木曜日, 5月 15, 2025
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《くずかごの唄》77 のんきでしがらみのない3男の妻

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【コラム・奥井登美子】結婚して土浦の家に来て驚いたのは、本宅と呼ばれていた我が家が親戚中の行事をすべて統括し、まかなっていた。今の業務に例えれば、健康保険、介護保険、年金機構、生命保険に相当する仕事である。昭和の初めまで、それらすべてに相当する仕事を本家が負担していたらしい。

私は、仕事をしている以上、社会保険に入るのが当たり前と思っていたので、奥井薬局として入ることを勧めてみた。

私の主張に対して、親戚の人たちがたくさん押し寄せてきた。昔から本家が中心で、病気のときも本家が面倒をみる。それが奥井家の美徳なのだから、そういうことを言い出す嫁は許せないという。私が親戚の人たちと対立するたびに、誠一兄がすっ飛んで来て、間に入って親戚たちを説得してくれた。その時も、社会保険に無事入ることができた。

兄は親戚の業務を遂行する長男として、次男、三男とは食事の中味まで、特別のものにして大切に育てられたという。こともあろうに、その兄が1967年、45歳の若さで亡くなってしまった。

結婚のときに言われた「のんきでしがらみのない3男の妻」。しばらく土浦にいて東京に帰る予定だった私の予定は、兄の死であっけなくつぶれてしまった。兄の葬式は、仙台での東北大学医学部葬、土浦でのフレンド教会葬。たくさんの人たちが来てくださった。

3人の兄弟の中で、体も一番大きく頑健で、頭もさえていて、東大卒業のときは恩賜の短刀をいただいた兄が、子供を残して先に亡くなるなんて考えられなかった。

奥井家当主の名は「吉右衛門」

親戚の人たちは、主人の名を「吉右衛門」に改名してくれと私にせまる。吉右衛門などという名を知らなかった私は、「歌舞伎役者ではありません」と言ってお断りした。吉右衛門は徳川時代の奥井家当主の名である。

毎日のように仏壇を拝みにくる親戚のおばさんたち。「仏壇掃除評論家」となって、私の掃除の仕方、花の生け方を批判して、不満を私にぶっつけて鬱(うつ)状態を晴らす。医者にかかるほどでないにしろ、一人一人が暗く、私も鬱っぽくなってしまっていた。

本格的な老人性鬱病になってしまったのは舅(しゅうと)。「死にたい。誠一に会いたい」と言い出すと、大変だ。細いひもの類を探してきて、ぐるぐる首に巻き付けてしまう。(随筆家、薬剤師)

《ご飯は世界を救う》31 菜食カフェ・レストラン「りっつん」

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【コラム・川浪せつ子】茨城県独自のコロナ緊急事態宣言も出て、またまたランチに行きにくくなってしまいました。コロナ禍の早い収束のためには、まずは我慢の日々ですね。今回の「りっつん」さん(つくば市上原)には、昨年末に、テラスでのランチを求めました。

「菜食カフェ・レストラン りっつん」という名前の通り、動物性のたんぱく質などは、全く使っていない食事です。そう聞くと、アッサリすぎて物足りないかな?と思うのですが、さすがプロ。いろいろな工夫でおいしく作ってくださっています。

「マクロビオティック」という食事をご存知でしょうか。玄米を主食にして、野菜を中心に、動物性のダシも使わず、有機農産物で調理するものです。アメリカの歌姫マドンナさんも、一時期、日本人のマクロビオティックシェフ、西邨(にしむら)マユミさんにキッチンを任せていたそうです。

テイクアウト?過去の絵アップ?

疑似お肉でハンバーグぽいものなどを作ったり、キビなどでケーキまで作ってしまうのです。そんなポリシーでのお食事処、貴重な存在です。

テラス席は屋根がついているので、年末にかかわらず、あまり寒くありませんでした。ワンちゃんとご飯が食べられます!というのが、キャッチフレーズのようです。

それにしてもコロナの猛威。はてさて、このコラムを継続するのに、テイクアウトか?もしくは過去の絵をアップするか? 思案中です。(イラストレーター)

《吾妻カガミ》98 新年会で話題にしたかったこと

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霞ケ浦から朝焼けの筑波

【コラム・坂本栄】コロナ禍で新年会が吹き飛び、このコラムもネタ不足です。というのは、1年前の「土浦とつくばの新年パーティー風景」(昨年1月20日掲載)同様、今回も両市の賀詞交歓会の様子を取り上げようと思っていたのですが、どちらも中止になりました。 そこで今回は、ビール片手の立ち話で話題にしたかったことアレコレです。

安倍~菅政権は対コロナ作戦で失敗

年末から年始にかけてコロナ禍が深刻になり、菅首相は緊急事態宣言の再発出に追い込まれました。安倍~菅政権の失政のひとつは、コロナの小康に油断し、落ち込んだ経済に活を入れようと、コロナの拡散を助長するGO TOトラベル・イート策を導入したことです。第1次非常事態を解除したあと、特別措置法の追加改定(私権制限や収入減補償などの仕組みづくり)を怠ったことも、いただけません。

私は、「善政? つくば市のコロナ対応」(昨年4月6日掲載)の中で、(1)コロナ禍という「戦争事態」には非常事態法の体系で対処せよ(2)それには「人の移動を抑え」「人を群れさせない」ことが大事(3)その結果生ずる経営や家計のマイナスは財政で回してやるべき(4)その資金は「戦時国債」(100~200兆円)で確保したらよい―と述べました。

GO TO策は(2)と真逆であり、今ごろ特措法をいじっているようでは(1)の有事に対する認識に欠けています。コロナ阻止と経済刺激の二兎(2匹のうさぎ)を追ってはいけません。コロナ抑制こそ経済対策ですから、しばらくはコロナ阻止>経済刺激でいくべきです。新年会に顔を出す衆参議員さんとは、両政権の政策センスについて議論しようと思っていたのですが、残念でした。

土浦のサプライズ花火には強い違和感

土浦市は「人を群れさせない」ために、昨秋の全国花火競技大会を取り止めました。常識的な判断だとは思いますが、その埋め合わせとして、打ち上げの日時と場所を事前に予告しない「サプライズ花火」を実施しました。市長の安藤さんは「市民に楽しみを…」と思ったのでしょうが、この代替策には違和感を覚えています。

私にとって、土浦の花火は「大相撲や歌舞伎と同じように桟敷席で重箱のご馳走をつつき飲みながら鑑賞する行事」だからです。サプライズ花火は由緒正しい花火の姿ではありません。それに、市内の商工振興には何の役にも立ちません。仕事がキャンセルされた煙火会社や花火師を支援したいということであれば、収入減を直接補償する方がスマートです。

市長さん、市議さん、県議さんと、サプライズ花火の是非について話せなかったので、ここで持論を述べました。

つくばのコロナ病床施設は再考したら

つくば市の新年会では、昨春、日本財団が市内の研究所跡に設けたいと言ってきた「軽症コロナ患者の病床施設」を話題にしようと思っていました。市長の五十嵐さんが受け入れを事実上拒否したあの案件です。東京が医療崩壊状態に陥っている今、1万7000坪の敷地に複数の大型テントを設置して、9000の病床を用意するというこの壮大な計画、首都(国家)機能維持のために必要性は強まっているのではないでしょうか。

