火曜日, 4月 22, 2025
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つくば市議の施設観と文化センス 《吾妻カガミ》110

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】つくばセンタービルの中央広場にエスカレーターを付けるべきか、付けるのであれば1基でよいか、2基にすべきか。こういった議論が本サイトで盛り上がっています。市の2基設置案に対し、市議や市民から「いらない」「1基でよい」といった声が多く出たことから、市は「まず1基、もう1基は改めて検討」という妥協案で幕引きを図りたいようです。でも、議論はまだまだ続くのではないでしょうか。

この論争について、コラム「中心地区再生計画 出だしでつまずき」(5月17日掲載)の中で、私は「深地下のTX秋葉原駅にはエスカレーターは絶対必要ですが、センター広場にはどうでしょうか」とコメント。控えめに疑問を呈しました。しかし、喧々諤々(けんけんがくかく)の議論になってきたこともあり、少し頭を整理しておきたいと思います。

「広場にエスカレーター」の是非

議論は大きく2つに分けられます。1つは、エスカレーターが2階高架歩道と1階凹型広場をつなぐ設備として必要か否か、という機能面の議論です。TX秋葉原駅のように地下数階と地上をつなぎ、多くの人を混乱なく運ぶのには必要な装置ですが、歩道と広場の行き来には「いらない」でしょう。また、百貨店のように快適に買い物をしてもらう商業施設には必要でしょうが、広場=公園には「いらない」でしょう。

もう1つは、磯崎新さんが設計したセンター広場は文化遺産だから、電動自動階段を設けるのは学園都市の名所を壊すようなものだ、いや文化より利便性だ、という文化面の議論です。どちらかというと私には苦手な分野ですが、観光資源として「いじらない」方がよいのではないしょうか。

加えて、「センタービル改修めぐり市民団体討論」(6月27日掲載)中で紹介された加藤研さん(筑波大助教)の発言を読み、広場には思想性もあることを知りました。「国家がつくった都市の中心をあえて空洞にしたのは、痛烈な筑波研究学園都市批判があった」と。センター広場には、市民に絶えざる自省を促すメッセージが込められているわけです。

その広場にエスカレーターを付けることは、名画に朱の線を勝手に入れるとか、思索の場に不釣り合いな仕掛けを置くようなもの? それでは、文化や哲学に弱い私も不要と言わざるを得ません。

市議さんの「感度」を勝手に点検

各市議はどう考えているのか、「エスカレーター計画で市議会」(6月3日掲載)を取材した記者に一覧表を作ってもらいました(会派、敬称略)。

▽意見を表明せず:山中八策の会=塩田尚

▽2基が妥当だが1基でもよい:つくば自民党・新しい風=黒田健祐、長塚俊宏、神谷大蔵、小久保貴史、五頭泰誠、ヘイズ・ジョン、久保谷孝夫

▽1基でよい:つくば・市民ネットワーク=小森谷さやか、川村直子、あさのえくこ、皆川幸枝/創生クラブ=高野文男、小村政文、中村重雄/清郷会=木村清隆/つくばチェンジチャレンジ=川久保皆実

▽2基ともいらない:自民党政清クラブ=飯岡宏之、宮本達也、木村修寿、塚本洋二、鈴木富士雄/公明党つくば=小野泰宏、山本美和、浜中勝美/日本共産党つくば市議団=橋本佳子、山中真弓/新社会党つくば=金子和雄

(経済ジャーナリスト)

土浦写真家協会が8月にも発足 市出身のオダギさんが奔走

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オダギ秀さん

土浦市在住の写真愛好家を中心に「土浦写真家協会」を設立する動きが進み、早ければ8月にも設立総会が開かれる。発足に向けて奔走してきた市出身のオダギ秀さん(コマーシャルフォトグラファー)は「土浦の写真文化、写真産業が失われつつあり、これでいいのかと、ずっと心を痛めてきた。同好の人たちが集うことで、土浦の文化風土を再活性化したい」と話す。

具体的な活動としては、土浦市などが主催する写真展の後援、公民館などを使った撮影講座の開催、写真愛好家と写真関連店との交流促進、写真文化を育てるウェブサイトの運営、小規模な写真展を気軽に開ける街中ギャラリーの運営、昔の街並みなどを写した写真の保存(アーカイブ)―などを考えている。

城跡公園の雪の城門

この中でもアーカイブに力を入れる考えで、「明治、大正、昭和の土浦の諸相を記録したような、歴史的な写真を掘り起こし、協会の手で保存したい」と語る。具体的には、旧家などに残されている古い写真を提供してもらい、分類・デジタル化して保存。企画展での公開だけでなく、メディア経由での「土浦の魅力発信」も想定している。

写真文化の振興発展を願い活動

土浦生まれ・土浦育ちのオダギさんは、早稲田大政経学部を卒業した後、商業写真の仕事ほか、写真愛好家を指導する「オダギ塾」の開催、身の回りの風景などを写真で切り取った個展の開催など、多方面で活躍してきた。こういった活動をするうち、土浦の写真文化の衰退が気になり、何とかしなければと思うに至った。

霞ヶ浦の帆引き船

協会の趣意書や規約はすでに作成され、写真塾の多くの卒業生の支持も得ている。また、地元の有力者も加わった理事会メンバーもほぼ固まり、設立準備は最終段階にある。

協会の目的は「土浦市を中心とする写真文化の振興発展を願う活動を行うことにより、土浦市および周辺地域の文化育成と土浦市民および多くの人々の意義ある生涯実現に寄与する」とされている。会費は、写真愛好家など正会員が年2,400円、協会の活動を支援する企業など賛助会員が年5,000円から。(岩田大志)

◆「土浦写真家協会」についての問い合わせはshu@odagi.co.jpまで。

ワクチン接種と社会福祉 《介護教育の現場から》8

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専門学校の授業風景

【コラム・岩松珠美】梅の実や赤しそがスーパーに並び、梅干しや梅シロップを漬ける梅雨に入った。今、コロナワクチン接種が国や自治体主導で進められている。予防接種法及び検疫法の一部改正によって、ワクチン接種は同法の「臨時接種の特例」に位置付けられ、医療従事者に優先接種する形でスタートした。

65歳以上の高齢者については、ワクチン接種の進め方は自治体によってまちまちだが、自治体の大事な施策として実施されている。茨城県では、3~4月に医療従事者接種、4~5月に施設入所高齢者と従業員に接種が進められた。費用は全額国庫負担で、接種を受ける努力義務が生じる。

接種による健康被害については、国が損害賠償することになっている。つくば市、かすみがうら市、土浦市の特別養護老人ホームなどの施設でアルバイトをしている専門学校の学生たちも、介護従事者としてワクチン接種を受け、接種率は6月末までに、1年生で5割、2年生で9割に達している。

その費用は、個人負担だと1回2070円だが、国が負担する。これは、国民の健康と安全を守るのが政治の役割であるという考え方に基づく。

地域性に合った自治体の役割

社会保障制度整備と相まって、社会福祉をどうするかは国の施策の根幹をなしている。憲法第25条で「生存権」が規定され、日本が福祉国家を目指すことを宣言してからである。

国は、疾病、負傷、分娩、廃疾、死亡、老齢、失業、その他心身の困窮者に対し、金銭給付を講じている。同時に国民1人1人も、社会連帯の精神に立ち、それぞれの能力に応じて社会的義務が求められ、例えば保険料を納付しなければならない。

