金曜日, 11月 1, 2024
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つくば市の洞峰公園「劣化容認」計画《吾妻カガミ》171

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】つくば市は洞峰公園を県から無償で譲り受け、市営公園として管理する方針ですが、その予算を節約するため、園内にある体育館などの電気・機械設備が古くなっても新品に取り替えず、修理-修理で持たせる考えです。この施設「劣化容認」計画が市議の間で問題になっています。

「ケチ・ボロ」計画に市議から疑問

市の維持費ケチケチ⇒諸施設ボロボロ計画について、複数の市議が全員協議会で問いただしました。そのやりとりは、記事「34億円超の県試算認めるも平行線 洞峰公園の補修・更新費」(11月2日掲載)をご覧ください。市の管理方針と市議が指摘する問題点を整理すると、以下のようなことです。

<執行部の考え方>

▼県の計画には、約31億円(20年でならすと毎年約1億5500万円)の電気・機械設備、内装・外装、屋根などの更新費が入っていた。しかし、市はそういった設備類を新しいものに取り替えず、修理-修理で維持していく。

▼修理-修理で80年(体育館は築43年+あと37年)持たせ、その予算を毎年約3500万円計上する。

<市議からの疑問>

▼市営体育館は築60年で設備等を更新(長寿命化改修)することになっている。洞峰公園の施設だけ修理-修理で80年持たせるというのは、ダブルスタンダードではないか。

▼県の基準を無視して、モーターなどを新しいものに取り替えず、施設が80年も持つはずがない。家電などを使う生活人として、とても理解できない。

公園の管理費を少なめに見せたい?

常識的な更新計画を無視して、市はどうして修理-修理にこだわるのでしょうか? この疑問を解き明かすために、洞峰公園をめぐる県と市のバトルを振り返っておきます。

発端:洞峰公園に民営のグランピング施設を設ける計画を県が発案⇒反対:グランピング施設を設けることに市は大反対⇒対案:施設利用料の値上げによる公園管理費ねん出を県に提案⇒拒否:他の県施設とのバランスが悪いと県は市案を拒否⇒名案:公園を市に無償で譲渡する(押し付ける)案を県が提示⇒譲受:市は県案を受け入れ公園を市営化する方針。

当たり前のことですが、譲り受けることで市は洞峰公園を自分好みに管理できるものの、その経費は自分で負担しなければなりません。しかし、「グランピング施設があってもいいから公園管理は県に任せておけ」といった反対の声もあります。こういった市民を少しでもなだめるために、市が考え出したのが「ケチ・ボロ」計画なのでしょう。

市施設の将来に対する無責任の構図

でも何か変です。市が抱える懸案処理のため、これまで県がきちんと管理してきた公園の諸施設を粗末に扱おうとしているわけですから。市長は、20~30年先、自分はその職にいないと思っているのでしょう。市議の多くも、先々のことは自分に関係ないと考えているようです。市施設の将来に対する無責任の構図と言えます。

私は、169「…苦慮する市議会…」(10月17日掲載)で議会に三つの選択肢を示しました。①更新無視で設備・器機が老朽化するのを承知で譲り受ける(市案に賛成)②地域の大事な公園だから更新費用はケチらない(市案を増額修正)③新規の支出を避けるため洞峰公園を譲り受けない(市案に反対)―です。

どれを選択するか、各市議は判断力を問われます。洞峰公園を市営化する条例案(①ないし②を選ぶ市議は賛成? ③を選ぶ市議は反対?)、公園管理に必要な補正予算案(①を選ぶ市議は賛成? ②ないし③を選ぶ市議は反対?)について、各市議が12月議会でどういった採決行動を取るのか、その一覧表を本欄に載せる予定です。(経済ジャーナリスト)

「土浦の花火2023」を振り返る《見上げてごらん!》21

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第92回大会表彰式(実行委員会提供)

【コラム・小泉裕司】好条件に恵まれて、「土浦の花火2023」は無事に幕を閉じた。とは言え、途中、10号玉が上空で開花せず落下、地上開発(爆発)、競技中断のアクシデントもあった。詳細は、記事「地上で10号玉開き10分間中断」(11月6日掲載)をご覧いただくとして、今回は、前回の「土浦の花火 歴史と見どころ」(11月3日掲載)に沿い、受賞作品を中心に大会を振り返ってみたい。

全日本種目別選手権

国内最高峰の内閣総理大臣賞は、大曲の全国花火競技大会と土浦全国花火競技大会のみに授与されている。大曲は、28社限定、各社4種目に出品し順位を争うことから、「全日本総合選手権」。土浦は、今回57社が2種目以下に出品、3種目の優勝者から選ばれることから、「種目別選手権」に例えるとわかりやすい。 

10号玉の部

優勝は、昨年に続き、山﨑煙火製造所(つくば市)の十八番(おはこ)「昇曲付五重芯銀点滅」。相変わらず見事な消え口の「銀点滅」に加えて、今年は「芯」の見え方を少し変えたことで、残像がより印象的になった。

上位入賞した野村花火工業(水戸市)や小松煙火工業(秋田県)もいつも通りと言いたいところだが、優勝作品以外は芯の乱れが気になり、結局、6社による五重芯対決は、昨年から安定した成績を残している山﨑煙火の1強という印象。

上位5作品には、「自由玉」2作品が入賞。北陸火工(新潟県)の「椰子芯入り」は、大きな盆と星先変化が特徴。マルゴー(山梨県)の「瞬き閃光」は、色彩豊かな星々をこれでもかと点滅させた。歓声が、審査席に届いたのだろう。

創造花火の部

優勝は、型物花火を復活した北日本花火興業(秋田県)の「夜空にしんちゃん!オラは人気者」。これで17回目の優勝。

準優勝は、芳賀火工(宮城県)の「軌跡を見せます!!トライ&ゴール」。技術貢献度の高い作品に贈られる日本煙火協会会長賞も受賞。特等の北陸火工「ジュワッと揚げたて!えびFLY」とともに、見る前から「想像力」をかき立てるタイトルと奇想天外な花火センスはぴかいち。会場を大いに沸かせたが、残念ながら「型物の神様」に、つま先分及ばなかった。

和火屋(秋田県)の「ゴッホのひまわり」やファイアート神奈川(神奈川県)の「スマイル×スマイル=」などを含めて、創造花火の部は、その名の通り、花火師の創造性を存分に発揮した作品ひしめく狭き門となり、入賞者一覧からも、順番を付けなければならない審査員の葛藤が垣間見えるよう。 

スターマインの部

優勝した菊屋小幡花火店(群馬県)のスターマイン「風神雷神」は、実は8月の大曲に出品した「風神雷神炎舞」のリメーク作品。閃光雷や群声、十八番のフレッシュグリーンを場面ごとに散りばめながら、圧巻の連発でエンディングまで息もつかせぬ怒濤(どとう)の展開。

大曲より100発多い、土浦の400発以内というレギュレーションを存分に生かした、音と光の迫力ある「速射連発型」の作品に仕上げてきた。

5代目小幡知明(としあき)社長は、表彰式のあいさつで、勝利へのこだわりや地元群馬県へのふるさと愛を披露しつつ、遅い打上順番や客席に一番近い打ち上げ位置など、幸運にも恵まれたことを勝因に挙げ、その謙虚なメッセージは私を泣かせた。思えば、今年の花火初めは、1月2日、菊屋小幡花火店の「New Year HANABI」(1月15日掲載コラム)だった。

内閣総理大臣賞

内閣総理大臣賞は、今回もスターマインの部の優勝者が受賞。これで20回のうち、19回がスターマインの部から、1回が10号玉の部からとなった。

「スターマインの土浦」と呼ばれていることから、至極当然のようだが、10号玉の部優勝の山﨑煙火はスターマインの部でも入選。秀作・奇作多数の創造花火の部の充実ぶりもあって、もしかしたら「総理大臣賞はスターマイン以外から!?」という、淡い期待を抱いて帰路に着いたのだが…。

