【コラム・若田部哲】うだるような日差し、頭上にはどこまでも高く澄んだ空と湧き上がる入道雲。「終戦の日も、こんな天気だったのだろうか」。8月半ば、そんなことを考えながら愛車のハンドルを握り、霞ケ浦の水面と稲穂が続く風景を横目に、取材先へと向かいました。

目的地は、この7月より「大山湖畔公園」として一般公開が始まった、美浦村の鹿島海軍航空隊跡地。今回は、同村企画財政課の大竹さんと、園の指定管理を受託している「プロジェクト茨城」の篠田さんに、お話を伺いました。

鹿島海軍航空隊は1938年に発足し、阿見町の予科練とともに第2次世界大戦時の重要拠点としての役割を果たした場所です。終戦後、跡地の一部は東京医科歯科大霞ケ浦分院として使用され、1997年に閉院。その後は草に覆われた状態となり、フィルムコミッションなどで多数利用されつつも、心霊スポットとして不法侵入が絶えない、荒れた状態となっていました。

村は長らく放置されていたこの場所を2016年に国から取得し、当初は敷地内に残存する旧軍事施設を取り壊し公園として整備する予定でした。公園として整備が進まない中、笠間市の筑波海軍航空隊の指定管理も手掛ける「プロジェクト茨城」から村への投げかけにより、保存による利活用の方向性が上がってきたそうです。

保存への舵(かじ)が切られたポイントとしては、この施設が一まとまりの戦争遺跡群として、国内でも最大級のものである点。現在、敷地内には「旧本部庁舎」「汽缶(ボイラー)場」「自力発電所」「自動車車庫」の4つの遺構が残っており、整備された順路に従い各施設を見学させて頂きました。

現在の平和に思いを馳せる拠点

各施設とも、朽ちつつも往時が偲(しの)ばれる造りが印象的です。天井が高く、各所に細かい装飾が施された本部庁舎。堅牢な構造により、外壁は剥がれ落ちつつも、どこか美しさを漂わせる、鉄骨トラス造の汽缶場や発電室。また、巨大なレンガのボイラーは、取材に先立ち画像を見ていたものの、実物は予想を超えた迫力あるたたずまいでした。

最も印象的だったのは、特別に上がらせていただいた本部棟屋上からの眺めです。広大な敷地は草に覆われ、各施設や既に基礎だけになった遺構がその中に点在する光景に、戦争への言いようのない虚無感を禁じえませんでした。

今後の活用については、2024年3月までに村の文化財に登録する予定であり、予科練記念館(阿見町)や筑波海軍航空隊などと広域の連携を図りつつ、遠方からの来客も、地元の方も活用できる方策を探っていきたいとのこと。

老朽化した戦争遺構を、その意義を踏まえ意匠性を維持しつつ、保存・活用することは様々な困難を生じることと思われますが、観光のみならず、現在の平和に思いを馳(は)せる拠点として、ぜひ多くの方にご覧頂きたいスポットです。(土浦市職員)

大山湖畔公園(鹿島海軍航空隊跡地)
▽公開日:土日のみ、午前9時~午後5時(最終入園は午後3時)
▽詳細は【公式】鹿島海軍航空隊跡(大山湖畔公園)をご確認ください。

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

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