月曜日, 4月 29, 2024
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ハウスメーカーよりも低い原発の耐震基準 《邑から日本を見る》136

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原発を止めた理由について話す樋口元裁判長

【コラム・先﨑千尋】「被告は大飯発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない。ひとたび深刻な事故が起きれば、多くの人の生命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業に関わる組織には、…安全性と高度の信頼性が求められて然るべき」

2014年5月の福井地裁大飯原発運転差止め訴訟の判決の冒頭の文だ。判決文を書いた樋口英明さんは、その後積極的に講演に歩いている。また、「原発を止めた裁判長-そして原発を止める農家たち」という映画にもなり、昨年9月から公開されている。

「三井ホームは5115ガル、住友林業は3406ガル。それに対して原発は620から1209ガル。原発の耐震基準は一般住宅よりも低い。とてつもなく危ない」。これでは、怖くて原発を動かせないではないか。私は5月13日に東京で開かれた「脱原発をめざす首長会議」の総会に合わせて開かれた講演会で樋口さんの話を聞いて、背筋が寒くなった。

樋口さんが原発の再稼働を止めるべきだとしている根拠の最も大事なことは、日本は地震大国であるのに原発の耐震性が極めて低いことだという。東京電力福島第1原発事故の時の震度は6強、800ガルだった。ガルは原発の耐震設計基準(基準地震動)に用いられる単位であり、地震観測でも震度以上に重要な単位とされている。

樋口さんの集めたデータでは、2000年以降でも1000ガル以上の地震は17回起きており、被害が大きかった熊本地震は1740ガルだった。私たちの近くにある東海第2原発は現在1009ガルに設定されている。

「原発は自国に向けられた核兵器」

樋口さんはさらに、日本の原発は岩盤の上に建っているから安全だという原発推進派の主張に真っ向から反論する。東海第2もそうだが、日本の原発の半分は岩盤の上に建っていない。さらに、岩盤上の揺れが地表上の揺れよりも大きい場合があった、と指摘する。

「地震は、観測も実験もできない。資料もない。要するに、地震のことは専門家にも分からないのだ。それなのに、原発の敷地に限っては強い地震は来ないというのが原発推進派の言い分だ。この主張を認めるかどうかが原発差止め訴訟の本質だ」。

「老朽原発は、老朽家電でも老朽自動車でもない。老朽大型飛行機に似て、コントロール不能になってしまう。想定外の事故が想定できる。日本には、青森県六ヶ所村の核燃料サイクルが破綻していることで分かるように、高い技術力も能力もない。原発は自国に向けられた核兵器だ」。

樋口さんの語りは、ゆっくりで淡々、理路整然としている。パワーポイントで示されるので分かりやすい。

最後に、「無知は罪、無口はもっと罪」という言葉を引いて、私たちに「原発の本当の危険性を知ってしまった以上、それを多くの人に伝えるのが自分の責任だ。私の話を聞き、本を読んだ人も、自ら考え、自分ができることを実行してほしい」と静かに話した。私の心に響いてきた。(元瓜連町長)

<追記> 樋口英明『私が原発を止めた理由』(旬報社)も参考にした。

東北花火紀行2023春/大曲~陸前高田 《見上げてごらん!》14

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組み合わせ写真は筆者が作成

【コラム・小泉裕司】

大曲の花火~春の章~4.29

大会プログラムの一つ、45歳以下20人の花火師による「新作花火コレクション」に出品した山﨑煙火製造所(つくば市)の佐々木恵(けい)さんは、10号玉芯入割物の部で見事初優勝(大会結果)。作品名は「昇曲導付三重芯菊先銀点滅」(筆者撮影)。

筒から打ち出された花火は、「曲」と呼ばれる小さな花を開きながら上昇し、最高点で星が尾を引きながら4つの同心円(外側の円は芯に数えない)を描く菊型花火。消え際に銀色の煌(きら)めきを発する。

山﨑煙火は、昨年の土浦10号玉の部「五重芯銀点滅」で優勝、本年、創業120周年の節目を迎える老舗中の老舗。今や名実ともに不動の地位を確立した現会長の山﨑芳男氏の十八番(おはこ)は、脈々と弟子達に受け継がれ、「多重芯の山﨑」「銀点滅の山﨑」と言われるほど。

その完成度の高さ・安定度では、国内、野村花火工業(水戸市)と双璧をなす。本日、11月4日に土浦全国花火競技大会開催決定との報。茨城勢は今シーズンも盤石の予感。

陸前高田~三陸花火大会~4.30

「春の三陸 奇跡と軌跡」。大会翌日の某全国紙は、「奇跡の一本松」のモニュメントと彩り豊かな花火を重ねた写真を掲載し、再生が進んだ花火会場周辺をこう表した。

2014年、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市を訪れた。近くの山を切り崩した岩や土を被災地域に運ぶベルトコンベアが、はるか高いところを石油パイプラインのように縦横に走る光景に圧倒された。

あれから9年、広大でフラットな海岸沿いは、大きな復興工事が終了し、津波被害を伝える「津波伝承館」や新商店街が整備されるなど、変容した高台からの眺めは、感慨深く、想念を巡らした。

2012年3月、土浦市立真鍋小学校、土浦第二中学校の児童・生徒はじめ40人近くが陸前高田市を訪れ、桜の植樹に参加し、地元住民と交流。真鍋の桜保存会は、県の天然記念物「真鍋の桜」のクローン苗1株を寄贈した。当時の桜は、2年後の2014年に根付いたのを、そして今回、緑の葉が幾重にも生い茂り、順調に育っているのを確認し、ほっとした次第。

大手食品スーパーのカスミ(つくば市)は、小浜裕正前会長のご縁をきっかけに、2011年から復興支援カレンダー「明日暦(あしたごよみ)」による募金活動をスタート。翌年からは、地域を越えた交流活動「陸前高田七夕まつり体験学習」など、陸前高田の復興支援に取り組んできた。

筆者は、暦を初編から複数部入手。職場の壁面に掲示し、月ごと、地元の皆さんの笑顔とメッセージコピーから届く逆エールに励まされたことを思い出す。

「三陸花火」は、こうした被災地支援活動の一つとして、2020年10月から始まった。土浦と大曲両大会で内閣総理大臣賞を受賞した㈱マルゴー(山梨県)が打ち上げを担当。年2回春・秋に開催。今回もコズミック(宇宙)系といわれる得意の時差式花火(筆者撮影)満載のプログラム。

次回は、今年の10月8日、「大曲の花火~秋の章~」の翌日に開催予定。東北花火紀行は、秋の編に続く。

「雨雲が近づいているようです」。大曲の会場入口で遭遇した花火鑑賞士仲間の情報は、冷雨で体の芯まで凍えながら見た1年前を想起。昨年、実行委員会本部長が参拝し、無事終了した土浦の実績(昨年11月20日掲載コラム)を踏まえ、天気の神様「気象神社」(東京高円寺)のお守りを持参したのだが、不用意にもホテルに忘れたことを後悔した。

結果は、風向きによる多少の煙待ちはあったにせよ、打ち止めのアナウンスまで、8000発の打ち上げをコンプリート。「天気よければ、すべて良し」。本日は、この辺で「打ち止めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

人のせいにすると言う生き方《続・気軽にSOS》133

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【コラム・浅井和幸】私たちは、出来事や物の一つ一つに対して「良い」「悪い」とラベル張りをする癖があります。そして、「悪い」ものがあるから悪いことが起こると勘違いして生きています。

例えば、塩や油は「悪い」、ゴマや発酵食品は「良い」と決めつけて生活しています。そして、それら「悪い」物を食べたら不健康になり、「良い」物を食べたら健康になると思い込んで生きている。

