【ノベル・広田文世】

灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼

我(わが)ひめ歌の限りきかせむ  とて。

御陵衛士(ごりょうえじ)という名目で新選組を離脱した「高台寺(こうだいじ)組」15人を壊滅させるため、新選組局長近藤勇は、周到な手順を踏んだ。御陵衛士隊長は、元新選組ナンバー2の伊東甲子太郎、容易に倒せる相手ではなかった。

近藤勇は、甲子太郎が新選組隊内に内偵探索要員として残してきた佐野七五三之介ら4人を、ひそかにほうむる段取りを、まず、整えた。会津屋敷へ行って軍用金を受け取ってこいと命じた。4人は、毎度の用向きであり、土方歳三も同行とあって、疑いをもたずに会津屋敷へ参上、帰り際には酒肴の接待まで受けた。土方が、さりげなく席を外したときだった。別室で機をねらっていた新選組隊士が酒席へ踏み込み、槍を突き立て4人を惨殺した。新選組隊内の他の隊員に極秘の抹殺劇だった。

こうして、高台寺組への密偵者を絶ったところで近藤は、伊東甲子太郎へ宴席への招待状を送る。

すでに佐野たち4人が惨殺されていることを知らない甲子太郎だったが、招待状の裏に仕組まれているであろう策謀に、当然配慮すべきであった。事実、江戸深川佐賀町の伊東道場以来の同志篠原泰之進は、誘いを断るよう、強く進言した。

にもかかわらず甲子太郎は、敢然と近藤の誘いに乗ってゆく。甲子太郎の胸中に、過剰な自信があったことは否めない。「近藤さんは、まだ、わしの論説を頼りにしている」。さらに、万が一の際の北辰一刀流の技量にも、絶対的な自信をもっている。

高台寺組壊滅

宴は、近藤勇の妾の家で開かれた。名目はまさに、「時局についてご高説をお聞かせください」だった。策謀の隠蔽にすぎない表向きの誘い言葉だったが、近藤の、多少の本音もふくまれていたかもしれない。

宴席で近藤は、甲子太郎の弁舌にまかせ、好きに語らせた。席の意味を知り尽くした妾の孝子は、如才なく席をとりもち、甲子太郎は気分よく、いつになく酒を飲んだ。

席では何事もなく、したたかに酔った甲子太郎は、夜遅く近藤の妾宅をひとりあとにした。

謡曲など吟じながら、木津屋橋を東にわたり油小路(あぶらのこうじ)へさしかかったときだった。新選組隊士大石鍬次郎の長槍が、甲子太郎の肩口から喉を刺し貫いた。甲子太郎は、必死に反撃し、次に斬りかかる隊士を斬り倒したが、反撃はここまでだった。甲子太郎は、油小路に息絶える。さらに、遺体は、高台寺組をおびき出すために、油小路に晒される。遺体収容に向かった高台寺組の半数近くが路上に惨殺され、高台寺組は壊滅する。

伊東甲子太郎の野望は、京都油小路で無惨にも消え去った。慶応3年11月のこと。(作家)