土曜日, 4月 19, 2025
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若者の奨学金返済支援や市役所DX化推進 土浦市25年度当初予算案

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2025年度当初予算案を発表する土浦市の安藤真理子市長

花火大会は雑踏警備に重点

土浦市の安藤真理子市長は17日、2025年度当初予算案を発表した。一般会計は前年度当初比3.2%増の585億6000万円、特別会計などを加えた総額は同比2.5%増の1013億8000万円で、一般会計は2015年度に次いで過去2番目の予算規模となる。

新規事業として、若者の奨学金返済支援や就職活動支援を実施する(342万円)ほか、保育所入所選考作業にAIマッチングサービスを導入する(588万円)など市役所のDX化推進に取り組む。昨年、延期日の警備員を確保できず中止となった土浦全国花火競技大会は、今年は雑踏対策を最重要課題とし、市から昨年度と同額の8500万円を補助する。雑踏対策は自主財源を増やすなどして対応するという。

来庁希望日時の予約も

若者の奨学金返済支援は、市内に住み市内で就職している20代の若者に前年度に返済した奨学金額の2分の1を支援する(上限10万円)。就職活動支援は、県内に就職し市内に居住を希望する大学生などに就職活動にかかった交通費を補助する(上限4260円)。

市役所DX化はほかに、市民課や福祉の窓口の混雑状況をリアルタイムで配信したり、来庁希望日時を予約できるようにしたり、自分の順番が近づいたらメールで知らせるなどの窓口受付システムを導入する(1545万円)。

48施設の保守管理を一括委託

学校教育は、2028年4月開校に向けて上大津地区統合小学校の基本・実施設計などを実施する(2億3299万円)ほか、不登校生徒支援のため市内全中学校に設置している校内フリースクールの支援員を4人から6人に増やし校内フリースクールを常時開設できるようにする(1294万円)。

公共施設の管理では、小中学校や公民館、児童クラブなど48施設の清掃や点検、巡回、修繕、植栽管理などの業務を一括して民間に委託し(1億9120万円)、保守管理に民間のノウハウを活用して業務を効率化する。老朽化している市保健センターは施設の更新工事と併せて「ZEB化」と呼ばれる断熱化、省エネ化の改修工事を行う(1億232万円)。

土浦スマートICは詳細設計

昨年事業化が決定した常磐道桜土浦インターチェンジ(IC)-土浦北IC間に設置する「土浦スマートIC(仮称)」は詳細設計と地質調査を実施(8614万円)する。併せて同スマートIC整備とつくばエクスプレスの土浦駅延伸を見据え、開発候補地の事業スキームの検討や民間開発事業者へのヒヤリングなど開発候補地調査検討事業(809万円)を実施する。

桜土浦IC周辺に計画されている産業発展を促す拠点整備については、昨年、9割を超える地権者の仮同意を得て土地区画整理組合の前身となる準備委員会が結成されたことから、新たに施工地区を決定するための区域界測量、埋蔵文化財試掘調査、組合設立に向けた地権者合意形成などを実施する(6097万円)。

ほかに老朽化した荒川沖消防署と南分署を統合し、2027年度に向けて新消防署を完成・移転するための基本設計などに1億1726万円を計上する。

財源不足、28億円繰入

歳入は、法人市民税が9.1%減少すると見込む一方、個人市民税は定額減税の終了や賃上げに伴う給与所得の増加などから10.9%増を見込むなど、市税全体では3.4%増を見込む。一方歳出は、人件費や社会保障関係費の増加、物価上昇の影響などによって全体が増加したことなどから、財源不足をまかなうため財政調整基金から28億3000万円を繰り入れる。2025年度末の基金残高は121億900万円、市債残高は755億5400万円になる見込み。(鈴木宏子)

つくばの県立高問題は動く? その2《吾妻カガミ》202

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茨城県庁(左)とつくば市役所

【コラム・坂本栄】今回は201「知事選の年、つくばの県立高問題は動く?」(2月3日掲載)の続きになります。茨城県全体としては県立高校が余っているのにつくば市では足りないというこの問題、もう少し検証する必要があると思うからです。

県、クラス増と広域通学で対応

前回の要点は、①県内12エリアで県立高が足りないのはTX沿線エリアだけである、②県はこのエリアに県立高を新設して中卒者と保護者の不安を解消すべきと私は考える、③ところが県は既存高のクラス増と近隣市高への通学勧奨で対処している、④知事はこういった場当たり策でなく抜本策を示すべきではないか―といったものでした。

その際、県がまとめた「県立高等学校の今後の募集学級数・募集定員の見込み試算」(2024年10月発表)に掲載された表(エリア別過不足一覧)と図(つくばエリア県立高一覧)を使わせてもらいました。この試算には上記③の正しさを立証しようとする表(今後8年の見込み、下に掲載)も載っています。

上の表を踏まえ、県は「(つくばエリア)7市(つくば、常総、つくばみらい、守谷、土浦、牛久、下妻)の中卒者が最大になるのは2028年であり、24年に比べると180人増える」「24年の筑波高校とつくばサイエンス高校の欠員は合計で194人」とし、今後増える中卒者は両高の余裕で吸収できるから「現行の募集定員で足りる」との結論を出しています。

つまり、サイエンス高の2学級=80人増(23年実施)、牛久栄進高の1学級=40人増(24年実施)、筑波高の進学コース設置(普通科3学級中の1学級、24年実施)、サイエンス高の普通科設置(科学技術科6学級中の3学級、25年実施)によって、つくばエリア県立高の量と質の問題は解決できるということです。

「下り坂の県」と「上り坂の市」

前回書いたように、県の見込みと不足解消策に対し「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」(片岡代表)と五十嵐つくば市長は異を唱えています。そして、TXつくば駅に近い進学校・竹園高校のクラスも増やすべきだと主張、市長は校舎増築費を市が負担してもよいと先の選挙で公約しました。県立高のキャパシティとそのコンセプトについて市と県が対立する構図です。

県全体を見ている県としてはTX沿線エリアを特別扱いできません。そこで、広域(つくばエリア7市)で問題に対処すると同時に既存高に少し手を加えるという策を立案しました。しかし、こういった場当たり策では成長エリア・つくば圏の魅力が損なわれるでしょう。

2年半前、洞峰公園問題と県立高問題を扱った139「上り坂の市と下り坂の県のおはなし」(2022年8月15日掲載)で、私は「県立高問題は、県を当てにせずに市立高をつくり、つくば市が自分で解決したらどうか」「県と市が置かれている状況と方向が違うのだから、市は県から『独立』したらどうか」と提案しました。

状況の違いとは、人口が減少し財政も楽でなくなった「下り坂の県」と、人口が増加して地域に活力がある「上り坂の市」ということです。こういった社会経済構造上の変化が県立高問題の根っこにあるような気がします。

「独立」の大風呂敷案としては、「上り坂」のつくば市を中核とする人口50万以上の政令指定都市を設け、「下り坂」の県から「独立」するアプローチが考えられます。神奈川県における横浜市のイメージです。県が示した「つくばエリア」7市の人口は合計約70万ですから50万要件はOKです。(経済ジャーナリスト)

「にゃん・にゃん・にゃん」の猫の日に特別イベント つくばわんわんランド

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40種70匹の猫たちが自由に暮らす「ねこハウス」室内

オリジナルトレーディングカード製作

2月22日は猫の日―。「にゃん・にゃん・にゃん」の語呂合わせで制定された記念日だ。日本最大級の犬のテーマパーク「つくばわんわんランド」(つくば市沼田、東郷治久代表)は猫の日の特別イベントとして、園内にある「ねこハウス」(24年3月29日付)で暮らす猫たちのオリジナルトレーディングカードを製作、猫の日の22日から24日までの3日間、ねこハウス来場者に1人1枚、カードを無料配布する。

カードは表面に、かわいい猫たちの写真と猫の種類、名前のほか、「おとなしく、抱っこされるのが大好き」など性格や特徴などのデータが記載されている。さらにゲーム用に、上部にジャンケンのイラストとポイント数が書かれている。

