日曜日, 3月 1, 2026
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土浦の花火in大曲《見上げてごらん!》19

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一覧作成は筆者

【コラム・小泉裕司】今回は、「土浦の花火」史上、特筆すべきイベントに立ち会うことができたので、その概要を報告したい。

10月7日(土)、秋田県大曲の秋の夜空で、「土浦の花火」と「大曲の花火」の競演が実現した。そもそも、新型コロナウイルスの影響で第90回土浦全国花火競技大会が中止となったことを受け、昨年1月から2月にかけて、実行委員会が「土浦の花火~後世に伝える匠(たくみ)の技」(2022年4月17日掲載)を霞ケ浦湖畔で開催。最終日、大曲の4社と土浦の6社合同による「二大花火競技大会『土浦』『大曲』夢の競演!!」として打ち上げたのがきっかけ。

大曲の花火 秋の章」の第2幕、「土浦の花火物語」と題し、日本煙火協会茨城地区会が共同して、土浦全国花火競技大会の打上規定にそった作品、10号玉6発、創造花火2組、スターマイン2台をPART1と2に分けて打ち上げたもの。

芯入り割物を中心とした「10号玉の部」は、6社が1発ずつ出品。芯の数が多ければいいというものでもないが、競技大会で常に上位を占める山﨑煙火や野村花火が5重芯ではなく4重芯だったのは、地元として少し寂しいけれども、完璧な正円を披露したのはさすが。

「創造花火の部」には、茨城勢は大会に出品しておらず、今回に限り、山﨑煙火が担当した。これまで10号玉とスターマインに出品、創造花火は未経験の世界だった。独創性やタイトルと花火の整合性など、見る側の想像力をかき立てる、他に例のないユニークな競技部門となっているが、その楽しみを今一つ伝え切れなかったのは残念。

「スターマインの部」は、大曲での経験豊富な堀米煙火店が土浦の規定(4号玉から2.5号玉まで400発以内)に準じた作品を披露し、野村花火は、昨年の土浦で優勝した「水無月のころ」をリメイクし、5号玉を加えた大曲バージョンを披露した。

野村ブルーをふんだんに盛り込んだ八方咲きや1玉1玉の見せ方など、目の肥えた大曲市民を満足させるに十分な作品に仕上げ、会場の拍手喝采を浴びた。

地元の風土・歴史で育まれる花火

大曲の広大な夜空に上がる堀米煙火店のスターマインは、見事な色彩や打上構成を披露したが、上空のすかすか感が多少気になった。それも当たり前。開花時の最大高度200メートルの4号玉と250メートルの5号玉では、そもそも上空の暗闇部分を埋め尽くす広がりが違う。

逆を言えば、土浦の狭あいな空間では、4号玉以下で十分迫力ある構成に仕立て上げることができることを再確認できたことは、意外な収穫となった。改めて、両競技大会は、地元それぞれの歴史や風土に育まれてきたのである。

「土浦の花火」が姫神山をバックに雄物川の対岸から打ち上がるという、考えたこともない企画は無事終了し、来場者への土浦花火の認知度向上という所期の目的は十分に果たしたように思うし、今後もないだろう歴史的な瞬間に土浦市民の1人として立ち会えて、至福のひとときを味わうことができたのである。

実現に至るまでの土浦、大曲の花火関係者や煙火業者の皆さまに、心から敬意を表する次第。

ちなみに、当日の午後、花火伝統文化継承資料館「はなび・アム」(大仙市)で、「土浦の花火、大曲の花火」をテーマとした「花火特別セミナ-」(日本花火鑑賞士会主催)を開催したところ、入場しきれないほど多くの皆さまにご来場いただいた。

両花火競技大会が長年築き上げてきた「友情物語」について、来場者の皆さまが理解を深めていただく一助になったとすれば、5カ月をかけ準備を進めて来たスタッフ、そして講演者の1人として「がんばり」が報われたというもので、うれしい限り。本日は、この辺で「打ち留めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

申請わずか2件 つくば市の民間フリースクール補助事業

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民間フリースクールへの支援などが検討された昨年のつくば市不登校に関する児童生徒支援検討会議の様子

つくば市内の民間フリースクールを対象に、市が7月に申請受け付けを開始した補助事業について(7月7日付)、申請があったのは2件だけだったことがわかった。運営経費の2分の1などを補助する事業で、市は市内8カ所程度からの申請を想定して制度設計していた。申請件数が少なかったのはなぜなのか、背景を探った。

制度設計を担当した市教育局学び推進課課長補佐の東泉学さんは、あまりに申請の少ないことに「正直驚いた」と胸の内を明かした。東泉さんによると「昨年、市内にある民間施設10カ所中、市内在住の児童生徒が通所している8カ所の状況調査を行い、その内容を事業者補助制度に生かした」という。利用人数や利用料など、施設の規模に応じて交付額を300万~900万円台までの4段階に分け、8カ所の施設への交付を想定して算出した補助金4850万円を23年度当初予算として計上した。

申請受け付けにあたっては、既存の民間施設10カ所と、同課に相談のあった5カ所に補助金の情報提供をした。しかしふたを開けてみると申請件数は2件。審査を経て、2カ所には交付決定が通知された。そのうちの一つは、認定NPO法人リヴォルヴ学校教育研究所(小野村哲理事長)が運営する「むすびつくばライズ学園」(4月に改称)だ。

なぜ人気がなかったのか。月20人程度が通所するフリースクール「TSUKUBA学びの杜学園」を運営する中谷稔さん(57)と、月平均7、8人が通所する小規模施設を運営する鈴木恵子さん(仮名、46)に話を聞いた。2カ所とも補助金申請はしなかった。

つくば市内には10カ所の施設があり、このうち半分程度の施設が収容能力10人前後の小規模施設だという。フリースクールは法や制度で定められていないため、規模や運営形態、月謝などの費用は施設によって異なる。小中学生は元の学校に在籍したまま通所することになる。

中谷さんは「多くの事業者が様子見になったのではないか」と推測する。「利益を目的とせず、不登校で困っている親子のために尽くそうというボランティア感覚で運営している小規模施設の事業者にとって、いきなり助成金を受給するのにはハードルが高かった。また、施設規模を問わず、なんとか月謝や寄付などでやり繰りできているし、事業計画を立てて申請しても受給できる保証はないし、受給できても制度が打ち切られたら立ち行かなくなるという思いがあったと思う」。

鈴木さんは「煩雑な事務処理で手を出しづらかった」と話した。事業者と、利用者が在籍する学校との連携が重視され、毎月、利用者の出席状況報告書を学校長に、また施設利用状況報告書を市学び推進課に提出することが義務付けられている。鈴木さんは小中学生2人の子どもを育てながら週4日を施設運営、平日の残り1日を子どもの塾通いの送迎に充てる多忙な毎日を送る。土日に施設のホームページの更新やSNSでの情報発信、保護者への対応、会計処理などをこなしている。「ボランティの手を借りながら、ほぼ1人で運営している。これ以上の事務処理をする手間も時間もない」とした。

中谷さんは「補助対象経費を定めた条項の『(つくば市在住の)利用者が5人未満の月の事業に要する経費は、補助対象経費としない』の規定も申請をためらわせる要因になった」と指摘した。利用者に近隣自治体居住の児童生徒が含まれるのは珍しくない上に、体調が悪くなったり気分が落ち込んで通所しなくなるのはフリースクールにありがちなことだという。「キャパが大きく利用者の多い施設には問題ないだろうが、利用者10人程度の小規模施設にとって5人枠はきつい」とし「5人の根拠が示されないまま申請受け付けがスタートした」と、口惜しそうに話した。

続けて中谷さんは「自分1人が思っていることかもしれないが」と前置きした上で「(2021年12月の事業者選定をめぐり迷走した不登校学習支援施設の)むすびつくばへの市のやり方に不安を覚えた。22年度の不登校の学習支援施設の委託業者の選定で1位はトライだった。市の委託を受けて同施設を運営していたむすびつくばは2位になった。継続を求める陳情があると事業費を追加して1年延ばし、昨年度は市内2カ所で委託事業が実施された。その一方で昨年5月から不登校支援の検討会が開かれ、わずか1年というスピードで補助制度がスタートした。これは何か切迫した事情があったのか、と不信を招きかねない」と語った。そして「4850万もの補助金を継続できるのか、首長が変わったらどうなるかという思いも拭いきれない」とも。

鈴木さんは「複雑な事務処理などないシンプルな制度にしてほしい」と強調した。中谷さんは「施設の状況調査はあったが制度について意見を述べる機会はなかった。地元事業者の現状に合うものではなかった」と締めくくった。

申請を断念したフリースクール運営者の声について市学び推進課の東泉さんは「補助経費に関する規定には、児童生徒5人以上での施設利用が制度活用に必要であるという意味を込めた」とし、数カ所から「3人ではどうか」などの問い合わせがあったと明かした。そして「100点満点の制度はないが、5人枠を含めて見直しを行い、使い勝手の良い制度にしていく。事業者さんたちの話を聞く機会は必要だと思っている」と語った。

