月曜日, 10月 7, 2024
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《宍塚の里山》64 初夏の里山 「ぶらっと歩き」①

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宍塚の自然と歴史の会パンフ レット64

【コラム・及川ひろみ】今回は初夏の宍塚の里山の「ぶらっと歩き」です。出発は土浦学園線近くの「ふれあい農園」。農園近くには、親子で年間を通し活動をする「子ども田んぼ」、無農薬、無化学肥料、耕さない田んぼなど「自然農田んぼ塾の田んぼ」、そして農家の方が耕作する「宍塚米のオーナー制の田んぼ」と、3種類の田んぼが並んでいます。

田んぼの上空には里山の鷹「サシバ」が悠然と飛び、運がよければ田んぼのカエルを狙う姿が見られます。田んぼを過ぎると、若いアシが一面に広がるあるアシ原が広がります。アシ原ではオオヨシキリが「ぎょうぎょうし、ぎょうぎょうし」と、「仰々しい」の語源になったとされる賑やかなさえずりが聞かれます。

宍塚では、アシの上ではなく、近くの樹の枝で鳴いていることもしばしば。そんなときには、近くの木を仰ぎ見てください。オオヨシキリは一夫多妻(二妻)の鳥です。鳴いているのは雄、アシ原での子育ては複家族?

人の気配を感じると鳴き止んでしまうこともありますが、一時なりを潜めても間もなくまたけたたましく鳴き始めます。茶色で目立ちませんが、鳴いているときの口の中は真っ赤。驚くような赤さです。この赤色は仲間に元気であることを伝える手段といわれています。

カイツブリ、シジュウカラ、ヤマガラ…

ふれあい農園から小川沿いに歩き、最後少し坂を上がると、目の前に宍塚大池が広がります。大池ではカイツブリがキリッキリッ、キリリリと鋭く鳴き、雌雄が鳴きかわす声が池に響き渡っています。

そして、親の周りを泳ぐカイツブリの子どもも見られます。カイツブリの好物はアメリカザリガニ。今年、宍塚大池ではアメリカザリガニが大発生。ザリガニ好きのアオサギ、ゴイサギもよくみられます。

カイツブリ。何か異変を感じれば、ピッ、ピッと鋭い声で仲間に合図を送ることもしばしば。上空にはオオタカなどが小さな命を狙っています。生き延びることは大変。池のほとりの林では、キビタキが明るい声でピヨピ、 ピッピキ、ピピッピキピなどと、美しい鳴き声が聞かれます。

初夏の里山は木々が生い茂り、小鳥の姿を確かめることは難しいのですが、耳を澄ますと、メジロ、シジュウカラ、ヤマガラ、エナガなど、小鳥のさえずりをいろいろ聞くことができます。

新型コロナウイルス問題で遠くに出かけることがはばかられる昨今、親子、カップル、グループで里山歩きをされる方が増えています。身近なところにこんな素敵なところがあったと、大層驚かれる方もいます。じっくり里山をそぞろ歩きすると、日ごろ見落としていた小さな命、驚きの命にめぐり合えること請け合いです。(宍塚の自然と歴史の会代表)

《映画探偵団》32 野口雨情作詞『爆弾三勇士』

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】雨情茨城民謡の謎を解くため、1930年代に作られた映画や1930年代を舞台にした映画を探して見ている。ある日、昭和初期を時代背景に作られた東映の任侠映画があったことに気が付いた。雨情と任侠映画はミスマッチであり盲点だった。

東映の任侠映画は『人生劇場 新飛車角』(1963)から始まる。TVの普及で斜陽となった日本映画界で観客を集め、『日本侠客伝』『昭和残侠伝』『緋牡丹博徒』などのシリーズ物を生みブームは約10年間続いた。だが当時の映画評論家や文化人からは毛嫌いされ、批判の的だった。

鶴田浩二主演『博奕打ち 総長賭博』

ところが、作家の三島由紀夫がある任侠映画を絶賛したところから潮目が変わる。お墨付きを得たからだ。「何という絶対的肯定の中にギリギリに仕組まれた悲劇であろう。しかも、その悲劇は何とすみずみまで、あたかも古典劇のように、人間的真実に叶っていることだろう」

三島が評価した作品とは、ギリシャ悲劇を参考にした笠原和夫脚本、様式美で描いた山下耕作監督の『博奕打ち 総長賭博』(1968)である。

昭和10年、東京江東地区に縄張りを持つ天竜一家の総長が脳溢血(いっけつ)で倒れ、跡目相続問題が起きる。一門の組長でそれぞれ兄弟盃(さかずき)を交わした、中井(鶴田浩二)、松田(若山富三郞)、石戸(名和宏)が総長候補である。

