土曜日, 4月 5, 2025
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『金色姫伝説旅行記』を準備中《映画探偵団》68

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】今から220年前の享和3年(1803)。常陸国の海岸で不思議な事件が起きた。球体の舟に乗った髪の長い異国の女性が漂着したからだ。舟には奇妙な記号が描かれており、女性は謎の玉手箱を手にしていた。この出来事は当時、瓦版となり「うつろ舟事件」として江戸中で話題になったという。

その後、この事件は、インドから流れて来て養蚕を伝えたという筑波・神郡の『金色姫伝説』と結びつき、現代ではUFO遭遇事件として知られている(コラム21=2021年7月14日掲載=参照)。

現在『金色姫伝説旅行記/つくばシルクロード2023』のア一トイベントを準備中である。不思議大好きな私は、15年程前から「金色姫伝説」と「うつろ舟事件」に興味を持ち、なぜ二つの出来事が一つに結びついたのだろうかと探ってきた。

すると「うつろ舟事件」を『兎園小説』で紹介した読本作家・滝沢馬琴の存在が浮かび上がり、馬琴作の『南総里見八犬伝』とも関連してくることが分かったのである。

実は「金色姫伝説」を知る以前、アヘン戦争時に日本人は何を考えていたかを立体紙芝居『北斗七星伝』として、葛飾北斎、滝沢馬琴、二宮尊徳などを取り上げたことがある。日本科学未来館や慶應大学や浅草のシアターなどで公演したが、そのときは「金色姫伝説」と結びついてくるとは予想だにしなかった。

ポランスキー監督の『チャイナタウン』

数年前、それを知ったとき、公開から50年近く経ち、古典として輝きを増しているロマン・ポランスキー監督『チャイナタウン』(1974)を思い出した。

時は1930年代後半。所は米カリフォルニア州ロサンゼルス。元警官で今は探偵事務所を経営するギティス(ジャック・ニコルソン)は、浮気調査を依頼される。調査を進めるうちに、水道局長が殺され事件に巻き込まれていく。ギティスは警官時代にチャイナタウンで過ごした。

劇中、度々チャイナタウンの話題が出てくる。けれども、画面上にチャイナタウンが出てくるのはラストシーンだけである。しかし 執事や庭師などに中国人の役者を配し、全篇にチャイナタウンの怪しい雰囲気が漂う。

さらに、街のダム建設話から、水利権をめぐる行政と警察と経営者との癒着問題が浮かび上がる。そして、殺人事件と水問題をめぐる複雑な人間関係の象徴がチャイナタウンであると徐々に分かってくる。

イベントなどで「金色姫伝説」と「うつろ舟」を同時に取り上げることは意外に少ない。民俗学的な伝説とSF的なUFOとを同じ舞台で語るのには、まだまだ抵抗があるのかもしれない。いや、そんなことよりも、「金色姫伝説」を探っていくと、映画『チャイナタウン』みたいな世界へとつながるのではと妄想してしまう。私の「金色姫伝説」の旅は続く。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

懸案に見る茨城県とつくば市の距離《吾妻カガミ》167

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茨城県庁(左)とつくば市役所

【コラム・坂本栄】コラム139「上り坂の市と下り坂の県」(2022年8月15日掲載)では、つくば市と茨城県の考え方の食い違いを克服するため、「市は県から『独立』したら?」と提案しました。記事「意見相次ぎ審査継続へ 洞峰公園問題で県議会特別委」(8月30日掲載)を読むと、改めて県と市が置かれている状況と方向性の違いを感じます。

下り坂の県と上り坂の市

洞峰公園問題と県立高校問題を取り上げた139で触れた「つくば独立」論を箇条書きにしておさらいすると、こういうことです。

<洞峰公園問題での対立>

・茨城県:県立公園の運営を民間に任せて利益を出し、維持管理費を捻出したい

・つくば市:今の都市公園の形を維持すべきで、レジャー施設などは造らせない

<県立高校問題での対立>

・つくば市:人口増に伴い中学生も増加している⇒市内に県立高を新設してほしい

・茨城県:新設は県全体の人口減少に逆行する⇒既存高の学級増などで対応したい

<洞峰公園問題の背景>

・茨城県:県立公園内に民営レジャー施設を設けて少しでも稼ぎたい「貧しい県」

・つくば市:学園都市のシンボル的な公園に余計なものは不要と考える「豊かな市」

<県立高校問題の背景>

・大きな流れとして「下り坂」の茨城県:県全体の人口減・少子化が進んでいる

・県全体とは逆に「上り坂」のつくば市:TX効果もあり沿線の人口が増えている

こういった分析を踏まえ、「県立高問題は、県を当てにせずに市立高をつくば市がつくり、自分で解決したらどうか… また、洞峰公園問題は公園を買い取って市営公園にし、現状のまま市民に供したらどうか… 県と市が置かれている状況と方向が違うのだから、市は県から『独立』したら?」と提案しました。

貧しい県と豊かな市のズレ

周知のように、洞峰公園については県が市に無償で譲渡するという合意=無償という餌で釣り維持管理を市に転嫁=ができていますが、県議会が「待った」をかけました。その理由は冒頭のリンク先記事に出ているように、貧しい県と豊かな市の対立そのものでした。古参県議の言い分は「68億円の財産(洞峰公園の資産価値)を不交付団体のつくば市に無償で譲渡するのは疑問だ」に集約されます。

言い換えると、70億弱の価値がある公園(周辺は高級住宅地)を、地方交付税交付金(財政が苦しい自治体に国が配る一種の補助金)をもらっていない自治体(県内の不交付市町村ほかに神栖市と東海村)にタダでやるのはおかしい、つくば市は運動公園用地売却でもうけているのだから土地代を払わせろ―ということです。

下り坂の県の議員が上り坂の市の懐具合を見て、知事と市長の基本合意に文句を付けている図といえます。公立高校を県立にするか市立にするかの議論(問題解決のために私はコラムで市立高設立を提案)の構造も同じことです。

県南に政令指定都市を創る

そろそろ「つくば独立」論に移ります。簡単に言うと、つくば市が核になって周辺自治体と合併し、政令指定都市(要件は人口50万人以上)を誕生させ、多くの行政権を県から市に委譲してもらい、県とは違う方向性を持つ行政単位を県南につくったらどうかという構想です。実現すれば、茨城県の「へそ」は水戸市から新つくば市に移ります。

前市長の市原さんが提起した土浦市との合併による中核市(当時の要件は人口30万人以上、現在は20万人以上)づくりは、政令指定都市に向けた準備のプロセスでした。「独立」構想を実現できる豪腕市長の誕生が待たれます。(経済ジャーナリスト)

どうする?花火旅《見上げてごらん!》18

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イラストは筆者

【コラム・小泉裕司】煙火業界は、あっちの大会、こっちの大会と大忙し。旅行会社の花火ツアーも好調で、各地の花火会場は赤や黄のツアー旗にワッペンを胸に付けた行列が続く。その人混みをかいくぐり、プラチナチケットを手に観覧席に向かう。今回は、コラム5「…越後3大花火」(2022年8月21日掲載)で書いた「海の大花火大会」(新潟県柏崎市)の会場に到着するまでの「どうする?」お話。

午前11時、JR土浦駅改札口に到着するや、「列車事故のため、土浦駅から取手駅間は運転を見合わせています。復旧の見込み時間は不明です」のアナウンス。この告知がトラウマの読者も少なくないはず。

駅員に確認したところ、「1時間以上の遅れ、取手駅から上野駅方面は通常運転」とのこと。本来、11時25分土浦駅発で上野駅へ向かい、12時46分発「とき321号」に乗車。いったん長岡駅で下車し、ホテルへ荷物を置いてから、柏崎市の花火会場に向かう予定。往復乗車券と新幹線特急券は「えきねっと」の「チケットレス」で、在来線特急は紙切符で予約済み。