一方、申請し交付を受けることが決まったリヴォルヴの小野村理事長は「改善を求めたい点もあるが、公的資金を原資としているから要件が厳しくなるのは仕方がない」とした上で、「補助対象外とされることが多い人件費を経費として認めるなど、比較的使いやすい制度設計だと思う。補助金は、カウンセラーによるサポートやスタッフの研修機会を充実させるなど、子どもたちにとってより良い環境づくりに生かせる」と話す。

利用者補助は74人が申請

同市は民間フリースクールへの補助金と併せて、不登校児童生徒の保護者がフリースクールに支払った利用料を補助する事業をスタートさせた。利用料補助は期限までに74人が申請した。

利用者への交付事業は8月4日に補助金交付要綱を公表した。1年を4カ月ごとに区切って年3回交付が行なわれる形で、9月30日まで申請を受け付けた。特例として4月から7月までの利用料はさかのぼって交付した。

昨年実施した民間施設への調査で小中学生100人弱が施設を利用していることが分かり、100人程度への支援を想定して、23年度当初予算に利用者への交付金2400万円を計上した。所得制限を設けず、1人当たり月額上限2万円を交付する。

申請には施設を利用した際の領収書の写しなど5枚の書類を市学び推進課に郵送又は直接提出することになっているが、初めての申請で不備を心配してか、申請者の9割が同課に持参したという。(橋立多美)

➡つくば市の不登校児童生徒支援施策の迷走問題に関する過去記事はこちら

栗を栽培する四万騎農園《日本一の湖のほとりにある街の話》16

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イラストは筆者

【コラム・若田部哲】秋の味覚・栗と言えば、長野県小布施町や兵庫県丹波市が有名ですが、実は生産量日本一は茨城県。かすみがうら市はその中心地のひとつです。

その中でも「高継(たかつぎ)」という、今では日本の栗栽培において広く普及している方法を確立したのが、同市の「四万騎(しまき)農園」。今回は、同農園の3代目である兵藤昭彦さんに、おいしい栗栽培についてのお話を伺いました。

四万騎農園は昭彦さんの祖父、兵藤直彦氏により1919(大正8)年に創業。直彦氏は凍害に弱い栗の木の育成を改善するため、土台となる台木の高いところで接ぎ木をする高継苗を開発し、茨城の栗の生産性向上に多大な足跡を残されました。

昭彦さんによれば、栗の栽培にはスタンダードな方法がなく、その生産者により正解が異なる面白さがあるそうです。四万騎農園では代々の工夫の結果、木の間隔を4メートル空けて植樹し、さらにその後間伐により8.5メートル間隔としているとのこと。

また、12~3種類に及ぶ品種を生産することにより、9月から10月下旬まで収穫期を広げ、収穫する労力の集中を避けるとともに、時期ごとにより異なるおいしさが楽しめるよう工夫をしているそうです。

渋皮煮のマロンジャムも

ところで栗と言えば秋ですが、この農園には春にも見事な名物が! それが、栗畑一面に咲き誇る菜の花です。緑肥のために数十年前に蒔(ま)いた菜の花が、いつしか種が土にすき込まれて自然に生えてくるようになったとのこと。本来、花を咲かせることが目的ではないものの、この風景を楽しみにされるお客さんが増えたことにより、できるだけきれいに咲くよう、心配りをされているそうです。

さて、同園では生栗のほか、渋皮煮、ジャムなども販売しています。昭彦さんのお薦めは、手間暇かけた渋皮煮。そのほか渋皮煮をベースにして作ったマロンジャムも、看板メニューとして親しまれています。

「プレーン」「ラム」「オー・ドゥ・ヴィ」の3種類のジャムは、粒感たっぷりの濃厚な味わいで、パンやアイスと共にいただくと、濃厚な栗感を存分に楽しめる逸品。また、ローストポークやチキンソテーなど、肉料理のソースに使っても相性抜群でおススメです。

代々の工夫により磨かれてきた、濃厚かつ芳醇(ほうじゅん)な秋の味わいを、ぜひお楽しみください。(土浦市職員)

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

➡これまで紹介した場所はこちら

産卵床を造成 アユを呼び戻したい【桜川と共に】9

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重機に乗って桜川の川底を耕耘する漁協理事の酒井さん=つくば市栗原

1990年代にアユがよく捕れていたという桜川。近年少なくなってしまったアユを呼び戻そうと、9月末、つくば市栗原の桜川で、重機を使って川底を耕す作業が行われた。川底にある直径1センチから2センチの小石や砂利に付いた古い藻類や泥をはがし、餌となる新しい藻類を定着させて、アユの産卵床を作るのが目的だ。9月下旬から11月ごろがアユの産卵期となるため、桜川漁協(鈴木清次組合長)が年に1度、この時期に産卵床の造成作業を行っている。

朝9時、漁協理事の酒井康男さん(86)が油圧ショベルを運転して広場から桜川に乗り入れ、1時間半ほどかけて川底を掘り起こした。この日の水深は30センチから50センチ程度。小倉さんと共に、鈴木組合長や理事の松田七郎さん、組合事務担当の小神野一巳さんが川底の耕うんの様子を見守った。

重機に乗る酒井さん、前左から小倉之一さん、松田七郎さん、鈴木清次さん、小神野一巳さん=同

河床を耕したこの日、桜川の清掃や水質浄化などに取り組む「桜川多面的機能活動組織」が、生態系の維持、保全などを目的に魚類モニタリング調査を実施、1時間ほど投網を打ち、オイカワ、モロコ、ニゴイなどが捕れた。約40匹のうち、8割ほどがオイカワだったが、体長13センチの小さいアユ2匹も入った。耕うん後の今月7日に行われたモニタリング調査では、1時間の投網でアユ18匹、オイカワ114匹そしてボラ15匹が捕れ、アユの数が明らかに増えた。

漁協理事の小倉之一さんは「昔は三本爪の鋤(すき)を使って手作業で川底を耕していた。耕すとアユが増えるのは経験から確か」と話す。「昔はアユがたくさんいたが、今は減ってしまった。川にアユを呼び戻したい」と組合員ら。しかし、桜川にアユがいることが分かるとアユ目当ての遊漁者が増え、さらに減ってしまうのではないかとの危惧もあるという。

投網を打つ小倉さんとそれを見守る松田さん=同

霞ケ浦から上ってくる陸封型

アユは年魚で、寿命は1年。普通は海で生活し、その後川に上ってくる回遊型の魚だが、桜川のアユは海には出ず、霞ケ浦から上ってくる陸封型だ。秋に川底の砂礫に卵を産むと10日から14日前後でふ化し、ふ化仔魚は1日も経たず霞ヶ浦に下る。冬は霞ヶ浦で過ごし、春から夏にかけて遡上してくる。

県霞ケ浦北浦水産事務所によると、桜川のアユ漁獲量について統計データはないが、1990年代から2000年代までは、遊漁者による釣りや漁業者による投網で漁獲されていた。しかし、近年は姿を見ない年が続いてきた。

昔と比べると少ないものの、今年になり再び投網に入るようになった。

今月7日に桜川で捕れた18匹のアユ(桜川漁協提供)

霞ケ浦・北浦では、1992年以降に定置網(張網)などに入るアユが急増。多く捕れる状況は2000年代まで続いたが、現在は極めて少なくなったという。国の統計(漁業・養殖業生産統計年報)によれば、1999年に19トン(霞ケ浦18トン、北浦1トン)、2000年に12トン(霞ケ浦9トン、北浦3トン)、01年に3トン(霞ケ浦3トン、北浦0トン)で、02年以降は、統計に表れていない。最も漁獲量が多かったころの霞ケ浦・北浦では、築地市場や地元ホテルなどに鮮魚出荷したり、甘露煮などに加工したりしていた。桜川では自家消費のみだ。

桜川のアユの食性については、詳しい調査が行われていない。しかし、同じ霞ケ浦流入河川の恋瀬川で1996年に行われた調査では、アユが藻類をはむ行動や「はみあと」が観察されており、夏から秋にかけての餌は藻類主体であることが分かっているという。桜川のアユの「なわばり」行動については不明だが、当時、餌釣りが行われていたことから「なわばり」性は低いと考えられている。(田中めぐみ)

➡桜川と共にの過去記事はこちら

音楽サブスクとノスタルジー《遊民通信》74

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【コラム・田口哲郎】

前略

音楽をサブスクリプションできく時代になりました。アップル・ミュージックやアマゾン・ミュージックなどネットワーク上にあって提供されている無数の曲を月々定額で楽しむことができるサービスです。

