【コラム・川端舞】前回のコラムで書いたように、先日、故郷の群馬で開催されたプレゼンテーション大会で、重度身体障害がありながら、障害のない同級生と同じ学校に通った経験を話した。「ぜひ群馬で川端の経験を話してほしい」と、その大会に私を推薦してくれたのは高校時代の友人。友人は、生まれたときに割り当てられた性別は女性だが、今は男性として生きているトランスジェンダー当事者だ。

多くの建物の入り口には段差があり、車いすで入れない。言語障害のある者が話すと、多くの人は困った顔をし、本人と直接話すことを諦める。今の社会は障害者にとって生きづらい。しかし、それは障害者が悪いわけではなく、障害者の存在を前提につくられていない社会の問題だ。この考え方を「障害の社会モデル」と言い、国連の障害者権利条約もこの考え方を取り入れている。

一方、友人と話すうちに、就職面接など、人生において重要な場面ほど、性別を聞かれ、制服やトイレなど、あらゆるものが男女別に分けられる社会はトランスジェンダーにとっても過ごしづらい環境なのだと気づいた。それはトランスジェンダーが悪いわけではなく、トランスジェンダーがいることを前提に社会がつくられていないのが問題だ。

もちろん、男女別の制服や施設が心地よい人もいるだろう。その人たちの意見は決して否定しない。だから、トランスジェンダー当事者にとって、心地よい制服や施設のあり方はどのようなものかも直接聞いてほしい。それぞれが心地よくいられる、全く新しい制服や施設のあり方が見つかるかもしれない。そうすることで、多様な人が過ごしやすい社会に変えていける。

高校3年分の絆

1年ほど前から、頻繁に友人と連絡を取るようになり、互いの子ども時代のことも聞き合った。その過程で、「障害者もトランスジェンダーも生きづらいのは社会の問題である」という共通認識を持て、いつしか「一緒に社会を変えていこう」と話すようになった。全く初対面の障害者とトランスジェンダーが、ここまで仲間意識を持つのは難しいかもしれない。

しかし、友人と私は、高校3年分の楽しかったこともしんどかったことも共有できる。改めて、多様な背景を持つ子どもたちが同じ教室で育つ大切さを、彼との関係から学んでいる。互いの周囲にも影響を与えながら、ともに暮らしやすい社会に変えていこう。(障害当事者)