日本財団の打診と市長の対応については、「『大型コロナ病床をつくばに』の是非」(昨年4月20日掲載)をご覧ください。私はこの中で、「つくば市は国との関係で特殊な位置にある自治体」と指摘、コロナ病床を迷惑施設だと断るのではなく、広い視野に立って、協力したらどうかと述べました。国や都に大きな「貸し」をつくれますし、施設の建設と維持に伴う経済効果も大きいと思ったからです。

市長さん、市議さん、県議さん、改めてOKを出したらどうか(もう遅い?)、と提案するつもりでした。(経済ジャーナリスト)

《沃野一望》23 正岡子規『水戸紀行』追歩 (3)

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冬の筑波山麓

【コラム・広田文世】

灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼

我(わが)ひめ歌の限りきかせむ  とて。

正岡子規の『水戸紀行』を追歩する令和版珍道中は、取手から国道6号線を北へ向かって歩く。この辺りの国道は、子規が歩いたころとは異なる道筋となる。旧水戸街道は、右手高台下の市街地を抜けていく。旧街道には江戸時代の本陣跡が残っている。そこを、水戸藩九代藩主の斉昭や息子の慶喜が江戸に向かい、子規は北に向かった。

令和版は、現在の6号国道を行く。

緩い坂を下ると、左手前方の平野の彼方に、筑波山の秀麗な紫の鋭角が望める。子規は、ある年の年賀状で、「…富士の山めでたく候。筑波の山めでたく候…」と記している。富士山と筑波山を対等に並べ憧れていた。

坂を下ると、「とりあえず」どころではない、大きなビール工場へ差し掛かる。工場の前に、立派な記念植樹と柵に囲まれた距離表示ポールが設置されている。東京日本橋の道路原標より40キロ地点。

取手を過ぎると田園風景が広がってくる。令和版も急に空腹を覚えてきた。そこまで子規を見習ったわけではないが、今回の我流追歩は、まったくの出たとこ勝負。弁当の用意など、はなから念頭になく歩き出してきた。

藤代のバイパスへ入ってしまうと食事にありつける店の記憶がなく、ここは旧6号を進む。正真正銘の旧水戸街道が右手から合流してから、なおしばらく歩くと、左手にMの字の大きな看板を発見する。ちょうど休憩時間に頃合い。どれ、まあ、ここで仕方ないかと妥協し入店する。

牛久沼は「二股大根」

子規は、藤代近辺で、あまりに不味い鮫(サメ)の煮物に「さめざめと」泣いたと恨めしく駄洒落ているが、令和のMの味も、「まっ、食(く)えるか」というパサパサの味気無さ。『水戸紀行』には、景色よりも食事や宿や街道の人の対応記述が目立つ。それも、繰り返しの不満。食い物の恨みは恐ろしいが、当時の街道筋の貧困な食糧事情の一端がうかがえる。

パサパサをぐっと飲みこみ、とにかく足を休め腹ごしらえができた。元気を出して、さあ先へ。

子規は、8里(約32キロ)歩いて、藤代に一泊している。「まだ日は高ければ牛久まで行かんと思ひしに我も八里の道にくたびれて藤代の中程なる銚子屋へ一宿す」。藤代は、平成の大合併で取手市藤代となった。その藤代の市街地を抜ける。令和版は、昼食もどきを食べたばかり、宿に落ち着くというわけにはいかない。

文巻(ふみまき)橋で小貝川を渡る。ここから龍ケ崎市。この辺り、古くから逆流洪水多発地帯で、旧水戸街道の痕跡も判然としない。現在の6号国道を直進する。龍ケ崎市駅(長く馴染んできたJR常磐線旧佐貫駅が、令和2年より改名)入り口を右手に見送れば、すぐに左手は牛久沼。

子規の表現によれば、「二股大根の」、「其大根の茎と接する部分を横切り」沼の東岸沿いを行く。地図を取り出せば、なるほど牛久沼は「二股大根」。最盛期より減ってしまったが鰻(うなぎ)屋が多い。うな丼発祥の地と言われている。食い意地の張っている子規の『水戸紀行』に記述がみられないのは、明治20年代にはまだ、鰻屋は開業していなかったのか。

空腹を満たしたばかりの令和版も、何軒かの鰻屋の前を素通りする。(作家)

《続・気軽にSOS》77 そんなの常識でしょ?

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【コラム・浅井和幸】「そんなの常識でしょ?」「それが普通でしょ?」。私ぐらいの変人になると、「へぇ~、あなたや、あなたの周りは、そのように物事を捉えてるんだ~」と気楽に聞き流してしまうか、その人個人や集団の考え方を推し量る目安にさせてもらうかとなります。

しかし善良な一般市民の皆さんは、このような言葉に苦しめられたこと、もしくは現在進行形で苦しめられていることは多いのだと思います。「常識」や「普通」に当てはまらないものはダメな存在なのだ、という思いからなのでしょう。もしかしたら、「普通じゃない弱い自分」を「常識を持った強い人(たち)」が、たたきつぶしに来るという感覚になっているかもしれません。

常識や普通の概念は、「当たり前」であったり「マジョリティ(多数者)」であったりするものです。だから、常識や普通ではないのは、「当たり前じゃない」し「少数派」であるわけで、それは「間違った考え」であり「ダメな存在」と感じるのでしょう。

また戻って「変人浅井」は、「当たり前じゃな」かろうが、「少数派」だろうが、間違いかどうかは別の話。むしろ、不健康なのが「常識」だったり、間違いなのが「普通」だったりすることも多いと考えます。

健康体である人や幸せだと感じる人が少数派であるかもしれません。ならば、不健康が常識で、不幸が普通です。生活習慣病である人が多い場合は、それが普通で、健康が普通じゃない状態です。肥満や不健康は「伝染する」という論文もあるようですよ。

人の脳はだまされやすく作られている

人の脳はだまされやすく作られています。また、人は間違った回答をする人が多数の時に、その多数に引きずられて間違った回答を事実と思いこむ性質があります。だまし絵、目の錯覚、手品などはイメージしやすいでしょう。壁にかかっている絵が明らかに赤い色をモチーフに書かれていても、その絵を見ている人10人が「青い絵だね」と言っていると、自分も青い絵だと言ってしまうそうです。

明らかに間違ったデマが広まることもあります。人が困ってキョロキョロしている場面でも、怪我をして倒れている場面でも、多くの人が通り過ぎていく場面では、いつも声をかけるような親切な人でも声をかけずに通り過ぎてしまいやすいのです。「群集心理学」で検索してみると面白いかもしれません。

さてこの場面では、困っている人がいても、けがをして倒れている人がいても、助けないのが「常識」で「普通」ということになります。自分や周りを見渡してみてください。普段の言葉に「常識」や「普通」を使う人は、自分の価値観に自信がない人、自信がない時なのではないでしょうか。

場面や空間は、状況が異なると、例えば各々の職場や集団によって常識や普通は変わってきます。郷に入っては郷に従えと言われますが、あまりにも事実に反した「常識」「普通」には、十分に気を付けてください。不幸になるため、不健康になるために、一生懸命に努力してしまっているかもしれませんよ。(精神保健福祉士)

《映画探偵団》39 中心市街地はAIそれともaI?