いつまでも、至極の花火作品を堪能した感動の余韻に浸っていたいのだが、すでに来年の花火大会に向けた「宿取り」レースがスタート。遅ればせながら参戦すべく、本日は、この辺で「打ち止めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

クリスマスリース作りの季節《くずかごの唄》133

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】霞ケ浦市民協会主催のクリスマスリース作りの日が迫ってきた。「どんぐり山」から採ってきた葛(かずら)などの蔓(つる)植物を利用する。この山は、かすみがうら市加茂の岡野静江さん(故人)が提供してくれた土地に、子ども達と一緒にどんぐりの種をまいて、みんなで育てた山である。2000年10月、130人もの人が参加して森を造った。

岡野さんは、若いころに恵泉学園の助手をしていた人で、植物利用の大家。特にリース作りは天才的に上手だった。東京・四谷の教会の大きなリースをはじめとして、クリスマス前になるとリースつくりで忙しそうであった。

「どんぐり山」は近くにエノキの木があって、2005年に日本の国蝶「オオムラサキ」が自然発生してからは、「オオムラサキ観察会」の場として、市民協会が草刈りなどの手入れをしている山である。

行事のときの私の役目は救急係。皮膚科前の薬局の薬剤師を10年間経験し、いろいろ勉強させていただいた。どんな虫に刺されたら、医者と薬剤師はどんな手当をすればいいのか大体のことはわかっているが、困ったのはヤマカガシの蛇対策である。

面白い個性的な蛇 ヤマカガシ

加茂の辺りは、マムシはいなくなったが、ヤマカガシはかなりたくさんいた。面白い個性的な蛇で、人間に友好ムード。何を考えて行動しているのかわからないことが多い。

ある日、山に観察会の下見に行って、木の枝の途中で遊んでいるヤマカガシ君を見つけてしまった。私の目の高さ。「一体何をして遊んでいるのだろう」。じっと、目をこらして観察していたら、いきなり50センチ以上離れた私のおでこに飛びついてきた。

かまれないように、とっさに払いのけて、無事だったものの、油断をしていると、意表を突いた行動に出ることもわかった。

マムシ君の方がおとなしくて平凡で付き合いやすい。最近の朝日新聞「くらし」欄の「患者を生きる」に、ヤマカガシにかまれてしまった人が、抗毒素を手に入れ、治療をするまでが大変だったという苦労話がくわしく書いてあって、とても勉強になった。

今年の夏の暑さは異常だった。この気候を乗り越えた数少ない強い虫や蛇たちが、どんな行動をするのか、興味深い。(随筆家、薬剤師)

差別が根強い社会だから《電動車いすから見た景色》48

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イラストは筆者

【コラム・川端舞】どの性を好きになるかという「性的指向」や、自分の性をどのように認識しているかという「性自認」を、本人が誰かに打ち明けることを「カミングアウト」と言い、誰かの性のあり方を本人の同意なく第三者に暴露することを「アウティング」という。

自身もゲイであることを公表しているライターの松岡宗嗣さんは「あいつゲイだってーアウティングはなぜ問題なのか?」(柏書房)で、アウティング問題の本質に迫っている。

この社会は、出生時に割り当てられた性と性自認が一致する「シスジェンダー」、異性の相手だけを好きになる「異性愛者」しかいないことを前提に、あらゆる制度や文化がつくられている。その人の性的指向や性自認は、本人にしか分からない。

そして、性のあり方は誰にとっても大切な個人情報なのだから、誰に伝えるかどうかは本人が決めればいい。それなのに、本人から性的少数者だと名乗らない限り、勝手に「シスジェンダー・異性愛者」だと決めつけられ、日常会話が進んでいく。

時には、その場に当事者はいないと思われ、性的少数者に対する差別的な発言を周囲から悪気なく浴びせられる。そんな社会だから、性的少数者にとってカミングアウトはとても勇気のいることで、アウティングは当事者から時に生きる気力をも奪うと、松岡さんは指摘する。

共通項は「社会モデル」

常に車いす姿の私を見れば、初対面の人でも、良くも悪くも、私を障害者だと認識し、私の前では障害者を傷つける発言は控えるだろう。だから、周囲から無意識に発せられる差別や偏見を空気のように吸わされる性的少数者の痛みは、おそらく私には分からない。

しかし、「多数派」とされる者たちが生きやすいようにつくられた社会で、そこから外れた者は自ら声を上げなければ、存在すら無視され、生きづらさを押しつけられる構造は、性的少数者も障害者も同じだ。

差別や偏見がある社会だから、アウティングが性的少数者の生死に直結する問題になるという松岡さんの指摘はまさに、障害者が生きづらいのは障害者個人のせいではなく、その存在を想定してつくられていない社会の仕組みに問題があるのだという「障害の社会モデル」と全く同じ考え方だ。本の中でも「社会モデル」が引用されている。

社会はそう簡単には変わらないし、異なる属性のマイノリティ同士が連帯して運動するのも容易なことではない。しかし、同じように社会の「当たり前」を変えていくなら、協力しないのはもったいないと私は思う。(障害当事者)

「金色姫伝説旅行記」を終えて 《映画探偵団》70

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】11月3日(金)、4日(土)、5日(日)、つくば市神郡(かんごおり)の石蔵Shitenで「金色姫伝説旅行記/つくばシルクロード2023」のイベントを開催した。3日は20人、4日は5人、5日は30人集まった。この10数年間、つくばで活動してきたが、神郡の地では始めてのイベントだった。

享和3年(1803)。常陸の海岸に髪の長い異国の女性が「うつろ舟」で漂着した。その事件は江戸の瓦版で紹介され話題を呼んだ。今年はその事件から220年目にあたるので、ぜひとも伝説が残る神郡でやりたかつた。

全体は「演劇仕立ての講演会」になっていて、「第1章 筑波恋古道」「第2章 天竺から来たお姫さま」「第3章 瓦版・うつろ舟事件」「第4章 金色姫と八犬伝」「第5章 金色姫からのメッセージ」と、過去、現在、未来へと旅する構成である。

会場を「うつろ舟」内部のタイムマシーンに見立て、時間旅行して「金色姫伝説」の変容を体験するというもの。もちろんフィクションだと誰もが考えるわけだが、話が進むにつれ、これは本当のことではないかと見えてくる仕掛けになっている。

「第4章」で、満州事変があった年、昭和6年(1931)に製作された無声映画「里見八犬伝の暗号」のガリ版刷りの台本が、神郡の蔵で発見された。「それがこの蔵であり、だからこの場所でやりたかったのです」と語ると、ほとんどの参加者がうなづいていた。信じきって帰った人も多くいた。すみません、これはフィクションです。

うれしかったことがある。13年前に作った歌「筑波恋古道」をソプラノ歌手で吹き込みし直したところ、以前にまして評判が良く、CDが欲しいと3人の方から言われたこと。また、この曲をテ一マにした映画「つくつくつくばの七不思議/サイコドン」第1話を上映したところ、興味を持つ人が多くいた。以前、映画を見てあまり受けなかった2人からも、「今回見たら面白かった」との感想が聞けたこともだ。

そして「第4章」では、18年前の「北斗七星伝」を絵本バ一ジョンで語ったところ、皆、食いつくような目で見て、スマホで撮影していた。

T・カ一チスの「グレートレ一ス」

イベントを終えて、アメリカ映画「グレートレ一ス」(1965)が無性に見たくなった。監督はブレイク・エドワーズ。主人公は、全身白ずくめの善玉グレート・レスリー(トニー・カ一チス)と、全身黒装束の悪玉フェイト教授(ジャック・レモン)。フェイト教授は、レスリーに対抗しニュ一ヨ一クからパリへの自動車レースに出場する。