中井の妹は松田の妻、石戸の嫁は総長の娘という関係。さらに一門の叔父貴分の仙波(金子信雄)は、大陸進出の野望を秘め、何かと口を出す。そして総長は石戸に決まり、中井は様々なしがらみに縛られ、花会の準備を進める。

何度か見ていた作品だが、今回初めて気が付いたカットがあった。中井を差し置いて総長の座を受けた石戸に不満のある松田が、自分を狙った刺客は石戸の差しがねと思い込み、事務所に押しかける場面だ。

そこに「ビクターレコード 歌藤原義江 野口雨情作詞 中山晋平作曲」のポスターが貼ってあったのだ。残念ながら、曲名は柱の陰になってわからない。昭和10年は、雨情が日本民謡協会を再興し理事長に就任した年である。

上海事変 満州建国 団琢磨暗殺

その3年前、昭和7年(1932)1月28日に「上海事変」が起きる。3日後の1月31日、2月2日に、雨情は竜ケ崎のまちおこし民謡『今朝も別れか』(常陸竜ケ崎音頭)と『竜ケ崎小唄』を作詞している。2曲は、男と2人の女との別れと出逢いを描いた恋歌である。

2月9日には前蔵相、井上準之助暗殺。2月22日上海事変で肉弾三勇士の戦死を軍部が発表。3月1日満州国の建国宣言。3月5日三井合名理事長、団琢磨暗殺。

時代はテロと大陸進出とで騒然とした雰囲気だった。こうした中でまちおこし民謡をつくる雨情は、大陸での出来事をどう意識していたのだろうか。雨情は昭和7年、『幼年倶楽部』7月号に『爆弾三勇士』の詩を発表する。「上海事変」で爆弾抱えて突撃し亡くなった3人の男の詩だ。

くもの巣よりも なほしげく
縦横無尽に はられたる

鉄条網を うちながめ
にくや 小しゃくな 十九路軍

日本男児の この意気を
今こそ見せん 時は来ぬ
(以下略)

雨情茨城民謡は、日本とアジア大陸とのしがらみの中で読み直せば、いろんな映像が見えてくるのではないかと思っている。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

《続・平熱日記》63 我流養生訓

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【コラム・斉藤裕之】玄関から上がって「?」。何か踏んだな。よく見ると大きな犬の歯。フーちゃんの歯。

フーちゃんはこの家を建てた次の年の春にやってきた。だから満17歳。歯も何本か失ったが、今は目も耳もほとんど利かないのだろう。呼んでもあらぬ方向を見つめたり、帰宅しても気づかずに寝ていたりする。おむつもするようになった。

それでも、とにかく食欲は旺盛なのだが足腰が弱っているので、食べている間にだんだんと手足がハの字に開いていってしまう。しまいには全開脚して、すっかり這いつくばったまま、それでも食べ続ける。

ひょいと尻尾を持って引っ張り上げて、足が開かないように私の足を両の後ろ脚の外側に添えてやると、なんとか姿勢を保ちながら、えさの入った洗面器を空にする。

洗濯物干しスクワット

実は私も、今年になってどうも左の膝に違和感を覚える。余談だが、こういうときにちょっと人に聞いてみるのはよいとして、最近ではSNSで体調が悪いだの、病院に行きましたとか、家族がどうしたとか呟くのはどうかと思う。

どこの家にも、具合の悪いことは一つや二つあるものだ。世の中がそんな投稿で溢れてはかなわない。私の場合、これまでケガなどの経験は人より多いと思っていて、大概(たいがい)自分流に対処してきた。

しかし今回は違う。明らかに経年劣化。それから確実に運動不足。だからといって、ウォーキングやジムに通うのはどうも。本来は、水汲みや雑巾がけなど、日々の暮らしの中に肉体労働がバランスよく入っているのが理想なのだが、生憎(あいにく)そこまで不便な暮らしでもない。そこで、私が毎朝密かに始めたのが、名付けて「洗濯物干しスクワット」である。

洗濯はもう十数年来私の役目。娘たちがいたころとは違い、夫婦2人の洗濯物は実にシンプルで、下着や靴下は洗濯ばさみが十(とお)も付いた小さな物干しハンガーで十分だ。

そのハンガーは床から60センチほどの高さにぶら下げてある。まずはカミさんの下着を持ってゆっくりしゃがむ。足は肩幅。一番きついところでキープして、洗濯ばさみでとめる。ゆっくり立ち上がって次は私のパンツ。そして靴下…。都合10回ワンセット。ポイントは呼吸法と膝を締めて開かないこと。すぐそばで寝ているカミさんに気付かれないこと。これだけで意外に効く。ライバルは三浦雄一郎、目指すは千代の富士の肩というところか。