ここまで読めば、食べ物と健康の良し悪しは、そう単純ではないと考えられる人がほとんどではないかと思います。それでも振り返ると、誰もが(と言ってよいでしょう)、このように決めつけて過ごしていることに気づくでしょう。

なので、「人に優しくすることは良いことですよね?」「直観に頼ることは良いことですよね?」とか、「ゲームは良くないですよね?」とかと質問されても、「良いこともあるし悪いこともある。目的と程度問題と思いますよ」と答える浅井は、「優柔不断で、つまんない奴」と思われがちなのです。

特に人は、自分が認められていない、褒められていない状況が続くと、不安が大きくなり、「あなたは悪くない」と言ってくれる人を探し、確認を繰り返します。その段階では、現実問題の改善ではなく、心理的な落ち着きのためにカウンセラーや周りの人の共感が必要なのは事実です。

共感と同感は別物で、同感や是認を繰り返しすぎると、強迫性障害などへの悪影響がありますが、それはまた別の話です。

「悪いのは自分でなく社会の方だ」

不安が大きくなると、「自分は何も悪くない。悪いのは社会の方だ。自分を生んだ親が悪いのだ。日本が間違っている」と、今の不安や辛さは何か「悪い」ことがあるからで、原因を探す日々を過ごします。とても辛いことです。

もちろん、社会や日本が変わるまで、じっと何十年も待つという方法もあるでしょう。しかし、それら「悪い」ものにアプローチすることや、自分の目的に向かう自分自身の言動や受け止め方へのアプローチも一つの方法です。

物事の良し悪しは、程度問題と目的に合った手段を取れるか取れないかです。傘をさすこと自体は、良い事でも悪い事でもありません。ですが、雨をよけるには有効な手段ですし、人や物が密集しているところで傘をさしたら邪魔になるかもしれません。

雨が降って濡れることが嫌である場合、なんでこの地球には雲が発生するんだ、雨がすべて悪いと考え続けて苦しむか、傘をさすか、着替えるか、予定を変更するかなど、自分が対応して未来を変える方法を探ることもできます。

自分の目的を達成するために、自分が動くことで未来が変わったことを実感できる―。それで、生きている喜びにつながり、不安がなくなるという状況に毎日の生活が変化することに気づく人が増えるよう願っています。(精神保健福祉士)

友よ、一緒に社会を変えていこう 《電動車いすから見た景色》42

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筆者(左)と友

【コラム・川端舞】前回のコラムで書いたように、先日、故郷の群馬で開催されたプレゼンテーション大会で、重度身体障害がありながら、障害のない同級生と同じ学校に通った経験を話した。「ぜひ群馬で川端の経験を話してほしい」と、その大会に私を推薦してくれたのは高校時代の友人。友人は、生まれたときに割り当てられた性別は女性だが、今は男性として生きているトランスジェンダー当事者だ。

多くの建物の入り口には段差があり、車いすで入れない。言語障害のある者が話すと、多くの人は困った顔をし、本人と直接話すことを諦める。今の社会は障害者にとって生きづらい。しかし、それは障害者が悪いわけではなく、障害者の存在を前提につくられていない社会の問題だ。この考え方を「障害の社会モデル」と言い、国連の障害者権利条約もこの考え方を取り入れている。

一方、友人と話すうちに、就職面接など、人生において重要な場面ほど、性別を聞かれ、制服やトイレなど、あらゆるものが男女別に分けられる社会はトランスジェンダーにとっても過ごしづらい環境なのだと気づいた。それはトランスジェンダーが悪いわけではなく、トランスジェンダーがいることを前提に社会がつくられていないのが問題だ。

もちろん、男女別の制服や施設が心地よい人もいるだろう。その人たちの意見は決して否定しない。だから、トランスジェンダー当事者にとって、心地よい制服や施設のあり方はどのようなものかも直接聞いてほしい。それぞれが心地よくいられる、全く新しい制服や施設のあり方が見つかるかもしれない。そうすることで、多様な人が過ごしやすい社会に変えていける。

高校3年分の絆

1年ほど前から、頻繁に友人と連絡を取るようになり、互いの子ども時代のことも聞き合った。その過程で、「障害者もトランスジェンダーも生きづらいのは社会の問題である」という共通認識を持て、いつしか「一緒に社会を変えていこう」と話すようになった。全く初対面の障害者とトランスジェンダーが、ここまで仲間意識を持つのは難しいかもしれない。

しかし、友人と私は、高校3年分の楽しかったこともしんどかったことも共有できる。改めて、多様な背景を持つ子どもたちが同じ教室で育つ大切さを、彼との関係から学んでいる。互いの周囲にも影響を与えながら、ともに暮らしやすい社会に変えていこう。(障害当事者)

雑草の美学 デザイナーとしての牧野富太郎 《くずかごの唄》127

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】手元にある「薬用植物大事典」をぱらぱらと開けてみる。シとセの所だけでも、シャリンバイ、オオショーガ、ベニショーガ、センキュー、センダン…などの植物名の後ろに、MAKINOとある。皆、牧野富太郎先生が命名した薬用植物たちである。

植物名の判定は、国際的にも、学問的にも、いろいろな判定基準があって難しい。先生が最初に植物学の知識を学んだのは明治13年(1880)。「本草綱目啓蒙(ほんぞうこうもくけいもう)」(1803 – 1805年刊、小野蘭山著)という薬用植物の本であったらしい。

牧野冨太郎が大事典を発刊するまで、日本には植物図鑑に相当するような本がなかった。明治時代は、この本が植物名の検索に欠かせないものだったのであろう。

私の学生時代、牧野先生の家に行ったとき、どこが玄関か入口なのかわからないくらい、雑草と雑木が生い茂っていて、どこから入って行けばいいのか困ってしまった。

「雑草と言ってはいけません」。先生にとって、雑草こそが大事な大事な「恋人」の一部だったのだ。

野の草は無駄を一切排除している

私もささやかな家庭菜園をつくって、昆虫の観察と、野菜らしくない野菜の栽培を楽しんでいる。小さな畑ながら、目的もの以外は抜くしかない。

「ごめんね。抜くしかないけれど、あなたヒメジオン? ハルジオン? どちらなの? 花びらの幅が広いのと狭いのと、どちらがお姫様だったっけ?」

抜きながらお姫様に語りかけて、形を鑑賞する。小さな花なのに、花粉の形や花びらの位置が完璧なまでに見事に完成している。

雑草と呼ばれている野の草は、どの草も子孫を残して生き延びるための知恵として、無駄なものを一切排除しているから美しいのだ。

野の草の美学。牧野富太郎先生は草のデザイナーとしてすごい才能を持っていたと思う。牧野植物図鑑に描かれた絵の緻密で無駄のない美しさは、雑草の美学なのだ。(随筆家、薬剤師)

子守唄が国境を超える日《映画探偵団》64

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】「歌は国境を超える」とは分かっているつもりだったが、7月1日に開催する『第1回 世界のつくばで子守唄/海のシルクロード・ツアー 2023』の準備を進めるなかで、改めて再認識させられた。

ミャンマーの歌い手は、戦後2度ヒットした『この歌が終わる前に』が今回の企画まではミャンマーの歌だと信じていた。中国の歌い手は、大ヒットした『祈り』は中国の歌だと思っていたが、実は1970年代に台湾のTVドラマ『愛の旋風』の主題歌が海を渡り広がったものだと教えてくれた。