遅延に慣れない筆者の心臓はバクバク。「さあ、どうする?」。思いついた選択肢は次のとおり。

① 予約を変更し、運転再開まで土浦駅で待機する。

② 土浦駅まで送ってくれた家族を呼び戻し、その車で取手駅に向かう。

➂ ②と同様、家族の車で上野駅に向かう。

④ 自宅に戻り、新潟県までひとり車で向かう。

⑤ 中止する。

苦手な長距離ドライブ、しかもひとり

選んだのは、④の往復635キロのドライブひとり旅。花火をあきらめる考えなど毛頭ない。最大の理由は「自己完結」であること。家族の車で自宅に戻り、ガソリンを満タンにして、3本の高速道路をノンストップ、長岡市内まで4時間。宿泊ホテルに駐車後、長岡駅から信越本線で柏崎駅に17時50分到着。会場入りは18時20分。打ち上げ開始19時30分まで1時間の余裕だ。「花火を見る」に限れば、正解だった。

選択肢①の場合は? 新幹線予約を変更しようと土浦駅の駅員にたずねたところ、「ネット予約は駅窓口では対応できない。上野駅に着いたら電話で変更してほしい」と、渡された小さな紙切れには「えきねっとサポートセンター」の連絡先がプリント。早速電話したが話し中。この状況は終日続いた。つながったのは翌朝。かの常磐線は1時間20分後に運転再開したとの後日談だが、これでは上野駅に着いたところで、つながらず路頭(駅構内)に迷っていたに違いない。

車で長岡市に到着後、間に合わなかった信越本線柏崎駅までの特急券を払い戻そうと、並んだ長岡駅の窓口では「到着駅で手続きしてほしい」との案内。「花火大会で混雑する柏崎駅にたらい回し?」と切り返すと、「次の方どうぞ」と完全無視。不快な思いを残し、後日、サポートセンターと土浦駅窓口で払い戻しの手続きを完了。交通費に限っての収支は1,000円ほどの黒字で、苦手な長距離ドライブは、やはり正解だったのだろう。

以来、新幹線の予約は、割安な「eチケット」ではなく、「紙切符」に限ることにした。利用日間際に届く発券の催促メールが、少々わずらわしいのだが…。本日は、この辺で「打ち止めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

よいボールペンを探す《続・気軽にSOS》141

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【コラム・浅井和幸】何人かで集まって軽い相談が始まります。相談というほどではなく、軽い情報交換程度のもの。例えば、ボールペンをなくしてしまったので、どこで買えばよいかな?という投げかけがあったとします。その投げかけに、Aさんは「コンビニで売っているよ」と即答します。Bさんは「〇〇画材屋でたくさんの種類を売っているから、そこで選んで買いなよ」と、いろいろ考えた後に答えます。

でも私だと、いつ使うの?とか、何に使うの?と、もうちょっと条件を絞るための質問をしてしまいたくなる癖があって、AさんとBさんはある条件下では正解だけど、今その提案は早急すぎないかと、違和感を持ってしまうのです。

もちろん、ボールペン程度の簡単なおしゃべりであれば、事務所に試供品があるから適当に持っていけと答えてしまいますし、むしろ大まかな質問に対して具体的に答えるほうが一般的なのだと思います。

しかし、真剣に悩んでいる人に対しても、このような場面によくぶつかり、私の中に違和感が長年ありました。例えば、よい勉強法ない?に対して、何の勉強とか、目的が分からないまま回答。例えば、風邪とかうつ病の対処法で、実際にどのような症状があるかを聞く前に回答する。

これら的が絞られる前の疑問に対する、具体的な回答は「人生を成功させるたった3つの方法」「これだけやればだれでもダイエットができる」というような本のタイトルが好まれることでも、日常的なやり取りで好まれるのだろうなと理解します。

もう少し具体的な条件を増やす

これらは、質問と回答がピタリとはまれば最短の解決となるでしょう。しかし、条件が大ざっぱなままなので、無駄に試行錯誤、トライアンドエラーの行動を繰り返すことになりかねません。具体的にしようと、疑問に対して質問を重ねすぎるのは、単なるウザい、面倒な奴となりかねません。(浅井は、面倒な奴に他ならないのですが)

しかし、あまりにも回答がしっくりこないことが多い場合は、もう少し具体的な条件を増やすことが必要なのかもしれないと頭の片隅に入れておきましょう。所在地を「茨城県」→「茨城県つくば市」→「茨城県つくば市二の宮」と絞り込むように。(精神保健福祉士)

コインランドリーの女王《短いおはなし》19

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

彼女は赤いポルシェでやってくる。

胸元で揺れる長い髪、体形がそのまま出るようなミニのワンピース。

右手にピンクの大きなバッグ。左手に車のキーをじゃらりと鳴らし、ヒールの音を響かせる。

ここは、町はずれのコインランドリー。客は1人暮らしの男ばかり。

誰もが彼女のファンだ。

彼女がほほ笑むと、ハートの矢が刺さったようにメロメロになる。

コインを入れる仕草(しぐさ)にさえ誰もがときめく。

「どうぞ」

彼女のために椅子(いす)を空けると、優雅に足を組む。

ヘッドフォンで音楽を聴き、リズムに合わせて体をくねらせる。

ああ、なんてセクシー。

僕らは彼女を、クイーンと呼んだ。

クイーンが来るのは月・水・金の午後8時。いつも時間ピッタリだ。

そしてそれは、金曜の夜だった。

いつものようにクイーンが来て、僕らを翻弄(ほんろう)させて出て行った。

僕はその日、興味本位でポルシェを追った。

こっちは原付バイクだし、追いつくはずもないと思ったが、ポルシェは意外とゆっくり走った。

そして古いアパートの前で停まった。

ここがクイーンの家? まさか、こんなボロアパートに住んでいるはずがない。

そう思ったとき、ポルシェのドアが開いて女が出てきた。

「え?」

それは、まったくの別人だった。

よれよれのスエット上下、無造作に束ねたぼさぼさの髪、サンダル履き。

クイーンはどこに行ったんだ?

ぼさぼさ女は、クイーンが持っていたのと同じピンクのバッグを持って、アパートの階段を上がっていく。

次の瞬間、赤いポルシェが消えて、古ぼけた軽自動車に変わった。

まるでかぼちゃの馬車みたいだ。魔法が解けたのか?

僕は首をひねりながら帰った。

月曜日、クイーンはいつものようにコインランドリーにやってきた。

僕は、金曜日のことを確かめたくて、ポルシェの鍵を隠した。

クイーンが音楽を聴いているときに、こっそり自分のポケットに入れた。

帰ろうとしたクイーンは、焦って鍵を探した。

「鍵がないわ。誰か知らない?」

時間がどんどん過ぎていく。

5分後、魔法が解けた。

ぼさぼさの髪、毛玉だらけのスエット、ノーメイクの平凡な顔。

取り巻きだった男たちは、あまりの変貌(へんぼう)ぶりにうろたえた。

僕がポケットから鍵を出すと、彼女は泣きそうな顔で出て行った。

ポルシェは、もちろん軽自動車に変わっている。

「何だ、アレ?」「普通の女だ」

男たちは、事態が飲み込めないまま帰って行った。

僕は罪悪感と、何とも言えない喪失感を拭いきれなかった。

水曜の夜、僕の原付バイクが、突然赤いポルシェに変わった。

鏡を見たら、上質なスーツと整ったさわやかなルックス。

理想の男になっている。

今度は僕の番なのか?

