火曜日, 5月 7, 2024
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2024年の米大統領選挙(1)《雑記録》52

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ニチニチソウ(筆者撮影)

【コラム・瀧田薫】次期アメリカ大統領選挙は前回選挙(2020年)の再現になると予想されている。各種世論調査では、2020年選挙時と同様に、ジョー・バイデン氏(民主党)とドナルド・トランプ氏(共和党)がそれぞれ党指名候補に選ばれる可能性が高いとされている。

バイデン氏については、支持率は4割台前半にとどまり、経済に関しては3割台の低支持率が続いている。彼が80歳の高齢であることを懸念する人も多い。しかし、一方で、彼が2020年選挙でトランプ氏に勝利し、共和党の圧勝が予想された2022年の中間選挙でも民主党が上院の多数派を維持し、下院で失う議席を小幅にとどめた実績が効いていて、民主党内にバイデン氏に代わる候補者が出てこない。

トランプ氏は今年3月に起訴されたことを「魔女狩りに遭った」と主張し、彼の岩盤支持層の熱い支援につなげ、党内での支持率も高めている。ただ、共和党の場合、状況によっては、かつての民主党・オバマ氏のような「超新星・候補者」が現われないとも限らない。

ともあれ、最近のバイデン、トランプ両氏はともに、党内の支持固めよりも本選に備えた布石を打とうとしているようだ。米自動車労働組合(UAW)が待遇改善要求のための大規模ストライキに突入していて、両氏ともにこれへの連帯を示すため、車産業の本拠地・米中西部、特にミシガン州訪問を予定しているという。

2016年の選挙で当選したトランプ氏の勝因は、ミシガン州やペンシルベニア州(もともと自動車労組が強力で民主党の支持基盤)で勝利したことにあった。そして、2020年選挙ではバイデン氏が両州を奪還し、これが勝因となった。両陣営が獲得した票数は二度とも僅差であったから、今回、両氏がミシガンやペンシルベニア、ひいては米中西部各州を重視するには十二分の根拠がある。

UAWストの行方に注目

UAWのストの背景には、米政府が巨額補助によって米自動車産業の電気自動車(EV)へのシフトを後押ししてきたことがある。EVはガソリン車よりも部品数が減るため、労働者側は将来の雇用が抑制されると懸念しており、今回のストについて、バイデン氏は企業側に譲歩を求めている。

しかし、もともと巨額補助に支援されて進めるEVシフトである。企業側にも余裕はない。このストがこじれれば、バイデン政権の産業政策批判に火が付き、大統領選挙の一大争点に浮上することは必至である。共和党がこれを見逃すはずがない。

2024年大統領選挙の前哨戦が、自動車労組のスト絡みで始まったことは、米大統領選の本質を象徴している。つまり、選挙ごとに多くの争点があり、その時の社会や世界の状況によって争点は多様に変化するが、経済問題は常に大争点となる。ここで失敗すれば、他の側面での評価が少々高くても、当選するのは難しい。

来年の11月までの約1年間、この基本を押さえつつ、大統領選挙の今後の動きを追っていきたい。(茨城キリスト教大学名誉教授)

土浦市のいじめ回答拒否 個人情報保護が盾《吾妻カガミ》168

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教育委員会が入る「ウララ2」ビル(左)と市役所が入る「ウララ」ビル

【コラム・坂本栄】土浦市立中学校でのいじめ問題に関する教育委員会と議会文教厚生委員会の対応に違和感を覚えています。教育委は本サイトの取材に回答を拒否してメールによるコメントで済ませ、文教厚生委はこの問題を取り上げないことを決めました。教育委の回答拒否と議会の審議回避の理由はなぜか同じであり、「関係生徒のプライバシー保護」でした。

不十分な教育委の対応

2019年春から22年春にかけて、車いすの生徒が受けたいじめがどんなものだったのか、学校と教育委は繰り返されるいじめにどう対応したのか―などは、保護者の証言に基づく記事「いじめをなぜ止められなかったのか 保護者が再調査求める…」(9月3日掲載)に詳しく出ています。

また、コラム166「高齢研究者と車いす生徒に冷たい土浦市」(9月4日掲載)では、教育委の市民にやさしくない対応に疑問を呈しました。

教育委がそれなりの対応をしたにもかかわらず、いじめが続いたということは、一連の生徒対応が不十分だったことを意味します。いじめられた生徒はすでに中学校を卒業しているのに、保護者が再調査を求めているのは、いじめた生徒への指導が不徹底だった原因を調べ、再発防止の教訓にしてほしいと思っているからです。

市議会も教育委に同調

この事案について本サイトの記者が取材を申し入れたところ、教育委はメールで「関係する生徒等の個人情報やプライバシーに関わることであり、回答を差し控えさせていただく」(指導課長)と、回答を拒否してきました。プライバシー保護を盾に、いじめの実態や教育委の対応などは話したくないということです。これでは、いじめの原因がわかりませんし、保護者が求めている教訓も得られません。

また、なぜ議会で取り上げないのか文教厚生委の某市議に聞いたところ、「決して無関心なわけではない。これは人権とプライバシーが絡むデリケートな内容であり、議会で取り上げると、話し合った内容が全て広く一般へ公開されることになる」といった返事でした。

教育委がプライバシー保護を理由に回答を拒否したのは、いじめた生徒に対する指導の詳細を知られたくないからでしょう。それはそれとして、教育行政のチェックを仕事にしているはずの文教厚生委は、結果として教育委のいじめ問題隠しに同調してしまっているのではないでしょうか。いじめた生徒は自分の行為を反省せずに大人になるでしょうから、教育委は児童生徒を正しく育てるという仕事を怠っていることになります。

個人の情報を守る方法 

先の記事には、いじめられた生徒が誰なのか、いじめた複数生徒が誰なのか、固有名詞は書かれていません。それがこの種の記事作成の作法だからです。でも推測はできますから、いじめられた生徒と保護者はすでにある程度のプライバシーをさらしています。生徒と保護者はそういった覚悟を固めているということです。

文教厚生委がプライバシー保護を心配するのであれば、委員会を非公開の秘密会にし、固有名詞をA、B、C、D…にすればよいでしょう。

教育委と議会の逃げの姿勢を知った保護者は、いじめ問題に「無関心ではない」文教厚生委に対し、子ども生徒と連名で文書を提出し、審議を促すそうです。矢口勝雄(郁政会、委員長)、田中義法(新勇会、副委員長)、吉田千鶴子(公明党)、鈴木一彦(新勇会)、勝田達也(郁政会)、福田勝夫(共産党)、平岡房子(社民党)、根本法子(公明党)の各氏が市議の仕事をするのか、気になります。(経済ジャーナリスト)

ノスタルジア「八つ墓のたたりじゃ〜!」《訪問医は見た!》4

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吹屋の街並み(筆者撮影)

【コラム・平野国美】岡山県の山間部に吹屋(ふきや)という地区(高梁市)があります。ベンガラ(酸化第二鉄)の街並みで有名なのですが、私は15年ほど前、よく調べずにここを訪れました。街の外れから歩き出したのですが、なぜかデジャヴ(既視感)があるのです。しかし、私には縁もゆかりもない場所のはずです。

