月曜日, 10月 7, 2024
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《くずかごの唄》61  精神安定剤としてコロナのお守り

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【コラム・奥井登美子】東京にいる娘が、ガラス製の赤い派手なペンダントをくれた。よく見ると、花のような、きれいな円が散らばっている。

「ウイルス模様のペンダント、装飾品を扱っている友達につくってもらったの」

「いわれてみるとウイルス模様だわ、5種類のウイルスがいる」

「ママは家にじっとしていない。飛び回っていて、コロナが心配なので、友達に頼んでコロナのお守りをつくってもらったの」

「これ、お守りなの?」

「そうよ。これを首にかけて,コロナの防災と真剣に向き合って下さい」

彼女は医療機関でアルバイトをしている。PCRコロナ検査のボランティアをやりたいといっていたくらいだから、ウイルスというものがどういうものかよく知っているはずである。「お守り」という江戸時代のようなクラシック発想がおかしくて、私は大笑いしてしまった。

お祭りにも「疫病退散」の願いが

1858年に「コレラ」が流行し、江戸だけで10万人の死者。1862年には「はしか」が流行し、はしか除けの「はしか絵」がよく売れたという。

疫病の歴史を考えると、疫病がはやるたびに、人々はどう対処していいかわからずに、神様に祈祷し、病気よけの「お札」「お守り」「まじない」などをしたりして、心の安定を図ってきた。地域のお祭りの中にも、最初は「疫病退散」を願ったものが多い。

コロナウイルス報道も、家にいてテレビばかり見ていると、心が滅入ってしまう。医者にかかるほどの不安ではないが、何かが怖い。目に見えないウイルスにおびえている。

こういうときは、気の合った友達と会食でもして、「あ、は、は」「お、ほ、ほ」、くだらないおしゃべりをすると、いつのまにか発散してしまうが、その会食もおしゃべりも禁止となると、どう発散したらいいのかわからない。精神安定剤としての「お守り」が現代にあってもいいかと思う。(薬剤師)

《ご飯は世界を救う》23 飯村牛の「いいむらや」のお弁当

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【コラム・川浪せつ子】茨城県は緊急事態宣言が解除されましたが、まだまだ自粛生活は続いています。そんな中、テイクアウトで、心も胃袋も、そしてお店の方も、ちょっと一息。

こちらの「いいむらや」さん(つくば市二の宮)は、平常時もテイクアウトをやっているお店です。私が行くときは、ほぼ店内で。お弁当(牛丼、ステーキ、ハンバーグなど)から、コロッケ、メンチといろいろ。それがすべて、「飯村牛」が入っているので、めっちゃ美味しいのです! 店内で食すときは、サラダバー、コーヒーが無料でいただけるのもうれしいです。

飯村牛はつくば山麓の幻の牛と言われて、850頭しか飼育されていないそうです。洞峰公園の横のマンションの1階にあるのですが、少し奥まっている場所で、あまり目立たず、気が付きにくいです。でも、口コミで、美味しさが広まっているみたい。私は、たまたまお店の前を通ったとき、ステキなミドルエイジの女性が入っていたので、勇気を出して行ってみました。大正解でした!

今回は、自粛生活ということで、テイクアウトしたものを描いてみました。そろそろ外食も?なんて思いますが…、まだもう少し、テイクアウトで楽しもうかなぁ。

友達と「絵でメール」交換日記

こんな自粛事態になり、いろいろな変化。「こんなになってる~」を、わたしの生活目線で。

▽新聞折り込み激減。スーパーの折り込みがなくなって、お店のレジ終わりに、目玉商品の広告をもらいました。

▽テレビ番組、再放送ばっかり。でも過去の番組が、けっこう面白かったり。番組はコロナばかり。今までCMのときはチャンネル変えていたのに、なぜかホッとして見てしまう。CMって案外面白いのね。

▽月1ぐらい、コレステロールの薬をもらいにかかりつけ医院に行っています。予約を取るのに電話したら、「少々お持ちください。電話診察、医師とつなげますので」。電話でいつものお薬の処方箋を出していただき、いつもの薬局に取りに行きました。

▽ウツウツとした気持ちが少しでも晴れるようにと、たまに散歩はしますが、今ほど庭のありがたさを感じたことはありません。植物の成長とお日様に癒されています。

▽絵のお友達と毎日「絵でメール」。交換日記みたいな。これが思いのほか楽しい。

巣ごもり生活。シンドイことも多々ありますが、その中でも小さな楽しみ、小さな幸せを見つけて、収束を願いながら暮らしています。(イラストレーター)

《法律かけこみ寺》18  特別法のある金曜日

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土浦市神龍寺(本文とは関係ありません)

【コラム・浦本弘海】今回は時事のニュースにからめ、ちょっとマジメな法律マメ知識を。法律相互間に矛盾するルールが定められている場合、どちらを適用すればよいのでしょうか?

この点に関し、今年5月15日に、検察OBが検察庁法改正案に反対する意見書を法務省に提出したというニュースがありました。

ことの発端は(法律的には)、

1.国家公務員法は、一定の要件のもとに国家公務員の定年延長を認めている(国家公務員法81条の3)。

2.検察庁法は、検事総長の定年を65歳、その他の検察官の定年を63歳と定めており(検察庁法22条)、定年延長の規定はない。

検察官の定年延長は、現行法上許されるかという問題です。

この問題について、制定法相互間の優劣に関する3つの原則

1.上位の法は下位の法を破る

2.特別法は一般法を破る

3.後法は前法を破る

―があります。

法律そのものに書かれているわけではありませんが、この原則を否定する法律家はいないと思います。以下、3つの原則について説明します。

特別法は一般法を破る

1.上位の法は下位の法を破る

法にはいわば「格」があって、格が上の法が優先的に適用されます。格付け的には、憲法>法律>政令>省令です。

具体例を挙げますと、

日本国憲法(昭和21年憲法)>児童福祉法(昭和22年法律第164号)>児童福祉法施行令(昭和23年政令第74号)>児童福祉法施行規則(昭和23年厚生省令第11号)です。したがって、たとえば憲法に反する児童福祉法の規定は適用されません。

2.特別法は一般法を破る

一般法とは、ある分野について適用対象がより広い法、特別法とはある分野について適用対象がより狭い法です。特別法の方がその分野に特化しているので、優先的に適用されます。

たとえば、

商法(明治32年法律第48号)>民法(明治29年法律第89号)です。民法は私人の関係について広く定めておりますが、商法は私人の関係でも特に商売に関して定めています。

検察OBが提出した意見書に「『特別法は一般法に優先する』との法理に従い、検察庁法に規定がないものについては通則としての国家公務員法が適用されるが、検察庁法に規定があるものについては同法が優先適用される」とあるのはこの点の指摘です。

意見書は、検察官の定年延長は現行法上許されないという立場です(そして、検察庁法の改正について「検察の組織を弱体化して時の政権の意のままに動く組織に改変させようとする動き」として反対しています)。