30年前はCDからお気に入り曲をカセットテープにダビングしたりしていたのですが、いまはお気に入りの曲をプレイリストに入れればよいので簡単です。

あのころきいていた曲が音楽のサブスクにはたくさんあります。なつかしい曲をきくと、そのころの空気感までよみがえってきて、なんとも言えない気持ちになります。

宇多田ヒカル「Automatic」とノスタルジー

それをつよく感じるのは、私の場合、宇多田ヒカルの「Automatic」です。この曲は私を20世紀末の東京都心につれていきます。慶應義塾に通っていたころは、三田、麻布、六本木、渋谷あたりによく行きました。当時は空前のカフェ・ブームとクラブ・ブームでした。

喫茶店ではなくカフェ、隠れ家的な空間が城南エリアにたくさんできて、若者がこぞってゆきました。また、ディスコではなくクラブ、小さなハコと言われる空間で、DJが繰り出すテクノ系ダンス・ミュージックで踊る店が、六本木、麻布、渋谷界隈(かいわい)にたくさんできて、そこに若者は夜な夜な通ったのです。

宇多田の「Automatic」はヒットチャート上位にランクインしましたので、カフェやクラブを渡り歩く人たちからすると、少々、メジャーすぎる音楽だったかもしれません。でも、あの「音」はまさにあのころの東京の雰囲気そのものだった気がします。

世界がきな臭く、国内もいろいろと既成概念が突き崩されて、内外で激しい変化が起こっている日本が、あのころは比較的平和でおだやかだったのかもしれません。そうしたぬくぬくとした空気のなかで、若者はカルチャーをつくろうとしていました。とはいえ、それでも人びとはいろいろな問題に向き合いながら、生きていたのですが。

「むかしはよかった…」と言うのは年寄りだと言われますが、私もそんなことをしばしば思わざるをえない年齢になりました。いまの景色をむかしのそれと比べてしまうほどに、街を見てきたということでしょう。

どうしても昔のほうがよいと思えてしまう。宇多田ヒカルの「Automatic」はそんなノスタルジーをかき立てる名曲なのは間違いないようです。

草々

(散歩好きの文明批評家)

全協開き説明を つくば市議16人が議長に要望書 洞峰公園の更新費問題

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五頭議長(右)に要望書を手渡す(左から)飯岡市議と山中市議=11日、市議会議長室

つくば市が県から無償譲渡を受ける方針を示している県営の都市公園、洞峰公園(同市二の宮、約20ヘクタール)について、市が6月の市議会全員協議会や7月の市民説明会で、体育館やプールなどの施設の更新費用を示さなかった問題で(9月23日付け)、市議26人のうち16人が11日、五頭泰誠議長に対し、市民アンケート調査実施前に全員協議会(全協)を開催して、県議会調査特別委員会で示された更新費用(9月25日付)などについて説明するよう求める要望書を出した。

16人は、自民党政清クラブの飯岡宏之、鈴木富士雄、塚本洋二、木村修寿、宮本達也▽つくば・市民ネットの皆川幸枝、小森谷さやか、あさのえくこ、川村直子▽共産党の橋本佳子、山中真弓▽創生クラブの小村政文▽新社会党の金子和雄▽清郷会の木村清隆▽新緑会の中村重雄▽つくばチェンジチャレンジの川久保皆実市議。

要望書は①県議会特別委員会が設置された後のやり取りと経緯②県が行った健全度調査の結果と市が見通している今後の維持管理・更新費用③市民アンケート調査の内容と取り扱いーの3項目について、全協を開いて説明するよう求めている。

要望書を提出した飯岡市議は「当初11人で提出することを予定していたが数が増え過半数を超えた。他の議員も市が説明責任を果たしていないと感じたのだと思う。市長はきちんと誠意を示して、アンケート実施前に市民の代表である我々に説明してほしい」と話し、山中市議は「正確な情報を市民にきちんと伝えることは私たちの役割。アンケート実施前に正確な情報を開示してほしい。『すべての事業で情報を共有しながら進めていく』と市長が言うのであれば、議会に対しても情報を共有してほしい」と話す。

洞峰公園の無償譲渡に関する市民アンケート調査の実施日程については、五十嵐市長が9月議会最終日の6日、13日から11月5日まで実施すると表明している。

同市議会全員協議会運営要綱によると、全協は議長が招集することになっている。

つくば市が洞峰公園の無償譲渡を受けた場合にかかる費用について市は6月の市議会全協と7月の市民説明会で、維持管理費が年約1億5000万円、施設修繕費が年平均3500万円程度かかると説明している。

これに対しNEWSつくばは情報開示請求した資料に基づき、最も金額が大きい更新費用がいくらかかるかを市は明らかにしておらず、市議会や市民説明会で示した数字は維持管理費と補修費のみだと指摘し、県が2016年度実施した健全度調査のライフサイクルコストを元に、2024年度以降、維持管理、補修、更新費用など合わせて34億円以上かかると指摘している(9月23日付け)。

その後、大塚秀二県都市整備課長は9月25日の県議会県有施設・県出資団体調査特別委員会で県議の質問に答え、2016年に健全度調査を行った際は洞峰公園の更新に約40億円かかると算出しており、8割の32億円が建物分だなどと説明している(9月25日付)。

一方、五十嵐立青つくば市長は4日の定例記者会見と同日のツイッター(X)などでNEWSつくばの質問に対し、県は2016年実施の健全度調査で「24年度以降に補修費用約2.1億円、更新費用約31.2億円かかるとされた」など、来年度以降、30億円を超える更新費用がかかるという県の算定を把握していたことを認めた一方、更新費について言及しなかったのは「県が試算した当時の更新費用の前提が県の指針とも市の指針とも違い、意味をなさないから言及しなかった」などとしている。(鈴木宏子)

【13日午後3時50分追加】13日から実施予定だった市民アンケートについて、つくば市は12日、市議会から全員協議会を開いて、洞峰公園の更新費や市民アンケートの内容などについて説明するよう求める要望があったことから、アンケートの実施を延期すると市ホームページで発表した。実施時期は未定という。

つくばに花咲く 匠の技に触れるイベント開催

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それぞれの工房で作業する(左から)木工作家のつちやあゆみさんと、刀剣作家の宮下正吉さん

14日、つくばセンター広場

科学の街・つくばで活動する、優れた技を持つ職人や芸術家らにスポットを当てるイベント「つくば音楽祭・つくばな匠」が14日、TXつくば駅前のつくばセンター広場(同市吾妻)で開催される。会場に設けられたステージでのライブ演奏とともに、職人たちがブースを構え、ワークショップや作品を通じて匠の技に直接触れることができる機会となる。

市内で家屋のリフォームや家具制作業を営む主催団体「MSO」の山崎誠治さん(68)は「昨年開催した『つくば音楽祭』に続くイベントで、その技術や歌声を肌で感じてもらいたい」とし、「今年はさらに『職人』にスポットを当てたかった。つくばで活躍する高い技術を持つ人たちと市民の出会いに場になれば」と企画への思いを語る。

県内唯一の刀匠

つくばで技術を磨く宮下さん=つくば市蓮沼、筑波鍛刀場

カン!カン!カン!

「筑波鍛刀場」(つくば市蓮沼)で、赤く焼けた鉄の塊に手槌(てづち)を振り下ろすのは、刀剣作家の宮下正吉さん(38)。甲高い金属音が室内に響くたびにオレンジ色の火花が跳ね上がる。宮下さんが行うのは、水で濡らした金敷の上で高温の鉄を叩く「水打ち」という作業。熱した鉄の表面に溜まる酸化鉄や不純物を水蒸気で飛ばし、表面を綺麗にするためのものだ。「火の仕事は手早くやる必要がある。限られた時間でいかに集中するかが大切」だと、額ににじむ汗を拭う。

宮下さんは、日本美術刀剣保存協会主催の「新作名刀展」で、2013年に新人賞と努力賞を受賞するなど高い評価を得てきた。刀鍛冶になるためには刀匠資格を有する刀鍛冶の下で5年以上修業し、文化庁主催の「美術刀剣刀匠技術保存研修会」を修了する必要がある。現在日本国内にいる刀匠は約250人。高齢化などによりその数は減り続けている中で、宮下さんは県内唯一の刀匠だ。

小学2年で奈良県からつくば市に家族と転居すると、茗溪学園中・高を経て群馬大学に進学し、超伝導に関する研究をした。日本刀との出合いは大学在学中。ある展覧会で人間国宝の故・大隈俊平の作品を見て「鉄そのものがもつ美しさ」に魅了された。卒業後は、正倉院に納められた刀子や稲荷山古墳から出土した鉄剣など古刀の復元を手がける刀匠・宮入法廣氏に弟子入りし、刀剣作家としてのキャリアをスタートさせた。「ふるさと」であるつくば市で工房を構えたのは2014年。以来、筑波山を望む田園地帯で美術刀剣を手がけている。

つくばでは、理系のキャリアを生かして物質・材料研究機構(NIMS)の鉄素材に関する研究に協力したり、中・高で所属していた吹奏楽部の仲間らと定期演奏会を開くなど、地域に根ざした活動をしている。

