【コラム・奥井登美子】

「栗の渋皮煮、今年はまだかしら。崩れたのでいいから、送ってね」

娘から催促の電話。

「宍倉の栗が今日届いたの。でも『全自動栗むき機』がうまく作動するかどうか?心配なのよ」

「『全自動栗むき機』なんてあだ名付けられて、パパもかわいそうに。元気なんでしょう」

「元気よ。栗を見せたらむきたくなって、むいてしまうけれど。パパ、血液凝固防止剤を飲んでいるでしょう。刃物でけがした時の出血が心配なのよ」

つやつやした栗を見たトタンに、亭主の目の色が変わった。

「僕は栗むきのような単純作業が大好きだ」

筋取りから1週間

彼は学生時代に植物成分の研究の手伝いをさせられ、その時の思い出がよみがえってくるらしい。早速、丁寧に包丁を砥石(といし)で研いでいる。私は急いで止血剤のアドレナリン液を用意して、彼の手元に置いた。

アドレナリンの発見者は高峰譲吉先生。1900年にこの薬を発見した。私の10歳年上の兄の婚約者、明子さんが高峰譲吉の姪(めい)であった。小学生の時、安房大原の明子さんの家へ、夏休みによく遊びに行ったのを覚えている。

アドレナリン0.1パーセントの液。亭主がけがをすると、止血剤としていつも利用している。我が家にとってアドレナリンはありがたい救急薬なのだ。

栗の堅い皮をむき終わっても、渋皮の筋取りが根気仕事だ。私は重曹を少し入れて、2~3分煮沸する。中にいる虫を殺して、筋も柔らかくなる。一晩そのまま放置すると、液が真っ赤になる。そこで、竹串を使って渋皮の太い筋を丹念に取る。

重曹で真っ赤になった液を捨てて、今度は1時間煮沸。栗に火を通す。一晩おいて、まだ赤身の残っている液を捨ててよく洗い、また筋取りをし、今度は砂糖を5%だけ入れて1時間煮沸する。

この時の砂糖の入れ方が難しい。濃いと、栗がしまって堅くなってしまう。少し甘くなった栗を2~3日放置し、最後の仕上げにかかる。ザラメ糖35%の液を煮沸し、そこへ、よく洗った渋皮の栗を入れて30分煮沸、液を栗にしみこませて、出来上がりとなる。筋取りをはじめてから、1週間かかってしまう。

亭主と私の根気。どちらが欠けても我が家の名物・渋皮煮はできない。(随筆家、薬剤師)