金曜日, 3月 29, 2024
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対話閉ざし、伝家の宝刀-沖縄・辺野古で代執行《邑から日本を見る》151

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初日の出に光る麦畑(那珂市静地内)

【コラム・先﨑千尋】米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設をめぐり、政府は昨年12月28日、工事の設計変更を沖縄県に代わって承認する「代執行」を行った。これは地方自治法に基づき国が代執行する初の事例。国交省が防衛相沖縄防衛局に承認書を渡す、即ち国が国の行為を認めるという異例の処置だ。

同局は今月12日にも軟弱地盤がある海域の工事に着手するが、工事が完了するのは早くても12年後。これに対して沖縄県は、代執行を認めた福岡高裁沖縄支部の判決を不服として最高裁に上告した。

この問題は、1996年に日米が、市街地にあり、「世界一危険な」普天間飛行場を返還し、辺野古沖に新たな飛行場を建設すると合意したことが起点だ。建設事業は2014年から始められ、予定地の南側は埋立てがほぼ完了した。しかし、北側の大浦湾の埋立て予定地が軟弱地盤であることが分かり、防衛相は沖縄県に工事の設計変更を求めてきた。

政府はこれまで、普天間飛行場の返還のためには「辺野古移設が唯一の解決」との姿勢を示し続け、実質上、県との対話を拒否し続けてきた。一方、同県では、この問題をめぐって建設阻止の声が強く、知事選では、阻止派の翁長、玉城を選び、県民投票でも「辺野古移設に反対」が7割を超えている。

代執行後の記者会見で、玉城知事は「代執行は、沖縄県の自主性および自立性を侵害し、多くの沖縄県民の民意に反する。民意こそ公益だ」と、反対の姿勢を続けることを表明した。

小指の痛みは身体全体の痛み

一般には「代執行」は耳慣れない言葉だ。代執行とは、自治体の仕事のうち、旅券発行や選挙管理など国から委ねられた法定受託事務の執行を怠ったり、法令に違反したりした場合に、国が代わって行うというもの。他に解決手段がなく、そのままにすると著しく公益を害するケースが対象になる。

今回の代執行は、2000年の地方自治法改正により「国と地方の関係は、上下・主従から対等・協力」になって、初めてのケースだ。「辺野古移設は国益」という政府と「建設阻止」という民意が、正面からぶつかっている。

見出しに使ったタイトルは、昨年12月29日の『茨城新聞』のもの。「国と自治体の関係は『対等・協力』とする地方分権の理念を揺るがす異例の事態」と書いている。『沖縄タイムス』は、同月26日の社説で「パンドラの箱があいた」と、代執行により対立と混迷が深まることを憂いている。

『毎日新聞』は「代執行という制度は、権利救済を求める一般私人が使うためのもので、国の機関が使うのはおかしい」と沖縄県の訴えを紹介したあと、「地方自治体がやることについて国が気に入らない時には代執行の手続を進め、裁判所は追認する。国と地方が対等という地方分権改革の意義はなくなってしまう」と、早稲田大の岡田正則教授の話を載せている(12月29日)。

「小指の痛みは身体全体の痛み」という言葉がある。今回の代執行は、沖縄だけのことではなく、私たちの身の回りのことにも影響が出るかもしれないことを示している。東京電力福島第1原発の汚染水の海洋放出でも、政府が被害を受ける漁民の反対を押し切って実施していることは、その一つだ。(元瓜連町長)

姥捨て 楢山節考《ひょうたんの眼》64

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アシビの紅葉

【コラム・高橋恵一】映画「楢山節考(ならやまぶしこう)」を再生してみた。山深い貧しい村の因習に従い、年老いた母親を背負って真冬の山奥に捨てに行く物語だ。映画では、白骨の散らばる山奥の岩陰に運ばれた老婆が、置き去りを躊躇(ちゅうちょ)する息子に早く行けと促す悲惨さが描かれる。

長野県の冠着山(かむりきやま)が俗称「姥捨(うばすて)山」と言われているのだが、実際には、そんな因習は無かったという。

姥捨て伝説は、各地にあるようだが、背中に負われた母親が、山道途中の枝を折ったり、白い灰を撒(ま)いたりして、息子の帰路の目印を残し、息子は親の愛の深さに堪(たま)らず、親捨てを止める。

あるいは、姥捨ては領主の命令だが、親を納屋に匿(かくま)っていたところ、領主に難題が持ち上がり、隠れていた老人の知識で解決し、領主が反省して姥捨て命令を廃止した―などと、姥捨て物語では、姥捨てを留(とど)まり、因習を否定しているようだ。

姥捨てや間引きはタブー

戦争中の集団疎開を扱ったドラマに、こんな話があった。疎開児童が増えたので村に食糧不足が起こり、老人たちが村はずれのお堂で自給自足の集団生活をする。それを子ども達が気付き、自分の食事を残して、おにぎりをお堂に届け、大人が反省して老人達を家に戻す。

口減らしは、その恩恵を受ける側にとっても残酷な行為なのだ。現実には、悲惨な状況もあったのかも知れないが、我が国の伝説や規範としては、姥捨てや間引きといった口減らしをタブーとしているのだ。

江戸時代、常陸国(現在の茨城県)南部に岡田寒泉という代官が就任した。彼は領内をくまなく見回ったところ、村々が疲弊していたので、貧困による幼児の間引きを防止するために「産児養育料」を支給し、凶作に備えて稗(ひえ)などの備蓄をさせるとともに、開墾事業の奨励、風紀の粛清など民生の安定に努め、小貝川の氾濫の際には素早く「お救い小屋」を建てて対応したという。

岡田寒泉は、松平定信の寛政の改革に関わった旗本であり、儒学者でもあったのだが、貧困の根幹を是正する統治政策を実践した人でもあった。

岸田政権の悪知恵政策

ところで、岸田政権の「異次元の少子化対策」では、財源の3分の1を、医療保険の掛け金から「支援」させるという。医療・介護保険は、必要な医療介護費用を算出し、保険制度の組合加入者が負担するわけだから、保険金に余裕はない。余裕があるとすれば、保険料を減額するのが筋だ。

その保険金を別の用途に回すとすれば、必要な医療・介護サービスを減らすことになる。学校給食費の納入金の一部を人気取り行事に流用して、給食の回数を減らすか食材の品質を落とすのと同じだ。要するに、「口減らし」だ。日本の老人は、子どものためと言われれば、少ない年金からでも、ひねり出すことは厭(いと)わない。

しかし、そのような、日本の老人の心情に付け込むような悪知恵政策は余りにも卑怯(ひきょう)だ。肝心の日本の子ども達は、子育て政策が老人の命を削る支援金で行われることを聞いたとき、喜ぶのだろうか?(地歴好きの土浦人)

伝統的な街とは?「ゲニウスロキ」《看取り医者は見た!》10

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土浦の花火(菊地和輝さん提供)

【コラム・平野国美】前回(12月15日掲載)、私の故郷、龍ケ崎市の祭りから「関係人口」を考えました。関係人口とは、定住者とは異なり、地域づくりに流動的に関わる人たちを意味します。さらに分類すると、「行き来する者」「地域内にルーツがある者」「何らかの関わりがある者」などになります。

街づくりの正攻法として「関係人口」を増やすのであれば、2番目の「地域内にルーツがある者」を、いかに引きつけて「関係人口」にするか―うまく行くならば定住者もしくは将来的にUターンさせるか―を考えなくてはなりません。元々無縁の方々を引き込むには、既に何か魅力的な仕掛けが存在するか、あるいは、これから作らなくてはなりません。