新たに製作された「ねこハウス」のオリジナルトレーディングカード

カードの種類は、通常のノーマルカードが10枚、まれにしか入手できないレアカードが9枚用意されている。1枚の大きさは横6.3センチ、縦8.8センチで、トレーディングカードとして収集して楽しめるほか、猫の生態についても学ぶことができる。

猫の日イベントとして来場者に無料配布するほか、すぐに遊びたい人向けに10枚セット500円で販売も予定している。

「ねこハウス」は昨年4月にリニューアルオープンした。40種70匹の猫と触れ合うことができる施設で、今回リニューアルオープン後初めて、猫の日に合わせてイベントを開催する。

同園支配人の酒井真希人さんは「猫の日にちなんでいろいろなイベントを考え、トレーディングカードの配布ということになった。トレーディングカードはいろいろなジャンルで行われており、人気があると聞く。今回の結果を踏まえて、この施設の主力である犬のカードも検討している」と話す。

ねこハウスの外貨。屋根の上から巨大な黒猫が出迎える

「大きな玉ねぎの下で」とコラボ

つくばわんわんランドは犬や猫と触れ合えるテーマパークで、90種1000頭の犬猫が暮らす。筑波山麓に1996年4月に開園し、今年で開園29年となる。高さ11メートルの世界最大級の木造犬「モックン」がシンボルで、昨年12月にリニューアルされたばかり(24年12月14日付)。

2月7日から公開中の東映映画「大きな玉ねぎの下で」とコラボキャンペーンが展開中で、園内には同園のシンボル「モックン」の下で談笑する同映画の登場人物、丈流と美優のポスターが掲示されている。映画タイトルにちなんだの「大きな〇〇下で」の全国キャンペーンの一つで、茨城県からは同園のモックンが選ばれた。同園は「ポスターと同じ構図で記念撮影はいかがでしょうか」と呼び掛けている。

園内では2月3日~3月31日まで、犬のショーなどが開催される「わんわんステージ」のリニューアル工事が実施され、工事期間中のイベントは内容を変更して実施する。 工事期間やイベント内容は変更に なることがあるので、公式ホームページ(HP)で確認してほしいとしている。(榎田智司)

◆つくばわんわんランドはつくば市沼田579。問い合わせは電話029-866-1001。公式ホームぺ時はこちら

雨情とアジアの謎 新たなる旅立ち《映画探偵団》85

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】1月25日、『雨情からのメッセージⅢ/空の真上のお天道さまへの旅』をつくば山水亭(つくば市小野崎)で開催した。参加者は84名(出演者20名を含む)。山水亭のオ一ナ一の東郷治久さんからは「もっと話(講演)が聞きたい。次もまたやりましょう」とうれしい言葉をいただいた。1週間過ぎても参加者から感想が届き、これもうれしく思っている。しかし、反省していることが多々ある。

実は『水戸歩兵第二連隊歌』には、2つの歌詞があるのだ。『皇国をまもり 満洲に』と『なほ満洲の 建設に』。『死なば護国の 鬼となり』と『死なば護国の 神となり』。『名は徒(いたづら)の ものなりや』と『名は天地に輝かむ』。どちらを取るかで印象が変わる。2つの歌と言っては言い過ぎだろうか。講演では前者、詩劇コンサ一トでは後者を採用した。この謎を話せなかったことが心残りだった。

また『土浦小学校校歌』(映画探偵団28)では、歌詞に土浦小学校のフレ一ズが一度も出てこない。このことを少ししか語れなかったのも悔いが残った。

さらに、詩劇コンサ一トで雨情三姉妹を登場させたが、全体で21曲唄うために時間が不足し、キャラクターの表現がおろそかになってしまった。

雨情に興味を持ち、『雨情からのメッセージ/筑波節と筑波小唄の世界』(2010年)を開催後、『Ⅱ/幻の茨城民謡復活コンサ一ト』(2013年)、『Ⅲ/水戸歩兵第二連隊歌への旅』、『Ⅳ/土浦小学校校歌への旅』、『Ⅴ/空の真上のお天道さまへの旅』の5部作を計画した。

今回の企画は、ⅢとⅣとⅤを一緒にしたものである。なぜこんな無理をしたのか。雨情没後80年と筑波節誕生95周年が重なり、一気に進めようとしたことが原因か。いや、そうではない。日本映画の影響を受け、5部作構成が性に合っているのに、3部作仕立てにしたのが原因である。

中村錦之助主演の『宮本武蔵』

日本映画の5部作シリーズは意外に少ない。1950年代の『紅孔雀』『里見八犬伝』、1960年代の『宮本武蔵』『陸軍中野学校』、1970年代の『仁義なき戦い』。中でも、1年1作で製作された吉川英治原作、内田吐夢監督、中村錦之助主演の『宮本武蔵』はよく知られている。

第2部『宮本武蔵/般若坂の決闘』(1962年)の冒頭で『孤剣。(略)これを魂とみて常に磨き、どこまで人間としておのれを高めうるか』と武蔵は独白し旅立つ。だが、第5部『宮本武蔵/巌流島の決闘』(1965年)完結篇のラスト、佐々木小次郎を倒し、小舟の中で血に染まったおのれの手を見つめ、激闘の人生を振り返り、『しょせん、剣は武器か』と、これまでの旅路を否定するつぶやきをもらす。

大どんでん返しの結末であった。観客としては微妙な違和感が残るのだが、やはりそれで終わりではなかった。

6年後、内田監督は遺作となる『真剣勝負』(1971年)を中村錦之助主演で公開する。これも吉川英治原作の宮本武蔵を主人公にした物語で、鎖鎌を使う宍戸梅軒との決闘を描いたものだ。宮本武蔵5部作に組み込んでもおかしくはない。この作品も不思議な終わり方をする。武蔵と梅軒の決闘の途中、『殺人剣 即 活人剣』と出て、炎の中に赤文字で『剣は 畢竟(ひっきょう) 暴力』と出て終わる。

曖昧模糊(あいまいもこ)としたラストだった。撮影現場で監督と出演者たちと剣の解釈で、もめたようである。 

結局、雨情をアピールするため『雨情からのメッセージ』3本を1つにまとめてしまったが、やはり5部作でやるべきだった。いやそれでも、雨情とアジアの謎の話が残る。内田監督がもう1作つくった気持ちが分かる気がした。新たなる旅立ちが始まる。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

「雨情からのメッセージⅢ」の記事と動画はこちら

「花火2025」を前に気象神社を参拝《見上げてごらん!》37

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気象神社境内(筆者撮影)

【コラム・小泉裕司】日本で唯一の天気にまつわる「気象神社」を参拝し、間もなく始まる2025年花火旅の好天を祈願した。JR中央線高円寺駅南口を出て徒歩2分、千年の歴史を有すると言われる氷川神社の鳥居前に到着。敷地内は、正面に重厚な拝殿、その左隣に末社の一つとして気象神社がある。

一礼し、大鳥居をくぐる。手水舎で身を清め、まずは、2年前に授かったお守りを社務所入口の納礼箱に返納。昨年鑑賞した花火大会がゲリラ雷雨や台風来襲に見舞われるなど御利益薄く、「敗戦」続きだったのは、お守りの賞味期限切れということなのだろうか。本来、お守りのお力は1年で期限切れとする説が多いようだ。

社務所に入ると、授与所に並んだ外国人男性が3種類のお守りを購入していた。ここにもインバウンド観光か、日によって鳥居の外まで行列ができることもあるという。私は、前回と同じ、桐箱入りの白地に「晴守(せいもり)」の金文字のお守りを授かり、気象神社に向かった。

ここでも一礼、鳥居(上の写真)をくぐる。お社(やしろ)は、8つの気象条件(晴・曇・雨・雪・雷・風・霜・霧)を司ることができる「八意思兼命(ヤゴコロオモイカネノミコト)」を祭っていることから、「気象の神様」とされているのだが、日本神話では智恵の神・学業成就の神とされており、奉納されたたくさんの「下駄絵馬」や「照照みくじ」には、「合格祈願」の文字も目立つ。