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【コラム・冠木新市】10年前に流行していたまちづくりのキーワードは「コンパクトシティ」だった。それが数年前から「スマートシティ」へと変化。さらに昨年からは「スーパーシティ」となった。次は「ムーンショット計画」だそうである。難しいことは分からないが、要はAI(人工知能)を中軸にしたまちづくりらしい。つくば市は、中心市街地をその象徴にしようと考えている様子がうかがえる。だが本当にそれがふさわしいのだろうか。

つくばセンタービルの出入口付近には4つの奇妙な彫刻物が存在する。オレンジ色のaIの文字で、センタービルと広場を象徴する形になっていて、石の堅固な建築に対しポップな彫刻が温かみを感じさせてくれる。

センタービルはL字形(ただし反転文字)だ。広場の楕円形はO。ホテル内の階段は下から見ると平行なのに上から見おろすとVの形。野外ステージ階段を下から見上げるとEの形。つまりセンタービルと広場にはLOVEの文字が隠されているのだ。だからaIは、アイ(愛)であり、遊歩道をアイアイモールとはよく命名したものである。以前、野外ステージで行われていた結婚式を見たことがあるが、神秘的に映りとても感動させられた。

つくばセンター広場ペデストリアンデッキの彫刻物

オープンハウスで見たイメージ映像

新型コロナウィルス第3波が襲う年末。つくば駅前のBiVi2階イベントスペースで、中心市街地に関するオープンハウスが2週間にわたって開催された。市民はずいぶんと待たされたわけだが、ほとんど誰もやっていることを知らなかったのではないだろうか。会場にはパネルが飾られ、市民の質問に市担当職員2名が答えるシステムだった。中心市街地とセンタービルに愛着を持つ私は3日も通ってしまった。

なぜセンタービルを改造してまで2基のエスカレーターが必要なのか、まちづくり会社は中心市街地をどのような方向にもっていこうとしているのか知りたかったからだ。職員は率直で好感が持てる対応だった。職員の説明によると、エスカレーターを正面につけるのは「動線が悪いから」とのこと。(動線よりも階段を使うのが面倒なだけではないだろうか)。またホテル側につけるのは「カートを持った旅行者が1階に行きやすくするため」だそうだ。30年近くセンターに通ってきたが、そんな声があることをはじめて知った。(旅行者にはホテルのVの字階段を体験させたい)。

そして、改造されたセンタービルのイメージ映像を見た。50万円をかけたという映像はよくできていた。まるで新築の建物に見えたからだ。ホテル側の階段の改造部分はロングになっていてよく分からなかった。(ここが見たかった場面なのだが)。しかし何度も繰り返して見るうちに、映画探偵の私は違和感を持った。それは映像の中で広場を歩く人々は30代から40代の若者がほとんどであり、高齢者や外国人や障害者が1人もいなかったからである。

職員は「広場を歩く人々は制作会社の社員を写真モデルにしたからそうなったのではないか」と語っていた。ちょうど高齢者の母親と来ていた20代の若者が一緒に映像を見ていて、「華やかな大都会みたいで行きづらいね」とつぶやいていた。

D・リンチ監督『ツイン・ピークス』

ゾウに踏まれ奇形となった主人公を描いた名作『エレファト・マン』(1980)のデイヴィッド・リンチ監督には『ツイン・ピークス』(1990)というテレビ映画シリーズがある。アメリカの製材所がある小さな田舎町、FBI捜査官が遺体で発見された若い女性の殺人事件を追いかける話だ。しかしリンチ監督は事件の追及よりも次々と風変わりな町の人々を描き始める。丸太を抱えた婦人、赤い部屋にいる小人と巨人など続々と登場する。

さらに、ドーナツやコーヒーの話やモンローとケネディの関係、UFOをめぐる話など脱線に脱線を続ける。どんどん物語はふくらみ、一体なんの話なのか分からなくなってしまうのだ。けれども、それと比例してなんの変哲もない町が妙におもしろく見えてきて、行ってみたい場所に思えてくるのだ。(事実、世界的な観光名所となった)。

30年前つくば市に移転して来たとき、まるで『ツイン・ピークス』の舞台だと思ってわくわくした。つくばには色んな計画が飛びかっていたが、自然を背景にした歴史物語は今も生きていた。そして、魔術師を連想させるユニークな博士たち、豊富な知識を持つ農家の人々など、魅力的な人が多くいる。結局はプロジェクト計画よりも人だと思った。

オープンハウスの帰り際、中心市街地に30年以上住んでいる職員はaIの彫刻を削る計画があることを教えてくれた。もちろんaIを削る計画には反対だが、それをあっけらかんと語る職員には興味を抱く。それにしても、つくば市はAIを目指しaIを削っていくのだろうか。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

《電動車いすから見た景色》14 好きな時に好きな場所に行ける自由

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【コラム・川端舞】年が明けてから、県内の新型コロナ感染者が急増し、緊張感が高まっている。私自身は、身体障害はあるが、内科的な疾患は持っていないため、重症化はしないだろうと楽観視したくなる。でも、呼吸器や痰吸引など、普段から医療的ケアが必要な障害者は、感染すると重症化する危険性が高い。そのような仲間の切実な声を聞くと、背筋が正される。

私が軽率な行動で新型コロナに感染し、介助者を媒介として、他の仲間にうつしてしまったら責任重大である。少なくとも、県内に外出自粛要請が出ている期間は、通院や買い物など、最低限の外出しかしないつもりだ。

1月12日現在、茨城も東京も全域に外出自粛要請が出ているはずなのに、テレビに映る街中には、たくさんの人が歩いているように見える。「仕事などで外出しなければならない人もいるだろう」「ずっと自粛していたら疲れちゃうよね」と、街を歩いている人にも事情があるのだろうと想像してみるが、それでも羨ましく思ってしまう自分がいる。「自粛警察」と呼ばれる行動に出てしまう人の気持ちも分かるような気もする。

新型コロナが出てくる前、私は介助者にサポートしてもらいながら、好きな時に行きたい場所に行けることが当たり前に思っていた。しかし、ずっと施設の中で生活している障害のある人にとっては、施設から外出許可をもらわないと、気軽に買い物にも行けないことが、新型コロナが出てくる前から当たり前だった。そのような生活は息が詰まるに違いない。

頭では分かっているつもりだったが、実際に自分が気軽に好きなところに出かけられない状況になることで、自分は何も悪いことをしていないのに、そして他の人は外出しているのに、外出できないつらさが初めて分かった。施設で生活している人たちは、今までテレビなどから伝わってくる、気軽に買い物に行ったり遊びに行ったりしていた人々のことをどう思っていたのだろう。その気持ちを以前より想像できるようになった気がする。

コロナ後の世界

コロナ禍で、誰もが少なからず行きたいところに自由に行けない気持ちを味わっただろう。でも、車椅子ユーザーの私は、コロナがあってもなくても、段差があるお店には入れない。そして、施設で生活している障害のある人は、バリアフリーなお店でも気軽に立ち寄ることができない。

新型コロナのために、行きたいところに自由に行けないという経験を世界中の人が共有したからこそ、アフター・コロナの世界は、どんな障害があっても、好きな時に好きな場所に行けるような社会になっている。そう信じながら、このような状況でも毎日の生活をサポートし続けてくれる介助者に感謝しつつ、家で静かに過ごす今日このごろだ。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