税金が高くても生活が保障されるならば構わない、という考え方も確かにある。北欧の福祉制度は最高だと言われているが、「高福祉高税金」は国民の合意として成立している。

ワクチン接種に際しても、地域のニーズに応じた良質の福祉・医療サービスを効率的に提供するために、地方自治体がその地域性に合った展開をすることが求められる。(つくばアジア福祉専門学校校長)

こんなに言っているのに改善されない 《続・気軽にSOS》88

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【コラム・浅井和幸】かなり前から、何度も何度も繰り返し言っているのに、何も改善されない。そのように感じる人は多いのではないでしょうか。それは、社会に対してかも知れないし、知り合いに対してかも知れないし、家族に対してかも知れません。ときには、自分に対して感じることもあるかもしれませんね。

「人は変えられない、自分は変えられる」ということを鵜呑(うの)みにする必要はありません。私たちはコミュニケーションをとって相手に影響を与え、相手が変わることも経験しているはずです。批判をすることも悪いことではなく、批判をすることで改善されることだってあるでしょう。

しかし、何度も繰り返し伝えているのに変わらないと感じたときに、どのような手段を今後とっていくか、とらえ直すことは大切なことです。もちろん、同じ手段を重ねることも、黙って相手が変わるのを待つことも一つの手段として有効なことはあります。ですが、多くの場面では、同じ要素が集まれば、同じ結果が表れるのは当然で、結果、同じことが繰り返されます。

例えば、「宿題やれ」とか「もっとまじめに考えろ」とか「お菓子を食べるな」とか「不正をなくせ」とかの言葉を、同じ状況で、同じように繰り返し伝えたところで、そこに集まる要素は変わらないので、材料が同じであれば同じ現象が起こり、改善されません。批判を伝える相手が敵対しているならば、同じ現象が起こるどころか、批判とは反対の方向に進み、事態は悪化します。

足りない何かを足すことが必要

もし、同じ言動を繰り返しても変わらないのであれば、そして変えたいと思うのであれば、足りない何かを足す必要があります。それが、その相手と味方の関係になることなのか、むしろその相手は無視して自分が行動してしまうのか、別の批判の仕方をするのか、足りない何かを探し試します。足りない何かは、自分がすべて背負う必要はなく、他の誰か志を共有できる誰かに動いてもらってもよいかもしれません。

また、言動を変えるということで言えば、批判をやめるということでプラスに転じることがあります。学校に行けと言わなくなることで登校できるようになったり、お互いの短所を言い合うことをやめることで、連携して物事を解決できるようになったりする例はたくさんあります。「廊下は危ないから走るな」よりも「廊下は静かに歩いた方が安全だよ」と伝えたほうがよいことがあります。

私が相談を受けてアドバイスをするときに、「来年も落第したら、もう大学をやめてもらうからな」というよりも、「あと3年は大学の費用を出す協力はできるからな」と伝えるようにとアドバイスをする場面が多くあります。「ある何かができないと、悪い未来が待っているからな」と伝え、その後に続く「だから、そうならないように頑張れよ」という言葉を端折(はしょ)ってしまうと、不安をさらに上乗せしてしまいますので、お気を付けください。(精神保健福祉士)

県産材の販路拡大期待 11、18日に森林湖沼環境税実績報告会

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夏景色の霞ケ浦=土浦市大岩田
霞ケ浦の夏景色=土浦市大岩田

茨城県による「森林湖沼環境税ー活用事業に係る実績報告会」が11日と18日、オンラインで開催される。

特に最近は、コロナ禍と働き方改革の浸透などから木材需要が高まり、県は、県産材木の販路拡大が期待される中高層や大規模建築物分野にターゲットを絞り、実際に施工した木造マンションの建材調達の方法などについて、関係者にヒヤリングを行っているという。

一方、霞ケ浦の水質浄化では、「泳げる霞ケ浦」「遊べる河川」を目指し、できる限り早期に湖水の全水域平均値でCOD(化学的酸素要求量)を1リットル当たり5ミリグラム前半の水質を目指す目標を掲げている。

中でも生活排水対策は税導入時の2008年度から積極的に取り組み、19年度までの12年間で約1万基の高度処理型浄化槽の設置補助、約7000件の下水道への接続など実績を挙げてきた。

さらに4月1日からは県霞ケ浦水質保全条例など関係条例、法令の改正に伴い、流域に立地する飲食店やコンビニなど小規模事業所の排水規制に乗り出しており、新たに罰則規定も盛り込まれていることから、期成基準の順守が期待されている。

森林湖沼環境税は、県内の豊かな森林資源の保全や霞ケ浦など湖沼の水質浄化対策を進め、良好な自然環境を次世代へ引き継ぐため導入され、2008年度から同税を活用した各種施策に取り組んでいる。

オンライン開催による実績報告会の内容は、年間約17億円(県民1人当たり年間1000円)の森林湖沼環境税を活用した事業実績を報告し、意見交換などをする。(山崎実)

◆詳しくは県環境対策課水環境室(電話029ー301ー2968)

外国語を学ぶコツ① 《ことばのおはなし》35

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コラム・山口絹記】今年になってから、本格的にドイツ語の学習を始めた。言語学を学んでいると言うと、様々な言語に明るいと思われがちだが、言語学というのは母語以外の言語を学ぶ学問ではない。私もある程度扱えるのは母語である日本語と英語、米語のみで、辞書があればある程度スペイン語を読み書き発音できる程度だ。

「またどうしてドイツ語を?」と訊かれるのだが、残念ながら自分でも理由をうまく説明できない。親の影響で小さいころから目や耳にすることが多かったから。大好きな本を原書で読みたいから。本当は学んでみたかったのに、第2外国語の履修でスペイン語に逃げたから。一度は逃げたのに何度も何度も目の前にきっかけが現れるから。

詳しく書き始めると自分語りの連載になってしまうので今は避けることにするが、私の中でwant(欲求)がwill(強い意思)になり、いつしかbe going to(決定された未来)になっていくには、多くの欲求と、やってもないのに諦めた経験が必要ということがここ数年わかってきた。経験上、もう逃げるべきでないことがわかってしまう。

こうして始めた何かは、いつか自分自身の核なるものに近づく一つの要素になっていく。

心を無にして徹底的に丸暗記

さて、自分語りはこのあたりにして、言語を研究している者として外国語を学ぶちょっとしたコツについて、しばらく書いていこうと思う(本コラムのタイトルに引かれた方はコレが気になるはずだ)。

外国語を学ぶというのは意外と簡単なのだ。まずは心を無にして徹底的に丸暗記すること。目的にもよるが、市販されている単語帳などを使って、せいぜい8000単語程度例文ごと覚えれば、おそらくスタートラインに立てる。なんだかんだコレが一番近道だ。

学習にあたっては可能な限り正確な発音を発話しながら学ぶこと。読み書きしかしないから発音は必要ないと思うかもしれないが、それは違う。ノドが痛くなるくらいには発音しておこう。

それから、できることなら1日3時間、できれば5時間ほど学習に時間をあてること。そうすれば1年ほどでカタチができてくる。正直、1日1時間では厳しい。日本人が高校まで英語を学んでも英語ができるようにならない、などという話はよく耳にするが、当然だ。学習量が足らないだけである。

