【コラム・斉藤裕之】「セロ弾きのゴーシュ」という物語がある。セロを練習していると、夜な夜な動物がやって来てはリクエストをする。それに応えているうちに、セロの腕が上がっていたという宮沢賢治の童話だ。シンプルなストーリーだが、ものづくりのエッセンスが描かれている。

身の回りの出来事を小さな板切れに描くことにした。四季の移り変わりや食べ物、出会った人やモノ、2匹の犬や家族…。謙虚に、つべこべ言わずに描く。ゴーシュが動物たちのリクエストに応えたように。芸術やアートという言葉から離れて、制作や表現ではなく、単なる絵を描こうと思った。そうやって何とか細々と絵を描き続けて来られた。

それから、今書いているこのエッセイ。ちょうど6年前、当時の常陽新聞の記者の方が別件で取材に来られたことがきっかけとなった。親しい友人の「斉藤さんの絵もいいけど文章が好きだな」という一言が、後押しをした。

結果的に、この2つの作業は私に向いていた。絵に飽きたら文章を書く。エッセイによって気持ちの整理がつく。日記のようにして絵と文が残っていくのは、怠け者の私には都合がよかったし、早朝の小1時間での作業は私の生活リズムにピタリとはまった。

27日から牛久で3週間

記憶をたどると小さな絵は15年ほど前から描いているが、ゴーシュにシンパシーを感じるとすれば不器用で下手ということだ。しかし、ここが絵と音楽の違いなのか、下手でも絵は描ける。

当初は人に見せるつもりはなかったが、「展覧会をやってみたら」という、これも友人の言葉がきっかけで小さな絵を飾ってみた。ゴーシュのように思い通りの演奏ができたというような実感こそなかったが、意外に多くの人が褒めてくれた。

今年も、牛久市の「サイトウギャラリー」で展覧会(10月27日から3週間)をすることにした。今回は描いた絵を自作の箱に収めているのだが、相変わらず同じようなものばかり描いていることにあきれたり、変わりのない暮らしぶりをしている証しか、などと納得したり。

展覧会は今回でちょうど10回目になる。紙粘土で作った牛久シャトーを描いたものを案内のハガキにした。少しお祭り気分で「第十回記念展」にすることも考えたが、「九の次の十回展」ということにした。

しかし、コロナ禍でオリンピックをはじめほとんどのイベントが中止された記念すべき?年に、これほどピッタリの記念すべき展覧会もなかろう。なにしろ「平熱日記」展というぐらいだから。(画家)