そのとき、私の背後に老女が忍び寄り、耳元で突然叫んだのです。「たたりじゃ〜! 八つ墓のたたりじゃ〜!」と。そこで、すべてを悟りました(この部分は作り話です)。

当時、この地域は高齢化が進み、住人の多くが80代の方々でした。そんな街の古民家を利用した喫茶店で、土地の皆さんと話しているうちに、この街の概要がわかってきました。江戸時代は鉱山として、明治時代はベンガラ生産地として、繁栄した街だったのです。

ベンガラは、神社などの建築物に使われる赤い塗料で、腐食を防ぐ目的もあって塗られていました。吹屋の街並みは、壁はベンガラ色、屋根は山陰の石州瓦(これも朱色)で、独特の風景が見られます。

なぜ、私がこの風景に既視感を持ったのか? 喫茶店にいたおばちゃん達と話しているうちに、わかってきました。上で書いた「たたりじゃ〜っ!」は、あながちウソでもないのです。ここは1977年に公開された角川映画「八つ墓村」のロケ地で、この映画の風景が目の前に浮かんだのです。

消えてゆく日本を残したかった

ここがロケ地になったのは、特徴的な風景もあるでしょうが、原作者の横溝正史が岡山県に疎開したこともあり、岡山を舞台にした映画を作ることになったと思うのです。

彼は神戸で生まれ、一時就職した後に大阪で薬学を学び、実家の薬局を継ぎます。しかし、学生時代に応募した作品が認められ、江戸川乱歩の招きにより、東京の出版社に勤務。多くの探偵小説を手掛けますが、肺結核になり長野の病院に入院。結核薬ストレプトマイシンで生きながらえ、戦争中は母親の実家があった総社市(岡山県)に疎開。二度と探偵小説は書けないと失意に落ちます。

しかし彼は、岡山の生活の中で、村人たちと酒を酌み交わしながら、地元の伝統や因習について聞き出したのです。そこには、古い美しい日本がありました。横溝作品は小説も映画も怪奇的に捉えられますが、彼が書き残したかったのは、そこではなかったと思うのです。

「八つ墓村」監督の野村芳太郎も、あるインタビューの中で「化け物映画を作りたいのではなく、消えてゆく日本を残したかった」と言っていました。これらの作品の根底にはノスタルジアがあるのだと思います。(訪問診療医師)

長者と金持ち《ひょうたんの眼》61

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谷川岳のトリカブト(筆者撮影)

【コラム・高橋恵一】岸田首相は就任以来、基本的な経済政策として、これまでの新自由主義的経済から、「新しい」資本主義を掲げ、「成長と分配の好循環」「コロナ後の新しい社会の開拓」を目指すとし、新たな経済対策として、物価高対策、賃上げ、国内投資促進、人口減少対策、国民の安心・安全確保を掲げている。

首相に有言実行してほしいのは、賃上げだ。それも、教師と看護師、介護職員の賃上げと働く環境の改善だ。経営者にお願いしなくても、配置基準と給与額は、政府が決められる。下からの「トリクルアップ」で、非正規雇用と人手不足を解消できる。

バブル期に至る前の日本経済は、高度成長期。国全体の経済力の拡大とともに、個人所得も豊かになったが、まさにバブルの言葉通り、安易な浪費を行い、将来の高齢化社会に備えた社会保障の仕組みや産業基盤、安定的な生活基盤の整備をおろそかにしてしまった。

当時、高度成長は、西欧諸国も同じであり、特に北欧は、堅実に社会保障基盤を固め、ジェンダーフリーの条件を整え、女性の社会進出を実現した。日本は、それを横目で見ていたが、21世紀の今日、両翼飛行の北欧諸国の1人当りのGDPと1.5翼飛行の日本の1人当り所得には、大差がついてしまった。

バブル崩壊後の日本経済は、停滞し、アメリカを習って、新自由主義経済に傾倒した。いわゆる小泉改革であり、経済の効率化、極限のコストカットであった。

アベノミクスの失敗 

人助けが巡り巡って自分を救うという落語の枕で、「長者」と「金持ち」の違いについて、長者は周りのみんなも豊かにする人、金持ちは自分だけが豊かになる人と仕分けした。時代の寵児(ちょうじ)の投機家が「お金を儲けることは悪いことですか?」と発言したとき、私と友人の陶芸家は、同時にテレビに向かって「悪い!」と叫んだことを覚えている。一方が得することは、他方から搾取することだ。

日本のコストカットは、人件費。職場での人員削減で、女性や外国人、再雇用の高齢(?)労働者などを、安月給の非正規職員として置き換えた。これらの雇用形態をより定着させたアベノミクス政策は、格差社会を拡大し、日本の個人消費を30年以上停滞させているのだ。さらに、年金の値切り、社会保険料の値上げなど、弱者の収入を抑制した。

政府は、企業経営者に賃上げを要請しているが、株主の最大利益の確保を使命とする企業経営者に賃上げはできない。ノーベル経済学賞のジョセフ・スティグリッツは、新自由主義経済を批判し、公共部門が人々の真の需要を満たすサービスの提供を担うべきと主張している。

スティグリッツは「子どもや親をケアすることは、私達の人生で最も大切なことだから、子どもや親の面倒を見る人々、教師や看護師に、労働に見合った賃金を支払うべきです」と言う。その公共が実施できる賃上げは、労働力の需給を通じて、賃金水準を引き上げ、格差解消にもつながる。

真に人々が求める需要、賃上げで労働力を確保すべき課題は、人権問題、地球環境の回復など多様であり、大多数の人々の幸福実現に対応する支出は、応能負担の税で賄う公共部門の役割であろう。(地図好きの土浦人)

子どもの学びの現場から《令和楽学ラボ》25

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筑波大学の大学院生による5歳児のアート鑑賞活動

【コラム・川上美智子】子どもたちが秘めている力、伸びていこうとする力は無限である。また、観察力も大人が考えているより鋭く、繊細で感受性も豊かである。そのような子どもたちを100名もお預かりしている保育園の責任は重大である。

子どもたちが自ら伸びる力が発揮できるよう、保育園は多様な遊びや学びの環境を準備し、それに手をそっと差し伸べる人的環境を整えることが理想である。一人ひとりの子どもにとっては、毎日が経験を積む大事な一日である。しかし、保育者の一日は想像以上に過酷で忙しく、養護と保育に追われる毎日である。保育士の人員をもう少し増やせる国家的施策が必須である。

国は2017年に、保育所・保育園を、幼稚園、認定こども園と同等の子育ち環境を有する施設と位置づけて、「保育所保育指針」を全面改正した。その中で、保育内容の基本原則を示し、各園は子どもの最善の利益を考慮し創意工夫を図り、保育所の機能および質の向上に努めなければならないとした。

国も、保育所が、生涯にわたる人間形成にとり、極めて重要な時期を過ごす場であり、現在を最も良く生き、子どもの望ましい未来をつくり出す力の基礎を培う場とした。

指針では、基本的な生活習慣や態度、人に対する愛情と信頼感、人権を大切にする心、自主・自立および協調の態度などの非認知能力の育み、生命・自然・社会の事象に興味や関心をもち、豊かな心情や思考力を育て、話す、聞く、相手の話を理解するなど言葉の豊かさを養い、豊かな感性や表現力、創造性を育むなどの認知能力の育みなど、てんこ盛りの役割を求めている。