そして、資金は惜しまず投入しよう。おすすめの書籍や辞書などを人に教えてもらうのではなく、自分なりにおすすめを語れるくらいになる必要がある。

楽な方法など存在しない

最後に、「日常会話レベル」というのが最高レベルだということを覚えておこう。英語で言うならば、TOEICで900点をとっても英語の小説が読めない、などというのはざらだ。

そんなの無理、と思うならば、今はまだ言語学習に対する意欲が足りていないのかもしれない。残酷な事実として、言語学習を始めとしてあらゆることに楽な方法など存在しないのだ。次回から、少し詳細なおはなしをしてみようと思う。(言語研究者)

地磁気観測所移転問題が再燃 県、対国交渉へ

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地磁気観測所=石岡市柿岡

一時は絶望視されていた気象庁地磁気観測所(石岡市柿岡)の移転問題が、再燃を見せ始めている。県議会第2回定例会(6月1-18日)でも議題に上り、大井川和彦知事は改めて対国交渉に取り組んでいく姿勢を表明した。

観測所は、東京での市内電車(直流電車)の開通に伴う観測業務への影響を考慮し、1913(大正2)年に柿岡に移転した。施設の半径35キロ圏内では直流電化が制限されるため、1985年にいわゆる常磐新線(現在のつくばエクスプレス)の整備が位置付けられた際にも、導入車両の電化方式や関連施設整備の面で大きな障害となっていた。

このため、県は1982年に新線整備計画の検討に合わせ、有識者などで構成する「地磁気観測所問題研究会」を設置し、学術、技術的な検討を加え、不可能とされていた施設移転に関し、一部機能については(施設移転が)可能であることなどを報告書として提示した。

これを受け、1984年には県、市町村、商工団体などによる「地磁気観測所移転促進協議会」を発足させ、官民一体となり気象庁などに働き掛けを行った。しかし移転費用の負担問題などから、1994年頃に働き掛けを事実上断念した。協議会の活動も、自然消滅の状態を余儀なくされた。

しかし大井川知事はあきらめきれない様子で、第2回定例会の答弁で、TX(つくばエクスプレス)が本県発展の重要なファクターであることを強調しながら、東京延伸だけでなく、県内延伸、さらには都心と県西地域を結ぶ地下鉄8号線の県内延伸など、東京方面との相互乗り入れの課題になっていると指摘した。

一昨年の2019年、知事自ら気象庁に移転の申し入れを行った。気象庁は直流電流による観測ノイズの除去方法などについて検証したが、昨年、これまで通り、「移転は困難」との見解が示されたという。

そこで県は「そもそもこの施設は国が東京から移転を進めたものであり、国の責任において県外へ移転を進めるか、出来ないのなら地元への補償を行うべき」との新しい視点から▽施設を早期に、県外へ移転すること▽交流直流両用方式車両の導入に伴う車両整備費などの十分な補償を行うーなどを主な骨子とする要望を改めて提示することにした。

県交通政策課は「一度は消滅しかけた政策課題だが、鉄道ネットワークの形成と確立は茨城県の発展に重要であり、要望による対国交渉など、新たな活動に踏み出したい」としている。(山崎実)

拡張現実下のまつりつくば8月開催 やらないパレードもスマホで見せる

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2019年の「まつりつくば」おはやしパレードの様子

つくば市きっての夏祭り「まつりつくば」は今年、8月7日から31日のロングラン開催となる。新型コロナ対策から、土浦学園線でのねぶた大パレードや、センター広場でのステージイベント、飲食の出店などは実施しない。その代わり、最新のデジタル技術を駆使するなどして、つくばらしい夏祭りの新スタイルを提案する。

つくば市とまつりつくば実行委員会が主催し、毎年8月下旬に約45万人が参加する一大フェスティバルも、昨年はコロナ禍から中止となった。市観光推進課は「2年連続で中止とするのではなく、新型コロナの影響下でも、市民が楽しみ、華やかな気持ちになれるような機会を提供できるように、新しい形でまつりつくばを開催する」と話す。

今回、導入されるAR(Augmented Reality、拡張現実)技術は、スマートフォンの画面越しに、ナビゲーションや3Dデータを現実世界に重ねて出現させることが出来る。つくばセンター広場や土浦学園線で、指定のQRコードを読み込むと、スマホ画面を通して、実在の風景にねぶたやみこしが重なって表示される。まつりつくばのにぎわいが繰り広げられているかのようなバーチャル世界が手軽に体験できるという。

コロナ禍であっても祭りを楽しむための工夫で、アプリなどのインストールは不要。市によると「QRコードが記載されたチラシを全戸配布する。そのQRコードをスマホで読み取ってもらうと、これまで祭りで演出されてきたようなものや演出がARで再現される仕組み」だという。

具体的には「ねぶたやみこし、花火の表示を想定している。例年通りとはいかないが、祭りの雰囲気が感じられるものを用意する。例えば、センター広場や土浦学園線で見ていただければ、これまでのパレードを再現できるような形」だという。さらに「自宅で花火の演出を見ていただくような形」も想定し準備している。

ねぶたパレードで盛り上がった2019年夏の「まつりつくば」

つくばセンター広場を中心に提灯や行灯による空間演出など、お祭りならではの雰囲気を盛り上げる計画もある。

ほかにも、オンラインステージやデジタルスタンプラリーが新たに導入される。オンラインステージでは、おはやしやよさこいパフォーマンスをインターネット上で生中継したり、過去のまつりつくばの映像のオンライン配信が行われる。

デジタルスタンプラリーでは、市内の参加店舗(現在、店舗数は未定)で電子スタンプを集めた人を対象に抽選で賞品をプレゼントする。(山口和紀)

詳細については決定次第「まつりつくば」ホームページで随時発表される。まつりつくばオフィシャルサイトはこちら

2年ぶり 制作意欲倍加で150点 ムサビ卒業生ら県つくば美術館で支部展

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県つくば美術館で始まった武蔵野美術大学校友会茨城支部展=つくば市吾妻

武蔵野美術大学(ムサビ、東京都小平市)の卒業生らでつくる校友会の第18回茨城支部展が県つくば美術館(つくば市吾妻)で始まった。7月4日まで、会員30人の絵画など、作品150点が展示されている。

校友会顧問、沼尻正芳さん(70)によると、支部展はこれまで同美術館の第1スペースだけを使い、展示数は80点程度だったという。しかし、新型コロナ感染拡大の影響で中止になった昨年の分も挽回しようと今年は第1、第2両スペースを使い、例年の倍近い150点の展示になった。

展示されているのは、技法も油絵や水彩画、墨絵など絵画を始め、張り子人形や刺繍バッグ、藍染めスカーフなどさまざま。絵画は100号の大作もあれば、ハガキサイズの小さな作品も。沼尻さんは、「150点という数は見応えがある。ジャンルにとらわれない展示なので楽しんでいただければ」と語った。

故・繪畑浩二さん作品「猫の集会」

特別展示として昨年他界した会員、繪畑浩二さんの作品の展示コーナーもある。8点の展示のひとつ、「猫の集会」は、温かみのある表情で色鮮やかな6体の張り子の猫たち。来館者らから「かわいい」という声が上がっていた。

会場を訪れていた鈴木亮寛さん(76)はつくばみらい市田村にある華蔵院の住職。寺に所蔵している江戸時代の阿弥陀如来像を、沼尻さんに半年かけて描いてもらったという。「100号サイズで迫力がある。後光が差しているような姿に感動した」と見入っていた。