無声映画風のドタバタ喜劇で、2時間40分の大作である。特に、前半40分、レ一スに入るまでが面白い。フェイト教授が奇妙なデザインの人力飛行機などでレスリーを襲うシ一ン。レスリーが女性を見つめると、キラリとマンガみたいに瞳が光るシ一ンなど、次から次へと楽しい場面が連続する。

イベントの最後で、金色姫伝説は、つくばが誇るべき財産だから、つくばから世界に向けてアピールしていきたいと、フェイト教授ばりに宣言した。後で、参加者から感激したとの声をいただいた。うーん、このレ一スは、まだまだ続きそうだ。サイコドン ハ トコヤン サノセ。(脚本家)

つくば松代公園の紅葉《ご近所スケッチ》7

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イラストは筆者

【コラム・川浪せつ子】四季折々の日本。同じ場所でも、季節によってガラリと趣が変わります。今回は、1月11日に掲載した雪景色と同じ、松代公園(つくば市松代3丁目)の秋景色です。季節を巡り、雪のホワイトがグリーン→イエロー→レッドに変化。グリーンの前に、桜の花が咲いたらピンクも加わりますね。

どの季節が一番好きかと問われても、コレというのはなかなか難しいです。それぞれステキなので。また樹木の色だけではなく、季節によって、集まってくる鳥なども違います。風景を描いていると、人々の生活、そして洋服の違いに、なんだか楽しくなります。

この公園には、夏は小さな水場があり、我が家の子供たちも、そこで楽しい時間を過ごしました。先日スケッチしていますと、平日にかかわらず、先生風の男性が、年齢の異なる数人の子供たちと、池の周囲をジョギング。

個人的な見解ですが、「フリースクール」ぽかったです。時代を反映しているような。

たった一つの公園であっても、四季折々の自然を映しているだけではなく、時代の流れまでも包んで、色々な人々を癒してくれているのだと感じたひと時でした。(イラストレーター)

神社仏閣の逆襲「ゲニウスロキ」《看取り医者は見た!》7

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写真は筆者

【コラム・平野国美】今日のタイトルは「神社仏閣の逆襲」ですが、中身はこの表現ほど過激なことはありません。神主さんも僧侶さんも、今後の神社仏閣の存在について多少不安を感じています。人口減少、少子高齢化、シャッター商店街化が、檀家や参拝客の減少につながるのではないかと。

いくつかの神社とその商店街の成り立ちを調べると、戦後、引揚者に境内を開放して住まわせ、そこに闇市が立ち上がり、飲み屋街や商店街として発展した歴史が見られます。そのため、敷地や建物が避難所の役目を果たし、その一角に怪しい場所が存在したこともありました。それゆえ、本体の寺社仏閣が枯れてゆくと、商店街も同じ道筋をたどる運命共同体なのです。

私は、こういった場所を、いつからか探して歩くようになりました。今は寂しげなのですが、全盛期のざわめきや勢いを感じるのです。郊外の大型ショッピングセンターでは味わえない雰囲気があります。佐賀神社にあったアーケードの商店街に唯一残った店、八女市の神社と同居してシャッター街化した所などです。大家が先か?店子が先か? いずれにしろ、運命共同体だったのです。

神田明神のIT系お守り

茨城南部では最近、寺社仏閣で新たな動きが始まっています。私たちが学生だったころ、学校の古典や漢文の先生には、神主や僧侶と併任の方がおりました。この20年間、私が仕事で回っている間に、寺社仏閣の世代交代が始まりました。

新しい後継者は古文や漢文の先生でなく、IT系の方もおります。神社仏閣のホームページをしっかりと作られ、SNSも利用し情報を発信しています。おそらく、御守りや御札に関しても伝統と斬新さを混ぜて来るでしょう。

数年前、神田明神では、システムエンジニアの皆さんに対し、IT系の御守りが用意されていましたし、将門神社にはキューピーちゃんの将門バージョンが置かれていました。石岡の歴史ある神社の神職は、有名な雑誌の編集者でした。その仕事で得た人脈を利用して、ファッションショーも開催しています。

お祭りでは御神輿(おみこし)の担ぎ手が街から消えたように見えましたが、TXの開通もあって新住民が住むようになり、担ぎ手が抽選になる地域もあるようです。

時代が変わり、担い手も変わっていく姿に期待してしまいます。今、神社仏閣の存在の仕方は大きく変わりつつあると思います。地霊そのものである神社仏閣の逆襲が始まりそうです。(訪問診療医師)

<参考>

「ゲニウスロキ」シリーズ、前回「地域の神社仏閣」はこちら、前々回「土地の守護精霊」はこちら

農協がなくなってしまった!《邑から日本を見る》147

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「常陸農協ふれあいプラザ瓜連」と移動金融店舗「だいすき号」

【コラム・先﨑千尋】先月26日、私が住んでいる常陸農協瓜連支店が店を閉じ、今月6日に「ふれあいプラザ瓜連」に替わった。私はこれで、この地区(旧瓜連町)から農協がなくなってしまった、と思った。ATMはそのままで、購買品は取り扱うというものの、農協としての機能は隣接の那珂支店に移行された。同農協管内では、同日に山方支店、水府支店もなくなった。

今回の店舗再編計画は、茨城県内農協の本支店体制整備方針(2014年策定)により、貯金や共済で一定の事業量がない支店を統合するというもの。県全体では192店舗を105店舗にほぼ半分に減らし、常陸農協でも10店舗が消える。農協も経営環境が厳しくなり、赤字店舗を減らすということだ。

旧瓜連町管内ではすでに常陽銀行が撤退し、金融機関として残っているのは郵便局だけだ。ATMやコンビニがあり、キャッシュレスの時代だから、1日に10数人程度の来客しかいない店は残さないという方針は、経済原則では当たり前のことかもしれない。だが、私には寂しさが残る。

農協という組織の前身は産業組合で、産業組合法は1900年に成立している。資本主義経済の中で、農民は経済的に弱い立場にあった。弱い者でも集まれば強くなると先人たちは考え、信用、購買、販売の組合をつくった。共済事業は戦後始まった。

農協に行けば用が足りた

瓜連町地域では、1933年に保証責任静村信用販売購買利用組合(静村産業組合)が誕生し、水郡線静駅前に事務所、倉庫を建てた。その時、敷地内に、協同組合の元祖である二宮尊徳(金次郎)を祀(まつ)った報徳神社も建立している。同組合は、戦時統制経済のもとで「農業会」と看板を塗り替え、戦後の1948年に「農業協同組合」となった。

静村は無医村地域だった。そこで産業組合の先人たちは、組合主導で国民健康保険組合を設立し、診療所を開設、無料診療を実施した。戦後は農協が引き継ぎ、茨城県協同病院静村分院となり、医師と看護師が常駐し、往診まで行った。県内で診療所を持つ農協はここだけだった。

静村農協はそれだけでなく、理髪所を持ち、澱粉(でんぷん)工場、製粉製麺所を経営し、肥料・農薬などの農業資材だけでなく、酒や塩、切手も含めた日用品も販売していた。葬儀用の祭壇もいち早く備え、葬儀があれば貸与していた。とにかく、農家の暮らしに必要なものは農協に行けば用が足りた。私が子どもの頃、床屋は農協以外にはなかった。農協の総会のあとは演芸会があり、年寄り、子どもまでが芝居や漫才などを楽しんだ。

酒は四斗樽(たる)から量り売り。あとで聞いた話だが、宿直に当たった職員が寝しなに少し酒樽から失敬し、その分、水を入れてごまかした。それが続くと酒がだんだん薄くなり、売り物にならなくなってしまったとか。