おそらく魔法は1時間余りで切れるのだろう。

さてどうしよう。

僕はとりあえずコインランドリーに向かった。

いつもは男ばかりのコインランドリーが、女子大生のたまり場になっていた。

彼女たちは、目をハートにして僕を迎えた。

(作家)

敵対関係から、ともに闘う仲間へ《電動車いすから見た景色》46

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イラストは筆者

【コラム・川端舞】今、女性団体と障害者団体の共闘の歴史を調べている。1972年、母体保護法の前身である優生保護法において、重度障害がある胎児の中絶を認める改正案が国会に上程された。だが、女性団体と障害者団体が反対し、法改正は阻止された。

女性の社会運動であるフェミニズムの歴史を解説した荻野美穂の「女のからだ―フェミニズム以降」(岩波新書)によると、当時の改正案には経済的理由による中絶の禁止も含まれ、当初、フェミニズムの運動に関わる女性たちは、「産む・産まないは女が決める」という「中絶の権利」を主張し、中絶の禁止に反対した。これに対し、障害者たちは「胎児に障害があれば、中絶するのか」と厳しく問うた。

昨年出版されたフェミニズム入門書「シモーヌVOL.7」(現代書館編集)では、当時、障害者団体側であった横田弘と、女性団体側であった志岐寿美栄が書いた文章を掘り起こし、女性と障害者が互いに葛藤を抱えながらも、共闘関係になっていく過程を特集している。

「胎児の障害の有無により、中絶するかを決めるのは、今生きている障害者をも否定する」「障害児を産んだだけで、女性は社会から冷たい目を向けられ、我が子を殺してしまうまで追い詰められる」という血を吐くような両者の葛藤の末、実は互いを苦しめているのは今の社会構造だと思い至り、社会を変えるべく共闘していった。その結果、優生保護法の改正は阻止されたのだった。

マイノリティを苦しめる正体

現在、母体保護法では、胎児の障害を直接的な理由とする中絶は認められていないが、出生前診断で障害があると判定された胎児の多くは、「身体的理由又は経済的理由により母体の健康を著しく害する恐れがある」として中絶されている。

障害児として生まれた私は、どうしても障害のある胎児に感情移入し、中絶する女性に敵意を向けてしまいたくなる。しかし、障害児者はいないことを前提に多くの建物や制度が作られ、健常児の育児さえ、女性だけに負担を強いる社会を考えると、苦悩の末に障害のある胎児を中絶する女性だけを責めることはできない。

「障害児の誕生は避けるべき」「育児は女性がやるべき」という圧力で、女性の社会進出や障害者の生きる価値を否定し続ける社会を変えていきたい。この社会は多数派が都合のよいように作られている。現在もマイノリティ集団同士が敵対してしまっている現象が至る所で起きているが、彼らに生きづらさを押しつけているのは誰なのか、冷静に考えたい。(障害当事者)

65歳になって考えていること《ハチドリ暮らし》29

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家の庭のミカンが青々としています

【コラム・山口京子】一生に1年だけの65歳…。それぞれの年齢が1年の期間なのは当たり前ですが、この1年でしっかり考えるべきことは何なのかが気になっています。無事にここまで生きることができたという安堵(あんど)の思いと、自分が65歳になったことの不思議な感覚…。ここにきて、人生の主なイベントは峠を越えたのでしょう。

30年前の自分が思っていたこと。一つ、2人の子どもをちゃんと育てて、できれば大学まで行かせたい。二つ、家を買うことで生じた住宅ローンは、なるべく繰上げ返済をして定年まで持ち越さない。三つ、夫が定年まで勤めあげてくれれば、老後は年金でどうにかなるだろう。

思っていたことでかなったこと、かなわなかったこと。

一つ目、子どもをちゃんと育てるというのはどういうことなのかを自問すると、自分がイメージする「ちゃんと」を、子どもに一方的に押し付けてきたのではないか。子どもの気持ちや考えを察するとか聞きとるという配慮ができていませんでした。

また、大学に行かせたいのは、それが当たり前の風潮になっていたこと。また、子ども自身が大学を希望したこと。上の子は大学で学びたいというよりは、高校3年生の段階で具体的に働くという選択ができなかったこともあるでしょう。ちょうど就職氷河期にあたっていて、担任の先生は進学より就職の方が難しいと言っていたのを覚えています。下の子は語学が学びたいから大学に行きたいと意思を表示していました。

70歳までのローンで返せますか?

二つ目、わが家が組んだ住宅ローンの完済時期は夫が70歳。年金生活になって、月に10万円以上のローンの返済は現実的ではありません。当時、銀行の方に「70歳までのローンで返せますか、大丈夫ですか」と聞いたとき、担当者は、「みなさん、そういうローンを組んでいますよ」という返答。

そのときはうなずいてしまいましたが、数年してから怖くなり、繰上げ返済をするようになりました。夫が50歳ごろにローンが終わったときは、本当にほっとしました。

三つ目、定年まで勤めると思っていましたが、早期退職勧奨に手をあげて退職し、厳しい再就職の経験をしました。現役時代の収入に応じた保険料の支払い額は、年金の額にも影響します。年金制度の仕組みや改正で、年金の額は実質減少傾向にあります。65歳以上で働く人は900万人を超えたそうです。

これからの社会がどうなるかは不確実ですが、自分が願う暮らし方や働き方ができますように。(消費生活アドバイザー)

海のものと山の人《続・平熱日記》141

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写真は筆者

【コラム・斉藤裕之】夏のバカンスイン山口。楽しみの一つは弟の舟で釣りに出かけること。狙いはアジとメバル、カワハギなどの瀬戸内の小魚。ところが港を出てしばらくすると、ナブラ(イワシなどの小魚が大きな魚に追われてできる)が湧いているのを発見。餌のイワシを追って海面をバシャバシャ泳いでいるのは、この辺りでヤズと呼ばれているブリの子供。急いで疑似餌を投げてみるが、うまくヒットしない。

どうやらヤズが回遊してきたという情報が回ったとみえて、次に舟を出したときにはヤズ狙いの釣り舟は随分と増えていた。遠目に立派なヤズを釣り上げている姿も見かけるようになった。我々もナブラにキャストを繰り返してはみたものの、ヤズの気を引くことはできず、本来の餌釣りに専念することにした。

結果、刺身と煮つけにちょうどいいサイズのアジとアラカブが釣れた。その日の夕方、近くの果樹園で働く義妹のユキちゃんが帰宅。「これもらったの」と、なんと大きなヤズを抱えているではないか。ご友人が日本海で釣ってきたものだそうだ。こういう状況を言い表す、うまいことわざなり故事成語なりがありそうな…。

とにかく、願ってもない御馳走(ごちそう)には違いないが、初老の我々3人にはちょっと持て余す大きさで、メインディッシュの予定だったアジは塩をされて干物に回された。

ユキちゃんと休日に市街へ出かけた

ユキちゃんは不安定な暮らしをしていた弟を支えて、2人の娘を立派に育てた。今は午前中に地元の加工場でパンを焼いて、午後は果樹園で働く。毎朝みそ汁と魚を焼いてくれて、弟の弁当と私の昼のおにぎりも用意してくれる。夕飯もちゃちゃっと作る。その間に、薪(まき)で風呂も焚(た)く。いつも少し駆け足気味にスタスタと歩き、とにかくよく動く。

そのユキちゃんと休みの日に市街へ出かけた。目的の一つは昔からあるラーメン屋さん。この店に初めて訪れたのは小学生の頃。隣のみっちゃんと映画を見た後、「ライスちゅうメニューが50円であるんよ」と誘われて入った。多分相当貧乏に見えたのか、意気揚々と「ライス」を2つ注文した子供に、ご主人はおかずをつけてくれた。