昔、公団住宅やニュータウンには文化が生まれないと、何かで読んだ記憶があります。今、調べても見つからないのですが、私は以下のように考えています。

城下町のような伝統的な街並みと昭和30年代以降にできたニュウータウンの街を比較すると、どちらも、人口減少ではありますが、事情が異なるような気がするのです。昔、輝いていた多摩ニュータウンや千里ニュータウン、どちらも、高齢化や過疎化が深刻になっています。

都心部の人口爆発に対応して、その時代のトレンドを取り入れた住宅であったと思うのですが、時代の変化に置き去りにされた感があります。そこに、文化が全く芽生えなかったわけではないのですが、一過性のものとなってしまったのでしょう。

土浦の花火は市民1年のケジメ

これに対し、伝統的な街は歴史的な文化や行事が蓄積されています。人口減少問題はありますが、そこで生まれ、そこから離れられない人も多く見かけます。それが文化というものが引力になっているような気もするのです。

その引力的な文化として、今、二つ考えています。一つが「お祭り」、もう一つがソウルフードです。これは私の考えですが、このコラムのコメント欄で、私が鬱(うつ)にならない程度の緩やかなご意見がいただければ、私は修正しますし、あるいは新たな気づきがあると思いますので、よろしくお願いします。

土浦の花火大会を初めて見に行ったとき、ある土浦の旧家に集合してから、桜川の会場に向かいました。この家で胡坐(あぐら)をかいて待っていると、家主が現れた場面を覚えています。当主の言葉は「土浦の花火は土浦市民の1年のケジメであります」と短いものでしたが、その瞬間、我々は正座し、時代劇のように、一同、ひれ伏したのです。土浦市民にとって、花火は夜空だけでなく、心根に響くものなのです。(訪問診療医師)

「ガチ中華」と中国ワインはいかが?《医療通訳のつぶやき》4

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写真1:羊の丸焼き

【コラム・松永悠】日本で中華料理というと、皆さんはまず何が思い浮かびますか? 麻婆(マーボー)豆腐? それとも青椒肉絲(チンジャオロース)に焼き餃子(ギョーザ)? そして中国のお酒というと、やっぱり紹興酒(しょうこうしゅ)でしょうか?

人生半分以上の歳月を日本で過ごし、全く違和感なくおいしく和食をいただく私ですが、一方で、小さい頃から慣れ親しんだ中華の味も記憶に刻まれているので、食べることが里帰りの楽しみと言えます。これまで毎年のように北京に帰っていたところ、コロナ禍によってこの楽しみが奪われてしまいました。

しかし実を言うと、今、懐かしい味は日本でも味わえるのです。首都圏をはじめとする多くの都市で「ガチ中華」と呼ばれる本格中国料理が増えていることをご存知でしょうか? 「町中華」と違って、そのイメージを一言で言うと、店主もシェフも客もほとんど中国人で、「中国人による中国人のための中国料理」です。

代表的なものとして、日本人になじみの薄い羊料理や麻辣(マーラー)四川料理、さらに、今中国本土ではやっているスタイルや料理をそのまま逆輸入してくる店まで出現しています。食材、調理法、店内の内装など、全面的に「中国色」を出しています。

最初は確か、ほとんどの客は在日の中国人でしたけれど、気がつけば、中国とご縁のある日本人、中国に留学や駐在した経験のある日本人、さらに好奇心あふれる日本人など、日本人客もじわじわと増えています。

中国ワイン

東京ディープチャイナ研究会

実は私、2年ほど前から、プライベートで「東京ディープチャイナ研究会」というグループに参加しており、ライターとして店の取材をして記事にしたり、食事会を企画したりしています。この活動を通して、多くのガチ中華好きな日本人とお友達になって、みんなで一緒に飲食する楽しみが増えました。

写真1は秋葉原にある「香福味坊」という店で食べた「羊の丸焼き」です。羊肉料理がだいぶ増えたと言っても、丸焼きが食べられる店はほとんどありません。このようなイベントの参加者のほとんどは日本人で、インパクトのある料理に店内のあちこちから歓声が聞こえてきます。

また、ご存じない方も多いと思いますが、最近、中国ワインがかなり話題になっています。中国には、広大な国土にブドウの栽培に適している地域がある上、近代ドイツ植民地時代からワインの製造が始まった歴史があります。

今、世界の一流ワイン生産者が中国各地にワイナリーを設立して、世界に向けて中国ワインを輸出し、その品質の良さが高く評価され、コンテスト受賞も相次いでいます。写真2は、昨夏、東京・恵比寿にあるワイン専門店で中国ワインの勉強会に参加したときのものです。産地と品種が違えば、こんなにもテイストが変わると、驚きの連続でした。

ガチ中華に中国ワイン。もし機会があれば、一度お試ししてみてはいかがでしょうか?(医療通訳)

<参考> 医療通訳の相談は松永rencongkuan@icloud.comまで。

新しい年のために《ことばのおはなし》65

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写真は筆者

【コラム・山口絹記】さて、新年である。

新年と言っても、一般的に何か新しいことが自然と起こるわけではない。いつも通りに過ごせばいつも通りの日常がやってくる。それでも、ごく一般的な感覚として、日々の生活には何かしらの区切り、のようなものが欲しいものだ。

だから私たちは、新年のあいさつをしたり、特別な料理を食べたりして、その区切りを改めて意識するのだろう。

私は年をまたぐにあたって、いつもやっていることがある。新しい手帳に行く年の総括と、来る年の展望を書くのだ。そこまで特殊な行為ではないと思う。同じようなことをしている人も多いだろう。それでもことばにして書き留めておくのは大切なことだと思っている。

小さい頃から、新しいノートや手帳の使い始めが苦手だ。なんとなく、きれいに使おうとしてしまって、本当に書きたいことが書けなかったりする。放っておくといつまでもきれいなままなので、新年が来る前に“汚して”おくのだ。

書き始めにはずいぶん時間がかかる。誰に見せるわけでもないのに、何か、いいことを書こうとしている。そのたびにあることを思い出す。

新しい手帳を汚す

高校生の頃、何のためらいもなく絵を描く同級生がいた。実際のところはわからないけれど、少なくとも私にはそう見えた。特別大きく息を吸ったりするわけでも、力むわけでもなく、自然体のままで、迷いのない勢いのある線をひいていく。今もあの人は、迷いなく絵を描くことができるのだろうか。

私はといえば、いまだに違う紙に下書きを書いてみたり、ぐるぐると意味もなく丸を書いてみたりしてはうじうじするところから始まる。人の前では迷いのないフリをできるようになったが、自分にはウソをつけない。

そんなうじうじしている自分を、行く年に置いていきたい一心で、新しい手帳を汚す。一度汚しておけば使いやすい。後はどうにでもなれという気持ちになれる。情けないけれど、こればかりは一生克服できない気がしている。

だからこその準備だ。苦手でも自分でやるしかないことは、無理せず万全の準備でカバーすればいい。

今年もすがすがしくいこう。(言語研究者)

運か実力か《続・気軽にSOS》145

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【コラム・浅井和幸】明けましておめでとうございます。昨年は、運の良い年だったでしょうか。今年は、さらに良い運に恵まれるようになりたいですね。昨年は、実力が伸びた年だったでしょうか。今年は、より実力をつけて可能性を広げたいものです。

私は、「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如(ごと)し」と「人事を尽くして天命を待つ」という言葉が好きです。ですが、好きと出来るは別問題。何かにつけて、この言葉を思い出してはバランスと努力の積み重ねを考えて、後悔と反省を繰り返しています。

私は怠け者なので、周りの人への文句ばっかり言っては周りの人が変わるのを待ち、自分が動くことを怠ってしまいがちな人間です。時には、人が私の思い通りに動くことが正しいことで当然だという考えに支配されたりします。