3.後法は前法を破る

前にできた法と後にできた法では、後にできた法が優先されます。現状に即しているのは後にできた法なので、当然といえば当然かもしれません。

ちなみに後法ができると、前法は廃止されるか、削除、改正されますので、この原則については出番がほぼありません…。(弁護士)

《吾妻カガミ》82 コロナ禍の仕事と生活

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今は閉鎖中の大学キャンパス(2018年秋撮影)

【コラム・坂本栄】新型コロナ禍で仕事も生活もスタイルの修正を迫られています。本サイトの運営については、コラム「わたしたちのテレワーク」(3月2日掲載)で、元々ネット上の作業なので影響はあまり受けない、週1の編集会議はできるだけ従来の形を維持したい―と述べましたが、この会議も4月半ばから「電話とメール」に切り替えました。でも、茨城も緊急事態が解除されましたので、そろそろ室に戻れそうです。

オンライン授業での誤算

本サイトの運営のほかに、私は県北の大学で講義も担当しています。当然、教室を使ったリアルな授業は見送られ、4月の始業から夏場までオンラインに移行しました。その際、事務方から①同時双方向型②オンデマンド型③課題研究型―のどれかを選ぶよう連絡がありました。

同時双方向型はパソコン画面を分割してやり取りする方式(テレビ番組が多用)、オンデマンド型は録画した講義を学生に視聴させる方式(学習塾などが採用)です。これらが望ましいことは言うまでもありません。しかし私は、両方ともパソコン故障や回線中断のリスクがあるとの理由で(本当は扱える自信がなくて)、課題研究型を選択しました。

課題型は大学ホームページ(HP)内の「リポート受付機能」を使う方式ですから、やり取り(先生の課題提示→学生の回答)はテキストだけになります。「〇〇について△△字以内に記せ」と課題を提示、HP内の指定箇所にリポートを添付させるやり方です。声がかれる講義はパスできますが、リポート(2クラス193人分!)を読むのは大仕事です。結果、「行きはよいよい帰りは怖い」になりました。

老犬に嫌われた散歩倍増

また、地域FMのニュース解説も担当しています。放送は、MC(司会者)との接触を避ける必要があると、スタジオから電話出演に切り替わりました。元々音声だけの世界ですから、進行上の問題はありません。残念なのは、音楽がかかっている間(マイクがオフの間)、若いMCと雑談できなくなったことです。こちらもそろそろスタジオ入りできる?

生活のスタイルも変わりました。大きいのは、スポーツクラブが閉鎖され、週2~3回通っていたジムで運動できなくなったことです。そこで、有酸素運動→筋肉トレーニング→ストレッチの穴を埋めるために、散歩を倍にして運動量を確保しています。以前は、毎朝柴犬を連れて40~50分歩いていましたが、夕方の散歩も加えました。これにはついて行けないと思ったのか、老犬はときどき抗(あらが)います。

家でも筋トレをと、アマゾンから5キロのダンベルを2本取り寄せました。使い方はジムと同じにして、回数は倍にしています。ダンベルを受け取るとき、配達の方から「これ何ですか? こんな重い荷物は初めてです」と怪しまれました。ジムが使えるようになりましたら、どなたかにお譲りします。(経済ジャーナリスト、大学経営学部講師)

《沃野一望》15 藤田小四郎の5 天狗党豪雪の峠越え

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藤田小四郎像=筑波山

【ノベル・広田文世】

灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼

我(わが)ひめ歌の限りきかせむ  とて。

幕末の元治元年(1864)、藤田小四郎たち水戸藩改革派諸派連合の天狗党は、美濃国(現在の岐阜県)濃尾平野の北端、揖斐(いび)宿へ辿りついた。濃尾平野を横断すれば関ケ原。さらに進めば琵琶湖。湖岸を回りこめば、頼りとする一橋慶喜が政務する京へ、あとわずか。

天狗党は、これまでの行軍で遵守してきた規律にしたがい、行く手の通過予定領大垣藩へ使者をたてた。

「争いを起こす所存はありません。穏便に通してほしい」

対する大垣藩からの返答は、天狗党を震撼させた。

「水戸藩天狗党追討のために出陣された一橋慶喜様より、先陣を担うように命じられています。平野へ出陣されるとあれば、一戦を交えねばなりません」

京で天狗党の行動を監視していた慶喜は、「天狗接近」の報を得るや朝廷に、「天狗勢追討」の願書を自ら提出し、出陣の指揮をとっていた。天狗党にとっては驚愕至極。何という天変。頼りとしてきた慶喜様が追討の指揮とは…。これからいったいどう動けば…。どこを目指せば…。

混迷の軍議が繰り返された。たったひとつ確かな道理は、慶喜様の軍勢と戦端をひらくわけにはいかないという立脚点。とすれば、進むべき行く手は。

難行軍823名 慶喜に降伏

軍議を繰り返す中で天狗党は、尊攘を信奉し天狗党を側面から支援する地元医師棚橋衡平(たなはしこうへい)の勧めにしたがい、揖斐から北方の山岳地帯へ向かい、蠅帽子(はいぼうし)峠を越えて越前国(現在の福井県)への迂回路を選択した。慶喜と戦わずに京へ迫る。

季節は、厳冬へ向かう師走。名だたる豪雪地帯。地元民さえ通わない氷雪の峠越えへ天狗党は、かすかな活路をもとめた。深い峡谷沿いの崖をぬう狭い杣道が、鉛色に凍りついている。天狗党の隊員たちは、黙々と進んだ。

峠越えの途中で何人かの隊員が、前途に見切りをつけ脱走していった。また、凍った崖を踏み外し、谷底へ転落し絶命した隊員もいた。それでも天狗勢はついに、執念の鬼と化し亡霊のような雪まみれ姿で、蠅帽子峠を越えた。下った先は、越前大野藩領。

天狗来襲を聞きつけた大野藩は、行く先々の集落を焼き落とし、天狗党の行軍宿泊を側面から妨害した。それでも天狗党は、間道を抜け新保(しんぽ)宿へ入る。新保宿で天狗党は、間道前方の葉原(はばら)宿に、加賀藩軍が布陣していることを知る。

加賀藩兵は、琵琶湖岸へ出陣していた慶喜の命で動いていた。心情的に天狗党へ肩入れする加賀藩士永原甚七郎は、戦闘を避けるべく慶喜との仲介の労をとり、天狗党を説得する。

そしてついに藤田小四郎たち天狗党の一党は、慶喜に降伏状を提出し、加賀藩勢に捕らわれの身となる。ここまで難行軍をともにしてきた降伏者823名。筑波山挙兵以来9カ月目のこと。(作家)

《続・気軽にSOS》61 プラスのストローク

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【コラム・浅井和幸】先日、懐かしいクライエントAさんから電話がありました。緊急事態宣言が出されている状況の中、今は大丈夫だけれど、この先、どうなるか分からない不安が大きくなった。仕事も生活も今は安定しているけれど、今後、いつ仕事がなくなるかもしれないし、誰ともつながりが無くなってしまった場合を考えると、どうしてよいか分からないと話してくれました。