沼尻さんが描いた華蔵院の阿弥陀如来像に見入る来場者

同支部は、武蔵野美術大学と前身の帝国美術学校や武蔵野美術学校、短期大学、大学院などを卒業した茨城県出身者、在住者ら約80人が在籍している。大学卒業後も美術家として活動している人をはじめ、主婦、会社員や元教員などで、50代から70代が多いという。

支部展のほか、会員以外も参加できるクロッキー会やデッサン会などを牛久など県内で年3回ほど開催、地域住民とともに文化活動を創ることにも努めている。(伊藤悦子)

◇会期は4日まで。入場無料。午前9時30分~午後5時。最終日は午後3時で終了。

江戸時代の「酒」 《県南の食生活》26

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【コラム・古家晴美】前回、江戸前期に著された『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』(1697年)に記されていた、日本酒で作る「梅酒」について取り上げた。その後、江戸中期の類書『和漢三才図絵(わかんさんさいずえ)』(1712年)に基づき復元醸造された酒を入手し、飲んでみた。せっかくの機会なので、今回は「酒」つながりで、江戸の酒について述べることにしたい。

島根県の若林酒造が醸した「寛文の雫(かんぶんのしづく)」は、アルコール度14%、酸度4.4ミリリットル、アミノ酸度7.1ミリリットル、精米歩合90%、日本酒度(甘さと辛さを示す指標、マイナスになるほど甘くなる)マイナス78、酵母 生酛(きもと)―とラベルに記載されている。正直なところ、お酒というよりも味醂(みりん)に近い甘さだ。

現代の日本酒は、アルコール度数が大体16%、酸度1.5ミリリットル、アミノ酸度1.2ミリリットル、精米歩合70%前後、糖分4%―。日本酒度に関していえば、最近の超辛口がプラス25、大甘口がマイナス60というから、マイナス78がいかに甘いかがわかる。ちなみに、手元のプリズム式の糖度計で糖度を量ったところ、現代の某醸造元の甘口酒が11、超辛口が9、またウイスキーが14.5だったのに対し、「寛文の雫」は23.5であった(値が大きいほど糖度が高い)。

また、醸造学の小泉武夫氏によれば、江戸前期の『本朝食鑑』を復元した酒は、アルコール度数が17度で、酸度7本朝食鑑、アミノ酸度6本朝食鑑、糖分16%と、現代の酒の糖分の4倍だ。味が濃く、味醂のようにとろりとした酒で、「あんなに味の濃い酒、飲めるはずない」「酒に水増ししたものも結構、出回っていたのではないか」とのことだ。

酒の甘辛は世相を映す鏡

そもそも、少量の酒でも満足できる甘口の酒が好まれるのは、乱世や不景気、米不足の世で、飲み飽きない辛口は太平の世に好まれるとの説がある。

江戸後期になると、臼と杵(きね)の足踏み精米から水車精米へと移行し、高精白米が実現し、灘の辛口酒が人気を博す。1877~1990年の市販酒の平均値を示した資料によれば、明治は超辛口、大正はやや甘口、昭和は甘口。ところが昭和60年代以降は、肉食・油消費の増大により、さっぱりした辛口志向だそうだ。

さらに、小泉氏は『延喜式(えんぎしき)』にある古代の天皇や高官が嗜(たしな)む上級酒を再現した。アルコール度数は3%と低いが、酸度7ミリリットル、アミノ酸度9ミリリットル、糖分34%―。江戸の酒よりもさらに甘かった。しかし、このころの大甘口の酒は特権階級の飲みものであった。はちみつや大陸からもたらされた麦芽糖など、甘いものにアプローチできるのは、限られた人々だけだったのだ。下級官吏には、辛口の酒が給与の一部として現物支給されていた。

「たかが酒、されど酒」の甘辛について取り上げた。技術の発達も大きな影響を及ぼすが、味は時々の世相を映し出す鏡である同時に、時代の社会構造がそこに凝縮されているのだと考える。(筑波学院大学教授)

物材機構、製薬11社と共同研究スタート 世界に通じる標準化を目指す

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オープンラボが設置されるつくば(並木地区)の研究施設=物質・材料研究機構提供

物質・材料研究機構(NIMS、つくば市千現)が製薬企業11社とともに発足させたマテリアルズオープンプラットフォーム(MOP)が25日、医薬品に関する共同研究を開始した。参加企業はアステラス製薬、エーザイ、沢井製薬、塩野義製薬、第一三共、大鵬薬品工業、武田薬品工業、田辺三菱製薬、中外製薬工業、東和薬品、日本新薬。医薬品開発に関わる候補化合物の物性評価と製剤開発に関わる共同研究を企業の壁を越えて進め、研究開発の基盤力強化、開発技術の共有、開発手法の標準化を目指す。

MOPは産官学連携の新しい枠組みで、研究所と企業の個別な関係を各者の水平な連携に広げて構築し、国際競争力強化を図る。各企業が自前主義の発想から脱却し、保有技術を結集して共同で基礎技術力を磨くことが必須と考えられることから、NIMSが中心になってプラットフォームをまとめた。NIMS機能性材料研究拠点医療応用ソフトマターグループの川上亘作グループリーダーがプラットフォーム長を務める。

従来の医薬品は低分子化合物が中心だったが、近年は抗体、核酸、細胞など用いる材料が多様化しており、製薬企業には柔軟な対応力が求められている。新しい材料による医薬品は疾患予防や治療の可能性を大きく広げており、例えば新型コロナワクチンはm(メッセンジャー)RNA 技術によって開発されている。

国内製薬企業は、海外の大手製薬企業と比べると人員規模において大きく劣るのに加え、経営の効率化で研究所の部分分社化なども進み、新しい基礎技術の開発が難しくなっている。一方で、核酸医薬などの比較的歴史の浅い治療法においては評価手法が確定しておらず、その開発と標準化が急務となっていた。

つくば・並木地区にオープンラボ

当面の研究テーマは、①抗体医薬の分析法確立②抗体医薬の製剤化技術の開発③核酸医薬の物性評価法確立④低分子薬物の消化管吸収メカニズムの解明⑤非晶質医薬品の安定化⑥イオン液体の製剤利用-の6つをあげている。参加企業の約100人の研究者と共同研究を行い、国内製薬企業の物性評価・製剤開発に関する基礎技術力の向上と、製薬における開発手法において世界に通じる標準化を目指すという。

共同研究はコロナ禍で急速に普及したオンライン会議技術を利用することによって、企業間、研究グループ間の情報共有を頻繁に行って進める。また参加企業の研究者はNIMSが所有する最先端機器も利用でき、つくば(並木地区)に開設するオープンラボは、参加者が自由に出入りできる予定という。(如月啓)

「神様」寺内タケシを「伝説」の音職人がしのぶ 土浦三高下で追悼の夕べ

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「音屋セミナー」で寺内タケシさんを語る行方洋一さん=ノーチラスカフェ

18日に亡くなった「エレキの神様」、寺内タケシさんの葬儀・告別式が横浜市で営まれた26日、出身地の土浦で、ひそやかに、そして大きな音のロックンロールで故人をしのぶ追悼コンサートが催された。

在りし日の寺内タケシさん=実弟の寺内正夫さん提供

会場は阿見町のノーチラスカフェ(山本哲夫さん経営)。寺内さんの出身校である県立土浦三高(土浦市大岩田)が見下ろす道路沿いにあるコーヒーとジャズの店。近くに住む音響エンジニアの行方洋一さん(78)が2018年9月から、貴重な音源を持参して「音屋セミナー」を開いている。