それは、人や環境の良くないところに苛(いら)立つことに時間を費やし、心身を消耗する結果になります。良い結果が得られない理由を外にばかり求め、自分が変わったり、環境を変えるような関わり方をしたりすることから、意識をそらし続けてしまうのです。そして、環境に恵まれない自分は運が悪い、の一言で済ませてしまうのです。

ポジティブもネガティブも大切な感覚

「自分は運が良い」と感じている人が、良い運に接すると良い運を感じやすい。「自分は運が良い」と捉える人が、良い運に巡り合うと良い運を捉えやすい。「自分は運が悪い」と感じている人が、悪い運に接すると悪い運を感じやすい。「自分は運が悪い」と捉える人が、悪い運に巡り合うと悪い運を捉えやすい。

ということは、「自分は運が良い」と感じている人が、悪い運に引っ張られにくくなり、さらに運が良くなる。「自分は運が悪い」と感じている人が、良い運に影響されにくくなりさらに運が悪くなる。

運が良いと思う人がより敏感に良い運を感じやすく、運が悪いと感じている人がより敏感に悪い運を感じやすいのですから、当たり前だと言えば当たり前の結果ですね。それは、歯が痛いときに歯医者の看板が目につきやすいのと同じ理屈です。

ポジティブもネガティブも、どちらも大切な感覚です。どちらかに偏ることは大きなリスクを伴います。ですが、過去や今起こっていること、自分や周りの環境を良い材料として良い結果を起こせることに越したことはないのです。

良い運を呼び込めることも、大きな要因ですよね。今年一年も楽しく過ごし、より良い人生に向かっていきましょう。(精神保健福祉士)

年頭の世界展望 台湾有事について《雑記録》55

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シンビジウム(写真は筆者)

【コラム・瀧田薫】2024年は、「米中新冷戦」が本格化する1年となるでしょう。第2次世界大戦後の世界は、約80年間、米英欧が主導する戦後システム(国連、自由貿易体制など)に支えられてきました。しかし、22年2月、ロシアによるウクライナ侵攻を契機として、世界は新たな戦前(第3次世界大戦の可能性をはらむ)に突入したと思われます。本稿では台湾有事が起こる可能性を探り、併せてこれからの時代と世界を考えます。

23年6月の台湾国民世論調査では、対中関係について「現状維持」を求める人が60%を超え、独立志向の25%や統一志向の7%を上回りました(毎日新聞23年12月17日付)。台湾国民の対中意識は割れましたが、回答者全員に「台湾有事」に対する強い危機感があることは確かです。

軍事専門家や国際政治学者の間でも、台湾有事に関する判断は分かれています。起こらないとする根拠としては①中国軍の近代化が不十分、米軍と台湾軍の反撃は甘くない②中国軍兵士の大半が「一人っ子」であり、膨大な戦死者が出れば政府批判に火がつく③侵攻よりも台湾国内の親中派による傀儡(かいらい)政権を樹立する方が良策―といった考えです。

他方、起こるとする根拠としては①「民主制をとる自由な台湾」は中国政府の一党独裁支配を脅かす危険な存在②経済政策の失敗、その他に対する国民の不満を外に逸らす必要がある③米軍はロシア軍のウクライナ侵攻、その他への対応で手一杯、この機会を見逃すな④習近平氏は高齢だけに持ち時間に対する焦りがある―といったところです。

国家と党の安全を優先する中国

ちなみに、23年12月23日、北京で毛沢東(1893~1976年)の生誕130年祭が開かれ、習氏は毛の事業を引き継ぐと宣言し、悲願である台湾統一の重要性を強調しました。識者は、習氏の演説に政権の正統性に対する自信のなさを見ています。

毛の死後、党と政府は改革・開放路線を採ってきましたが、習氏はこの路線の行き過ぎが共産党一党支配を掘り崩すとして警戒し、国家と党の安全を優先する政策(経済における国家の役割拡大、中国民間資本に対する圧力、外資に対する制限)を打ち出してきました。最近の中国経済の変調については、こうした習政権の政治姿勢による影響が大きいと思います。

最近、中国経済のピークアウトを指摘する西側の経済専門家も増えていますし、中国政府内にも経済の先行きを懸念する声は高まっているようです。

ともあれ、中国では「絶対権力者習近平氏が不合理な命令を下しても従う」という、権威主義国家ならではの慣性が働くことは確かです。そこから、「台湾有事」は習近平氏の決断1つにかかっているという見方が出てきますが、もう毛沢東の時代ではありません。習政権は中国経済ひいては世界経済から自由な存在ではありません。

したがって、米国や日本の対中国政策の眼目は軍事と経済のバランスに腐心することです。中国に塩を送る必要はありませんが、台湾有事を回避するために、中国とのデカップリングは避けるべきでしょう。(茨城キリスト教大学名誉教授)

あけましておめでとうございます 《吾妻カガミ》174

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湖の日の出。霞ケ浦総合公園から

【コラム・坂本栄】今年もよろしくお願い申し上げます。

ロシアのウクライナ侵攻とハマスのイスラエル攻撃には共通点があります。自分たちが軽く見られるようになり、その存在を周りに再確認させたいとの焦りです。日本の周辺にもそういった思考癖がある国があります。用心しなければなりません。

昨秋、ネット媒体「NEWSつくば」が日本メディア学会で取り上げられました。研究者は「非プロフィット(非営利)・脱ペーパー・超ローカル」に強い関心を持ったようです。グーグルやヤフーなどが運営する「ニュース・プラットフォーム」との関係も話題になり、先生方との意見交換は有益でした。

以上は私の年賀状の全文です。今年最初の本欄は上の2パラグラフの補足になります。

問題の解決を武力に頼る時代

国際秩序のタガが緩んでいます。問題を暴力で解決することが目立つようになったからです。NATO(北大西洋条約機構)の拡大をロシアが恐れ、イスラエルと回教大国の仲直りがハマスを焦らせ、そういった恐怖や焦燥が彼らを武力行使に走らせました。米国の力が相対的に弱くなったことも、軍事が幅を利かせるようになった一因です。

日本の近隣にも、核弾頭やその運搬手段の開発で威嚇しようと考える小国、内外の問題を軍事力の誇示で解決しようとする大国があります。欧州や中東だけでなく、日本の周辺も厄介なことになってきました。

一番厄介なのは、米国が20世紀にそうであったような大国ではなく、内向きの国になったことです。前大統領の「米国第一」が、国民の気分を汲み取ったスローガンであることを考えると、対米関係もこれまでとは違ったものになります。大統領選がある今年、新たな米国との枠組みが必要になるかもしれません。

戦後の経済を律してきた自由貿易や市場原理も過去のものになりつつあります。軍事をコアとする安全保障が国際貿易や企業活動に介入するようになったからです。こういった国際構造の変化をきちんと受け止め、機敏に対応する必要があるでしょう。

ニュース砂漠と地域ジャーナリズム

昨年11月4日、日本メディア学会のワークショップ(ウェブ会議ツールZOOMを使った研究集会)で、当サイトが取り上げられました。タイトルは「ニュース砂漠と地域ジャーナリズム―非営利法人『NEWSつくば』を事例として」です。私、編集担当者、システム担当者が参加し、約2時間、全国の研究者と議論しました。

年賀状に書いたように、大学などの研究者は「NEWSつくば」の試み=非プロフィット(営利)、脱ペーパー(新聞)、超ローカル(つくば・土浦中心)=が面白いと思ったようです。

ここで私は、①税金で仕事をしている組織の監視が編集方針の一つ②記者は元記者(プロ)と市民記者(アマチュア)で構成、③新聞社などを退職した元記者の参加を歓迎、④地域に住まう識者のコラム寄稿も歓迎、⑤運営費は大口小口の寄付に多くを依存、⑥寄付文化が根付く米国との違い経費の捻出に苦労、⑦ニュース・プラットフォームは地域メディアの発信力にプラス―などと報告しました。

研究者の方々は、非プロフィットに強い関心を示しました。広告収入に頼る民間放送、購読料+広告料に頼る新聞がメディア運営の常識ですから、当然といえます。当サイトは今年でスタート(2017年10月)から7年。先に挙げた特性を踏まえながら、新基軸を取り入れていきます。(NEWSつくば理事長、経済ジャーナリスト)

子宮体がん 閉経後出血を放置していませんか?《メディカル知恵袋》2

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筑波メディカルセンター病院提供

【コラム・野末彰子】

閉経とは?