ちょっとした世間話をして、私が現在している居住支援の話もしました。最悪、手持ち金も、つながりも、仕事もなくなったとしても、私の携帯番号さえ知っていれば何とかなりますよ。お世辞にも豪華とは言えないけれど、住む場所と腹いっぱいの食べ物を提供しますよと、私はお伝えしました。

Aさんは、相変わらず私が、つくばで、茨城で活動を続けていることだけで、とても勇気が出てありがたいと言ってくれました。もちろん私も、そのように言ってもらえて、とても嬉しくて、これからも頑張っていける、とても勇気づけられた―と感じました。

心地よい気分でいた方がよい

心理療法の理論の一つに、交流分析と呼ばれるものがあります。20世紀の中ごろに、精神科医のエリック・バーンによって提唱されました。その中に、プラスのストロークというものがあります。簡単に言うと、心地よいやり取りということです。

私たちはともすると、こんな嫌なことを言う私でも、受け入れて欲しいという願望を相手に押し付けてしまいがちです。自分の悪いところや、弱いところを受け入れてもらえることは、安心感につながります。それ自体は悪くはありませんが、それを多用してしまい、受け入れてもらえない場面で、不快感が大きくなり、相手を責めてしまいます。

また、相手の悪いところを指摘することで、その相手よりも自分が優秀であるという優越感に浸ることで、自分のコンプレックスを隠そうとします。それは、嫌な気分、嫌な関係となり、生活の中で大きく引きずって悪影響になっていきます。

いつも無理してポジティブでいることを勧めているのではありません。ネガティブな気持ちを共有することも大切ですからね。しかし、心地よい気分でいた方が何かとよいことが多いですよね。

人は、言葉や雰囲気に引きずられるものなのです。なぜかこのごろ、嫌な気分のことが多いなとか、自分は運が悪いと感じるときは、悪い言葉やコミュニケーションに偏っている可能性があります。

ネガティブな言葉と同じぐらい、ポジティブな言葉や表情を意識してみてください。空や道端の花がきれい、お茶が美味しい、笑顔であいさつ、少しだけ自分を褒めてみる、ネットで楽しい動画を見る、周りの人の素敵な言動を感じてみる―なんでもよいです。ささいなことでよいです。

そのちっぽけなことの積み重ねが好循環につながり、人生を豊かにしてくれることでしょう。(精神保健福祉士)

《電動車いすから見た景色》6 コロナ禍の中でお互いにつがなるには

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イラストは筆者

【コラム・川端舞】ウイルスは人と人との物理的距離を広げる。障害当事者団体である自立生活センターに関わり始めた時、障害者が外に出て、買い物したり遊びに行ったりすることで、地域の人と関わることも、立派な社会運動であると教わった。現在は介助者のサポートを受けながら一般のアパートなどで生活している障害者も多いが、普段障害者と会う機会のない人は、重度障害者は福祉施設でしか生活していけないと思っていることも多いだろう。

そのような人たちに、重度の障害があっても支援を受けながら、障害のない人と同じように地域社会の中で生活していけるということを知ってもらうためには、お店や公園など日常生活の中で普通に暮らしている障害者に出会うことが必要だ。このような考え方を背景に、今まで私もできるだけ通販などは使わずに、介助者と一緒に直接お店に買い物に行ったり、つくば自立生活センターでは地域の子どもたちを集めてイベントを開催したりしてきた。

そんな今までの生活も、「新しい生活様式」のもとで変わってくるのかもしれない。現在、障害のない人でも買い物は通販が奨励されており、これから多くの人が集まるイベントには神経質になるだろう。最近はオンライン通話なども広がっているが、オンラインでのコミュニケーションは関わる相手も話す話題も限られてしまう。

街中で手話で話している人を見かけることも、バスの運転手が車いすの人のためにスロープを出してくれる風景も、今より少なくなってしまうのだろうか。周囲の人と距離を取ることが求められる社会で、どうしたら障害のある人とない人が接点を持てるのか、改めて考え始める必要があるのかもしれない。

何年も自由に外出できない人もいる

そして忘れてはいけないのは、地域で暮らしている障害者よりも世間の人に知られていないのが、福祉施設の中にいる障害者であるということだ。新型コロナがある程度落ちつき、ほとんどの人が自由に外出できるようになったとしても、施設の入所者が何年も自由に外出できないという現実は変わらないのだろう。

数カ月外出できないだけでストレスがたまる人も多い中、何年も自由に好きな場所に行けない生活はどのようなものなのだろう。好きなところに自由に行けるありがたさを感じるとともに、そんな当たり前のことがずっとできていない人たちが、同じ日本にいることを忘れてはいけないということを実感させてくれた外出自粛である。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

《映画探偵団》31 雨情とチャップリンのちょび髭

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】茨城県出身の民謡詩人野口雨情と世界的な喜劇俳優チャーリー・チャップリンは、外見が小柄でどことなく雰囲気が似ているように思える。2人は1930年代の世界大恐慌に生きた同時代人だが、私が似ていると感じたのは、ちょび髭(ひげ)のせいかもしれない。しかし雨情のちょび髭は本物だが、チャップリンのそれは映画の中だけでしか付けない放浪紳士用としての偽物の髭である。

2人が生きた時代のニュース映像などを見ると、ちょび髭の人たちが結構映っていて流行だったのが分かる。チャップリンと同じ1889年生まれのドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーもちょび髭だった。成功者の証しなのか、自己アピールのファッションなのかは分からないが、今は女性受けしないようで、ちょび髭の男性はほとんど見かけない。

昭和7年(1932)5月13日、桜川流域の土浦にあった高級料理屋・山水閣に海軍青年将校らが集まり、犬養毅首相たちの最終暗殺計画が練られた。将校らは犬養毅とチャップリンが会見する情報を知り、一緒に暗殺しアメリカに恐怖心を与えようと考えたという。5月14日、チャップリンが来日。東京駅には8万人のファンが歓迎する熱狂ぶりだった。そして5月15日を迎える。急きょチャップリンは予定を変更し犬養の長男と相撲見物に出かけ、暗殺から逃れることができた。

中学生のころ、5・15事件とチャップリン暗殺計画の事実を映画の本で知ったときには、歴史的事件と喜劇映画とがなかなか結びつかなかった。青年将校らは民衆に人気があったチャップリンの命をなぜ狙ったのだろうか。もし成功していたら、猛批判にさらされたのに違いないからだ。また将校らはチャップリンの映画を本当に見ていたのだろうかと気になった。

『チャップリンの黄金狂時代』

『チャップリンの黄金狂時代』(1925)は、金鉱を探す一攫(いっかく)千金を狙う放浪紳士の話である。凍てつく雪山で腹をすかし、飢餓におちいる場面が出てくる。空腹に耐えかねた放浪紳士は、片方の革靴をお湯でぐずぐず煮て料理をつくる。皿にのせた靴のヒモをフォークでスパゲッティのように巻いて美味しそうに食べる。次に靴底に打たれた釘を取り除くと肉の付いた小骨のようにしゃぶる。少年のころから何度も見ているシーンだが、靴底が本物のステーキのように見えてきて、こちらまでお腹がふくれる気がする。