作品作りに欠かせないものとして師から伝えられたのは、「感じることの大切さ」だ。「それは『五感を鍛える』こと。幼少期から眺めてきた筑波山の麓で、自然に囲まれ仕事ができるのは何よりの環境」だと語る。イベントでは、金槌と鏨(たがね)を使い自分の名前をステンレスの板に刻む「銘切り」のワークショップを開催し、ネームプレートを作成する。「作業に触れてもらうことで、僕が抱いた感動を皆さんにも知ってもらいたい」と話す。

「参加型」作品で木の魅力を伝える

取手市の井野団地を利用した、取手市と東京芸大、URによる「井野アーティストヴィレッジ」にアトリエを構えるつちやさん=取手市井野、井野アーティストヴィレッジ

「木そのものが持つ音色だけでなく、加工の仕方で音の響きが変わるんです」

木による音の魅力をこう話すのは、つくば市在住の木工作家・つちやあゆみさん(41)。木材による大小さまざまな歯車やレール、木球を複雑に組み合わせ、それらがぶつかったり、転がったりしながら響かせる音や、木そのものの感触を大切にした作品を作っている。

今回のイベントに出展するのは、つちやさんの代表作である、人の背丈ほどの大型木琴「輪唱の◯(輪)」。階段状の本体の各段に木琴の鍵盤を1枚ずつはめ、上から木球を転がすことで鍵盤が鳴り、一つの曲を奏でる作品だ。2体で1組となる本作品は左右対称にできていて、設置の仕方でS字や円状に木琴の姿を変えられる。その曲線の内側に立つことで、木と木の柔らかい音が身体の周りを駆け巡るのを体感できるのも特徴だ。「日常の中に優しい時間をつくりたい」。そんな思いを込めた作品だと、つちやさんは話す。

同作品は2012年、凸版印刷社による無印良品のプロモーション企画で採用され、世界三大広告賞の一つとされる「One Show(ワンショウ)」のインタラクティブ部門「One Show Interactive(ワンショウ インタラクティブ)」でメリット賞を受賞した。

つちやさんが作品作りを始めたのは、会社勤務を経て2008年に進学した多摩美術大学でのこと。建築系の学部に入り、「ある空間に人が集まり行動することで、そこにどんな場が創造されるのか」を研究した。卒業制作では「実際に触れるものを作りたい」と木材を取り入れ、肌触りや音など木が持つ魅力に引き込まれた。

「輪唱の○(輪)」を訪れる人は、見るだけでなく、自由に鍵盤を入れ替えて、自分で好きに「作曲」や「演奏」ができる。作品がこうした「参加型」であることも、「空間」「場作り」を学んだつちやさんのこだわりだ。「作品があることで、そこに集まる人の間で思っても見ない行動やコミュニケーションが生まれることがある。お客さんが参加することで作品が完成する」。そのために、より自由に触れてもらえるよう丈夫さと安全性も重視する。

「音の作品」を作る背景にあるのが、幼少期に出会ったある作品だった。それは、自動で音を奏でる、モーターで動く鉄琴だった。つちやさんはその音に引き込まれながら、「好きに鍵盤をはめ替えて、自分の好きな曲を作れたらいいのに」と思ったという。

「見ているだけより自分も何かしたい。作品を使っている人が主役であって欲しい。自分が主役なのって楽しいじゃないですか」と微笑むと、「大人も子どもも楽しめる作品です。自由に触れて、遊んでもらえたら」と当日の来場を呼びかける。

つちやさんが展示する「輪唱の◯(輪)」。自由に鍵盤をはめ替えることで、大人も子どもも自由に曲を作ることができる(つちやあゆみさん提供)

その他、「つくばな匠」には、つくば市や国内外で活動する三味線奏者で和楽器職人の深田有馬さんや、市内在住の画家・上渕翔さん、染色家の飯塚優子さんによる「ぷにの家」、牛久市の人形映像監督・飯塚貴士さんら9組がブースを構える。

「つくば音楽祭」では、マリンバやジャズバンドをはじめ、ウクライナ、インドネシア、フィリピンなど国際色豊かな演奏とともに、三味線、人形浄瑠璃など14組がステージに上がる。(柴田大輔)

◆「つくば音楽祭・つくばな匠2023」は、10月14日(土)午前11時~午後5時、つくば市吾妻1-10-1 つくばセンター広場で開催。入場は無料。

自分が生きてきた時代を確かめる《ハチドリ暮らし》30

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散歩の途中に見つけた花

【コラム・山口京子】60歳の還暦の際、「大人になれないまま、おばあさんになってしまった」と感じ、すこし空しい気持ちになったのを覚えています。65歳の今は「これからの時間で、したいことができたらいいな」と思うようになりました。

この数年、自分が生きてきた時代がどういう時代だったのかを確かめたくなりました。時代や社会の空気を吸って、自分の思考や価値観がつくられていったとしたら、その時代や社会の姿が分からないと自分もこれからも見えてこないのではないかと…。

時代や社会というものには建前と本音があり、その隔たりが大きいのではないか…。マスメディアによって見せられている現実と、マスメディアによって隠されている現実があるのではないか…。見せられている現実だけを受け止めて考えてしまうと、なにか大事なことを見落として、誤った判断をしてしまいそう…。

できるなら、誤った判断はしたくないし、間違った認識は避けたいものです。なので、限られた範囲ですが、テレビや新聞だけではなく、報道された記事に関する様々な書き手の本を読むようにしています。そうすると、ニュースで報道されていない事実や歴史、視点、書き手の立ち位置が分かって、目からうろこが落ちる経験を何度もします。本は貴重です。

そもそも国民主権とはなんなのか

戦後78年が経ちます。表向きには、日本は日本国憲法に基づく国民主権の国家であると言われていますが、そもそも国民主権とはなんなのか。主権という言葉を考えたら、すごい意味があるでしょう。主権を担える国民とはどんな国民なのか。

自分はとてもそんな立派な人間ではないから、国民主権という言葉を他人事のように感じてしまいます。大事なことの決定権にはずっと無関心で生きてきた人生だったような…。知人が「テレビや新聞がスポーツで盛り上がったり、芸能人のスキャンダルを大きく報道しているとき、国会でどんな法案が通っているか調べてみるといいよ」と言っていました。

国会なんて意識のうえでは遠い存在ですが、一度法律が可決されるとそれに生活は拘束されます。どんな法律が可決されているのか。その法律の内容はどういうものなのか。だれからのどんな働きかけがあって、どういう法案がつくられるのか。自分が国民として無関心を続けていったときに、国会に働きかけるのはだれなのか。

もしかしたら、国民主権の国であるならば、可決されてはならない法案が可決されているのではないか。わからないことばかりです。(消費生活アドバイザー)

SDGs推進へ つくば市が関彰商事と包括協定

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包括連携協定書に署名した(左から)関彰商事の関正樹社長と五十嵐立青つくば市長=10日、つくば市役所

つくば市は10日、関彰商事及びセキショウグループ(本社筑西市・つくば市、関正樹社長)と、SDGsの推進に係る包括連携協定を締結した。具体的な事業として学校部活動の地域移行支援、自殺防止対策の普及啓発、周辺市街地振興のための活動支援の検討など17項目を掲げており、今後、個々の実施時期や実施方法などは協議する。

地域社会の活性化や市民サービスのさらなる向上を図り、持続可能なまちづくりを実現するのが目的。協定の連携事項として①教育の推進②科学技術の推進③多様性の推進④スポーツの振興⑤福祉・健康の増進⑥市街地の振興⑦防災・災害時の支援⑧その他持続可能なまちづくりの実現-の8つを掲げる。 

関彰商事はこれまでも同市との間で、高校奨学金支給事業への寄付や、スマートシティ推進事業への社員派遣、つくばマラソンへの先導車やボランティア派遣など、多方面で連携関係を構築してきた。それら個別の事業に留まらず、まちづくりのパートナーとして組織同士が強固な信頼関係を結び、SDGsの基本理念を念頭に置いた新たな連携事業を実施していくことが、本協定の狙いという。

関社長は「これまで当社の地域貢献は、寄付金や人材派遣によるものが大きかった。それがだめというわけではないが、今後は事業を通して地域の発展に貢献できるよう方向転換を図る。今やるべき事業、将来やるべき事業を見付けて地域のために役立ちたい。今の自分たちの限界を超える、とても大きな進歩になると思う」とビジョンを掲げた。

五十嵐市長は「関彰商事にとって初めての包括連携協定の相手として、本市を選んでいただけたことは大変うれしく思っている。これを推進力として市民、社会、世界のため、より良いチャレンジをしていきたい」と期待を述べた。(池田充雄)

県代表でかごしま国体へ 筑波銀行軟式野球部

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練習後のベンチ前で監督ミーティングをする筑波銀行軟式野球部

