金曜日, 12月 27, 2024
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あけましておめでとうございます 《吾妻カガミ》174

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湖の日の出。霞ケ浦総合公園から

【コラム・坂本栄】今年もよろしくお願い申し上げます。

ロシアのウクライナ侵攻とハマスのイスラエル攻撃には共通点があります。自分たちが軽く見られるようになり、その存在を周りに再確認させたいとの焦りです。日本の周辺にもそういった思考癖がある国があります。用心しなければなりません。

昨秋、ネット媒体「NEWSつくば」が日本メディア学会で取り上げられました。研究者は「非プロフィット(非営利)・脱ペーパー・超ローカル」に強い関心を持ったようです。グーグルやヤフーなどが運営する「ニュース・プラットフォーム」との関係も話題になり、先生方との意見交換は有益でした。

以上は私の年賀状の全文です。今年最初の本欄は上の2パラグラフの補足になります。

問題の解決を武力に頼る時代

国際秩序のタガが緩んでいます。問題を暴力で解決することが目立つようになったからです。NATO(北大西洋条約機構)の拡大をロシアが恐れ、イスラエルと回教大国の仲直りがハマスを焦らせ、そういった恐怖や焦燥が彼らを武力行使に走らせました。米国の力が相対的に弱くなったことも、軍事が幅を利かせるようになった一因です。

日本の近隣にも、核弾頭やその運搬手段の開発で威嚇しようと考える小国、内外の問題を軍事力の誇示で解決しようとする大国があります。欧州や中東だけでなく、日本の周辺も厄介なことになってきました。

一番厄介なのは、米国が20世紀にそうであったような大国ではなく、内向きの国になったことです。前大統領の「米国第一」が、国民の気分を汲み取ったスローガンであることを考えると、対米関係もこれまでとは違ったものになります。大統領選がある今年、新たな米国との枠組みが必要になるかもしれません。

戦後の経済を律してきた自由貿易や市場原理も過去のものになりつつあります。軍事をコアとする安全保障が国際貿易や企業活動に介入するようになったからです。こういった国際構造の変化をきちんと受け止め、機敏に対応する必要があるでしょう。

ニュース砂漠と地域ジャーナリズム

昨年11月4日、日本メディア学会のワークショップ(ウェブ会議ツールZOOMを使った研究集会)で、当サイトが取り上げられました。タイトルは「ニュース砂漠と地域ジャーナリズム―非営利法人『NEWSつくば』を事例として」です。私、編集担当者、システム担当者が参加し、約2時間、全国の研究者と議論しました。

年賀状に書いたように、大学などの研究者は「NEWSつくば」の試み=非プロフィット(営利)、脱ペーパー(新聞)、超ローカル(つくば・土浦中心)=が面白いと思ったようです。

ここで私は、①税金で仕事をしている組織の監視が編集方針の一つ②記者は元記者(プロ)と市民記者(アマチュア)で構成、③新聞社などを退職した元記者の参加を歓迎、④地域に住まう識者のコラム寄稿も歓迎、⑤運営費は大口小口の寄付に多くを依存、⑥寄付文化が根付く米国との違い経費の捻出に苦労、⑦ニュース・プラットフォームは地域メディアの発信力にプラス―などと報告しました。

研究者の方々は、非プロフィットに強い関心を示しました。広告収入に頼る民間放送、購読料+広告料に頼る新聞がメディア運営の常識ですから、当然といえます。当サイトは今年でスタート(2017年10月)から7年。先に挙げた特性を踏まえながら、新基軸を取り入れていきます。(NEWSつくば理事長、経済ジャーナリスト)

子宮体がん 閉経後出血を放置していませんか?《メディカル知恵袋》2

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筑波メディカルセンター病院提供

【コラム・野末彰子】

閉経とは?

卵巣からの女性ホルモン(エストロゲン)の分泌がなくなり、月経が永久的に止まった状態のことを閉経と言います。日本人では、平均すると50~51歳くらいで閉経すると言われています。実際には、月経が止まった時点で、閉経かどうか判断するのは難しく、医学的には「1年間以上、月経が来ない状態」と定義されています。

閉経後出血

閉経したはずなのに、また月経が再開することはあるのでしょうか?

完全に閉経するまでの数年間は、月経はかなり不規則になります。そのため、この時期は不正出血(異状な出血)と、不規則にきた月経とを区別することはとても難しくなります。しかし、1年以上無月経だったのに、再び性器出血が始まる場合(閉経後出血)は、何らかの病気が隠れていることが多く、注意が必要です。

子宮体がん

子宮がんには、子宮頸(けい)がんと子宮体がんの2つがあることをご存じでしょうか?

子宮には頸部という膣に近い部分と、体部という妊娠すると膨らむ部分の2つの部位があり、それらの2つの部位にできるがんは、別の種類であり、その性質は全く異なります。子宮頸がんは30~40代に好発しますが、子宮体がんの好発年齢は50歳代で、約70%は閉経後女性に発症します。

子宮頸がんはそのほとんどがヒトパピローマウイルスの感染によって発症しますが、子宮体がんとウイルスは無関係です。また子宮体がんになりやすい人の特徴は、未婚、不妊、若い頃からの月経不順、糖尿病、高血圧、肥満などがあげられます。主な症状は不正出血で、約9割で性器出血を認めます。

近年、子宮体がんはとても増えてきており、ここ20年で3~4倍になっていると言われています。この原因は食事の欧米化、少子高齢化などいろいろなことが言われています。

国立がん研究センターがん情報サービス「がん登録・統計」(全国がん罹患モニタリング集計)

その診断方法

子宮がん健診は、市町村での集団健診やドックのような個人健診など、いろいろな実施の機会があります。しかし、集団検診などの一般的な健診で実施されているのは、子宮頸がんの検査のみであることを皆さんはご存じでしょうか?

不正出血がある、月経が不規則であるなどの一定の条件を満たした場合や、本人が希望した場合などを除き、子宮体がんの検査までは実施されていません。そして、子宮頸がん健診では、子宮体がんを見つけることはできないのです。

子宮体がんの診断は、子宮体部から細胞を採取してくることが必要です。頸部の検査より、子宮の奥から細胞をとるので、場合によっては痛みや出血を伴います。ですから集団検診では実施できず、人間ドック施設や医療機関で行われます。

その治療方法

子宮体がんは不正出血が主な症状であり、これを見逃さなければ、早期がんで見つかることが多い疾患です。早期であれば、手術だけできちんと治すことができます。手術では子宮や卵巣、卵管などを摘出します。卵巣・卵管は子宮体がんが転移しやすい場所です。また子宮に近いリンパ節も摘出して、転移がないかどうかを確認していきます。

早期がんであれば、今は腹腔(ふくくう)鏡下手術も可能で、小さいキズで身体への負担も少なく治療することができます。しかし、進行してしまうと、手術だけで治すことができず、抗がん薬治療や放射線治療などが必要になります。症状を見逃さず、早期に受診して診断を受けることが大切です。

ドクターから一言

子宮体がんは早期に見つけることができる疾患です。早期であれば、例えがんになっても完治が可能です。健診を受けることはもちろん大切ですが、閉経後不正出血など、些細(ささい)と思われる症状を見逃さず、心当たりの症状があった場合は医療機関に相談しましょう。(筑波メディカルセンター病院 婦人科診療科長)