多分、将校らはこう考えたのではないか。チャップリンのボロ服を着たちょび髭キャラクターは偽物の幻影であり、本当の庶民ではないと。つまり一般の観客はスクリーンの放浪紳士を愛しその存在を信じたが、将校らはちょび髭のない大金持ちのチャップリンの実像を見ていた。虚構を信じる一般の人々と、虚構を信じきれないエリートたちとの差とでも言おうか。

雨情が5・15事件とチャップリン映画をどう考えたのかを知る資料は見つからないが、同じころ、雨情は全国各地のご当地民謡を作るための旅をしていた。その作品数と旅した距離を考えると、「新民謡狂時代」とも名付けたいくらいである。依頼されて作る新民謡とは、地方のまちおこしに他ならない。雨情は中央よりも地方に注目していた。

5・15事件の3カ月前、1月31日『今朝も別れか』(常陸竜ケ崎音頭)、2月2日『竜ケ崎小唄』など、男女の恋心と豊かな自然描いた茨城県の民謡をつくっている。その活動ぶりは、放浪紳士が愛すべき女性に出逢い、俄然バリバリと働き出す姿に似ているのだ。私には凄まじい勢いで民謡を作る雨情の姿がチャップリンの演じた放浪紳士と思えてならない。再びちょび髭が流行る時代は来るのだろうか。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

《つくば法律日記》7 withコロナと法律問題

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堀越さんの事務所があるつくばセンタービル

【コラム・堀越智也】コラムのタイトルを法律日記と謳っておきながら、新型コロナと法律の話を避けて通ることは許されないだろうという思いがありながら、本音はできれば避けたいところである。というのも、判例の集積がないだけに、結論が明確でないことが多々あるからだ。

それでも、勇敢な僕はそこに切り込んでいくことにした。そこに多くの人々の心配があるし、自分自身、気を付けなければならないと思うことがあるためである。

御多分に洩れず、流行りに任せてZOOM飲み会をしてみたりする。ZOOMの利用もセキュリティーなどを考えると十分な注意が必要なのだが、その点はここでは触れないことにする。そのZOOMでwithコロナでの法律問題についてよく聞かれるのが、従業員の解雇の問題や賃料の問題である。

解雇するには、正当な理由がなければならない。また、リストラを理由に整理解雇をすることがあるが、その場合でも人員削減の必要性などいくつかの条件を充たさなければならない。正当な理由や必要性の判断をする際、いつ終息するか分からないコロナについてどのような考慮をすべきかは、非常に難しいところである。ただ、売り上げが下がったというだけでは、解雇は難しく、その他具体的な事情を考える必要がある。

ZOOM利用で気を付けたいこと

ところで、ZOOMを利用していると、まずは便利さに気を取られてしまう。お店で飲み会をしていたら、パソコンで仕事をしながらというわけにはいかないが、ZOOM飲み会なら、こそこそパソコンでネットを見たりしていても気づかれない。

また、職場にいれば、資料や本などもすぐに取り出せて便利である。ただ、これが大勢の会議やセミナーという形式になったときに、資料を複製して参加者が見られるようにしたり、音楽を流したりということを、気軽さと便利さゆえに安易にしてしまう可能性があるだろうと感じた。その際、著作権侵害には十分に気を付けて、せっかくの便利さや楽しさを台無しにしないようにしたいものだ。

SNSが流行り始めたころ、僕もSNSを真っ先に利用し、多くの仲間ができて喜んでいた矢先、仲間が気づかないうちに著作権を含めたいろいろな法律問題に触れていることに気づき、襟を正したことがある。SNSやZOOMなどの普及により、アウトプットが容易になる反面、法律問題になる危険もあるので、十分に気を付けて、便利さや楽しさに水を差さないようにしたい。(弁護士)

《続・平熱日記》61 「さらばマスク」 私はマスク嫌い

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【コラム・斉藤裕之】いちいち癇(かん)に障(さわ)るトランプさんだが、最近自分との共通点を見つけた。それはマスク嫌いという点。正直に言ってマスクは煩(わずら)わしい。これまでは外国人並みにマスクの効果を疑っていた。しかし仕方なく始まったマスク生活。喋(しゃべ)りづらいし、呼吸もしづらい。老眼鏡は曇るし、おまけに鼻のあたりが温まって鼻水が垂れてくる。やはりマスクは嫌いだ。

しかし、こういう事態になる以前から、最近では毎年のインフルエンザの流行に伴い、学校ではマスク着用を促すようになった。ただ困ったことに、マスクをしていると表情が読み取れない。

「目は口ほどにものをいう」とは言うが、実は表情は顔の半分から下でつくられることがよくわかる。要するに、目から上には表情をつくる筋肉がほぼないのである。例えば教室で個人の表情が全く分からない、40人のマスクさんたちを相手に、有意義な授業は見込めない。逆も然り。マスク先生の話は面白さも半減する。

マスクマンの「マスク内引きこもり」

小学校のころ、母が毛糸で赤いマスク編んでくれた。マスクといっても覆面レスラーのマスク。多分海外でmaskといえば、仮面や覆面を指すのだろう。当時、絶大な人気を誇った覆面レスラーといえばデストロイヤー。漫画ではタイガーマスク。そして千の顔を持つ男といえばご存じミルマスカラス。

そんな憧れのマスクを手に入れて、畳の上で繰り広げられるプロレスごっこのタッグマッチは盛り上がった。今考えると、プロレスはマスクの持つ匿名性や神秘性という側面を実に上手く利用していたといえる。

ところが、レスラーほどのフルフェイスのマスクではないが、近年学校にもマスクマンが現れ始めた。春はおろか夏になってもマスクをしている、要するに年中マスクをしているマスクマン生徒だ。外界と一線を画すようなマスク姿。

「マスク内引きこもり」と私は勝手に名付けていたのだが、それを敢えて咎(とが)める理由もない。しかし、そうこうしているうちに、とうとうその生徒たちの素顔がわからないまま学年が変わってしまう。多分、マスクを外した顔で挨拶されてもわからないだろう。それよりも、その子たちは今後ずっとマスク顔で生きていくのだろうかと不安になった。

因(ちな)みに、覆面レスラーは覆面をはがされて正体がばれそうになるところがクライマックス。そして、マスクの下の素顔はいつか明かされる運命にある。

今回、ハンバーグや餃子と同様に、マスクは「手作り」という市民権を得た。マスク不足から、創意と工夫で作られた手作りのマスクは、それなりの意味と効果があったといえる。しかし、エコバッグが街にあふれてエコでも何でもない道をたどったように、手作りマスクが生活の中でこれ以上過剰に流行らないことを祈る。

さて、いつもは安倍さんに冷たい私だが、今回はいささか同情せざるをえない。「もうマスクはいりません!」。彼が満面の笑みで放り投げる、洗いすぎてビヨーンと伸びたゴムのマスクが、スローモーションで宙を舞う姿。私の思い描くハッピーエンドだ。(画家)