ところが、この2つの元歌は、なんと日本の『竹田の子守唄』なのである。日本では差別を意味する歌としてあまり歌われなくなったが、歌詞や意味が変わり、他国で歌われている。しかも、自国の歌のように。

『サウンド・オブ・ミュ一ジック』

昔、学校の映画鑑賞会で米国映画『サウンド・オブ・ミュ一ジック』(1965)を劇場に見に行った。3時間近い作品を夢中になった記憶がある。鑑賞会後の同級生の熱狂ぶりはすさまじかった。何度も劇場に通ったり、レコードを購入し、ジュリ一・アンドリュースの歌を披露していた姿を覚えている。

私が気になったのは、ミュ一ジックナンバーよりも、トラップ一家がナチス・ドイツから逃れ、山を越えスイスに向かうラストシーンであった。トラップ一家はその後どうなったのかが気になった。当時は情報も少なく、ブロードウェイの舞台を映画化したものとしか分からなかった。

何十年も過ぎ、ビデオ店で西独映画『菩提樹』(1956)を見つけ納得がいく。原作は、オ一ストリア・ザルツブルクのマリア・フォン・トラップの自叙伝『トラップ・ファミリー合唱団物語』(1949)を映画化したものである。第1作公開の2年後に製作された『続・菩提樹』(1958)では、米国に渡ったトラップ一家の経済的苦労やシヨ一ビジネス界との葛藤が描かれていた。『サウンド・オブ・ミュ一ジック』は、この作品の前篇のリメイクだった。

空前の大ヒットになったのに、この映画の続篇が作られなかったのが謎だった。しかし『続・菩提樹』を見て理解できた。オ一ストリア篇の華やかな世界に比較すると、米国篇は世帯じみたお話になって地味だからだ。今にして思えば、『サウンド・オブ・ミュ一ジック』は、裕福なトラップ一家が難民になる話を描いていたわけである。

『世界のつくばで子守唄』

5月13日、『世界のつくばで子守唄』実行委員会を開いた。バングラデシュ、インドネシア、中国の歌い手も参加して、次々にアイデアが出る。今回の目的は「子守唄で世界の人々との交流する場をつくる」ことにある。コンサートに向けて実行委員と歌い手、さらに参加者との交流を大事にしている。

同じ日と14日、『つくばフェスティバル』がセンター広場で開かれていた。初日は雨、翌日は曇り~晴れとなった。『世界のつくばで子守歌』に出演する歌い手が出店したり、ステージに関係していた。故郷の食べ物を懸命に作って売り、昔と今の民族音楽や舞踊を披露する姿を見て、『サウンド・オブ・ミュ一ジック』の続篇に近い世界がつくばにあると思った。

「歌が国境を超える」のではなく、「人が国境を超え、歌を伝える」のだ。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

茨城県フラワーパークのバラ 《ご近所スケッチ》4

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茨城県フラワーパーク=イラストは筆者

【コラム・川浪せつ子】バラの時期がやってきました。毎年、ウキウキ気分。でも今年は様子が違うのです。4月中旬になると「早く咲いてほしいなぁ」と思うのですが、今年は4月半ばに咲いた我が家のバラ。今までと比べると、1カ月も開花が早いのです。

以前は5月半ばでしたが、昨年は連休中に。そして今年は4月中旬に! このようなところにも、温暖化の影響があるのかもしれません。うれしいですが、ちょっと微妙な気持ち。

今回の茨城県フラワーパークは、我が家より少し北の方に位置するので、見ごろはこれからでしょう。ここには何度もスケッチに行っています。このお気に入りの場所を描くのも、4枚目くらい。初めてスケッチに行ったのは、東日本大地震があった2011年3月11日でした。

スケッチを終え、筑波山を越えて帰宅する途中。車がユラユラするので、見晴らし台のパーキングで休憩。そうしたら、知らない男性が車のドアをたたいて、「たいへん! たいへん! 地震だ~!」。それを聞いて、「まぁ、大げさな」。山を下る途中、道路中央に大きな岩、道路のあちこちにヒビ。

「道路公団さん、手抜き? 早く直してほしいわ」。もっと行くと、温泉街。「なんで、従業員の皆さん、建物の外に並んでいるのかな?」

とても疲れたので、東大通りのハンバーガー店で休んでいこうと思ったら、電気がついていません。「あら、ここのお店、閉店してしまったのねぇ」。そして、西大通りを走っていたら、「なんで、民家の屋根、崩れているの?」。事態の大変さを全く理解できませんでした。

そして、コンビニの駐車場に到着。その日就職活動で都内に行っている息子から、「お母さん、大丈夫?」。やっと事態を理解したのでした。

コラム連載開始から13年目入り

話は変わりますが、旧常陽新聞(現NEWSつくば)に連載を始めてから、今年4月で13年目に入ります。東日本大地震のあった次の月からです。そのときの絵は「つくば大池の桜」。大池の横から筑波山を超え、フラワーパークに行き、温泉街経由で帰宅した話を載せました。

フラワーパークの思い出は、山ほどあります。今回は、お花のこと、お店のこと―いろいろ書きたかったのですが、あの地震のことになりました。

12年過ぎても、3.11のことは昨日のことのように思い出します。被害の多さに心がチクチクします。生きていると、悲しいこと、辛いことが多くありすぎます。そんな中、少しでも心が癒されるような絵を描くことができたらと。どうか、皆さんが穏やかに暮らせますように。(イラストレーター)

連休中にNEWSつくばの総会を開催 《吾妻カガミ》157

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左は編集室がある筑波学院大の建物、右は1階入口に立て掛けてある案内版

【コラム・坂本栄】本サイトの会員総会を5月7日に開き、昨年度の運営実績と今年度の計画を報告しました。要点は、①アクセス数(ページビュー)は2017年秋のスタート以来毎年順調に伸びている、②しかし記事の配信本数は当初目標の1日平均3本に達していない―です。そこで、今年度は何とか1日3本台に乗せ、読者の地域情報ニーズに応えていくことを再確認しました。

記者18人、コラムニスト25人

実質初年度の2018年度に比べると、2022年度のアクセス数は4倍、ユーザー数は6倍に増えました。この間の配信数は1日平均2.4~2.7本ですから、地域の行政やイベントなどの記事1本1本、幅広い分野のコラム1本1本へのアクセス数が増えたことになります。

5年半前、本サイト設立の記者会見の際、1日何本ぐらいの記事・コラムをアップするのかと質問され、私は「朝昼晩各1本、1日3本を目標にしたい」と答えました。選挙で言えば公約ですが、まだ2本台で推移している理由は2つあります。1つは、コロナ禍でイベント類が軒並み中止され、取材対象が激減したこと。もう1つは、本サイトは商業ベースでなく非営利(NPO)ベースで運営されていることもあり、記者活動がどうしても自主的になることです。

現在登録されている記者は18人、コラムニストは25人です。今年度は記者1人1人の活動範囲を広げるとともに、引き続き記者を募る方針です。地域のネットメディアに関心がある方は声をかけてください。

地域文化に必要な過去の記録

先月、本サイトの「週間ランキング」(直近1週間のアクセス数ベスト5表示コーナー)を見ていて驚きました。数日~1週前の記事やコラムでなく、「土浦一高副校長で着任インド出身のプラニクさん」(2022年4月19日掲載)がベスト5入りしていたからです。「320人に入学許可 プラニク新校長の土浦一高・付属中」(4月7日掲載)に触発され、1年前の記事へのアクセスが増えたようです。

このように、サーバーに格納されている記事をすぐ引き出せるのはネットメディアの強みです。「記事データベースで過去記事を見る」あるいは「月別アーカイブ」コーナーを使い、過去記事にアクセスしてみてください。