頭で分かっていても寂しい

同村農協は、このように県内でも最先端を行く活動を展開していた。1953年には「茨城農政研究会」が結成され、「茨城農民自由大学」を開いた。この活動にも農協青年部の活動家が積極的に関わり、近藤康男、山川菊栄、住井すゑ氏らを講師に招き、多くの聴衆を集めた。

このような先駆的な活動を行ってきた農協が消えてしまう。農業が衰退し、今や農協に頼らなくとも生きていける。必要でないものはこの世から消え去る運命なのだと頭で分かっていても、やはり寂しい。(元瓜連町長)

軽トラデート 《続・平熱日記》145

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】弟の次女は誰に似たのかとても勉強が好きで、大学で英語を学んだ後にちゃんとした会社に就職した。その後大学の同級生と結婚して、そのだんなさんもお堅い仕事に就いているのでとりあえず弟夫婦も安心という、なんとも親孝行な娘だ。

余談だが、見た目が幼く見えるせいで、私の長女の結婚式では未成年が飲酒していると勘違いされたり(お酒はかなり強い)、また仕事で海外に出張するというのだが、外国の人から見ると余計に幼く見えて、子供がやって来たと思われはしないかと心配している。

そんな姪(めい)夫妻が茨城に遊びに来たいという。山口の山の中で育ったせいか、東京での都会暮らしに物足りなさを感じるらしく、通勤圏内のちょっと郊外、つまり茨城に住んでみたいらしい。

いつだったか、この姪夫婦がこの前うちに来た時に近くをドライブしたいというから、あいにく軽トラしか空いてないけどいいかと聞くと、むしろ軽トラがいいという。天気も良かったので筑波山方面を勧めておいた。軽トラには似つかわしくないいでたちの若いカップルは、うれしそうに出かけて行った。

軽トラには乗用車にはない特別感があるのかもしれない。座席は狭いし地面の振動がダイレクトに伝わってくるので、妙な一体感がある。地元民のような、労働中のような、気取りがないのもいい。どこを回ったのか詳しくは忘れてしまったが、夕方帰ってきた2人は茨城にも軽トラにも満足していた様子だった。

乗り心地は軽トラより軽乗用車

そんなことがあって(というか前回の軽トラデートも茨城移住の布石だったとも考えられもするが)、今回の軽トラデートの目的地は守谷らしい。守谷は都心へのアクセスも良く、今や人気の住宅地だ。車があれば海にも山にも行ける。都心から同じ距離・時間離れた神奈川や埼玉では、家賃も高いし車を持つのは容易ではない。

ただ2人にはその先の計画もあって、将来外国で暮らすという夢があるそうな。もしも私が親なら、せっかく安定した仕事に就いているのに…と思うだろう。ところが、弟夫妻は「自分たちの生きたいように」と言うばかりか、移住先に遊びに行きたいとまで言っている。

まあ、私も弟もまたその長女も海を渡って暮らした経験があることを考えると、「とりあえず日本脱出」という遺伝子が斉藤家には受け継がれているのかもしれない。

ところで、今回は軽トラではなく軽乗用車を貸した。守谷偵察?を終えて帰って来た2人は「やっぱり乗り心地は軽トラよりいいですね」と素直に答えた。

コロナ禍で結婚式はしていない姪夫妻。随分と長い間娘のために母親が編んだレースのドレスを着て、今年の5月、生まれ育った家の庭でやっと記念の写真を撮ることができた。あいにくの空模様だったそうだが、撮影をする間だけ雨雲が協力してくれたそうだ。

帰り際の姪に、むかごご飯を炊いて持たせた。しばらくして「むかごご飯おいしー!」とメールが来た。ふたりだったらなんとかなるさ。まずは茨城にいらっしゃい。軽トラ、いつでも空いてるよ。(画家)

小美玉市の古刹・鳳林院《日本一の湖のほとりにある街の話》17

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イラストは筆者

【コラム・若田部哲】小美玉市の鳳林院( ほうりんいん)は、14世紀の室町時代は応永年間に開山されたとされる、市内有数の古刹(こさつ)です。初心者歓迎の坐禅体験会を定期的に開催していることで有名な同寺にて、物思いにふけりがちな秋、煩悩多きこの身を清めるべく坐禅体験をしてきました。

そもそも坐禅は、インドの菩提達磨(ぼだいだるま)を開祖とする禅宗の修行の一つ。日本では禅宗の代表的な宗派に曹洞宗と臨済宗があり、それぞれ内容が異なりますが、曹洞宗である鳳林院では、一般的な坐禅のイメージに近い、ただただ無心に黙って坐る「只管打坐(しかんたざ)」という行を体験できます。

この月に一度の坐禅会は50年以上前から行っているとのことで、老若男女問わず、県内外から20人ほどの参加者があるそうです。 

まずはご住職に坐禅の流れをご説明いただき、早速体験に移ります。「結跏趺坐(けっかふざ)」という独特の足の組み方で坐り、両手を「法界定印(ほっかいじょういん)」という、半円を組む形で組みます。目は薄く開け、1メートルほど先の畳の上に落とし、天井から頭がつられているイメージで、いざ坐禅開始!

「煩悩の一つや二つ減らせるかな…」。いきなり煩悩が浮かびます。これはイカン。すると、「考えちゃだめだ、心を無に…」と思ってしまい、次いで「『考える』とはどういうことか?」と、意識の別のところから突っ込みが入ります。ううむ、心を無にすることのなんと難しいことか。

普通のしがらみを捨てるのが坐禅

しばらく、そんな感じに脳内で悪戦苦闘していると、ふと鳥のさえずり、さわやかな秋風の音がただ聞こえ、周囲と一体となった感覚が!…と感じるや、「あ、今無心になっていた!」と、湧き上がる雑念。トホホ、ふり出しに逆戻りです。

ほぼほぼ煩悩、合間にほんの少しの無心の境地?を体感し、十数分ほどで体験を終わりました。

「無心の境地を少しは得られるのではと思いましたが、難しいですね…」。苦笑すると、ご住職は穏やかにお答えくださいました。「初めて体験する多くの方が『何か得られるのでは』と期待されています。ですが、『ただただ坐り、一生懸命何もしない』ことで、普段のしがらみを『捨てる』のが坐禅なのです」

つまり、最初に「得る」のではなく、まずは余計なものを「置いていく」ことで、その結果として心身がリセットされ、新しい自分が得られるということなのだそう。

情報化の急速な進展により、私たちは常に膨大な情報の処理を強いられています。そのことに疲れてしまったとき、いったん心身をリセットする坐禅は、現代社会に生きる私たちにとって、とても心休まるリフレッシュの時間となるでしょう。ぜひ一度、日常の喧騒(けんそう)から離れたひと時をご体験ください。(土浦市職員)

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

これまで紹介した場所はこちら

土浦一高の募集学級削減問題を考える《竹林亭日乗》10

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日没前の「紫峰」筑波山

【コラム・片岡英明】牛久栄進高の募集が来年から1学級増えるという、県教育庁のうれしい発表が7月にあった。一方、2020年まで8学級だった土浦一高の募集は、21年に7学級、22年、23年には6学級になり、来年は4学級に減らされることに心を痛めている。

教育庁は11月2日、土浦一高の来年の募集について、付属中からの進級2学級、高校4学級になると発表した。結局、私たちの高校学級削減停止の要望は届かず、土浦とつくばを中心とした県南の高校受験生は大きな苦労をかかえることになる。

そんな中、土浦一高の募集削減の影響を小さくとらえ、「付属中に入る生徒もいるので影響は少ないのではないか」といった疑問に聞くことがある。そこで今回は、高校受験を正確に論じるために、生徒の増減を、県立・私立の中高一貫や県立付属中の生徒を除いた、高校入試の当事者数で考えてみたい。いわば「真水」の分析だ。