参道脇の由緒書によると、気象神社の始まりは1944年と新しい。最初に建てられたのは陸軍気象部の敷地内。戦略や作戦に必要な気象の研究者たちの心の拠り所として作られたそう。現在のお社は、老朽化によって2003年に再建されたとある。

社殿前に進み、掲示された「参拝の作法」に基づき、2礼2拍手1礼。2025年に鑑賞予定の花火大会が、好天に恵まれ、無事開催されることを祈願した。

百葉箱の気象観測機器と記録帳

参拝前から気にかかっていたお社右奥の真新しい百様箱。前面に表記された「記録おねがいします」にうながされ、参拝客の目を気にしつつ、恐る恐る扉を開けると、気象観測機器と記録帳が置かれていた。早速、日付、目測した気温9℃、湿度Lo%(測定下限値未満)、気圧1012hPa、天気は晴れ、記録者の住所地と氏名、そして自由記述蘭には、「2025花火 晴天祈願!」と記帳。

境内に設置された百葉箱の中(同)

ちなみに、百葉箱や観測機器は、戦時中に気象神社が所在した杉並区立馬橋小学校の創立70周年を記念して、2022年11月に寄贈されたとのこと。気象観測班で、毎日黒板に気温を記録した小学生時代が懐かしい。

氷川神社本殿を参拝し、神社を後にした。振り返ると、一礼し、大鳥居をくぐる参拝客が、後を絶たない。

参拝後は「そば」に限るということで、高円寺駅北口の「名大 富士そば」で昼食。チェーン店にもかかわらず、出店地域ごとにメニューや味が異なることで知られるが、今回のだし汁は美味。ここでも来店客が後を絶たない。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

強風で停電 TX 一時運転見合わせ 乗客、線路上を徒歩で避難

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つくばエクスプレス

13日午前10時36分ごろ、つくばエクスプレス(TX)みらい平駅ー守谷駅間のつくばみらい市陽光台の線路内に、強風によりトタン屋根が飛来し、万博記念公園駅ー守谷駅間で停電が発生、TXはつくば駅ー守谷駅間で一時運転を見合わせた。約5時間後の同日午後3時37分、復旧作業が終了し全線で運転を再開した。

TXを運行する首都圏新都市鉄道によると、停電の影響により、上り列車2本がみどりの駅ーみらい平駅―間に停車した。乗車していた乗客は線路上を徒歩で、それぞれみどりの駅とみらい平駅に避難し、午後1時17分、乗客全員の避難が完了した。午後3時55分時点で、徒歩で避難した乗客に体調不調の申し出はないという。

つくば駅ー守谷駅間の運転見合わせにより、同日午前10時56分から、守谷駅ー秋葉原駅間で一時、折り返し運転を実施した。つくば駅ー守谷駅間は午後0時30分からでバス代行輸送を実施した。

13日は冬型の気圧配置が強まり、各地で強い北風が吹いた。県内には強風注意報、波浪注意報、乾燥注意報が出された。つくば市の13日の最大風速は11.4メートル。県南では龍ケ崎市で2月では観測史上最大の風速14.9メートルを観測した。

【14日午前9時40分追加】停電の影響でTXは13日、上り24本、下り25本の上下線計49本が運休し、乗客約1万5000人が影響を受けた。

事故原因巡りNEXCO東日本とつくば市が裁判 5年前の常磐道斜面崩落

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5年前斜面が崩落し復旧工事が行われた谷田部IC近くの常磐道下り車線の斜面(階段状になっている斜面部分)=つくば市今泉

一審敗訴、議会に控訴を提案

5年前、谷田部インターチェンジ(IC)近くのつくば市今泉、常磐道下り車線で、道路脇の斜面が崩落し、一時通行止めになった事故で、斜面が崩落したのはつくば市が高速道路脇の市道の側溝の管理を怠り、雨水を高速道路の斜面に流出させたためだなどとして、高速道路を管理するNEXCO東日本がつくば市を相手取って、斜面の復旧工事費の一部など計約1450万円を損害賠償請求し、裁判になっていることが分かった。

今年2月4日、一審判決が東京地裁(高木勝己裁判長)で出され、つくば市側が全面敗訴し、市に対し同額をNEXCO東日本に支払うように命じる判決が出された。市は判決を不服として13日、同日開会の市議会2月定例会議に一審判決の取り消しを求め東京高裁に控訴する議案を提案。同日開かれた市議会都市建設委員会は全会一致で控訴について同意した。14日開く本会議で改めて審議し、議決が得られれば市は東京高裁に控訴する方針だ。

側溝の管理に瑕疵

斜面が崩落する事故は、2020年1月29日未明に発生した。幅3メートル、高さ10メートルにわたって崩れ、高速道路の路面にも土砂が流出した。同日午前4時25分に通報があり、その後、谷田部インターチェンジからつくばジャンクション間が4時間半にわたって通行止めになった。NEXCO東日本は計約9440万円かけ斜面をさらに強固に復旧した。そのうち事故前の状態に復旧する工事にかかった費用など約1450万円を市に支払うよう求め、市と協議、しかし双方かみ合わず、2023年5月、NEXCO東日本は国家賠償法に基づきつくば市を相手取って東京地裁に損害賠償請求を起こした。

一審でNEXCO東日本は、高速道路脇の市道の側溝(幅72センチ、深さ80センチ)に土砂が堆積し、側溝の排水機能が十分に機能していなかったことから、前日の1月28日夜から29日未明にかけての降雨で市道が冠水し、市道から高速道路の斜面に雨水が流入して斜面の表土が徐々に削り取られ、特に削り取られやすい砂層部が短時間にえぐられたことが原因で斜面が崩落したと主張。高速道路脇の市道は通常あるべき安全性を備えておらず、つくば市の管理に瑕疵(かし)があったなどとした。

これに対し市は、崩落した高速道路の斜面は夏季は草が覆い茂っているが、事故が発生した冬季は草が枯れ、雨水が表土を侵食する機能が大幅に失われていた、冬季は大雨になることはまれで、予見することはできず、崩落事故は不可抗力で発生したものなので、市は国家賠償法上の責任を負わないなどと主張。さらに一級建築士が調査した責任の所在についての見解書を証拠として提出し、集中豪雨による自然災害だったなどと主張した。

一審判決は、市の主張を全面的に退け、事故はやや強い雨が1時間程度継続し、市道の路面から雨水があふれて斜面に流れ込み、土砂を含む雨水が斜面の表面を削り取ったことによって生じたとした。やや強い雨という程度だったにもかかわらず流れ込んだのは、市道の側溝に隣接の農地から流出した土砂が堆積し、排水機能が十分機能しない状態にあったためで、側溝が有すべき安全性を欠いており市の管理に瑕疵があったとした。さらに2018年に同一箇所で小規模な斜面崩落事故があり、その際NEXCO東日本はつくば市に対し側溝の土砂を撤去するよう依頼しており、NEXCO東日本に責任はない、などとした。

2年前、現場確認のみ

13日開かれた市議会都市建設委員会では、2020年の事故の2年前の2018年に市が、NEXCO東日本から側溝にたまった土砂を撤去するよう依頼を受けていたことについて質問が相次いで出された。市道路管理課は、当時、担当職員が現場確認を実施したが、どうするか検討し、2年後に事故が起こるまで側溝の土砂撤去を実施していなかったなどが明らかにされた。同課によると、事故直後の2020年1月29日から約400メートル区間の側溝の土砂を撤去し、撤去後、側溝の排水機能は回復したという。(鈴木宏子)

もっと⾃由に「まぜこぜ」社会を 東ちづるさん つくばで映画上映

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「まぜこぜ一座殺人事件~まつりのあとのあとのまつり」の一場面。左から3番目が東ちづるさん=Get in touch提供

21日から

全盲の落語家、ダウン症のダンサー、小人(こびと)症の手品師、ドラッグクイーン−。 

自身の特性を生かして国内外で活躍する「マイノリティ・パフォーマー」たちが出演する映画「まぜこぜ一座殺人事件~まつりのあとのあとのまつり~」が21日から、つくば市下原、つくばユーワールド内の シネプレックスつくばで始まる。作品を企画・構成・キャスティング・プロデュースしたのは、俳優の東ちづるさん。制作は、東日本大震災をきっかけに東さんが立ち上げ、代表を務める一般社団法人「Get in touch(ゲットインタッチ)」が担った。表現活動を通じて、すべての人が違いを超えて自由に暮らせる「まぜこぜ」の社会をめざす同団体にとって、初めての映画作品となる。