筑波銀行軟式野球部が県代表として、燃える感動かごしま国体(国民体育大会)に出場する。チームは11日まで地元で練習を続け、12日に鹿児島に向けて出発する。

国体は32の都道府県代表がトーナメント方式で対戦し、筑波銀行は13日、1回戦で奈良(佐藤薬品工業)と対戦する。

関東予選で本塁打を放った森田直樹選手

筑波銀行は8月19日にさいたま市で行われた国体関東予選で、埼玉県代表の旭製作所と対戦した。3回に森田直樹(水戸商業高校出身)がスライダーを完璧に捉え、左中間へチーム初安打となる本塁打を放ち流れを引き寄せると、先発したエース征矢隼輔(水城高校出身)は9回を投げ抜き、完投で国体本戦の切符を手にした。

那珂市にあるグラウンドでは国体本戦に向けての練習も最終段階を迎える。初戦で先発が予想される征矢は「コントロールを気をつけて、気持ちで相手に負けないように向かっていく投球をして、国体で初勝利を目指す」と力強く語った。全体練習ではランナーを置いて実戦を想定した守備、走塁、打撃練習を4時間程行い、最後の調整に余念がなかった。

エース征矢隼輔投手

関東予選で本塁打を放ち、勝利に大きく貢献した森田直樹は「国体本戦では優勝を狙う。今年のテーマである、当たり前を馬鹿にせずちゃんとやることを心掛けているし、練習試合でも県外の強豪相手に負けないチームになって順調に仕上がっている」と意気込みを語る。

キャプテンの秋川弘明(常総学院出身)は「一人一人の勝ちへの強いこだわりを意識したい。全国大会で勝ったことがないのでまず1勝して、優勝を目指す」と抱負を語った。

岡野信裕監督は「接戦に持ち込み、少ないチャンスをものにして国体初勝利を挙げ、ベスト8を目指す」と話した。(高橋浩一)

かごしま国体に挑む筑波銀行軟式野球部

どうする?つくばの2024年高校入試《竹林亭日乗》9

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稲刈り後の田んぼ(写真は筆者)

【コラム・片岡英明】7月26日、茨城県の教育長は牛久栄進高校の1学級増と筑波高校の進学コース設置を発表し、つくばエリアの高校問題が動き始めた。このとき県が示した中学卒業数推計(2023年)では、水戸2490人、つくば2577人―となっており、両市の高校受験生数が逆転した。

逆転は「時間の問題」と言われてきたが、2023年は高校入試を考える上で大きな節目といえる。これを機に県の姿勢を問い、県への要望を考えてみたい。

今年3月の県議会で教育長は、星田弘司県議(つくば市区)の質問に、①生徒は市内及びエリア内外の県立・私立高など多様な選択肢から進学先を選んでいる、②エリア内の高校数は水戸もつくばも同程度である、③県立と私立の割合も両市とも6割と3割と同程度である―とし、そのため水戸とつくばの高校進学状況に大きな違いはないと答弁した。

この発言には驚いたが、私たちの要望は、つくばエリアの子どもたちの高校入試環境の改善にある。その中で、①県の県立高不足算定は県平均を基準に行っている、②歴史や交通利便性などの違う水戸とつくばを対立的に捉えた比較はなじまない―と考えてきた。

しかし、県の水戸とつくばの状況が同じという答弁があったので、以下、両市の比較を行ってみる。

つくばの入学枠は水戸の3分の1

水戸とつくばの中3生は約2500人で、水戸は全日制県立高校が7校(水戸一高、同二高、同三高、緑岡高、桜ノ牧高、水戸商、水戸工)、2023年の高校募集は52学級、2070人。一方、つくばは3校(竹園高、筑波高、つくばサイエンス高)、募集は17学級、680人である。

つくばの入学枠は水戸の32.8%で、3分の1以下である。両市の歴史や通学条件が違うのは確かだが、それでも、同じ中3生の県立高受験枠がこれほど違ってよいのだろうか。

水戸エリアの県立高校では、市内7校と、水戸農高、笠間高、茨城東高の10校。募集枠は68学級、2690人。一方、つくばエリアは、市内3校と、石下紫峰高、水海道一高、同二高、守谷高、伊奈高、牛久栄進高の9校。募集枠は53学級、2120人。学校数の差は1でも、つくばエリアは水戸エリアよりも15学級、570人少ない。

2023年の中3生は水戸エリアが3506人、つくばエリアが4229人。つくばエリアが723人多い。そのため2023年度入試の全日制県立高の県平均収容率は68.4%だが、水戸エリアの収容率は76.7%、つくばエリアは50.1%である。

水戸は県平均を上回り、つくばは県平均に届かない。つくばエリアを県平均レベルにする必要学級は72学級であり、現時点で19学級不足。また、水戸エリアに合わせるための必要学級は81学級で、現時点で28学級不足となる。

教育長は、水戸とつくばの共通性を強調したが、両市およびエリアの高校入試の状況は大きく違っている。

早急に県平均水準の県立高校枠を

私たちは水戸市・水戸エリア水準の募集枠を求めているわけではない。つくばエリアの小中学生のために、県平均水準までに入学枠の改善を検討して、11月の2024年県立高募集定員発表の場で、受験生に希望を与えてほしい。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

「悩んでいる人の力に」高校生ら42人、社会課題解決へ発信 土浦

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ユースチャレンジプロジェクトの発表で、課題解決方法を提案する高校生ら=県県南生涯学習センター

「悩んでいる人の力になりたい」「『普通じゃない』をなくしたい」ー高校生ら42人が、身の回りの社会課題に向き合い、解決方法を提案する課題解決チャレンジ事業の発表会が9日、土浦市大和町の県県南生涯学習センターで開催された。

課題解決に向け「悩んでいる高校生にスクールカウンセラーを身近に感じてもらう」「LGBTQ(性的少数者)やSOGI(性自認)について理解を深めてもらう」などの提案が出され、解決方法の一つとして啓発ポスターの図案や動画などを披露した。今後、実際にポスターを印刷したり、動画を投稿するなどして社会に働き掛ける計画だ。

同センターが昨年8月から開催してきた「ユースチャレンジプロジェクト」(22年11月2日付)で、土浦三高、石岡商業、取手一高など県南地域8校の高校生38人と、筑波大生4人の計42人が3つのチームに分かれ、課題ごとに話し合ったり、現地調査やアンケートなどを実施してきた。大手広告代理店、博報堂出身の入沢弘子さんがアドバイザーを務め、これまで計21回、40時間以上のワークショップを重ねてきた。

まず身の回りの社会課題を出し合い、63の課題の中から3つに絞って、課題ごとにチームをつくり、それぞれ課題解決方法を模索した。

「悩んでいる人の力になりたい」をテーマにしたチームは、高校のスクールカウンセラーに着目。まず現状を調べるため、メンバーの高校生4人が通う4校でアンケート調査を実施した。864人の回答者のうち、悩みを相談する相手は1位が友人、2位が家族、3位が先生で、カウンセラーに相談する人は5番目の6.8%しかいない実情を把握した。カウンセラーに相談しないのは、カウンセラー側に問題があるのではないかと考え、各校ともカウンセラーを利用できる時間が週に数時間しかないことを調べたり、カウンセラー本人にインタビューするなどした。その上で利用生徒を増やすために、ポスター制作を発案し図案を発表した。ポスターには「一人で悩まず、どんな話でもいいので相談してほしい」などカウンセラーのコメントを掲載してある。今後はポスターを印刷し各高校や駅などに掲示する計画だ。

「『普通じゃない』をなくしたい」をテーマにしたチームは、LGBTQやSOGIについて理解を深めてもらう啓発ポスターの図案を制作し発表した。ポスターに掲載されているQRコードを読み込むと、さまざまな性の在り方についての解説や、学校の男女別の制服をテーマに「普通とは何か」を問い直す短編漫画を読むことができる。

ほかに障害者や高齢者、ベビーカー利用者など移動弱者が優先的にエレベーターに乗れるよう、壁面だけでなくエレベーター前の床面にも優先列を示すステッカーを掲示する提案が出された。さらに「茨城県の魅力度を上げたい」をテーマにしたチームは、土浦市のコミュニティーバスに着目し、土浦の魅力を伝えるバスを使ったプチ旅行を提案する動画を作成した。

発表会には、参加した生徒が通う高校の教員や、生徒らが現地調査した事業者らが参加し、高校生らの発表に聞き入った。発表内容は今後、同センターのホームページに掲載する予定だという。

「『普通じゃない』をなくしたい」というテーマのチームに参加した高校2年生は「(社会課題を出し合う中で)自分が思っていた以上に、他の人たちの悩みが分かった。今後(啓発ポスターの掲示を通して)LGBTQやSOGIについて普通に話せるようにもっていければ」とし、土浦の魅力を伝えるプチバス旅を提案をした高校3年の女子生徒は「学業との両立が大変だったがいい経験になった。今後、動画を広めて、バスに乗ってくれる人が増えてくれれば」と話していた。(鈴木宏子)