中卒者が増えているのに募集削減

先の疑問に応えるため、つくば市の並木中等学校と茗渓学園中学校を除いた「市立中学卒業数」で、土浦一高の高校削減問題を考えてみたい。

23年入試では、つくば市立中学卒業者が入学した県立高校は、多い順に竹園高200人、牛久栄進高129人、土浦二高113人、土浦一高88人で、これらトップ4校の入学者数は530人。これは、つくば市立中学卒業数2183人の24.3%、茨城の県立高入学1265人の41.9%である。

トップ4校の募集学級数とつくば市立中学卒業数の推移を見ると、以下のようになる。

▽20年:4校とも8学級、つくば市立中卒業生1928人(32学級)

▽21年:土浦一高7学級、          同 1954人(31学級)

▽22年:土浦一高6学級、          同 2065人(30学級)

▽23年:土浦一高6学級、          同 2183人(30学級)

▽24年:牛久栄進9、土浦一高4学級    同  2175人(29学級)

20年入試は4校とも8学級で32学級だったが、県の「付属中を設置しても総学級数は増やさない」との方針で、土浦一高の募集枠は減っている。24年入試では20年と比べ卒業数は247人増えるが、受験者の多いトップ4校の募集は3学級減となる。

付属中設置と並行して、つくば市の高校受験生が減少しているなら、土浦一高の募集削減の影響は小さいが、実態は逆で、生徒増の中での募集削減になる。

生徒増に対応する募集学級増を

県の高校改革プランでは生徒の3分の2を県立高が担うとしているので、つくば市の増加数247人の3分の2に当たる164人分、つまり県立高4学級増が必要となる。そのうちトップ4校が県立入学全体の41.9%を占めるから、生徒増に伴い、トップ4校にはその41.9%の69人、最低1学級増が必要となる。

これは、20年の土浦一高8学級時代の水準を回復するには、24年時点のトップ4校で4学級増が必要であることを意味する。

以上、土浦一高の4学級削減への対策を考えてきたが、つくばエリアの県立高校不足と生徒増の中で、土浦一高の一層の定員削減は受験生にとって「泣き面にハチ」である。入学者の多いトップ4校を中心に、緊急に募集学級増ができないものだろうか。

11月の土浦一高の定員削減発表で、9月のコラムで書いたトップ4校の10学級体制の必要性がさらに高まったと思う。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

「東京ブギウギ」が教えてくれること《遊民通信》76

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【コラム・田口哲郎】 

前略

笠置シヅ子さんをモデルにした朝の連続テレビ小説「ブギウギ」がおもしろくて、見ています。笠置さんの「東京ブギウギ」は有名で、40代の私でも知っていました。このドラマが放映されるまでは、懐メロとして戦後復興の象徴として、人びとを励ました名曲という紹介のされ方をしていたと思います。

世界情勢はきな臭いですが、コロナ禍がようやく終息し、これから経済を復興させてゆこうというわが国の機運に、ふたたび笠置さんの「東京ブギウギ」はマッチしているのかも知れません。戦後復興の歌謡曲というと、思い出すのは、笠置さんと同じ松竹歌劇団出身の並木路子さんの大ヒット曲「リンゴの歌」です。

この歌をめぐって、ふたりの作家が正反対のことを言っていました。ひとりは堀田善衛さんです。戦後中国から引き揚げてきて、「リンゴの歌」を聴いて、あんなに悲惨で愚かな戦争で負けたのに、リンゴがどうのと歌って浮かれていてけしからん、と思ったそうです。

もうひとりは、なかにし礼さん。やはり中国から引き揚げてきたときに、「リンゴの歌」を聴いて、なんとすばらしいんだろう、もう自由なのだ、と感動したといいます。

ふたりの意見は真っ向から対立します。けれども、どちらにも感じるのは、戦争の愚かさと人びとに残した傷です。そして、とてつもない災禍を経験したあとに、深く悲しみ、絶望のふちに立たされながらも、日々懸命に生き、立ち直ろうとした人びとのひたむきな姿です。

リズムウキウキは人びとの真情

「東京ブギウギ」は、傷ついた人々を恋と踊りへといざなう歌です。世界のうたブギを大都会東京の月の下で恋人と踊ろう、と笠置さんは明るく歌います。イデオロギーや感情論でもなく、堀田さんの皮肉やなかにしさんの素直な感動をごちゃ混ぜにして、とにかく明るくゆこうという姿勢は、実は当時の人びとの心情の真実だったのかもしれません。

実際、日本は経済大国になり、バブル経済期に人びとはただひたすらディスコで踊り、世紀末にはクラブで踊ることになるのです。

思想や信条は天下国家を論ずるには大切かも知れませんが、そこで生きている人びとが持っている思いというもの、ついつい忘れられてしまう真情を、笠置さんの「東京ブギウギ」は気づかせてくれると思います。つらくても、音楽が流れたら、うれいなく踊る。

これは新しい感覚ではない気がします。作家の岩下尚史さんは、和歌は意味よりも調べが大切とおっしゃっていました。日本人は昔から、うさを忘れて、楽しいことに身をゆだねて、困難を乗り越えてきた人びとなのかも知れませんね。

「ブギウギ」の今後の展開が楽しみです。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

高齢者が抱える健康・孤独・お金の弱み《ハチドリ暮らし》31

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庭に秋のバラが咲いています

【コラム・山口京子】先月、「シニアのための消費者トラブル防止」の講座に呼ばれ話をしてきました。講座が終わって、改めてシニアをめぐる環境がどうなっているのか振り返ってみました。

日本人の高齢化率は上昇を続け、人口の3割弱は65歳以上となっています。また、世帯の構成では、単身世帯が全世帯の第1位を占めるようになりました。高齢者のお金を狙う詐欺や悪質な商法が後を絶ちません。

高齢者の抱える不安や弱みには、大きく分けて健康・孤独・お金の3つがあると言われています。

健康に関しては、テレビやラジオ、ネットやスマホ、新聞のチラシや雑誌の広告など、様々な媒体が健康食品やサプリメントなどの宣伝を四六時中流しています。老化は病気ではないのに、あたかも老化を病気のように見なし、アンチエイジングをすすめる風潮が気になります。

不安をあおって商品を購入させようとするマーケティング戦略が主流なのでしょうか。自分の軸をもって、批判的に広告を読み取る姿勢が求められているように思います。

孤独に関しては、1人暮らしが寂しい、話し相手がいない中、たまたま来た業者がやさしそうな人だったから、家に入れてしまった。話を聞いてくれて親切にしてくれたので、勧められた商品を断れず、次々に高額な買い物をしてしまったというケースがあります。

また、1人で対応したため、押し切られて契約してしまったなど、そうしたことを防止するには、地域の見守りを広げることです。高齢者の異変のサインに気づき、声をかけ、相談につなげる取り組みの重要性が指摘されています。

自分の不安や弱みを自覚する

お金に関しては、何年か前「老後2000万円問題」が話題になりました。老後のお金の見通しが立たない、お金が底をつくのが先か、寿命が先かという不安の声を聞きます。預金だけでは利息が付かないため、必ずもうかるという投資を勧められたが、お金を振り込んだ後連絡が取れない―といった相談が警察や消費生活センターに寄せられています。

トラブル防止には、自分の不安や弱みを自覚すること、相手となる悪質な業者の手口を知ること、対処の方法を事前に学んでおくこと、トラブルに遭ったら1人で悩まないで周りに相談することです。

そもそも広告のお勧めではなく、自分が本当に必要なのかを見極めること。購入の基準を価格の安さではなく、自分の必要度におくことが大事でしょう。お金の算段については、長期的な収支予想を立てたいものです。(消費生活アドバイザー)