映画は、東さんが座長を務めるパフォーマンス集団「まぜこぜ一座」が2023年に上演した舞台作品「歌雪姫と七人のこびとーず」の打ち上げ会場を舞台に進むドラマ作品。控え室から響く悲鳴に座員たちが駆けつけると、息絶えた座長の東さんの姿が。そこから、容疑者となった座員たちの本音があふれ出す。マイノリティとして今の日本に生きる彼らが抱く疑問や怒りを、ユーモアとともに笑いに変える。見る人に「まぜこぜの社会」とは何かを問いかける「社会派コメディサスペンス」だ。

映画のチラシ=Get in touch提供

東日本大震災、避難所で起きたこと

映画を制作した「Get in touch」の始まりは2011年。東日本大震災がきっかけだった。東さんは、被災地で起きたことが忘れられないと言う。

「避難所で、マイノリティーの人たちが追い詰められている現状を聞いた。車いすの人が『ここはバリアフリーじゃないから、他の避難所に行かれたらいかがですか?』とやんわり言われたり、パニックを起こした障害のある子どもを怒る人がいたり、障害のある子を持つ家族が避難所に入るのを遠慮して車で過ごしたり。そういうことがたくさんあった。でも、全くニュースにならなかった」

震災後、復興に向けた前向きな物語がメディアで伝えられる中で、置き去りにされる人たちがいた。「ニュースにして欲しい」とメディア関係者に訴えても、「デリケートなことだから」と受け入れられなかったという。

「『デリケート』ってなんだろうと思った。マイノリティーの人たちをデリケートな存在にすることで、この社会にいないものにしているんじゃないか。避難所での出来事は、今の日本社会を最もよく表していると感じた」

震災直後、東さんは、被災地への支援を訴えるアート活動をする障害者に協力し、被災地の福祉施設を支援するなどの活動を展開した。さらに、アートや音楽、映像、舞台などのエンターテインメント活動を通じて、違いを超えて多くの人がつながっていこうと団体を立ち上げ、「つながり」を意味する「Get in touch」と名付けた。法人化したのは2012年だ。

「私たちの活動は、見る人をワクワクさせ、楽しい気持ちにさせるエンタメにしたい。エンタメにして、人を集めて、楽しむ。でも、帰り際はモヤモヤさせる。結果的に、みんなが知ってしまう。笑いをとりながら、見る人に考えてもらうものを作ろうと思った」

映画の一場面=Get in touch提供

共生社会の実現目指し

今の社会の問題点を東さんは「マジョリティーが作ってきた社会」にあるとし、「建物や道路、どれ一つとっても、見えない人、聞こえない人、歩けない人を想定していない」と指摘する。それは自身が病を患った時にも感じたことだと話す。2020年、東さんは出血性胃潰瘍を発症し、治療を受けている。

「私が自分の病気を公表すると、取材に来る人の中に、私を泣かせようとする人がいた。可哀想な人をつくろうとしたのだと思う。マジョリティーが無自覚に、都合のいいようにつくってきた社会だから、マイノリティーは可哀想、気の毒、守らなければいけない人たちにしてしまう。気持ちが悪いと思った。そんなことを吹き飛ばしたいという思いがどんどんふくらんできた。そんな思いもあって、マイノリティ・パフォーマーの彼らと一緒に面白いものを作ろうと、みんなでいろいろな話をしてきました」

Get in touchが企画するイベントで必ず行っているのが、手話通訳者をつけるなど障害への配慮をすることだ。「私たちの活動には、いつも手話通訳をがっつりつけている。これが、みんなが楽しめるということ。スタンダードにならなければいけないですよね」と東さんは言う。今回の映画でも、目や耳が不自由でも映画を楽しめるよう、バリアフリー字幕や音声ガイド、デジタルパンフレットを用意する。

「是非、気軽に来てください。お得で、楽しく、面白く、見る人の常識や普通を覆す作品です。笑いや感動、気づきだけでなく、見終わった後に残る『モヤモヤ』を、是非、持ち帰って欲しい」と話す。(柴田大輔)

◆映画「まぜこぜ一座殺人事件~まつりのあとのあとのまつり〜」はつくば市下原370-1 つくばユーワールド内 シネプレックスつくばで21日(金)~27日(木)まで、上映時間は午後6時から。初日は上映後に、出演者で声優の三ツ矢雄二さんと監督の齊藤雄基さんによるアフタートークイベントが開かれる。料金は一律1500円(税込)で映画パンフレット付き。バリアフリー字幕、音声ガイド、デジタルパンフレットを用意する。アフタートークには手話通訳者がつく。詳細は「まぜこぜ一座殺人事件~まつりのあとのあとのまつり」公式サイトへ。

文豪風入院日記②《遊民通信》106

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【コラム・田口哲郎】

前略

腸炎の症状も収まり、体調が良くなってくると、腹が減る。しかし、数日は絶食を命じられているから、水か茶を飲むことができるだけである。常にリンゲルを点滴されているから、渇きを覚えることはないが、病室は暖房が効いていて乾燥しがちなので、喉がいがらっぽくなることがあり、また口さびしくもあるので自販機で天然水を買ってきては、ちびちびと飲んでいた。

病院の食事は時間どおりである。朝8時、昼12時、夕方6時と決まっている。私は絶食だが、同室の患者は食事が出る。膳が運ばれてくると良い匂いが漂ってくる。仕切りのカーテンで見えないが、入院以来ありついていない食べ物の匂いと咀嚼(そしゃく)音が食欲を刺激する。

私は意識を逸(そ)らすために、家人に持ってきてもらった『宮澤賢治全集』を読むことに集中した。「ポラーノの広場」の最初に主人公のレオーノ・キューストがヤギの乳にパンを浸して食べる描写があり、余計に腹が減る。それでも読み進めると、イーハトーヴォの寒々とした美しい景色の中、ポラーノの広場で宴会が催されていると書かれている。

悪漢のデストゥパーゴが酒をたらふく呑(の)んでいる。ビール、日本酒、ワインを飲みたいと雑念が湧くが、頭を振って読み進める。

バイタル・モニタが警報を

すると看護師が飛んで来た。まさか私も実は食事を摂(と)れるのに、手違いかなにかで配膳されていなかったのかと一瞬思ったが、看護師は真剣に「大丈夫ですか?」と訊(き)いた。私はよく分からずに「はい」と言ったが、看護師はまた「胸が苦しくないですか?」と言うので、「いいえ」と答える。

「ちょっと見せて下さいね」と私の上着をまくりあげると、「ああ、これだ」とため息をついた。私の胸に貼られていた、心電図を測るためのセントラルモニタのセンサーの吸盤が腹の方に落ちていた。どうやら空腹に耐えかねて胸の辺りを掻(か)いた時に外れてしまったらしい。

「心電図が異常だから警報が鳴ったんですよ」と、看護師は新しい吸盤シールで貼りなおしてくれた。慣れない器具がついていると何気ない動作でこんなことが起こってしまうらしい。忙しい看護師を図らずも呼び出すことになってしまい、私は申し訳なくなり謝ったが、看護師は気にしないという風に笑顔を見せてステイションに帰っていった。

私は空腹を忘れて、申し訳なさとともに、看護師の優しさをありがたく思い、見守られている安心を感ずることを禁じ得なかったのである。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

死の間際に起こる「走馬灯現象」《看取り医者は見た!》36

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写真は筆者

【コラム・平野国美】死を迎える瞬間に現れる「お見送り現象」について、前回(1月31日掲載)取り上げました。最期に現れる現象がもう一つあります。「走馬灯現象」と呼ばれているものです。人生最期の瞬間に、自分の過去の出来事などが次々と頭の中を駆け巡る現象で、日本の伝統的な灯籠「走馬灯」の中で影絵が回転して映し出される様子に似ていることから、こう名付けられました。

この現象は多くの人が報告しており、過去の回想、幼少期から現在までの出来事や経験が連続的にフラッシュバックするようです。特に強く残っている瞬間や印象的なシーンが浮かんでくると言われています。ただ通常時間の感覚とは異なり、数秒や数分の間に多くの記憶が高速で映し出されると言われています。

事故で意識を失った方、海で溺れた方が生還したとき、この走馬灯現象を話すことがあります。この現象の科学的な解釈は確立されていませんが、いくつかの仮説があります。

一つは、脳が酸素不足や他の生理的ストレス―例えば強い痛みや刺激を受けた際に起きるストレス―に反応して起こり、脳の海馬(かいば)や扁桃体(へんとうたい)といった感情や記憶を司る部分が関与していると考えられます。人生の総決算として、自分自身と向き合う瞬間とも言えるでしょう。

どのような記憶が浮かんでくるのかは人それぞれであり、その人の生きてきた証しが映し出される瞬間と考えられないでしょうか?