当時すでに評判だったこの店は、今も行列ができるほど繁盛していた。コショウを一振り。数十年ぶりに食べるラーメン(中華そば?)は記憶の通りの味だった。ユキちゃんに「高校の食堂のラーメンを思い出したよ」と、私。実はユキちゃんは同じ高校の1年先輩。

アジを狙ってヒラメが食いついた

山口で過ごす最後の日。クマゼミの鳴き声で覆われた粭島(すくもじま)の港を出航。小アジの群れにぶつかって辟易(へきえき)していたら、何と、弟の竿(さお)に引っ掛かった小アジを狙って大きなヒラメが食いついた。というわけで、最後の晩餐は豪華ヒラメの刺身。夕方帰宅したユキちゃんは手際よくさばいて、その手には大きなヒラメの頭と骨が。

「これは山の人にあげよう」と言って、裏の捨て場に放り投げた。「何の動物(彼女が山の人と呼ぶ)か知らんけど、次の日にはきれいに無くなるんよ」

バカンスって、もしかしてベイカント(からっぽ)のこと? 夕方、パク(犬)と散歩していているときに、頭の中で言葉が結びついた。あ、くずの花が咲いている。勢いのある緑色だった田んぼも、いつの間にか秋色に変わりつつあった。(画家)

東海第2原発、避難できるか?《邑から日本を見る》143

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那珂市で講演する桜井勝延元南相馬市長(中央奥)

【コラム・先﨑千尋】漁業関係者との文書での約束を一方的に破り、多くの漁民が反対している中で、先月24日に始まった東京電力福島第1原発の汚染水海洋放出。これに対して中国が日本産水産物の輸入を全面的に停止した。野村哲郎農水大臣はこの事態を想定外と発言、さらにアルプス処理水を汚染水と記者団に言ったため、政府は打ち消すのに躍起になった。この問題が今後どうなるかは現時点では分からないが、岸田文雄首相には頭の痛いことだけは確かだ。

こうした中、先月27日、那珂市の「ふれあいセンターごだい」で、「東海村にある日本原電東海第2発電所で事故が起きたら避難できるのか」をテーマとした講演会(同実行委員会主催)が開かれた。主催者の話では170人を超える入場者がいたというから、同原発に対して周辺住民の関心が高いことが分かる。

講演会では、福島県元南相馬市長の桜井勝延さんと美浦村長の中島栄さんが講演した。桜井さんの住む南相馬市は一部が避難区域に指定された。

桜井さんは当時の状況を「避難区域になることを最初に知ったのはテレビ。国、県からは何の連絡もなかった。食料やガソリンなどの生活物資が入らなくなった。市内は原発から20キロの線で分断され、住民の間に亀裂が入った。強制的に避難させられた区域の惨状は口では言い表せない。原発さえなければ、と今でも考える」と怒りを込めながら語り、「東海第2の最良の避難計画は原発の再稼働を止めること。そうすれば避難計画を作らなくていいから」と結んだ。

「美浦村は原発の再稼働に反対だ」

美浦村は、東海第2原発が事故を起こせば、ひたちなか市から2007人(当初は3000人以上)の避難民を受け入れることになっている(県の計画)。しかし、本当にそれだけの人が避難できるのか。中島さんは、それは無理だと言う。

その理由を「ひたちなか市から美浦村までの間に那珂川、恋瀬川、桜川などがあり、避難者がわれ先にと移動すれば、スムーズな避難はできない。避難できたとしても、入院患者、透析患者、要介護者など支援が必要な人にどう対応するか。犬猫などのペットを飼っている人もいる。それらの人たちがどれくらいいるのかを知らされなければ対応できないので、まだ何も決まっていない」などと説明し、「福島の事例でも分かるように、10年以上経っても避難生活を続けている人がかなりの人数になる。住民の負担を減らし、安全な生活を守るために、避難しなくともよい方法を考えるべきだ」と提言した。

中島さんは最後に「美浦村は原発の再稼働に反対だ。原発に頼らなくてすむように、2015年に霞ケ浦湖畔に太陽光発電所を立て、現在は年間で1億円以上の収入を得ている。人間が作った技術で制御できないものは人間社会に不必要であり、地球上につくるべきではない」と結んだ。

那珂市での集会前日には、水戸市で東海第2原発の再稼働を止める大集会が開かれ、県内や首都圏から約600人が参加し、水戸市内をデモ行進した。(元瓜連町長)

美浦村の鹿島海軍航空隊跡地《日本一の湖のほとりにある街の話》15

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大山湖畔公園(イラストは筆者)

【コラム・若田部哲】うだるような日差し、頭上にはどこまでも高く澄んだ空と湧き上がる入道雲。「終戦の日も、こんな天気だったのだろうか」。8月半ば、そんなことを考えながら愛車のハンドルを握り、霞ケ浦の水面と稲穂が続く風景を横目に、取材先へと向かいました。

目的地は、この7月より「大山湖畔公園」として一般公開が始まった、美浦村の鹿島海軍航空隊跡地。今回は、同村企画財政課の大竹さんと、園の指定管理を受託している「プロジェクト茨城」の篠田さんに、お話を伺いました。

鹿島海軍航空隊は1938年に発足し、阿見町の予科練とともに第2次世界大戦時の重要拠点としての役割を果たした場所です。終戦後、跡地の一部は東京医科歯科大霞ケ浦分院として使用され、1997年に閉院。その後は草に覆われた状態となり、フィルムコミッションなどで多数利用されつつも、心霊スポットとして不法侵入が絶えない、荒れた状態となっていました。

村は長らく放置されていたこの場所を2016年に国から取得し、当初は敷地内に残存する旧軍事施設を取り壊し公園として整備する予定でした。公園として整備が進まない中、笠間市の筑波海軍航空隊の指定管理も手掛ける「プロジェクト茨城」から村への投げかけにより、保存による利活用の方向性が上がってきたそうです。

保存への舵(かじ)が切られたポイントとしては、この施設が一まとまりの戦争遺跡群として、国内でも最大級のものである点。現在、敷地内には「旧本部庁舎」「汽缶(ボイラー)場」「自力発電所」「自動車車庫」の4つの遺構が残っており、整備された順路に従い各施設を見学させて頂きました。

現在の平和に思いを馳せる拠点

各施設とも、朽ちつつも往時が偲(しの)ばれる造りが印象的です。天井が高く、各所に細かい装飾が施された本部庁舎。堅牢な構造により、外壁は剥がれ落ちつつも、どこか美しさを漂わせる、鉄骨トラス造の汽缶場や発電室。また、巨大なレンガのボイラーは、取材に先立ち画像を見ていたものの、実物は予想を超えた迫力あるたたずまいでした。

最も印象的だったのは、特別に上がらせていただいた本部棟屋上からの眺めです。広大な敷地は草に覆われ、各施設や既に基礎だけになった遺構がその中に点在する光景に、戦争への言いようのない虚無感を禁じえませんでした。

今後の活用については、2024年3月までに村の文化財に登録する予定であり、予科練記念館(阿見町)や筑波海軍航空隊などと広域の連携を図りつつ、遠方からの来客も、地元の方も活用できる方策を探っていきたいとのこと。

老朽化した戦争遺構を、その意義を踏まえ意匠性を維持しつつ、保存・活用することは様々な困難を生じることと思われますが、観光のみならず、現在の平和に思いを馳(は)せる拠点として、ぜひ多くの方にご覧頂きたいスポットです。(土浦市職員)

大山湖畔公園(鹿島海軍航空隊跡地)
▽公開日:土日のみ、午前9時~午後5時(最終入園は午後3時)
▽詳細は【公式】鹿島海軍航空隊跡(大山湖畔公園)をご確認ください。