すなわち、保育所には、保護者がいない日中の間、保育士などがそれに代わり、愛情豊かな受容の下で、生理的・心理的欲求を満たし、心地よく、楽しい生活ができるよう、また、健やかな発達・発育を促す環境を提供するよう指針は求める。保育者の数が少ない園ではとてもカバーできるものでない。

健やかな育ちのスタートを応援

みらいのもり保育園では、保育理念に「自分らしさと自ら伸びるチカラで未来を生きる自信と意欲を育てます」を掲げ、「子どものやりたいを引き出す」「非認知能力を育てる」「健やかな育ちのスタートを応援」「発達を促す環境構成を大切に」の目標を設定し、保育士の十分な確保や、研修による職員の質の向上に力を入れてきた。

また、ネイティブ講師による英語で遊ぼう、専門家による体操指導、リトミック、保小接続のためのワークによる学び、管理栄養士などによる食育、筑波大学と連携したアート鑑賞などのカリキュラムを導入して、幅広く力が伸ばせるよう努めてきた。また、希望者はヒップホップダンスやピアノの個人レッスンも受講ができるようにしている。

これだけ並べるととても忙しそうに聞こえるが、子どもたちは、どのプログラムにもとても楽しく参加して難なく力を付けていくのである。吸収できる適切な時期に体験や学びを積むことが、いかに大切かが確認できるすてきな場である。(茨城キリスト教大学名誉教授、みらいのもり保育園園長)

幕末の水戸「日新塾」 今は廃墟に《写真だいすき》24

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かつての日新塾は、タケノコが天井を突き抜けたような廃墟となっていた。現在は取り壊され、整備された遺跡となっている

【コラム・オダギ秀】若者たちは、何を思い励んだのか、若かったボクは、若いなりに様々な思いを胸にした。訪れたその日、うっそうとした木立に囲まれたその敷地は、夏草が腰までも生い茂っていた。それをかき分け樹木をまたぎ、建物に近づくと、あたりの藪(やぶ)から気配に驚いた野鳥が、いきなり飛び立った。

水戸市郊外成沢町。幕末の私塾「日新塾」の跡である。現在は史跡として整備されているが、その時は、まぎれもない廃墟だった。

日新塾は、水戸藩の時代、加倉井砂山(カクライサザン、1805〜1855)がこの地に開いた私塾であった。門人数といい設備といい多彩な教育科目といい、水戸藩だけでなく関東一円を見渡してもこれに比肩すべきものは見出せないほどの、有数屈指の私塾であった。

砂山は、少年時代から遊学の志を強く抱いていた。しかし、豪農加倉井家の家督相続をせねばならず、その志は断念せざるを得なかった。そこで砂山は自分の夢を後進の教育に託し、ここ自宅に、日新塾を開いたのだった。教育者砂山の名声は高く、地元のみならず下野、奥州白川、会津、さらに越後など、はるばる訪ねて学ぶ門人も少なくなかった。

砂山の教育の方針は、門人各自の特性を伸ばすこと、とくに時代に即応した教育をすることであった。塾名を日新と言った所以(ゆえん)もそこにあったという。

若者たちは何を思い語りあったか

しかし,砂山の教育が時代を見据えたものであったればこそ、幕末という時代の疾風怒濤は、門人たちの生涯を、波乱のなかにもてあそんだようだ。門人たちは、日新塾に起居し学習を共にした縁で、身分の枠を越えた同志として固い絆に結ばれた者もあった。逆に、敵味方に別れて戦わねばならなくなった者もいたのである。彼らは命をかけてその時代に生き、その時代の中で生涯を終えた。

▽興野道甫 在塾20年、塾長を務める。幕軍により斬首。

▽光岡敬斎 日新塾塾長。維新後、大参事に任命される。

▽鯉渕要人 桜田門外の変に参加、八重洲河原で切腹。

▽香川敬三 維新後伯爵。枢密顧問官となる。

▽川崎守安 北海道開拓に従事。川崎財閥の基礎を固める。

▽飯田軍蔵 笠間の獄中で死去。

▽藤田小四郎 筑波山で挙兵。敦賀で処刑。などなど。

集いあったこれらの若者たちは、この木立のなかで、何を思い、何を語りあったのだろうか。

今は整備された小公園のような跡地となっているが、取材当時は、管理する者のない塾舎はすっかり朽ち果て、何本もの竹の子が、床から天井まで突き抜けている無残な廃屋だった。それを夢の跡と呼ぶには、あまりに切なかった。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

次世代型家庭菜園「ハルファーム」《菜園の輪》14

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「ハルファーム」の種まき講習会

【コラム・古家晴美】つくば市のTX研究学園駅から車で10分弱の場所で、次世代型家庭菜園「ハルファーム」が開設を待っている。「ハル」は、How to/方法、 Agriculture/農業、 Rich time/豊かな時間、 Utopia/理想郷の頭文字。新しい菜園は「土と心を耕す自然共生型貸し農園」と銘打たれている。

1区画10平方メートルの畑を250区画開設する予定だ。農機具を貸し出すので、手ぶらで来園できる。農作業後も、ロッカールーム・シャワールーム・トイレを完備したクラブハウスでくつろいでほしいという。育苗用のビニールハウス、収穫した食材でのバーベキュー施設や、ピザ用の石窯も併設される予定だ。まさに、かゆいところに手が届く施設が整えられつつある。

施設自体は、まだ建設許可申請中だが、先行してすでに様々なイベントが開催され、これからも続く。コンサートやキッチンカーを動員した農園のキャンペーン、種まき講習会、収穫や料理講習会(予定)などだ。

この農園の仕掛人、中野一秀さん(74)は、3年前にこの事業に取り組みたいと思い、準備を始めた。実家はこの土地に代々住む農家で、コメ、野菜、養蚕に取り組んできた。子どものころに手伝った記憶はあるが、ご自身は長年、フリーのプログラマーを本業とし、農業にはそれほど深く関わってはこなかった。

しかし、現代における農業見直しの流れが、中野さん自身を大きく突き動かした。自然との触れ合いが少ない都市民に照準を絞り、野菜作りを通して自然との関わり、また人との関わりを回復するために、自分が何かできることはないかと考えるに至る。

畑を管理するアプリも開発

その後の氏の行動力には目を見張る。初めに既存の民間の市民農園に複数個所参加し、そこで改善すべき点を洗い出し作業に手を付ける。その後、様々な団体から補助金や援助金を引き出し、それを資金源としてイベントや活動を展開している。具体的な活動には、企画や広報のプロの手も借りた。

また、本業を生かして、畑を管理するアプリを開発。農作業記録を入力し、次回、どのような作業をいつ行えばよいかわかるように助言してくれるものだ。農園からのお知らせなども共有できる。

このようなタイプの市民農園の需要は、これからますます増大していくのではないかと言う。自分で作った安全で新鮮な野菜を求め、かつ利便性を追求した農業だ。残念ながら、読者の関心が最も高いであろう利用料金については、まだ公示されていない。

食と農の距離をどのように取り、それを暮らしの中でどのように位置づけるか(作業時間、コストパフォーマンス)など、様々な課題はあるが、新たなライフスタイルとして注目される。(筑波学院大学教授)

夏場の巣箱作り《続・平熱日記》142

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写真は筆者

【コラム・斉藤裕之】弟の作業場には、建築現場で出る端材や解体作業で出た古材が無造作に積んである。春にはそれらを使ってポストをいくつか作った。シンプルな色を塗って、ヨーロッパで郵便のシンボルマークとしてよく使われるホルンを描いた。義妹のユキちゃんは家の壁に二つばかりポストを取り付けた。「郵便屋も戸惑うだろうに」と思ったが、一つは回覧板用だとかでまんざらでもなさそうだった。