Near-Death Experience

海外では、走馬灯現象を「Life Review Experience」や「Near-Death Experience」の一部として報告されています。特に「Near-Death Experience」(NDE)で語られることが多く、死に近い状況に置かれた人々が「過去の出来事を非常に迅速かつ詳細に思い出す」ことです。NDEには、離脱体験(肉体から魂が離れる感覚)、過去の回想(走馬灯現象)などが含まれることがあります。文化や個人の信念によって異なる表現がされますが、基本的な体験内容は共通しています。

この文化や個人の信念と言われる表現は、欧米では「光に包まれた世界」と表現され、日本の「三途(ず)の川を渡る」といった表現は同じ現象と思われます。走馬灯現象でも「お見送り現象」同様、エンドルフィン、セロトニン、アドレナリン、ドーパミンといった脳内ホルモンが複雑に作用して引き起こされると考えられます。

海辺の病院で働いていたとき、海で溺れた方がこう話していました。「少し苦しいと思ったが、しばらくすると楽になり、頭の中を子供の頃の思い出が回り始めた。気が付いたら助けられていた。長い時間、夢を見ていたようだったが、溺れていた時間は数分だったと聞いて驚いた」。このような話は臨床の場で時々聞きます。(訪問診療医師)

自宅の車庫で夫にぶつけられた!《ハチドリ暮らし》46

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写真は筆者

【コラム・山口京子】日常の暮らしのなかで、不意になにがしかの事故が起きることがあります。わが家の場合、車の事故を経験しました。夫が自宅の車庫に車を入れる際、なかなかバックでの切り返しがうまくできません。私が道路のわきに立ち、声掛けしていたところ、ハンドル操作を誤り、私にぶつかり、カーポートにぶつかって車が停止しました。

車にぶつけられた瞬間は衝撃だけで、痛みはありませんでした。車はカーポートと接触していて、右側の前後両方のドアがへこんでいます。運転できる状況ではないため、自動車保険についているサポートセンターに連絡し、レッカー車を手配してもらいました。次に保険会社に報告するように指示を受け、連絡すると事故の状況を聞かれます。ここで何回かのやりとりがありました。

2時間もしないうちにレッカー車が到着し、車を買った販売店に運んでもらいました。そのころには、自分の足の痛みがひどくなっています。近所の友人が整形外科クリニックに連れて行ってくれ、治療を受けレントゲンを撮りました。診断は左足の骨折。自宅療養で6週間が目安のようです。左足を固定し、鎮痛剤や抗生物質の薬をもらい帰宅しました。

友人のサポートに感謝

起きてしまったことは、取り返しがつきません。夫が車を運転するのは不安でしたし、自分は運転できないため、代車は断りました。翌日、保険会社から電話がありました。今回は自賠責保険の対象にはならないので、同保険からの補償はないとのこと。任意自動車保険から、ケガについては一定の補償があること。車両保険に入っていたので車の修理はされるが、等級が下がるとの説明を受けました。

しばらく車が使えない生活と足の治療が続きます。このとき助けられたことの一番は友人のサポートでした。友人は病院への送迎や買い出しを申し出てくれました。役に立ったのは、レトルトやフリーズドライの食品、缶詰、切り餅など、災害用に備蓄していた食品です。台所に立てないので、そのまま食べられるものや電子レンジで温めるだけの備蓄品があったことはラッキーでした。

家から歩いて行ける距離に食料品店があります。この際なので、夫に夕食を作ってほしいとお願いすると、この個人商店に通って買い物をするようになりました。痛いのと不便さを体験して、痛みなく歩けることのありがたさに気づかされています。(消費生活アドバイザー)

元旭天鵬ら豆まき 筑波山神社で年越祭

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高さ3メートルの特設舞台から豆まきをする力士ら

11日は歌手の相川七瀬さん

筑波山神社(つくば市筑波、上野貞茂宮司)の年越祭が10日、筑波山中腹の同神社拝殿で催され、大相撲大島部屋の大島親方(元旭天鵬)ら力士が豆まきをし、福を求める参拝客や観光客でにぎわった。

年越祭は、拝殿でおはらいを受けた年男が福男となり、福豆とともにたくさんの福物をまき、1年の家内安全や商売繁盛、健康維持、厄よけなどを祈願する祭礼、「年男は万歳、年女は万歳」と境内を歩き、拝殿で儀礼のあと、豆まきを行う。本来旧暦の正月14日に行ってきたが、現在は毎年2月10日と11日の両日に行っている。

10日午後の豆まきには大島親方のほか、旭海雄(きょくかいゆう)、旭水野(きょくみずの)、旭将里(きょくしょうり)、旭天道(きょくてんどう)の5人の力士やつくば観光大使らが参加。高さ約3メートルの特設舞台から福豆や餅、菓子などをまき、参拝客らは歓声を上げながら手を伸ばして福物を取り合った。11日は歌手の相川七瀬さんも加わり豆まきを行うという。

手を伸ばして福豆や餅を拾う参拝客や観光客ら

千葉県銚子市からきた杉山一恵さん(40)は「友人たちと日帰りで筑波山登山にきた。今日は偶然、豆まきがあるとわかり参加した。お餅も拾えてラッキーだった。この運が今年ずっと続いたら良いと思う」と語った。

会場には「スリ注意」の看板が設置され、会場では「リュックを前掛けにする」などの対策をとるようアナウンスがあった。見回りにきた警察官は「豆まきの時にスリが何回かあった。隙を狙っている人がいるので充分気をつけて欲しい」と話していた。(榎田智司)

行方市で初の「焼き芋サミット」《邑から日本を見る》177

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行方市で開かれた焼き芋サミット

【コラム・先﨑千尋】今は「第4次焼き芋ブーム」。2000年頃から続いている。その火付け役となったのは従来のツボ焼きや引き売りとは違うスーパーなどでの店頭販売だ。始めたのは、茨城県行方(なめがた)市にあるなめがた農協(現なめがたしおさい農協)。その行方市で1月17日に全国初の「焼き芋サミット」が開かれた。

主催したのは同市と実行委員会。沖縄から北海道まで全国から、焼き芋ファンや焼き芋業者、サツマイモ流通業者、加工業者、生産者、農協・自治体関係者、研究者など約200人が集まった。会場は同市宇崎の鹿行生涯学習センター「レイクエコー」。

同市は昨年11月に、市役所だけでなく、農協や生産者、流通業者などを加え、サツマイモに特化した官民連携の「行方市さつまいも課」を発足させた。同課は、サツマイモの商談やイベント開催など様々な問い合わせにワンチームとなって対応する。行方市の強みをかたちにしたもので、実在の課があるわけではない。事務局は市ブランド戦略課が担当している。

同市のサツマイモ生産金額は約90億円で、茨城県鉾田市、千葉県成田市に次いで全国で第3位(2022年)。栽培面積は約1000ヘクタール。

今回の焼き芋サミットは、さつまいも課発足後最初のプロジェクトで、焼き芋専門家やファンの交流・学びの場とすることが狙い。講演や事例紹介、トークセッションなど多彩なプログラムが用意された。

