火曜日, 10月 6, 2026
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いじめをなぜ止められなかったのか 保護者が再調査求める 土浦の中学校

中学生だった2019年4月から22年3月までの3年間、土浦市内の公立中学校でいじめを受けていた男子生徒(現在は高校2年)の保護者が、市に対し、いじめ防止対策推進法や市いじめ防止基本方針に基づく再調査を求めている。

保護者は昨年5月に要望を出し、市長は同6月「再調査を行う予定はない」などと回答した。保護者はさらに市教育委員会の担当者から同7月「(22年)7月に弁護士と教育委員会の間で、男子生徒に関する問題はすべて終結し、今後、保護者とは対応しないとの確認があった」などと言われ、対応してもらえない状況だという。

障害を揶揄

男子生徒は身体に障害があり、学校では補装具を付けて歩いたり、車いすで移動している。排せつの感覚がないため4時間ごとにトイレに行き、自分で排せつを行う必要がある。5時間以上トイレに行かないと体に悪影響が出る。

保護者によると、小学校の時からいじめがあり、中学入学直後、同じ小学校出身の同級生からいじめが始まり、広まった。「死ね」と書かれた手紙を渡されたり、筆記用具が無くなったり、クラスのグループLINEに写真を掲載され悪口を書かれたりした。休み時間に個室のトイレに入っていた時、ドアを激しくたたかれたり蹴られたりしたことが繰り返しあった。怖くてトイレに行けなくなり、体調が悪くなって薬を服用したこともあった。

車いすを揶揄(やゆ)する悪口や陰口を言われたり、補装具を付けて歩く姿を真似され笑われた。中1の体育祭では「応援合戦に出るな。それがクラス全体の意見だ」と言われ、見学した。男子生徒はクラスに居場所がないと感じ、その後、中1の3学期が終わるまで特別支援学級や市の適応指導教室などで個別学習をするようになった。

学校は、男子生徒から相談を受けたり、保護者から連絡を受けるなどして、その都度いじめに対応。加害生徒も男子生徒に謝罪するなどした。学校はさらにいじめに関しクラスアンケートを取ったり、道徳の時間にいじめについて話し合ったり、加害生徒の家庭訪問を行うなどした。中1の2月に実施されたアンケートではクラスの生徒から延べ30件のいじめの報告があった。

学校と教育委員会はさらに、いじめ重大事態として中1の2月から、第三者を加えたいじめ対策委員会をつくり調査を開始、中2の21年3月までに調査報告書をまとめた。報告書の中で、学校が認定したいじめは9件で、加害生徒は14人になった。報告書にはいじめ防止対策や男子生徒への支援策などが記された。

対策中もいじめ止まず

一方、いじめ対策委員会の調査中もいじめは止まず、中2、中3になってからもいじめは続いた。男子生徒は中2の秋、所属していた部活動でビデオを撮影した際「足手まとい。(男子生徒を)入れずに撮影しよう」と言われ、休部し、別の部活動に移った。同じ時期、クラスの複数の生徒から、近くを通りかかった際、腕や背中、腰を殴られることが継続的にあった。男子生徒は脊椎が損傷しており手術を受けている。背中や腰を殴られれば麻痺(まひ)が広がる恐れもあった。

ところが中2の3月にまとめられた調査報告書には、中2で受けたいじめの調査報告が無かった。中3の3学期にも一部の生徒から廊下や階段で「ざこ」「かす」などと繰り返し言われた。県立高校入試の際は、自分をいじめている生徒が同じ高校を受験することが分かり、受験校を変更した。

中途半端な謝罪で幕引き

中2の1月、いじめ対策委員会が調査を終えることを知った男子生徒の保護者は、学校に対し「(加害生徒の)表面的、形式的な謝罪で幕引きを図っている。(学校は)事態を矮小化し、クラス全体に十分な指導を行わなかったために、いじめはその後も続くことになってしまった。(加害生徒の)中途半端な謝罪を認めることが適切であったか検証すべき」「(息子と)加害生徒との食い違いは解消されておらず、報告書に取り上げられてないいじめが多数あり、事実関係は明らかになっていない。いじめは続いており、学校・教育委員会の取り組みはいじめの再発防止につながっていない」などとして調査継続を求めたが聞き入れられなかった。

この問題は中2だった21年3月の教育委員会定例会に報告され、中3になった翌年度6月、補足訂正の報告が行われた。教育委員の1人から「(いじめが)続いているとしたらこれは相当大変な事案。この年齢になると周りの大概の子供は(障害を抱えている子供に対する)そうした良識を身に付ける。それこそ、いじめをやっている子供たちこそがカウンセリングが必要」などの意見が出た。

調査が不十分

いじめ防止法と市の基本方針は、十分な調査が尽くされてない場合、市長の再調査についても定めている。保護者は「トイレをたたいたり蹴ったりした事案は繰り返し行われ、男子生徒は『ごめんなさい、ごめんなさい』と泣き叫ぶほどだったのに、調査報告には『恐怖と不安を感じた』とだけ記すなど調査が不十分。中1の2月に実施したクラスアンケートでは延べ30件のいじめの報告があったのに、調査されたいじめは9件にとどまっている。中2のときに受けたいじめが調査報告から抜けている。中2の秋に、数人の生徒に背中や腰、腕を殴られた事案は(障害がある男子生徒にとって)まひが広がる恐れがある重大事態だったにもかかわらず調査報告書に記載がない」など、調査が不十分だと指摘する。

話し合い再開してほしい

男子生徒の父親(49)は「教育委員会も学校も『相手にしない』という姿勢で話を受け付けない。教育委員会担当者とは中3の2月以降、学校とは卒業後の4月以降、話ができていない。重大事態調査終結後も、学校、保護者、教育委員会の3者が連携して子供を守る約束だった。なぜ一方的に約束を反故にしたのか。話し合いを再開してほしい」と話す。

市教育委員会指導課は、男子生徒に対するいじめや、いじめ防止の対応などに関するNEWSつくばの取材に対し「関係する生徒等の個人情報やプライバシーに関わることであり、回答を差し控えさせていただく」とし、「本いじめ問題の解決に向けては、本人や関係生徒、関係する保護者等に対して、調査、指導、回答、報告等を丁寧に行い、教育的な配慮に基づいて、粘り強く事実の確認や再発防止のための策を講じてきた」などとしている。(鈴木宏子)

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