【コラム・川端舞】前回までのコラムで、障害のある子どもとない子どもが同じ教室で学べる学校は、全ての子どもが安心して過ごせる環境だと偉そうに書いたが、障害のある子どもが普通学校に通うことに完全には賛成できない気持ちもある。矛盾していると自分でも思うし、情けないとも思う。

高校の卒業式が終わった夜、私は母を怒鳴った。「なぜ自分を普通学校に入れたのか」と。22年前、私が小学校に入学するとき、重度障害のある私を普通学校に入学させるために、両親は何度も、特別支援学校への入学を勧める教育委員会と交渉した。小学校入学後も、低学年の頃は、毎年「次年度は特別支援学校が適当である」という通知が家に届いたそうだが、両親は私を普通学校に通わせ続けた。

そんな母を高校の卒業式の夜に私は怒鳴った。「特別支援学校に行きたかった」とも言った。高校時代まで、自分以外の同級生はみんな健常児という環境で育った私は、言語障害のある自分は気軽に話してはいけないと思っていた。その反面、気軽に話せる友達がずっとほしかった。同じような障害のある子がいる特別支援学校なら、もっと友達ができたのではないかと思い、自分を普通学校に通わせた母を怒鳴ってしまった。

一緒に考えてくれる人の存在

しかし、私が学校で話せなかったのは、私に障害があるからでも、普通学校に行ったからでもない。障害児も普通学校に通うことが当たり前の環境で、どうすれば言語障害のある私でも他の子どもと関われるようになるのかを一緒に考えてくれる先生がいてくれたら、当時の私も安心して同級生と話せたかもしれない。同じ学校に自分以外にも様々な障害のある子が通っていて、障害のある子とない子が入り混じって過ごしていたら、「自分もここにいていいんだ」と思えたかもしれない。

障害のある子とない子が同じ教室で学び、できないことはお互いに助け合うことで、障害のない子にとっても安心して過ごせる環境になることに異論はない。

しかし、障害のない子がたくさんいる教室に、障害のある子が1人だけいる環境だったり、どうすれば他の同級生とうまくかかわれるのかを一緒に考えてくれる人がいない環境だったりしたら、障害のある子が孤立してしまう可能性もある。自分と同じような経験は誰にもしてほしくない。インクルーシブ教育を考えるとき、無意識にそう思ってしまう。それが今の等身大の私である。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)