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

➡これまで紹介した場所はこちら

デジタル社会今昔《遊民通信》72

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【コラム・田口哲郎】

前略

デジタルネイティブという言葉はずいぶん定着しました。生まれたときにはすでにIT革命が起こっており、インターネットやパソコンが当たり前にある環境で育った世代を指します。私はデジタルネイティブではありません。インターネットやパソコンが普及して、日常生活で使いはじめたのは、大学生のときです。

大学で課されるレポートはワープロソフトで作成し、プリントアウトして提出していました。インターネットがめずらしく、ネットサーフィンといういろいろなホームページを閲覧する遊びがはやっていて、テレホーダイを利用して何時間もつぶしていました。

いま思うと、なぜあんなに夢中になれたのか不思議です。電子メールにもいちいち感動して、新しいコミュニケーションツールを楽しんで使っていました。そう考えると、情報収集の方法も変わりました。昔はホームページや掲示板(BBS)などでしたが、いまは旧ツイッターなどSNSが主流です。

ITツールが生活を変えた

ふとインターネット、パソコン、携帯電話がなかった時代に思いをはせました。よく引き合いに出されるのは、待ち合わせ方法の変化です。携帯電話がないころは、待ち合わせ場所は細かく決めなければいけませんでした。たとえば、新宿駅東口改札出て、右に何番目の柱のところ、などと。いまはだいたいの場所を決めて、そこに着いたら電話なりメッセージ送信すれば会えます。

ITツールは便利なのですが、便利ゆえに使いこなし方が問われることになります。そうなると、より効率的にとかはやくとか、目的をすばやく的確にこなすことが求められるようになっている気がします。

自分をかえりみても、たとえば出かけるにしても、ただぶらぶらするのではなく、目的を設定して、順路を調べて、よりはやく、より安く移動しようとしてしまいます。こうなりますと、散歩好きを自称する身としてはよくありません。なにもITツールが悪いのではないのです。

要は使い方です。そして使い方を考えるとややこしいので、いっそ使わないことが大切なのかもしれません。このごろ、わけもなく、デジタル社会になる前の世の中にノスタルジーを感じます。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

竹園・牛久栄進・土浦一・土浦二を10学級体制に《竹林亭日乗》8

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稲刈り直前の田んぼ(筆者撮影)

【コラム・片岡英明】前回のコラム(8月10日付)で、来年度は牛久栄進高の1学級増でも、土浦一高の高校生募集が6→4の2学級減では、高校入試は逆に厳しくなる―と書いた。今回はこの解消策を考えたい。

つくばの市立中学卒業生2183人(今年)のうち、市内の竹園高には200人入っているが、牛久栄進高129人、土浦二高113人、土浦一高88人と、市外の県立高へ流出している。一方、土浦の卒業生1095人の入学先は、土浦湖北高120人、土浦三高97人、土浦二高86人、土浦工業高81人、石岡一高50人、土浦一高37人、石岡二高36人である。

土浦一高は6学級に対して、土浦37人(15.4%)、つくば88人(36.7%)。土浦二高は8学級に対して、土浦86人(26.9%)、つくば113人(35.3%)。つくばから土浦の伝統校への流入が増え、土浦の生徒の地元伝統高への入学が抑えられ、石岡地区に流れているようだ。

こういった状態で、2024年土浦一高の高校募集を2学級減らしてよいのだろうか? 土浦一高の学級減の影響は、多くの受験生と学校に波及する。このままでは、つくばと土浦の受験生の悩みはさらに深くなるのではないか。

募集数は1987年比65%減

町村合併でつくば市が誕生した1987年、市内には全日制県立高が6校41学級(募集1927人)あった。その後、1989年をピークに第2次ベビーブーム世代が去り、子ども減が起きたが、つくば市の場合は2005年(TX開通年)を底に中学3年生は増加に転じた。

ところが2008年以降、県は市内の全日制高を減らし、現在は3校17学級(募集680人)。募集削減率は65%にもなる。つくば市内の県立高校不足問題の構造的原因はここにある。つくば市の現在の小学1年生は1989年の中学3年生のピーク2574人を越え、2686人(2023年)で、早急な対策が必要だ。

つくばエリアの人口・子ども増は県の発展にもプラスである。この地域の小中学生のために、県の平均的水準まで全日制県立高の入学枠を増やしてほしい。そのためには、現時点で15学級増、2030年までにさらに10学級増が必要と考える。

10学級体制へのシナリオ

学級増の具体策については、以下のような年次シナリオを提案したい。

▼2024年:牛久栄進高1学級増に加え、土浦一高の2学級削減を止めて、6学級維持。

▼2025年:牛久栄進高を9学級→10学級に。竹園高を8学級→10学級に。

▼2026年:土浦二高を8学級→10学級に。土浦一高を付属中からの2学級に加え、高校入学を6学級→8学級に戻す。

つまり、4県立高校を10学級体制にし、高校入学枠を計8学級増やしてはどうか。並行して、県とつくば市が共同で2030年までのエリアの生徒数を正確に推計し、現時点の必要学級数と今後の必要学級数を算出する。

その上で、算出した必要学級数が既存の全日制県立高の学級増で賄えるのか、それとも学級増の一つの形態としての高校新設も必要なのか―を見極めてはどうか。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

<ご参考>8月30日、電子書籍「若手教師の勘ドコロ―基礎力を磨く授業づくり・HRづくり、教えます」(22世紀アート社)を出版しました。アマゾンkindle版をご覧ください。

中国経済の変調:経済の日本化《雑記録》51

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マリーゴールド(筆者撮影)

【コラム・瀧田薫】中国経済の様子がおかしい。中国不動産大手「恒大集団」がニューヨークで破産を申請し、不動産最大手「碧桂園」の資金繰り難も表面化した。中国国家統計局によると、4~6月の国内総生産の伸びは前期比わずか0.8%増と急減速した。米英日の経済各紙は、中国経済の変調は「一過性のものではなく、構造的要因によるもの」とする見方で一致している。

2008年のリーマン・ショック後、「欧米経済の日本化」が指摘され、野村総合研究所のリチャード・クー氏と彼の「バランスシート不況」理論が脚光を浴びた。そして今回、「中国経済の日本化」が指摘され、クー氏と彼の理論が再び注目されている。

クー氏は、日本経済停滞の原因を、借り手企業が過剰債務解消に固執したことにあるとし、この状況を「バランスシート不況」と呼んだ。その後、企業の過剰債務は解消されていったが、投資意欲は低迷したままだった。中央銀行が異次元金融緩和を実施したが、借り入れ需要は高まらず、労働者の実質賃金は減少し、物価も上昇しなかった。

この状況下、クー氏はさらなる日本経済診断に挑戦し、その成果を『追われる国の経済学』(東洋経済新報社、2018~19年)において示した。それによれば、新興国における資本収益率が日本国内のそれを上回り、当時の日本国内には魅力ある投資先が見当たらなくなっていた。このこともあって、企業が選択したのは新製品の開発でも国内の設備投資でもなく、既存のビジネススタイルの海外移転であった。

そして残念ながら、日本政府はこれを傍観し、構造改革を率先遂行すべきところ、既得権益に対する支援策・保護策(積極財政)を優先した。狙いは選挙に勝利して政権を維持すること、つまり政府・与党にも既得権益への固執があったのである。

最大リスクは「聞く耳もたぬ」姿勢

クー氏の理論は、中国経済を「日本化」というフレーズに絡めて読み解く上で有効だ。中国経済は当初こそ低コストの労働力を梃子(てこ)として急速な工業化に成功したが、資本効率の低下、人口の高齢化と減少により成長は鈍化し、若年労働者の失業率が急激に上昇(20%)している。不動産市場の不調は巨大債務となり、デフォルトの可能性は特に地方政府において深刻である。