2024年の米大統領選挙(2)パレスチナ紛争《雑記録》53

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黄バラ(筆者撮影)

【コラム・瀧田薫】米バイデン大統領はハマスのテロについて米国民に向けて演説し、米国がウクライナ戦争、パレスチナ紛争、そして対中国覇権競争、つまり三正面に戦争や紛争を抱えた厳しい状況にあると指摘した。一方、来年の大統領選挙で復活を目指すトランプ前大統領は「自分の在任中、中東に多くの平和をもたらしたにもかかわらず、バイデンはその平和をすり減らしている」(朝日新聞 ワシントン支局 10月8日付)と批判した。

今後、パレスチナ紛争がどのような経過をたどるか予断を許さないが、いずれにしても、次回大統領選挙における大きな争点になると思われる。

ところで、筆者がバイデン氏の演説中特に注目したのは、米国の過去の失敗について率直に吐露し、イスラエルがその轍を踏むことに重大な懸念を表明したことである。2001年、アルカイダによるテロを経験した米国人は、イスラエル国民がハマスのテロに感じている「恐怖、怒り、復讐心」を理解できるとして、まずイスラエルへの共感を表明した。その後、イスラエル国民に向けて、アルカイダのテロ時の米国民のように「怒りに我を忘れてはならない」と強調した。

9.11以降の米国は復讐心とナショナリズムで燃え上がった。ジョージ・W・ブッシュ大統領は2003年、イラクのサダム・フセイン政権がアルカイダを支援し大量破壊兵器を保有しているとして、対イラク戦争を宣言した。国連武器視察団はイラクに大量破壊兵器が存在しないと公式に発表し、英国を除く仏、独、カナダなどの友邦はもちろん、ホワイトハウス国家安全保障会議(NSC)からもイラク情勢を見誤っていることへの懸念の声が出ていた。

にもかかわらず、ネオコン(新保守主義者)の声に圧倒されてイラク戦争は強行され、独裁者フセインは捕らえられ処刑されたが、米国は戦後イラクの秩序回復に失敗した。結局、オバマ政権が2011年にイラク駐屯軍を撤収させたが、イラク国内は無政府状態となり、その後さらに暴力的で破壊的なテロ組織ISIS(イスラム国)が出現する契機となった。

ハマスが仕掛けた罠

軍事専門家は、イスラエル軍がガザを徹底的に破壊し、ハマスを殲滅できたとしても、その後の見通し(実行可能な安全保障、統治戦略)がないままであれば、自国の政治的混乱を招来し、より手強くより過激な敵(パレスチナの一般市民の復讐心から生まれる)をつくる結果を招く。そうなれば、イスラエルはハマスの仕掛けた罠(戦闘に敗れても戦争に勝つ戦略)に陥ることになると分析している。

心に衝撃をうけ、恐怖や怒りに我を忘れている人間をどう落ち着かせるか。心理学の専門家であれば、バイデン氏が強調した「共感すること」が最善の方法であると言うだろう。果たしてイスラエル首相ネタニヤフ氏は国内外から噴出するハマスへの復讐心や恐怖心を抑え込めるだろうか。もし、勢いに任せてガザに侵攻すれば、その結果はイスラエルにとって惨憺(さんたん)たるものになるだろう。(茨城キリスト教大学名誉教授)

茗渓の学園運営に磨き TX駅南移転は29年 《吾妻カガミ》170

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現在の茗渓学園の正門側

【コラム・坂本栄】日本自動車研究所(JARI)の未利用地(TX研究学園駅南側)売却は、売り手=JARI、買い手=大和ハウス工業、主な活用者=茗渓学園学校の3者にとって好ましい、WIN-WIN-WINの形になりました。今やつくば市の中心区になった研究学園駅周辺は、北側の商業ゾーンに加え、南側の開発も進むことで、一層にぎわいそうです。

人材育成と中高一貫が一致

記事「…自動車研用地に茗渓学園が移転へ …研究学園駅南側、大和ハウスが開発」(10月20日掲載)にもあるように、広い土地の売却は「公募型プロポーザル」で行われました。取得希望企業の提示価格(配点500)と事業計画(配点500)を採点し、合計点が一番高い企業に売却する方式です。JARIは、「高く売りたい」だけでなく、「どう使われるか」も重視したわけです。

公募要領には「環境配慮、産業発展、人材育成…を意識した取り組み…」と記載し、応募企業に学園都市にマッチする事業計画を提出するよう求めました。結果は、計画に「中高一貫校」を盛り込んだ大和ハウスが897点と、805点の2位企業、783点の3位企業を大きく引き離しました。JARIと同社の考え方が合致したと言え、WIN-WINです。

話があったのは今年の3

大和ハウスの計画では、取得用地の30%弱が「中高一貫校」に割り当てられ、「人材育成」が事業計画の目玉になっています。同社は、その学校として私立の茗渓学園(つくば市稲荷前、学生数1526人、1979年創立)に狙いを定め、水面下で話を進めてきました。

茗渓学園校長・理事の宮崎淳氏

茗渓学園の宮崎淳校長・理事によると、この件が大和ハウスから提案されたのは今年3月でした。「それまでは、創立70周年に向け、現在地に新しい施設を造り、体育館に冷暖房を入れるといった、長期計画を立てていた」。思わぬ話に上層部は驚いたそうですが、今では「茗渓にとって駅南移転は大きなプラス」とのコンセンサスができています。

大和ハウスのスケジュールでは、売買契約=2023年11月、受け渡し=23年12月、商業施設完成=26年夏、マンション完成=28年初、中高一貫校完成=28年初となっていますから、28年4月のTX駅南開校(学園移転)が可能です。しかし、今の中学1年生の通学先が途中で変わらないよう、駅南開校=29年(創立50周年)春を考えているそうです。

強力な筑波大&経済界人脈

茗渓学園は、筑波大学とその前身の東京教育大学のOB会「茗渓会」によって設立されました。14人の理事の中には筑波大の現・元教授が3人います。経済界との関係も強く、現理事長は中川喜久治氏(中川ヒューム管工業社長、土浦商工会議所会頭)です。理事には関正樹氏(つくば市に本社機能がある関彰商事の社長)も名を連ねています。前理事長は常陽銀行頭取を務めた西野虎之介氏(東教大OB、故人)でした。

こういった強力な筑波大&経済界人脈を背景に、茗渓学園は駅南移転を機に大化けし、3者中1番のWINNERになるかもしれません。

現在の生徒概要は、▼県外から32%/県内から68%(つくば市内39%)▼帰国子女約300人▼留学生約40人▼寄宿舎利用者約230人▼海外大合格者約120人(累計)―ですが、TX駅南への移転によって首都圏からの生徒が増え、「入口も出口も海外」(宮崎校長)という学園の特性に磨きがかかると予想されるからです。(経済ジャーナリスト)

<駅南開発模型の説明>

校長室に置かれた駅南開発の模型

▽左の模型:斜めに通る道路の左上はマンション区。道路の右上が中高一貫校区。道路の下は商業施設区と研究施設区。一番下は物流倉庫区。

▽右の模型:中高一貫校区を拡大。ブルーは学校棟や寄宿舎など建物。グリーンはラグビー場など校庭。

地域の寺社仏閣「ゲニウス・ロキ」《看取り医者は見た!》6

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【コラム・平野国美】著名な神社・寺院の近くには駅が建てられた時代がありました。駅名に限らず、地名や門前の商店街にもその名称が使われています。これらの宗教施設は、地域の信仰や歴史的な背景を示すものとして、地元の人々にとって重要な存在なのです。前回コラムで書いた「地霊 ゲニウス・ロキ」の一つでもあると思います。

それは地域のアイデンティティであり、観光客にとっても、その地域の歴史や文化に触れる機会となります。宗教が少しタブー視される現代ですが、我々の伝統的な宗教は、そこがコミュニティでした。昔は寺子屋として読み書きを習い、人生相談の場所であり、誕生から成人を、そして死までの通過儀礼に関わってきた場所でした。