卵巣からの女性ホルモン(エストロゲン)の分泌がなくなり、月経が永久的に止まった状態のことを閉経と言います。日本人では、平均すると50~51歳くらいで閉経すると言われています。実際には、月経が止まった時点で、閉経かどうか判断するのは難しく、医学的には「1年間以上、月経が来ない状態」と定義されています。

閉経後出血

閉経したはずなのに、また月経が再開することはあるのでしょうか?

完全に閉経するまでの数年間は、月経はかなり不規則になります。そのため、この時期は不正出血(異状な出血)と、不規則にきた月経とを区別することはとても難しくなります。しかし、1年以上無月経だったのに、再び性器出血が始まる場合(閉経後出血)は、何らかの病気が隠れていることが多く、注意が必要です。

子宮体がん

子宮がんには、子宮頸(けい)がんと子宮体がんの2つがあることをご存じでしょうか?

子宮には頸部という膣に近い部分と、体部という妊娠すると膨らむ部分の2つの部位があり、それらの2つの部位にできるがんは、別の種類であり、その性質は全く異なります。子宮頸がんは30~40代に好発しますが、子宮体がんの好発年齢は50歳代で、約70%は閉経後女性に発症します。

子宮頸がんはそのほとんどがヒトパピローマウイルスの感染によって発症しますが、子宮体がんとウイルスは無関係です。また子宮体がんになりやすい人の特徴は、未婚、不妊、若い頃からの月経不順、糖尿病、高血圧、肥満などがあげられます。主な症状は不正出血で、約9割で性器出血を認めます。

近年、子宮体がんはとても増えてきており、ここ20年で3~4倍になっていると言われています。この原因は食事の欧米化、少子高齢化などいろいろなことが言われています。

国立がん研究センターがん情報サービス「がん登録・統計」(全国がん罹患モニタリング集計)

その診断方法

子宮がん健診は、市町村での集団健診やドックのような個人健診など、いろいろな実施の機会があります。しかし、集団検診などの一般的な健診で実施されているのは、子宮頸がんの検査のみであることを皆さんはご存じでしょうか?

不正出血がある、月経が不規則であるなどの一定の条件を満たした場合や、本人が希望した場合などを除き、子宮体がんの検査までは実施されていません。そして、子宮頸がん健診では、子宮体がんを見つけることはできないのです。

子宮体がんの診断は、子宮体部から細胞を採取してくることが必要です。頸部の検査より、子宮の奥から細胞をとるので、場合によっては痛みや出血を伴います。ですから集団検診では実施できず、人間ドック施設や医療機関で行われます。

その治療方法

子宮体がんは不正出血が主な症状であり、これを見逃さなければ、早期がんで見つかることが多い疾患です。早期であれば、手術だけできちんと治すことができます。手術では子宮や卵巣、卵管などを摘出します。卵巣・卵管は子宮体がんが転移しやすい場所です。また子宮に近いリンパ節も摘出して、転移がないかどうかを確認していきます。

早期がんであれば、今は腹腔(ふくくう)鏡下手術も可能で、小さいキズで身体への負担も少なく治療することができます。しかし、進行してしまうと、手術だけで治すことができず、抗がん薬治療や放射線治療などが必要になります。症状を見逃さず、早期に受診して診断を受けることが大切です。

ドクターから一言

子宮体がんは早期に見つけることができる疾患です。早期であれば、例えがんになっても完治が可能です。健診を受けることはもちろん大切ですが、閉経後不正出血など、些細(ささい)と思われる症状を見逃さず、心当たりの症状があった場合は医療機関に相談しましょう。(筑波メディカルセンター病院 婦人科診療科長)

新しいまちでテーマ型コミュニティをつなぐ《けんがくひろば》1

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「けんがくハロウィン」表彰式(筆者提供)
島田由美子さん
【コラム・島田由美子】10月最終日曜日の夕暮れ時、子供たちが作ったパンプキンランタンがほのかに輝く下、仮装コンテストのグランプリが発表された。ピザに扮(ふん)した少女がディズニーペアチケットを満面の笑みで受け取り、TX研究学園駅周辺地区(私たちは「けんがく地区」と言っている)の活動団体が連携して実施した「けんがくハロウィン2023」が終了した。 地縁的コミュニティーの代わりの存在 けんがく地区はTX開通後18年で人口が2万人以上となった。その間、つくば市新庁舎の開庁、義務教育学校・小中学校の開校、多くの商業施設の開業などを経て、まちとして順調に成長している。しかし急激なまちの発展には課題も多い。 市内TX沿線では、居住年数5年未満の住民が全体の3分の1以上を占め、働き盛り世代が多いこともあって、地縁型コミュニティーである区会の加入率は38%と低く、人口20万~30万人都市の平均65%(2021年総務省調査)の半分程度である。 地縁的コミュニティーの代わりとなる存在として、テーマ型コミュニティーがあり、けんがく地区では駅前花壇づくり、シニアサロン、子供の遊び場づくり、ごみ拾い、ウォーキング、桜の植樹・維持を行う団体などが誕生し、活動を行っている。地縁的なつながりが希薄なけんがく地区で、地域の課題を解決していくには、これらテーマ型団体やそのメンバーが連携し、地域の当事者となって地域全体を考えた活動をすることが求められている。 2回目の「けんがくハロウィン」 けんがく地区で活動する団体の多くは歴史が浅い上、団体同士のつながりがほとんど見られず、多様で多世代に及ぶ交流が少なかったが、この数年、団体間の連携・交流を育む動きが活発になってきている。ワークショップや交流会などを経て、連携づくりのツールとしての「けんがくさくらまつり」「けんがくハロウィン」が開催され、その試みは第1回つくばSDGs大賞を受賞した。 第2回となった今年のハロウィンでは5つの企画が実施された。子供たちや親子連れに商店を訪れてもらい地域にどのような店があるかを知ってもらうトリックオアトリート、交通安全クイズラリーやパンプキン色のゴミ袋を使ったごみ拾いやクラフト、そして商店や企業から賞品を提供してもらった仮装コンテストである。 その運営の特徴は、活動団体や商店、企業、公的機関など多様な主体の連携と、活動団体の負担の極小化である。団体のリソース(人材、知識、情報、ノウハウ、人的つながり、物品など)を共有・活用して、負担を軽くした。例えば、ごみ拾い団体がごみ拾いやごみ袋クラフトを担当したり、交通安全母の会が警備を行ったりするなど、各団体が普段行っていること、得意としていることを生かすようにした。 多様な団体が強みを生かし連携 当日は天候にも恵まれ、1000人を超す来場者があり、参加者も実施者も協力店舗も楽しめるイベントとなった。「けんがくハロウィン」の実施を通じて、各団体の実態や得意不得意を互いに認識し、顔なじみの関係を構築して、緩い組織化を達成することができた。 新しくできたまちでは地縁型コミュニティーが醸成されるまで時間が必要とされるが、それまでのつなぎとしてテーマ型コミュニティーが連携することで代替できるのではないかと考えられる。多様な団体が連携し、それぞれの強み・得意を生かすことで各々が成長し、それがまちの成長につながっていくと確信している。 この欄「けんがくひろば」では、けんがく地区で活動する団体や連携して開催するイベントを紹介していく。(けんがくまちづくり実行委員会代表) 【しまだ・ゆみこ】けんがくまちづくり実行委員会代表、研究学園グリーンネックレス タウンの会代表。本業は海外映画・ドラマの字幕翻訳。TX研究学園駅地区に移り住んだことをきっかけに、まちづくりに興味を持つ。まちづくり活動を行いながら、現在、筑波大学大学院システム情報系非常勤研究員として、都市計画の研究に携わっている。