古老の記憶に眠っていた手がかり 70年前の父の足跡、ベトナムで追った(下) 

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添野江実子さん(左)に、残留日本兵の記憶を語ったドゥウンさん(添野さん提供)

2月下旬、ベトナム。土浦市の添野江実子さん(64)は、旧バンロン村の存在を教えてくれた男性とともに、ハノイから車で旧バンロン村を目指していた。

舗装されていない道を車でひた走る。窓越しに映るのは、田んぼと緑濃い野山ばかり。日本だったら田舎道でも1軒ぐらいありそうなコンビニや雑貨店が1軒もない。「どうやって暮らしているんだろう」。ずいぶん遠いところに来たことを実感する。

旧バンロン村の風景(同)

3時間後、村に到着。男性の通訳を介してベトナム独立戦争の頃の様子を知る人はいないか現地の役人に尋ねると、古老のドゥウンさんを紹介された。ドゥウンさんは80代後半。突然、役人とともにやってきた異国の客人の訪問に驚いた様子だったが、14歳の時に出会った日本兵「ザンさん」の記憶を語ってくれた。

土間のようなたたずまいの広い部屋。男性が地元の風土や歴史の話題を交えながら、古老に昔話を尋ねると、約70年前に出くわした日本兵の記憶を方言交じりのベトナム語でとつとつと紡いでくれた。

自宅の隣にベトミンの食堂があり、ベトミンの食事づくりを手伝っていた。近くの沢でタニシも捕っていた。ベトミンにもフランス軍にも捕まったと話していた―。

残留日本兵「ザンさん」がタニシをとっていた沢(同)

そしてこう語った。「このあたりに昔、金山があったんだ」。

男性が通訳した言葉に添野さんは反応した。

日本への送還が決まった後、採掘した金を元手に買った自転車で、何日間もかけて集合地点へ向かった―。父親の忠三郎さんから、そう聞かされていた。

帰国直後、新聞記者に「バロン村で日本人は自分1人だった」と明かした忠三郎さん。ドゥウンさんの口から「ザンさん」以外の日本兵の話は出てこなかった。

「ザンさんはお父さんじゃないだろうか」。ドゥウンさんの証言と新聞記事、自分が聞いたおぼろげな記憶の断片。それらをつなぎ合わせ、8年間かけて確からしい足取りをつかむことができた。

忠三郎さんからベトナムでの体験を聞いたのは、たった1回、30年ぐらい前のおじの通夜の席。2人きりではなく、親戚を交えて酒を酌み交わすうちに、もらした思い出話を小耳に挟んだ。驚きはあったが、信じられない気持ちが半分だった。2015年、娘と2人で行ったベトナム訪問を機に、調査への情熱に火が付いた。

あのとき、しつこく質問していればもっと詳細な足取りを確かめられたかもしれない―。心の中でくすぶっていた後悔の重荷が、思いがけない前進で、少し軽くなった。

映画制作を手掛けてくれたスタッフ、大学の研究者、残留兵の家族、通訳を務めた異国の友人。父の過去を探る過程で、多くの人々に出会い、還暦を過ぎて、自分の世界が一気に広がった。貴重な手がかりを得られたことに、仲間たちからは「奇跡だね」「まるで探偵みたいだ」と驚きの声が上がった。

添野さんは忠三郎さんの養子だった。そのことを娘に打ち明けぬまま、世を去った。そんな自身の生い立ちも、添野さんが熱心にベトナムでの調査を続ける支えになっていた。

4度目となる約10日間のベトナム調査の最終日。ホテルで添野さんは激しい腰痛に襲われ、歩けなくなった。ワラにすがる思いで前日、初対面で食事をした日本語教師の女性に電話で助けを求めた。もらった薬で症状が落ち着き、何とか帰国できた。

「父は、ベトナムで親切にしてくれる人がいたからこそ、命を永らえて帰国し、私を育てることができた。私も人に出会い、支えられて奇跡をつかんだ。その大切さをかみしめて生きていきたい」。

数奇な半生を娘に語り継がずに逝った父。でも、語らなかったことで、期せずして大きな足跡を娘の人生に刻んでいた。(鹿野幹男)

終わり

水俣病と福島汚染水《邑から日本を見る》145

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水俣から見た不知火海(大澤菜穂子さん提供)

【コラム・先﨑千尋】水俣病の未認定患者に一時金などを支給する水俣病被害者救済法(特措法)から漏れたのは不当だとして、近畿など13府県に住む128人が国と熊本県、原因企業チッソに1人当たり450万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が、先月27日、大阪地裁であった。遠野ゆき裁判長は「原告らの症状は水俣病以外に説明ができない」として、国などに1人当たり275万円の賠償を命じた。

この判決はテレビや新聞で大きく伝えられたので、その詳細は省く。特措法では、対象地域を不知火海周辺の特定地域に絞り、救済対象者の年代を限定しているが、今回の判決は特措法対象外の人を水俣病と認めたことが画期的だ。判決で遠野裁判長は「水俣病周辺の漁場は沿岸に限定されず、獲れた魚介類は広く流通していた」とし、線引きを認めなかった。

熊本県水俣市のチッソ水俣工場が毒性の強いメチル水銀を含む排水を不知火海に流し、汚染された魚介類を食べた住民らに手足のしびれや視野狭窄(きょうさく)といった症状が相次いだ。水俣病は1956年に公式に確認され、国は68年に公害と認定した。母親の胎内で影響を受けた胎児性水俣病患者もいる。

私は40年以上前から水俣の人たちと交流を続け、水俣病患者が陸に上がって栽培した無農薬ミカンなどを食べてきた。チッソが垂れ流した排水溝や、汚染された魚介類を埋め立てた公園や水俣病に関する資料館でこれまでの歴史を知り、涙を流しながら語り部の話を聞き、患者たちの活動にも触れてきた。満潮の時に小川に上がってきた魚を最初に猫が食べるところも実際に見た。鏡のようになめらかな不知火海の海。自然が豊かで美しい水俣。そこに「奇病」が襲いかかってきたのだ。

生体濃縮と食物連鎖の恐ろしさ

それで分かったことは「生体(生物)濃縮」と「食物連鎖」の恐ろしさだ。

生体濃縮とは、ある化学物質が生態系での食物連鎖を経て生物体内に濃縮されていく現象を言う。体内に入った有機水銀は、体外に排出される割合が低く、体内に蓄積、濃縮される。小魚を大きな魚が食べ、それを最終的に人が食べる。それが食物連鎖。母親の胎内で母親から有機水銀を吸収し罹患(りかん)するのが、胎児性水俣病だ。生まれた時から水俣病患者だ。

3.11で事故を起こした東電福島第1原発のALPS処理汚染水は8月から海洋放出されているが、どんなに薄められても汚染された魚を食べれば人体に入る。トリチウムやストロンチウム、放射性ヨウ素などの放射性物質が人体に入る。放射性物質による影響には「しきい値」(ある量を超えると変化が現れる境目)がなく、どんなに微量でも生物への影響があると言われている。トリチウムは安全だという学者もいるが、私はその説を採らない。

事故を起こした原発のデブリがいつ取り出せるのか、取り出せないのか、多分誰も分からないと思うが、とにかく汚染水の海洋放出は続く。岸田首相は全責任を持つと言っているが、現時点で、30年後、50年後に水俣病と同じようなことが起きないと言えるはずがない。そしてその頃には関係者は誰もいない。首相は、無責任な発言だと思ってもいないのだろう。(元瓜連町長)

手がかりは古い新聞記事とわずかな記憶 70年前の父の足跡、ベトナムで追った(上)

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添野江実子さん

第2次大戦終結後、任地のベトナムで独立戦争に参加した亡父。土浦市の添野江実子さん(64)はその足跡を8年間探し続け、ようやく見つけた。過去の新聞記事と、記憶の断片をつなぎ、仲間に支えられ、たぐり寄せた奇跡とは―。

「本年2月に父の所縁(ゆかり)の地に行って参りました。足跡調査を始めて辿(たど)り着くまでに、8年を要しました」。

8月下旬、スマートフォンでフェイスブック(FB)を眺めていた私は、添野さんの投稿にくぎ付けになった。

軍服姿の綱河忠三郎さん(添野さん提供)

添野さんはベトナムを訪れて、残留兵だった亡父・綱河忠三郎さんの足取りを追う活動を続けている。その様子を描いた40分のドキュメンタリー映画「私の父もそこにいた」の上映会の紹介記事を、私が2019年7月に書いたのがきっかけで知り合った。

ベトナム残留兵は、日本の敗戦後も現地にとどまり、宗主国・フランスに対するベトミン(ベトナム独立同盟)による独立戦争に関わった日本軍兵士らだ。その1人、忠三郎さんは戦後9年たった1954年、祖国の土を踏んだ。復員後は土浦市の引き揚げ者住宅で暮らし、豆腐店の従業員や旋盤工をしながら添野さんを育て、ベトナムでの9年間を娘にほとんど語らぬまま、2002年に世を去った。