新しいまちでテーマ型コミュニティをつなぐ《けんがくひろば》1

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「けんがくハロウィン」表彰式(筆者提供)
島田由美子さん
【コラム・島田由美子】10月最終日曜日の夕暮れ時、子供たちが作ったパンプキンランタンがほのかに輝く下、仮装コンテストのグランプリが発表された。ピザに扮(ふん)した少女がディズニーペアチケットを満面の笑みで受け取り、TX研究学園駅周辺地区(私たちは「けんがく地区」と言っている)の活動団体が連携して実施した「けんがくハロウィン2023」が終了した。 地縁的コミュニティーの代わりの存在 けんがく地区はTX開通後18年で人口が2万人以上となった。その間、つくば市新庁舎の開庁、義務教育学校・小中学校の開校、多くの商業施設の開業などを経て、まちとして順調に成長している。しかし急激なまちの発展には課題も多い。 市内TX沿線では、居住年数5年未満の住民が全体の3分の1以上を占め、働き盛り世代が多いこともあって、地縁型コミュニティーである区会の加入率は38%と低く、人口20万~30万人都市の平均65%(2021年総務省調査)の半分程度である。 地縁的コミュニティーの代わりとなる存在として、テーマ型コミュニティーがあり、けんがく地区では駅前花壇づくり、シニアサロン、子供の遊び場づくり、ごみ拾い、ウォーキング、桜の植樹・維持を行う団体などが誕生し、活動を行っている。地縁的なつながりが希薄なけんがく地区で、地域の課題を解決していくには、これらテーマ型団体やそのメンバーが連携し、地域の当事者となって地域全体を考えた活動をすることが求められている。 2回目の「けんがくハロウィン」 けんがく地区で活動する団体の多くは歴史が浅い上、団体同士のつながりがほとんど見られず、多様で多世代に及ぶ交流が少なかったが、この数年、団体間の連携・交流を育む動きが活発になってきている。ワークショップや交流会などを経て、連携づくりのツールとしての「けんがくさくらまつり」「けんがくハロウィン」が開催され、その試みは第1回つくばSDGs大賞を受賞した。 第2回となった今年のハロウィンでは5つの企画が実施された。子供たちや親子連れに商店を訪れてもらい地域にどのような店があるかを知ってもらうトリックオアトリート、交通安全クイズラリーやパンプキン色のゴミ袋を使ったごみ拾いやクラフト、そして商店や企業から賞品を提供してもらった仮装コンテストである。 その運営の特徴は、活動団体や商店、企業、公的機関など多様な主体の連携と、活動団体の負担の極小化である。団体のリソース(人材、知識、情報、ノウハウ、人的つながり、物品など)を共有・活用して、負担を軽くした。例えば、ごみ拾い団体がごみ拾いやごみ袋クラフトを担当したり、交通安全母の会が警備を行ったりするなど、各団体が普段行っていること、得意としていることを生かすようにした。 多様な団体が強みを生かし連携 当日は天候にも恵まれ、1000人を超す来場者があり、参加者も実施者も協力店舗も楽しめるイベントとなった。「けんがくハロウィン」の実施を通じて、各団体の実態や得意不得意を互いに認識し、顔なじみの関係を構築して、緩い組織化を達成することができた。 新しくできたまちでは地縁型コミュニティーが醸成されるまで時間が必要とされるが、それまでのつなぎとしてテーマ型コミュニティーが連携することで代替できるのではないかと考えられる。多様な団体が連携し、それぞれの強み・得意を生かすことで各々が成長し、それがまちの成長につながっていくと確信している。 この欄「けんがくひろば」では、けんがく地区で活動する団体や連携して開催するイベントを紹介していく。(けんがくまちづくり実行委員会代表) 【しまだ・ゆみこ】けんがくまちづくり実行委員会代表、研究学園グリーンネックレス タウンの会代表。本業は海外映画・ドラマの字幕翻訳。TX研究学園駅地区に移り住んだことをきっかけに、まちづくりに興味を持つ。まちづくり活動を行いながら、現在、筑波大学大学院システム情報系非常勤研究員として、都市計画の研究に携わっている。

ヤキモチ焼の女房 《短いおはなし》22

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

むかしむかし、たいそうヤキモチ焼きの女房がいた。

亭主は団子屋を営んでいたが、女の客が来るたびに女房が目を光らせるものだから、やりにくくて仕方ない。

「多少のヤキモチならかわいいけど、うちの女房は度を越している。何とかならないでしょうか」

亭主は、村の長老に相談をした。

「若い女に道を聞かれただけで、すごい剣幕で怒るんです。商売にも差し支えるし、何かヤキモチを抑える薬はありませんか?」

長老は、「そういえば」と棚の奥から何やら茶色の瓶を出してきた。

「これは、都の商人から買ったものだ。確か、ヤキモチ焼きが治る薬だ」

「ほう。そんな薬が本当にあるんですか」

「試したことはないが、おまえさん、ひとつ使ってみなさい」

亭主は、長老から二回分の薬を分けてもらった。

さっそくその夜、女房と差し向って酒を酌み交わした。

もちろん女房の酒には、長老からもらった薬が入っている。

「一緒に飲もうだなんて珍しい。やましいことでもあるんですか?」

「いいから早く飲め。なかなかうまい酒だぞ」

女房は「ふん」と鼻を鳴らして酒を飲み干した。あとは効き目を待つだけだ。

翌朝、店の準備をしていると、通りかかった若い女が石につまずいて転びそうになった。

亭主はさっと手を差し伸べて女をかばい、一瞬だが抱き合うような格好になった。

「まずい。女房に怒られる」

振り返ったが、女房は店の奥で何事もないように団子を並べている。

亭主は店に戻り、「おい、今の見てなかったのかい?」と聞いた。

「見てましたけど、それが何か?」

あんな美人に女房がヤキモチを焼かないわけがない。

なるほど、薬が効いたんだな。亭主は、心の中で万歳と叫んだ。

そのあとも、女房はさっぱりヤキモチを焼かない。

団子を買いに来た女と手が触れても、近所の若奥さんと話し込んでも、見ているだけ。

あんまりヤキモチを焼かれないのも、何だか物足りない。

亭主は昔なじみの芸者を家に呼んだ。

女房の目の前でいちゃつきながら酒を飲んだが、女房はさっぱりヤキモチを焼かない。

あきれたような顔で見ているだけだ。

そっけなくされると、今度はやけに女房のことが気になるものだ。

亭主は、女房が若い男と話したり、男の客に笑いかけるのが何とも許せなくなった。

「いかん、いかん。俺がヤキモチ焼きになっちまう。そうだ。あの薬が一回分残ってたぞ」

その夜、女房と酒を飲んだ亭主は、自分の酒にあの薬を一滴たらした。

「しかしおまえは、ヤキモチを焼かなくなったね」

「そうですか?」

「そうさ。この前も、女を家に連れてきても何にも言わなかったじゃないか」

「女って…いくら私でも、メス猫にヤキモチは焼きませんよ」

「メス猫?」

「ええ、まったくあなたの動物好きにはあきれますよ」

その時、長老が訪ねて来た。

「おい、この前、渡した薬、間違えた。あれは女が人間以外の動物に見えちまう薬だった」

「何だって?」

亭主が振り向くと、そこには酒をうまそうに飲むメスのタヌキがいた。(作家)

「かかし送り」火と子どもたち《宍塚の里山》108

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写真は筆者提供

【コラム・阿部きよ子&江原栄治】私たちの「田んぼの学校」では、夏に田んぼの周りに立てたかかしを燃やす行事を「かかし送り」と名づけて、毎年実施してきました。12月9日、担当係の子どもたちが「かかしさんありがとう」「かかしさんさようなら」の垂れ幕を作って、エノキの大木に登って下げました。

昼過ぎ、集まってきた親子は、自分が作ったかかしを田んぼから運んで解体し、可燃物と不燃物を分けました。第1部:垂れ幕の前の広場で「かかし」の歌、踊り、言葉。第2部:子どもたちは学生さんたちと鬼ごっこなどで遊び、大人はたき火と食材の管理。第3部:食べる時間です。

焼きリンゴは「アップルパイみたい」。「えっ、ミカン焼くの?」の声もあった焼きミカンも好評。焼きサトイモ、焼き大根には会特製のみそをつけ、畑で育てたサツマイモの焼き芋は甘くねっとり。途中で子どもたちは、栗のイガを集めてきて、線香花火のような美しい火も楽しみました。

火に近づけるようになってから、各自が笹の串にさしたソーセージ、最後にマシュマロをあぶって食べました。

幼児から中学生までが協力する姿、力一いっぱい遊ぶ姿、おいしい食べ物にニッコニコの子どもたちに出会える喜びは、私たちスタッフのエネルギー源です。ただ、燃えている炭を踏みそうになったり、煙の方向を読めないなど、子どもたちが火、炎、煙に未経験なことが気になります。

「良い火」ってどんな火だろう?