アーカイブと言えば、「若手社会学者 清水亮さんが紐解く 阿見・土浦『軍都』とその時代」(3月22日掲載)で紹介された「『軍都』を生きる 霞ヶ浦の生活史 1919-1968」(岩波書店)を読んで驚きました。この本を書くに当たり、清水さんは本サイトの前身「常陽新聞」の記事を読み込んでいたからです。土浦市立図書館に保存されている常陽の記事を丹念にチェック、「軍都」のイメージを膨らませたようです。

私たちはNPOの事業目的として、「ウェブサイトでの地域ニュース発信」「イベントやプロジェクトの展開」「地域放送局などとの連携」のほか、「『常陽新聞』記事のデータベース化」も掲げています。紙の記事をデジタル化するには相当の資金が必要ですが、常陽と本サイトの連続性を実現するために、そろそろアーカイブ事業も視野に入れたいと思います。

イベントやプロジェクトも展開

「イベントやプロジェクトの展開」と言えば、私たちは昨年度末、つくばセンタービルを設計した著名建築家、磯崎新氏の追悼討論会を実行委員会の中核となって開催しました。その様子は「磯崎新さんの思考をめぐる…追悼シンポジウム」(3月20日掲載)をご覧ください。今年度は土浦市に関係するイベント(講演会?)を検討しており、準備が整いましたら告知します。(NEWSつくば理事長、経済ジャーナリスト)

写真のウソ・ホント 《写真だいすき》20

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ウソりんご。最近は、こんな青いリンゴが人気になった、なんて簡単だ=撮影は筆者

【コラム・オダギ秀】写真という言葉がいけないよ。写真は、真実を写すものだと思ってしまう。でも、今ほど写真がウソをつけるようになったのは、いいことか悪いことか。

それほど昔ではないが、霞ケ浦の水が汚れていると騒いだ時代。自然保護活動をしていた叔母から、アオコにまみれた霞ケ浦の写真を撮ってほしい、と頼まれた。でも、グリーンを強調した写真もグリーンがない写真も簡単だよ、と説明して、そんなことやれるかよと断ったが、一般の人々は、写真は真実を写すものだと思っているのだな、と写真についての非常識を少し納得した。世間の人々は、写真は真実を写していると思っているのだ。

少し言うと、特定の色彩を強調したり弱めたりすることは、現在のデジタル画像万能の時代でない初期の時代であっても、それほど苦労せずに出来た。秋の雰囲気の木立が欲しければ、木立の葉を秋の色にする程度のことは、しばしばやっていた。仕事の範囲で、当然のように、こなしていた。

もっと以前のフィルム写真の時代には、苦労はした。それでも何とかこなすこともあった。だが、写真を変えるということは、なかなか難しいことだった。写真は真実を変えられないというのが、一般的な常識だった。

水ようかんを撮っていて、現像が済んだフィルムを見たら、皿の手前に、毛髪が1本落ちている。今なら、すぐに消せるのだが、そのころは、手作業で毛髪を消し、消した後は、畳だったが、消したのが分からないように埋めなければならなかった。大変な職人芸だし、時間もかかったのだ。

そんなことするより、撮り直しをした方が、よほど楽だった。撮り直しするにも2日ほどかかったが、そのほうが楽なのだった。髪の毛一本にも、大変な苦労があったのだ。今なら、毛髪がバサッと落ちていても消せるし、バサッと置くことも簡単にやれる。

過去の写真遺産を残そう

そんな髪の毛一本にも苦労しなければならなかった時代の写真は、歴史的に大切な意味があるものでも、残せるか残せないかの瀬戸際にあるのが、現在の状況だ。フィルムでシコシコと撮影していた人々は、多くは亡くなり、それらの人々が撮っていた写真作品は、じいちゃんのゴミとして捨てられたり、燃されてしまっている。フィルムで撮られた写真は滅びようとしているのだ。

その写真が重要か重要でないかの問題ではない。重要か否かは、後の世が決める。ウソを撮ったのかホントを撮ったのか、その時代の写真を確認できるのは今が最後なのだ。フィルムでは検証できても、デジタルの時代になった今では、写真の真偽を確かめるのは、極めて難しい時代に入った。

そこで、それらの過去の写真遺産を残そうと、ボクの所属している土浦写真家協会は、アーカイブ事業を始めた。フィルム写真は、ほとんど真実だ。その真実を写している写真を、今なら、まだ辛うじて残せる。それらを無くならないうちにきちんと残し、歴史遺産として、大切に保存しようとしている。

もう少し時代が進んだら、真実を撮ったものかフェイクなのか、見極めることが極めて難しくなる。真実を写した写真を残すのは、今、しかないのだ。

例えば、〇〇年ごろは、✕✕はこんなに賑(にぎ)わっていた、寂(さび)れていた―という写真は、フィルム写真では、どちらにも撮れたけれど、それは何故(なぜ)で真実は何か、ということをフィルム時代には検証できた。つまり、フェイクかリアルかをかなり確実に検証できた。そのように写真をホントかウソかと検証して残せるチャンスは、今しかない。

だからこそ、写真を真実か否か、として整理しアーカイブすることが、今、とても大切だと思っている。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

「十五の春に泣く学園都市」つくば 《竹林亭日乗》4

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田植え後の水田に映る筑波山=筆者撮影

【コラム・片岡英明】つくば学園都市の県立高校不足。このありえない問題を何とか解消したいと模索している。4月26日、茨城県の森作宜民教育長へ3回目の要望書を提出し、高校改革推進室と2時間ほど懇談した。つくば市選出の県議の皆さんも、この問題を議会で取り上げているが、教育長の答弁には揺れがある。

▽つくばエリアは生徒増だが、周辺エリアを含めると生徒減(2022年3月)

▽つくばエリアに土浦・牛久・下妻エリアを含めると、生徒増(2022年11月)

▽つくばエリアの生徒増より、周辺の生徒減が大(2023年3月)

データ公開と基準設定をスタートに生徒増を議論するのに、その範囲が変動しては議論が進まない。また、生徒増算定の基準年が毎年移動し、2030年までの生徒増数も変動する。

北海道が高校の4~8学級の適正規模の発想をやめた(茨城もやめた)と聞き、道教委HPの「公立高校配置計画」(2022年9月) を調べた。茨城県の「高校改革プラン」(2019年2月)には、生徒数などの基本データの記載がないが、北海道には2022年基準の生徒数、エリア生徒数、道立高の収容率などのデータがある。

北海道はアンケート調査結果も公開。その2問目で希望学科を問い、普通科希望が多いことを確認し、学級増減を計画している。茨城県もアンケート調査を実施したが、その結果はHP上にはなく、文書開示で調べると、希望学科の問いがない。

県は普通科増は困難と思っている?

生徒が急増しているつくば市で、なぜ定員割れのつくばサイエンス高が学級増なのか疑問だったが、少し謎が解けた。アンケートを取れば、当然、普通科の学級増希望となる。

しかし、つくば市は県立高が削減されて少なく、普通科で受験生が多いのは竹園高のみ。その竹園高は8学級。所狭しと校舎が建ち、2学級増となれば校地拡張と校舎新設が必要だ。普通科の牛久栄進高も8学級で、2学級増は困難と考え、つくば工科の学級を増やしたのではないか?