この夏は巣箱を作ることにした。特に鳥が大好きというわけではない。巣箱が好きなのだ。巣箱を作り始めてかれこれ20数年になるが、多分、百個以上の巣箱を作った。

特に図面もなく、スライドソーでカットしてネジでとめていく。穴は大き過ぎず小さすぎず、シジュウカラぐらいの鳥が入る3センチほどの大きさにした。小1時間でいくつかが完成。屋根に色を塗って乾かした。作ったものは持ち帰らずに置いて帰ることにした。

なにしろ弟の家は緑に囲まれた山の中にあって、巣箱を架ける木には事欠かない。すでに、母家の前のヒノキの上にはリンゴ箱ほどの立派なのがある。フクロウを呼ぼうと弟が架けた巣箱だという。確かに、遠くの方でホーホーという声が聞こえる。

ロクジュウカラが入る小屋

さて、この巣箱を並べた写真をSNSに上げたら、欲しいという方がいたので茨城に帰ってもう少し作ることにした。作業場の前に、ちょうどいい板が野ざらしになっていたのでもらって帰ることにした。

ものの本を調べてみたら、寸法や穴の大きさ、架ける高さや位置など、巣箱を鳥に気に入ってもらうためのポイントがいくつかあるらしい。だが、私の経験では割と気紛れに鳥は入居している気がする。自然界のことを考えると、巣箱にはあまり色を塗らない方がいいような気がするが、好き勝手な色を塗った巣箱にも鳥は入る。

茨城の家に帰ってきたが、今年の夏の暑さはかなりしつこい。ある朝、思い立って残暑に立ち向かうように巣箱を作り始めた。今回持ち帰った板は古い民家の畳の下に敷いてあった松の野地板で、洗って干したら古材独特の味がある。地のままで十分にいい感じだったので、屋根にだけ色を施した。

いろんな形と色のものが10ばかりできたので並べてみた。なんだかとてもいい風景に見えた。先日、山口に書き残してきた今度建てる小屋のラフスケッチを思い出した。その絵と作った巣箱は似ていると思った。巣箱にはシジュウカラが入るが、小屋にはロクジュウカラが入る予定である。(画家)

「イモ博士」井上浩さんを偲ぶ《邑から日本を見る》144

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井上浩さんの著作など

【コラム・先﨑千尋】日本におけるサツマイモ文化史研究の第一人者であり、イモに関する「生き字引」だった埼玉県川越市の井上浩さんが去る7月に92歳で亡くなった。その死を惜しんで、9月13日に同市の「いも膳」で偲(しの)ぶ会が催され、関係者らが井上さんの思い出を語り合った。

井上さんは東京教育大(現筑波大)で農業経済史を学び、浦和高校や松山高校で社会科の教師を務め、地元の物産史を研究。その範囲は、埼玉県内の麦、養蚕、柿、川越イモ、入間ゴボウ、サトイモなどのほか、織物の川越唐桟の復活や民俗芸能にも及んだ。

井上さんは、1960年代から川越イモの歴史文化の研究を始め、川越市制60周年の時(1982)には「川越いもの歴史展」を、翌年には「第1回川越いも祭」を企画開催した。さらに84年には、市内の熱心な“いも仲間”を集め、「川越いも友の会」を発足させ、サツマイモ復権運動のさきがけとなった。

同時に、『川越いもの歴史』『昭和甘藷百珍』『さつまいもの話』などを次々に世に出した。公民館主催の「さつまいもトータル学」の講師も務めた。この時期にサツマイモ調査団を組織し、鹿児島や中国を訪問し、それぞれの産地を巡り、現地の研究者たちと交流し、情報を集めている。

82年に神山正久さんが開いた「いも膳」のいも懐石料理にもアドバイスをされ、神山さんは井上さんらの意を汲んで自費で民営の「サツマイモ資料館」を敷地内に開設。井上さんが定年退職したあと、16年間館長を務められた。

この資料館にはサツマイモに関する資料や加工品、文献などが集められ、いも煎餅などのいも菓子類が購入でき、ここに来ればサツマイモのことなら何でも分かるというものだった。この種の資料館、博物館は他にはなかったので、全国のサツマイモ産地から関係者が次々に訪れ、情報の交流の場、サツマイモ活動の拠点にもなった。

井上さんも全国各地を回り、網の目のようなネットワークを構築している。さつまいものことなら何でも分かる「生き字引」のゆえんだ。

人に会い、話を聞き、記録する

井上さんの研究スタイルは、人に会い、話を聞く。それをノートに記録する。また数多くの文献を集め、原典にさかのぼる。発表される文章は一般の人に分かりやすく、肩ひじの張らないものだった。同時に、井上さんがイモを語る時の柔和な顔とやさしい語り口が多くの人を魅了してきた。

サツマイモ資料館の初代館長で「川越いも友の会」事務局長の山田英次さんによれば、「井上さんのサツマイモに関する代表的な研究は、川越いもの歴史の解明、江戸・東京における焼き芋文化史、紅赤(サツマイモの品種の一つ)の発見と歴史、戦争中の代表的なサツマイモの沖縄百号の変遷史など」だ。

井上さんは日本いも類研究会の会長を長く務められ、いも類振興会が発行した『サツマイモ事典』『焼き芋事典』『干し芋事典』の企画、執筆に携わってきた。晩年には『川越地方のサツマイモ文化史』の執筆を続け、関係者の話では、原稿は九分通り完成しており、一周忌には発刊できるという。(元瓜連町長)

大池由来水草の域外保全の試み《宍塚の里山》105

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茨城県自然博物館に置かれた保全ポット

【コラム・嶺田拓也】2010年に農水省が選定した「ため池百選」に指定された宍塚大池では、かつて豊かな植生が見られました。とくに水草では、抽水植物であるハス、フトイ、カンガレイなど、浮葉植物ではヒシ、ハス、オニバス、ジュンサイなど、沈水植物ではクロモ、イヌタヌキモ、エビモ、シャジクモなど、多くの種類が生育していました。しかし、近年はヒシの葉が浮かぶ程度で、多くの水草が大池から姿を消してしまいました。

その原因としては、水質の変化やアメリカザリガニの影響などが考えられています。全国的にも各地で水草の衰退は著しく、その多くが絶滅危惧種に指定されるほどまで減少してしまいました。大池に見られた水草のうち、オニバス、イヌタヌキモ、シャジクモなどが全国的に絶滅の危機にあるとして、環境省から絶滅危惧指定を受けています。また、ジュンサイやクロモなどは茨城県のレッドデータリストで、県内では数少なくなった絶滅危惧種に扱われています。

私たち「宍塚の自然と歴史の会」では、大池で見られた希少な水草を絶やさないために、大池の底土を採取して、埋土種子として含まれている水草の系統保全を行っています。

大池の堤防から400メートルほど北側に位置する井戸のわきに、水草保全地として大きな水槽を並べて大池の底土を入れ埋土種子からの発芽を待ったところ、これまでオニバスやジュンサイ、クロモ、シャジクモなど多くの種類が再生し、系統が維持されてきました。しかし、この夏の猛暑で、給水用の井戸のポンプが故障してしまったことで、水槽に水がまかなえなくなり,大池由来の希少な水草が全滅してしまう危険性に見舞われました。