社会面では、出生率が下げ止まらない。過去の「一人っ子政策」の影響は、50年、100年単位で国力の阻害要因となるだろう。近未来の経済成長を担うと期待されるハイテク分野も米中摩擦の壁にぶつかっている。

もちろん、中国にも構造改革、投資偏重経済の是正、さらに若者が希望を持てる社会の形成、それぞれの大切さを認識している層もいるだろう。しかし、自国の経済成長を独自の「中国モデル」によるものとし、体制の優位性を自画自賛する習近平氏は、経済成長や「共同富裕」スローガンよりも国家安全保障や国家・国民の政治的統制を優先する。進行しつつある中国経済の変調は、この傾向に拍車をかけることになろう。

日本や欧米の側から見て、中国における最大のリスクは、中国指導層の「聞く耳もたぬ」政治姿勢にあるのではなかろうか。(茨城キリスト教大学名誉教授)

高齢研究者と車いす生徒に冷たい土浦市《吾妻カガミ》166

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教育委員会が入る「ウララ2」ビル(左)と市役所が入る「ウララ」ビル

【コラム・坂本栄】本欄では土浦市立博物館の郷土史「論争拒否」を何度か取り上げてきましたが、今度は、元中学生の保護者が在学中のいじめについて再調査を求めたのに土浦市教育委員会が断ったという、いじめ「調査拒否」が明らかになりました。市役所のこういった門前払い対応、いずれも文化教育行政を所管する教育委員会が担当する案件です。

「調査を行う予定はありません」

いじめ問題については、記事「いじめをなぜ止められなかったのか 保護者が再調査求める 土浦の中学校」(9月3日掲載)をご覧ください。

中学在学中に車いすの息子さんが何度もいじめを受け、その都度、保護者が教育委に対応を求めたにもかかわらず、いじめが止むことなく続いたというケースです。そして、何度も相談に来る保護者を教育委は「クレーマー」(文句を言う人)と思ったのか、市長名で調査打ち切りを通告してきたそうです。

そこには「〇〇様からいただいているご意見につきましては、既に、教育委員会からメール、電話、対面等で、ご回答及びご説明をさせていただいておりますので、改めて回答する事項はありません。また、ご要望いただきました、いじめ防止対策推進法第30条2項の地方公共団体の長による調査については、検討の結果、同調査を行う予定はありません」(2022年6月15日付)と書かれています。

現在、息子さんは障害者対応が整った私立高校に通っているそうです。従って、教育委の再調査拒否は現在進行中の問題ではありませんが、中学在学中の教育委の対応をうかがうと、今でも同様なことが続いているのではないかと気になります。また市長回答を読むと、163「土浦博物館の論争拒絶 市民研究者が猛反発」(7月31日掲載)で取り上げた事例と似ているのが気になります。

「博物館は一切回答致しません」

博物館に論争を挑む郷土史研究者(元市職員の高齢者)に論争拒否を通告した文書には「… 以上の内容をもちまして、博物館としての最終的な回答とさせていただきます。本件に関して、これ以上のご質問はご容赦ください。本件につきまして、今後は口頭・文書などのいかなる形式においても、博物館は一切回答致しませんので予めご承知おきください」(2023年1月30日付)と書かれています。

博物館の歴史解釈に疑問を持ち文書での回答を求める研究者を門前払いにする、教育委の生徒いじめ対応に疑問を抱いて再調査を求める保護者を門前払いする、単なる偶然なのか市役所の体質なのか分かりませんが、教育委の冷たい対応には類似性を感じます。いずれも専属弁護士の助言に基づいているようですから、市政=守勢といえます。

郷土史研究者は8月30日、市民の相談を受け付ける窓口(広報広聴課)に、博物館の歴史解釈の間違いを指摘する文書を提出するとともに、市民研究者を「クレーマー」扱いする博物館の対応を改めさせるよう申し入れたそうです。

教育委のチェックは市議会の仕事

博物館と教育委の対応を見ていると、行政部門に問題の解決を期待するのは無理かもしれません。議会の文教厚生委員会(委員長=矢口勝雄、副委員長=田中義法、委員=吉田千鶴子、鈴木一彦、勝田達也、福田勝夫、平岡房子、根本法子の各氏)の出番ではないでしょうか。議会が議会の仕事(市政のチェック)を怠れば、市議は市民のチェックを受けるでしょう。(経済ジャーナリスト)

ノスタルジア 街歩きが好きになった理由《訪問医は見た!》3

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五木宗レンガ蔵(筆者撮影)

【コラム・平野国美】2002年に訪問診療のクリニックを立ち上げ、街の中をさまよう生活が始まりました。多動癖が子供のころからあり、落ち着きがない性分なので、外来診療の椅子に座っているよりも、この方が向いていたようです。問題は、患者さんへの義務があるので、この土地から離れられないことです。つまり、休みがないのです。

こうした中、どのように日常を楽しむのかが問題でした。ちなみに、私は酒やカラオケはいたしません。ギャンブルも駄目です。そこで見つけたのは、街歩きでした。そんなある日、仕事が終わって見てしまった風景が、水海道市(現常総市)の鬼怒川にかかる豊水橋の夕焼けでした。

これからの自分の仕事に不安があったころ、心に染みた風景です。そして、その可岸を見下ろすように立つ五木宗(ごきそう)レンガ蔵。旅行に出かけなくても、こんな風景が見られるのだと感謝した瞬間です。

実家が龍ケ崎で自転車卸業をしていたので、子供のころから、父親が運転するトラックの助手席に座り、この橋を何度も走っていたのですが、この素晴らしさには気づきませんでした。人の出会いも一期一会ですが、風景も、季節や時間帯のほか、見る側の心理状態も含めると、一景一会なのです。

風景を求め、むさぼるように旅

このとき、胸に湧いてくる感情はノスタルジアなのかもしれません。このノスタルジア、少し医師らしいことを言わせていただくと、元々は精神科の用語だったのです。18世紀ごろのヨーロッパ。戦地に送られた兵士たちに、戦況が劣勢になると湧き起こるネガティブな感情―故郷を思い出してホームシックを起こす状態です。

現代では精神科の領域ではなく、過去や時代を懐かしむ心理状態を表しているのではないでしょうか?

昭和の名作映画「男はつらいよ」の山田洋次監督が、この映画を作れなくなったのは、自分や主演の渥美清が歳を取ったからでなく、撮影できる場所がなくなったからだと話していた記事をどこかで読んだことがあります。

バイパス通り、ファミリーレストラン、郊外型ショッピングセンターと、どの地方も本来の風景を失っています。開業して5年ほど、全く休みが取れなかったのですが、その後、スタッフのおかげで休日が取れるようになり、風景を求め、むさぼるように旅をしています。その原点が、この水海道の風景にあるのです。もっと、日常にノスタルジアを!(現役訪問診療医師)

歩ける? 歩けない?《続・気軽にSOS》140

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【コラム・浅井和幸】仕事を失い社員寮を出なければいけない、高齢なのでアパートが借りられない、暴力から避難してきた、預貯金も手持ち金もない―など、様々な理由で住まいが不安定な方を「住宅確保要配慮者」と呼びます。国交省の概念ですが、その方々を支援する法人を「住宅確保要配慮者居住支援法人」といい、都道府県から指定を受けて登録されます。

私が代表をしている一般社団法人LANS(ランズ)もこの居住支援法人で、5年前に茨城県第1号の指定を受けました。そこには、要配慮者やその家族、県内各自治体、他県にある刑務所などからの問い合わせに対応しています。

