【コラム・川端舞】今、女性団体と障害者団体の共闘の歴史を調べている。1972年、母体保護法の前身である優生保護法において、重度障害がある胎児の中絶を認める改正案が国会に上程された。だが、女性団体と障害者団体が反対し、法改正は阻止された。

女性の社会運動であるフェミニズムの歴史を解説した荻野美穂の「女のからだ―フェミニズム以降」(岩波新書)によると、当時の改正案には経済的理由による中絶の禁止も含まれ、当初、フェミニズムの運動に関わる女性たちは、「産む・産まないは女が決める」という「中絶の権利」を主張し、中絶の禁止に反対した。これに対し、障害者たちは「胎児に障害があれば、中絶するのか」と厳しく問うた。

昨年出版されたフェミニズム入門書「シモーヌVOL.7」(現代書館編集)では、当時、障害者団体側であった横田弘と、女性団体側であった志岐寿美栄が書いた文章を掘り起こし、女性と障害者が互いに葛藤を抱えながらも、共闘関係になっていく過程を特集している。

「胎児の障害の有無により、中絶するかを決めるのは、今生きている障害者をも否定する」「障害児を産んだだけで、女性は社会から冷たい目を向けられ、我が子を殺してしまうまで追い詰められる」という血を吐くような両者の葛藤の末、実は互いを苦しめているのは今の社会構造だと思い至り、社会を変えるべく共闘していった。その結果、優生保護法の改正は阻止されたのだった。

マイノリティを苦しめる正体

現在、母体保護法では、胎児の障害を直接的な理由とする中絶は認められていないが、出生前診断で障害があると判定された胎児の多くは、「身体的理由又は経済的理由により母体の健康を著しく害する恐れがある」として中絶されている。

障害児として生まれた私は、どうしても障害のある胎児に感情移入し、中絶する女性に敵意を向けてしまいたくなる。しかし、障害児者はいないことを前提に多くの建物や制度が作られ、健常児の育児さえ、女性だけに負担を強いる社会を考えると、苦悩の末に障害のある胎児を中絶する女性だけを責めることはできない。

「障害児の誕生は避けるべき」「育児は女性がやるべき」という圧力で、女性の社会進出や障害者の生きる価値を否定し続ける社会を変えていきたい。この社会は多数派が都合のよいように作られている。現在もマイノリティ集団同士が敵対してしまっている現象が至る所で起きているが、彼らに生きづらさを押しつけているのは誰なのか、冷静に考えたい。(障害当事者)