《邑から日本を見る》63 農家の暮らしとコロナ騒ぎ

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田植え時の小昼飯

【コラム・先﨑千尋】いつものように5日に田植えが終わった。5反(50アール)百姓だから、借りてきた4条植えの田植え機を手で押し、半日で終わる。親の代から「我が家のコメを食べる者は田植えには集まれ」と兄弟たちに言ってきたので、孫の世代も含めて17人も集まった。それぞれが植え継ぎ、寄せ植え、箱洗いなどを分担してやってくれる。

手植えのころは、結(ゆい)と言って親戚が集まり、互いの田んぼを交代で植えていくので、それこそにぎやかだった。嫁同士の植え方の優劣もよくわかった。苗も、今と違って苗代(なわしろ)で育て、暗いうちに手で取り、束ね、田んぼに運ぶ。子供も、苗運びや代掻(しろか)きをする牛馬の補助などの役割があった。

楽しみは小昼飯(こじゅうはん、なまって「こじはん」と言っていた)。塩の握り飯に切昆布と麩(ふ)の煮もの、漬物くらいしかなかったが、それでも、子供にとってはその時間が待ち遠しかった。今では、我が家のように大勢が集まる光景はほとんど見られない。大型の乗用田植え機で植えるので、ほとんど人手は要らない。水田地帯だと8条植え。あっという間に終わってしまう。だから小昼飯もない。

田んぼや畑にいると、コロナのことなど忘れてしまう。人にも会わないから、密閉、密集、密接の三密とは無縁である。米や野菜、みそなどはあるので、日常の暮らしにそんなに影響はない。不要不急の外出自粛とやらで、外に出ることがなくなり、客も来ない。安全、安心な暮らし方をしている。よけいな金も使わなくて済む。

都会はその脆さが浮き彫りに

逆に、都会はその脆(もろ)さ、生活の危うさ、苦しさが浮き彫りになって見えてくる。田畑から家に戻り、テレビをつけるとコロナのニュースばかりだ。クラスター、オーバーシュート、ロックダウンなど、これまで聞いたことがない言葉にとまどい、安倍首相や小池東京都知事のうつろな言葉に付き合わされる。

休業、営業自粛に追い込まれた人たち。医療崩壊を防ぐために、懸命に医療現場を支えているスタッフたち。人通りが極端に減った観光地。それぞれ大変な苦労をしている。

戦後の日本は、農林漁業という人間の生活に不可欠な産業を切り捨て、経済成長を目指し、結果として首都圏などに人口が集中した。吉幾三ではないが、「俺あこんな村いやだ 東京へ出るだ~」だ。農村の過疎と都市の過密は背中合わせの現象である。

オリンピックが来年開かれるかどうかはわからないが、今回のコロナ騒動はいずれ収束する。しかし、歴史が教えてくれているように、また同じようなことが確実に起きる。

コロナウイルスは、安倍首相が言う「戦う、打ち勝つ、撲滅する」相手ではない。人類はたかだか20万年の歴史しかないが、ウイルスは4億年前に生まれている。そして忘れてならないのは、「人間は自然界に生かされている生物の1種にすぎず、自然の支配者ではない」ということだ。ウイルスとの共生、一極集中からの転換。そんなことを考えながら、田植え機を動かしていた。(元瓜連町長)

《食う寝る宇宙》61 デコポン型のベテルギウス復活

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【コラム・玉置晋】2019年の秋、「オリオン座のベテルギウスが減光している、超新星爆発(ちょうしんせいばくはつ)の兆候ではないか?」と話題になっていました(このコラム53参照)。年末になっても減光し続け、元の40%以下の明るさになってしまいました。これは肉眼でもはっきりわかるものでした。

もしも、642光年離れたベテルギウスで超新星爆発が起きたら、「私たちの生存も危ういのではないか?」という議論も起こりました(これに関しては、距離・時間的に、われわれは安全圏にいるという結論に達しています)。

さて、その後どうなったかというと、無事に元の光の強さに戻りました。めでたし、めでたし。ただ、ベテルギウスが星の寿命の末期にあることに変わりはなく、不安定な状態にあります。形状も球体ではなく、果物のデコポンのような異様なものになっております。

とはいえ、星の時間スケールと僕ら人間の時間スケールは全く違っていて、今後、数年から数10年内に爆発が起きるかどうかは、天文学者もわからないようです。

宇宙天気エンタメ

プライベートで所属する宇宙コミュニティーの中に、宇宙ロケットを女の子に模したゲームを開発している方(本業は弁護士さんなんですけどね)がいて、僕もオタク心をくすぐられて応援しています。

ゲームの中で、このベテルギウスの超新星爆発をストーリーに組み込もうという構想もありました。リリースに合わせて、ベテルギウスが爆発してくれれば、とても強力なネタになることを期待しましたが、惜しかった。

では代替案をどうするか? 「宇宙天気防災研究者」の僕としては、宇宙天気推しです。すでに宇宙天気に関連した女の子のキャラクター設定が進んでいるところで、ゴールデンウイークの早朝から「制服が宇宙天気と人間界をつなぐユーザインタフェースになる」とか、このサイトの読者さんの多くには理解し難い議論が行われています。

宇宙天気はすべての人が影響を受ける可能性があるにも関わらず、現状では想像の範囲外にあるため、自分事として受け止めるのは難しいと分析しています。宇宙分野全般に言えることですが、まずは入り口が必要です。解のひとつがエンターテインメントだと、僕のオタク心が囁(ささや)いています。(宇宙天気防災研究者)

《茨城鉄道物語》1 「品川開発」で常磐線の復権なるか

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常磐線特急ときわE657系=土浦市内

【コラム・塚本一也】以前、コラムを担当させていただきました塚本一也です。久しぶりの寄稿となりますが、どうぞよろしくお願いいたします。今回は鉄道建築技術者としての経験から、茨城県の鉄道全般について広く論じてみたいと思います。

新型コロナウィルス問題の最中に、東京の鉄道網において、歴史的ともいえるビッグニュースがあった。3月14日の高輪ゲートウェイ駅の開業である。山手線の駅としては西日暮里駅以来49年ぶり、30番目の駅である。

皆さんは、地下鉄ネタの漫才が得意であった春日三球・照代さんを覚えておいでだろうか。お二人の漫才で、「山手線の駅はいくつあるか数えてみよう」というネタがあった。品川から時計回りに二人で数え始めて、見事に駅名をそらんじていくのだが、照代さんは田町で止めて、29駅だと主張する。

しかし、三球さんは品川をもう一度カウントして、30駅だと言い張るのである。なぜ品川を2回数えるかというと、「じゃあ田町と品川は線路がつながっていないんですか?」というのが落ちになっている。今、お二人がご健在ならば、今回の新駅開業についてどのようなネタを披露してくれるか、非常に楽しみであったが残念である(照代さんは1987年にご逝去)。

品川―茨城直結の優位性を活かせ

なぜ本コラム再登板の初回に高輪ゲートウェイ駅開業を取り上げたかというと、「いよいよ品川の時代がやってくるな」ということを申し上げたかったからである。

その品川駅に優等列車で乗り込んでいるのが、我が郷土の基幹路線ともいうべき常磐線である。本来であれば、隈研吾(くま けんご)設計の近未来型駅の提案がクローズアップされるはずであり、さらにはJR東日本による品川開発プロジェクトの幕開けが注目される予定であったが、全てが新型コロナ問題で吹き飛んでしまった。