《つくば法律日記》14 時代の変化を楽しむ

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堀越氏の弁護士事務所があるつくばセンタービル

【コラム・堀越智也】正月に小学3年生のおいっ子が実家に遊びに来て、乗るだけで腹筋が鍛えられる機械で遊んでいた。古き時代の野球部だった僕は、若いうちから楽して腹筋を鍛えていいのだろうかと、一瞬思った。しかし、僕らの時代にも、つらく苦しい「うさぎ跳び」はやらない方がいいと言われていた。最近は、僕らが教わった腹筋の鍛え方も否定する意見があるらしい。

昔は、正月に親戚の子どもが集まれば、かるたやトランプをしていたが、最近はやらないし、小3のおいっ子も携帯のゲーム機に夢中である。そこで、僕は部屋に閉じこもり、昔は当たり前だったが今は否定されているものを、できる限り思い出してみた。

まず聖徳太子。小学生のころ、絵まで描かされ、あれだけすごい人物だったと教えられたのに、今は、実在しなかったわけではないが、教科書で教えられたように、いろいろなことを成し遂げた事実はないということになっている。1万円札や5千円札になったことも、誤解に基づく結果ということなのだろうか。

歴史つながりで言うと、大河ドラマにこれから出て来る本能寺の変は、僕らが教科書で習った事実とは違うような見解が主張されている。まだ何が真実か明らかになっているわけではないが、教科書には、はっきりと明智光秀が本能寺の変を起こして、織田信長を討った旨の記載がある。光秀に大勢が味方して信長を討ち、その後、豊臣秀吉に大勢が味方して光秀を討つという、昔教わった人間関係がイメージしにくいので、早く真実が明らかにならないかと思っている。

債権法・相続法も大幅改正

今でもたまに話題になる未確認飛行物体(UFO)。昔は、UFOを呼べますという人が現れ、民放テレビのゴールデンタイムにUFOを呼ぶ番組があった。しかも、番組の最後に本当に呼べたかのような場面もあり、今そのような放送をしたらまずいことになるのではないかというくらい、UFOは人気のコンテンツだった。

最近、UFOが取り上げられることが減ったのは、科学が発達し、人間が宇宙に頻繁に行くようになり、さすがにないのではと思われるようになったのだろう。僕も、空を見ている時間が長い天文学者や気象予報士に、UFOを見たと言っている方がほとんどいないと知り、UFOはないのではないかと思ってしまう。

やっと法律の話になりますが、法律も学生時代に習ったものから別のものに移りゆくもので、最近、民法の債権法と相続法が大幅に改正された。成人の年齢も変わることになっている。そして、判例も変更される。古い判例を理由に裁判を起こしたら、大変なことになる。

僕が司法試験の勉強をしていたころに比べ、世の中が変化するスピードはますます速くなっている。そんなことを思い、時代の変化に前向きについていこうと、買いあさった本の山に囲まれ、明智勢に包囲された信長のように、是非に及ばずと思いつつ、今年の計画を立てる令和3年1月。(弁護士)

《続・平熱日記》77 初夢考 還暦を迎える年に

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【コラム・斉藤裕之】私は毎晩夢を見る。昨夜も見た。それほど面白い夢ではなかった。最近はそうでもないが、若いころはとても愉快な夢を見ることがあった。時には腹がよじれるほどゲラゲラ笑う。とにかく本人は面白おかしくてたまらないのだが、暗闇に響き渡る笑い声は家族にしてみれば不気味であったそうだ。

そんな夢見がちな私であるが、初夢というものを見た記憶がない。あれだけ連日連夜オールナイトで上映される夢が、正月だけはなぜか休館となる。そこで、来年こそは初夢を見てやろうと思う。ここまで2020年の師走に記す。

初夢に封切大作映画なし

さて、2021年1月2日早朝これを記す。ついに初夢を見た。目が覚める寸前に「おーっと、これが初夢なら覚えておかなければ」と思い忘れないうちにノートに書いた。どうもパッとしない内容だ。断片的に覚えている場面もあるのだが、確実に覚えているのは目覚める前に見ていた場面。漬物の桶(おけ)のふたのような丸い形の木の板で、胸の前と背中にプロテクターを作って、それを一生懸命装着して…。

2日後、山の中腹にある焼却炉のような施設を舞台にした近未来的な夢を見た。外国人もキャスティングされていた。アボリジニは夢の中の世界をもう一つの人生だと考えていたそうだが、夢の元ネタはその人を取り巻く現実の世界。彼らといえども、今の世界は複雑過ぎてカンガルーとかコアラとかはキャスティングされにくいだろう。

だから、初夢に富士山はまだしも、鷹やナスが夢に出てくる方は相当牧歌的な日常を送っているということか。考えてみれば毎日毎晩、世界の何十億という人の見る夢に意味があったら大変だ。結論、初夢に封切大作映画なし。夢は取るに足らない脈絡のないナンセンス劇場だからよいのであって、逆に、これほど意味不明な脚本を毎晩書ける脳は大したもんだと改めて感心した。

2回り目の航海へ出発!

閑話休題。2021年に還暦を迎える。しかし還暦とはよく言ったもので、なんとなく一回りした感がある。成人式も厄年も四十肩や五十腰も無縁に生きてきた私の場合、高い山を目指したわけでもなく、どうにかこうにか小舟で「還暦島」に辿り着いたという感じ。

五十になったときにやっと成人できたかなと思ったのだが、大きな勘違いであった。六十こそ成人だ。十二進法万歳!ということで、いざ、2回り目の航海へ出発するとしよう。さて今宵(こよい)の夢は? 七福神に宝船?(画家)

《邑から日本を見る》79  秋田からの「いぶりがっこ」を食べながら

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麦畑と前方後円墳=那珂市静

【コラム・先﨑千尋】30年来の秋田の知友から手作りの「いぶりがっこ」が届いた。添えられた手紙には「昔は金が無くても暮らせる世の中だった。バスにも乗らず、飲み物は水。食堂に入らず、宿は親戚や知り合いの家。オリンピックの総費用1兆5000億円以上、参加選手約15,000人。選手1人あたり1億円。何かおかしい」とある。そうだそうだとうなずきながら、いぶりがっこをかみしめる。

その秋田は大雪で、救助のために自衛隊が出動している。横手市立栄小学校は30年前に木造校舎を建てたが、雪に埋もれ、雪をかきだす様子をテレビで見た。そのモデルとなったのは私が住んでいる瓜連小学校の木造校舎だったので、関心が人一倍だ。これでは子供たちが「かまくら」を作って楽しむどころではないなと、かの地に思いをはせた。

昨年から地球を襲っている新型コロナウイルスの脅威。テレビでは朝から晩までこのニュース。コメンテーターや医療専門家たちがそれぞれ自分の主張をしているが、一向に事態はよくならない。菅首相は小池東京都知事らから背中を押されて、7日にやっと緊急事態宣言を出したが、世論調査の数字やテレビで聞くちまたの声からもわかるように、遅すぎたという声が圧倒的だ。

私もそう思う。医療崩壊が始まっているのが一番怖い。「Go Toトラベル」などにうつつを抜かしているよりも、そのカネを医療現場に注ぎ込み、PCR検査を大幅に増やし、人の動きを止める、休業要請をした業者には損害補償をきちんとする。私はそのことが最低限必要だと考えている。