まず、農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)北海道農業センターの片山健二さんが、焼き芋はなぜ甘くなるのかについて品種改良の歴史を踏まえて説明し、あまはづき、ゆきこまち、ひめあずまなどの新品種や、海外輸出、寒冷地の北海道での作付けなど幅広い解説をした。

スーパー店頭でも販売

続いて、なめがたしおさい農協の金田富夫専務が、同農協でスーパー店舗内での焼き芋販売を始めた動機や苦労話、販売戦略、地域の農林水産物や食品を保護する農水省の地理的表示(GI)保護制度登録と、海外輸出、焼き芋販売戦略と地域活性化が評価され、日本農業賞と天皇杯を受賞したことなどを紹介した。

同農協は、焼き芋をスーパーで手ごろな値段で1年中おいしく販売できるスタイルを全国に先駆けて確立した。海外への輸出は17年から始め、タイ、カナダ、香港、シンガポールなどに輸出している。金田さんは話の中で「ただイモを販売するのではなく、イモに関する情報をイモに載せないとダメ」だと強調した。

同農協は、農家で生産されたサツマイモをキュアリング低温冷蔵庫で保管し、1年中いつでも甘くておいしい焼き芋を提供するため、サツマイモの特性を生かした品種リレー出荷を行っている。また、焼き芋マニュアルを作成し、味のばらつきがないように焼き方をマニュアル化し、品質の安定化を図っている。同農協の焼き芋が食べられる店舗は、現在では4000店以上に伸びている。

トークセッションでは、冷やし焼き芋の可能性やアフターコロナの焼き芋屋事情、新産地北海道の現状というテーマで、焼き芋屋や流通業者、青果市場担当者などが、冷やし焼き芋の現状と可能性、コロナ禍での休業、イベント出店、近況などを伝え、会場からも質問や意見などが出されて、さながら焼き芋交流会のようだった。

サミットの最後に、鈴木周也行方市長は「今回のサミットを契機に、焼き芋で多くの人とつながり、焼き芋の可能性を探り、国内だけでなく世界に向けて焼き芋文化を発信して、盛り上げていきたい」と抱負と決意を述べた。(元瓜連町長)

愚痴と恨み節のバレンタインデー《続・平熱日記》175

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】「チョコレートいくつもらった?」と聞かれて…。「ひとつ」は奥さんからが見え見えだし、「みっつ」は妙にリアル、「十」はうそっぽい、「ゼロ」は…。バレンタインデーについて私が何か書くとなると、当然、愚痴や恨み節のようになるのはご容赦願いたい。

そもそも、この国ではクリスマスにしろ、バレンタインデーにしろ、「愛」という概念(?)をラブラブと勘違いしてしまったから面倒くさいことになってしまった。

2月14日。学校が何となく色めき立つ日。心なしか、校内にあま~い匂いが漂っているような。そして、大方の男子にとっては憂鬱(ゆううつ)な日でもある。イケメンと呼ばれる星の下に生まれない限り、そうやすやすとチョコレートなぞもらえるはずもない。

かく言う私も、収穫ゼロの人生を歩んできたわけだが…。長らく、この女子がチョコレートを持って右往左往する日を何とかしてほしいと思っていた(本気の方々には思いが届くことを願っています)。

しかし、一時の凶器にも近いチョコレート送り合戦は収まったようだが、今度は自分にご褒美などと訳の分からないことを言い出し始めて…。結構なお値段のチョコレートに驚くやら、いまや中学生の日常会話にベルギーの高級チョコレートの名前が違和感なく出てくる国もどうかと思うが…。

「トブラローネ」という名のチョコ

というか、このところの不作でカカオの高騰がニュースになっていて、チョコレート会社も四苦八苦しているとか。また、カカオをめぐっては児童労働や森林の伐採などが問題となっているそうで、チョコレートを取り巻く状況は甘くはないようだ。

ところで、つい先日のこと。舶来の食品を使う店で「トブラローネ」というチョコレートを手に取った。このチョコには思い出があって、親父がパチンコの景品に持ち帰っていたのか、たまたまうちにあって、子供のころからこの三角柱のチョコにはなじみがあった。

それからしばらく、このチョコを口にすることはなかったのだが、パリにいたときに親しかったスウェーデン人の女性画家がこのチョコレートのことを「トッブラローネ!」と独特のアクセントで呼んだのを聞いて名前を知ることとなり、それ以来見かけると買ってしまう。

しかし、結構いい値段だな…少しためらったが、ミニサイズがいっぱい入っている袋を買ってみた。トブラローネは3種類の味があって、黒、クリーム、白色の包装になっている。その独特の三角形の連なった形を、改めてこれはスイスの山の形か?と思いつつ絵に描いてみることにした。

「チョコいくつもらった?」「愛は数ではないのだよ」と言いたいところだが…。「先生お返し期待しているね!」に「愛とは見返りを求めないものだよ」とも言ってやりたいのだが…。いつか本気のチョコレートを手渡す日がくるよ…。

描き終えたチョコを口に入れた。私はやっぱりクリーム色のヤツが好きだ。(画家)

10日早く開幕、開花は1週間遅れ 筑波山梅まつり

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平年並みの寒さでまだ見頃が続くロウバイの前でポーズをとるつくば観光大使の(左から)宮本真里さん、仲条佑佳さん、友部穂乃歌さん、兵藤大地さん、 針谷美樹さん、宮本真理子さん

第52回筑波山梅まつりが8日、筑波山中腹の筑波山梅林(つくば市沼田)で始まった。温暖化で開花が早まっていることから今年は開幕を例年より10日ほど早めた。しかし今年の冬は平年並みの寒さとなり、開花は昨年より1週間ほど遅れているという。

現在、早咲きの紅梅は3分咲き、白梅はまだつぼみで、一輪また一輪とほころびが見られる程度。見頃は3月に入ってからになるとみられる。1月中旬ごろ満開となったロウバイはまだ見頃が続いている(1月24日付)。今年の開花状況を見て関係者は「(梅まつりの)開催時期は難しい」と話す。

ようやく見つかった白梅

筑波山神社による神事の後、関係者約60人が参加し開園式が催された。筑波山梅まつり実行委員会の神谷大蔵委員長は「梅林の魅力は関東平野が一望でき、天気が良ければ富士山やスカイツリーなども見ることが出来る。展望台に上がると梅の香りが下から上がってくるのが感じられる」とあいさつし「新たな試みとして、知名度を上げるため、在住3年以内の市民にモニターツアーを募集したところ3倍ものの応募があった」などと話した。開園式には五十嵐立青つくば市長、黒田健祐市議会議長、青山大人、国光あやの衆議院議員らが出席した。

開園式の神事の様子

梅まつり期間中、つくば観光大使のお出迎え、がまの油売り口上実演、梅林の上を横断する100メートルジップスライドなどのイベントがあり、つくば観光ランティアガイド298が園内を案内する。おもてなし館では筑波山梅林の梅シロップを使った「梅Café」、周辺店舗では梅を使った期間限定メニュー「つくばの梅(うめ~)食」などのグルメも用意される。周遊企画として梅の香りが楽しめる「梅和香」が開催され、梅アロマが筑波山ケーブルカー、筑波山京成ホテル、はつね、神田家、日升庵、いでむら、江戸屋、神橋亭、梅林おみやげ館などに置かれ楽しむことができる。

また筑波山ケーブルカーの緑色車両は「梅の花」仕様に彩られ、ヘッドマークも限定デザインになる。ケーブルカーを運行する筑波観光鉄道の枝村誠社長は「梅まつりの開催が例年より早くなったが、良いことだと思う。これからどんどんいろんな花が咲き始めるという楽しみがある。筑波山ケーブルカーも内装を替えたりし、筑波山観光がさらに盛り上がるよう協力していきたい」と語った。

筑波山梅林は標高約250メートル付近にあり、中腹の斜面に広がる4.5ヘクタールの園内には約1000本の白梅や紅梅がある。梅まつりは3月9日まで催される。(榎田智司)

「土浦の雛まつり」始まる 商店街100店 まち彩る

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訪れる見学者に作品を解説する「松翠会」の小嶋さん(左)