以下、たき火担当の江原さんから届いた文の一部です。

冬の寒い朝、田んぼの学校の広場で1人たき火をしながら待っている。予定の時間より早くやって来る幼いお客さんたちの体を、静かにこう温めてやりたいのだ。「ワーイ、火が燃えている」と走り寄ってくる。

パチパチと音を立てながら美しく燃える火を、しばらく一緒に見詰める。その幸せを破って「君たち、火に悪い火と良い火があるのを知っているかい? オレ様は燃えてるぜ!と周囲の迷惑に気づかずに得意になって燃えているヤンチャな火を何と呼ぶか?」「それは火事だ」と子どもたち。

「良い火」ってどんな火だろう? おいしい料理を作るとき助けてくれる火、お風呂を温めてくれる火、エンジンや溶鉱炉の中で燃えている火や、寒い日、私たちを温めてくれる大空の日(太陽の火)。火に感謝しよう。

着火し、火を育て、火の世話をする、そんな体験をしてほしいと、孫にマッチを渡したら、地面にベタにまきを置き、その上にこっぱや杉の落ち葉、一番上に新聞紙を置いて上から火をつけようとした。

「ああ、お前もか!」。若い親ごさんたち、気を付けてください。便利になればなるほど、基礎能力が低下・劣化してきている面があることを。アブナイね、アブナイです。火に親しみ、敬意を払い、感謝し、コントロールする技術を子供のころから身につけてほしい。(宍塚の自然と歴史の会 会員)

<注意> 野焼きは原則禁止です。会では消防署に事前に届けを出して「かかし送り」を実施しています。

私の定番、あれこれ《続・平熱日記》148

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】セーターというものを着なくなった。代わりに着るようになったのはフリース。今や冬の定番。私にとっては動物の冬毛のようなもので、春までずっと着っぱなし。しかも何年も同じものを着ているので、肘の辺りがすり減ってみすぼらしい。というわけで近くのリサイクル店に探しに行ったら、運よく同じようなものを見つけた。

若いころ古着屋でバイトをしていたこともあって、セカンドハンドには何の抵抗もないのだが、持って帰って着てみたら結構いい香りがする。色や形、着心地は申し分ないのに…。古着を買うときの基本中の基本、なぜ匂いをチェックしなかったか。体臭というよりも何だろう? 満員電車で嗅いだことのある…、整髪料? 香水?

とにかく激しいおじさんの香り。おじさんが着るのだからいいようなものだが、生理的に無理な匂いだ。まずは重曹に漬けてみたが、頑固なおじさんの匂いは全く取れない。

定番といえば、いつも買っていた靴下がホームセンターから消えた。ネットで検索しても出てこないところをみると、製造中止になったのだろう。綿と化繊の割合とか厚さとかが絶妙で、履き心地が良くて好きだったのに。

それからTシャツも。老舗メーカーの3枚組のものだが、最近見かけなくなった。肌着だからこそのこだわりがあって、例えばちょっとした丈の長さとか。しかし、こちらの定番はネットで見つけてポチっと注文できた。

おじさん臭は残るが許容範囲

冷凍庫の定番だったお気に入りのアイスクリーム。いつものスーパーにない。フルーツと小豆のツブツブ入りで一箱6本入り。系列の別の店舗にも売っていない。店員さんに聞いてみようかと思ったのだけれども、それが聞けないのがおじさん。

さらにここにきて、いつも使っていた一番安価な定番の子供用の紙粘土が見当たらない。フワフワしたソフトなものに代わっている。手は汚れないが、マシュマロみたいで腑(ふ)抜けた形になってしまう。あの素朴なずっしり重い紙粘土が好きだったのに。

さて、件(くだん)のフリースはどうなったかな。少し長めに酸素系の漂白剤に漬けて、洗濯して干しておいたんだけど…。恐る恐る鼻を近づけてみた…かすかにおじさん臭は残るが、許容範囲。

ちなみに気になってフリースの語源を調べてみたら、「羊一頭から刈り取られた、ひとつながりの羊毛」だそうだ。頭の中には、毛を刈り取られて丸裸になった羊とそれを羽織る私。スマホで語源や由来を調べて、「フーン」というのが昨今の私の定番。

私の定番はさておき、どうやら世の中で定番と言われていた物事もそうではなくなってきている? 万博やオリンピック、紅白に正月、さんま、制服、学校、働き方…ちなみに、最近よく聞く「てっぱん」という言い方は私の中では定番になっていない。(画家)

「有機農業運動の希望の星」星寛治さん逝く《邑から日本を見る》150

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那珂市静の「しどり農園」のシクラメン

【コラム・先﨑千尋】今月9日の『日本農業新聞』で、山形県高畠町の農民詩人・星寛治さんの訃報を見た。享年88歳。星さんの仲間である佐賀県唐津市の山下惣一さんが昨年亡くなり(本コラム126回)、農業の現場から、小説やルポ、詩、講演などで農村の実情を世間に訴え続けてきた南北の巨頭を失った感じだ。

星さんは、1973年に町内の若手の農民たちと「高畠町有機農業研究会」を立ち上げ、耕し、収穫し、おいしいコメやリンゴ、ブドウなどを消費者に直接届け、食べものを分かち合う喜びを、詩に刻んできた。また、わが国の農業と農法をどうするかを農民や消費者、研究者たちと議論し続けてきた。

小説『複合汚染』を書いた有吉佐和子さんも、74年に高畠を訪れ、小説にもそのことを書いている。日本有機農業研究会を立ち上げた一楽照雄さんとも親しかった。

私が星さんと最初に出会ったのは77年夏。石岡市で開かれた「生消提携」の集会を『日本農業新聞』の通信員として取材し、講演後の星さんに高畠のリンゴとブドウを購入したいと申し出たことがきっかけだった。それから、私どものささやかな消費者の会「水戸たべものの会」と交流が始まり、高畠まで車を走らせ、2月の生産者と消費者グループとの「作付け会議」にも参加するようになった。

熊本県水俣市の水俣病患者の生産する甘夏を購入するようになったのも、この頃だった。星さんからは、著書を発行の都度送っていただき、自宅に伺い、リンゴ園も何度か見ている。今年の賀状には「はてしない野道をゆっくり、ゆっくり歩こうよ。足跡など消えてもいいよ」という詩が添えられていた。

実践するだけでなく表現する農民

星さんの師匠は、詩人で同人誌『地下水』を主宰していた真壁仁。佐藤藤三郎さんや齋藤たきちさん、木村廸夫さんらと共に、直系の弟子だった。星さんは真壁から「実践するだけでなく、表現する農民として生きていく」ことを学んだ。