「今だけ、カネだけ、自分だけ」

そして菅総理大臣や西村担当大臣、政党幹部らが医療現場に足を運び、現場で懸命に努力している人たちの声を聴く。そしてコロナを止めるという覚悟を決める。政治家として当たり前のことがどうしてできないのか不思議だ。経済を回すこと(カネ)よりも命最優先ではないか。「命あっての物種」という言葉もある。

国民の共感と協力を得るためには、手元の紙に目を落として読み上げるのではなく、ドイツのメルケル首相などのように、メリハリのある自分の言葉で強く訴えることが大事だと思っている。

平時なら優秀なスタッフがいるから、首相、知事、首長は、極端な言い方をすれば誰にでもできる。しかし今は国民すべてが戦場にいる。事態がどうなっていくのかわからない。瞬時に情勢を判断し、的確な指示を出す。それがトップの役割だ。それができないのなら、辞めてもらうしかあるまい。週刊誌やネット情報では、すでに次の首相選びが始まっている。

東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故からまもなく10年になる。経済の仕組み、人としての生き方など、震災と事故によって国民と政治家の考え方が変わると期待していたが、その後の世相を見ていると、「今だけ、カネだけ、自分だけ」という考え方は変わっていないようだ。コロナ騒ぎがあっても同じだと思える。私たち日本の人々は、どうして同じ轍(てつ)を踏むのだろうか。(元瓜連町長)

《茨城鉄道物語》8 試乗記「鹿島臨海鉄道大洗鹿島線」

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大洗鹿島線鹿島神宮駅

【コラム・塚本一也】正月休みを利用して、以前から気になっていた県内の鉄道に乗車しようと思い、大洗鹿島線に乗ってきた。私は鉄道マニア「てっちゃん」ではないが、鉄道会社の社員であったという血が騒ぐのか、わざわざ九州新幹線や島原鉄道の体験乗車にも行ったことがある。今回は水戸へ行くたびに気になっていた大洗鹿島線に試乗した。

大洗鹿島線は、茨城県などが出資する第3セクター鹿島臨海鉄道株式会社が運営する、営業距離が53キロの単線鉄道である。電化はされておらず、始発の水戸駅から終点の鹿島サッカースタジアム駅まで、2両編成の気動車がひた走っている。特筆すべきは、ローカル線としては異例ともいえる、線路のおよそ6割(私の目見当)が高架で、残りも掘割(切土)であったりするため踏み切りがほとんどない点である。

水戸駅を出発すると、すぐに常磐線や水郡線と共用の踏切が2箇所あるが、そこを過ぎて高架に昇ると、残りのおよそ52キロは終点まで踏み切りが一切ない。それゆえに、スピードアップも図れるため、最高速度は時速95キロという設定の鉄道である。そういった構造だから、線形もほぼ直進になっており、この2点はつくばエクスプレス(TX)と同じ特徴といえる。

建設した鉄道技術者の意気込みを感じる

高架から望む涸沼の夕日や、車窓の彼方まで延々と続く田園風景は、どこか昭和を感じさせ、ノスタルジックな雰囲気にさせてくれる。あまり乗り心地の良くない気動車の振動も、何となく心を穏やかにしてくれるマッサージチェアのように思えてくるから不思議である。さらに途中で交差する道路は全て立体交差であり、建設当時の鉄道技術者の意気込みが感じられる。

そういえば、開業時である1985年はつくば科学万博開催の年であり、茨城県にとってもバブル経済に向かって最も勢いのあった時代だったのではないだろうか。

大洗鹿島線は日本国有鉄道(現JR)の路線として計画されたが、建設が始まったころには国鉄の膨大な赤字が問題となり、その後の分割民営化に向けて地方ローカル線を分離しなければならなくなった。それゆえに、大洗鹿島線は完成しても経営主体が無いという事態に陥り、それを茨城県が全国に先駆けて第3セクター方式で開業させるという、数奇な運命をたどった路線である。

近年では、ガルパンをプリントしたデザイン車両を導入したり、サイクルツーリズムに参加すべく、自転車を車内に持ち込めるように実証実験に取り組んだり、新しい試みにもチャレンジしている。地方ローカル線が消えゆく中で、頑張っている部類に入るのではないだろうか。茨城県の財産として、大事にしていかなければならないものの一つであろう。(一級建築士)

《食う寝る宇宙》77 「できれば平坦な登山をしたい」

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【コラム・玉置晋】ゼイゼイ、ハアハア。震える膝をさすりながら岩に腰掛ける僕と妻。後ろから登ってきた2組の家族が「お先に失礼します」と追い抜いて行きます。山道を登り始めてから、どれくらいの時間が経ったでしょう? 疲れていると時間の流れが遅く感じます。

そして、疲れると変なことを考えます。ちょっとお付き合いください。アインシュタインは時間が一定でないことを理論的に予想しました。僕らに「お先に失礼」と追い抜いて行った家族が持つ時計の時間の進み方は、静止した僕らから見て、ほんのちょっぴり遅れます。あまりにもわずかな時間なので、僕らの日常でこの時間の遅れを感じることはありません。

でも、もっと速く動く物体。例えば、航空機に乗せた原子時計の進みは、ごくわずかに遅れることが実験で確認されています。速度ともう一つ時間の流れをつかさどるものが、物理の世界にあります。重力が大きいほど、時間の流れは遅くなります。地上が重力の井戸の底にあるとすると、人工衛星が飛行する高度だと重力は小さくなるので、時計は早く進みます。

極めて精密な時刻情報を発信しているGPS衛星に搭載されている時計は、地上と比べて毎秒100億分の4.45秒だけ遅く進むように調整して、つじつま合わせをしています。時間は一様に流れないというのは、紛れもない事実です。

ロコモティブ・シンドロームと宇宙飛行士

まあ、疲れていると時間の流れを遅く感じてしまうのは、僕の気持ちの問題でしょう。ちなみに、この日、アタックした山はつくば市にある宝篋山(ほうきょうさん)で、標高461メートルの初心者向けの山です。そのまま頂上を目指すと帰れなくなると判断し、残念ながら下山しました。

登頂を断念した旨を後期高齢の母に報告したところ、「お前たちの体力の無さはロコモティブ・シンドロームだ」と皮肉られました。ロコモ…? 医療番組で聞きかじったそうですが、日本語でいうと廃用症候群。高齢者に起こる筋力低下や骨粗しょう症などを指すとのこと。筋肉や骨は年を取ると衰えていきます。

さらに病気で寝たきりになると、活動性の低下により衰えが加速します。これは、宇宙に滞在する宇宙飛行士にも言えることで、微小重力下で負荷の少ない環境にいると、健康な彼らでさえも「ロコモティブ・シンドローム」にかかります。

これを少しでも遅らせるために、高齢者も宇宙飛行士も運動訓練をするわけですが、僕ら夫婦はこれを怠ったために山に登れなかったのです。これに反省して、明日から運動をがんばろうと思った矢先、妻が秀逸な言葉を残しました。「できれば平坦な登山をしたい」。ダメだ、こりゃ。(宇宙天気防災研究者)

《くずかごの唄》76 人と人の出会いが膨らんでつながる

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】上野桜木にあった東京薬科大学女子部1年生。アイウエオ順で、加藤(私の旧姓)、川上さん、京極さんの3人は、実験も席も1年間一緒だった。京極さんは東大の薬学を受験して転校してしまった。この人たちと、結婚も、自然保護も、人生の大きな転機で関わりを持つことになるとは、その時はわからなかった。

