアのボス、ビト・コルレオーネ(俳優はマーロン・ブランド)の暗い書斎で懇願する。外では、陽光の下コルレオーネの娘の結婚式が盛大に開かれている。庭と家の中の明暗の対比が絶妙な効果をあげていた。これはマフィアの権力闘争と家族史を描いた有名な『ゴッドファーザー』(1972)である。

監督は『グラマー西部を荒らす』(1961)というヌード映画でデビューし、ほとんどヒット作のなかったフランシス・フォード・コッポラ。この1作で世界的監督となった。

それから1作目をしのぐ『ゴッドファーザーpartⅡ』(1974)が作られ、アカデミー賞を総なめにする。『ゴッドファーザーpartⅢ』(1990)では、コッポラの娘ソフィア・コッポラを出演させるが、娘の演技とともに批判の的となり、アカデミー賞は取れず無冠で終わった。その後ソフィアは父親のあとを継いで映画監督になり、アート系女子の評価を勝ち得る作品を何本も作った。

現在、『ゴッドファーザー』製作の内幕を描く全10話のドラマが米CBSテレビで、また監督と製作者エヴァンスとの関係を描くメイキング映画も作られているという。コッポラ自身も、『partⅢ』の導入部と終結部を作り直したファイナルカット版を12月に発表するという。

映画探偵の私にとって映画とは、企画から脚本、撮影時から宣伝公開、観客の反応、評論、その後の経過、続編など全て含むものだ。その意味で『ゴッドファーザー』はまだ進行中であり、50年近く見ている作品となる。

新作『ツクバ・センター・ゾーン』?

世界で評価された『つくばセンタービル』(1983)も映画のような作品である。あと3年で40周年を迎えるわけだが、センタービルのメイキング本や記録映画はないに等しい。

そこで1市民の提案なのだが、改造資金の13億円を使い、センタービルのメイキング映画『ツクバ・センター・ゾーン』を作ったらどうだろうか。監督はソフィア・コッポラが適任だと思う。きっと、若い女性に支持される美しい作品に仕上げてくれるはずだ。

世界的な話題にもなるし、作品はつくば市、いや茨城県、いや日本の財産となると考える。暗い空間(?)で改造計画を考えた人、いかがであろうか。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

《くずかごの唄》70 小学3年生の戦争体験

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【コラム・奥井登美子】NHKの朝ドラ「エール」に戦争中の町が出てくる。割烹(かっぽう)着を着た愛国婦人会の集団。見た途端に私の脳味噌に釘(くぎ)が刺さってしまった。

小学校3年生の時だった。校庭に「奉安殿(ほうあんでん)」と呼ぶ一郭(いっかく)があり、神様であられる天皇陛下の写真と勅語(ちょくご)が収められていた。生徒は毎日、「奉安殿」に向かって最敬礼しなければならない。戦争に市民の意識を駆り立てるには神様が必要だったのである。

「天皇陛下は神様です。何か質問ありますか」

「天皇陛下はお食事をなさいますか?」

「なさいます。皇族ご一家のお食事の写真が新聞に載っていました」

「食べ物を召し上がって、お小水、お大便は、なさらないのですか?」

「そういう質問をする人は、警察に連れていかれます」

先生はぶるぶる震えて怒っている。私は聞いてはいけない質問をしてしまったらしい。

愛犬を連れ去った「愛国婦人会」

父は米GE社から電気冷蔵庫を輸入し販売していた。銀座西8-1にあった会社「尚榮精機株式会社」には社員が30人近くいて、昭和のはじめ、電気冷蔵庫1台は家1軒分の値段だったという。ホテル、歌手、映画俳優などが競って買ってくれた。

新聞の1面の一番目立つ所に会社の広告を出したこともあった。しかし、アメリカとの戦争で輸入はストップ。父は仕方なしに、江戸川区の平井に工場を造り、今まで売った電気製品の修理で、少なくなった社員と家族を養っていた。

神様のオシッコの質問をして先生にすごく怒られたと、父に話したら、笑いが止まらなかったが、褒めてくれた。先生に叱られ、クラスの友だちから疎んじられ、父に褒められる。その落差の大きさ。神様と人間の具象と抽象がわからない3年生の私は、ノイローゼみたいになり、鬱々(うつうつ)としていた。

ウツの私を慰めてくれたのが、我が家の愛犬サリーだった。サリーはそのころ、私の唯一の親友だった。少したって、私は4年生。サリーを連れて荒川土手を散歩している時、3人の割烹着を着た愛国婦人会の人たちに会ってしまった。

「戦争中なのに犬なんか飼って、非国民です。住所と名前を言いなさい」。サリーはその日のうちにどこかに連れていかれ、殺されてしまった。あれから70年以上たつ。しかし、今でも割烹着を着た女の人の集団を見ると、身の毛がよだつのはなぜなのだろうか。(随筆家、薬剤師)

《土着通信部》41 振り向けば駅そば 耕作放棄地再生の白い花

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白い花が一面に広がるそば畑=阿見町荒川本郷

【コラム・相澤冬樹】振り向けば、ひたち野うしく駅近くの阿見町荒川本郷に、一面のそば畑が広がっている。なだらかにうねる丘陵は今、白い花ばなに覆われ、収穫の秋(とき)を待っている。6年前は荒れるに任せる耕作放棄地だったといわれても、にわかには信じられない景観の変わりようだ。