添野さんは15年以降、数少ない残留兵や、各地に住むその遺族を訪ねた。ベトナムも訪れ、現地で結婚した残留兵の親族にも会っている。だが、忠三郎さん本人の足取りはつかめない。「生前、詳しく聞いておけば良かったのに…」。4年前、添野さんは後悔を口にしていた。

戦後70年を過ぎ、戦争の語り部は次々に物故している。それはベトナムでも同じだ。そんな状況で無名兵士の足跡をたどるのは難しい。なのに、どうやってたどり着けたのか。9月中旬に再度、お会いして、添野さんに振り返ってもらった。

話は3年前、世界がコロナ禍に直面していた20年秋にさかのぼる。人の往来が制限され、ベトナムへの渡航はおろか、国内での映画の上映会もままならない。少しでも手がかりを得ようと、図書館で古い新聞記事を調べていた。

「あった!」。ある日、静まりかえった図書館で、興奮の余り添野さんは思わず驚きの声を上げた。忠三郎さんの帰国後の様子を伝えた1954年12月5日の記事。兄がいる守谷町(当時)に戻った忠三郎さんが、取材に「バロンという村にいた」と証言していた。

若い頃、忠三郎さんが戦後もベトナムにいた話は、うっすら聞いた。でも、その頃は2人の子を育てるのに精一杯。慌ただしい日々の暮らしに追われるうち、やがて記憶は脳裏の奥深くにしまわれた。

「金(きん)で買ってもらった自転車で集合地点へ向かった」「夜は虎に襲われるから木の上で寝ていた」。脳裏に残るエピソードはこれぐらい。「バロン」という具体的な地名を得て、進展への期待に胸が弾んだ。

だが、すぐに煮詰まる。地図上に肝心の「バロン村」が見あたらない。

「父を助けてくれた村を探しています」。SNSで発信すると、ベトナムの日系企業に勤める男性が教えてくれた。

「『バロン』ではなく、『バンロン』ではないか」。男性がつてをたどって役所に確認すると、確かに、古い地図に「Van Long」(バンロン)という村が存在していた。統合して現在は別の名前に変わっていた。コロナ禍の収束を2年余り待ち続け、今年2月下旬、再びベトナムへ旅だった。(鹿野幹男)

続く

善光寺から金毘羅さんへ《続・平熱日記》143

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】9月半ば、何を勘違いしたのか、私のことを師匠と慕う女性が作品を発表するというので、長野県千曲市のギャラリーをまたまた訪れた。彼女はインドの神様を描く。テーマも画風も私とはほぼ関係がない。

その彼女がなぜ私をして師匠呼ばわりするかというと…。瓦職人である旦那さんの仕事を手伝っているときに、いつも少しだけ余る漆喰(しっくい)をいつも勿体(もったい)ないと思っていたらしく、私の作品を見て漆喰に絵を描いてみたのがきっかけという。人間はずっと昔から漆喰に絵を描いてきたのだから、私が師匠呼ばわりされる筋合いはないのだが。

とにかく、漆喰の取り持つ縁で新たな出会いもあり、夕方からはギャラリーから徒歩3分のところにあるログハウスのレストランでの宴(うたげ)となったわけだが、このレストランのオーナーがかの美学校で赤瀬川原平氏の講義を受けていたというのにも驚いた。

千曲から帰った翌朝、私は斜度30度ののり面の草刈りをしていた。この数年請け負ってきた知り合いの打ちっぱなしゴルフ場での小遣い稼ぎ。

それにしても、今年は彼岸も過ぎようというのに、なんだこの暑さは。近頃は空調服とやらがあって、たいそう涼しいそうだが、私は吹き出す汗さえも自然の循環だと思っているので、Tシャツが重くなるほどの汗をかきながら草を刈る。

多分、こういうじいさんが熱中症にやられるんだろうなあ。大体「きりのいいところまで」というのが危ない。きりのいいところは、得てして「ちょっと無理したところ」にあるものだ。だから、少し手前の中途半端なところでもやめるようには心がけてはいるんだけれど。

愛犬パクはマヨねえに頼んで

何日かでやっと草刈りが終わった。お給金をいただく。そして思った。「そうだ四国行こう!」。千曲に持って行って売れた巣箱のお金を足せば、ちょうど旅費ぐらいにはなる。おあつらえ向きに、今年は学校の秋休みの並びがいい。ちょうど、作品を並べていただいている丸亀市にあるギャラリーを訪ねてみたいと思っていたところだった。

しかも元はと言えば、千曲のギャラリーの上沢さんからの縁でつながった今回の展示。この機会を逃したらもう、四国に行くことはないかもしれないし。

早速、愛犬パクの世話を友人のマヨねえに打診する。人見知りのパクは、なぜかマヨねえにだけはよく懐いている。マヨねえは快く世話を引き受けてくれた。というのも、実は永遠のダイエッターであるマヨねえは、パクとの朝夕の散歩がちょうどいいエクササイズになるらしく、お互いワンワンいやウィンウィンの関係なのである。

その日の午後、少しドキドキしながら切符を買いに行った。岡山までの新幹線、それから丸亀までの特急しおかぜ。特に信心深いわけでもないが、長野善光寺から四国は金毘羅さんへと平熱日記は続く。(画家)

イベントのリアルタイム情報を配信 筑波大発ベンチャー ラーメンフェスタで挑戦

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筑波大学大学院生でPalames社長の熊谷充弘さん(左)と、dokoikoのつくばラーメンフェスタ特設ページの画像(熊谷さん提供)

つくば市の研究学園駅前公園で7日から開催される「つくばラーメンフェスタ」で、筑波大学大学院生の熊谷充弘さん(22)が社長を務めるベンチャー企業「Palames(パラメス)」(つくば市吾妻)が、同フェスタの混雑状況や売り切れ情報などを同社の開発するプラットフォーム「dokoiko(どこいこ)」でリアルタイムに配信する。

dokoikoは「メニュー画像を通じて飲食店を探せる」を掲げるウェブサービスだ。ウェブページにアクセスすると、さまざまなメニュー画像が表示され、気になるメニューがあれば店舗情報を確認できる仕組みだ。現在はつくば市の飲食店を中心に情報が集まっている。熊谷さんは「イベントを中心にして、街が活性化していくことを応援したい」と話す。

授業で集まったメンバー

事業のきっかけは授業での出会いにある。大学が行う起業家を育成する講義「筑波クリエイティブ・キャンプ」の授業で集まったメンバーたちが「授業が終わってからもこのメンバーでなにかをやっていきたい」と意気投合し、会社設立に至る。

熊谷さんたちがまず考えたのは、食堂のデジタルトランスフォーメーション(DX)だ。大学の食堂は、食券機で注文し現金で支払い、料理を受け取る形だ。それをスマートフォンから注文し、電子決済を行い、注文した料理が出来上がったら、スマートフォンに通知が届くようなシステムを発案した。しかし学生の力だけでシステムを開発することは技術的、資金的に困難であると考え、事業転換した。

続いて考えたのがdokoikoだった。熊谷さんは「若者はインスタグラムなどのSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)で画像から良い飲食店を探し、気になったところがあって初めてグーグルなどで検索をしてネット上を何度も行き来する。この行き来をせずにメニュー画像から直接お店を探せるプラットフォームがあったら便利なのではないかと考えた」と振り返る。

dokoiko内の店舗情報は、その店舗のスタッフがサービス内の画面から入力できる仕組みだ。

サービスの利用料は、店舗側も一般の利用者も基本的に無料だ。店舗側が利用者にメッセージを通知する機能があり、その機能の利用時には店舗側に料金が発生する仕組みになっている。来年までにつくば市の飲食店の30%が登録し、利用者数が1万人を超えることを目標に掲げている。

2020年の夏ごろから開発を始めた。今年4月に株式会社として登記をし、本格的な収益化に向けてスタートを切った。熊谷さんは今年の4月から同大大学院の理工情報生命学術院システム情報工学研究群知能機能システム学位プログラムに進学しているが、dokoikoに専念するために休学中だ。

現在、会社に関わっているメンバーは8人。そのうちの7人が同大の学生や卒業生などだ。熊谷さん自身もITエンジニアで、高校生時代には学園祭のホームページなどを作った経験もあるという。

イベント後も誘客

ラーメンフェスタでは、熊谷さんらから主催者に対し提携の打診を行い、イベントのリアルタイム情報をdokoikoで提供することが決まった。提供情報は、ラーメンの売り切れ情報や、店舗のメニュー情報、混雑の度合いなどだ。

dokoikoでは、イベントに出店するラーメン店のイベント当日のメニューだけでなく、店舗の通常営業時の情報も紹介できる仕組みになっている。イベントで出会ったラーメン店に、イベントが終わっても足を運んでもらうためだ。