ヤキモチ焼の女房 《短いおはなし》22

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

むかしむかし、たいそうヤキモチ焼きの女房がいた。

亭主は団子屋を営んでいたが、女の客が来るたびに女房が目を光らせるものだから、やりにくくて仕方ない。

「多少のヤキモチならかわいいけど、うちの女房は度を越している。何とかならないでしょうか」

亭主は、村の長老に相談をした。

「若い女に道を聞かれただけで、すごい剣幕で怒るんです。商売にも差し支えるし、何かヤキモチを抑える薬はありませんか?」

長老は、「そういえば」と棚の奥から何やら茶色の瓶を出してきた。

「これは、都の商人から買ったものだ。確か、ヤキモチ焼きが治る薬だ」

「ほう。そんな薬が本当にあるんですか」

「試したことはないが、おまえさん、ひとつ使ってみなさい」

亭主は、長老から二回分の薬を分けてもらった。

さっそくその夜、女房と差し向って酒を酌み交わした。

もちろん女房の酒には、長老からもらった薬が入っている。

「一緒に飲もうだなんて珍しい。やましいことでもあるんですか?」

「いいから早く飲め。なかなかうまい酒だぞ」

女房は「ふん」と鼻を鳴らして酒を飲み干した。あとは効き目を待つだけだ。

翌朝、店の準備をしていると、通りかかった若い女が石につまずいて転びそうになった。

亭主はさっと手を差し伸べて女をかばい、一瞬だが抱き合うような格好になった。

「まずい。女房に怒られる」

振り返ったが、女房は店の奥で何事もないように団子を並べている。

亭主は店に戻り、「おい、今の見てなかったのかい?」と聞いた。

「見てましたけど、それが何か?」

あんな美人に女房がヤキモチを焼かないわけがない。

なるほど、薬が効いたんだな。亭主は、心の中で万歳と叫んだ。

そのあとも、女房はさっぱりヤキモチを焼かない。

団子を買いに来た女と手が触れても、近所の若奥さんと話し込んでも、見ているだけ。

あんまりヤキモチを焼かれないのも、何だか物足りない。

亭主は昔なじみの芸者を家に呼んだ。

女房の目の前でいちゃつきながら酒を飲んだが、女房はさっぱりヤキモチを焼かない。

あきれたような顔で見ているだけだ。

そっけなくされると、今度はやけに女房のことが気になるものだ。

亭主は、女房が若い男と話したり、男の客に笑いかけるのが何とも許せなくなった。

「いかん、いかん。俺がヤキモチ焼きになっちまう。そうだ。あの薬が一回分残ってたぞ」

その夜、女房と酒を飲んだ亭主は、自分の酒にあの薬を一滴たらした。

「しかしおまえは、ヤキモチを焼かなくなったね」

「そうですか?」

「そうさ。この前も、女を家に連れてきても何にも言わなかったじゃないか」

「女って…いくら私でも、メス猫にヤキモチは焼きませんよ」

「メス猫?」

「ええ、まったくあなたの動物好きにはあきれますよ」

その時、長老が訪ねて来た。

「おい、この前、渡した薬、間違えた。あれは女が人間以外の動物に見えちまう薬だった」

「何だって?」

亭主が振り向くと、そこには酒をうまそうに飲むメスのタヌキがいた。(作家)

「かかし送り」火と子どもたち《宍塚の里山》108

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写真は筆者提供

【コラム・阿部きよ子&江原栄治】私たちの「田んぼの学校」では、夏に田んぼの周りに立てたかかしを燃やす行事を「かかし送り」と名づけて、毎年実施してきました。12月9日、担当係の子どもたちが「かかしさんありがとう」「かかしさんさようなら」の垂れ幕を作って、エノキの大木に登って下げました。

昼過ぎ、集まってきた親子は、自分が作ったかかしを田んぼから運んで解体し、可燃物と不燃物を分けました。第1部:垂れ幕の前の広場で「かかし」の歌、踊り、言葉。第2部:子どもたちは学生さんたちと鬼ごっこなどで遊び、大人はたき火と食材の管理。第3部:食べる時間です。

焼きリンゴは「アップルパイみたい」。「えっ、ミカン焼くの?」の声もあった焼きミカンも好評。焼きサトイモ、焼き大根には会特製のみそをつけ、畑で育てたサツマイモの焼き芋は甘くねっとり。途中で子どもたちは、栗のイガを集めてきて、線香花火のような美しい火も楽しみました。

火に近づけるようになってから、各自が笹の串にさしたソーセージ、最後にマシュマロをあぶって食べました。

幼児から中学生までが協力する姿、力一いっぱい遊ぶ姿、おいしい食べ物にニッコニコの子どもたちに出会える喜びは、私たちスタッフのエネルギー源です。ただ、燃えている炭を踏みそうになったり、煙の方向を読めないなど、子どもたちが火、炎、煙に未経験なことが気になります。

「良い火」ってどんな火だろう?

以下、たき火担当の江原さんから届いた文の一部です。

冬の寒い朝、田んぼの学校の広場で1人たき火をしながら待っている。予定の時間より早くやって来る幼いお客さんたちの体を、静かにこう温めてやりたいのだ。「ワーイ、火が燃えている」と走り寄ってくる。

パチパチと音を立てながら美しく燃える火を、しばらく一緒に見詰める。その幸せを破って「君たち、火に悪い火と良い火があるのを知っているかい? オレ様は燃えてるぜ!と周囲の迷惑に気づかずに得意になって燃えているヤンチャな火を何と呼ぶか?」「それは火事だ」と子どもたち。

「良い火」ってどんな火だろう? おいしい料理を作るとき助けてくれる火、お風呂を温めてくれる火、エンジンや溶鉱炉の中で燃えている火や、寒い日、私たちを温めてくれる大空の日(太陽の火)。火に感謝しよう。

着火し、火を育て、火の世話をする、そんな体験をしてほしいと、孫にマッチを渡したら、地面にベタにまきを置き、その上にこっぱや杉の落ち葉、一番上に新聞紙を置いて上から火をつけようとした。

「ああ、お前もか!」。若い親ごさんたち、気を付けてください。便利になればなるほど、基礎能力が低下・劣化してきている面があることを。アブナイね、アブナイです。火に親しみ、敬意を払い、感謝し、コントロールする技術を子供のころから身につけてほしい。(宍塚の自然と歴史の会 会員)

<注意> 野焼きは原則禁止です。会では消防署に事前に届けを出して「かかし送り」を実施しています。

私の定番、あれこれ《続・平熱日記》148

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】セーターというものを着なくなった。代わりに着るようになったのはフリース。今や冬の定番。私にとっては動物の冬毛のようなもので、春までずっと着っぱなし。しかも何年も同じものを着ているので、肘の辺りがすり減ってみすぼらしい。というわけで近くのリサイクル店に探しに行ったら、運よく同じようなものを見つけた。

若いころ古着屋でバイトをしていたこともあって、セカンドハンドには何の抵抗もないのだが、持って帰って着てみたら結構いい香りがする。色や形、着心地は申し分ないのに…。古着を買うときの基本中の基本、なぜ匂いをチェックしなかったか。体臭というよりも何だろう? 満員電車で嗅いだことのある…、整髪料? 香水?