星さんは高校を卒業してすぐに就農した。最初に取り組んだ化学肥料や農薬漬けの農法で身体を壊し、田畑から生き物が消えていくのを見て、「命や健康、環境を守ることが農の本分」と思い定めた。土にはいつくばって虫や草を取り、農薬などを使わない農業を実践。3年目の田んぼに黄金色のコメが実り、トンボやホタルも戻ってきた。

星さんは町の教育委員も長く務めた。在任中は食農や食育教育を重視し、学校給食で地域の食材を使った「地産地消」に取り組んだ。「農業と教育は、育てるという意味で地下茎のようにつながっている」と書いている。星さんにとって有機農業は生き方そのもの。「文化」は英語では「カルチャー」。文化とは耕すことだというのが口癖だった。そして「農民は、日本に暮らす勤労市民の命と健康を支える使命がある」とも。

「農村には千年続く伝統と文化がある。日本の原風景に誇りを持とう。そして田園に暮らす幸せを体感しよう」という星さんの呼びかけに、私も共感する。星さんのあとは山形大学農学部を出た孫の航希さんが継いでいる。星さんの足跡が消えることはない。(元瓜連町長)

裏金化問題、政治責任はどう問うべきか《文京町便り》23

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】昨今メディアをにぎわしているのが、自民党安倍派のパーティー券収入の裏金化問題である。岸田首相は、自派には影響ナシと見てか、当初はいつも通り慎重な対応だったが、なぜか自身の支持率も低下するに至り、とりあえずは安倍派の閣僚・党役員・副大臣・政務官などを差し替える弥縫(びぼう)策で、乗り切ろうとしている。

こうした金銭授受を巡る問題は、政治活動の少なからざる局面で多くの国民も昔からうさん臭さを感じながらも、漠然とやり過ごしてきた感がある。とはいえ、使途不明金の存在は、個人の活動であっても公的なものであれば税制上は認められるわけもなく、ましてや公人としての政治家の活動では透明性・公開性が求められる。

こうした問題を引き起こした政治家は、しかるべく、検察の捜査・立件・公判などの法の下での裁きを受けなくてはならない。

しかし、それが確定するまでには相当の日時がかかる。さらには、このような事案が他派閥でも生じているなど構造的なものであれば、選挙制度(衆議院の定数465人中、小選挙区289人・比例代表176人。参議院の定数248人中、比例代表100人・選挙区148人)の大改革や政治資金規正法改正を視野に入れるべきだとする論調も出ている。

刑が確定した政治家は公民権停止に

しかし、こうした制度改革には、現在の民主主義制度下では、国会議員の発議・立法化が必要である。仮にメディアなどでどれだけ機運が盛り上がっても、肝心の国会内での与党・政権党がその気にならなければ、結局は球場外の声に終わってしまう。では、この手詰まり感をどう突破すべきか。

まずはこの問題で、現行制度の下で刑が確定した政治家は、その後一定期間国政選挙には立候補できないというルール(すなわち公民権停止)を、国会の場(できるだけ全会一致)で取り決めることである。この公民権停止期間は、(現憲法下での二院制を前提にする限り)衆議院の場合は4年間、参議院の場合は3年間、とする。

政治資金パーティーを巡る裏金疑惑の深刻さ・波及範囲が見えない現時点では、ここまでの措置はフライイングだと躊躇(ちゅうちょ)する向きもあるかもしれない。さらには、そこまで罪の償いを求めては、せっかくの(国政に選出されていた)有為な人材も一網打尽に退場を求めるようなものだとの反論もあるだろう。

しかし歴史に範を求めれば、少なくともわが国の近代史に限っても、明治維新時、昭和20年代いずれも、それ以前の体制派の大方はどんなに人格・識見が高潔であっても、次代の公職からは排除された。軍事的な内乱は極力抑えられたが、次代の統治機構は、旧体制の打倒に貢献した勢力および全国から新たにリクルートされた人材から構成され、新機軸を試行錯誤で模索したのである。

仮に現行の国会議員の半数が公民権停止になったところで、全国に目を向ければ、有為な人材は澎湃(ほうはい)として存在している、というのが私の見立てである。わが国の進路を真剣に論じ確立するには、先例を安易に踏襲する形骸化した政治ゲームに安住している国会議員に活を入れるべきだと思う。(専修大学名誉教授)

クリスマスの唄 ♫ 清し、この野郎 ♪《くずかごの唄》134

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】私が土浦に嫁に来て初めてのクリスマスの日。夫には2人の兄がいて、クリスマスの日は全員集合だった。教会へ行く前、家で男3兄弟、私に歌ってくれたのが「♪ 清、♪ この野郎、星は光 ♬」。夫の名は清。彼は「清、この野郎」などと言われているのに、実にうれしそうな顔をして、一緒に歌っているではないか。

私は大笑いしながらも、2人の兄が彼らなりに、一生懸命、弟を育ててくれたのだという事実を、痛いほど知ってしまったのだった。清は幼年期に重い肺炎になり、小学校の入学を2年も遅らせたひ弱な子供だったらしい。

長男の誠一兄は、私が学生時代、青酸カリや砒素など毒物の「裁判化学」という教科の先生。「弟と結婚してやってくれ」と、私を口説いたのは本人でなく兄だった。

私の学生時代。東京薬科大学女子部は上野にあったので、東大の先生が何人も講師に来てくれていた。兄もその1人だった。兄は東大卒業のとき、天皇陛下から恩賜(おんし)の刀を頂いたくらいだから、成績もよかったのだろう。その後、東北大学に薬学部を創設し、45歳であっけなく亡くなってしまった。次男の勝二兄は千葉大学病院の外科医で、がんの手術が得意だったらしい。

医師会ならこちらもイシ会です

日本の外科の歴史を考えると、フランス人のアンブロワーズ・パレの著書が、オランダから入ってきたのが始まりだった。パレの生誕400年祭の際、パレ生地の公園に、日本医師会から「日本の伝統工芸品の石灯籠を贈りたい」という東大の盛岡恭彦先生。先生にはパレに関する著書も多い。

「医師会ならこちらもイシ(石)会です。イシ会として協力させていただきます」。真壁町の加藤征一さんが伝統工芸品の春日燈籠を作成、1991年1月、真壁の五所駒ヶ瀧(ごしょこまがたき)神社での荘厳な贈答式が行われた。

勝二兄は、この石燈籠が気にいって、同じものを自分の家の庭にも設置してもらい、日本の外科学の歴史を偲(しの)びながら仕事に励んでいたが、3年前、宇宙に飛び立ってしまった。生前、この燈籠は「僕が生まれて育った家に移してほしい」と言っていたとか、加藤さんが伝統工芸師の息子さんと2人で、千葉から土浦に移築してくださった。

この間、兄の命日に、「石燈籠を見ながら、奥井勝二さんを偲ぶ会」を我が家の庭で行った。パレの資料など読みながら、兄の96歳の天寿を祝して、楽しい語らいの場であった。(随筆家、薬剤師)

メリー・クリスト・マス。クリスマスの意味を知る《遊民通信》79

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【コラム・田口哲郎】

前略

クリスマスが近づき、街はクリスマス一色…ともこのごろは言えないようです。私が子供のころ、クリスマスはまさに冬の一大イベントでした。でも、いまやクリスマスはハロウィンに食われ気味ですね。ブラックフライデーなるものもアマゾンのおかげで一般的になりつつあり、アメリカの感謝祭がそのうち普及するのではないかという勢いです。そのおかげでクリスマスのイベントとしての地位もずいぶん落ちた感じがします。

クリスマスもハロウィンも感謝祭も、もともと宗教行事だったのが、消費社会の進展で、お祭りになったもので、とくに日本に輸入されると宗教性は脱色されるのはよく言われていることですね。