地元の認定農業者、斉藤正義さんのそば畑は合わせて4.2ヘクタールにもなる。水稲とショウガを主力に16ヘクタール規模で営農してきた斉藤さんが、常陸秋そばの栽培に踏み切ったのは2015年のこと。町が茨城大学農学部の協力を取り付け農家に呼び掛けた「美味しいそばプロジェクト」がきっかけだった。

農業従事者の高齢化、後継者不足の進行とともに拡大した同町の耕作放棄地率は、2010年当時31.2%(県平均14.6%)に達していた。この対策から畑作支援に乗り出した町が、そばづくりを推奨した。「常陸秋そばの場合、夏に播種して(稲刈りの終わった)11月には収穫できる。この間比較的手間がかからない」(町農業振興課)作業性に目をつけた。

茨大農学部の小松崎将一教授の指導で、栽培には学生らも参加。たんぱく質含量の多い、食味に優れたそばが育った。ここ2年、開花時期を台風に直撃され、収量ダウンや価格の低迷に見舞われたものの、町内の作付面積は6年目の今年、80ヘクタール超に達した。町の畑地面積のほぼ1割に相当する。15年以前には町内で一切、そばづくりは行われていなかったのだから、その分耕作放棄地の解消や抑制に役立ったといえる

土浦市では新治地区で73ヘクタール(2019年)を作付・販売する市農業公社の契約栽培が大半だから、JA水郷つくばを介してのそばの出荷は阿見そば部会が主力を担うようになった。斉藤さんは昨年、全国そば優良生産表彰と県そば共進会優秀賞をダブル受賞するまでになった。秋に収穫を終えるとムギ栽培に切り替える輪作を行っている。

同町では今後の経営安定には、さらなる品質向上が必要とみて、茨大農学部と共同で実証実験を進めている。「特に土づくりが重要という認識で一致している。事前にヒマワリなどを育て、播種前に土壌にすき込んで緑肥とすることで、たんぱく含量に効果が表れるなどしている」という。

同町産のそばは町内のそば店4店で味わえるほか、土浦市や常総市のそば店でも一部扱っている。詳しくは阿見町農業振興課(電話029-888-1111)まで。

《つくば法律日記》12 スポーツの意義 「体育の日」のこと

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堀越氏の事務所がある「つくばセンタービル」

【コラム・堀越智也】皆さんは、日ごろスポーツの意義を考えることがあるでしょうか。あるとしたら、どんなときでしょうか。僕の場合、好きなプロ野球のチームが不甲斐(ふがい)なく負けたときに、なんで大の大人がボールを投げたり打ったりする遊びみたいなものを真剣に見て時間を使ってしまうのだろうと、後悔とともに考えます。そして、それを何年も繰り返しています。

ところで、国民の祝日に関する法律の改正により「体育の日」が「スポーツの日」という名前に変わり、しかも今年は10月の第2月曜ではなく、7月24日だったことをご存じでしょうか。僕は知りませんでした。だって、いつも使っているgoogleカレンダーには、7月24日になってはいるけど、「体育の日」と書いてありましたから。

体育の日は、もともと1964年の東京オリンピックの開会式の日にちなんで10月10日でした。それが、国民の祝日に関する法律が改正され、10月の第2月曜になりました。いわゆる「ハッピーマンデー法」というやつです。

そして今回の改正では、体育の日という名前だと学校の授業が連想されるため、老若男女に広く親しまれるようにと「スポーツの日」という名称に変更されました。さらに今年は、東京オリンピック・パラリンピックの開会式が7月24日ということで、例外的に7月24日に移動したのです。

そのため、10月の第2月曜は休みではありません。ご注意ください。また、東京オリンピック・パラリンピックが来年に延期されたので、来年も7月23日がスポーツの日になる予定です。

阪神・大山選手のホームランが見たい

最近の法律は、作られるときも改正されるときも、たいてい目的がはっきり定められます。内閣府の発表によると、今回の名称変更の目的は「スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培うとともに、健康で活力ある社会の実現を願う」だそうです。

スポーツの意義は、人それぞれであると思いながらも、それはそれで納得ですが、冒頭に述べたように、僕が好きなチームが不甲斐なく負けても、また応援してしまうスポーツとは何なのか―という疑問に答えられてない気がします。

簡単な打球を何度もエラーして、その数が12球団ワーストになるのを見ている、そんな僕には、近代オリンピックの創始者クーベルタンの「勝つことではなく参加することに意義がある」という言葉も、背中に染みるはずもありません。

それでも、阪神タイガースの大山悠輔選手がホームランをかっ飛ばし、球場に六甲おろしが響き渡ってチームが勝つと、そんなもやもやも吹っ飛び、また見たいと思います。法律では語り切れないスポーツの意義が、そこにある?

つくば秀英高校出身の大山選手がホームラン王になって、この「NEWSつくば」や「ラヂオつくば」に出てもらうことを願う2020年10月。(弁護士)