とにかく激しいおじさんの香り。おじさんが着るのだからいいようなものだが、生理的に無理な匂いだ。まずは重曹に漬けてみたが、頑固なおじさんの匂いは全く取れない。

定番といえば、いつも買っていた靴下がホームセンターから消えた。ネットで検索しても出てこないところをみると、製造中止になったのだろう。綿と化繊の割合とか厚さとかが絶妙で、履き心地が良くて好きだったのに。

それからTシャツも。老舗メーカーの3枚組のものだが、最近見かけなくなった。肌着だからこそのこだわりがあって、例えばちょっとした丈の長さとか。しかし、こちらの定番はネットで見つけてポチっと注文できた。

おじさん臭は残るが許容範囲

冷凍庫の定番だったお気に入りのアイスクリーム。いつものスーパーにない。フルーツと小豆のツブツブ入りで一箱6本入り。系列の別の店舗にも売っていない。店員さんに聞いてみようかと思ったのだけれども、それが聞けないのがおじさん。

さらにここにきて、いつも使っていた一番安価な定番の子供用の紙粘土が見当たらない。フワフワしたソフトなものに代わっている。手は汚れないが、マシュマロみたいで腑(ふ)抜けた形になってしまう。あの素朴なずっしり重い紙粘土が好きだったのに。

さて、件(くだん)のフリースはどうなったかな。少し長めに酸素系の漂白剤に漬けて、洗濯して干しておいたんだけど…。恐る恐る鼻を近づけてみた…かすかにおじさん臭は残るが、許容範囲。

ちなみに気になってフリースの語源を調べてみたら、「羊一頭から刈り取られた、ひとつながりの羊毛」だそうだ。頭の中には、毛を刈り取られて丸裸になった羊とそれを羽織る私。スマホで語源や由来を調べて、「フーン」というのが昨今の私の定番。

私の定番はさておき、どうやら世の中で定番と言われていた物事もそうではなくなってきている? 万博やオリンピック、紅白に正月、さんま、制服、学校、働き方…ちなみに、最近よく聞く「てっぱん」という言い方は私の中では定番になっていない。(画家)

「有機農業運動の希望の星」星寛治さん逝く《邑から日本を見る》150

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那珂市静の「しどり農園」のシクラメン

【コラム・先﨑千尋】今月9日の『日本農業新聞』で、山形県高畠町の農民詩人・星寛治さんの訃報を見た。享年88歳。星さんの仲間である佐賀県唐津市の山下惣一さんが昨年亡くなり(本コラム126回)、農業の現場から、小説やルポ、詩、講演などで農村の実情を世間に訴え続けてきた南北の巨頭を失った感じだ。

星さんは、1973年に町内の若手の農民たちと「高畠町有機農業研究会」を立ち上げ、耕し、収穫し、おいしいコメやリンゴ、ブドウなどを消費者に直接届け、食べものを分かち合う喜びを、詩に刻んできた。また、わが国の農業と農法をどうするかを農民や消費者、研究者たちと議論し続けてきた。

小説『複合汚染』を書いた有吉佐和子さんも、74年に高畠を訪れ、小説にもそのことを書いている。日本有機農業研究会を立ち上げた一楽照雄さんとも親しかった。

私が星さんと最初に出会ったのは77年夏。石岡市で開かれた「生消提携」の集会を『日本農業新聞』の通信員として取材し、講演後の星さんに高畠のリンゴとブドウを購入したいと申し出たことがきっかけだった。それから、私どものささやかな消費者の会「水戸たべものの会」と交流が始まり、高畠まで車を走らせ、2月の生産者と消費者グループとの「作付け会議」にも参加するようになった。

熊本県水俣市の水俣病患者の生産する甘夏を購入するようになったのも、この頃だった。星さんからは、著書を発行の都度送っていただき、自宅に伺い、リンゴ園も何度か見ている。今年の賀状には「はてしない野道をゆっくり、ゆっくり歩こうよ。足跡など消えてもいいよ」という詩が添えられていた。

実践するだけでなく表現する農民

星さんの師匠は、詩人で同人誌『地下水』を主宰していた真壁仁。佐藤藤三郎さんや齋藤たきちさん、木村廸夫さんらと共に、直系の弟子だった。星さんは真壁から「実践するだけでなく、表現する農民として生きていく」ことを学んだ。

星さんは高校を卒業してすぐに就農した。最初に取り組んだ化学肥料や農薬漬けの農法で身体を壊し、田畑から生き物が消えていくのを見て、「命や健康、環境を守ることが農の本分」と思い定めた。土にはいつくばって虫や草を取り、農薬などを使わない農業を実践。3年目の田んぼに黄金色のコメが実り、トンボやホタルも戻ってきた。

星さんは町の教育委員も長く務めた。在任中は食農や食育教育を重視し、学校給食で地域の食材を使った「地産地消」に取り組んだ。「農業と教育は、育てるという意味で地下茎のようにつながっている」と書いている。星さんにとって有機農業は生き方そのもの。「文化」は英語では「カルチャー」。文化とは耕すことだというのが口癖だった。そして「農民は、日本に暮らす勤労市民の命と健康を支える使命がある」とも。

「農村には千年続く伝統と文化がある。日本の原風景に誇りを持とう。そして田園に暮らす幸せを体感しよう」という星さんの呼びかけに、私も共感する。星さんのあとは山形大学農学部を出た孫の航希さんが継いでいる。星さんの足跡が消えることはない。(元瓜連町長)

裏金化問題、政治責任はどう問うべきか《文京町便り》23

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】昨今メディアをにぎわしているのが、自民党安倍派のパーティー券収入の裏金化問題である。岸田首相は、自派には影響ナシと見てか、当初はいつも通り慎重な対応だったが、なぜか自身の支持率も低下するに至り、とりあえずは安倍派の閣僚・党役員・副大臣・政務官などを差し替える弥縫(びぼう)策で、乗り切ろうとしている。

こうした金銭授受を巡る問題は、政治活動の少なからざる局面で多くの国民も昔からうさん臭さを感じながらも、漠然とやり過ごしてきた感がある。とはいえ、使途不明金の存在は、個人の活動であっても公的なものであれば税制上は認められるわけもなく、ましてや公人としての政治家の活動では透明性・公開性が求められる。

こうした問題を引き起こした政治家は、しかるべく、検察の捜査・立件・公判などの法の下での裁きを受けなくてはならない。

しかし、それが確定するまでには相当の日時がかかる。さらには、このような事案が他派閥でも生じているなど構造的なものであれば、選挙制度(衆議院の定数465人中、小選挙区289人・比例代表176人。参議院の定数248人中、比例代表100人・選挙区148人)の大改革や政治資金規正法改正を視野に入れるべきだとする論調も出ている。

刑が確定した政治家は公民権停止に

しかし、こうした制度改革には、現在の民主主義制度下では、国会議員の発議・立法化が必要である。仮にメディアなどでどれだけ機運が盛り上がっても、肝心の国会内での与党・政権党がその気にならなければ、結局は球場外の声に終わってしまう。では、この手詰まり感をどう突破すべきか。

まずはこの問題で、現行制度の下で刑が確定した政治家は、その後一定期間国政選挙には立候補できないというルール(すなわち公民権停止)を、国会の場(できるだけ全会一致)で取り決めることである。この公民権停止期間は、(現憲法下での二院制を前提にする限り)衆議院の場合は4年間、参議院の場合は3年間、とする。