品川開発構想に関しては、その計画があまりにも壮大すぎるため詳述を避けるが、将来的にJR東海のリニア新幹線の始発駅であったり、JR東日本が羽田アクセス線を開通させたりと、交通の結節点として益々重要度が増してくることは間違いない。

一昔前、北の玄関口と言えば上野駅であった。それが、上野東京ラインによって常磐線は悲願であった東京駅乗り入れを果たした。しかし、その延長線として品川を始発駅にしているということに関しては、沿線の関係者はあまり関心を持っていないように見受けられる。

品川~水戸間は乗り換えなしで最速80分である。一方、品川~宇都宮間、品川~高崎間は最速70分ではあるが、乗り換えが伴ってしまうという弱点がある。品川から茨城県へ直結しているという優位性を最大限に活かして、沿線の活性化につなげてもらいたいものである。(一級建築士)

《宍塚の里山》62  モニタリング調査で分かったこと

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宍塚の里山の中央にある宍塚大池

【コラム・及川ひろみ】環境省による里地里山調査は2005年に始まり、現在、4期目の調査を行っています。昨年11月には、2005~17年の調査報告書が、環境省と市民団体の間に立ち取りまとめを行う(公財)日本自然保護協会から発表されました。

この中で明らかになったことは、身近にごく普通に見られた生き物が急激に減少していることです。たとえばチョウでは、全体の約4割もの種が絶滅危惧の評価基準の一つである減少率(10年で30%)になっていることが明らかになりました。チョウ以外でも、野鳥、ノウサギ、テン、ホタル、ヤマアカガエルなど広い分野で、その傾向が見られました。

WWF(世界自然保護基金)の「生きている地球レポート2018」では、「過去40年間で野生生物の個体数が60%減少」と報告されています。また、2019年国際機関IPBES(生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学―政策プラットフォーム)は、「100万種が絶滅の危機」という衝撃的なメッセージを出しました。日本自然保護協会の報告書も「普通種が危機的な状況」と述べています。

行政も里山保全に積極的関与を

里地里山は、原生的な自然と都市との中間に位置する里山が集落とそれを取り巻く2次林、 それらと混在する農地、ため池、草原などで構成されています。農林業などに伴う様々な人間の働きかけが、1000年以上にわたり持続的に行われてきました。人の手が加わり続けることで維持されてきた林、田んぼ、小川、ため池など多くの環境要素が集まり、日本の面積の40%を占めていると言われています。

しかし、農業も暮らしも里山に依存することが少なくなった近年、里山には人の手が入らず放置され、人との係わりが激減したことで里山特有の生物が減少し、レッドデーターとして扱われる種(植物55%、動物49%が里地里山に分布)が多く存在しています。調査では、里地里山がさらに住宅地などに変容していることで、身近な生き物の急減を招いていることが明らかになりました。

現在、各地で里地里山の保全活動が行われ、市民、行政、企業、研究者などが一体となって取り組んでいます。しかし、保全に関する国の予算は大変少なく、都市近郊では里地里山を公有地にすることも難しいのが現状です。当会では、公有地化とともに、行政も積極的に保全にかかわりを持つよう願い活動を続けています。(宍塚の自然と歴史の会代表)

《くずかごの唄》60 コロナの特効薬なしの現実

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令和のカッパ(左)と大正時代のカッパ

【コラム・奥井登美子】亭主は、製薬会社の研究所に勤めていたせいか、今でもメーカーの開発に関心がある。

「コロナ肺炎に、まだ決定的な特効薬がないのね」

「インフルエンザの時のタミフルみたいな薬、早く出てくるといいね」

「今、コロナにかかったら、処方箋に、何の薬が載るのかしら?」

「レムデシベルが効くという話。日本ではまだ許可されていない薬だから、アセトアミノフェンくらいしかないよ」

「大正8年のスペイン風邪の時はアスピリンしかなかったと、お母さんが笑っていたわ」

「100年たっても、まったく同じこと、繰り返している」

「コロナのワクチンが早くできるといいけれど、生物製剤だから時間がかかるし、困ったね」

何万年も前から続く人類とウイルスの闘い

彼の山岳会の友だちで福島の山に詳しい人がいて、時々連れて行ってくれる。茨城県のお隣の県なのに、福島に行くと、茨城では体験できない、何か不思議なものに会えるのだ。秋に行った時は、紅葉の下の無数の粘菌(ねんきん)に会うことができた。

福島市への途中、木地小屋(猪苗代町)の集落の中に岩が苔蒸(こけむ)している。近づいてみたら「蝉丸(せみまる)の墓」と書いてあった。本当だろうか。平安時代の「逢坂の人」の墓が福島にあるのがわからない。小野小町の墓がたくさんあるように、蝉丸の墓も日本中に散らばっているのだろうか。

百人一首の中の蝉丸の歌は、

「これやこのゆくもかえるも分かれてはしるもしらぬもおおさかのせき」

コロナ肺炎のウイルスがいつ収まってくれるのかわからない。人類とウイルスとの闘いは何万年も前から途切れなく続いている。平安時代も、大正時代も、そして現代も、知るも知らぬもが、薬の世界なのだ。

そこで「セミ丸」流の短歌を、薬剤師の「トミ丸」も一首。

「これやこのゆくもかえるもウイルスは知るも知らぬもおおげさの咳」(薬剤師)

《雑記録》11 「反グローバリズム」と「新グローバリズム」

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【コラム・瀧田薫】「グローバリズム(経済や文化の国境越えや相互依存)」。この考え方を、河川にたとえて、「本流(立論前提)」と呼ぼう。この本流、少し前まで、流域の人々に豊かな恵みを与える大河として受け入れられていた。ところが、コロナウイルスの出現によって、大河は一転、暴れ川となり、その流域に甚大な被害をもたらした。

それ以前から、この大河には何本もの支流が存在していたのだが、ウイルスの出現を境に、本流は二股に分かれ、二つの巨大支流となって、それぞれ逆方向に流れ始めた。一方の支流の名を「反グローバリズム」、もう一方を「新グローバリズム」と呼ぶことにしよう。

「反グローバリズム」の例として、英国の「ブレグジット」をあげよう。英国内で沸騰したナショナリズムとポピュリズムの勢いも、ウイルスの攻撃で一時の勢いを失っている。もともと、EU(欧州連合)からの離脱による経済の落ち込みは避けられないと見られていたが、そこにウイルスという想定外の事態である。

しかし、いまさら後戻りは出来ない。他方、アメリカでは、トランプ大統領の再選に黄信号が灯った。ウイルスを軽視したことが彼の致命傷かも知れない。戦時の大統領を気取り、岩盤といわれる支持基盤をなんとかつなぎ止めようとしているが、アメリカ経済の落ち込みをどこまで回復させられるか、その勝負だろう。