20回目の開催

今年で20回目を迎える「土浦の雛(ひな)まつり」(市観光協会主催)が4日から、土浦駅西口近くの商店街などで始まった。3月3日まで開催される。目印となるピンクののぼりを立てた約100カ所の商店や公共施設に、趣の異なるひな人形が飾られている。最初の週末を迎えた8日、イベントの中心地となる旧水戸街道沿いの宿場町、中城通り(土浦市中央)には、展示会場を記した地図を手にする観光客が、城下町の趣を残す路地を行き交っていた。

江戸時代に建てられた商家などが点在する中城通り。展示会場の中心となる

第1回から欠かさず参加

中城通りの空き店舗を利用し、手製のつるしびなやひな人形など、色とりどりの作品数百点を展示するのは、古布を使った細工を楽しむ同好会「松翠会」(会主・小嶋幸子さん)。毎月2回、市内の公民館に会員が集まり、古布を生かした作品制作をしている。「土浦の雛まつり」には第1回から欠かさず参加してきた。会を主宰する小嶋さんは「作品は会員同士でアイディアを出し合い作ったもの。時間をかけて丁寧に作ることを心掛けている。毎年、ここで展示するのが活動の励み。ぜひみんなの力作を見てほしい」と、思いを込める。

中城通りの「野村」に展示されている、はすの花たくを用いた「霞蓮雛(かれんびな)」

江戸後期に建てられた呉服店の蔵を改築した観光拠点「土浦まちかど蔵・大蔵」には、江戸時代後期から明治にかけて江戸で活躍した人形師、3代目仲秀英の作品のほか、十二支をモチーフにしたものや、土浦のご当地キャラクター「つちまる」「キララちゃん」の創作びななどが展示されている。「大蔵」の向かいにある、江戸後期から明治に建てられた「まちかど蔵・野村」では、土浦の特産品であるハスの花托(かたく)部分で作った「霞蓮雛(かれんびな)」や、霞ケ浦でとれたタニシを用いた「かすみ人形」が展示されている。

霞ケ浦でとれたタニシを用いた「かすみ人形」

市観光協会の浅川善信さんは「江戸から明治、現在にかけて作られた、さまざまなひな人形が展示されている。会場を巡りながら歴史ある土浦の街を知るきっかけになるとともに、それぞれのお気に入りのひな人形に出会ってもらえたら」と来訪を呼び掛ける。(柴田大輔)

◆「第20回土浦の雛まつり」は、同市中央1丁目の土浦まちかど蔵「大徳」「野村」など中城通りを中心に3月3日(月)まで開催。期間中、協賛イベントとして「大徳」で野菜市(2月15日、22日、3月1日)、土浦まちかど蔵駐車場でキッチンカーの出店(2月24日、3月1日)、矢口家住宅前(同市中央)でおしるこの無料配布(2月23日、3月2日)。3月1日まで上高津貝塚ふるさと歴史の広場・考古資料館(同市上高津)では、企画展「縄文ファッションのお雛さま・縄文土偶のお雛さまの展示」が開かれる。その他、期間限定メニューを提供する飲食店、市内4カ所をまわる「デジタルスタンプラリー」も開催される。2月22日から3月2日にかけての土・日曜、祝日には、無料で乗車できる7人乗りの電気自動車「グリーンスローモビリティ」が、土浦まちかど蔵と市立博物館の間を1日10回往復する。

電子顕微鏡開発のルーツ「DA-1」がたどった道 日本電子 創立75周年

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日本電子本社の開発館に設置されているDA-1

【PR】電子顕微鏡などの理科学計測機器メーカー、日本電子(JEOL、本社東京都昭島市、大井泉社長)が昨年、創立75周年を迎えた。同社の創立メンバーが1947年に初めて開発に成功し商品化したのが電子顕微鏡「DA-1」だ。本社の開発館には貴重な1台が鎮座している。開発館のDA-1は1975年11月に茨城大学から譲り受けた。それまでどのような歴史をたどってきたのだろうか。今回、経緯の一部が明らかになった。

DA-1 茨城大学へ

茨城大学にDA-1が搬入されたのは1951年のこと。当時のことを茨城大学工学部同窓会 多賀工業会の稲見隆 事務長(2023年取材当時)に確認してもらったが、詳細は残されていなかった。

浦尾亮一名誉教授

ではどのような経緯で茨城大学に設置されたのだろうか。取材班はDA-1を知っているという同大工学部の浦尾亮一 名誉教授(86歳、2023年取材当時)からお話しを伺うことができた。DA-1が設置された1951年にはまだ茨城大学に着任されていないので、当時の様子は周囲から聞いた話も含まれている。

当時の写真に目を通す浦尾氏

「金属材料の研究をしていた千早正氏を茨城大学工学部に迎えるにあたり、1951年当時の工学部長、都崎雅之助 教授(後に第5代同大学長)が、先端機器である電子顕微鏡が設置されていないことは研究遂行上、問題であると言って茂原に連絡をし、DA-1を調達したと聞いています」(浦尾氏)。茂原とは、千葉県茂原にあった日本電子の前身にあたる電子科学研究所のことだろう。

特別な電子顕微鏡

茨城大学に設置されたDA-1を使っていたのはもっぱら千早氏だった。だが浦尾氏が着任したころにはほとんど使われなくなっていた。教授となっていた千早氏は工学部長も務めるようになり、DA-1のある部屋や実験室から遠く離れた学部長室で執務することが多くなっていたという事情もあるのだろう。

かつてDA-1が設置された茨城大学工学部の建物外観。内観ともに改修されている

浦尾氏が着任すると、待っていたのは忙しくなった千早教授の代わりに実験室の面倒を見る仕事だった。そこで数回だけDA-1を操作したことがあったという。利用回数が少ない理由は「もっぱら千早先生が使う装置だ」という遠慮と、すでに”古い部類”になってしまった装置の不安定さが要因のようだ。安定稼働させるために電源として蓄電池が用意されていて、日中から午後11時近くまで充電する。その後、観察を始めるのだが、稼働できたのは2時間程度だったという。

千早教授は時々、学部長室を出て実験室に来ることがあった。そして浦尾氏らと話をしてまた学部長室に戻っていく。話の内容は実験の進ちょくだったり雑談だったりで、DA-1の話をすることもあった。千早教授は茨城大学の装置は極めて初期に作られた1台という話をしていたという。

かつてDA-1が設置された場所

DA-1 発見

DA-1を調整する芦沼寛一

1975年7月10日、一人の営業担当者が茨城大学を訪れた。日本電子に入社して2年目の渡邊愼一(現・顧問)である。

当時茨城大学の工学部は日本電子のユーザーではなかった。アウェイを覚悟で訪問したのだが、思いのほか歓迎された。「いいものがある」と倉庫に案内されると、そこには話に聞いたことのあった古い電子顕微鏡が保管されていた。日本電子の社員が現存するDA-1を見つけた瞬間である。

ただ、入社して間もない渡邊にとっては本物かも区別がつかない代物であった。そこでDA-1の設計者の一人である芦沼寛一に後日、確認してもらった。芦沼は感慨もひとしおだったようだ。なにせ28年前に苦労して完成させたDA-1の姿がそこにあったのだから。

それから誰からともなく「茨城大のDA-1を日本電子に戻せないか」という声が上がるまで時間はかからなかった。

DA-1 日本電子へ

DA-1を譲り受ける話し合いのため、渡邊らは1975年9月17日に茨城大学を再訪する。そして同年10月20日。引き渡しが行われ、DA-1は本社開発館へ設置された。

以来、今日までこのDA-1は、芦沼と同じく設計者の一人である伊藤一夫による「設計ノート」と、日本電子の創業者である風戸健二がこの顕微鏡を作るきっかけとなった黒岩大助著「電子顕微鏡」とともに開発館ショーケースの中に保管され、世界中から訪れるユーザーを出迎えている。

「透過型電子顕微鏡 DA-1とその設計ノート」は、2010年秋に国立科学博物館より「重要科学技術史. 資料(未来技術遺産)」に登録された。また2012年秋には社団法人日本分析機器工業会(JAIMA)と一般社団法人日本科学機器協会(JSIA)が合同で創設した「分析機器・科学機器遺産認定」にも選定されている。