「今後の方向性として、イベント時の情報提供や決済を担うためのプラットフォームとしても機能を強化していきたいと思っている。既存のウェブサービスでは、固定店舗の情報を知るための機能は備わっているが、イベントやキッチンカーの出店についての情報を収集できるサイトはない」と熊谷さん。イベントで出店した店舗の通常営業を利用者に紹介することで、イベントが終わった後もその店舗を利用してもらうことを促すことができるのが、dokoikoの強みであるという。現在、会社の資金調達やさらなるサービス拡大、収益化に向けて活動中だ。ラーメンフェスタでの情報提供は、熊谷さんたちにとっても大きな一歩となる。(山口和紀)

◆dokoikoへのアクセスはこちら。Palamesのホームページはこちら。つくばラーメンフェスタの特設ページはこちら

16人の交通費を別の学校医に誤送金 つくば市

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つくば市役所

つくば市は6日、学校医143人に9月29日に振り込んだ3カ月分の交通費(旅費)のうち、16人の支払先を誤り、本来支払うべき学校医とは別の16人に、それぞれ2000円ずつ計3万2000円を上乗せして支払ってしまったと発表した。

学校医は、児童生徒の健康診断をしたり、環境衛生の指導などをする内科医や歯科医、薬剤師などで、市内の小中学校や幼稚園、保育所に計197人が委嘱されている。学校で職務に従事した際は、費用弁償として1回2000円の交通費が数カ月に一度支払われ、報酬については年度末にまとめて支払われる。

市健康教育課によると、5、6、7月分の交通費総額41万4000円分を143人に支払う事務作業をした際、16人が従事した16回分について、誤った情報を会計事務局に送り、別の16人に上乗せして振り込んでしまったという。

担当者が作成した支払伝票を上司が再チェックした際は誤りが無かったが、口座振込を担当する会計事務局にデータを送る際、チェック済みの正しいデータではなく、別の誤ったデータを送ってしまったのが原因という。

10月5日に医療機関から電話があり、誤送金が分かった。143人分について改めて調べたところ、16人の学校医が従事した16回分について、別の学校医16人に支払っていたことが判明した。

同課は6日、まだ支払っていない16人と、誤って上乗せして支払った16人に電話連絡し、謝罪した。来週には医療機関を訪問し、上乗せして支払ってしまった学校医に対しては返還してもらい、未払いの学校医には早急に支払うとしている。

再発防止策として同課は、決済後の伝票のデータと会計事務局に送るデータを複数人で再度突合した上で、データを会計事務局に送付するとしている。

4年ぶり、今年が最後 7日から「つくばラーメンフェスタ」

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2023ラーメンフェスタの横断幕=土浦学園線竹園付近、(宮川宏行さん提供)

県内外のラーメン店12店がブースで出店する「つくばラーメンフェスタ」が7日から9日までの3日間、つくば市学園南の研究学園駅前公園で4年ぶりに開催される。2011年の東日本大震災と翌12年の北条竜巻災害からの復興を目指して、12年にスタートした。今年で9回目となるが、当初目的の復興や地域振興を達成し一定の役割は終えたとして今年が最後の開催になる。

同実行委員会(中根才之委員長)が主催し、同市商工会青年部(中泉惠仁部長)が中心となって運営する。市内には約100店のラーメン専門店が点在ししのぎを削っているなどから、ラーメン激戦区つくばを象徴するイベントとなっている。

今年は、県内のラーメン店同士がコラボするのが特徴だ。各店の特色を掛け合わせ、イベントでしか食べられない特別な一杯が提供される。コラボ店は「活龍×甲殻堂」「龍介×特龍」「ドラゴンラーメン×喜元門」「麺堂稲葉×栃木中華そば 神志」「芛堂寺×与しおか」「麺屋必道×中華そば 貴将」。ほかに県外の人気店、新旬屋本店(山形)、よしかわ(埼玉)、ダイニング庵(群馬)、麺や食堂(神奈川)、ど・みそ(東京)、モヒカンラーメン(福岡)の6店が出店する。

2018年に開催されたラーメンフェスタの様子(同)

1回リセット

中根委員長(44)は「約10年やってきて今回で最後とする。来年から別のイベントを始めたい。1回リセットして、つくばをどうやって盛り上げていくかをみんなで検討し、何が必要なのか熟考し、これから1年間かけてつくり上げていきたい。部員がさらに成長できるようになれればいい」と話す。

同フェスタは10月の3連休に研究学園駅前公園で開催されてきた。例年12~18店ほどが出店し、3日間で10万人~12万人の来場者を集めてきた。会場が駅に近いということもあり、来場者は市内のほか、周辺市町村、東京都や千葉県からも訪れる。

スタート当初から運営に関わっていた市商工会前青年部長の宮川宏行さん(37)は「自分が部長だった年はコロナ禍で開催出来なかった。このままフェード・アウトしてしまうのはあまりに寂しいということで、今回、コロナ前と同じ規模で開催することになった。第1回の2012年は初めてということもあり、会場準備などで大変苦労したが復興への強い思いがあった」と振り返る。「このフェスタをやったことで青年部の質が変わったと思う。人のためになることや人に喜んでもらえることをやった結果が、自分たちのためになるということを実感した」と話す。

18年に実行委員長を務め、現在岐阜県に住む沖村瑠璃さん(38)は「新入部員時代に第4回目のフェスタを体験し、めちゃくちゃ大変だったけれど、めちゃくちゃ楽しかった。2018年に実行委員長となり役割を終えた後、自信を持って物事をやり遂げることが出来るようになった。イベントをやりきることができたことで、イベント構築のノウハウを学んだり、たくさんの大事な友人ができたりとたくさんの恩恵があったと思う。いつまでも同じコンテンツにしがみつかずにやっていこう、という新しい執行部・役員たちの決定を尊重し、イベントを無事終えることができるよう応援したい」と語る。(榎田智司)

◆つくばラーメンフェスタは7日(土)、8日(日)、9日(月・祝)の3日間開催。ラーメン提供時間は各日午前10時~午後7時。会場の研究学園駅前公園はつくば市学園南2-1(TX研究学園駅前徒歩3分)。一部スペースにて「ミニ餃子フェスタ」も同時開催される。入場は無料、ラーメンの価格は全店舗 1杯1000円。詳しくは同ホームページ、または電話029-879-8200(同商工会青年部)

なくなるものと残ったことば 《ことばのおはなし》62

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中秋の名月(筆者撮影)

【コラム・山口絹記】最近、撮影機材に新たなミラーレス一眼カメラを導入した(以前の記事に書いたものとはまた別のカメラだ)。

ミラーレスカメラと言うのはその名の通り、ミラーが無いカメラなのだが、このカメラ、機械的なシャッター機構もないのである。ミラーもなければ、シャッターもない。シャッターを切っても、じゃなかった、“写真を撮っても”、カメラの中ではなんの機械的機構も動かない。

これは、私にとってはとんでもないこと、一つの時代が終わってしまったような出来事なのだが、おわかりいただけるだろうか。おわかりいただけないかもしれない。おわかりいただけなくて、たぶんよいのだろう。

フィルムカメラの時代には、シャッターというのはカメラにとって基本的に必要な機構だった。使い捨てのインスタントカメラにも、一眼レフにも、二眼カメラだろうがレンジファインダーだって、作りは違えどカメラにはシャッターがあった。

しかし、カメラがデジタルに移行していくなかで、比較的安価で、コンパクトなカメラが機械的なシャッターのない機構を採用するようになり、今、この記事を読まれているあなたがお持ちのスマートフォンのカメラにも機械的なシャッターはない。

「いや、私のスマホ、写真撮るとシャッター音するけど?」と思われるかもしれないが、それは“シャッター音”をスピーカーから鳴らしているだけだ。使用するアプリを変えたり、スピーカーが壊れればシャッター音はしなくなる。

だから、一般的にはとっくのとうにシャッターなるものはなくなっていたのだが、それがいよいよ本格的なカメラでもなくなり始めたのだ。なぜ本格的なカメラでは、この機械的なシャッターが必要だったのかは、書き始めると長くなるし、この記事の本題ではないので書かない。気になる方は調べてみてほしい。

「シャッターって何?」

それまで生活に根差していたものも、技術が進歩したり、人々の考え方が変わる中でなくなっていくのは一般的なことだ。レコードに針をのせなくても、カセットテープを巻き戻さなくても、CDがなくとも音楽は聴けるようになった。

まだまだ「巻き戻し/早送り」ということばを見聞きすることはあるけれど、そのことばの意味する本質を理解する人は確実に減っていく。シャッターという仕組みがなくなっても、シャッター音、シャッターボタン、なんてことばはしぶとく生き残っていくような気がする。

我々が使うことばはとても儚(はかな)い存在だ。一方で存外にしぶとかったりもする。私もいつか、自分のこども、もしかしたら孫に、「シャッターって何?」と訊(き)かれるかもしれない。そうなった時、私は「昔はね…」なんて語りだすのかもしれない。まったく興味深いものだ。(言語研究者)