コロナは将来の政治選択も迫る

他方、「新グローバリズム」の旗手一番手の中国は、ウイルスに対して情報管制を武器に闘おうとして手ひどい目に遭った。それに懲りて、権威主義を見直すかと思えば、むしろ独裁体制をさらに強化している。また、国内の生産体制に打撃を受けながら、途上国を対象とした大々的な人道支援に乗り出している。この外交姿勢が貫かれれば、中国の支援に期待している国々にとっては、好印象であろう。

では、中国の将来はバラ色かというと、どうもそうではない。国内的な締め付けは当然ながら反作用を伴う。国内で拡大する経済的格差、さらに過剰な投資と生産のつけなど、問題は山積である。国外においては、今後、欧米を中心に、国際的なサプライチェーンの要石・中国に過度に依存してきた体制の見直しがはじまる。ここから数年は、中国の黄金時代の終わりの始まりかもしれない。

歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏は、今、人類はコロナウイルスによって分かれ道に立たされているという(朝日新聞 4月15日付)。一方には、国際的連帯で危機を乗り切るという道、他方には国家的な孤立主義への道がある。さらに、もう一つの選択肢がある。全権力を独裁者に委ねるか、あるいは民主的制度を維持し、権力に対するチェックとバランスを重視するかである。

ウイルスは医療、衛生上の危機をもたらすと同時に、人類に対し、世界の将来を左右する政治選択を迫ってきている。つまり、われわれは疫病に勝つだけでなく、自由と平和と民主主義を守る戦いにも勝たなければならないということである。(茨城キリスト教大学名誉教授)

《吾妻カガミ》81  つくば市のコロナ対応を点検

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【コラム・坂本栄】新聞もテレビも本サイトも新型コロナ禍一色です。4月の本欄は『大型コロナ病床をつくば市に』の是非」(4月20日掲載)、「善政? つくば市のコロナ対応」(4月6日掲載)でしたが、今回もつくば市のコロナ対応の話にします。

4月2回のコラムでは、コロナとの攻防を戦争状態に例え、撃退のためには二つの基本作戦が必要であると述べました。「コロナを運ぶ人の移動を抑える」「コロナを運ぶ人が群れない」です。政府の緊急事態宣言も各自治体の対コロナ策も、こういった考え方を軸に組み立てられています。

対コロナ戦の基本を踏まえ、6日のコラムでは、市が2~3月に打ち出した「小中学生の自習のための登校を容認する」善政は「人を群れさせない」という基本に合わない、「市内で宿泊・飲食する人にはおカネを補助する」善政は「人の移動を抑える」という基本を理解していない、と指摘しました。

似たような声があったのでしょうか? 市は4月3日に「自習登校容認」の取り止めを発表、20日には「宿泊飲食者補助」を「宿屋飲食店補助」に組み替えると発表しました。対コロナ戦線の拡大にともない、「群れさせない」「移動を抑える」という目標と、蔓延阻止の手段がかみ合って来たようです。

緊急対策の仕組みに心配な点も

以上は、対コロナ戦の戦略と戦術についての整理です。以下、市が4月20日に議会に説明した緊急経済対策の内容を点検します。対策の詳細は「テイクアウト飲食店に一律10万円 つくば市が1億6000万の緊急経済対策」(4月21日掲載)をご覧ください。

このセット対策は、①テイクアウト推進支援給付事業、②緊急支援給付事業、③市内事業者応援チケット事業、④市内宿泊事業者支援給付事業―から成っています。規模と効果がわかりやすい①②④(直接支援型)については、紙幅の関係もありパスします。

「?」が付いたのは、③です。その仕組みは、市町村で発行されたプレミアム商品券の業種限定・業者救済型と言ってよいでしょう。つまり、文化興業、運転代行、飲食経営など5業種に絞り、コロナ禍による売り上げ減で資金繰りが苦しくなっている事業者を助けるために、将来のサービス提供が約束されたチケットを、市内外の応援者(将来のサービス利用者)に前倒しで買ってもらう、という内容です。

市が2割の補助金を出しますので、応援者は本来価値よりも安くモノやサービスが買えます。事業者も応援者も「めでたしめでたし」ですが、事業者がコロナ禍に耐えられず店を閉めてしまうと、チケットは無価値になるのでは? 事業者が自らチケットを購入し、支払分と補助金を受け取りドロンしたら?―といった、心配な点もあります。

市の関与に安心して、応援者が先払いに応じ、市内の事業者を支援する―。洗練された仕掛けです。でも、クラウドファンディング(寄付感覚もあるリスク承知の投資)とチケット(モノやサービスが約束された商品券)の性格を併せ持つことから、混乱も予想されます。担当課によれば、無価値化に備え保険を掛け、潜在ドロン業者は排するとのこと。制度設計は複雑になりそうです。(経済ジャーナリスト、戦史研究者)

《続・気軽にSOS》60 コロナ禍 このイライラをどこに

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【コラム・浅井和幸】緊急事態宣言が、茨城も含む全国に拡がってから2週間が過ぎました。さらに延長をしなければいけないという意見が強く、期間延長の動きも出てきました。自粛、自粛。人は物事を制限されると、大きなストレスを感じることになります。

さらに、経済的な困窮が追い打ちとなり、自殺者の増加が懸念されます。新しい情報が出続け、多すぎる情報に、何が正しいのか分からず混乱します。いつもとは違う生活サイクルも、ストレスとなります。

そうしたとき、安心して大丈夫だよと言ってくれる根拠のない情報を探し、白黒がはっきりとした、分かりやすい解決方法のデマに飛びついてしまうのです。また、いつもと同じ行動が安心感につながりますから、いつものパチンコ屋とか、スーパー、ホームセンターに出かけたりしてしまうのです。

とても嫌なことが起きている、こんな悪いことが起こっているのは、悪い奴がいるからだ、そいつらのせいで、自分はこんなに苦しんでいる―と考え、「悪者」と決めつけた人を叩くことで、不安を解消しようという言動につながります。正義でいれば、悪いことは起こらないと教えられて育ちますから。

陰で愚痴を言うぐらいならばよいですが、実際の行動に出てしまう人もいます。感染者(デマもある)の家に石を投げ込むなどの悪質な嫌がらせです。そのような行動を起こす人は、自分が正義の行動をしていると考えていることがあるので、たちが悪い。

とんでもない奴がいるものだ…と、ほとんどの人が思うことでしょう。しかし、多かれ少なかれ私たちは、このような性質を兼ね備えているものなのです。そのことを肝に銘じて、周りの言動を理解することが大切です。そのような輩(やから)からは離れることが得策です。なので、それを考え続け過ぎて、嫌な言動に囚われ過ぎないようにしてください。

社会・家族・自分・幸せを見直すとき

いつもと違う行動はストレスになります。しかし、それをよいストレスとし、新しい発見をしましょう。余裕を持って、もっと笑って、今できることの中に楽しみを見つけてみましょう。(もちろん、それでも苦しいときは専門家に相談してくださいね)

ストレスに柔軟に対応できる能力として、首尾一貫感覚という健康社会学の考え方があります。3つの感覚を挙げているのですが、その中でも一番大切な感覚で「有意味感」というものがあります。