しかし、少しずつ、その存在が意義を失いつつあると思えるのです。関係者から話を聞いていると、存続維持には経済的な問題も出てくるのです。人口減少もあり、今後に危機を感じている寺社仏閣は多いようです。「月間住職」という雑誌も、かなり以前から、この種の問題を取り上げています。寺社仏閣だけでなく、個人商店、私どもの存続も同様の問題です。

テレビCMが流されている有名な厄よけ大師は、跡取りが帰った時には存続の危機だったそうです。そのとき、住職の年齢が厄年に当たり、同窓会名簿を使いダイレクトメールを出した結果、今の隆盛となったそうです。五芒星(ごぼうせい)のマークで有名な京都の神社も、50年前は次の台風で倒壊の危険もあったそうです。

近隣の住人のボランティアで、何とか維持されていたそうですが、安倍晴明が小説・映画に登場した瞬間に女子高生にブレイクし、京都で一番経済効率の良い神社になったそうです。しかし、五芒星を印字した商品をコントロールしようとして、門前の住民との対立を招いたようです。

寺社仏閣は町おこしの起爆剤となるのか?

今、寺社仏閣は町おこしの起爆剤となるのか? 寺社仏閣は地域の文化や歴史と深く結び付いており、古い建築物や芸術作品、宗教行事には独自の魅力があります。それゆえ、観光資源としての役割も果たします。地域に観光客を呼び込み、地域経済の活性化につながる可能性があります。

そして、日常においては交流・イベントの拠点となるのです。宗教行事に限らず、様々なイベントが行われ、地域の活性化やコミュニティの形成に寄与することがあります。 ただし、宗教施設単独では、その効果も薄いでしょう。町おこしの成功には他の要素も関与します。例えば、交通、宿泊施設、他の観光資源との連携などが必要です。強いては、地域住民との協力なども必要です。

寺社仏閣が町おこしの起爆剤となるかどうかは、地域の特性を住民と、どう考えるか? 決して、立派な施設だけでなく、「けったいなもの」が面白い仕掛けになることもあります。上の写真は、そんな魅力を感じるものです。(訪問診療医師)

わたしたちのことばのおはなし《ことばのおはなし》63

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写真は筆者

【コラム・山口絹記】ドイツ式の乾杯は、相手の目から目を離しちゃいけないんだ。日本でビールジョッキを持ち上げ、英語で話す台湾人の彼女の目を見つめながら、わたしはいろいろなことを思い出していた。

今からちょうど20年前の台湾。わたしは14歳で、彼女は12歳だったと思う。まだ共通の言語を持っていなかったわたしたちは、常に手近にある紙と筆記具で漢字と絵を書き殴り、身振り手振りで意思疎通をしていたんだ。もっともっと話したいことがあるのに、表現できない。伝えられない。これはわたしの、ことばというものに対する核となる想いだ。

彼女はあれからイギリスに留学した後、ドイツで結婚して今はホーチミンにいる。日本に来たのは久しぶりだ。駅の改札で待ち合わせをしたわたしたちは、さっと歩き出しながら英語で会話をする。紙と筆記具が無くても会話ができるというのは本当に便利で、幸せなことだ。

わたしたちは生まれる場所を選べないのと同時に、生まれた場所に依存するとは限らない母語を選ぶこともできない。しかし、幸いにも、わたしと彼女は共通する第二の言語を選択することができた。自分の話す第二の言語を自由に選択できるというのもまた、幸せなことだ。

英語8割に日本語と独語と台湾語

「さて、どうしようかな」とわたしが東京のビル群を見上げながら言うと、「ドウシヨウカナ」と彼女がマネをする。「You understand?」「No.」「I wonder what to do.」「ナルホド」わたしたちの共通言語はもはや英語だけではない。何語だろうと使えるものはすぐに学んでなんでも使わなければならない。

本屋には行きたい。でもあとはどこでもいいかな、と彼女は言った。あなたに会うことが最優先事項だったんだから、場所はどこでもいいよ。

違いない。まぁ、案内する身としては困らないでもないのだが。一日中話しながら、あてもなく東京を歩き回って、最後はわたしもよく知らない居酒屋に入った。日本に来たんだから日本酒にしようかと思ったが、ビールにした。大ジョッキだ。

中ジョッキと大ジョッキはどれくらいの量なのかと聞かれる。日本のそれはハッキリとは決まってないんだ。ドイツと違って。 Eichstrichもない。 英語8割に日本語とドイツ語と台湾語が混じって、ときおり自分がどこにいるのかわからなくなる。この感覚が、わたしは本当に好きなんだ。

ことばとは何なのだろう。学問の問いとして曖昧過ぎることはわかっているが、それでも考えてしまう。まぁいい。今はもう一杯だけ飲もう。わたしたちはもう一度、ドイツ式の乾杯をする。(言語研究者)

「土浦の花火」の歴史と見どころ《見上げてごらん!》20

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2022年に優勝した3部門の花火(筆者提供)

【コラム・小泉裕司】再来年の2025年、「土浦の花火」は100年を迎える。1925年9月、神龍寺(土浦市文京町)住職の秋元梅峯和尚が、霞ヶ浦湖畔で開催した「土浦町全国花火競技大会」がルーツ。当時も今と同様、全国から花火師が集ったという。

山本五十六元帥も関係? 

この花火大会は、霞ヶ浦海軍航空隊殉職者の慰霊、秋の収穫への感謝や商工業の活性化が開催の趣旨とされている。長岡花火(新潟県)を見て育った山本五十六元帥が航空隊に副長として着任し、神龍寺山門近くに下宿していた時期と重なることから、資料としては確認されていないものの、彼が大会誕生に関わりがあったとしても不思議はない。

戦争や水害、天皇の崩御、最近では連続した花火事故、コロナ禍などによる中止や中断を乗り越えながら、11月4日(土)に第92回大会を迎える。これまで、大会の発展に尽くした先人の優れた知恵や計り知れない苦労があったに違いない。

戦後の大会の再開と発展に貢献したのが、北島義一氏(元土浦火工㈱社長、1908~79)。数々の競技大会で優秀な成績を収めるなど、花火技術の発展に寄与すると同時に、後進の育成にも力を注いだ。義一氏の教えは、山﨑芳男氏(山﨑煙火製造所会長)や今野正義氏(㈱北日本花火興業会長)など、その後の日本花火をけん引する花火師達に引き継がれている。

20回目の内閣総理大臣賞

毎年、大会に前後して、義一氏とゆかりのある煙火業者の面々が神龍寺の北島家の墓所を訪れ、墓前に白菊が手向けられる。その姿を、大会の始祖・梅峯和尚の銅像がかたわらから見守る。もちろん、筆者も大会前後に神龍寺を訪れ、大会の安全を祈願して両所で手を合わせる。

2000年から授与され今回で20回目の「内閣総理大臣賞」には、こうしたご縁に導かれた経緯がある。そもそもは1961年にさかのぼる。この年から、義一氏の努力により「通商産業大臣賞」が授与されることになったが、俯瞰(ふかん)的視野の義一氏の後押しがあって、1964年から大曲花火(秋田県)にも同賞が授与されることになった。

時は流れ、2000年。大曲に「内閣総理大臣賞」が授与される際には、通産大臣賞の恩返しとばかり、大曲から国への働きかけによって、土浦にも授与されることになったという。まさに同志としての「友情物語」が、両大会の発展の礎になっていることは間違いない。