環境科学センターなどで見てね

そこで、系統保全していた水草のうち、大池産の水草としてシンボル的なオニバスとジュンサイについて、全滅のリスクを避けるため、これまで里山保全にご理解・ご協力いただいている茨城県霞ケ浦環境科学センター(土浦市沖宿)、茨城県自然博物館(坂東市大崎)、奥村組技術研究所(つくば市大砂)の3カ所に域外保全することにしました。

具体的には、干上がる前の保全水槽からオニバスとジュンサイを2~3株ほど採取して、別途用意した直径30センチ✕深さ28センチほどのポットに移植し、10日ほど涵養(かんよう)したポットを8月8日に各施設に運び入れました。域外保全地のうち、県自然博物館では園内野外施設の「自然発見工房」わきに置かせていただいています。

また、霞ケ浦環境科学センターの本館横にもあります。博物館や環境科学センターに行った際には、宍塚から「里子」に出しているオニバスとジュンサイをぜひ見ていってくださいね。(宍塚の自然と歴史の会 会員)

喉によい桔梗湯《くずかごの唄》131

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】

「モシモシ奥井さん。お宅の薬局に桔梗湯(ききょうとう)ありますか?」

「あるわよ」

「よかった。処方箋を送るからよろしくね」

コロナ旋風で、メーカーの薬の品切れが多く、小さな薬局は薬の調達で忙しい。漢方薬までが品切れに入ってしまった。

電話の彼女は東京在住の薬史学会の友達で、外国に留学した人。薬剤師のくせに、フランス語もドイツ語も自由にしゃべれるすごい人。薬の植物成分についても詳しい。昔、彼女に仏パスツール研究所を案内してもらったこともある。

「喉が痛い時、私は桔梗湯しか効かないの。ないと困るのよ」

「声患い。声が出ない時でも効くかしら?」

「桔梗根のほかに甘草も入っているから、甘味があっておいしいわよ」

私は漢方薬を飲む時、必ずお湯に溶いて、味と匂いを確かめながら慎重に飲む。匂いや味がその時の身体の調子に合わない時は、効かないので絶対飲まない。

彼女に言われて、私も試しに飲んでみた。甘味が喉に染みわたっていくのが分かる。幼児の時から喉痛を恐れている私に合う薬なのかもしれない。

漢方薬のうわさは味見して確かめる

関東大震災の時、新富町(東京都中央区)の家が焼け、母は妊娠中のおなかを抱え、銀座通りを横切って皇居前広場に逃げたという。銀座を横切る時に火の玉が飛んできて、危うく命を落とすところだったらしい。芝公園の中にできた臨時の産院で兄を出産したので、兄の戸籍謄本には「出生地芝公園内」と書かれていた。

大震災で身心ともにくたくたになった母は10年間子供ができなかった。震災で焼け出された人達が新しい住まいを求めて移ったのが、荻窪や阿佐ケ谷だった。私の父母も荻窪に引っ越して、私はそこで生まれた。田河水泡というノラクロ漫画家のお隣で、兄はノラクロ小父さんに遊んでもらったこともあったらしい。

幼児の時、私は法定伝染病のジフテリアにかかってしまった。当時はジフテリアに対応できる医者が少なくて、死ぬ子供が多かった。父は「10年目にやっと生まれた子供を死なしてなるものか」と、ジフテリアでお世話になった淀橋病院勤務医の飯島先生の自宅のお隣に引っ越してしまった。

医療情報が公開され、どんな薬が効くか分かる時代になったが、コロナ病の後遺症は多すぎて、まだまだ分からないことの方が多いらしい。味が分からなくなったり、喉が痛くて声が出ない。そういう時に、桔梗湯が効くといううわさが流れている。漢方薬のうわさは味見して確かめるしかない。(随筆家、薬剤師)

久しぶりのインドネシアで《文京町便り》20

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】9月初旬、インドネシア大学を訪問した。専修大学の研究グループが日本学術振興会の助成を受けた若手研究者ワークショップに、アドバイザーとして参加するためである。参加国は、日本、インドネシア以外に、韓国、台湾、モンゴル、フィリピン、ベトナムなど7カ国に及んだ。

私にとっても、コロナ禍で学会出張(米カリフォルニア州)を直前で取りやめた2020年3月以来の海外である。実はこの間に、海外旅行に関わるいろいろな申請手続きが変わっていた。

海外旅行保険やビザも、電子申請が推奨されているだけでなく、(従来は機内で記入していた)入国時の免税申告も事前の電子登録が推奨されている。これらの変更は接触機会をできるだけ削減する効果もあるが、利用者にはこれらの申請に結構なストレスと時間がかかる。現時点では利用者の負担の方が大きい。

実際の現場でも、すべての利用者が一様には準備・対応できていないので、搭乗や入国の流れは必ずしもスムーズではない。

2015年(前回)以来のジャカルタの交通渋滞は、さらにひどくなっていた。ジャカルタ首都特別州の人口(2020年9月の国勢調査)は1056万人。近郊を含めると3000万人を超え、東京に匹敵しているが、増加は止まらない。その結果、ジャカルタの交通状態は“世界最悪”との評もあるが、基本都市基盤と人口増加が整合していないことがそもそもの原因ではないか、と感じた。具体例を三つ挙げてみよう。

首都移転は「打ち上げ花火」?

第1に、交通信号(赤・青<緑>・黄)が少ないと感じた。市内の主要交差点には設置されているが、なかなかそうした交差点には遭遇しない。推測だが、こうした交差点は元は(交通信号を必要としない)ランドアバウト(環状交差路)だったのではないか。しかし現在は、ランドアバウトの数はわずかだと聞いた。そうすると、電力事情の逼迫(ひっぱく)もあるのか。

第2に、オートバイによるオンラインタクシーがすさまじいまでに普及していて、路上を縦横無尽に駆け回っていた。Go-JekやGrabというマーク入りのグリーンのウィンドブレーカを羽織ったオートバイが、地下鉄駅やバス停近くにたむろしていて、客からのオファーを待っている。その客というのは比較的若い世代で、男女を問わない。

第3に、最も驚いたのは、交通信号が設置されていない交差点や車線変更地点には、パオガと呼ばれる交通整理人(警察ではない)が道路の真ん中で、車の通行を誘導している。パオガは、誘導した車が方向転換に成功した瞬間に、ウィンドーを開けたドライバーから硬貨500~1000ルピア(4~8円)を、ドライバーが外国人の場合は紙幣2000~5000ルピア(16~40円)を手品のように受け取る。

この危険な仕事に就いている人々に、労災はおろか、いかなる意味でも保険・手当などがつかないことは明らかである。

こうした交通渋滞を解消するべく、ジョコ大統領は2019年8月に、首都をジャカルタからカリマンタン(ボルネオ島)に移すことを発表し、完成目標は2045年としているが、その進捗(しんちょく)ははかばかしくない。先行の類似案と同様に、単なる打ち上げ花火なのだろうか。(専修大学名誉教授)