近くの東大から若い先生がたくさん講師に来てくれていた。コーラス部をつくりたいけれど、女声が足りないという。そこで20人近くの薬科大女子部の学友が東大コーラス部の立ち上げに参加した。東大生だった宇井純さんと綿貫礼子さんが出会ったのも、このコーラスがきっかけだったという。後で、そのいきさつを聞いて3人で大笑いした。

化学は、まだ英語よりもドイツ語が必要な時代だった。私はドイツ語の中山久先生の課外授業「ゲーテのファウスト」が面白くてトリコになった。高校生の弟、加藤尚武が聞きにいきたいという。中山先生が両国高校の大先輩だったせいか、課外とはいえ、男子高校生が入り込むことを許してくれた。尚武は哲学者となり、昨年12月に「環境倫理学のすすめ」と増補版の2冊を丸善書店から発刊している。

「土浦の自然を守る会」で宇井純さん講演

私は薬剤師になることよりも、絵画の修復に興味を抱き、その基礎を学び始めていた。しばらくして、奥井清との結婚話が持ちあがった。偶然、京極さんと同じ製薬会社の研究所へ同時入社した3人の1人だ。彼女は一緒に入社したもう1人の森田氏が好きだったらしい。「1人で山登りばかりしている。3男なので気楽でいいわよ。彼ならあなたの好きなことなんでもやらせてくれるわ、結婚しちゃいなさいよ」

兄の奥井誠一先生の説得もあって、私たちは1958年に結婚し、東京へ戻る予定を立てながらも土浦に住むことになった。

1970年、宇井純さんは東大工学部で自主講座を開き、日本の環境問題に市民が参加する扉を開いてくれた。1971年、霞ケ浦の水質浄化を目的に、医師の佐賀純一氏が中心となって「土浦の自然を守る会」を結成。森田氏と結婚し、「多摩川の自然を守る会」を立ち上げ、市民の力でさまざまな調査を始めた森田(旧姓・京極)さんから、自然保護の貴重なアドバイスを受けた。

霞ケ浦の流入河川は56本。市民の手で56本の200カ所の水質調査をすることになり、発会式では、宇井純さんが自主講座の学生さんたちを連れて参加講演してくれた。宇井さんの父上は古河の出身。土浦の高校の先生で、彼も3歳まで土浦で育ったという。人の和が輪となって膨らんで、環境問題につながっていく。(随筆家、薬剤師)

《遊民通信》8 ゆるキャラを自作してみた 誕生はひたち野うしく

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【コラム・田口哲郎】

前略

謹賀新年。今年は丑(うし)年、牛久の年。牛つながりから始めましょう。JR常磐線ひたち野うしく駅は1998年に牛久駅と荒川沖駅間に開業しました。関東の駅百選に選定された美しい駅です。有名な話ですが、85年に開催されたつくば科学万博のために造られた臨時駅「万博中央駅」の跡地に建てられました。

当時、TX(つくばエクスプレス)はありませんから、常磐線の駅が万博会場の玄関口だったのですね。かつて科学技術の未来を夢見て胸を躍らせていた人々がここから会場に出発したのか…。牛久とつくば万博。関係なさそうなものを結びつけられないだろうか…。

名前は「ひたちのうしか」

そして一案浮かびました。ひたち野うしくの「ゆるキャラ」を考案してみてはどうだろう。続いてあのキャラクターが浮かびました。つくば科学万博のキャラクター「コスモ星丸」です。土星の環をフラフープのように履いている未来的なキャラクター。科学が夢を見させてくれていた時代への郷愁を誘う原色の青さは色あせません。コスモ星丸と牛を組み合わせたら…。

名前は「ひたちのうしか」にしよう。「く」を「か」にすると響きがなんとなく未来的だ。勝手な妄想は膨らみ、絵を描き、粘土でフィギュアまがいのものを作ってしまいました。2013年のことです。勢いにまかせてツイッターアカウントを作り、細々とつぶやいていました。

ひたちのうしかの語尾には「ヒュー」がつきます。牧瀬里穂の真似ではありません。ひたち野うしく駅の電略記号(鉄道電報で使用される駅の略号)が「ヒウ」であることに由来しています。「駅前のツツジが満開だヒュー!」などとつぶやきます。

作者が飽きっぽいのが原因ですが、うしかはそのうちつぶやきをお休みするようになりました。…… 最近、茨城県南ゆるキャラ界の大物「つちまる」の可愛さのとりこになって、ふと、うしかを思い出した次第です。ぼちぼちツイッターの発信を再開しようと考えています。

憧れの先輩は「コスモ星丸」

せっかくですから、「ひたちのうしか」のプロフィールを紹介しようと思います。

▽名前:ひたちのうしか
▽誕生日:1998年3月14日
▽憧れ:コスモ星丸先輩
▽好きな食べ物:かっぱせんべい
▽好きな場所:ひたち野うしく駅とエキスポセンター
▽趣味:つくば科学万博を思い出すこと

ゆるキャラ業界が飽和状態になり、いまさら感がありますが、別にかまいません。ただ、思うに任せてキャラを作って実感したのは、どのゆるキャラも地元に対する何らかの想いが形になっているということです。

ギリシア神話には多くの神々が登場しますが、元々ギリシアの神ではなく、東方や北方から伝来した神々もいます。それぞれの土地の想いが神格化されて拡がるわけです。ゆるキャラ現象も本質的には似ていますね。ひたちのうしかが住民も想いを表象する存在になればよいなと思いつつ、街をキョロキョロして街の魅力を発信しようと思います。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

《ことばのおはなし》29 音楽とことばの限界

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【コラム・山口絹記】最近、新しいアコースティックギターを購入した。もともとアコースティックギターを1本、クラシックギターを2本、エレキギターを1本持っていたのだが、現役で使っていたのはアコースティックギター、クラシックギター1本ずつだ。そのうちのアコースティックギターの調弦がどれだけ合わせても狂うようになってしまったのが、今回の購入動機である。

ギターというのは、ざっくり言うと6本の弦が張ってある楽器だ(7弦ギターとか、12弦ギターという楽器もあるが)。

日本でよく耳にするバンドや弾き語りなどでは、太い弦からEADGBE(ミラレソシミ)の音に調弦するレギュラーチューニングが使われていることが多いが、アイリッシュギター(アイルランドの伝統音楽)などでは、6弦と1弦をD(レ)の音に下げたチューニングを施すこともある。細かいおはなしを始めると終わらなくなってしまうので、今回はこのあたりにしよう。

アコースティックギター(クラシックギターも含む)というのは、木材で作られている。そのため、どれだけ高級なギターを使っていても、高温多湿な環境や、極端に乾燥した場所に放置していると、ギターが変形して音がおかしくなってしまったり、最悪壊れてしまうことがある。私のギターの場合は、ボディが膨らんでしまってチューニングが合わなくなってしまったのだ。

キラキラした音、やわらかい音、…

楽器屋に何百本と並ぶギターから自分の気に入ったギターを探すのは大変な作業である。まったくの初心者であれば、入門セットが用意されていたり、あるいは憧れのメーカーで選んだりもできるが、なまじ10年以上弾いているとそうもいかない。好きな音色、というのがあるのである。