つくばエリアに県立高は10あるが、いずれも学級増は困難。並木中等の高校2学級増には、校地拡張と校舎建設に加え、教育課程の変更も必要になる。茎崎校は定時制であり、全日制を入れるのは困難だ。

森作教育長の「進学先を確保し、中学生の進路選択に影響がないよう計画を示す」との答弁(2022年11月)を受け、つくばエリアの不足学級数を算出してみた。すると、現時点で15学級不足、2030年までに25学級増が必要―と判明した。

どうするか? つくば市の県立高の現状をみると、学級増だけを求めるのは不誠実だ。そこで私たちは。学級増の一つの形態として、高校新設も含めた次の3案を県に提案した。①困難だが学級増だけ、②学級増+1校新設、③学級増+2校新設―だ。

県も、現在の中学生のために、データを共有化し、学級増計画を早急に示してほしい。「十五の春に泣く学園都市」の汚名返上がつくば市の緊急課題であり、この問題の解決が茨城の発展にもつながることを、多くの方に知ってほしい。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会・代表)

➡片岡英明さんの過去のコラムはこちら

潮来の「あやめまつり」 《日本一の湖のほとりにある街の話》11

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嫁入りの様子を再現した「嫁入舟」。イラストは筆者

【コラム・若田部哲】周囲を霞ケ浦の西浦・北浦、外浪逆浦(そとなさかうら)、利根川などの水に囲まれ、古くから水路が生活に根差していた水郷地帯、潮来市。同市の「水郷潮来あやめ園」では、季節になると色とりどりのアヤメが咲き誇ります。その数、何と500種100万株! 1952(昭和27)年より始まり、例年5月から6月中旬ごろまで行われる「あやめまつり」では、日本情緒あふれるその美しさを、様々な演出とともに楽しむことができます。

まず彩りを添えるのが、この地域でかつて生活手段として利用されていたサッパ舟の運行。かつて当地では、水路を道路代わりに移動経路として用いていました。その際に用いられたのが「サッパ舟」と呼ばれる小型の舟。家から田んぼへの往来や、近隣への移動など、様々な場面で日常的に用いられていたそうです。まつり期間中は、この舟が川を行き来し、水上観光を楽しむことができます。

さらに毎週日曜日には「潮来囃子(はやし)演奏」として、お囃子を演奏しながら運航する舟が行きかいます。水郷の情緒とお囃子の音の相性は抜群。古き良き日本の情緒を味わうことができるでしょう。

また2022(令和4)年度より、お隣の千葉は香取市の「水郷佐原あやめパーク」とも連携し、両園のあやめ祭りを結ぶシャトルバスの運行を行うなど、県を超えて地域の魅力を発信しています。

サッパ舟による嫁入りを再現

そして何と言っても最大の見どころは、100万株のアヤメが咲き誇る中行われる、サッパ舟による嫁入りの様子を再現した「嫁入舟」! 一時は途絶えたこの風習ですが、1985(昭和60)年のつくば万博の際にイベントとして行ったことがきっかけとなり、その後は地域を代表する行事へと発展しました。

舟に乗り込むのは、公募で選ばれた本物の花嫁さん。あやめ園から船頭さん、ご両親と共に嫁入り舟に乗り込み、多くの観光客の祝福を浴びながら水路を進みます。鮮やかな新緑ととりどりのアヤメが織り成す初夏の色彩の中、白無垢(むく)姿の花嫁さんが舟で水路を進むさまは、神々しいほどの美しさ! 太鼓橋の上から、沿道から、お愛想でなく本物の祝福が込められた喝采が上がります。

日本情緒と水郷ならではの美しさを存分に味わえるこのお祭りに、ぜひ足をお運びください。(土浦市職員)

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

➡これまで紹介した場所はこちら

娯楽は世につれ、世は娯楽につれ 《遊民通信》64

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【コラム・田口哲郎】

前略

マカロニえんぴつというバンドの「なんでもないよ、」という曲を聞いて衝撃を受けました。ラブソングらしいのですが、歌詞の一部はこうです。「会いたいとかねそばに居たいとかね守りたいとか そんなんじゃなくてただ僕より先に死なないでほしい そんなんでもなくて ああやめときゃよかったな なんでもないよ なんでもないよ」とあります。

ラブソングですから、恋人に会いたいとかそばにいたい、守りたいと歌うのは当然ですが、そうじゃないというのです。俺より先に死ぬなというところは、さだまさしの「関白宣言」が思い出されます。関白宣言は新婚夫婦の夫の妻への思いを歌ったものですが、マカロニえんぴつはそんなんじゃない、とやはり言います。

いまテレビ神奈川で1971年放送の「たんとんとん」というドラマとBS11では1980年放送の「心」というドラマが再放送されています。

「たんとんとん」は森田健作主演、脚本山田太一、木下恵介プロ制作の青春ドラマ。「心」は宇津井健主演、橋田壽賀子脚本、石井ふく子プロデュースのホームドラマです。ふたつとも、庶民の日常を描いたほのぼのとしたドラマです。そこでは若者の成長や職業的な困難の克服など、いわゆる人生の悲喜こもごもが盛りだくさんです。しかし、そうしたいろいろな出来事をつらぬくテーマは男女の出会いと結婚です。

以前、小津安二郎監督の映画のことを書きました。小津映画の主なテーマは、妻に先立たれた男のひとり娘の結婚です。娘が年ごろになったので「どこかにやらなきゃならないよ」と父親役の笠智衆が言います。

人びとの素直な気持ちが世を変える

日本にはいままで無数のラブソングや映画やテレビドラマがありましたし、いまもあります。そのなかで一番多いテーマは男女の恋愛と結婚なんじゃないでしょうか。バブル期にはやったトレンディー・ドラマもおしゃれな恋愛がテーマでしたが、結婚が前提でした。

こうした娯楽が男女の恋愛・結婚をテーマにしてきたということは、何を意味するのでしょうか? それはこの社会が結婚によって、家族が再生産され、世代を後世につないできて存続してきたということです。それほど社会の構成員が結婚して家族を増やすことが大切ですし、人間はそのために時間と労力を惜しまずにきたということでしょう。

でも、そのあたり前だったことが、あたり前でなくなっているのが今なのかもしれません。

男女の恋愛と結婚が当然の価値観に、そうではない価値観が加わる社会はどうなるのでしょうか? それは分かりません。人類が経験していないからです。でも、流行歌が歌うことは、いまの社会に生きる人たちが感じている素直なことなのは確かです。昔の歌や映画やドラマも人びとの素直な気持ちでした。素直な気持ちは社会を変えますね。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

日本の食料自給率の話 《ハチドリ暮らし》25

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畑には、ホウレンソウ、ニンジン、長ネギ、ジャガイモが育っています

【コラム・山口京子】テレビをいつもつけっぱなしにしている母が、「最近のテレビは、食べ物のことばっかりでつまらないよ。それに、宣伝の時間が前と比べて長くなっているみたい」と。わたしは「きっと、食べ物の番組は安く作れるのではないかな。その割に視聴率が取れればいいものね。宣伝の時間が長くなったのは、スポンサーの意向かな」と答えました。

気になって広告がどうなっているのかを調べました。2022年の総広告費は7兆1000億円を超えたといいます。7兆円という額をどう評価するのか。買いたい気持ちを喚起させる映像が大手を振ることに違和感を抱きますが、コマーシャルのイメージとは裏腹に業界の厳しい競争があるのでしょうか。

私たちが購入する商品の価格に占める広告費の割合はどのくらいなのかしら…。何にいくらかかって、その値段になっているのか―が価格に書いてあったらと思いますが、それは企業秘密なのでしょう。庶民としては、ちゃんと作られた商品を適正な値段で購入したい。そう願うとき、ちゃんと作られた商品とはなにか、適正な値段とはなにかと…。

