【コラム・若田部哲】小美玉市の鳳林院( ほうりんいん)は、14世紀の室町時代は応永年間に開山されたとされる、市内有数の古刹(こさつ)です。初心者歓迎の坐禅体験会を定期的に開催していることで有名な同寺にて、物思いにふけりがちな秋、煩悩多きこの身を清めるべく坐禅体験をしてきました。

そもそも坐禅は、インドの菩提達磨(ぼだいだるま)を開祖とする禅宗の修行の一つ。日本では禅宗の代表的な宗派に曹洞宗と臨済宗があり、それぞれ内容が異なりますが、曹洞宗である鳳林院では、一般的な坐禅のイメージに近い、ただただ無心に黙って坐る「只管打坐(しかんたざ)」という行を体験できます。

この月に一度の坐禅会は50年以上前から行っているとのことで、老若男女問わず、県内外から20人ほどの参加者があるそうです。 

まずはご住職に坐禅の流れをご説明いただき、早速体験に移ります。「結跏趺坐(けっかふざ)」という独特の足の組み方で坐り、両手を「法界定印(ほっかいじょういん)」という、半円を組む形で組みます。目は薄く開け、1メートルほど先の畳の上に落とし、天井から頭がつられているイメージで、いざ坐禅開始!

「煩悩の一つや二つ減らせるかな…」。いきなり煩悩が浮かびます。これはイカン。すると、「考えちゃだめだ、心を無に…」と思ってしまい、次いで「『考える』とはどういうことか?」と、意識の別のところから突っ込みが入ります。ううむ、心を無にすることのなんと難しいことか。

普通のしがらみを捨てるのが坐禅

しばらく、そんな感じに脳内で悪戦苦闘していると、ふと鳥のさえずり、さわやかな秋風の音がただ聞こえ、周囲と一体となった感覚が!…と感じるや、「あ、今無心になっていた!」と、湧き上がる雑念。トホホ、ふり出しに逆戻りです。

ほぼほぼ煩悩、合間にほんの少しの無心の境地?を体感し、十数分ほどで体験を終わりました。

「無心の境地を少しは得られるのではと思いましたが、難しいですね…」。苦笑すると、ご住職は穏やかにお答えくださいました。「初めて体験する多くの方が『何か得られるのでは』と期待されています。ですが、『ただただ坐り、一生懸命何もしない』ことで、普段のしがらみを『捨てる』のが坐禅なのです」

つまり、最初に「得る」のではなく、まずは余計なものを「置いていく」ことで、その結果として心身がリセットされ、新しい自分が得られるということなのだそう。

情報化の急速な進展により、私たちは常に膨大な情報の処理を強いられています。そのことに疲れてしまったとき、いったん心身をリセットする坐禅は、現代社会に生きる私たちにとって、とても心休まるリフレッシュの時間となるでしょう。ぜひ一度、日常の喧騒(けんそう)から離れたひと時をご体験ください。(土浦市職員)

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

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