火曜日, 10月 13, 2026
ホームスポーツ5選手がJリーグへ 筑波大蹴球部

5選手がJリーグへ 筑波大蹴球部

筑波大学蹴球部からJリーグへ羽ばたく5選手の合同記者会見が19日、つくば市天王台の同大大学会館で開かれた。5人のうち3人は大学サッカーを1年前倒しで退部し、すでにプロ選手として活動を始めている。残る2人は蹴球部の主力として今季の関東大学サッカーリーグ1部優勝に貢献し、現在も全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)で優勝を目指して激闘中だ。

5人それぞれ意気込み

サイドバックの安藤寿岐は1月に退部しJ2サガン鳥栖へ加入。「けがで思い描いたシーズンとは違ってしまったが、鳥栖の顔になり、自分を見にお客さんが来てくれるような選手になりたい」と来季の巻き返しを誓った。

センターバック兼ボランチの加藤玄は今季J1名古屋グランパスで公式戦10試合に出場。「(途中出場が多く)出場時間を伸ばせなかった。来季こそ自分の価値を証明したい」と決意を見せた。

ゴールキーパーの佐藤瑠星はJ1浦和レッズに加入が内定。昨年の天皇杯筑波大ー町田ゼルビア戦ではPKセーブで勝利をたぐり寄せる活躍をした。「レッズには西川周作さんら優れたGKがいる。全員から学べることを吸収しスタメンを勝ち取りたい」と語った。

センターバックの諏訪間幸成は今季J1横浜Fマリノスで14試合に出場。「プロは小さい頃からの夢。目の前にチャンスがあるなら行くべきだと思った。フィジカルの強さや判断スピードなどを鍛え、勝利に貢献できる選手になりたい」と話す。

サイドハーフの山崎太新はJ2大分トリニータに加入内定。今季は主将を務めチームの精神的支柱になった。現在はインカレ予選リーグを突破し、21日に準々決勝の大阪体育大学戦を控える。「チームの目標である日本一を何としても勝ち取りたい。個人としては得点やアシストなど、目に見える結果でチームを勝たせる活躍をしたい」と述べた。

チームメートらとの集合写真

早期退部が新たな刺激に

近年、大学サッカーを途中で切り上げてプロ入りする例は増加傾向にあるが、一度に3人が出るのは筑波大でも初めて。さらに7月にはエース内野航太郎がチームを離脱し、デンマーク1部のブレンビーに加入した。これも快挙ではあるが、チームとしてはさらに苦しい状況に追いつめられた。「実力ある選手たちに頼れず、チーム運営としてもぎりぎりで、最初は不安しかなかった」と小井土正亮監督は明かす。だが残った選手たちには、4つのイスが空く新しいチャンスに映った。

「ポジションを得た選手たちが予想以上にたくましく成長してくれた。サイクルを1年でも早く回していくのが、みんなにとって良いことだと感じた」と小井土監督。、早期退部についても「次のキャリアに進むチャンスがあるなら応援してあげたいし、選手としての成長を妨げられない。大学の価値を上げることにもつながる」と、ポジティブにとらえる。

ダブル優勝で集大成を

関東リーグで2年ぶり17回目の栄冠に輝いた筑波大が、今季の集大成として次に狙うのは9年ぶり6度目のインカレ優勝だ。「筑波大がインカレと関東リーグの2つのタイトルを同時取得するのは、実現すれば1980年以来45年ぶり。それくらい難しいことに取り組める権利が今年はある。また新しい扉を開けるよう、あと3つを勝ち抜いていきたい」と小井土監督。

「本当に難しい挑戦であることは理解しているが、成功につなげられる自信と強さが今のチームにはある。それを結果で証明し、歴史に名を刻みたい」と山崎主将は気勢を上げる。(池田充雄)

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