政治資金パーティーを巡る裏金疑惑の深刻さ・波及範囲が見えない現時点では、ここまでの措置はフライイングだと躊躇(ちゅうちょ)する向きもあるかもしれない。さらには、そこまで罪の償いを求めては、せっかくの(国政に選出されていた)有為な人材も一網打尽に退場を求めるようなものだとの反論もあるだろう。

しかし歴史に範を求めれば、少なくともわが国の近代史に限っても、明治維新時、昭和20年代いずれも、それ以前の体制派の大方はどんなに人格・識見が高潔であっても、次代の公職からは排除された。軍事的な内乱は極力抑えられたが、次代の統治機構は、旧体制の打倒に貢献した勢力および全国から新たにリクルートされた人材から構成され、新機軸を試行錯誤で模索したのである。

仮に現行の国会議員の半数が公民権停止になったところで、全国に目を向ければ、有為な人材は澎湃(ほうはい)として存在している、というのが私の見立てである。わが国の進路を真剣に論じ確立するには、先例を安易に踏襲する形骸化した政治ゲームに安住している国会議員に活を入れるべきだと思う。(専修大学名誉教授)

クリスマスの唄 ♫ 清し、この野郎 ♪《くずかごの唄》134

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】私が土浦に嫁に来て初めてのクリスマスの日。夫には2人の兄がいて、クリスマスの日は全員集合だった。教会へ行く前、家で男3兄弟、私に歌ってくれたのが「♪ 清、♪ この野郎、星は光 ♬」。夫の名は清。彼は「清、この野郎」などと言われているのに、実にうれしそうな顔をして、一緒に歌っているではないか。

私は大笑いしながらも、2人の兄が彼らなりに、一生懸命、弟を育ててくれたのだという事実を、痛いほど知ってしまったのだった。清は幼年期に重い肺炎になり、小学校の入学を2年も遅らせたひ弱な子供だったらしい。

長男の誠一兄は、私が学生時代、青酸カリや砒素など毒物の「裁判化学」という教科の先生。「弟と結婚してやってくれ」と、私を口説いたのは本人でなく兄だった。

私の学生時代。東京薬科大学女子部は上野にあったので、東大の先生が何人も講師に来てくれていた。兄もその1人だった。兄は東大卒業のとき、天皇陛下から恩賜(おんし)の刀を頂いたくらいだから、成績もよかったのだろう。その後、東北大学に薬学部を創設し、45歳であっけなく亡くなってしまった。次男の勝二兄は千葉大学病院の外科医で、がんの手術が得意だったらしい。

医師会ならこちらもイシ会です

日本の外科の歴史を考えると、フランス人のアンブロワーズ・パレの著書が、オランダから入ってきたのが始まりだった。パレの生誕400年祭の際、パレ生地の公園に、日本医師会から「日本の伝統工芸品の石灯籠を贈りたい」という東大の盛岡恭彦先生。先生にはパレに関する著書も多い。

「医師会ならこちらもイシ(石)会です。イシ会として協力させていただきます」。真壁町の加藤征一さんが伝統工芸品の春日燈籠を作成、1991年1月、真壁の五所駒ヶ瀧(ごしょこまがたき)神社での荘厳な贈答式が行われた。

勝二兄は、この石燈籠が気にいって、同じものを自分の家の庭にも設置してもらい、日本の外科学の歴史を偲(しの)びながら仕事に励んでいたが、3年前、宇宙に飛び立ってしまった。生前、この燈籠は「僕が生まれて育った家に移してほしい」と言っていたとか、加藤さんが伝統工芸師の息子さんと2人で、千葉から土浦に移築してくださった。

この間、兄の命日に、「石燈籠を見ながら、奥井勝二さんを偲ぶ会」を我が家の庭で行った。パレの資料など読みながら、兄の96歳の天寿を祝して、楽しい語らいの場であった。(随筆家、薬剤師)

メリー・クリスト・マス。クリスマスの意味を知る《遊民通信》79

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【コラム・田口哲郎】

前略

クリスマスが近づき、街はクリスマス一色…ともこのごろは言えないようです。私が子供のころ、クリスマスはまさに冬の一大イベントでした。でも、いまやクリスマスはハロウィンに食われ気味ですね。ブラックフライデーなるものもアマゾンのおかげで一般的になりつつあり、アメリカの感謝祭がそのうち普及するのではないかという勢いです。そのおかげでクリスマスのイベントとしての地位もずいぶん落ちた感じがします。

クリスマスもハロウィンも感謝祭も、もともと宗教行事だったのが、消費社会の進展で、お祭りになったもので、とくに日本に輸入されると宗教性は脱色されるのはよく言われていることですね。

クリスマスはクリスト・マス、キリストのミサという意味で、キリスト=救世主がこの世に誕生したことを祝う祭儀ということです。キリスト教の開祖イエスは、いまのパレスチナあたりで生まれました。意外と知られていないのは、イエスがユダヤ教徒だったことです。イエスの母マリアも父ヨセフもユダヤ教徒でしたから、イエスも当然ユダヤ教を信仰していました。

しかし、青年になるとイエスは正統派のユダヤ教とは異なるいわば革新的なユダヤ教の教えを唱え始めます。この革新的な教えがキリスト教の教義の核になっているのですが、当時のユダヤ教指導者層には危険に映ったのでしょう。イエスは無実の罪で十字架にかけられ処刑されます。

しかし、3日目に復活し、弟子たちの前に現れ、天に昇ります。イエスの誕生、教え、死、そして復活を「信じる」ことは、イエスをキリスト=救世主と「信じること」です。パレスチナのいち民族の宗教だったユダヤ教徒から独立するかたちで、キリスト教は信者を全世界に増やし、今や信徒数は23億人を越える大きな宗教に発展しました。

ひと味違うお祝いができる

このキリスト教の始まり、イエス=キリストの誕生を祝おうというクリスマス。日本のキリスト教の信徒数は200万人弱で総人口の1パーセントに過ぎません。クリスマスがキリスト降誕を祝う目的だけのお祝いならば、日本でこんなにクリスマスがもてはやされるわけはありません。だからといって、いまさら、宗教的意義のないクリスマスは無意味だと言うつもりはありません。

ただし、クリスマスの本来の意味を意識しないで「メリークリスマス!」と乾杯するよりは、その意義を知ってお祝いするほうが良いのではないかとは思います。キリスト教では、イエス=キリストは十字架の上で、人類の身代わりとして死んで罪を引き受けた。そして、死を打ち破り、復活して、生き物が避けられない死をも乗り越える希望を人類に与えたと教えます。

こうした、いわば英雄の誕生日だと思えば、乾杯もより楽しくなるのではないでしょうか。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

つくば温泉 喜楽里 別邸《ご飯は世界を救う》59

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イラストは筆者

【コラム・川浪せつ子】「魔女の一撃」という言葉をご存知でしょうか? ドイツでは、ぎっくり腰のことだそうです。さっきまで元気だったのに、突然やってくる激痛は「魔女のしわざ」だと。それが、2回目の到来。1年半前は、つくば美術館の展示が終わった後。今回は「つくば水彩画会」が終ってから、1週間ほど後。

1回目は、起き上がるどころか、寝返りすらできない。1年半前はコロナの真っただ中。でも、病院で痛み止めをもらい、コルセットをつけて2週間後には、フイットネスに行けました。

ところが今回は、そこそこ動けるのに良くなりません。この秋から冬にかけ気温差が大きいため、ぎっくり腰の方が4倍とか。この1カ月少し、毎日、朝の歯磨きですらギック! 1日の中で何回も。これにはメンタルも少々やられ、「もう絵を描くのは、展覧会やるのは、止めてしまおうか…才能ないんだ…」

石は磨いて玉に

そのころある出会いがありました。たまたま行った展覧会。受付の女性とお話。私より少し年上の方かなと思ったら、「82才になります。絵は60才から初めて、7年前に主人を突然亡くしたときも、絵があったので乗り越えることができました」。

年齢にそぐわない若々しさ。肌つやも良く、背筋もシャン。「あなたね、絵を描きなさい」。そんなお言葉をいただきました。この方のように年齢を重ねていけたらいいなぁ~。

でも、まだ毎日、整骨院さんで治療。「あぁ~」の日々でした。ある日、整骨院さんの駐車場でラジオから聞こえてきた言葉。「石は磨きて玉(ぎょく)となり」。ただの石でも、何があっても諦めず磨きなさいーそう神様が言ってくださった?