クリスマスはクリスト・マス、キリストのミサという意味で、キリスト=救世主がこの世に誕生したことを祝う祭儀ということです。キリスト教の開祖イエスは、いまのパレスチナあたりで生まれました。意外と知られていないのは、イエスがユダヤ教徒だったことです。イエスの母マリアも父ヨセフもユダヤ教徒でしたから、イエスも当然ユダヤ教を信仰していました。

しかし、青年になるとイエスは正統派のユダヤ教とは異なるいわば革新的なユダヤ教の教えを唱え始めます。この革新的な教えがキリスト教の教義の核になっているのですが、当時のユダヤ教指導者層には危険に映ったのでしょう。イエスは無実の罪で十字架にかけられ処刑されます。

しかし、3日目に復活し、弟子たちの前に現れ、天に昇ります。イエスの誕生、教え、死、そして復活を「信じる」ことは、イエスをキリスト=救世主と「信じること」です。パレスチナのいち民族の宗教だったユダヤ教徒から独立するかたちで、キリスト教は信者を全世界に増やし、今や信徒数は23億人を越える大きな宗教に発展しました。

ひと味違うお祝いができる

このキリスト教の始まり、イエス=キリストの誕生を祝おうというクリスマス。日本のキリスト教の信徒数は200万人弱で総人口の1パーセントに過ぎません。クリスマスがキリスト降誕を祝う目的だけのお祝いならば、日本でこんなにクリスマスがもてはやされるわけはありません。だからといって、いまさら、宗教的意義のないクリスマスは無意味だと言うつもりはありません。

ただし、クリスマスの本来の意味を意識しないで「メリークリスマス!」と乾杯するよりは、その意義を知ってお祝いするほうが良いのではないかとは思います。キリスト教では、イエス=キリストは十字架の上で、人類の身代わりとして死んで罪を引き受けた。そして、死を打ち破り、復活して、生き物が避けられない死をも乗り越える希望を人類に与えたと教えます。

こうした、いわば英雄の誕生日だと思えば、乾杯もより楽しくなるのではないでしょうか。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

つくば温泉 喜楽里 別邸《ご飯は世界を救う》59

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イラストは筆者

【コラム・川浪せつ子】「魔女の一撃」という言葉をご存知でしょうか? ドイツでは、ぎっくり腰のことだそうです。さっきまで元気だったのに、突然やってくる激痛は「魔女のしわざ」だと。それが、2回目の到来。1年半前は、つくば美術館の展示が終わった後。今回は「つくば水彩画会」が終ってから、1週間ほど後。

1回目は、起き上がるどころか、寝返りすらできない。1年半前はコロナの真っただ中。でも、病院で痛み止めをもらい、コルセットをつけて2週間後には、フイットネスに行けました。

ところが今回は、そこそこ動けるのに良くなりません。この秋から冬にかけ気温差が大きいため、ぎっくり腰の方が4倍とか。この1カ月少し、毎日、朝の歯磨きですらギック! 1日の中で何回も。これにはメンタルも少々やられ、「もう絵を描くのは、展覧会やるのは、止めてしまおうか…才能ないんだ…」

石は磨いて玉に

そのころある出会いがありました。たまたま行った展覧会。受付の女性とお話。私より少し年上の方かなと思ったら、「82才になります。絵は60才から初めて、7年前に主人を突然亡くしたときも、絵があったので乗り越えることができました」。

年齢にそぐわない若々しさ。肌つやも良く、背筋もシャン。「あなたね、絵を描きなさい」。そんなお言葉をいただきました。この方のように年齢を重ねていけたらいいなぁ~。

でも、まだ毎日、整骨院さんで治療。「あぁ~」の日々でした。ある日、整骨院さんの駐車場でラジオから聞こえてきた言葉。「石は磨きて玉(ぎょく)となり」。ただの石でも、何があっても諦めず磨きなさいーそう神様が言ってくださった?

「玉」などにならずとも、せめて泥のついた石からは脱却してみよう。どこまで磨けるかわからないけど、少しずつチャレンジしてみよう。そんな風に思えるようになってきたら、体の方も少しずつ改善してきました。

近くの日帰り温泉

今回の絵は、体をいたわるために行った日帰り温泉「つくば温泉 喜楽里 別邸」(つくば市西大橋)のお食事です。(イラストレーター)

根岸寛一の終わりの始まり 《映画探偵団》71

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】今年は、旧筑波郡小田村出身で戦前の名映画プロデューサ一根岸寛一(本コラム51で登場)の没後60年だった。イベントをやるつもりでいたのだが、時間的に余裕がなく開催することができなかった。

東映映画の礎を築いた根岸寛一は、人生の終わりを前にして、次の時代を見すえていた。亡くなる1、2年前、根岸の病床に東映撮影所長・岡田茂が訪ねる。岡田はギャング映画路線のヒットを報告しにやって来た。すると根岸は「次の路線はなんだ」と問いかける。何も考えていなかった岡田は答えに窮してしまう。すると根岸は「次はヤクザ映画だよ。ヤクザ映画は時代劇の変形だ。東映が向かうべきは任侠映画だよ。『人生劇場』だよ」と予言したそうだ。

根岸が亡くなった年、『人生劇場 飛車角』(1963)が主演・鶴田浩二で公開され、大ヒット。東京オリンピックの年にも『日本侠客伝』(1964)が主演・高倉健で大ヒット。さらに翌年には『網走番外地』(1965)、『昭和残侠伝』(1965)などが次々と大ヒットし、シリーズ化され、団塊世代の支持で任侠映画ブ一ムは約10年間続いた。根岸の時代の流れを見る目は確かだった。

『仁義なきヤクザ映画史』

『日本侠客伝』シリーズは、脚本家・笠原和夫がメインライターをつとめ、監督は名匠・マキノ雅弘らで、全11作ある。主人公など設定は毎回変わるが、堅気で昔ながらの正業を持つ主人公たちが、近代化を進める企業家の手先となったヤクザたちと戦う『忠臣蔵』を原型にした話となっている。

そしてシリーズを俯瞰すると、教科書には書かれていない大正時代の庶民史が浮び上がる工夫がほどこされている。現在に重ねれば、AI時代のスマート社会にほんろうされる市民の話とでも言えようか。

『日本侠客伝』シリーズを見直しながら、『仁義なきヤクザ映画史』(伊藤彰彦著、文藝春秋)を読んだ。1910年から2023年の約100年間のヤクザ映画の分析と、脚本家や監督や制作者のインタビュー。そして、映画界とヤクザ社会との関係を語り、それだけにとどまらず、日本の差別社会の仕組みにまでメスを入れた映画本の枠を超える名著となっている。

『劇場版  荒野に希望の灯をともす』

その中で、世界中に知られた医師中村哲のドキュメンタリー映画『劇場版  荒野に希望の灯をともす』(2022)が紹介されている。中村は医療よりも水が大切だと気付いてから、パキスタンとアフガニスタンで、黙々と井戸や用水路の建設に挑んだ。その中村の原点になっているのは祖母マンの教えだった。

祖父母は、玉井金五郎とマン。なんと、作家・火野葦平の小説『花と龍』のモデルなのだ。下層労働者のために、巨大資本の手先ヤクザと闘う玉井金五郎とその妻の物語。日活、松竹、東映で8回映画化された任侠映画『花と龍』の世界が、医師の中村につながっていると知り驚いた。

私は、中村哲を語る文化人が映画『花と龍』を見たら、どんな感想を抱くのかを聞いてみたいと思った。

2024年は根岸寛一生誕130周年である。来年こそ、イベントを開催するつもりだ。問題があっても長いものには巻かれろと、無視をきめ込む風潮がまん延する時代にあって、任侠映画が形を変えてよみがえってくると予感するからでもある。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