今、起こっていることに、意味があると感じられる感覚です。今、起こっていることは、この先の糧(かて)となるであろうと考えてもよいかもしれません。社会を見直し、家族を見直し、自分を見直し、幸せを見直す。そのようなときが来たのかもしれません。

なんて、重く考えず、こんなにつらい状況でも、素晴らしい人に囲まれて、楽しい時間が過ごせるような方法を、ワクワクしながら考えてみてください。きっと、その先には、素晴らしい日々が待っているはずです。(精神保健福祉士)

《ことばのおはなし》21 私のおはなし⑩

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【コラム・山口絹記何度かの試行錯誤の末、娘と妻の名、短いメッセージを書くことができた。これが、私が書きたかったことばだ。時計を見ると朝の6時半だった。

まだ「あ」から順に五十音を口にすると、何故か、さ行までしか言えないし、2文字以上の漢字からなる単語は書けなかったりと問題は多い。それでも6時間前に比べたら見違えるような改善だ。

目が覚めて、またことばが話せなくなっていたら…。丸暗記でテストに臨む前夜のような不安にかられながら目を閉じると、カーテンが開いて妻が現れた。

(えぇ…こんな早い時間から面会できるの?)

少しでいいから寝たい。しかし、泣き腫らした顔の妻に、「眠い」とは言えない。もう話せるけれど、言えない。すっかり忘れていたが、昨夜の私は脳腫瘍の疑いと診断され、妻はその説明を受けてから帰ったに違いない。

メッセージを書いたメモを見せつつ、ぽつりぽつりと話をした。乳幼児は入室禁止らしく、娘とは会えない、ついでに朝食も出ない、とのこと。残念である。

9時になると、脳外科の医師がぞろぞろとカーテンを開けて入ってきた。「あれ、話せてるじゃない」などと話し声が聞こえる。今日の夕方、MRI(磁気共鳴画像)で精密検査をするらしい。11時になると看護師が身体をきれいにして、寝間着に着替えさせてくれた。やっと、入院患者らしい見た目になった。

昼食は魚のパン粉焼き。なかなか美味しい。まだうまく動かない右手でどうにか食べ終わり、やっと1人になって気絶するように眠りにつこうとしたところに、今度は母が現れた。母は私の顔を見て、一瞬泣きそうな顔をしたが、踏みとどまったようだ。

(ね、寝たい…)

精密検査の結果を説明される

その後も、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士がかわるがわる病室を訪れ、休む時間もなかった。

結局1人になる時間はなく、夕方の精密検査の時間になる。ぐったりしながら車椅子に乗せられ、放射線室に連行される。点滴から、造影剤を入れているらしいが、もはやほとんど意識がない。左腕から上がってくる温かい感覚に途端に眠りに落ちる。気がつくと、再び車椅子に乗せられ廊下を進んでいた。爆睡している私を技師や看護士が車椅子に移してくれたのだろうか。申し訳ない。

HCU(高度治療室)から個室の部屋に移動になり、運ばれてきた夕食のカレーを食べながら、母と妻と話す。食事の量が足りない。あと、本が読みたい。

妻には、ありったけの食料と本を病室に持ってきてほしいと頼み、1人になってからは今日の記録をメモに残した。

翌朝。妻に持ってきてもらった、どんぶりいっぱいの手羽先とゆで卵、大量のお菓子が置かれた病室の机を挟んで、6名の医師から精密検査の結果を説明される。なんとなくシュールな絵面である。

昨日のMRIの結果、血管病変、腫瘍、感染症の原因のうち、血管の問題である可能性が高いらしい。再度検査が必要らしいが、「血管病変であれば、うちの病院は強いよ」と言いつつ、医師がニヤリとした。どこか楽しそうである。

ここで治療を受けよう。そう思った。-次回に続く-(言語研究者)

《食とエトセトラ》2 自然の恵み:筍と旬の関係

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アク抜き下処理後の筍

【コラム・吉田礼子】今年は例年より地元の筍(タケノコ)が店頭に出回るのが早い。東日本大震災のときは、福島第一原発事故による放射性物質の検出から出荷規制が何年も続き、土浦の場合で自粛がやっと解除になったのは2018年のこと、地元産の筍を再び味わえるようになった。

筍と旬、この2文字に関連性を感じる人は多いと思う。旬の読み方のひとつは「シュン」。広辞苑によると、①朝廷行事のひとつ、②魚介、野菜、果物がよくとれて味の最も良い時、③転じて物事を行うに適した時期―とある。

「ジュン」と読むと、ひと月を10日ずつ3つに分け、上旬・中旬・下旬といった使い方になる。筍は土の中から芽を出し、10日で竹になるということから、この字が使われたとのこと。食の世界では、旬を3つに分け、「走り」「盛り」「名残り」と言う。

「走り」は、出回り始めで味も香りも浅く、数量も少ないので値段も高い。先駆けの希少価値のところが好まれる。「盛り」は、字の如く、食材の風味・味も濃く、しっかりしている。収穫量も多く、値段も安い。

多種多様の料理を堪能したあと、「名残り」が来る。そのころには大きく育ち、繊維も強く、歯が立たない部分もあり、調理にも一工夫が必要に。すりおろして、お肉などと一緒に団子にして、油で揚げていただく。

どの旬でも、真空パックやビン詰めのような保存食にはない、今だけの、そして産地ならではの、自然の恵みを堪能していただきたい。

外出自粛で家にいる間はお料理を

先日、「筍、掘ったから届けるよ。今、実家から帰るところ」と、友人から電話があった。阿見の義母に電話して、糠(ぬか)をいただきに。そろそろ糠のリクエストのころと、精米に行く義父に用意してもらっていたとのこと。そんな、ささやかな心遣いにほっこり。

トンボ返りで戻ると、玄関に段ボールがあり、掘りたての見事な筍が届いていた。早速、下ごしらえに入る。よく訊かれるので、アクとえぐみを抑える下処理の仕方を紹介します。

  1. 大鍋を用意する。外側の土のついている筍は皮を1~2枚むく。先を人の字に切り落とす。下の切り口は洗い、土の付いているところは切り落とす。
  2. 鍋の直径に穂先から入る長さに切り、おさまりよく鍋に並べて、1~2カップの糠とタカの爪2本入れ、たっぷり水を入れ、落とし蓋をして60~90分茹でる。途中、上下を返し、湯も足して、根元に竹串を刺しスーッと入ったら、そのまま一晩(8時間ぐらい)置く。
  3. 翌日、皮をはがし真水に漬ける。姫皮も捨てないでとっておく。毎日、水を取り替える。または冷蔵庫に入れておくと、1週間ぐらいは美味しくいただけます。筍は繊維が強いので、卵、海藻、豆腐などを献立に一緒に入れることを勧めます。

今年は、いつ終息するか先が見えないコロナ禍に耐えている日々であるけれど、季節は確実に前に進んでいます。明けぬ夜はないと信じて乗り切りましょう。外出自粛で家にいる時間、家族でお料理をしてください。子どもたちにとっても、生きていく基礎力が身に付くチャンスです。(料理教室主宰)