【コラム・坂本栄】土浦市立博物館と市内の郷土史研究者の間で論争が起きています。争点は筑波山系にある市北部(旧新治村の一角)が中世どう呼ばれていたかなどですが、博物館は自説を曲げない相手の主張に閉口し、この研究者に論争拒絶を通告しました。アカデミックディスピュート(学術論争)を挑む市民をクレーマー(苦情を言う人)と混同するかのような対応ではないでしょうか。

「山の荘」の呼称はいつから?

博物館(糸賀茂男館長)と論争しているのは、藤沢(旧新治村)に住む本堂清さん(元土浦市職員)。社会教育センターの所長などを務め、退職後は市文化財審議委員、茨城県郷土文化振興財団理事も歴任した歴史通です。「山の荘物語」(私家版)、「土浦町内ものがたり」(常陽新聞社)、「にいはり物語」(にいはりの昔を知り今に活かす会)などの著作もあります。

争点はいくつかありますが、主なものは現在東城寺や日枝神社がある地域の呼び方についてです。本堂さんは、同地域は古くから「山の荘」と呼ばれていたと主張。博物館は、同地域は「方穂荘(かたほのしょう=現つくば市玉取・大曽根辺りが中心部)」に含まれ、中世室町時代以前の古文書に「山の荘」の記載はないと主張。この論争が2020年12月から続いています。

博物館によると、この間、本堂さんは博物館を11回も訪れ、館長や学芸員に自分の主張を展開したそうです。そして、文書による回答を要求されたため、博物館は「これ以上の説明は同じことの繰り返しになる」と判断。これまでの見解をA4判3枚の回答書(2023年1月30日付)にまとめ、最後のパラグラフで論争の打ち切りを伝えました。

その末尾には「以上の内容をもちまして、博物館としての最終的な回答とさせていただきます。本件に関して、これ以上のご質問はご容赦ください。本件につきまして、今後は口頭・文書などのいかなる形式においても、博物館は一切回答致しませんので予めご承知おきください」と書かれています。博物館は市民との論争に疲れ果てたようです。

博物館=権威vs.市井の研究者

本堂さんはこの対応に怒り、「博物館は間違ったことを言っており、茨城県史を歪めている。市町村史も執筆している館長の糸賀さんは中世史の先生(常磐大名誉教授)だが、歴史学者の故網野善彦氏(元名古屋大教授)の間違った説をそのまま展開している。しかも、それを単に肯定するだけでなく、誤りを補強している」と言っています。

さらに、「糸賀さんが館長に就任した後、『山の荘が方穂荘に含まれていたという説はおかしい』と面談で指摘したら、『その話は止めましょう』と言われた。それなら文字でと書面による回答を求めた。相手がどう出ようと論争は続ける」と諦めていません。

中世史家を館長に擁する市立博物館vs.その権威に挑む市井の研究者。似たような構図は隣の市にもありました。つくば市の施策をミニ新聞で批判した元市議vs.それを名誉毀損だと裁判所に訴えた市長―です。土浦のケース(権威vs.市民)はつくばのケース(権力vs.市民)ほど深刻ではありませんが…。(経済ジャーナリスト)

<参考> つくばのケースは、126「…市長の市民提訴 その顛末を検証する」(2022年2月7日掲載)に出ています。

<予告> 本堂清さんと土浦市立博物館の論争のポイントについては、次回のコラム159で取り上げる予定です。