第三世界のための意匠《デザインを考える》3

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空き缶ラジオ(左)とピルのパッケージ(右)

【コラム・三橋俊雄】大学卒業後、私は東京のデザイン事務所に勤めました。そこでは、ぺんてる(文房具)、キッコーマン(しょうゆ瓶)、ヤマハ(オーディオ、オートバイ)、オカムラ(家具)などのプロダクトデザインから、建築・都市デザインまでを扱っており、私は、セイコー(オリンピック競技時計、羽田空港世界時計)、コンピューター端末機(XYプリンター)のデザインなどを担当しました。

それらのデザインは、多様な工業製品に美しいフォルムとオリジナルなデザインを施し、工業製品の価値を高めることが主な役割でした。私は、そうしたデザインの実践に喜びを感じながらも、一方で「What to design(何をデザインすべきか)」について関心がありました。それは、コラム2 で話した「障がい者のためのデザイン」にも通じるものでした。

今回は、私の生き方に最も大きな影響を与えた『生きのびるためのデザイン』(ヴィクター・パパネック著、晶文社)について、紹介します。パパネックの関心は、大量生産・大量消費時代における地球規模での格差や環境破壊など、デザイナーが加担してきた負の側面に目を向け、第三世界の国々に適切なデザインを提供するための「What to design」にありました。

空き缶ラジオ

上の写真左は、電気も電池も使えない第三世界の人々のためにデザインされた、9セントの空き缶ラジオです。インドネシアの友人も私に「それは見た」と話してくれたもので、イヤホン、銅製の放射状アンテナ、使い古しの釘を用いたアース、トンネルダイオード、熱電対(異なる金属線の両端をつなげ、その接点に温度差があると電気が流れる)などで構成されています。

この空き缶で、ロウや木材、乾燥した牛の糞(ふん)などを燃焼させると、その熱が熱電対を通して電気エネルギーに変換され、イヤホンで例えば毎日5分間「ニュース放送」を聴くことができます。このラジオには、色も装飾も施されていません。インドネシアの人々は、このブリキ缶の外側にフェルトやガラス片、貝殻などを貼り付けて、自らデザインをします。

すなわち、パパネックは、アメリカ流のデザインを押しつけるのではなく、人々が自由にラジオの装飾を楽しみ、その地域の文化や価値観を表現することができると考えたのではないでしょうか。「空き缶ラジオ」は、インドやインドネシアで何年も使用され、成功を収めたということです。

ピルのパッケージ

写真右は、文字の読めない女性たちのための避妊薬ピルのパッケージです。女性たちは、毎日1錠ずつ、ピルをパッケージからもぎ取り服用しますが、もし1日分のピルを取り忘れても、U字型チューブの端が空気に触れて赤色に変わり、警告してくれるというものです。また、ピルを勘定しなくてもすむように、一連の気休めの薬が含まれています。

このように、パパネックは、「What to design」の理念を持ってデザインをすることの重要性を、私たちに教えてくれました。(ソーシャルデザイナー)

つくば市政の2つのダブルスタンダード《吾妻カガミ》173

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】つくば市の2大問題(洞峰公園市営化と運動公園用地売却)をウォッチしていて、何かおかしいなと思いました。いずれも市民の関心が強い問題ですが、市は両方にダブルスタンダード(対象によって適用する基準を変える二重基準)で対応しているからです。市はその場その場で理屈を使い分けており、姿勢(市政)がフラフラしています。

自然環境政策での二重基準

つくば市は、洞峰公園市営化問題のアンケート用紙に添えた「よくいただくご質問」の中で、「(公園の)既存樹林・樹木を可能な限り保全し…」「…地域の自然環境に調和するよう配慮する」と、樹林を守る必要性を強調しています。駐車場の樹木を少し切ろうとした県の公園管理に対抗する理論武装とはいえ、この文言はなかなか力が入っています。

ところが、運動公園計画用地(高エネ研南用地)の自然林が無くなることに、市はまったく関心がないようです。それぞれの場所は違いますが、「自然環境政策におけるダブルスタンダード」と言えます。

記事「樹木の伐採始まる…運動公園用地」(12月8日掲載)によると、倉庫会社に売却された元市土地開発公社用地(実質市有地)の森林伐採が始まりました。これに対し、議会の議決なしの処分は違法だと住民訴訟を起こしている酒井さんは、寄稿「…森林伐採、つくば市は差し止めよ!」(12月12日掲載)の中で、「自然環境に回復不可能なダメージを与える」と、市と事業者に説明を求めています。

失政の後始末場当たり策

思い起こすと、運動公園用地売却も洞峰公園市有化も、五十嵐市長の失政の後始末です。

▼運動公園問題:前市長が取得した用地を元の保有者(UR都市機構)に買い戻させると市長選挙で公約。しかし、返還に失敗し、民間に売却。

▼洞峰公園問題:県営洞峰公園の管理方法で県と対立。タダでやるから市の好きなように維持管理すればと県から押し付けられ、市営化を選択。

要するに、URや県との協議を上手にやっていれば、こんな問題は生じませんでした。

失政の結果、運動公園用地は民間企業に売却(森林伐採を容認)、洞峰公園は市の好みで管理(樹林の保全管理)という、市民には「?」の事態になりました。市に自然環境保全についての確固たる政策があるわけでなく、市長の失政を糊塗(こと)する場当たり的な対応といえます。

失政が悪政を呼び込んだ?

もう一つのダブルスタンダードは、体育館などの施設管理法です。171「…洞峰公園 『劣化容認』計画」(11月20日掲載)で取り上げたように、市は①谷田部地区などにある市営体育館の設備などは築60年で更新する②しかし県から譲受する予定の洞峰公園内体育館の設備などは修理~修理で80年持たせる―と、二重基準を打ち出しました。

洞峰公園市営化に反対する市民や市議を念頭に、②は園内施設の維持費を安く上げようとする計画のようですが、既存施設と新規施設の維持の仕方に差を付けるのは何か変です。公園を押し付けられた失政を、手抜きでカバーしようとする悪政ではないでしょうか。(経済ジャーナリスト)

「ご本尊さまにやられた」こと《写真だいすき》27

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この写真は本文とは関係ありません(撮影は筆者)

【コラム・オダギ秀 とんでもないことになった。一瞬のうちに真っ暗闇になった。ボクはパニくった。大切な撮影の最中だった。ある仏像の撮影をしていた。ヒューズが切れたのだ。

その像は、さる由緒ある寺院のご本尊で、門外不出の秘仏だった。撮影を依頼してくれた大学教授の話では、県内で最も価値ある像の一つで、長年撮影の許可を願っていたが叶(かな)わず、やっと撮影許可が下りたから失敗はできないと、ボクに依頼がきたのだった。

いいかげん自尊心をくすぐられたから、ボクもいい気になり、張り切って撮影に臨んでいた。

準備には万全に万全を重ねた。下見をすることも許されなかったから、どんな状況にも対応できるよう、あらゆるシチュエーションを予測し、予備機材はさらに予備を持ち、そのうえで撮影に臨んだ。

午後始めた収蔵庫での撮影は夜になっていたが、問題なく進んでいるつもりだった。

ところが、日が暮れてから、ブレーカーではなく安全器のヒューズが飛んだのだ。今の人は知らないだろうが、以前は、電気の過電流を防ぐために、ヒューズという熱で溶ける鉛などで作られたパーツを使っていた。安全器の中のそのヒューズが飛んでしまったのだ。ブレーカーのように、スイッチで戻すことはできない。ヒューズが飛ぶと、明かりはなくなる。

真っ暗闇のなかで、ボクは立ちすくんだ。大きな照明機材で撮っていたから、それを倒しでもしたらとんでもないことになる。機材の位置と這い回っているコード類がどこにどうなっていたか、ボクは頭の中で、必死に思い返していた。