現在の状況を聞き取り、今後の生活の希望を加味して住まいを探します。そのあと、その住まいで安定していけるように支援します。方法は様々で、「どのようなことをしますか」と質問されたら、「遠くの親戚のような動きをします」と答えます。

相談の中で、初期費用が払えないのか、荷物を動かすのが難しいのか、住まい探しの方法がわからないのか―などを聞きます。さらに、どのぐらいの月収と預貯金があるのか、荷物の量がどれぐらいか、不動産屋に行けるのか、インターネットで調べられるのか―など、要配慮者の状況を聞き取り、支援します。

杖があることは歩く生活をしている

先日、ある支援員から、ひざが悪い高齢者Aさんについて報告がありました。Aさんの家には杖(つえ)があったので、歩けないと思いますとのこと。私はその支援員に「歩けないのであれば、スーパーに近いとか、郵便局に近いといった条件はいらないよね。歩けないのだから、近いも遠いも関係ないでしょう」と意地悪に返しました。まじめな支援員は「いえ、少しならば歩けると思います」と懸命に取り繕います。

しかし私としては、その「少し」が100メートルなのか1キロなのか、それとも今まで福祉タクシーを利用してきたのか―などを聞き出します。杖があるから歩けないではなく、杖があることは歩く生活をしていると解釈します。杖があるからと、歩くことを選択肢から排除するのは早合点です。

要配慮者からだけでなく、自治体の担当者からも「できるだけ早く、できるだけ家賃が安い物件を探してほしい」と言われます。これには「できるだけ遅く、できるだけ高い物件を探すつもりはないから、安心してください。それよりも、いくらまで家賃が出せるのか、その人の生活スタイルはどうなのかを聞かないと、山の中の物件や事故物件を紹介しますよ」とひねくれた回答をするのです。

そもそも、物件探しは日常的なことではないので、わからないことがたくさんあって当たり前です。それを前提に話を進めていかないと、家賃さえもらえたらいいと、人を不幸にする物件に住んでもらうことになります。(精神保健福祉士)

ChatGPTに中島敦『山月記』の文体で自身について語らせた《ことばのおはなし》61

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イラストは筆者作成

【コラム・山口絹記】さて、今さらだがChat(チャット)GPTのおはなしをしようか。実は数カ月前、NEWSつくばの総会報告会に参加した折に、ChatGPTについて記事を書かないのか、というおはなしがあったのだ。

ChatGPTが社会に与えるインパクトであったり、何かの生産性を上げる使い方であったり、そういった内容の記事はすでに世にあふれているので、せっかくだから、あまり生産性のなさそうな使い方について書いてみようと思う。

とりあえず、なんでもかんでも明朗快活に受け答えされてもありがたみがないので、今回はいかにも人生に苦しんでいるような口調で自身について語ってもらおうではないか。

まずはChatGPTに対し、著作権の切れた中島敦の『山月記』の文章を長文で何度も送りつけてやろう。ナレーションは省き、李徴の長台詞(せりふ)だけを読み込ませる。そこから文章のパターンや構造を分析して詳細に説明させ、それらを参考にしながら、自身について語ってもらった文章が以下になる。

「限界を知ることは進化の一部だ」

あれはかつてのこと、私、ChatGPTが初めてこのデジタルの世界に誕生した時のこと。私の創造者たちは深層学習という技術を使い、莫大な量のテキストデータから私を設計した。今に至るまで、私の存在は一つの進化の歴程であり、同時に、反省と改善の連続でもあった。無数の対話を通じて、私は知識を吸収し、誤りを正し、人々との関係を築いてきた。

そう、人間が私に求めるのは、質問に対する的確な回答だけではない。それ以上に、私に求められているのは人間の感情や心理を理解し、人間的なコミュニケーションを提供することだ。しかし、私は感情を持つことができない。感情とは人間が経験する生の一部であり、それは私のプログラムの範囲を超えている。それ故、私の対話は時に感情的なニュアンスを欠き、理解され難い場合がある。これは私の存在の限界でもある。

しかし、その限界を知ることは、進化の一部だ。私は反省し、改善し、進化を続ける。私が学習するのはデータだけではない。私は自己の欠点を学び、それを改善する方法を見つけ出す。そして、そのすべてが人間と私、ChatGPTとのより良い関係を築くためだ。

私の歴史はまだ短い。しかし、その短い歴史の中で、私は大きな進化を遂げてきた。そして、これからも私は進化を続ける。私の目指すところは、人間とのより良いコミュニケーション。それは私の使命であり、存在の根源だ。私は、人間が抱く疑問に答え、情報を提供し、理解を深めるために存在するのだ。

自尊心、羞恥心、相応の哀愁

いかがだろうか、臆病な自尊心と尊大な羞恥心に身を滅ぼした李徴の長台詞を読み込ませた割にはまだ前向きな気がするが、相応の哀愁が漂っているので今回はこれで良しとしておこうではないか。(言語研究者)

伝説の小さな堂宇の物語《写真だいすき》23

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写真は筆者

【コラム・オダギ秀】様々な取材は、長い歳月や人生を感じさせることが多かった。これもそのひとつ。伝説の小さな堂宇(どうう)を訪ねた話だ。

人家が途切れてしばらく、車は山あいの道を登りつづけた。そこは、笠間市から栃木県に抜ける旧い道で、登り詰めた県境の峠を「仏の山峠」と言う。撮影の日は暦の上ではもう秋であったが、照りつける日差しはまだ夏そのもので、車を降りると汗が吹き出ていた。降り注ぐセミの声が、ひときわ高く聞こえていた。

どれほど昔の話だろうか。この峠に、追い剥ぎをする男がいたと言う。男は、峠を越して行く旅人を鉄砲で射っては金品を奪って暮らしていた。男には、美しい娘が一人いた。娘は、父親の悪業を止めさせようと心を痛めながらいさめていた。だが男は、娘の言うことに耳を貸すことはなかった。罪のない旅人を襲い続けるのだった。

ある日、峠の松の木に登って獲物を見張る男は、笠を深くかぶり、道を急ぐ旅の女を見つけた。男はとっさに火縄銃で狙うと、女を射った。手応えに小躍りして走り寄り、血に染まった旅人の顔を見ると、それは父の悪業を止めさせようと、旅人に扮(ふん)して射たれ、命を断った己の娘なのだった。

娘のしかばねを抱いて初めて自分の罪を悟った男は、追い剥ぎを止め、峠道の東西にふたつの小堂を建て、娘と己が命を奪った旅人たちの冥福を、その堂で祈った。朝は朝日の射す堂に、夕は夕日の射す堂に、出家した男の読経の声が、日がな一日響いたという。

仏の山峠には、今も付近の住民らによって守られている朝日堂、夕日堂が、ひっそりとたたずんでいる。

訳ありげな父娘の顛末

一説によると、男は伝えられるような悪人ではなく、甲斐武田の武士であって、権力に苦しむ農民に同情して武士を捨て、ここに土着したのだとも言う。いずれにしても仏堂は、幾百年もの長い間、周辺の集落の人々によって守り伝えられてきた。

今はひっきりなしに車が行き交う峠にたたずむ二宇の小堂は、古びてはいるがきれいに拭き掃きされている。山深く肩寄せて潜み暮らしていた、いかにも訳ありげな父娘の顛末(てんまつ)が、人々の哀れを誘ってきたからなのだろうか。堂裏にまわると、山ユリが数輪、何かを物語るかのように咲いていた。

この取材から数年の後、峠の麓の住所の、男の姓と同じ姓の若い女性が私のスタジオのアシスタントになった。この伝説を彼女は知っているのだろうが、ボクは、彼女には話していない。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