ラグビー・ワールドカップ 勝ちにこだわる戦士たち《遊民通信》73

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【コラム・田口哲郎】

前略

ラグビーワールドカップフランス大会で熱戦が繰り広げられていますね。日本男子代表チームの特番を見ていました。2015年9月19日、対南アフリカ戦で日本は勝利し、話題となりました。その模様を追ったドキュメンタリーです。日本チームは強豪相手にあらゆるトレーニングを積み、戦略を駆使して、勝利を目指していました。

こう書くと当たり前に見えるのですが、よく考えると、スポーツに対する姿勢が見えてきます。スポーツは心身の健康のために楽しんで行うものだ、という考え方があり、その中でうまかったり、強かったりする人たちが、国の代表やプロ選手として活躍するのだという意識があります。そこには勝つことへのこだわりはあまり感じられません。

オリンピックも、参加することに意義があると言われ、勝利へのこだわりは覆い隠されています。しかし、ラグビーの代表チームは勝利への執念というものがすごかったです。それはラグビーのみならず、最近のスポーツ、とくに代表チームに課せられる義務のようなものになっているのかもしれません。

スポーツは「戦い」

さて、南アフリカ戦に勝利した後、南アフリカ代表の人たちは、日本チームに対して、とてもやさしく、さっぱりと接したそうです。まさにノーサイド、敵味方はなくなり、たがいを尊重する精神です。そこに、逆に、スポーツの「戦い」としての厳しさがあるのではないかと感じました。スポーツとはいえあくまで「戦い」として、「勝利」にこだわり、そしてそのために力をつくす。これがすべてで、「戦い」が終われば、日常としての人間の平和な気持ちを取り戻す。

日本人は、何ごとも美しくつくり上げようとします。ラグビーでも何でも技を極め、整ったフォーメーションでトライを取りにゆくといったように。でも、「戦い」は「戦い」なので、勝てばよい。なぜなら、試合は「戦い」だからです。

簡単な考え方をすれば、なぜスポーツをするのか、国の代表として戦うのはなぜか、という意味もわかってきて、スポーツマンシップというもののさわやかさも見えてくる気がします。勝ちにこだわるけれども、人間的にすばらしいことは両立でき、それを人類は「戦士」と呼んできたのかもしれません。

何はともあれ、日本代表の勝利を祈りたいと思います。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

筑波山麓の彼岸花と燧ケ池《ご近所スケッチ》6

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イラストは筆者

【コラム・川浪せつ子】お墓の周りに咲いているイメージの彼岸花。私が大好きなお花です。たくさん咲いている場所を探し、見つけた所は「燧ケ池(ひうちがいけ、つくば市沼田)」。ナビを使ってもたどり着けず、地元の方に教えてもらいました。昔からの農業用「ため池」のようです。

田んぼばかりの所で、住所がはっきりしないのですね。群生している彼岸花はもちろんステキなのですが、そばの古樹が素晴らしい! 樹齢どのくらいなのか? 私が訪れた2018年には、下の絵のように、枝が横に伸びていたのですが、最近、枝がダメになり伐採されたようです。残念。

農道から池の方向を見ると、彼岸花→古樹→筑波山となり、絶景です。ウロウロして、たくさんの写真を撮りました。

上の絵は、反対側から見た筑波山。こちらの風景も、心穏やかになる景観です。稲刈りが9割方終わったころですね。こんなショットに出会うと、本当に筑波山に来てよかったと思います。

ストーリーがないと描けない

今回、ちょっと苦戦。彼岸花って、クローズアップして描くのが、かなり難しいですね。なかなか筆は進まず、眺めてばかり。でも、どうしても描きたかったモティーフ。90%くらいできたけど、もう一つしっくりしない。

そして気が付きました。私は、絵の中にストーリーがないと描けない。そこで畑で活躍するトラクターを入れました。お父ちゃんにお弁当を持ってきた奥さんと子供も小さく。あと一息。

気分転換に昼ご飯を食べに行きましたら、その道中、なんと!このトラクターに出会ったのです。それも目の前で。神様が、ちゃんと描いて!って、エールを送ってくれたのだと思いました。(イラストレーター)

『金色姫伝説旅行記』を準備中《映画探偵団》68

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】今から220年前の享和3年(1803)。常陸国の海岸で不思議な事件が起きた。球体の舟に乗った髪の長い異国の女性が漂着したからだ。舟には奇妙な記号が描かれており、女性は謎の玉手箱を手にしていた。この出来事は当時、瓦版となり「うつろ舟事件」として江戸中で話題になったという。

その後、この事件は、インドから流れて来て養蚕を伝えたという筑波・神郡の『金色姫伝説』と結びつき、現代ではUFO遭遇事件として知られている(コラム21=2021年7月14日掲載=参照)。

現在『金色姫伝説旅行記/つくばシルクロード2023』のア一トイベントを準備中である。不思議大好きな私は、15年程前から「金色姫伝説」と「うつろ舟事件」に興味を持ち、なぜ二つの出来事が一つに結びついたのだろうかと探ってきた。

すると「うつろ舟事件」を『兎園小説』で紹介した読本作家・滝沢馬琴の存在が浮かび上がり、馬琴作の『南総里見八犬伝』とも関連してくることが分かったのである。

実は「金色姫伝説」を知る以前、アヘン戦争時に日本人は何を考えていたかを立体紙芝居『北斗七星伝』として、葛飾北斎、滝沢馬琴、二宮尊徳などを取り上げたことがある。日本科学未来館や慶應大学や浅草のシアターなどで公演したが、そのときは「金色姫伝説」と結びついてくるとは予想だにしなかった。

ポランスキー監督の『チャイナタウン』

数年前、それを知ったとき、公開から50年近く経ち、古典として輝きを増しているロマン・ポランスキー監督『チャイナタウン』(1974)を思い出した。

時は1930年代後半。所は米カリフォルニア州ロサンゼルス。元警官で今は探偵事務所を経営するギティス(ジャック・ニコルソン)は、浮気調査を依頼される。調査を進めるうちに、水道局長が殺され事件に巻き込まれていく。ギティスは警官時代にチャイナタウンで過ごした。

劇中、度々チャイナタウンの話題が出てくる。けれども、画面上にチャイナタウンが出てくるのはラストシーンだけである。しかし 執事や庭師などに中国人の役者を配し、全篇にチャイナタウンの怪しい雰囲気が漂う。

さらに、街のダム建設話から、水利権をめぐる行政と警察と経営者との癒着問題が浮かび上がる。そして、殺人事件と水問題をめぐる複雑な人間関係の象徴がチャイナタウンであると徐々に分かってくる。

イベントなどで「金色姫伝説」と「うつろ舟」を同時に取り上げることは意外に少ない。民俗学的な伝説とSF的なUFOとを同じ舞台で語るのには、まだまだ抵抗があるのかもしれない。いや、そんなことよりも、「金色姫伝説」を探っていくと、映画『チャイナタウン』みたいな世界へとつながるのではと妄想してしまう。私の「金色姫伝説」の旅は続く。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

懸案に見る茨城県とつくば市の距離《吾妻カガミ》167

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茨城県庁(左)とつくば市役所

【コラム・坂本栄】コラム139「上り坂の市と下り坂の県」(2022年8月15日掲載)では、つくば市と茨城県の考え方の食い違いを克服するため、「市は県から『独立』したら?」と提案しました。記事「意見相次ぎ審査継続へ 洞峰公園問題で県議会特別委」(8月30日掲載)を読むと、改めて県と市が置かれている状況と方向性の違いを感じます。