筆者提供

10号玉、創造花火、スターマイン

土浦全国花火競技大会は、打ち上げてから消えるまでのわずか10秒前後の間に幾重もの同心円を描く「10号玉」、花火師のクリエイティブなセンスと新技術が楽しめる「創造花火」、夜空を千紫万紅に彩る「スターマイン」の3部門に分かれて、優勝を目指して競技が展開する。

各部門の優勝者の中から、最も優れた作品を打ち上げた業者に、花火師最高位の名誉である内閣総理大臣賞が授与される。技術力、芸術性、創造性、品質性などで日本最高峰の花火作品が、晩秋の澄んだ夜空に集結する。花火師にとっては、今年1年の集大成とも言うべき頂上決戦が始まる。

今年から審査標準玉を変更

さて、大会進行で変更となる点、注目すべき作品や煙火業者を紹介しよう。まず、競技開始の直前に打ち上げる「審査標準玉」が今年は変更となる。昨年まで、芯が2つ、全体で3つの円を描く10号玉割物「八重芯変化菊」を採用していたが、今年からは芯が3つ、全体で4つの円の「三重芯変化菊」を採用する。

八重芯が初めて登場したのは1928年と歴史も古く、今年の八重芯出品は1玉となっており、妥当な変更といえる。むしろ遅すぎた感も否めない。審査員長が採点した標準玉の点数を参考として、以後89作品の審査が行われるのだが、例年は70点中盤がアナウンスされる。そのわけは、ここで高得点を付けると、実績豊富な業者が登場する後半の採点の際、大いに困ることになるから。

10号玉の注目は、6業者が挑戦する「五重芯」だろう。まさに匠(たくみ)の技。完璧な6つの真円を描いた作品が優勝に最も近いといえるが、目視できなければ意味がない。すべて手作りで作られる粋な花火に、ビデオ判定などもってのほか。

ハートや動物の「型物」に注目

今年の創造花火は、「型物」に注目したい。「型物」は、たとえば、ハートや動物の形などを模した2Dの世界なので、審査員に意図した形が見えるどうかがポイント。今年は「型物の神」と言われる㈱北日本花火興業(秋田県)、㈱芳賀火工(宮城県)、北陸火工㈱(石川県)の女性花火師の作品が要チェックだ。

スターマインの最近の傾向は、レギュレーション(規定)の400発をめいっぱい打ち上げる「スターマインの土浦」ともいわれる「迫力系」と、1玉1玉をじっくり見せる「しっとり系」に分かれる。いずれにしても、すべての作品が音楽付きなので、曲と花火のマッチングが優劣を決めることになる。

打上げ時は人の前を歩かない!

最後に、有料観覧席で見る皆さんにお願いがある。花火が打ち上がっているときは、人の前を歩かないこと。作品は、上空、中空、低空を効果的に、まさに生け花のごとく描き出す。これからという佳境に、「あなたの顔は見たくない」。

花火の公式パンフレットで、作者のコメントを読みながらイマジネーションを膨らますのもよし、何も考えず、ただひたすら音と光の世界に没頭するもよし-。花火の楽しみ方は、それこそ自由。

私は、東京高円寺にある「気象神社」から木箱入りのお守りを取り寄せた。どうか御利益がありますようにと安全祈願。恒例の「打ち留め-」は、大会終了まで、「おあずけー」「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

仕事に慣れても胸が痛む《医療通訳のつぶやき》2

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陽子線治療用のマスク

【コラム・松永悠】1年って早いものですね。気が付けば秋です。読書の秋とか、食欲の秋とか、スポーツの秋とか、まあ色々あります。私の秋はなんだろうと思った時、なかなかまとまらなくて困りました。

平日は仕事をこなして、パーソナルトレーニングジムでガチ筋トレも楽しんで、そして週末だってやることがいっぱいです。9月には日本酒フェスのボランティアスタッフを2回、10月には自分で大人数の食事会を主催したり、着物仲間と着物で川越まつりに行ったり…。やりすぎじゃない?と周りから言われることも、1回や2回じゃないです。

医療通訳の仕事をする時、医師や患者と濃厚な話を長時間交わし、プライベートのイベントでは、初めて出会う来場者や久しぶりに会う友人と楽しい会話をいっぱいするように心がけています。笑顔で浅く広く、とにかく、たくさんの人と話すことに集中します。

これはエネルギーをたくさん必要とすることです。でも私はこのエネルギーを消費して、次につながるエネルギーを生み出しているのです。どうしてここまでやるのか、週末くらいのんびりしたらいいのではと疑問に思う人もいると思います。

リスクを抑え人生を楽しむ

理由は医療通訳という仕事にあります。数年前からがん患者や難病患者ばかり担当していて、小児がんの幼稚園児から高齢患者まで、様々なケースを見てきました。どんなにこの仕事に慣れているといっても、やはり胸が痛む状況と遭遇します。

脳腫瘍を患っているのに無邪気に笑っている小さい子供。再発におびえながら最先端治療である陽子線に希望を託すエリートサラリーマン。初めての来日はまさかのがん治療という高齢者。一人ひとりストーリーが違っていても、共通しているのはもっと生きたいという気持ちです。

ある10歳の男の子がすっかり私に懐いてくれて、会うたびに世間話をいっぱいしてきて、私もニコニコしながら対応します。しかし、実はこの子が思わしくない状況でした。成功率を高めるために、陽子線治療と同時に化学療法もすることになって、そうなると発熱、嘔吐、抜け毛といった副作用がこの明るい子を苦しめることになります。それを私はただ見ているだけで、できることは一つもありません。

いつからか、私は変わりました。この患者たちがしたくてもできないことを、私がいっぱいしようと思うようになりました。日頃からしっかり健康管理をして、胃カメラ、大腸カメラ、がん検診などを欠かさず受け、リスクを最小限に抑えて、あとは最大限に人生を楽しむことにしました。

上の写真のマスクは陽子線治療をする際、顔を固定するためのもので、子供患者を励まそうとヒーローが描かれています。治療室の中には頑張れという意味の中国語「加油」も貼ってあります。病気と戦う人はみんなヒーローです。そして彼らに伴走する私にできるのは、一生懸命仕事することと、一生懸命人生を楽しむことです。(医療通訳)

知識や経験の風船が膨らむと《続・気軽にSOS》143

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【コラム・浅井和幸】何事にも経験を重ねると、感じられることが増えていきます。知識や技術も増えて、多くのことを自分のものとしていけるでしょう。一歩一歩は小さくても、その積み重ねが大きなものとなっていくものです。

何か新しいことを始めたとき、自分は大きなものを得た気分になるでしょう。それは、格闘技イベントの観戦をしたときに、まるで自分が強くなったかのような。はたまた、福祉や心理学の講演を聞きに行き、初めて知った知識を得意満面に誰かに話したくなるような。

初めてのこれらの感動に包まれながら、自分はすでに大きなものを得たと感じられることでしょう。さらに、このままいけば10年後には知らないことはなくなると思えるかもしれません。3年先輩は全く手の届かない存在に感じられて、自分も3年後にそうなれるか心配になりながらも、人から手の届かない人間になれると考えるかもしれません。

学ぶほど自分の小ささを感じる

しかし、この世界はとてつもなく広く、自分が知ること感じることは、その世界のほんの一部に過ぎないことに気づくようになります。なぜか、学べば学ぶほど自分の小ささを感じるようになることもあります。

それはまるで、風船が膨らめば膨らむほど、風船の表面積が大きくなるように、物事を知れば知るほど、知らないことの多さに気づくようになるものです。それが、誰も知らないことを自分は知っていると感じる、もしくは考えているとしたら、たいして膨らんでいない風船であり、膨らんでいるとしても、風船の内側しか考えられなくなっている自分を顧みることをお勧めします。

そうしないと、大した量を得ていない小さな風船のような知識のままで、さらに小さな中の世界を見るだけで、成長につながらない状況に陥っているかもしれないのですから。(精神保健福祉士)