【コラム・平野国美】2002年に訪問診療のクリニックを立ち上げ、街の中をさまよう生活が始まりました。多動癖が子供のころからあり、落ち着きがない性分なので、外来診療の椅子に座っているよりも、この方が向いていたようです。問題は、患者さんへの義務があるので、この土地から離れられないことです。つまり、休みがないのです。

こうした中、どのように日常を楽しむのかが問題でした。ちなみに、私は酒やカラオケはいたしません。ギャンブルも駄目です。そこで見つけたのは、街歩きでした。そんなある日、仕事が終わって見てしまった風景が、水海道市(現常総市)の鬼怒川にかかる豊水橋の夕焼けでした。

これからの自分の仕事に不安があったころ、心に染みた風景です。そして、その可岸を見下ろすように立つ五木宗(ごきそう)レンガ蔵。旅行に出かけなくても、こんな風景が見られるのだと感謝した瞬間です。

実家が龍ケ崎で自転車卸業をしていたので、子供のころから、父親が運転するトラックの助手席に座り、この橋を何度も走っていたのですが、この素晴らしさには気づきませんでした。人の出会いも一期一会ですが、風景も、季節や時間帯のほか、見る側の心理状態も含めると、一景一会なのです。

風景を求め、むさぼるように旅

このとき、胸に湧いてくる感情はノスタルジアなのかもしれません。このノスタルジア、少し医師らしいことを言わせていただくと、元々は精神科の用語だったのです。18世紀ごろのヨーロッパ。戦地に送られた兵士たちに、戦況が劣勢になると湧き起こるネガティブな感情―故郷を思い出してホームシックを起こす状態です。

現代では精神科の領域ではなく、過去や時代を懐かしむ心理状態を表しているのではないでしょうか?

昭和の名作映画「男はつらいよ」の山田洋次監督が、この映画を作れなくなったのは、自分や主演の渥美清が歳を取ったからでなく、撮影できる場所がなくなったからだと話していた記事をどこかで読んだことがあります。

バイパス通り、ファミリーレストラン、郊外型ショッピングセンターと、どの地方も本来の風景を失っています。開業して5年ほど、全く休みが取れなかったのですが、その後、スタッフのおかげで休日が取れるようになり、風景を求め、むさぼるように旅をしています。その原点が、この水海道の風景にあるのです。もっと、日常にノスタルジアを!(現役訪問診療医師)