【コラム・古家晴美】今年も残すところわずかとなったが、昨年末には想像だにしなかった「新しい生活様式」に振り回された1年だった。新型コロナウイルスの影響で、日々の生活ばかりか、冠婚葬祭や様々な行事なども中止を余儀なくされ、そのあり方自体が問い直されている。新型ワクチンが開発されたとしても、これまでの日常がそのまま回復されるのかと、漠然とした疑問を抱きつつ、年末を迎えようとしているのは、筆者だけであろうか。

昨年12月にはお雑煮についての記事を書かせていただいたので、今年はおせち料理について触れてみたい。正月用に予約注文を受ける、重箱に美しく詰められた色鮮やかなおせち料理のチラシを目にするようになって久しいが、そもそも重箱に詰めるということ自体が、それほど古くから行われてきたわけではない。元来は、歳神様(としがみさま)との共食(きょうしょく)を目的とした供えものであった。

三方に裏白やゆずり葉を敷いた上に、米・橙(ダイダイ)・搗栗(カチグリ)・串柿・昆布・伊勢エビ・野老・ホンダワラなどを積み、中央に松竹梅を飾った「食積(くいつみ)、関西では蓬莱(ほうらい)飾り」を作り、床の間に置き、家族以外に年始客にも振る舞った。その後、それは食べない飾り物となり、正月料理は膳に盛られた年迎えの膳(御節)と重詰めの組重(食積)へと移行した。

江戸時代後期の江戸では、『諸国風俗問状(しょこくふうぞくといじょう)』(1804~18)の「組重のこと」には、4段重ねの重箱に「数の子・田作り・たたきごぼう」の他に、焼き物・酢の物・煮物などが詰められているようすが記されている。現在のような重詰めのおせち料理の形に変化したのは、これ以降のことだ。

黒豆、数の子、ごまめの他に、口取りのきんとん、伊達巻、かまぼこ、塩鮭の焼き物、紅白なます、酢蓮、昆布巻き、煮しめ(八つ頭、ごぼう、人参、コンニャク)など、それぞれに言祝(ことほ)ぎのメッセージが込められてきた。

ステイホームの年末年始は?

全国的に共通する内容が多いおせち料理だが、県南地域の事例をいくつか挙げてみたい。昆布巻きの芯にする魚については、美浦村や牛久沼から行商で売りに来るフナや霞ケ浦のワカサギを使う(牛久市井岡、牛久市柏田)。

また、おせち料理とともに、大晦日に3カ日分のヌッペ、ヌッピ、ノッペ(けんちん汁と素材は同じだが、野菜はうす切りでなく賽=さい=の目に切り、油を使用しない)を大量に用意しておく(つくば市玉取・猿壁、龍ケ崎市、行方市麻生町)。

自家用のアズキで羊羹(ようかん)を作る(かすみがうら市宍倉、牛久市柏田、つくば市猿壁)。霞ケ浦湖岸では、蓮の煮物や酢の物などは、おせち料理に欠かせない(土浦市)。

Go Toトラベルに待ったがかかり、ステイホームの年末年始。おせち料理に新たな動きが現れるであろうか。(筑波学院大学教授)