母が「こんなに食べ物の番組が多いってことは、日本は食べ物があふれているのかね」と独り言。わたしは「あふれているように見えるのは、外国から買っているからだよ。日本の食料の自給率は4割もないよ。家畜のエサもほとんど輸入だよ。だから、輸入が止まったら日本は大変だよ」と言うと、「日本は外国からたくさんの食料が買えてすごいんだ」とびっくりしていました。

食料や飼料作物の超輸入大国

正確には、カロリーベースの自給率は38%(1日1人当たり国産の918カロリー÷1日1人当たりの必要カロリー2426カロリー×100)、生産額ベースでは66%(年間国内生産額10.3兆円÷食料全体の年間供給金額15.7兆円×100)です。日本は食料や飼料作物の超輸入大国だと聞いたことがあります。できればカロリーベースでも生産額ベースでも、100%を目指してほしいと願います。

今までは世界的な農産物過剰があったようですが、そういう前提条件はなくなりつつあります。農産物過剰を支える工業的大規模生産の弊害が目立ち、水不足や土壌の劣化、農薬や化学肥料、化学物質などによる食品汚染の問題、環境汚染などが深刻と言われています。これからの日本は「買い負け」の時代に入るのではと心配する専門家もいます。

「食」を取り巻く事実を知って考えて、選択しなくてはと気づかされた母との会話でした。(消費生活アドバイザー)

私たちは何を食べさせられるのか 《邑から日本を見る》135

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田植えでやはり楽しい小昼飯(こじゅうはん)

【コラム・先﨑千尋】「食べたものが私になる」。堤未果『ルポ 食が壊れる―私たちは何を食べさせられるのか』(文春新書)の終わりに出てくるこの表現を見て、「ああ、私の考えと同じだ」と思った。

「人間の身体は食べものと飲みものから成り立っている。その食べものが農薬、化学肥料漬け、不健全な土から生産されていたら、私たちの身体もおかしくなるではないか」。私は大学の講義や農協などの集まりで、農業や食べものの話をするとき、決まってこう語ってきた。

堤さんのこの本は、3月30日に東京で開かれた有機農業運動のトップリーダーだった埼玉の金子美登さんと鹿児島の大和田世志人さんを偲(しの)ぶ集まりで、堤さんの夫で薬害エイズ事件のリーダー・川田龍平さんからいただいた。

堤さんは国際ジャーナリスト。これまでに『貧困大国アメリカ』(岩波新書)、『政府は必ず嘘をつく』(角川新書)、『日本が売られる』(幻冬舎新書)などで、アメリカと日本の政治、経済、農政、エネルギー、公共政策などの分野で、現地取材に基づく鋭い視点で私たちに考える素材を提供してくれている。

本書は、「人工肉」は地球を救う?、フードテックの新潮流、土地を奪われる農民たち、<デジタル農業計画>の裏、世界はまだまだ養える、など6章から成る。本のカバーには「あなたの食べ物は知らぬ間に入れ替わっている。巨大資本が仕掛ける強欲マネーゲーム、<食の文明史的危機>を描き出す衝撃作」とある。

本書には、もう牛は殺さない「人工肉バーガー」、粉ミルクはもう古い、赤ちゃんは培養牛乳で、ふるさと納税にデビューしたゲノム編集魚、注射嫌いな子も「ワクチンレタス」でOK、<原子力ムラ>の次は<ゲノム編集ムラ>など、最新の食とその周辺の新潮流が、これでもか、これでもかと描写されている。

有機農業運動にのめり込んでいる私には遠い世界だが、知らないと言って済まされないほど、食の世界はカネと欲の世界に汚染されている現実を突きつけられ、恐ろしさを感じた。

生態系を乱せば私たちも傷を負う

京都府宮津市のふるさと納税には、2021年にゲノム編集技術で開発された「22世紀ふぐ」が加わっている。レタスにワクチンを移植して毎日そのサラダを食べれば、注射をしなくとも感染予防ができる。

ネットで検索したら、NHKの「クローズアップ現代」は2019年9月24日に「解禁!〝ゲノム編集食品〞-食卓への影響は?」を放映し、血圧を下げる成分が多いトマト、アレルギー物質が少ないタマゴ、食中毒を起こさないジャガイモ、身の量が多いマダイなどを紹介している。

では、救いはないのか。第6章「日本の食の未来を切り拓け」では、加速する有機給食革命、「食の予防原則」のトップランナーになった愛媛県今治市、アメリカに潰された国産小麦を取り戻せ、ゴミなんかない宝の山だ、など参考になる各地の事例が紹介されていて、やればできるという想いが浮かんでくる。

堤さんは最後に、「地球の生態系は土壌も人間の腸も本来完璧に調和が取れており、乱せばその一部である私たちも必ず傷を負う」と警鐘を鳴らしている。(元瓜連町長)

「平熱日記 in 千曲」後記その1《続・平熱日記》133

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筆者が描いた絵

【コラム・斉藤裕之】さて、80余点の作品を無事にかけ終わり、「平熱日記 in 千曲」は小雨の中、初日を迎えた。ギャラリーと接する母屋のリビングにはいつの間にかお手伝いの方々が集まり始め、にぎやかに準備が進んでいく。今まで経験したことのない、こうなるともはやギャラリーのオープニングというより、親戚一同が集まった何かの慶事のようだ。

そうこうするうちに、アーティストトークの時間となった。見ての通り、特に何を説明する必要もない作品だと思うのだけれど、オーナーのかおりさんの提案で簡単な実演をすることになっていた。

持参した筆や絵具を使ってイリコを描く。光の具合や机の高さなど、いつもとは違う条件の上、周りを多くの人が囲んでいるのでやりにくかったけれども、漆喰(しっくい)に金網を塗る様子も見てもらって、イリコを描いてみた。それから、かおりさんの質問に答えながら作品にまつわる話などをした。

近隣の方々、東京から来てくれた姪(めい)夫婦、かつての教え子。ファンとおっしゃる方は富山から、なんと茨城からもいらしてくれた方もいて…。実に久しぶりに打ち上げなんていう経験もして、にぎやかな初日を終えた。

次の日、人のいないギャラリーに座る。壁に展示された絵はすでに私には何ともしがたいものとなってしまっていて、壁の絵に見られているような気になる。やがて扉を開けてお客さんが入ってきた。そして一つの絵を見つけて話を始める。

私は、その人が私の絵について全てお見通しのような気がするので、聞かれることに子供のように素直に答えることしかできない。ただ、多くの方から「とても小さな絵なのに大きな広がりを感じる」という感想をいただいてうれしかった。私としても小さな絵を描いているつもりはなくて、描いている絵が小さいだけなのだ。

運転と演歌のリズムは相性がいい

3日目、金髪の次女とネールアーティストの友人、チエピーがわざわざ新幹線でやってきてくれた。寒の戻りでダウンジャケットを着た外国人観光客が目立つ中、まずは善光寺にお参り。先日無事に戻られた「賓頭盧(びんずる)様」のお体も触ることができた。ちなみに、チエピーのカラフルな付け爪は鉛筆のキャップほどの長さがあって、先が鋭くとがっている。賓頭盧様もその爪にはさぞかし驚かれたはず。

せっかくなので、信州そばを食べてからギャラリーに向かう。子供のころから絵を習っていたチエピーはとても熱心に作品を見てくれた。

さて、暗くなる前に2人を乗せて高速で茨城まで帰らなければならない。チエピーは運転する私を気遣ってか、ブルートゥースで音楽を流してくれた。その選曲が「心の旅」、「神田川」から始まって、「帰ってきた酔っ払い」、山崎ハコの「織江の唄」、「木綿のハンカチーフ」…。