セミナー19回目の26日は「シンフォニーオーケストラ」がテーマで、マーラーの交響楽などによるプログラムを用意していたが、急きょ前半部を「寺内タケシさん追悼の夕べ」に差し替えた。

亡くなった寺内さんは1939年生まれだから没年は82歳、行方さんとは4つ違い。1960年代、激動の音楽シーンを共に駆け抜けた世代だ。

出会いは自動車学校

「実は出会いからしておかしくってねえ」。行方さんが20歳のとき、やはり三高近くの阿見町にある県の自動車学校へ免許取得に行った。いわゆる「一発試験」、そのときが初対面で「2人とも、学科は受かったのだけど実技で落ちてね。印象に残った」。

このころから寺内さんは有名人、土浦ではことに「やんちゃ」ぶりが知られていた。父親の寺内竜太郎さんは市議会議長を務めた親分肌の政治家だったが、タケシさんには手を焼き、三高に入学させると、当時の真船始校長の自宅に寄宿させたというエピソードがある。この真船校長宅が、行方さんの自宅と通り1本をはさむだけのご近所だった。

東京に通う常磐線で乗り合わせるようになると、「お前は何をやってるんだ」と聞かれ、東芝音楽工業(後の東芝EMI)に勤めるレコーディングエンジニアだと明かした。寺内さんはキングレコード専属だったが、構わず「俺の音を録(と)ってくれ」という話に発展した。

1965年ごろ、東芝には専用のスタジオがなく、博報堂が麹町(東京・千代田区)にもっていたスタジオを借りていた。ここに寺内さんは自身のバンド「ブルージーンズ」と、後にグループサウンズブームをけん引することになる「ブルーコメッツ」を率いて乗り込んできた。ボーカルは内田裕也と尾藤イサオの2人だった。

行方さんによれば「アンプを利かせて38センチの大径ウーハー(スピーカー)4つを鳴らすんだけど、動き出しちゃうからバンドの坊やを上に乗っけて重石にして演奏するわけ。スタジオは2階にあったから1階でナレーションを録っていたDJがクレームつけてきてね、仕方がないから今日はもう帰ってくれって」。

一発録りのよき時代

皆が「やんちゃ」してた。日本のロックンロール創成期。セミナーでは2バンド、ツインボーカルの「ツイストアンドシャウト」や「青い渚をぶっとばせ」など、行方さん録音の楽曲を6曲ほどかけた。

2人の共同作業はこの時期だけ。「いわゆる一発録りで、エフェクター(装置)も多重録音(技術)もなかった。寺内さんのアドリブ(即興演奏)が入ってくると、ちょっとした癖があって、その音を拾う。下手なボーカルだなあ、なんて考えてることまで分かった」

寺内さんはこの後、「レッツゴー運命」で1967年日本レコード大賞編曲賞、母校の土浦三高を訪ねて始めた「ハイスクールコンサート」で活動の幅を広げていく。行方さんも坂本九「見上げてごらん夜の星を」や欧陽菲菲「雨の御堂筋」などのヒット曲を数多く手掛けたほか、クラシック曲の録音などでも高く評価された。一線を退いても「伝説の音職人」と呼ばれるほどの存在で、今日でも後進の指導に当たっている。「お互い一番いい時期に仕事ができてよかったと思っている」と懐かしむ行方さんだった。(相澤冬樹)

7月5日に聖火リレー 土浦、つくばの夕暮れ時を走る

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土浦市役所周辺に張り出される交通規制案内

7月23日の東京オリンピック開会に向けて、聖火リレーが4日、5日に茨城県内を走る。県内16市町を176人のランナーが巡る。土浦、つくば両市に入るのは2日目の5日、夕暮れどきとなる。

土浦市では、市内出身の柔道家で、2009年世界選手権金メダリストの福見友子さんら13人が走者を務める。県立土浦一高(同市真鍋)旧本館前を午後5時40分にスタートし、亀城公園を経由、約30分かけて土浦駅前の市役所(同市大和町)を目指す。

つくば市の走者は、宇宙飛行士の毛利衛さん、野口聡一さんら21人。午後7時5分にノバホール(同市吾妻)前吾妻セントラル歩道橋をスタートし、センター地区を周回、県内最終地点となるTX研究学園駅前公園(同市学園南)を目指す。駅前公園では、各日最終聖火ランナーの到着時に、聖火を聖火皿へ点火する式典が予定されている。到着式の観覧には事前申し込みが必要で、21日に締め切られている。

つくば市の聖火リレースタート地点 吾妻セントラル歩道橋付近

東京2020聖火リレーメディア事務局によると、新型コロナウイルス感染防止の観点から、沿道観覧の混雑を避けるため、各ランナーの走行区間は各走者がスタートする30分前まで非公表となっている。

大井川知事は23日の定例会見で、公道での聖火リレー開催について、今後感染が急拡大する可能性もあるとし、状況に応じて臨機応変な方針変更をすると話した。現段階では密にならないよう対策をとるとした。

リレーは3月25日に福島県からスタート、茨城県は45番目。4日に鹿嶋市の鹿島神宮をスタートし、袋田の滝や竜神大吊橋、霞ケ浦などの名所を走り、聖火をつなぐ。ライブ中継は、NHKの特設サイトで観覧できる。(柴田大輔)

追悼・高橋伍郎さん 霞ケ浦横断遠泳の実行委員長

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天王崎に到着したスイマーたち=霞ケ浦横断遠泳10周年記念誌から接写

「霞ケ浦横断遠泳を楽しむ会」の実行委員長をしていた筑波大学名誉教授(体育学)の高橋伍郎さんが6月14日、亡くなった。84歳だった。稲敷市和田岬(旧桜川村)から行方市天王崎(旧麻生町)までの約2.5キロを泳ぐ夏の催し、1987年から2011年まで25回続き、毎回100~125人の泳ぎ自慢のスイマーが参加した。

高橋伍郎さん

ただ24回と最終回は、土浦市の田村町 -大岩田の約2キロに変更された。天王崎にあった国民宿舎白帆荘が閉鎖され、遠泳後の入浴、シャワー、懇親の場がなくなったからという。24回と25回が土浦コースになったのは、大岩田の国民宿舎水郷の施設を使うためだったが、同宿舎も閉鎖され、25回が最後になった。

高橋さんを悼み、遠泳イベントの「言い出しっぺ」鈴木明夫さん(元茨城県歯科医師会会長)、会の事務方を務めた糸山直文さん(元ジョイフルアスレティッククラブ社長)に、遠泳会を率いた「伍郎さん」「伍郎先生」の思い出を話してもらった。

ジョイフル本田会長との出会い

ホームセンター「ジョイフル本田」(本社・土浦市)が1985年、荒川沖店(同市北荒川沖町)のすぐそばに、「ジョイフルアスレティッククラブ(JAC)」をオープンさせた。同社の本田昌也会長(故人)はJACの目玉施設として50メートルプールをつくった。その設計について助言したのが伍郎さん。米国のスポーツクラブはどうなっているのか、本田会長と伍郎さんは米国まで調査に行った。

完成した本格プールで泳ぎを楽しむうち、クラブ会員の鈴木さん(かすみがうら市生まれ)が伍郎さんに「子どものころ遊んだ霞ケ浦で泳がないか」と提案。水質が懸念されたが、伍郎さんが「湖でとれたものを食べているのなら大丈夫」と遠泳会が生まれた。