下り坂の県と上り坂の市

洞峰公園問題と県立高校問題を取り上げた139で触れた「つくば独立」論を箇条書きにしておさらいすると、こういうことです。

<洞峰公園問題での対立>

・茨城県:県立公園の運営を民間に任せて利益を出し、維持管理費を捻出したい

・つくば市:今の都市公園の形を維持すべきで、レジャー施設などは造らせない

<県立高校問題での対立>

・つくば市:人口増に伴い中学生も増加している⇒市内に県立高を新設してほしい

・茨城県:新設は県全体の人口減少に逆行する⇒既存高の学級増などで対応したい

<洞峰公園問題の背景>

・茨城県:県立公園内に民営レジャー施設を設けて少しでも稼ぎたい「貧しい県」

・つくば市:学園都市のシンボル的な公園に余計なものは不要と考える「豊かな市」

<県立高校問題の背景>

・大きな流れとして「下り坂」の茨城県:県全体の人口減・少子化が進んでいる

・県全体とは逆に「上り坂」のつくば市:TX効果もあり沿線の人口が増えている

こういった分析を踏まえ、「県立高問題は、県を当てにせずに市立高をつくば市がつくり、自分で解決したらどうか… また、洞峰公園問題は公園を買い取って市営公園にし、現状のまま市民に供したらどうか… 県と市が置かれている状況と方向が違うのだから、市は県から『独立』したら?」と提案しました。

貧しい県と豊かな市のズレ

周知のように、洞峰公園については県が市に無償で譲渡するという合意=無償という餌で釣り維持管理を市に転嫁=ができていますが、県議会が「待った」をかけました。その理由は冒頭のリンク先記事に出ているように、貧しい県と豊かな市の対立そのものでした。古参県議の言い分は「68億円の財産(洞峰公園の資産価値)を不交付団体のつくば市に無償で譲渡するのは疑問だ」に集約されます。

言い換えると、70億弱の価値がある公園(周辺は高級住宅地)を、地方交付税交付金(財政が苦しい自治体に国が配る一種の補助金)をもらっていない自治体(県内の不交付市町村ほかに神栖市と東海村)にタダでやるのはおかしい、つくば市は運動公園用地売却でもうけているのだから土地代を払わせろ―ということです。

下り坂の県の議員が上り坂の市の懐具合を見て、知事と市長の基本合意に文句を付けている図といえます。公立高校を県立にするか市立にするかの議論(問題解決のために私はコラムで市立高設立を提案)の構造も同じことです。

県南に政令指定都市を創る

そろそろ「つくば独立」論に移ります。簡単に言うと、つくば市が核になって周辺自治体と合併し、政令指定都市(要件は人口50万人以上)を誕生させ、多くの行政権を県から市に委譲してもらい、県とは違う方向性を持つ行政単位を県南につくったらどうかという構想です。実現すれば、茨城県の「へそ」は水戸市から新つくば市に移ります。

前市長の市原さんが提起した土浦市との合併による中核市(当時の要件は人口30万人以上、現在は20万人以上)づくりは、政令指定都市に向けた準備のプロセスでした。「独立」構想を実現できる豪腕市長の誕生が待たれます。(経済ジャーナリスト)

どうする?花火旅《見上げてごらん!》18

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イラストは筆者

【コラム・小泉裕司】煙火業界は、あっちの大会、こっちの大会と大忙し。旅行会社の花火ツアーも好調で、各地の花火会場は赤や黄のツアー旗にワッペンを胸に付けた行列が続く。その人混みをかいくぐり、プラチナチケットを手に観覧席に向かう。今回は、コラム5「…越後3大花火」(2022年8月21日掲載)で書いた「海の大花火大会」(新潟県柏崎市)の会場に到着するまでの「どうする?」お話。

午前11時、JR土浦駅改札口に到着するや、「列車事故のため、土浦駅から取手駅間は運転を見合わせています。復旧の見込み時間は不明です」のアナウンス。この告知がトラウマの読者も少なくないはず。

駅員に確認したところ、「1時間以上の遅れ、取手駅から上野駅方面は通常運転」とのこと。本来、11時25分土浦駅発で上野駅へ向かい、12時46分発「とき321号」に乗車。いったん長岡駅で下車し、ホテルへ荷物を置いてから、柏崎市の花火会場に向かう予定。往復乗車券と新幹線特急券は「えきねっと」の「チケットレス」で、在来線特急は紙切符で予約済み。

遅延に慣れない筆者の心臓はバクバク。「さあ、どうする?」。思いついた選択肢は次のとおり。

① 予約を変更し、運転再開まで土浦駅で待機する。

② 土浦駅まで送ってくれた家族を呼び戻し、その車で取手駅に向かう。

➂ ②と同様、家族の車で上野駅に向かう。

④ 自宅に戻り、新潟県までひとり車で向かう。

⑤ 中止する。

苦手な長距離ドライブ、しかもひとり

選んだのは、④の往復635キロのドライブひとり旅。花火をあきらめる考えなど毛頭ない。最大の理由は「自己完結」であること。家族の車で自宅に戻り、ガソリンを満タンにして、3本の高速道路をノンストップ、長岡市内まで4時間。宿泊ホテルに駐車後、長岡駅から信越本線で柏崎駅に17時50分到着。会場入りは18時20分。打ち上げ開始19時30分まで1時間の余裕だ。「花火を見る」に限れば、正解だった。

選択肢①の場合は? 新幹線予約を変更しようと土浦駅の駅員にたずねたところ、「ネット予約は駅窓口では対応できない。上野駅に着いたら電話で変更してほしい」と、渡された小さな紙切れには「えきねっとサポートセンター」の連絡先がプリント。早速電話したが話し中。この状況は終日続いた。つながったのは翌朝。かの常磐線は1時間20分後に運転再開したとの後日談だが、これでは上野駅に着いたところで、つながらず路頭(駅構内)に迷っていたに違いない。

車で長岡市に到着後、間に合わなかった信越本線柏崎駅までの特急券を払い戻そうと、並んだ長岡駅の窓口では「到着駅で手続きしてほしい」との案内。「花火大会で混雑する柏崎駅にたらい回し?」と切り返すと、「次の方どうぞ」と完全無視。不快な思いを残し、後日、サポートセンターと土浦駅窓口で払い戻しの手続きを完了。交通費に限っての収支は1,000円ほどの黒字で、苦手な長距離ドライブは、やはり正解だったのだろう。

以来、新幹線の予約は、割安な「eチケット」ではなく、「紙切符」に限ることにした。利用日間際に届く発券の催促メールが、少々わずらわしいのだが…。本日は、この辺で「打ち止めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

よいボールペンを探す《続・気軽にSOS》141

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【コラム・浅井和幸】何人かで集まって軽い相談が始まります。相談というほどではなく、軽い情報交換程度のもの。例えば、ボールペンをなくしてしまったので、どこで買えばよいかな?という投げかけがあったとします。その投げかけに、Aさんは「コンビニで売っているよ」と即答します。Bさんは「〇〇画材屋でたくさんの種類を売っているから、そこで選んで買いなよ」と、いろいろ考えた後に答えます。

でも私だと、いつ使うの?とか、何に使うの?と、もうちょっと条件を絞るための質問をしてしまいたくなる癖があって、AさんとBさんはある条件下では正解だけど、今その提案は早急すぎないかと、違和感を持ってしまうのです。