抜けた愛犬の歯と私の歯

それから、フーちゃんの抜けた歯は、いつか描くこともあろうかと集められたガラクタどもと一緒に、アトリエの机の上に置いた。その横には自然に抜けてしまった私の歯も並んでいる。まさかこれを描くことはないが、生え変わることを願って放り投げることもないし。

さて今年も定期検診に行ってきた。何も問題はなかった。気がかりなのはやはり膝だ。そこで、洗濯物干しスクワットに加えて、台所仕事にもひと工夫して下半身を鍛えようと思う。今日から夕飯は「中腰料理」である。コラーゲンの有無はともかくも、シェフの膝はプルプルである。(画家)

《邑から日本を見る》65 いいね、「黒川杯」検察庁前麻雀大会

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【コラム・先﨑千尋】先月30日の夕方のテレビで、表題のニュースを見た。前東京高検検事長の黒川弘務氏が新聞記者と賭け麻雀をしていたことが「週刊文春」で報道され辞任したが、訓告処分を受けただけで辞職したことがことの発端。

ことのいきさつはこれまでに伝えられているので、簡単に。安倍首相が「余人をもって代えがたい」と惚れ込み、1月に法律をねじ曲げて同氏の定年延長を決めた。さらに、そのことを後付けで正当化しようとする検察庁法改正案が衆議院を通過する寸前に問題が発覚し、黒川氏は辞めざるを得なくなったということだ。

問題はそれにとどまらず、長い間新聞記者と賭け麻雀をしてきたのに、賭博罪にあたらないと懲戒処分を受けず、訓告にとどまったということだ。閣議ではこれらについてどのような議論があったのだろうか。

定年延長を認めていない検察庁法を、国家公務員法という別の法律を使って、時の政権の意向次第で変えてしまう。明らかに違法行為である。さらに、賭け麻雀は刑法の賭博罪にあたる。しかも黒川氏の場合は常習犯のようだ。過去に、自衛隊員が同じ行為をして懲戒処分にあっている。

人事院の懲戒処分指針では、「賭博をした職員は減給または戒告、常習的に賭博をした職員は停職」となっている。黒川氏は次期検事総長待ちで定年延長になった。それだけ高いポストにいたわけだ。潔白でいるべき人が、不要不急の外出を自粛すべきという緊急事態宣言下に、新聞記者の自宅マンションで賭け麻雀をしていた。

権力とメディアの「持ちつ持たれつ」の関係

法律はおろか憲法まで勝手に解釈を変えてしまう安倍首相だから、人事院の指針などくそ食らえなのだろうが、彼らに賭博罪を適用するかどうかは検察と裁判所が決めることだ。すでに、市民グループや弁護士から告発状が東京地検に出されているが、内閣は「テンピン」という黒川氏らのレートが賭博罪にはあたらないと判断している。

検察が起訴すれば、裁判所が改めて賭博罪の成否や量刑を判断するが、黒川氏が起訴されない、または無罪とされれば、刑法はザル法になる。賭け麻雀が合法化されるということだ。

第1回「黒川杯」の主催者らは、警察官によって検察庁前から日比谷公園に追い払われたが、そのねらいは、「黒川氏や記者らに対してきちんと捜査を行い、彼らのレートだと賭博罪で罪を問われるのか否かをはっきりさせろ」ということだと思われる。

今回のことでもう一つ問題にしたいのは、検察幹部とメディアのズブズブな関係があからさまにされたということだ。しかも、安倍政権の評価で対極にあると考えられていた朝日新聞と産経新聞の記者が仲間だということに驚いている。「朝日よ、お前もか」だ。

新聞などは書かない(書けないだろう)が、この「賭け麻雀事件」の根源は、日本特有の記者クラブ制度にあると考えている。記者クラブ制度は1890年に帝国議会が開かれた時からあるようだが、会員以外は記者会見場から締め出す排他性が指摘され、記者会見も慣れあいで進められる。同時に、この制度によって権力とメディアの緊張関係が失われ、「持ちつ持たれつ」の関係になる。この制度がなくならない限り、同じようなことが繰り返される。(元瓜連町長)