極微の世界と科学の発展

日本電子創業者 風戸健二

以下は風戸の言葉である。

「今や日本は、アメリカとともに高級理科学機器の世界の大国となって、成果の出るのはこれからであろうが、日本の青年を信頼し、青年に頼って立国の大業の成ることを期して待とうではないか!彼らに、我々の遺伝子が伝えられていることを信じて!」

当時まだ見ぬ未来の日本電子社員に向けて発信されたであろうこの一文は色あせることなく受け継がれ、日本電子は今日も世界初・世界最高技術への挑戦を続けている。

創業117周年を盛大に祝う 関彰商事

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あいさつする関正樹社長

関彰商事(本社筑西市・つくば市、関正樹社長)は6日、つくば国際会議場(つくば市竹園)のLeo Esakiメインホールに出席者333人を集め、創業117周年記念式典を開催した。永年勤続表彰や優良社員表彰などにより功績のあった社員に報いたほか、記念講演では筑波大学の永田恭介学長が登壇した。

今年は関彰商事の創業117周年に当たるほか、福島県進出110周年でもあることから、記念式典では福島における同社の軌跡もビデオにまとめて上映した。漁船の燃料不足で困った人たちを助けるため、創業者の故・関彰氏が新潟や秋田の産地まで出向いて石油をかき集めた話や、東日本大震災のとき被災地のいわき市内へいち早く燃料油を供給した話なども紹介。ビデオの後で関社長は「過去を知った上で、今の時代に自分たちが何をできるかを考え、新しい世代が新しいわが社をつくっていってほしい」と社員に向けてエールを送った。

記念講演する筑波大の永田学長

式典終了後は、筑波大学の永田恭介学長が「朋出贔案奉社好:友とともにアイデアを生み、会社を発展させる」と題し講演した。タイトル前半の漢文めいた部分は「ボーイズビーアンビシャス」と読み、実はこちらが講演の主要テーマ。自身がポスドクとして単身ニューヨークに渡ったときのエピソードなどを紹介し、「人は自分がやってきたものの上でしか何かを成し得ない。将来何かをつくっていこうとするなら、いままでの知識や経験が通じないようなゼロベースのところで苦労してくることも必要。全く考えたことも見たこともないようなことに出合わないと、やっぱり人はなかなか成長できない」と、外へ出て見聞を広めることの重要性を語った。

アスリート社員の西願寺さんが表彰

特別表彰では、グリーントランスフォーメーション部GX1課の西願寺哲平さんの業績が称えられた。昨年10月に佐賀市で行われた国民スポーツ大会の柔道成年男子種目で、茨城県チームの次鋒として出場。決勝までの4試合で3勝を挙げ、準優勝の立役者となった。また業務では、大手商業施設との取引を任され、111店舗もの契約を獲得したことが評価された。

特別表彰を受けた西願寺さん(左)

西願寺さんは東京都出身、埼玉栄高から筑波大を経て、現在は関彰商事入社2年目。24歳。競技での目標は日本代表に復帰し、世界選手権やオリンピックに出場すること。「当社アスリート社員の中でも営業職は珍しく、部内の先輩方の理解を得て、練習と仕事で時間をやりくりしながら、タイトなスケジュールの中でやり遂げることができた。自分の場合は業務をしながら勝つことに意義があると思う。今後も両立しながら結果を残していきたい」と話す。(池田充雄)

こどもとゲームをするということ《ことばのおはなし》78

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写真は筆者

【コラム・山口絹記】最近、こどもとテレビゲームをするようになった。正確には、2人でコントローラを握って遊ぶわけではなくて、こどもがゲームをやっているのを横で眺めている。どうしようもなく行き詰まったときだけ、協力することにしている。

ゲームと一口に言っても様々な種類があるが、こどもがやっているのはストーリーのあるアクションロールプレイングというジャンルだ。ゲームの世界の中で様々な他者と交流、協力をし、目的のために戦闘をしながらストーリーを進めていく。

ゲームのプレイングというものには、その人それぞれの性格や感性、行動規範のようなものが垣間見える。常に様々な選択を迫られる中で、どういった判断を下していくかというのが見えるという意味で、こどもがゲームをプレイしているのを眺めているのは存外に楽しいものなのだということに気が付いた。

こどもが見せる様々な一面

普段、こどもと私も、親子というある意味でのクローズドなロールを無意識に演じているわけだが、ゲームの中ではこどもは多くの他者と関りを持っていく。一緒に過ごす時間が小さい頃よりも短くなった中で、こどもの見せる様々な一面には驚かされることが多い。

ストーリーをどう解釈して、何に疑問を持ち、どういった選択をするのか。どういったことに慎重で、どんなことには大胆に挑むのか。意外な知識を持っていたり、思いのほか深い理解をしていたり、私とは全く違うストーリー解釈にうならされることもある。

自分のこどもが成長していくということは、こどもが私の知らない人たちと交流して、私の知らない物語を知り、違うものが好きになっていくということなのだろうと思う。お互いに理解できないこともどんどん増えるのだろうけど、それは、なんだかとても素晴らしいことに思えるのだ。(言語研究者)

地域の歴史知るきっかけに 「土浦八景」「垂松亭八景」の案内板設置

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土浦駅西口駅前広場に設置された土浦八景の案内板

土浦ロータリークラブ

江戸時代末期、土浦城下で活躍する町人が、城下にある風光明媚な八つの場所を選んだ「土浦八景」と、土浦藩4代藩主、土屋篤直が1752年に選定した「垂松亭(すいしょうてい)八景」の場所を記す二つの案内板を、土浦ロータリークラブ(原田博夫会長)が製作し昨年12月、それぞれ土浦駅西口駅前広場の交番横と、同市小松にある小松二十三夜尊敷地内に設置した。5日、土浦八景案内板の寄贈・目録贈呈式が土浦市役所で開かれ、原田会長が安藤真理子市長に目録を贈呈した(1月26日付)。

案内板はアルミ複合板製で、それぞれ高さ2メートル、幅1メートル40センチ。表面は土浦市の地図に八景の場所が指し示されている。裏面は、同市立博物館が監修したそれぞれにまつわる歴史が書き込まれている。

「土浦八景」は、幕末期に当時の土浦城下で文化活動をする5人の町人が選んだ。霞ケ浦をはじめ、桜川に架かる水戸街道の銭亀橋から、土浦城北門までの間にある市内の名勝地8カ所が選ばれている。選んだのは、土浦城下で薬種業や醤油醸造業を営んだ国学者の色川三中、折りたたみ式の地球儀を作ったことで知られる市内出身の地理学者、沼尻墨僊、同市神龍寺住職の如蓮らで、和歌や漢詩、俳句の題材として用いられていた。

垂松亭八景の案内板が置かれた小松二十三夜尊(土浦市小松)。敷地からは、土浦市街が一望できる

「垂松亭八景」は、土浦八景が選定される約100年前に、旧小松村の高台に「垂松亭」と名付けた小さな庵を置いた土浦藩主・土屋篤直が、そこから見える八つの場所を選んだものだ。

同クラブ会長の原田さんは「2023年12月、土浦市が作成した、地域に残る歴史的な街並みを維持・向上させるための計画が『歴史的風致維持向上計画』として国に認定されている。江戸末期に選定された『土浦八景』を巡ることで、江戸から現代にかけて土浦の時代変遷を感じることができると思う。自転車で回る人にも見てもらいたいし、歩く人にも、是非市内を歩くための目標ポイントにしてもらいたい」と思いを寄せた。

安藤市長に目録を贈呈する土浦ロータリークラブの原田会長(左)

土浦八景案内板の寄贈を受けた土浦市の安藤真理子市長は「案内板が置かれた駅前は、高校生など若者がたくさん集まる場所。選ばれている場所を知らない人も多いはず。是非、多くの市民に見ていただきたい」と話し、訪れる外国人観光客に対しては「土浦は台湾の台南市と友好都市を結ぶなど、中国や台湾をはじめ、多くの外国人観光客が訪れている。今後さらに土浦を知る大きなきっかけになればと思う」と、今後への期待を込めた。(柴田大輔)