大抵、楽器屋の店員さんとの会話は混沌(こんとん)を極めたものとなる。「キラキラした音が欲しい」とか、「やわらかい音が欲しい」とか。そもそも音色、音質とはなんだろうか。触れもしない音に、かたいとかやわらかいなどという表現をなぜ使うのだろう。

しかし、使ってしまうのである。もともと大学で4年間クラシックギターサークルに所属していた私も、「そこはもっとかたい音出してよ」とか、「もっとまろやかな音出せないの?」などいうやりとりを幾度となくしてきた。もう、そう表現するしかないのである。

実際、クラシックの楽譜にも「愛らしく」とか「軽く」とか「神秘的に」などといった発想標語が、平然と使用されている。クラシックの世界ですらこれなのだから、このあたりが人のことばの限界なのかもしれない。

とにかく、私は幸運にも恋をした。ジャラーンと鳴らした瞬間にキミだ、というギターに巡り会えたのである。そこにはことばを超越したものがあるのだ。私が音楽が好きなのは、そこにことばで表現できない何かがあるからなのかもしれない。(言語研究者)

《雑記録》19 日米とも「賢い政府」出でよ!

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【コラム・瀧田薫】19世紀初頭、フランスのジョゼフ・ド・メーストル伯爵は「いかなる民も、その器量にふさわしい指導者しか持てない」という言葉を残し、思想史上の人物となった。新しい1年、コロナ禍との闘いが続くなかで、政治に期待する以外に個々人にできることがあるとすれば、手洗いとマスクぐらいだろうか。しかし、メーストルの言葉をかみしめれば、問題の解決を政治家任せにはできない。せめて、あるべき政治を考え続ける1年にしたいと思う。

最近、アメリカの政治学者の間で「必要なのは大きな政府や小さな政府ではなく、賢い政府だ」と言われるようになった。その含意は、「大きな政府と小さな政府を時宜に照らして使い別ける智恵」がほしいということのようだ。

こうした見解が出てくる背景に、アメリカ民主主義の制度疲労があることは言をまたない。「アメリカ国民を真二つにした政治的分断と分裂」。これは一義的にはトランプ大統領のもたらしたものだが、共和党の少なからぬ下院議員が同大統領の「不正選挙をやり直せ」という主張に同調している事実が示すように、政治家個々の資質の劣化も深刻なレベルにある。

トランプは嫌だからバイデンに?

さて、バイデン次期大統領だが、賢い政府を目指していることは見て取れる。しかし、政治的環境、経済状況、国際関係(対中国、対ロシア、対中東、その他)など重要課題が山積し、しかもそれらが絡まり合って解決の糸口を見つけることすら難しい状況にある。

彼の支持票の多くは、「トランプは嫌だからバイデンに」という、いわば消去法によるものとの見方が強い。新政権の常道として、成果がすぐ出そうな課題から取り組みたいところだが、今回ばかりはコロナ対策を最優先しなければならず、しかも短期間のうちに成果を上げねばならない。それができないと、バイデン支持者の期待は一転して失望に変わり、トランプ大統領支持者の新政権攻撃は激化する。

つまり、バイデン新大統領にとって、時間こそが最大のリソースであると同時に足かせなのだ。最初の3カ月、いや2カ月かもしれないが、そこで成果を上げれば、その後は比較的安定した政権運営が可能になるだろう。しかし、つまずこうものなら、2年後の中間選挙はすぐにやってくる。そこで民主党の敗北、さらにその2年後の大統領選へのトランプ氏の再出馬、そんな事態さえ予想される。

スガノミクスはスガノリスクに変異?

ところで、われわれは菅政権に期待できるだろうか。12月27日、トランプ大統領がコロナ感染拡大に対応する総額9000億ドル(約93兆円)規模の追加経済法案に署名した。その途端、日経平均株価が700円超急騰、30年ぶりの2万7000円台を突破した。日本の証券市場で「米国のコロナ対策」が評価され、外国人投資家が買いに回る展開である。

折しも菅政権の支持率が急落中で、口の悪い市場関係者が「スガノミクスはスガノリスクに変異した」とコメントしている。どうやら、メーストルの言葉をかみしめ直すしかないようだ。(茨城キリスト教大学名誉教授)

 

《介護教育の現場から》3 シンガポールの外国人介護者

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実習生の餃子づくり

【コラム・岩松珠美】筆者は15年ほど前、学生のシンガポール海外研修に引率で参加したことがある。同国は多民族国家であり、マレーシア、インドネシアなど広くアジア圏から出稼ぎ労働者を受け入れている。その中で、家事労働(高齢者介護を含む)の出稼ぎ労働者は、住み込みで家族に準ずる形で仕事をしている。

家族主義の思想が強いシンガポールでは、高齢者介護は家庭で行うのが一般的であり、その手助けのために、外国人家事労働者が雇われている。また、子育て世帯の保育も住み込みで担っている。

これら外国人出稼ぎ労働者の活用を効果的に進めてきたことが、隣国マレーシアでの女性の社会進出の原動力ともなってきた。社会的地位を高めてきた女性たちは、子どもたちの多額の教育費を負担する。将来の老後の生活をきちんと支えてもらえるように、子供に教育という投資を惜しまない。

出稼ぎの家事労働者は、Sパスという雇用保険に準ずる社会保険制度も保障されている場合、賃金や身分保障は安定することになる。もちろん、本国で看護師などの資格を取り、シンガポールに出稼ぎに来るとSパス取得者とされ、退職年齢時までの雇用や家族妻帯もできる体制になっている。

高齢者向けケア施設は高額

シンガポールにも高齢者向けケア施設などがあるが、費用は高額だ。社会保障費用は、義務的な個人の積立基金から支出するのが原則で、経済成長以前に現役世代だった現在の高齢者には、十分な積立金がないという問題もある。高齢者介護には、月額数万円で雇える外国人家政婦を使う家庭が多く、政府も雇用税の優遇などで奨励している。

シンガポール政府は1970年代の終わりに、労働力不足の解消のため、女性の積極的な労働市場投入とともに、家事や育児、介護の仕事を外国人家政婦に任せる方針を打ち出した。その結果、今では5世帯中1世帯以上が家政婦を雇っているとされる。

家庭の中に高齢者介護を担う外国人家政婦の雇用することで、シンガポールは少子高齢化に対応している。これが、中国系、マレー系、インドネシア系、インド系と多種多様な思想や文化を持った国民への効果的な対応法となってきた。

また、多種多様な民族のために、イスラム圏の施設、キリスト教系の施設、華僑の施設など、バラエティーに富んだ介護施設や社会福祉施設を見学したことを思い出す。(つくばアジア福祉専門学校校長)

《続・気軽にSOS》76 死ぬ前に後悔することは

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【コラム・浅井和幸】あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。おかげさまで、私は自由奔放にコラムを続けることができ、やりたいことをできる範囲で行いつつ、健康に毎日を幸せに生きています。

世界一幸せに生きていると豪語している私ですが、じゃあ、明日死んでもよいか?と聞かれたら、もっともっと生きていたいと正直思っています。やりたいことも、たくさんあります。

希望、欲望は限りありませんので、後悔しないはずはないということも前提で、今回考えてみたいのは、「死ぬ前に後悔すること」です。「一年の計は元旦にあり」と言って、希望に満ちた明るいコラムの方がよいのでしょうが、ひねくれ者の私は、「今年の目標」ではなく、繰り返しますが「死ぬ前に後悔すること」です。

後悔先に立たずといいまして、今の時点で大切だと思っていることと別で、やっておけばよかったと思うことがあるらしいのです。私たちは、現代の日本の中で人の死に直面することが少なくなりました。人の死に目にあったことがない人も思ったよりいるでしょうし、自分が死ぬのはまだ先だと感じて生活しているのが当たり前だと思います。

そして、今できていないことも、先になればできるだろうと考える癖が人間にはあるようです。去年できなかった掃除は、来年はできるだろう。今やり残している仕事も、締め切りに追い詰められたらできるだろう―などなど。今日より来週、今年より来年の自分の方が、格段にパワーアップした自分がいるという感覚になりやすいらしいですから、気を付けなければいけません。

あなたの今年の抱負は何でしょうか?