拾った百円でヒューズを2本買った

だが、慌てる一方で「ご本尊やるなあ」という思いが、気持ちの隅に湧いていた。いつだって、自分がどんな位置状況にいるか、当然知り尽くしていなければならないはず。ヒューズが飛んだくらいで慌てちゃいけない。そのことをご本尊が、あらためて教えてくれたように思えた。

備えをしたといっても大きなことばかり考え、小さなヒューズ1本さえ用意していないことを、ご本尊は見抜いたのだろうか。心の緩みを戒めてくれた気がした。感謝して合掌し、夜の山を降りた。

だが、どうにも、腑(ふ)に落ちない。仏様が、ヒューズを切ったりするわけないだろ、と思った。

で翌々日、違うお寺さんの仏様を撮りに出かけた。いい加減な準備だった。悪い奴(やつ)には厳しい仏様なら、やましい心を持った写真家を厳しく罰するはずだ。

天気はポカポカ気持ちよかった。駐車場で、はすっぱに車停めたら、百円拾ったのでネコババした。お堂の光はよくて、すぐ撮影はすんだ。寺の横に廻(まわ)ったら農家のおばさんが白菜くれた。帰りに寄ったコンビニのお姉さんは可愛(かわ)ゆかった。準備は手抜きで安易な撮影、ネコババまでしたのにバチも当たらず、とてもいい日だった。ほらみろと思ったが、それもやっぱり、腑に落ちない。

ホームセンターで、拾った百円に26円足し、ヒューズを2本買ってカメラバッグに入れた。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

「野村花火」の魅力 (上) 《見上げてごらん!》22

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野村花火社長室に並ぶ総理大臣賞などのトロフィー

【コラム・小泉裕司】野村花火工業(水戸市)社長、野村陽一さん(73) の「追っかけ」歴20年。今回と次回は「野村花火」の魅力を探ってみたい。

1875(明治8)年に創業した老舗煙火店の4代目として、1989(平成元)年に社長に就任。それ以降、土浦全国花火競技大会で12回、大曲の全国花火競技大会(秋田県大仙市)で9回、計21回、花火師の最高位となる内閣総理大臣賞を受賞するなど、名実ともに日本一の花火師である。

野村花火は、今年8月の「大曲」でも、高得点が出にくいと言われる早い出番(5番)だったにもかかわらず、4部門のうち2部門で優勝、1部門で準優勝と、圧倒的な成績で内閣総理大臣賞に輝いた(全国花火競技大会公式HP)。

数日後、お祝いを伝えに水戸市内の工場を訪ねたところ、社長室は、大曲から持ち帰った各賞のトロフィーや賞状で座る隙間もないほど。人材育成に傾注する野村社長は、今大会に出品した作品づくりの難しさに言及しながらも、打ち上げを担当した若手花火師の成長がことのほかうれしいと目を細めた。

以下、野村社長の話。

至極の五重芯花火 

10号玉と言えば、至難の業と言われる「五重芯花火」。五つの芯がクリアに開き、外側の親星を含めて六重の真円が目視可能であることが求められる。まだまだ完成の域には達しておらず、試行錯誤、少しずつ改良に挑戦しているという。

スターマインの今

スターマインは、音楽付きとなってから、物量で見せる時代は終わったと思っている。なぜなら、コンピュータプログラムの普及によって、煙火業者それぞれの打ち上げ技術に大差ない状況で、迫力だけなら誰でも出せるようになった。観客の満足度を高めるには、情感豊かなタイトルやストーリー性、高質な花火が重要だと考えている。

競技大会と会社経営 

100年以上の歴史を有する競技大会があるからこそ、これまでの技術の進化があった。一方で、競技大会だけでは会社は成り立たない。昨今の薬品や部品の高騰をはじめ、経営面での負担も重くのしかかっている。このバランスの取り方は、今後も難しさがつきまとうのだろう。

競技大会の審査 

審査員として誰が適任なのか、答えはない。花火は芸術。芸術に対する感性は百人百様で数学的な答えはない。だからこそ、審査結果は潔く受け入れる。AIによる審査が実現するときは、芸術が滅ぶときであり、人間の存在価値がなくなるとき。

野村花火=高質な花火

競技大会に限らず、様々な人たちからの期待を裏切るような花火は見せられない。常に緊張感を持って花火大会に臨んでいる。

花火は有料で見るもの 

コロナ禍後の花火大会は、運営経費の高騰などから、新たに有料席の値上げや新設に踏み切るケースが増え、話題となっている。花火大会の長期的な継続性を考えると、運営側にとっても、煙火業者にとっても、この流れは必然と考えている。

10月28日、4年ぶりに開催された常総きぬ川花火大会(常総市)では、野村社長の隣席(有料席)で「野村花火」を見る光栄に浴した。本日は、この辺で「打ち留めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

お祭りの力「ゲニウスロキ」《看取り医者は見た!》9

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今年の龍ケ崎の夏祭り

【コラム・平野国美】岡山県の真庭市に久世(くせ)という町があり、地元の方と話したことがあります。毎年10月24~26日に久世祭りが行われるのですが、土曜・日曜を考慮せず、昔からこの日程で行っているそうです。

平日だと、この町から出た人はやってくるのが大変でしょうと聞くと、「生まれたときから、この祭りになじんでいるから、必ず帰ってくる。来るか来ないか、はっきりしないやつには電話をして、練習中の祭り囃子(ばやし)を聞かせてね。サバ寿司でも食べに来いと話すと、大体、帰ってくるね」と話すのです。

場所は変わり、私が生まれた龍ケ崎市。昔は立派な商店街でしたが、残念ながら、今は人通りもまばらです。しかし、夏祭りには、どこから湧いてくるのかと思うほどの人波ができるのです。私に祭りに出るか聞いてくる電話はありませんが、フェイスブック(FB)でその準備がされていく様子を見ると、心が躍るのです。

神主さんや町衆が、その日に向かって宮薙(みやなぎ)から入り、御神酒所の設置を始める様子を見ていると、子供のころを思い出すのです。FBは面白いのですが、実際に見ると、お祭りの歴史や神を感じるのです。撞舞(つくまい)という奇祭には、他では味わえぬ雰囲気があると思うのです。

独特の民族性を感じる街

山陰や山陽の山間部に、独特の民族性を感じる街があります。津山、真庭、新見、三次、倉吉などです。街並みだけでなく、暮らす人たちの独特の精神性を感じます。龍ケ崎にも、そこと同じような雰囲気を感じます。私は、今、つくば市在住ですが、龍ケ崎に住んでいたときには、気づかなかったもの、感じなかったものが色々見えてきます。この歳になって、やっと故郷に興味を持ち始めたのかも知れません。

最近、総務省が言い出した言葉に「関係人口」があります。定住している人とは異なり、地域づくりに流動的に関わる人たちを意味します。定住人口はその地域に移住した人ですが、交流人口は観光などで訪れた人を指します。「行き来する者(風の人)」「地域内にルーツがある者(近居・遠居)」「何らかの関わりがある者(過去の勤務や居住・滞在)」などです。

こういった人口区分は、人口減少時代らしい分け方ですが、現在の私にはすべてが当てはまりそうです。いずれにしろ、その土地に何らかの魅力がなければ人は振り向かないでしょう。(訪問診療医師)

私の中に潜む差別《電動車いすから見た景色》49

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イラストは筆者

【コラム・川端舞】街に出れば、たちまち私は差別される。面白そうなお店の入り口に数段の段差があったとき。私が話しているのに、相手が私の後ろにいる介助者ばかり見るとき。車椅子ユーザーで言語障害のある自分は、社会から存在を想定されていない人間なのだと感じる。