《つくば法律日記》8 ネット上の誹謗中傷について考える

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堀越さんの事務所があるつくばセンタービル

【コラム・堀越智也】毎日SNSを見るようになったのは、2006年だったと明確に覚えている。妹にミクシィ(mixi)やってみなと言われて始めた。まだ司法試験の受験生で、家に閉じこもっている僕を不憫(ふびん)に思ったのかもしれない。妹の思惑が当たったのか、僕は、SNSという文字通り新たな社会の一員になった。

自分のことについて投稿するだけでなく、コミュニティーといわれる特定のグループに書き込みをしたりと、家に閉じこもりながら、新たな社会で活発に活動するようになった。やがてtwitterやFacebookが主流になり、SNSの中での引っ越しも成し遂げた。

こうして僕は、かつては試験の答案くらいしか機会がなかったアウトプットが、気軽にできる社会になっていることに気づく。

法律家は、法律の勉強を始めたてのころから、幾度となく、表現の自由は、表現を通じて人格を形成・発展させ、かつ政治的意思決定に関与するための重要な価値があると習う。

そんな原点がありながら、表現の自由が憲法上保障されていても、巨大なマスメディアが存在したことで、効果的にアウトプットできるのはマスメディアだけではないか、だから表現の自由を再構成して、知る権利が保障されるべきだと言われ始めて久しい。知る権利は、中学生の公民の教科書にも書かれていた。

そんなマスメディアがアウトプットを独占する世の中が、SNSが台頭することで、マスメディアでなくても自由にアウトプットできる世の中に変わった。表現の自由の重要な価値が実現しやすくなった点で、とても素晴らしいことだと思ってきたし、SNSを通じて多くの人と知り合ったり、遠くにいる友人と情報交換したり、仕事の幅を広げることもできた。

表現の自由の再々構成が必要

しかし、新しく便利なものには負の側面も付き物で、気軽に人を誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)できるようにもなった。しかもSNSは、現実の社会と同じく集団化する。匿名で、自分の身分を明かさずにアウトプットすることもできる。自分の姿も相手の姿も見えにくいため、人を傷つけている感覚が鈍り、逆にアウトプットされる言葉は鋭い凶器になる。

そこで、ネットでの誹謗中傷の防止について国会が協議することになった。ネットでの誹謗中傷による社会のマイナスは、わざわざ人の命であったり、人生というレベルで語らなくても甚大なものがある。

一方で、今の時代でも、言論が弾圧され、自由な表現ができない国もある。表現の自由は、結構な最近まで僕らのご先祖様が血を流しながら、やっと手に入れたものだ。SNS上の表現の規制も慎重にしなければ、せっかく広がった人格を形成・発展させ、かつ政治的意思決定に関与する機会が、再び狭められてしまう。

日本国憲法の表現の自由を語るとき、政治的な表現からSNS上のつぶやきのような表現まで、様々であるにもかかわらず、「表現の自由」と一括りにされることが多い。そろそろ、気軽にアウトプットできるようになった時代の表現の自由を、改めて慎重にではあってほしいが、再々構成した方がいいのではないかと願う令和2年6月。(弁護士)

《続・気軽にSOS》62 職と住まいを失ったある男性

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【コラム・浅井和幸】男性は孤独で生きてきた。家族との連絡も途絶え、友人もいない。アルバイトをして暮らしていたが、真面目に働き、貯金はなくとも、ぜいたくをしない彼にとっては不自由ない暮らしだった。もうすぐ30歳になることを考え、正社員として働きたいと考えるようになった。たまたま、ある職人の下で働ける機会を得た。

真面目に働いて貯金もしていくぞと意気込んだが、2回ほど働いた後、職人の携帯に連絡してもつながらなくなった。下請けのまた下請けのようなところで、新型コロナウイルスの影響で仕事がなくなったのかもと考えた。訴えて時間を使うより、これからを考えて動こうと思った。

収入がなくなり、仕方なく原付きスクーターとわずかばかりの荷物で、ほぼホームレスの状態になった。少しだけ手元にあったお金で、ネットカフェでシャワーを浴びることもあったが、ほとんどは野外で寝泊まりした。体力に自信があったので、この状況が絶望するほどの苦しみではないが、このままではいけないので何か方法はないか考えた。

ネット検索をして、たまたま居住支援法人という住まいを相談するところを見つけた。人にだまされることが多い人生だったが、その取材記事のようなネットのページを見て大丈夫だと思って電話をかけてみた。

住む場所が決まり 新生活が始まった

穏やかな口調で電話に出た居住支援法人の男は、こちらの状況を聞き、対処法をいろいろと考えているようだった。「今日は金曜日で17時をかなり過ぎている。近くの行政窓口に行けるのは月曜日になってしまうね」と言ったその居住支援法人の男は、「いますぐ動くことは可能ではあるけれど、明日まで今の状況でも生きていられる?」と聞いてきた。