お父さんがよく聞いていたという、なんとも渋すぎる選曲だが、私には中学の修学旅行や上京したころなど、その当時の光景が懐かしく思い出されて、眠気をみじんも感じない快適なドライブとなった。

余談だが、長距離トラックの運ちゃんが八代亜紀やサブちゃんファンだという理由が何となく分かった。車の1人旅にはしゃれた音楽よりも演歌が合う。ハンドルと演歌のリズムは実に相性がいい。眠くもならないし長いトンネルも一曲唸(うな)ればあっという間だ。(画家)

➡斉藤裕之さんの過去のコラムはこちら

草刈りの休憩に草刈り《続・気軽にSOS》132

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【コラム・浅井和幸】つまるところ疲労とは、作業、行為の継続です。重労働や難しいことを考えると疲れると捉えられがちですが、違います。ゴールデンウイーク中に車の運転を長時間すると、目も疲れますし、腰や膝が痛くなりますよね。これは、同じ距離を見続けるとか、同じ姿勢を取り続けることで疲れるのです。

寝過ぎても腰が痛くなったり、褥瘡(じょくそう)が出来たりします。なので、寝返りをうてない方の解除をヘルパーさんがする必要があります。これと同じように、嫌なことを考え続けても疲れます。

何もせずに横になっていようが、リラックスできる椅子に座っていようが、嫌な仕事を続けたり、嫌な人のことを考え続けると疲れがたまります。そんなときは、ゆっくり寝ているよりも、嫌な考えを無理やりなくそうとはせずに放っておきます。そして、凝った料理を作るとか、掃除をするとか、おしゃべりをするとか、おいしいスイーツを味わうとか、別のことをするとよいでしょう。

また、嫌なことを考え続けても、疲れて飽きたり眠くなったりして、止まりやすいですが、好きなことややりがいのある事は続けられてしまいます。これは、疲れを感じることに対する感度が鈍くなって、余計に疲れがたまってしまう「マスキング効果」といって、危険なことにつながることがあります。

好きなゲームをしていたら、食事やトイレも忘れていたという経験をしたことはないでしょうか。嫌な仕事や勉強を続けるとよくないことは理解しやすいですが、好きであったりやりがいがあったりして疲労がたまり、それに気づかず心の病に至ることもありますし、最悪のケースに至ることもある事実は見落とされがちです。

ヘンテコな踊り、結構おすすめ

じゃあ、疲れを取るには何をすればよいのかとなります。旅行に行けばよいのか?(実は旅行は疲れるので疲労回復には向かないという部分もあります)人生を一変するようなすべてを打ち込めるような素晴らしい趣味を持てばよいのか?(そんなことが出来るはずがないだろうと言われます)

いえいえ、気分転換、神経や筋肉の疲労回復は、今とは別のことをすれば何をしてもよいです。近くばかり見ているのであれば遠くを見て、一点を見ているのであれば周りを見回し、腕立て伏せで疲れたのであれば走ればよいのです。

私は小さな畑を借りているのですが、草刈りが結構大変なんです。柄のついた大きめの道具で草刈りをしていると、息が切れて腰が痛くなってきます。そこで、しゃがんで手で小さな雑草を抜きます。今度は膝が痛くなってくるので、また柄のついた道具を使って…。

そう、草刈りの休憩で草刈りをするのです。それで疲れたら、木陰で空を見上げて、ゆっくりと呼吸をします。

最近、深呼吸をしたり、空を見上げたりしていないであれば、してみてください。それだけで、ほんの少しの休息になります。あと、ヘンテコな踊りを踊ってもよいですよ。ヘンテコな踊り、結構おすすめです。(精神保健福祉士)

絶版書を翻訳する《ことばのおはなし》57

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写真は筆者

【コラム・山口絹記】読書家にとって、「絶版」というのは目にしたくもない、恐ろしいことばだ。手放した本が後に絶版となり、電子化もされずにもう手に入らない、なんてことは決して珍しいことではない。だからこそ、一度手にした本を手放せない方も多いはず。私もそんなひとりだ。

手放せないのはもちろんだが、すでに絶版になってしまった海外文学を、自分のためだけに翻訳して楽しむ。というのが、私のひそかな楽しみでもある。

以前こんなことがあった。

母が小さい頃に読んだ児童書を翻訳してほしいと言うのだ。どういうことかというと、その児童書は海外文学を翻訳したものだったのだが、あとがきに『こみいって、わかりにくい部分をすこしはぶきました』という旨が書かれており、とても悔しい思いをした、ということらしい。もっともな感想だ。

しかし、実はこういったこと(翻訳者のさじ加減で作品の一部が翻訳されない)は珍しくない。半世紀ほど前に書かれた書籍で、今となっては原書も翻訳版も絶版。作者も挿絵も翻訳作家も、それなりに有名な方々なのだが、こういったこともまた、決して珍しくない。

結局、私がヨーロッパから原書を取り寄せ、すべて翻訳し、母にプレゼントした。半世紀ぶりの謎が解けたようで、喜んでもらえた。翻訳しながら、私自身が内容に心を動かされたこともあり、当時6歳の娘に読み聞かせたところ、娘もとても気に入った様子だった。

とりあえず簡単に印刷したものを自宅に放置していたのだが、いかんせん大人用に翻訳したものなので、今では小学生になった娘でも読むのが難しい。

児童文学の文章経験はゼロだった

そこで考えたのだ。児童文学なのだから、児童文学風の文章に書きかえたらどうだろうと。なんとなく、簡単なことに思えたのだ。着手するまでは。

とんでもなかった。まったくもって歯が立たない。こうなってみて初めて、私は意識して児童文学のような文章を書いたこともなければ、そういった意識で児童文学を読んでこなかったことに気がついたのだ。

今までどれだけの児童書を読み、どれだけの文章を書いてきたかわからないが、つまるところ、意識して書かなければ何も身につかない。私の児童文学的文章に関する経験値はゼロだったのである。

無知を嘆いても仕方がない。時間の無駄である。ということで、自分の中で名作と思う児童文学をピックアップし、文章の作り方を真似(まね)しながら書き直し始めた。

次回の連載までに制作が完了するかわからないが、現在進行形で苦しんでいる翻訳、というものについて、次回は書いてみようと思う。(言語研究者)

「チャットGPT」の登場と新聞業界 《雑記録》47

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ツツジ 筆者撮影

【コラム・瀧田薫】新聞報道によると、囲碁7大タイトルの1つ「本因坊戦」が、主催する毎日新聞によって大幅縮小される(朝日新聞4月17日付)。本因坊への挑戦権を争う8人総当たりリーグ戦が廃止され、タイトル料はこれまでの3分の1以下に大幅減額となるという。

毎日は「伝統ある本因坊戦をなんとか維持するための苦渋の選択だ」としているが、確かにそう言わしめるだけの事情はある。レジャー白書によれば、日本の囲碁人口は1980年代には約1000万人だったが、2021年には150万人まで落ち込んでいる。

また、日本の新聞の総発行部数も2000年に5300万部あったものが、2022年には3084万部(日本新聞協会公表)まで減少している。新聞社の経営陣にしてみれば、囲碁人口数も発行部数も背筋が寒くなるようなデータであり、これでは「背に腹は…」の心境にもなるだろう。

ところで、新聞業界は今、さらなる試練に直面している。対話型AI(人工知能)「チャットGPT」(以下GP)の出現である。GPは高度な言語処理能力を持つ「大規模言語モデル(LLM)」に大量のデータを学習させ、人間と見分けがつかないぐらいスムーズな文章を作る。

