火曜日, 10月 6, 2026
ホームつくば産卵床を造成 アユを呼び戻したい【桜川と共に】9

産卵床を造成 アユを呼び戻したい【桜川と共に】9

1990年代にアユがよく捕れていたという桜川。近年少なくなってしまったアユを呼び戻そうと、9月末、つくば市栗原の桜川で、重機を使って川底を耕す作業が行われた。川底にある直径1センチから2センチの小石や砂利に付いた古い藻類や泥をはがし、餌となる新しい藻類を定着させて、アユの産卵床を作るのが目的だ。9月下旬から11月ごろがアユの産卵期となるため、桜川漁協(鈴木清次組合長)が年に1度、この時期に産卵床の造成作業を行っている。

朝9時、漁協理事の酒井康男さん(86)が油圧ショベルを運転して広場から桜川に乗り入れ、1時間半ほどかけて川底を掘り起こした。この日の水深は30センチから50センチ程度。小倉さんと共に、鈴木組合長や理事の松田七郎さん、組合事務担当の小神野一巳さんが川底の耕うんの様子を見守った。

重機に乗る酒井さん、前左から小倉之一さん、松田七郎さん、鈴木清次さん、小神野一巳さん=同

河床を耕したこの日、桜川の清掃や水質浄化などに取り組む「桜川多面的機能活動組織」が、生態系の維持、保全などを目的に魚類モニタリング調査を実施、1時間ほど投網を打ち、オイカワ、モロコ、ニゴイなどが捕れた。約40匹のうち、8割ほどがオイカワだったが、体長13センチの小さいアユ2匹も入った。耕うん後の今月7日に行われたモニタリング調査では、1時間の投網でアユ18匹、オイカワ114匹そしてボラ15匹が捕れ、アユの数が明らかに増えた。

漁協理事の小倉之一さんは「昔は三本爪の鋤(すき)を使って手作業で川底を耕していた。耕すとアユが増えるのは経験から確か」と話す。「昔はアユがたくさんいたが、今は減ってしまった。川にアユを呼び戻したい」と組合員ら。しかし、桜川にアユがいることが分かるとアユ目当ての遊漁者が増え、さらに減ってしまうのではないかとの危惧もあるという。

投網を打つ小倉さんとそれを見守る松田さん=同

霞ケ浦から上ってくる陸封型

アユは年魚で、寿命は1年。普通は海で生活し、その後川に上ってくる回遊型の魚だが、桜川のアユは海には出ず、霞ケ浦から上ってくる陸封型だ。秋に川底の砂礫に卵を産むと10日から14日前後でふ化し、ふ化仔魚は1日も経たず霞ヶ浦に下る。冬は霞ヶ浦で過ごし、春から夏にかけて遡上してくる。

県霞ケ浦北浦水産事務所によると、桜川のアユ漁獲量について統計データはないが、1990年代から2000年代までは、遊漁者による釣りや漁業者による投網で漁獲されていた。しかし、近年は姿を見ない年が続いてきた。

昔と比べると少ないものの、今年になり再び投網に入るようになった。

今月7日に桜川で捕れた18匹のアユ(桜川漁協提供)

霞ケ浦・北浦では、1992年以降に定置網(張網)などに入るアユが急増。多く捕れる状況は2000年代まで続いたが、現在は極めて少なくなったという。国の統計(漁業・養殖業生産統計年報)によれば、1999年に19トン(霞ケ浦18トン、北浦1トン)、2000年に12トン(霞ケ浦9トン、北浦3トン)、01年に3トン(霞ケ浦3トン、北浦0トン)で、02年以降は、統計に表れていない。最も漁獲量が多かったころの霞ケ浦・北浦では、築地市場や地元ホテルなどに鮮魚出荷したり、甘露煮などに加工したりしていた。桜川では自家消費のみだ。

桜川のアユの食性については、詳しい調査が行われていない。しかし、同じ霞ケ浦流入河川の恋瀬川で1996年に行われた調査では、アユが藻類をはむ行動や「はみあと」が観察されており、夏から秋にかけての餌は藻類主体であることが分かっているという。桜川のアユの「なわばり」行動については不明だが、当時、餌釣りが行われていたことから「なわばり」性は低いと考えられている。(田中めぐみ)

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