【コラム・浅井和幸】何人かで集まって軽い相談が始まります。相談というほどではなく、軽い情報交換程度のもの。例えば、ボールペンをなくしてしまったので、どこで買えばよいかな?という投げかけがあったとします。その投げかけに、Aさんは「コンビニで売っているよ」と即答します。Bさんは「〇〇画材屋でたくさんの種類を売っているから、そこで選んで買いなよ」と、いろいろ考えた後に答えます。

でも私だと、いつ使うの?とか、何に使うの?と、もうちょっと条件を絞るための質問をしてしまいたくなる癖があって、AさんとBさんはある条件下では正解だけど、今その提案は早急すぎないかと、違和感を持ってしまうのです。

もちろん、ボールペン程度の簡単なおしゃべりであれば、事務所に試供品があるから適当に持っていけと答えてしまいますし、むしろ大まかな質問に対して具体的に答えるほうが一般的なのだと思います。

しかし、真剣に悩んでいる人に対しても、このような場面によくぶつかり、私の中に違和感が長年ありました。例えば、よい勉強法ない?に対して、何の勉強とか、目的が分からないまま回答。例えば、風邪とかうつ病の対処法で、実際にどのような症状があるかを聞く前に回答する。

これら的が絞られる前の疑問に対する、具体的な回答は「人生を成功させるたった3つの方法」「これだけやればだれでもダイエットができる」というような本のタイトルが好まれることでも、日常的なやり取りで好まれるのだろうなと理解します。

もう少し具体的な条件を増やす

これらは、質問と回答がピタリとはまれば最短の解決となるでしょう。しかし、条件が大ざっぱなままなので、無駄に試行錯誤、トライアンドエラーの行動を繰り返すことになりかねません。具体的にしようと、疑問に対して質問を重ねすぎるのは、単なるウザい、面倒な奴となりかねません。(浅井は、面倒な奴に他ならないのですが)

しかし、あまりにも回答がしっくりこないことが多い場合は、もう少し具体的な条件を増やすことが必要なのかもしれないと頭の片隅に入れておきましょう。所在地を「茨城県」→「茨城県つくば市」→「茨城県つくば市二の宮」と絞り込むように。(精神保健福祉士)