【コラム・オダギ秀】様々な取材は、長い歳月や人生を感じさせることが多かった。これもそのひとつ。伝説の小さな堂宇(どうう)を訪ねた話だ。

人家が途切れてしばらく、車は山あいの道を登りつづけた。そこは、笠間市から栃木県に抜ける旧い道で、登り詰めた県境の峠を「仏の山峠」と言う。撮影の日は暦の上ではもう秋であったが、照りつける日差しはまだ夏そのもので、車を降りると汗が吹き出ていた。降り注ぐセミの声が、ひときわ高く聞こえていた。

どれほど昔の話だろうか。この峠に、追い剥ぎをする男がいたと言う。男は、峠を越して行く旅人を鉄砲で射っては金品を奪って暮らしていた。男には、美しい娘が一人いた。娘は、父親の悪業を止めさせようと心を痛めながらいさめていた。だが男は、娘の言うことに耳を貸すことはなかった。罪のない旅人を襲い続けるのだった。

ある日、峠の松の木に登って獲物を見張る男は、笠を深くかぶり、道を急ぐ旅の女を見つけた。男はとっさに火縄銃で狙うと、女を射った。手応えに小躍りして走り寄り、血に染まった旅人の顔を見ると、それは父の悪業を止めさせようと、旅人に扮(ふん)して射たれ、命を断った己の娘なのだった。

娘のしかばねを抱いて初めて自分の罪を悟った男は、追い剥ぎを止め、峠道の東西にふたつの小堂を建て、娘と己が命を奪った旅人たちの冥福を、その堂で祈った。朝は朝日の射す堂に、夕は夕日の射す堂に、出家した男の読経の声が、日がな一日響いたという。

仏の山峠には、今も付近の住民らによって守られている朝日堂、夕日堂が、ひっそりとたたずんでいる。

訳ありげな父娘の顛末

一説によると、男は伝えられるような悪人ではなく、甲斐武田の武士であって、権力に苦しむ農民に同情して武士を捨て、ここに土着したのだとも言う。いずれにしても仏堂は、幾百年もの長い間、周辺の集落の人々によって守り伝えられてきた。

今はひっきりなしに車が行き交う峠にたたずむ二宇の小堂は、古びてはいるがきれいに拭き掃きされている。山深く肩寄せて潜み暮らしていた、いかにも訳ありげな父娘の顛末(てんまつ)が、人々の哀れを誘ってきたからなのだろうか。堂裏にまわると、山ユリが数輪、何かを物語るかのように咲いていた。

この取材から数年の後、峠の麓の住所の、男の姓と同じ姓の若い女性が私のスタジオのアシスタントになった。この伝説を彼女は知っているのだろうが、ボクは、彼女には話していない。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)