霞ケ浦=水質の悪い湖のイメージを修正するのにピッタリと、会の発起人グループが竹内藤男知事(当時、故人)を訪ね、茨城県の支援を要請。知事は即決で初回100万円の補助を約束。その後も毎回60~100万円を予算化。1回目は、竹内知事がスタートのピストル合図を担当した。

「水は想像ほど汚くなかった」

遠泳会は競技ではなく、参加費3000円の「楽しむ会」。25人が1組になり、隊形を維持し、各2メートルの距離を取り、対岸天王崎を目指した。最大5班編成と決め、各班に和船が随伴した。報道船、救急船、カヌーも続いた。実行委員長の伍郎さんも一緒に泳ぎ、各班を回って泳者を励まし、安全をチェックした。

遠泳スタートは和田岬から=同

7月下旬~8月上旬に開かれたイベントを両岸の自治体も支援。出発地・和田岬では、出発を天王崎に知らせるために花火を打ち上げた。到着地・天王崎では、泳ぎ手の目標になるようにと連ダコを揚げた。

旧常陽新聞は第8回の様子を「参加者は県内全域から千葉県や東京都などにも及び、年齢も15歳から69歳までと幅広く、親子やカップルの参加者も見られた」「初出場の和知恵子さんは『完泳できてほっとしている。水は想像していたほど汚くなかったが、浄化が進んで魚や水草などが見える状態で泳ぐことができれば、素晴らしいと思う』と語り…」とリポートしている。

プールで水泳マラソン

台風で霞ケ浦横断が無理のときは、JACプールを使う遠泳会に切り替えた。クラブ内に設けられた「筑波スポーツ科学研究所」の所長もしていた伍郎さんは、水球もできる本格プールで、1万メートル、5000メートルの水泳マラソンも開いた。1月1日の正午から2日正午(JAC休館日)まで、6人の泳者が30分交代で泳ぐ「24時間スイム」も企画した。

伍郎さんの泳ぎ好きは半端でなく、猪苗代湖、田沢湖、浜名湖、洞爺湖など、全国の湖に出向いた。那珂川、四万十川などの川上りにもトライ。毎年、ワールドマスターズゲームにも参加した。

「いつも笑顔を絶やさなかった」

掲載写真を接写した「霞ケ浦横断遠泳10周年記念誌」(1997年刊)の編集を担当した亀田優子さん(不動産会社勤務)が、LINEで回覧された筑波大後輩の追悼文を送ってくれた。

「伍郎先生は、どんなときでも笑顔を絶やさなかった。色黒で立派な顎ひげをたくわえた面構えに、初対面の人は面食らう場合もあるだろうが、次の瞬間、人懐っこそうな満面の笑みに触れると、そのギャップもあってか、パッと人の心を開かせる不思議な魅力をお持ちであった」

合掌(岩田大志)

つくば工科高校サポートクラブ 《塞翁が馬》2

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復元したサポートクラブのチラシ(部分)

【コラム・三浦一憲】音楽祭プロデュースのボランティア活動はいきなり始めたわけではなく、きっかけになることがありました。1999年、娘が県立つくば工科高校・建築科に入学したことが、その「始まりの始まり」です。

学校から帰ってきた娘に「建築の授業どうだった」と聞くと、「つまらなかった。みんな寝ていた」。この返事には笑うしかないのだが、何がつまらなかったのか聞いてみると、何も知らない高校生に、いきなり構造・工法の授業だった、と。大学とは違うと思っていたから、まず建築に興味を持たせるのではなく、最初の授業から構造・工法に入るのかと、驚きました。これで、何とかしないとの気持ちが湧きあがってきたのです。

目の前に何とかしないとのことが起きている。どうしたらいいのか思案した結果、建築の持っている面白さとか、可能性みたいなことを高校生に見せ、体験させることが一番ではないか思い、当時の助川校長に掛け合いました。ボランティア活動では、これが一番大事なことです。

「高校生をサポートさせてください」と校長に話したら、「面白い! 応援するからやってください」ということになり、「つくば工科高校サポートクラブ」が立ち上がります。重要なことは、学校のテリトリーに入り何かするのではなく、外から有益なプログラムを提供することです。プロデユーサーとしての私のスイッチが入った瞬間でした。当時のつくば市は公共建築ラッシュ。これを利用しない手はないと、いろいろ企画しました。

当時のワープロ(フロッピーに保存)で書いた案内は印刷することができず、文字が薄くなったチラシをデジタル処理してなんと判読できる状態にまでしました。それでも分からない箇所は撮影したネガフィルムなどから記憶をたどり、苦労して復元したのがコラム写真です。

サポートクラブの記録(19992001

  • 1回 1999年7月17日  友部で建設中のショッピングセンター見学
  • 2回 1999年8月 3日  国際会議場、カピオホール、ノバホール見学
  • 3回 1999年9月18日  ウェディングドレスできるまで(学内教室)
  • 4回 1999年9月23日  アメリカン2×4住宅見学
  • 5回 2000年2月19日  外国人宿舎「二の宮ハウス」見学1回目
  • 6回 2000年2月26日  エポカルつくば「フランクロイドと日本」講演会
  • 7回 2000年3月18日  クラッシックフレッシュコンサート(学内音楽室)
  • 8回 2000年8月 3日  科学技術未来館~ビーナスフォート~東京国際フォーラム見学
  • 9回 2000年11月27日 外国人宿舎「二の宮ハウス」見学2回目
  • 10回 2001年3月27日  外国人宿舎「二の宮ハウス」見学3回目
  • 11回 2001年10月18日 竹中工務店・技術研究所見学

(まちかど音楽市場代表)

お米にオカヒジキも配る 筑波大学構内で150人に食料支援

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午前11時30分ごろの会場の様子。「密を防ぐため30分間隔で50人ずつ学生が来る」と富山代表。出口ではボランティアが困りごとや要望などをヒアリングする=筑波大学平砂宿舎

筑波大学(つくば市天王台)の平砂学生宿舎で26日、食料や生活必需品の無料配布が行われ、筑波大生150人が支援品を受け取った。「学生応援プロジェクト@つくばPEACE」(冨山香織代表)が毎月行っている食料支援活動によるもので、今回初めて筑波大学構内が会場となった。

今回、配布の受付をオンライン上で行ったところ、申し込み開始時刻から20分で150人の定員に達した。「ここまで早く埋まってしまうとは考えていなかった。私たちは昨年12月から活動を始めた団体で規模も小さい。配布する食料や生活必需品などの購入費はすべて寄付で賄っており、150人がやっとの状況」と富山代表は話す。

会場の設営や食料の配布をするスタッフの中には筑波大生のボランティアも参加している。プロジェクトが情報を発信しているSNSに「お手伝いしたい」と声をかけてきた学生や、前回の食料配布の際に「プロジェクトに参加したい」と答えた学生らだ。

物資を受け取った人文・文化学群3年の学生は「金銭的に困窮しているというレベルではないが、飲食店のアルバイトにこれまで通り入れなくなってしまった。精神的にも落ち込んでしまっていた時期があった」と話した。