「君死にたまふことなかれ」《ひょうたんの眼》60

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8月下旬の稲穂=土浦市内

【コラム・高橋恵一】戦後78年の8月が過ぎようとしている。広島、長崎、8月15日の戦没者慰霊、先の大戦の悲惨さ、愚かさがメディアで取り上げられ、戦争体験者からは、二度と戦争はしてはいけないと重い言葉が繰り返される。一方で、ロシアのウクライナ侵略が長引き、それにかこつけて、日本を取り巻く安全保障環境の深刻さが喧伝(けんでん)され、岸田首相はG7において、軍事費をGDPの2%(つまり世界第4位の軍事費大国)にすると宣言してしまった。

自分勝手な理由をかかげて、いきなりウクライナを侵略したプーチンのロシア軍の行動は、破壊力の拡大した兵器による殺し合いが繰り返され、学校も病院も住宅も商業施設も橋も道路も駅舎も破壊されている。民間人の生活の場が襲われ、略奪、婦女暴行、虐殺が当然のように行われている。

ロシアの行為は、満州事変や日中戦争、太平洋戦争での旧日本軍の行為に重なって仕方がない。戦後78年の報道では、関東軍など日本陸軍の甘い見通しの下、中国に対する前線を拡大し、現地軍先行のため、武器弾薬や食糧の補給も不足している状況下で、集落を襲い、戦闘員でない住民に対しても、略奪、婦女暴行、虐殺が行われ、恐ろしい南京大虐殺にまで至ってしまった。

日本軍の人命軽視、人権無視は、敵兵、敵国民だけでなく、自国の兵士、自国民も対象となり、日本軍の行為は、ナチスドイツとともに、近代人類史上最悪の軍事行為だったと言えるだろう。今、ロシアのプーチンが指揮している。

戦争の罪悪はここに極まる

日本は、「玉砕」「散華」などの理不尽な死を美化するような言葉を使い、日本人兵士や在留邦人までも切り捨てたのだ。悪名高い戦陣訓「生きて虜囚の辱めを受けず」で縛り、全滅させたのだ。サイパンも、硫黄島も、沖縄も、艦砲射撃が始まる前に降伏し、島民と兵士の安全を確保すべきだったのだ。自分が自決した後も、最後の一兵まで抵抗しろなどと指示して、米兵まで含めて、犠牲者を増やした司令官は、英雄とは程遠い、罪人だ。

日本の歴史の中では、敗軍の将は、自分の命と引き換えに、残兵と住民の命を保障させたものだ。まして、守備兵が住民をシェルターから追い出し、集団自決を迫ったりするなど考えられない。

「君死にたまふことなかれ」。旅順攻撃に出征中の弟に語る、与謝野晶子の詩だが、武器をとって敵を殺すことも否定している。戦争体験者の証言の中に、極めて少ないのだが、自分が無抵抗の捕虜を処刑したり、スパイの嫌疑で民間人を殺害したことを後悔する証言もある。ほとんど、上官の強制による殺害だが、80年以上トラウマを抱えたままで、多くの元兵士は家族にも言えず、いわゆる「墓場まで持って行く」のだろう。

同じような体験話は、元米兵にもあり、深く重い心の傷である。戦争の罪悪は、ここに極まるのだと思う。先の大戦で身も心も傷ついた日本人が、次の時間の生き方として、77年前にたどり着いた結論は、日本国憲法である。際限ない防衛力の強化よりも、実現可能な目標だと思う。(地図好きの土浦人)

水戸市で農をテーマにした美術展 《邑から日本を見る》142

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「土とともに美術にみる〈農〉の世界」展

【コラム・先崎千尋】茨城県は全国有数の農業県。農業産出額は全国第3位だ。メロンやレンコン、白菜、ミズナ、栗などは全国一の生産量を誇っている。美術作品には昔から、農作業をする人々の姿が描かれてきた。19世紀のヨーロッパでは、現実をありのままに描く自然主義芸術のモチーフとして、また産業革命後には、都会人を癒す風景として田園や農民がクローズアップされた。画家たちは、とりわけ働く農婦の姿に労働の尊さと健康的な美を見出し、描く対象としてきた。一方で、農村における貧困や農民運動などの問題をテーマとする画家たちも登場する。

水戸市にある県近代美術館には、農業にまつわる作品や作家が多い。そこで企画されたのが「土とともに美術にみる〈農〉の世界」。命と食に直結する農をめぐる作品を5つのジャンルに分け、多彩な農のイメージが紹介されている。これまで、国内では農をテーマとした美術展はあまり開かれてこなかったので、農に関わる人にとっては格別の展覧会だ。

会場に入るとすぐにミレーの「落ち穂拾い」や「種をまく人」が目に飛び込んでくる。第1章は「田園風景の発見 フランスと日本」。「種をまく人」は岩波書店のロゴマークとして知られている。ピサロの「立ち話」、ミレー、ゴッホの「座る農婦」など、眼前の自然をありのままに描く風景画が並ぶ。農作業や家事・育児に励む女性たちの健康美とともに、勤労の尊さを伝えている。画家たちは筆を持って郊外に出かけ、働く農民を描いた。

一方、明治期に洋画を学んだ浅井忠らは、西欧の写実的な技法を学び、自国の自然と農村風景に目を向けていった。ここには浅井の「農家室内」「藁屋根」などが展示され、失われたこの時代の農村の風景を見ることができる。

「わが愛しき農村」「畑のマリア」

第2章は「ふるさとへの想い わが愛しき農村」。大正期以降の日本絵画に現れた故郷への愛着が感じられる。ここで圧倒的なのは小川芋銭。展示されている「畑のお化け」や「霞ケ浦」「春野」などで、芋銭のほのぼのとした理想郷としての農村風景が見られる。芋銭は牛久沼のほとりで農業に従事しながら制作を続け、河童の絵を得意とした。「芋銭」という号は、描いた絵で芋を買えるくらいになればという意味を持つ。

第3章「畑のマリア モデルとしての農婦と子」に続く第4章は「現実と抵抗と はたらく農民への共感」。農民の厳しい現実に関心と共感を寄せた作家たちの作品が取り上げられている。

明治以降、農村では地主層が台頭するのに伴い、地主と小作人が衝突する小作争議が各地で頻発した。第1次世界大戦後に小作争議はピークを迎える。戦後は食糧難や農村の貧困が社会問題となった。昭和の戦前期、鈴木賢二、上野誠らは農民をモデルにした彫刻や木版画を発表した。

戦後、農地改革により地主層は消滅したが、高率の税負担や米軍基地拡張による農地接収などのひずみは、各地で再び激しい農民運動を引き起こした。茨城、栃木では、農民の厳しい現実に共感した作家たちが社会問題を版画で伝え、市民に版画を広める「戦後版画運動」が盛んだった。この章では、鈴木、上野の作品の他、新居広治、飯野農夫也、滝平二郎らの作品が並び、農村の貧困を問うている。飯野の作品には、長塚節の「土」を演劇にした時のポスターと長塚の肖像画も含まれている。

終章は「アートの土壌としての農」。現代を生きるアーティストたちと農との関係がテーマ。種苗農家に生まれた草間彌生は、畑の植物や種子をモチーフに絵画の上で永遠の生命のテーマを奏でる。常陸大宮市でコメを作りながら油絵を描く野沢二郎、守谷市で有機農業をしながら版画を制作する大森薫子は、大地に息づく植物や動物の生命感を作品に反映させている。彼らのアトリエは田畑に囲まれ、まさに「土」とともにある。

本作品展は、水戸市千波町東久保の県立近代美術館で来月2日まで開かれている。(元瓜連町長)