日常の中で、私は差別者になる。言葉での説明抜きに、SNSに写真を載せるとき、視覚障害者も私のSNSを閲覧する可能性を忘れている。肌の色が自分と違うという理由で、初対面の人に「どこの国の出身?」と話しかけるのは、外国に何らかのルーツはあるが、日本人としてずっと生きてきた人の存在をないものにしている。

異性愛前提の恋愛トークをするとき、異性愛以外の恋愛をする人や、恋愛感情を持たない人をいないものにし、初対面の人の性別を外見から勝手に判断するとき、男女という枠に当てはめられることに違和感を持つ人の存在を無視している。

存在を無視される痛みはよく知っているはずなのに、私も誰かを差別する。

怒りは対等な関係へのラブコール

韓国の社会学者キム・ジヘにより書かれた「差別はたいてい悪意のない人がする」(大月書店)は、障害者、性的少数者、非正規労働者などに向けられる、日常に潜むあらゆる差別を挙げながら、私たちは皆、差別する側にもされる側にもなると指摘する。

人は誰だって、「自分は差別などしていない」と思いたい。しかし、1人の人間の思考力には限界がある。いくら気をつけても、何気ない言動が誰かに疎外感を与え、差別に加担してしまう時が出てくる。

気を抜けば、私もすぐに差別者になる。何気ない一言が、誰かに言い知れぬ孤独感を与えてしまうかもしれない。大切なのは、自分の中にある差別性を誰かに指摘されたときに、素直に反省し、言動を改める努力をすることではないか。

その指摘をすることで、その場の空気や人間関係を壊してしまう可能性もある。それでもなお、なぜ相手は、時に怒りに震えながら、私の中の差別性を指摘してくるのか。その怒りは「あなたと対等な関係を築きたい」という妥協なきラブコールかもしれない。私を信頼し、伝えてくれたラブコールを、素直に受け止められる人間に私はなりたい。(障害当事者)

大学生が利用する奨学金制度を考える《ハチドリ暮らし》32

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ナナカマドの実が赤く色づいています

【コラム・山口京子】消費生活センターと関わるようになって2年がたちます。同センターとは、地方自治体に置かれる消費者サービス機関で、事業者に対する消費者の苦情や相談の対応をしています。両者の間には情報の量や質に格差が存在し、交渉力の格差も大きいため、契約トラブルなどから消費者を守るために設置されました。トラブルを防ぐための啓発活動やSDGsなど、消費生活にかかわる様々な活動に取り組んでいます。

センターには、消費者トラブルに関する注意喚起の冊子や書籍が数多く置かれています。たまたま手にした2冊の刊行物に奨学金制度の記事がありました。一つは、「国民生活」(独立行政法人・国民生活センター刊)2022年12月号、「奨学金制度を利用する前に知っておきたいこと」(あんびるえつこ氏)です。

この記事によると、奨学金を利用する学生は大学生の約5割近くになる、代表的な奨学金制度である独立行政法人・日本学生支援機構(JASSO)の奨学金には給付型と貸与型がある、給付型は9%程度で9割以上が貸与型である、貸与型には無利子の第1種と有利子の第2種がある、こういったことが書かれています。

奨学金は学生本人が卒業後返済していくもので、返済額によるものの、返済期間が長期にわたる傾向にあります。失業や減収などで滞納が続くと、延滞金発生や個人信用情報機関へ登録されるなど不利益が出るため、返済が難しい場合はJASSOの奨学金相談センターに連絡するよう呼びかけています。

奨学金を借りるとはどういうことか理解してもらうための金融教育の必要性や、奨学金制度のあるべき姿を大人も高校生自身も考えてほしい―というメッセージを読み取りました。

奨学金事業は貸金ビジネス?

もう一つは、「消費者法ニュース」(消費者法発行会議刊行)2023年10月号、「奨学金制度、会計年度任用職員制度 なぜ第二臨調を問うのか-日本社会疲弊の原点-」(柴田武男氏)です。2004年に発足したJASSOの前身である日本育英会の時代は、奨学金原資は国からの貸付金で、貸与は無利子であったが、第二臨調で有利子制度への提言がされ、家庭の責任が強調されたとありました。

第一種の原資は一般会計の貸付金ですが、第二種は日本学生支援債を発行し、市場から資金調達しているそうです。2023年5月の300億円の債券発行利率は0.08%、奨学金の貸付利率は7月時点で0.637%となっていて、奨学金事業が貸金ビジネスになっていると問題提起をされていました。

これからの在り方を考えるにあたって、今の制度を知ること、その歴史的経緯を知ることが必要なのですね。(消費生活アドバイザー)

地元生徒に厳しい水海道一高受験《竹林亭日乗》11

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12月の筑波山(写真は筆者)

【コラム・片岡英明】私は霞ケ浦高校で卒業生を10回送り出したが、常総市に住む6回目の卒業生からもらった年賀状に、子どもが中学受験で苦労していると書かれていたので、先日、常総市の受験事情を聞いた。

常総市は人口6万人弱。市内には、水海道一高という伝統校も含め、県立高校が3校ある。つくば市は人口25万人なのにたった3校なので、常総市の中学生の県立高受験環境は恵まれていると思っていたが、どうも違うようだ。そこで、今回はつくばエリア内の常総市の県立高入試を考えたい。

地元の水海道一高入学は37

2023年春の常総市の中学卒業生は521人。県立高の定員は、水海道一高6学級、水海道二高6学級、石下紫峰高4学級―合計16学級で640人。常総は卒業生より県立高入学枠が大きい市といえる。

では、なぜ常総の受験生が苦労しているのか? その指標として水海道一高への入学数を見ると、2023年入試で常総市から水海道一高に入学した生徒は37人と少ない。

市別の入学者を調べると、①守谷78人、②つくばみらい48人、③常総37人、④坂東30人、⑤つくば29人―である。生徒が増えているTX沿線からの入学が多く、地元中学生が水海道一高への入学に苦戦している。

試験で合否を決めるので、成績上位者が入るのは当然。また、上位者に遠くからでも入学してほしいとの意見もあるが、「地域の伝統校」とは何だろう?

伝統校には、〇〇大学何名合格だけでなく、大卒後の豊かな社会人を視野に入れ、「ノブレス・オブリージユ」をめざす面がある。ともに学び、青春し、進路で花を咲かせる―学習のノウハウもある。さらに、卒業生のネットワークが地元の産業や文化をしっかり支える。

高校はある意味、「港」である。出港し、地元の卒業生は港に戻ってくる。それが地域になくてはならない伝統校の価値をさらに高める。

中高一貫でますます狭き門に

水海道一高に注目して、常総市の中学生の進学先を並べてみる。

▽21年入試:①水海道二98、②石下紫峰78、③水海道一52(7学級)

▽22年入試:①水海道二99、②石下紫峰69、③守谷56、④水海道一49(6学級)

▽23年入試:①水海道二84、②石下紫峰71、③守谷41、④下妻二38、⑤水海道一37

21年は市内3校が上位を占めたが、22年は水海道一が4位、23年は5位となった。常総の中学生が市外の県立高にかなり入学している。水海道一は付属中設置に伴い、22年から7学級募集が6学級、25年からは5学級となる。地元中学生の水海道一高への入学はますます困難になる。

付属中に入って高校に進級する生徒もいるので、高校の減少分は相殺されるという意見がある。しかし、常総から付属中に入学した生徒は少なく、22年の付属中1期生は4名であった。

つくばエリア内の常総の高校入試でも、TX沿線の県立高校不足のため、このような激震が起きている。つくばエリア全体の小中学生にとって、県立高新設が焦眉の課題であることを示している。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)