話しを元に戻すと、コーネル大学のT・ギロヴィッチ教授は、人が最も後悔することは、義務や責任に関してではなく、「理想の自己」で生きられなかったことという論文を発表しました。

社会人として立派な仕事ができるべきとか、学校の成績はよくするべきとか、人とは仲良くするべきなどの義務は、その場を過ぎてしまえば少々の後悔で済む。しかし、自由に生きられる人間になりたいとか、人の役に立ちたいとか、上記のものでも義務ではなく、仕事ができるようになりたいとか、成績を良くしたいとかというように、自分の理想がそれであれば、こちらに近づくことをしないでいると、後悔は大きなものになるということなのです。

私たちは、毎日の生活で、「~になりたい」という希望や理想よりも、「~しなければならない」という考え方に縛られやすいものです。さらには、二つを混同してしまいやすいです。

もっともっと、自分自身の希望や理想を感じ直し、「しょうがないじゃないか絶対にしなければいけないんだよ」と勘違いしている、実はやらなくてもよいことを見つけ直してみてください。そして、希望や理想に近づく自分を意識して喜ぶことが大切です。やっとここまで来て、お聞きします。「あなたの今年の抱負は何でしょうか?」(精神保健福祉士)

《吾妻カガミ》97 あけましておめでとうございます

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【コラム・坂本栄】今年もよろしくお願い申し上げます。昨年はコロナ禍に振り回され、今年もコロナで明けました。早く終息して、V字型の経済回復を祈るばかりです。明るい材料は、国際秩序混乱の元凶、トランプさんにサヨナラできることです。でも、かなり壊しましたので、その修復は大変でしょう。バイデンさんに期待するところ大です。

NPOメディア「NEWSつくば」を立ち上げてから3年経ちました。地域ニュースをネットで全国に向け発信しています。ご関心ある方は是非のぞいてください。これまでの実績と役割が認められ、昨年末、学園記者クラブに入会できました。これをテコに、つくば地域のニュースの発信力をより強化していきたいと思います。

以上の2パラグラフは、今年の年賀状からの転載です。年頭のコラムでは、昨年、一昨年同様、このパターンを踏襲しました。というのは、この文面に私の思いが込められているからです。

今年は「密な場」で編集会議!

皆さんも同様と思いますが、昨年は本サイトもコロナ禍に振り舞わされました。編集制作室がある筑波学院大体育館がコロナ対応で封鎖され、週1回の編集会議が「放浪の旅」になったことがその一つです。幸い、土浦市とつくば市のコミュニティセンターの広めの室を借りることができ、週1回2時間の会議はこなせたものの、従来のような熱の入った議論ができないのは残念でした。

もう一つ、NEWSつくばの「通信社機能」(地域の他メディアへのニュース素材提供)が影響を受けました。昨年から、本サイトはケーブルテレビ局への地域ニュース(映像と音声で構成)の提供を開始しましたが、コロナ禍の影響で同局の番組編成が大幅に見直され、年央から中断に追い込まれたからです。

「密な場」での議論はメディアの編集活動には欠かせません。また、ネットメディアは活字と写真に加え、音声と動画も扱うことにより、発信力を強化できます。コロナの終息によって、本サイトが持つ編集力、発信力を早期に取り戻せればと思います。

市民記者・コラムニスト 大歓迎

コロナ禍にもかかわらず、一般記事とコラムのライター陣は充実しました。昨年秋の私の最大の仕事はライター希望者との面接だったくらいです(年明け早々にも予定されています)。一般記事でいえば、学生ライターの活躍により、大学内のいろいろな話題を提供することができました。大学は研究学園都市の「核」ですから、地域が地域メディアを通じて大学の話題を共有することはとても大事です。

面接で感じることは、大学生ライター希望者でも、市民ライター希望者でも、コラムニスト希望者でも、問題意識がとても高いことです。こういった方々の視点を取り上げることは、われわれ地域ネットメディアの可能性を広げます。多くの方々の参加を歓迎します。(NEWSつくば理事長)

《食とエトセトラ》9 今年もいざ、おせち料理づくり

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【コラム・吉田礼子】10代のころより母とおせち料理を作る時間は至宝のような時間であった。縁あって1977年に宮城県で結婚生活が始まったが、盆と暮れには茨城県の主人の実家に帰省した。暮れには茨城のレンコンを使ったおせち料理を教えてもらう。ユズをたっぷり入れたレンコンの酢バスは宮城のお友達にも大好評。きんぴらと言えばゴボウとニンジンが定番と思っていたのに、縦に1センチ角の拍子切りにしたレンコンのきんぴら、レンコンの丸煮などは産地ならではのお料理と驚きの連続。

コンブ巻きは東北ではニシンと決まっていたのに、茨城では焼きワカサギを巻く。良いだしが出てこちらもおいしい。所変われば品変わる。一つの料理が気候、風土、歴史によって様々に作られることを実感した。私の実家の十八番(おはこ)料理も加わって、栗きんとん、のっぺい、…。義父が活躍する餅つきは、29日は避けて28日につくものと教わって、家族総動員で正月の準備をする。

13日過ぎごろからおせちの材料をお店に相談したり、予約注文したりする。日持ちの良いものは2週間ぐらい前から作るが、25日ごろから集中して作る。正月は歳神様がいらっしゃるので、煮炊きをすると神様が落ち着けないから、年末にあらかじめ用意しておくとのこと。

定番の料理には意味がある

子供のころは、お寺の除夜の鐘を百八つ数えて1年が終わる。その後、父のすることを真似て二礼二拍手、一礼し、新年のご挨拶をしてお神酒を歳の順にいただく。子供は飲む真似だけといわれたハレの日の中でも、お正月は別格。

餅は特に大切な食べ物。まずは神様に供え、下げていただく。生もの、四足ものは避けると祖母が話していた。おせち料理の定番には意味がある。お重詰めにするのは良きことが幾重にも重なるように、黒豆は真っ黒になるまで元気に働けるように、田作りは豊作を祈願して、カズノコは子孫繁栄の象徴として―と。

さらに、だて巻は反物に見立てて反物がたくさん買えるように、また巻物に見立て学業が向上するように、養老エビは腰が曲がるほど長寿に、栗きんとんはお金がたくさん入るように、かまぼこは初日の出を表す―と。昨今は、何日もかけておせち料理を作ることは難しい時代ではあるが、数品でも十八番料理を家族と作って食べていただきたい。(料理教室主宰)