「玉」などにならずとも、せめて泥のついた石からは脱却してみよう。どこまで磨けるかわからないけど、少しずつチャレンジしてみよう。そんな風に思えるようになってきたら、体の方も少しずつ改善してきました。

近くの日帰り温泉

今回の絵は、体をいたわるために行った日帰り温泉「つくば温泉 喜楽里 別邸」(つくば市西大橋)のお食事です。(イラストレーター)

根岸寛一の終わりの始まり 《映画探偵団》71

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】今年は、旧筑波郡小田村出身で戦前の名映画プロデューサ一根岸寛一(本コラム51で登場)の没後60年だった。イベントをやるつもりでいたのだが、時間的に余裕がなく開催することができなかった。

東映映画の礎を築いた根岸寛一は、人生の終わりを前にして、次の時代を見すえていた。亡くなる1、2年前、根岸の病床に東映撮影所長・岡田茂が訪ねる。岡田はギャング映画路線のヒットを報告しにやって来た。すると根岸は「次の路線はなんだ」と問いかける。何も考えていなかった岡田は答えに窮してしまう。すると根岸は「次はヤクザ映画だよ。ヤクザ映画は時代劇の変形だ。東映が向かうべきは任侠映画だよ。『人生劇場』だよ」と予言したそうだ。

根岸が亡くなった年、『人生劇場 飛車角』(1963)が主演・鶴田浩二で公開され、大ヒット。東京オリンピックの年にも『日本侠客伝』(1964)が主演・高倉健で大ヒット。さらに翌年には『網走番外地』(1965)、『昭和残侠伝』(1965)などが次々と大ヒットし、シリーズ化され、団塊世代の支持で任侠映画ブ一ムは約10年間続いた。根岸の時代の流れを見る目は確かだった。

『仁義なきヤクザ映画史』

『日本侠客伝』シリーズは、脚本家・笠原和夫がメインライターをつとめ、監督は名匠・マキノ雅弘らで、全11作ある。主人公など設定は毎回変わるが、堅気で昔ながらの正業を持つ主人公たちが、近代化を進める企業家の手先となったヤクザたちと戦う『忠臣蔵』を原型にした話となっている。

そしてシリーズを俯瞰すると、教科書には書かれていない大正時代の庶民史が浮び上がる工夫がほどこされている。現在に重ねれば、AI時代のスマート社会にほんろうされる市民の話とでも言えようか。

『日本侠客伝』シリーズを見直しながら、『仁義なきヤクザ映画史』(伊藤彰彦著、文藝春秋)を読んだ。1910年から2023年の約100年間のヤクザ映画の分析と、脚本家や監督や制作者のインタビュー。そして、映画界とヤクザ社会との関係を語り、それだけにとどまらず、日本の差別社会の仕組みにまでメスを入れた映画本の枠を超える名著となっている。

『劇場版  荒野に希望の灯をともす』

その中で、世界中に知られた医師中村哲のドキュメンタリー映画『劇場版  荒野に希望の灯をともす』(2022)が紹介されている。中村は医療よりも水が大切だと気付いてから、パキスタンとアフガニスタンで、黙々と井戸や用水路の建設に挑んだ。その中村の原点になっているのは祖母マンの教えだった。

祖父母は、玉井金五郎とマン。なんと、作家・火野葦平の小説『花と龍』のモデルなのだ。下層労働者のために、巨大資本の手先ヤクザと闘う玉井金五郎とその妻の物語。日活、松竹、東映で8回映画化された任侠映画『花と龍』の世界が、医師の中村につながっていると知り驚いた。

私は、中村哲を語る文化人が映画『花と龍』を見たら、どんな感想を抱くのかを聞いてみたいと思った。

2024年は根岸寛一生誕130周年である。来年こそ、イベントを開催するつもりだ。問題があっても長いものには巻かれろと、無視をきめ込む風潮がまん延する時代にあって、任侠映画が形を変えてよみがえってくると予感するからでもある。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

第三世界のための意匠《デザインを考える》3

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空き缶ラジオ(左)とピルのパッケージ(右)

【コラム・三橋俊雄】大学卒業後、私は東京のデザイン事務所に勤めました。そこでは、ぺんてる(文房具)、キッコーマン(しょうゆ瓶)、ヤマハ(オーディオ、オートバイ)、オカムラ(家具)などのプロダクトデザインから、建築・都市デザインまでを扱っており、私は、セイコー(オリンピック競技時計、羽田空港世界時計)、コンピューター端末機(XYプリンター)のデザインなどを担当しました。

それらのデザインは、多様な工業製品に美しいフォルムとオリジナルなデザインを施し、工業製品の価値を高めることが主な役割でした。私は、そうしたデザインの実践に喜びを感じながらも、一方で「What to design(何をデザインすべきか)」について関心がありました。それは、コラム2 で話した「障がい者のためのデザイン」にも通じるものでした。

今回は、私の生き方に最も大きな影響を与えた『生きのびるためのデザイン』(ヴィクター・パパネック著、晶文社)について、紹介します。パパネックの関心は、大量生産・大量消費時代における地球規模での格差や環境破壊など、デザイナーが加担してきた負の側面に目を向け、第三世界の国々に適切なデザインを提供するための「What to design」にありました。

空き缶ラジオ

上の写真左は、電気も電池も使えない第三世界の人々のためにデザインされた、9セントの空き缶ラジオです。インドネシアの友人も私に「それは見た」と話してくれたもので、イヤホン、銅製の放射状アンテナ、使い古しの釘を用いたアース、トンネルダイオード、熱電対(異なる金属線の両端をつなげ、その接点に温度差があると電気が流れる)などで構成されています。

この空き缶で、ロウや木材、乾燥した牛の糞(ふん)などを燃焼させると、その熱が熱電対を通して電気エネルギーに変換され、イヤホンで例えば毎日5分間「ニュース放送」を聴くことができます。このラジオには、色も装飾も施されていません。インドネシアの人々は、このブリキ缶の外側にフェルトやガラス片、貝殻などを貼り付けて、自らデザインをします。

すなわち、パパネックは、アメリカ流のデザインを押しつけるのではなく、人々が自由にラジオの装飾を楽しみ、その地域の文化や価値観を表現することができると考えたのではないでしょうか。「空き缶ラジオ」は、インドやインドネシアで何年も使用され、成功を収めたということです。

ピルのパッケージ

写真右は、文字の読めない女性たちのための避妊薬ピルのパッケージです。女性たちは、毎日1錠ずつ、ピルをパッケージからもぎ取り服用しますが、もし1日分のピルを取り忘れても、U字型チューブの端が空気に触れて赤色に変わり、警告してくれるというものです。また、ピルを勘定しなくてもすむように、一連の気休めの薬が含まれています。

このように、パパネックは、「What to design」の理念を持ってデザインをすることの重要性を、私たちに教えてくれました。(ソーシャルデザイナー)