すでに、紙媒体としての新聞は、ネット環境の爆発的発展によって追い込まれ、さらに膨大なフェイクニュースに追い討ちをかけられている。その上、得体(えたい)の知れないGPの登場である。これへの対応をあやまると、新聞社の存続自体が危うくなる。それどころか、人類の生存さえ危ぶむAI専門家まで出てきている。ただ事ではない。

言語活動や創作活動の一部を補完

東京大学副学長の太田邦文氏が、GPに向き合う方法について、東大のウェブサイト「ユーテレコン」に見解を載せている。以下、その要点(抜粋・筆者)をまとめてみた。

「GPは検索ではなく、相談するためのシステムである。書かれている内容の信憑(しんぴょう)性には警戒が必要であり、個人情報などをGPに送るのは危険だ。将来、著作権や文書を用いた試験・評価に問題が発生する可能性がある。社会に対する悪い影響もあり得る。東大の学生や教職員に対して、今後、GPについて逐次情報を伝え、かつ議論の場を設ける。学内外の対話を通じて、GPを有効な道具としつつ、より良い世界の構築に貢献していこう」

太田氏の見解の肝心な点は「GPを平和的かつ上手に制御して利用すれば、人類の言語活動や知的創作活動の一部を補完し、私たちのwell-being(ウェルビーイング)向上に大きく寄与するだろう」と述べていて、GPに対して警戒しながらも、基本的には楽観していることだ。

この認識が正しいかどうか、現時点ではなんとも言えない。幸い、すでに多種多様な領域の専門家がGPについて検証を開始している。筆者が望むのは、新聞業界が一丸となってこの検証の先頭に立ち、まとめ役を果たすことだ。それが出来るか出来ないか、まさに「新聞の存在意義」が問われるプロジェクトとなるだろう。(茨城キリスト教大学名誉教授)

大乗仏教の空と相対性理論の空の関係 《吾妻カガミ》156

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ツツジの生け垣

【コラム・坂本栄】旧友に京都のお寺の住職さんがいます。皇室ゆかりの門跡(もんぜき)寺の住職ですから正しくは門主(もんしゅ)さんです。先日彼と食事する機会があり、人工知能が問いに答えてくれる「Chat(チャット)GPT」のことで盛り上がりました。いま話題沸騰中のツールです。

好奇心旺盛な彼は、これに「大乗仏教の般若心経が説く空とアインシュタインの相対性理論の空との関係は如何(いかん)」と質問してみたそうです。その回答に「なかなか」と感心していました。そこで私も同趣旨の質問をしたところ、以下のような回答がありました。

ChatGPTの理路整然とした回答

「仏教の般若心経における『空』と、アインシュタインの相対性理論における『空』とは、それぞれ異なる構文や概念で用いられていますが、一定の共通点もあります」

「仏教における『空』とは、一般的に『全てが無である状態』と解釈されます。つまり、万物が独立した実態を持たないことを意味します。…の中に形がある、空は形でない、といった表現がされます。この考え方は、物事が相互依存して存在するという中観思想に基づいています」

「一方、アインシュタインの相対性理論における『空』とは、真空と呼ばれる物理的空間のことを指します。また、相対性理論では、質量やエネルギーが空間と時間を歪め、重力を生み出すとされています」

「これらの『空』には共通性があります。仏教の『空』は、万物が相互依存して存在することを意味し、アインシュタインの相対性理論における『空』も、物質やエネルギーの存在によって歪んだまま、どちらの『空』も、実体としての存在を否定するという点で共通しています」

簡単な質問は苦手? 検索の方が上

それらしい答えですが、大乗仏教や相対性理論に疎い私には、正誤を判定する資格はありません。門主さん、逆に簡単なことを調べようと、「〇〇(自分の名前)はどんな人か」と入力してみたそうです。それなりの回答を期待していたら、学歴の間違いもあって「いまいちだった」そうです。

私も自分のことを質問したところ、「坂本栄さんとは、日本のつくば市(茨城県にある都市)を中心に活動している人物のうちの一人の可能性があります。… 正確な情報を入手するために信頼性のある情報源を参照するか、直接関係者にお問い合わせいただきますことをお勧めします」との回答でした。

Googleで検索すると、ネット百科ウィキペディアの「坂本栄」(誰かが作成)や早大政経学部・土屋礼子ゼミの「経済ジャーナリストインタビュー2015」(学生が作成)が出て来ます。ChatGPTはネット上に格納された情報を超速で探し出し、それらを取捨選択・整理整頓し、文法的に正しい回答を作文しているはずですが、まだまだ学習途上のようです。

でも1年後には相当の水準になると思います。学生が頭を使わずに小論文を書けるので大学側は頭を抱えているようです。行政や企業の業務では必須のツールになるでしょう。どう付き合うべきかメディアには悩ましい問題です。今回のコラムはChatGPTから大分引用しましたが…。(経済ジャーナリスト)

「帰るコール」 《短いおはなし》14

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】
本当に几帳面(きちょうめん)な人でした。
帰る前には必ず電話をくれました。「今から帰る」という電話です。
30年以上前のことですから携帯電話などありません。きっと同僚たちに冷やかされながら会社の電話を使っていたのでしょう。

会社から家までは1時間ほどです。
夫が帰宅したらすぐに夕飯になるように、逆算して料理を作りました。
子供たちはまだ小学生で、それは賑(にぎ)やかな食卓でした。

月日が流れ、子供たちは大人になり家を出ました。
夫は…いません。
ある日突然、失踪(しっそう)してしまったのです。
残業の時も必ず電話をくれたのに、その日電話は鳴りませんでした。
8時を過ぎて会社に電話をすると「とっくに帰りました」と言われました。
その日から、夫は行方不明になったのです。

数日後、知らない町から手紙が届きました。
『他の人生を歩んでみたい。捜さないでくれ』
たった1行の手紙です。わけがわかりませんでした。

泣いてばかりもいられないので必死に働きました。
そして夫の帰りを待ちました。
家の電話が鳴るたびに期待し、そして失望しました。
長い年月が過ぎ、そんな暮らしにすっかり慣れていたのです。


その電話が鳴ったのは、午後6時ちょうどでした。
「もしもし…、僕だけど、今から帰るよ」
耳を疑いました。紛れもなく、夫の声でした。
「あなた…今、どこにいるの」
「会社に決まってるだろう。今から帰るよ」

頭が混乱しました。混乱しながらも、私はキッチンに立ちました。
気づけば、震える手で夕飯の支度をしていました。
午後7時に夫が帰ってきました。
ずいぶん年を取っていましたが、まるで昔と変わらず、靴をきちんと揃(そろ)えて「ただいま」と言いました。

こんなとき、普通はどうするのでしょう。
「やっと帰って来てくれた」と胸にすがって泣くでしょうか。
それとも頬を叩(たた)いて追い返すでしょうか。
私は、どちらもしませんでした。
黙って料理を並べました。夫はそれをゆっくり食べて、昔と同じように「おいしい」と笑いました。

夫が遺体で発見されたと連絡が来たのは、その直後のことでした。
震える手で受話器を握りながら振り向くと、そこに夫はいませんでした。
少し冷えた料理が残っているだけでした。

「ずっとホームレス生活をしていたようです。公園で倒れているところを発見されました」
遠く離れた町の警察官が、気の毒そうな顔で話してくれました。

「バカな人」 私は、吐き捨てるように言いました。
夫が、私と子供たちを捨ててまで求めたものは何だったのでしょう。
それで彼が幸せだったのか、今となってはわかりません。
ただひとつわかるのは、「帰るコール」の電話は、二度と鳴らないということです。
もう待たなくていいと思ったら、体中の力が抜けました。(作家)