もちろん、ボールペン程度の簡単なおしゃべりであれば、事務所に試供品があるから適当に持っていけと答えてしまいますし、むしろ大まかな質問に対して具体的に答えるほうが一般的なのだと思います。

しかし、真剣に悩んでいる人に対しても、このような場面によくぶつかり、私の中に違和感が長年ありました。例えば、よい勉強法ない?に対して、何の勉強とか、目的が分からないまま回答。例えば、風邪とかうつ病の対処法で、実際にどのような症状があるかを聞く前に回答する。

これら的が絞られる前の疑問に対する、具体的な回答は「人生を成功させるたった3つの方法」「これだけやればだれでもダイエットができる」というような本のタイトルが好まれることでも、日常的なやり取りで好まれるのだろうなと理解します。

もう少し具体的な条件を増やす

これらは、質問と回答がピタリとはまれば最短の解決となるでしょう。しかし、条件が大ざっぱなままなので、無駄に試行錯誤、トライアンドエラーの行動を繰り返すことになりかねません。具体的にしようと、疑問に対して質問を重ねすぎるのは、単なるウザい、面倒な奴となりかねません。(浅井は、面倒な奴に他ならないのですが)

しかし、あまりにも回答がしっくりこないことが多い場合は、もう少し具体的な条件を増やすことが必要なのかもしれないと頭の片隅に入れておきましょう。所在地を「茨城県」→「茨城県つくば市」→「茨城県つくば市二の宮」と絞り込むように。(精神保健福祉士)

コインランドリーの女王《短いおはなし》19

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

彼女は赤いポルシェでやってくる。

胸元で揺れる長い髪、体形がそのまま出るようなミニのワンピース。

右手にピンクの大きなバッグ。左手に車のキーをじゃらりと鳴らし、ヒールの音を響かせる。

ここは、町はずれのコインランドリー。客は1人暮らしの男ばかり。

誰もが彼女のファンだ。

彼女がほほ笑むと、ハートの矢が刺さったようにメロメロになる。

コインを入れる仕草(しぐさ)にさえ誰もがときめく。

「どうぞ」

彼女のために椅子(いす)を空けると、優雅に足を組む。

ヘッドフォンで音楽を聴き、リズムに合わせて体をくねらせる。

ああ、なんてセクシー。

僕らは彼女を、クイーンと呼んだ。

クイーンが来るのは月・水・金の午後8時。いつも時間ピッタリだ。

そしてそれは、金曜の夜だった。

いつものようにクイーンが来て、僕らを翻弄(ほんろう)させて出て行った。

僕はその日、興味本位でポルシェを追った。

こっちは原付バイクだし、追いつくはずもないと思ったが、ポルシェは意外とゆっくり走った。

そして古いアパートの前で停まった。

ここがクイーンの家? まさか、こんなボロアパートに住んでいるはずがない。

そう思ったとき、ポルシェのドアが開いて女が出てきた。

「え?」

それは、まったくの別人だった。

よれよれのスエット上下、無造作に束ねたぼさぼさの髪、サンダル履き。

クイーンはどこに行ったんだ?

ぼさぼさ女は、クイーンが持っていたのと同じピンクのバッグを持って、アパートの階段を上がっていく。

次の瞬間、赤いポルシェが消えて、古ぼけた軽自動車に変わった。

まるでかぼちゃの馬車みたいだ。魔法が解けたのか?

僕は首をひねりながら帰った。

月曜日、クイーンはいつものようにコインランドリーにやってきた。

僕は、金曜日のことを確かめたくて、ポルシェの鍵を隠した。

クイーンが音楽を聴いているときに、こっそり自分のポケットに入れた。

帰ろうとしたクイーンは、焦って鍵を探した。

「鍵がないわ。誰か知らない?」

時間がどんどん過ぎていく。

5分後、魔法が解けた。

ぼさぼさの髪、毛玉だらけのスエット、ノーメイクの平凡な顔。

取り巻きだった男たちは、あまりの変貌(へんぼう)ぶりにうろたえた。

僕がポケットから鍵を出すと、彼女は泣きそうな顔で出て行った。

ポルシェは、もちろん軽自動車に変わっている。

「何だ、アレ?」「普通の女だ」

男たちは、事態が飲み込めないまま帰って行った。

僕は罪悪感と、何とも言えない喪失感を拭いきれなかった。

水曜の夜、僕の原付バイクが、突然赤いポルシェに変わった。

鏡を見たら、上質なスーツと整ったさわやかなルックス。

理想の男になっている。

今度は僕の番なのか?

おそらく魔法は1時間余りで切れるのだろう。

さてどうしよう。

僕はとりあえずコインランドリーに向かった。

いつもは男ばかりのコインランドリーが、女子大生のたまり場になっていた。

彼女たちは、目をハートにして僕を迎えた。

(作家)

敵対関係から、ともに闘う仲間へ《電動車いすから見た景色》46

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イラストは筆者

【コラム・川端舞】今、女性団体と障害者団体の共闘の歴史を調べている。1972年、母体保護法の前身である優生保護法において、重度障害がある胎児の中絶を認める改正案が国会に上程された。だが、女性団体と障害者団体が反対し、法改正は阻止された。

女性の社会運動であるフェミニズムの歴史を解説した荻野美穂の「女のからだ―フェミニズム以降」(岩波新書)によると、当時の改正案には経済的理由による中絶の禁止も含まれ、当初、フェミニズムの運動に関わる女性たちは、「産む・産まないは女が決める」という「中絶の権利」を主張し、中絶の禁止に反対した。これに対し、障害者たちは「胎児に障害があれば、中絶するのか」と厳しく問うた。

昨年出版されたフェミニズム入門書「シモーヌVOL.7」(現代書館編集)では、当時、障害者団体側であった横田弘と、女性団体側であった志岐寿美栄が書いた文章を掘り起こし、女性と障害者が互いに葛藤を抱えながらも、共闘関係になっていく過程を特集している。

「胎児の障害の有無により、中絶するかを決めるのは、今生きている障害者をも否定する」「障害児を産んだだけで、女性は社会から冷たい目を向けられ、我が子を殺してしまうまで追い詰められる」という血を吐くような両者の葛藤の末、実は互いを苦しめているのは今の社会構造だと思い至り、社会を変えるべく共闘していった。その結果、優生保護法の改正は阻止されたのだった。

マイノリティを苦しめる正体

現在、母体保護法では、胎児の障害を直接的な理由とする中絶は認められていないが、出生前診断で障害があると判定された胎児の多くは、「身体的理由又は経済的理由により母体の健康を著しく害する恐れがある」として中絶されている。

障害児として生まれた私は、どうしても障害のある胎児に感情移入し、中絶する女性に敵意を向けてしまいたくなる。しかし、障害児者はいないことを前提に多くの建物や制度が作られ、健常児の育児さえ、女性だけに負担を強いる社会を考えると、苦悩の末に障害のある胎児を中絶する女性だけを責めることはできない。

「障害児の誕生は避けるべき」「育児は女性がやるべき」という圧力で、女性の社会進出や障害者の生きる価値を否定し続ける社会を変えていきたい。この社会は多数派が都合のよいように作られている。現在もマイノリティ集団同士が敵対してしまっている現象が至る所で起きているが、彼らに生きづらさを押しつけているのは誰なのか、冷静に考えたい。(障害当事者)