会場を筑波大学に移し実施

昨年12月から月1回の無料配布を松見公園(つくば市天久保)で行ってきたが、今回から会場を大学構内に移した。「暑くなってきたので松見公園では熱中症のリスクなどが危険だと判断した。先月から屋内で会場を探していたが、なかなか見つからなかった。大学の学生課に相談したところ快諾して頂き、このような形になった」と富山代表。

生理用品も一人につき2つまで配布された。スタッフの女性によると「女子学生は皆もらってくれる」という=同

会場になったのは平砂学生宿舎の共用棟。かつて学生食堂があった部屋だ。今年1月に筑波大学が行った食料支援(1月22日付)でも使われた一室で十分な広さがある。

会場では米、野菜、カップラーメン、インスタント食品、歯ブラシ、マスク、タオル類などが配布された。「ニンジンやジャガイモなどの野菜類はどれも人気だが、意外と長ネギが大人気。変わったところでは『オカヒジキ』も配布している」と配布の手伝いをしているボランティアの学生は笑った。(山口和紀)

「活性化はエスカレーターでは解決できない」 つくばセンタービル改修めぐり市民団体討論

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シンポジウムで発言する鵜沢隆筑波大学名誉教授(手前)ら=27日つくばイノベーションプラザ

プリツカー賞を受賞した磯崎新氏の代表作といわれるつくばセンタービルに、つくば市がエスカレーターを設置するなどの改修を計画している問題で、「緊急討論 つくばセンター広場にエスカレーターは必要か」と題した市民団体による講演とシンポジウムが27日、同ビル内のつくばイノベーションプラザで開かれた。講演した鵜沢隆筑波大学名誉教授は「広場の活性化はエスカレーターでは解決できない」などと指摘した。

市民団体「つくばセンター研究会」(冠木新市代表)主催し、約50人が参加した。センター広場にエスカレーターを2基つくる計画をめぐっては、市が22日、2基のうち1基をとりやめる方針を議会に示したばかり。

鵜沢名誉教授は、つくば市が計画しているリニューアルに対して「磯崎新氏の意匠を評価するとうたいながら、十分に評価したものになっていない」と批判した。

ポストモダン建築の代表作と世界的に評価されているつくばセンタービルの特徴を示した上で、センター広場について「広場に降りる目的がない人はあえて通る必要がない設計になっている」とし、「広場の活性化はエスカレーターをつくるかつくらないかの問題ではない」と指摘した。

磯崎氏の設計の意図については「1階の広場と2階のペデストリアンデッキの視線の交差、劇場広場のようなものとしてつくったと理解できる」とし、建設当初は、広場に引用されているミケランジェロ設計のカンピドリオ広場の床のパターンや流れる水、噴水などが、ペデストリアンデッキから見られる対象だったが、時間が経つと新鮮さがなくなって、主役が不在になっているという。

シンポジウムの様子=同

その上でセンター広場の活性化について「(現在のやり方は)まちづくり会社が提案し、実施して、市民が享受する図式になっているが、図式を変えて、コンペを開いて市民からアイデアを募り、つくば市やまちづくり会社が市民のアイデアを実践し、享受するのは市民としたらどうか」と提案した。

具体的には、欧米の各都市の取り組みを例に挙げ、段ボール迷路、ヘッドフォンを付けて楽しむ野外映画会やサイレントディスコなどを提案した。さらに「中央広場にクラシックカーを置いても日常と違う風景になる」とし、「改修計画では4メートル幅の通路が2メートルになるが、中央広場の活用のためにはルートの確保が重要だ」と強調した。

水戸芸術館にはキューレーター

続くシンポジウムでは、筑波大学の加藤研助教が、つくばセンタービル建設時の磯崎氏のコンペ案を紹介し、つくばセンター広場がローマのカンピドリオ広場を反転した空洞の形になっていることについて「国家がつくった都市の中心をあえて空洞にしたのは、痛烈な筑波研究学園都市批判があった」と話した。

神奈川大学の六角美瑠教授は、同じ磯崎氏が設計した水戸芸術館とつくばセンタービルを比較し「水戸はプログラムを運営する組織ができあがっている。つくばは市民のアイデアを引き上げるキュレーターが必要」だなどと話した。

主催者の冠木共同代表は「(市のリニューアル計画に対して)話し合う場がない、意見を言う場がないことが問題。本来、こういう場は、つくば市がつくるべき」だなどと述べた。

「市民の文化度に対する挑戦状」

参加者からは「体の不自由な人がいる。エスカレーターはあった方がいい」という意見が出て、鵜沢名誉教授は「体の不自由な人には、エスカレーターよりエレベーターの方が安全」と説明し、「屋外にエスカレーターを付ける場合、雨天時に滑らないよう屋根を付けることが必要になる。エスカレーターの屋根が現状の景観になじみにくい」などと話した。

市のリニューアル計画を磯崎氏がどう受け止めているのかの議論もあった。鵜沢名誉教授が「つくば市が公開している磯崎氏のインタビューをみると、ベラスケスの絵画『ラス・メニ―ナス』を引用するなど難解な話をあえてして、ノーともイエスともとれる言い方をしている」と話すと、参加者から「磯崎さんがはっきり言ってないのは、つくば市民の文化度に対する挑戦状だと思う」「拙速にリニューアルをやる必要があるのか」などの意見が出た。

鵜沢名誉教授はその上で「あと10年ほどで登録有形文化財になるのに、大がかりな改修をするとその資格すら手放すことになる」「筑波研究学園都市は世界的にもまれな国家プロジェクトがつくられ、研究機能が根付いている。1987年に世界遺産になったブラジリア(ブラジルの首都)は規模は大きいが、貧困や犯罪などの問題が内部にある。つくばセンタービルは筑波研究学園都市の中心にある象徴的な建物。その辺も射程に入れてリニューアルを考えるべき」だなどと話した。(鈴木宏子)

国登録文化財の古民家がアンティークモールに つくば市吉瀬

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つくば市内から来た親子連れは古布などをチェック=つくば市吉瀬「家​貨屋kakaya」

国有形文化財に登録された、つくば市吉瀬の古民家をリノベーションし、骨とう家具や雑貨を並べるアンティークモールが誕生、27日まで3日間、オープン記念のマルシェ開催でにぎわった。

オープンしたのは家​貨屋(かかや、本社・栃木県佐野市、小関広記代表)の店舗「kakaya」(飯島丸子店長)。国登録文化財、根本家住宅の主屋を改装し、吉瀬地内のキャンプ場に設けていた仮店舗を移転、拡張した。欧風・和風の家具数十点、食器など雑貨数千点を並べている。

同社は佐野市の本社に倉庫を置き、全国各地で骨とう関連のショップを集めた蚤(のみ)の市を開いてきた。オープン記念にはこれらのショップも参集、食器やアクセサリーなどの雑貨や飲食のマルシェを開いた。

売り場で笑顔を振りまく飯島店長=同

小関代表によれば、時節柄派手な宣伝告知ができず、これまでに積み上げたフェイスブックなどのネットワークに頼る集客となった。「骨とう関連のマルシェは最近、都内では人が集まりにくくなっているが、つくばではあまり開かれないために、骨とう好きな人たちが開催情報を探してやってきてくれる」という。

コロナ禍に伴う巣ごもり需要から、アンティーク家具の人気が高まっており、「比較的年齢層の高い世代には憧れだった欧風家具を手に入れるチャンスになっている。逆に若い世代は『おばあちゃんちにあったたんすだ』なと、郷愁から和風家具に人気が集まっている」そうだ。

