【コラム・斉藤裕之】我が家の軒先がよほど居心地がいいのか、山鳩が年中巣を掛けるのだが、先日、エアコンの室外機の下にハトの子がいるのを見つけた。産毛が少しあるが、結構大きい。巣から落ちたのか、羽ばたき損ねたのか。近づくと陰に隠れたので、そのまま放っておいた。

それからしばらくしたある日。突然、動物園に行こうとカミさんが言い出した。休日だからか、子供が小さかったころ以来の千葉の動物園は、多くの家族連れが入場門から長蛇の列をつくっていた。

実は故郷の実家のそばに動物園があって、物心ついたころからよく親に連れていかれた。小学校や中学のスケッチ大会もこの動物園だったが、動物園が主催する絵画展に1人で出かけて行って象の絵を描いていたら、地元のニュースにその映像が流れて驚いたこともある。

大人になってから、「ぞーさん、ぞーさん…」の歌は、この動物園の象をモチーフにして、同郷の偉大な詩人まど・みちおさんが作詞したものだと知った。

「そういえばあのハト、どうしたかしら?」とかみさん。「何か食べているのかなあ」「でも、親が餌を運んで与えるのを見たことないよねえ」。どうやら、ハトは親が吐き戻したものを子供に与えて育てるらしい。

フラミンゴなどが有名で、ハトの仲間がそうした習性を持つことから、その吐き戻したものを「ピジョンミルク」というそうだ。なるほどね。そういえば、そういう名前の哺乳瓶の会社があったなあ。

「わんわんランド」にも行ってみた

早速ググると、こちらの会社は平和の象徴としてハトを使っているとのこと。哺乳瓶といえば、長女は哺乳瓶の吸い口の好みが激しく、当時あれこれ試した結果、「吸い口博物館」のようになってしまった。

結局、ドイツ製のある限られた吸い口を好むことが分かった。それでもちょっとした具合のせいで、同じ製品の中でもさらに好みがあって手間がかかった。次女は全く頓着なくカミさんの母乳を本体ごと見事に吸い尽くした。

さて、カミさんは意外にもペットロスらしく、動物園に行きたかった理由のひとつは、ふれあいコーナーで動物を触りたかったらしいのだが、あいにくコロナ禍で閉まっていた。カミさん、今度は「わんわんランド(犬のレジャーランド)」に行ってみたいと言う。休日の遅い時間にもかかわらず、ここも予想外の人出で驚いた。

故郷の動物園に話は戻るが、私は、象舎の一番左側で餌を手にして柵越しに背を伸ばすと、象の鼻を触れることを知っていた。象の鼻はかたくて優しかった。「触る」ことで、人は気持ちのバランスを保つ。そのバランスは今や大きく傾いている。

また、軒先でハトの鳴き声がする。もしや巣立った子バト、お前なのか? 哺乳類と違って唇や頬を動かす筋肉も表情もないので、ハトの顔は見分けがつかない。カミさんは、あの子バトと思い込んでいるようだ。(画家)