月曜日, 10月 12, 2026
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条例違反を市長は自白 つくば市保健センター《投稿・鳥居徹夫》

鳥居徹夫さん

2023年10月14日に茎崎地区で開かれたタウンミーティングで、つくば市の五十嵐市長は、つくば市保健センター条例をずっと(十数年間も)守っていないことを自白しました。

市ホームページには、昨年10月14日の茎崎地区タウンミーティング、および同日の谷田部地区タウンミーティングから5カ月以上も会議録が掲載されず、その概要がアップされたのは、年度末の3月27日でした。

タウンミーティングの司会者は、住民の発言は1人2分以内としながら、このときの市長の答弁はなんと10分前後でした。しかも五十嵐市長は「茎崎のことを、皆さんが思っている以上に考えている」とムキになって2度も繰り返しました。

市長の答弁は、ツッコミどころが多くありましたが、市ホームページの概要では多くが省略されていました。ぜひ本欄のコメント欄に、発言全文の文字おこしを掲載していただければうれしいです。

昨年10月のタウンミーティングで、私は五十嵐市長に対し、「つくば市保健センター条例が、ずっと守られていない。改善を求める」と要望しました。しかし五十嵐市長は「建物は存続するが、機能は廃止する」と発言。条例違反を追認したばかりか、逆に(条例違反の)現実に条例を合わせ、保健センター条例を改悪すると、強弁しました。開き直ったのです。

その時は、市長の顔が引きつり、市長が弁明する際、質問した私を凝視し、にらみつけるようでした。私も目をそらすわけにはいかず、にらめっこの状態が続きました。

しかし昨年の12月議会と今年3月の市議会には、条例改悪の議案は提出されていません。

放置し、追認し、居直る

つくば市保健センター条例によると、第2条で茎崎など4カ所の保健センターの名称と住所が明記され、第4条で(1)検診等(2)健康相談や健康教育(3)保健指導、栄養指導(4)機能回復訓練(5)衛生知識の普及等、を業務としており、第5条で、各保健センターに必要な職員を置くことになっています。

第4条(1)の検診等は、茎崎保健センターの建物を使いますが、貸し会議室のような存在になっています。さらに常駐の保健師がいないので、第4条(2)(3)(4)(5)は有名無実です。検診の結果が出ると、谷田部保健センターから保健師が来て、会場を借りて、相談希望者に対応しているのが現状です。また常駐の職員はおらず、明らかに第5条違反です。

今年秋に市長選挙がありますので、市長は発言を撤回し、条例を遵守すると明言され、市の幹部に指示されていいかがでしょうか。

市のホームページによると「保健センターは地域の皆さんにとって身近な存在です。専門スタッフが子育て支援から健康増進、生活習慣病予防、在宅療養等に関した活動を行っています」と記されています。

つまり「保健センターは、地域保健法第18条に基づき市町村が設置することができ、その目的は住民に対し健康相談、保健指導及び健康診査、その他地域保健に関して必要な事業を行う施設」なのです。

五十嵐市長は、つくば市保健センター条例の違反を長期間放置し、条例違反の現状に合わせ、威勢高に条例改悪を明言し、居直ったわけですから。

《参考》タウンミーティング(2023.10.14 開催 場所:ふれあいプラザ ) 懇談概要の7番目の質疑が、保健センターに関する市長と私のやりとりの概要です。

【とりい・てつお】政治・労働問題研究者。日本労働ペンクラブ会員。1950年生まれ。茨城大学人文学部卒、労組役員を経て国会議員政策秘書。民主党政権では文部科学大臣秘書官。つくば市在住。

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