今後、ショップを集めた定期的なマルシェのほか、古花市などの企画イベントを予定している。7月2日、3日にはワークショップ「あじさいの水皿アレンジ」を開催する。(相澤冬樹)

◆家​貨屋 営業時間は午前11時~午後5時(月曜定休)。問い合わせ電話080-4407-8512

筑波山系のハイキング登山の薦め 《ひょうたんの眼》33

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【コラム・高橋恵一】オリンピックが最上級のスポーツイベントなら、高齢化時代の庶民が気楽に取り組めるスポーツに軽登山がある。日本で一番登山人数が多いのは、八王子市の高尾山だそうだが、地元びいきで言えば、筑波山も十分に魅力的だ。

加えて、近年は、筑波山の尾根伝いの宝篋山(ほうきょうざん、小田山)や朝日峠へのハイキングも人気があり、週末は各駐車場が混み合う状態のようだ。この南山麓沿いに、宝篋山、東城寺、小野の小町の里、清滝観音(坂東33観音霊場の26番札所)、雪入山ふれあいの里など、家族で楽しめる「名所」「古刹(こさつ)」が連なっている。朝日峠を越えた石岡市八郷地区も、大変魅力的な地域なのだが、それぞれの魅力の紹介は次の機会にしたい。

筑波山や稜線(りょうせん)に連なる各山、峠などからは、360度の眺望景観が自慢で、関東平野や霞ケ浦はもちろん、東京の高層ビル群や富士山、太平洋まで望めるのだが、眼下の常総の地が、日本の武士社会を生み出し、武士社会の発展、確立に大きな役割を担った壮大な歴史ロマンの舞台でもあるのだ。

自然と歴史のロマンの地

武士が朝廷や貴族の警護・軍事のために雇われていた存在から、自ら土地を開墾・占有し、支配する武士・武士団登場の象徴的な存在が、平高望(たいらのたかもち)だ。桓武天皇のひ孫の高望王が、臣下の道を選び、平姓を与えられ、筑波山を仰ぐ常陸国真壁郡石田の地(現在の筑西市東石田)に本拠を置いて私有地を開いた。

長男・平国香(くにか)には石田、二男には羽鳥(桜川市)、三男には豊田郷(常総市)、四男には水守郷(みもりごう、つくば市)を分け与え、さらに、その領域は、常陸、下総、上総の国まで広がった。

平国香と甥の領地争いから平将門の乱が起こり、関東全域を巻き込んだ5年にわたる騒乱は、国香の長男・平貞盛(さだもり)と藤原秀郷(ひでさと、下野国)によって平定されたが、大乱を起こしたのも、平定したのも武士であり、武士の存在が大きくなった事件と言われている。その後、平貞盛は中央に出て、最初の武士政権・平清盛に至る伊勢平氏の祖となっている。

平貞盛の弟が常陸国の領地を受け継ぎ、水守郷を経て筑波の多気(たき)山を本拠とし、常陸国の那珂川以南に広く一族(常陸平氏)を配置して、主に常陸国の大掾職(だいじょうしょく、国司の守、介の次の順位の職)を世襲した。

源頼朝が鎌倉幕府を開いたとき、筑西市を本拠としていた八田知家(はった・ともいえ)が常陸の南西部に進出、多気氏(たきし、常陸大掾)に代わり、筑波山麓を領して、小田氏(つくば市)の祖となり、鎌倉時代から戦国時代まで統治した。南北朝時代に、北畠親房を迎え激しい戦いの舞台になるなど、盛衰約400年の歴史が繰り広げられた。

筑波山から眺める霞ケ浦流域の地は、自然災害も少なく、気候も温暖で、常陸国風土記では「常世の国」とはこの地のことではないかと称えられた地でもある。一方で、日本の未来を描き出す研究学園都市には、桓武平氏発祥の地・水守郷があるのだ。筑波山系の峰々から、自然と歴史のロマンの地を眺めてほしい。(地図好きの土浦人)

市議会が中間報告 市は年度内に土地利用計画策定 旧総合運動公園用地

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6月議会最終日の24日、中間報告を提言する市議会高エネ研南側未利用地調査特別委員会の浜中勝美委員長(右)=つくば市役所

住民投票で計画が白紙撤回になったつくば市の旧総合運動公園用地(同市大穂、約46ヘクタール)の利活用について調査検討する市議会調査特別委員会(浜中勝美委員長)は25日、利活用に関する中間報告をまとめ、同日開かれた6月議会最終日の本会議で提言した。公的利用か、民間売却か、一部公的利用かなどの具体的な判断は示さなかった。

一方、五十嵐立青市長は2期目スタート直後に一部公的利用を含めた民間活用の方針をいち早く示し、議会の中間報告が出される前に、民間企業などを対象にした利活用の意向調査を実施した。今回、議会が具体的な判断を示さなかったことで、五十嵐氏の民間活用の意向を容認したことになる。

議会の中間報告を受け、五十嵐市長は25日の会見で「年度内に土地利用計画を策定して、議会や市民に説明する」などとした。議会の提言、民間の意向調査結果(6月4日付)などを総合的に判断して、土地利用方針や造成の区割り、周辺道路の整備計画などの方針をまとめるという。

民間活用に向けた公募などは、土地利用計画策定後、来年度にも実施されるとみられる。

五つの役割や機能を提言

市議会の中間報告は、望ましい施設について①つくばならではの資源・特性を十分生かせるもの②市民ニーズに対応し地域活性化に貢献するもの③災害に強いまちづくりに寄与するもの④市民のコミュニティ形成に寄与するもの⑤観光や産業振興に寄与するものーの五つの役割や機能を提言した。

公的利用か民間売却かについては「一括売却ではなく、一部公共もしくは全部公共活用で検討すべきとの結論に至った。ただし民間の提案を妨げるようなものになってはいけないという意見もある」など、両論を併記する形にとどまった。

基本的な方向性として、周辺の大穂地区の市街地や庁舎、医療機関、研究所、商業施設など周辺環境に影響を及ぼさないことという制限を付けた。

同特別委は今後も継続して調査検討を続ける。

今年度中に62億円を返済

旧総合運動公園用地をめぐっては、2019年3月、五十嵐立青市長が、用地を一括売却する方針を出し、66億円で購入された用地を、事業者1社が40億円以上で一括購入し物流倉庫などを建設する案が出された。しかし、住民説明会で異論が噴出、市議会が調査特別委員会を設置し、民間売却案はいったん凍結となった。

その後五十嵐市長は、2期目スタート直後の20年12月、一部を防災倉庫にして残りを民間売却したいとテレビ番組で発言。今年2月、3分の1を防災拠点として公共利用し、残り3分の2を民間活用したい意向を市議会に示した。続けて4、5月には2回目の民間企業意向調査を実施し、12社(団体)から、物流・倉庫施設、産業団地・工業団地、データセンター。太陽光発電施設など17件の利活用申し込みや提案があった(6月4日付)。

一方、土地購入費66億円と利子2億円の計68億円の返済については、市土地開発公社が金融機関から借り入れて購入し、2024年3月が返済期限となることから、市は今年3月補正で約53億円、今年度当初予算で約9億円を計上し、市が公社に無利子貸し付けをして計62億円を今年度中に金融機関に返済する。残り約6億円については22年度と23年度にそれぞれ約3億円ずつ返済し、1年前倒しで完済する方針を今年2月に発表している=2月4日付。(鈴木宏子)