何かを値踏みしているような質問だったが、勘ぐってもしょうがない。「大丈夫です。何とかなります。問題ありません」と正直に答えた。居住支援法人の男は「分かった。明日の朝9時に、つくば市二の宮の事務所に来られるかな?」と聞いたので、「行きます。よろしくお願いします」と答えた。

居住支援法人の男は「了解。何とか明日の9時までは、頑張って生きてください。約束ですよ。そこまで生きていられたら何とかなります。いや、何とかしますから」と言って電話を切った。

何かにつながれた。そんな気がした。次の朝、事務所に向かい、ビルの2階に案内され、相談が始まった。いくつかの物件を見て回った。いくつかの物件オーナーに、居住支援法人の男は電話をかけていた。

居住支援法人の男は「心配して力になってくれた友人に、早めに電話をかけて安心させるんだよ」と言った。相談時に、1人だけつながっているネット上での友人の話を覚えていたのだ。「はい。そうするつもりです」と答えた。

住める場所が決まり、新しい生活が始まった。市役所やハローワークなどの手続きもした。何とかなる。そんな気がしてきた。(精神保健福祉士)

※これは、いくつかのケースを混ぜ、一部変更して書いたフィクションです。

《食う寝る宇宙》63 かっこいい宇宙船の打上げ!

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【コラム・玉置晋】2020年5月31日の早朝、僕は宇宙オタクの皆さんによるTweet合戦をニヤつきながら眺めていました。この日は宇宙開発にとって記念すべき日となりました。アメリカの民間宇宙企業「Space X」により、NASAの支援の元で開発された新型宇宙船「Crew Dragon(クルードラゴン)」が2人の宇宙飛行士を乗せて、国際宇宙ステーションに向けて打上げられました。

この新型宇宙船はデザインが近未来的で、とにかくカッコいい。スペースシャトルのコックピットには多数の機械式スイッチ類がありましたが、Crew Dragonには、ほとんど見当たりません。3つの大きなタッチスクリーンに、リアルタイムの飛行状況や船内環境などが映し出されます。宇宙服もSF映画さながらです。

昨年3月、「Crew Dragon Demo-1」という無人テスト飛行(宇宙服を着たダミー人形を搭載)が行われて、国際宇宙ステーションにドッキング・分離後、無事に地球に帰還しました。

今回は、「Crew Dragon Demo-2」として、有人による最終テストを行っています。基本的に、Crew Dragonは国際宇宙ステーションとのドッキングまで自動運行で、地上のミッションコントロールセンターが飛行状況をモニターしますが、今回は、緊急時のテストとして宇宙飛行士による手動操作も行われました。

そして、約19時間の飛行を経て、国際宇宙ステーションにドッキングしました。2人の宇宙飛行士は、数週間、国際宇宙ステーションに滞在の後、Crew Dragonと共に地球に帰還します。Crew Dragon Demo-2が無事に成功したら、Crew Dragonはいよいよ実運用が開始されます。

今年の8月末、最初のミッション「USCV-1(US Crew Vehicle-1)」が予定されています。第64/65次長期滞在クルーを国際宇宙ステーションに運搬します。そのクルーの1人が野口聡一宇宙飛行士です。

僕は太陽活動をモニター

僕はCrew Dragonの打上げを見守るのと同時に、太陽活動もモニターしていました。ミッション中に太陽フレアが起きて、大量の放射線が降り注ぐ事態になれば、地球への緊急帰還ということもあり得るわけです。

国際宇宙ステーションは地球を約1時間半で周回しており、1時間弱で昼と夜を繰り返していますが、Crew Dragonのドッキングは地球の夜側で行われます。夜側、すなわち地球の影にいる間に重要なミッションを実施するのは、太陽フレアによる放射線を回避する時間をかせぐことも理由の一つです。

打上げ2日前の5月29日、「Mクラス」と呼ばれる中規模の太陽フレアが発生しました。この規模の太陽フレアは、実に2年半ぶりでした。幸いなことに、今回は大事には至らず、ミッションは継続されています。(宇宙天気防災研究者)

《ことばのおはなし》22 私のおはなし⑪

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【コラム・山口絹記】入院3日目。

病室には相変わらず理学療法士、作業療法士、言語聴覚士が代わる代わる訪れ、バランス感覚を調べたり、普段の生活サイクルや仕事などに関する質問に答えられるかを検査した。右半身が思ったように動かなかったり、前を見ずに横見をすると転んでしまったりといった症状はあったが、一度失語になってから、短期間でここまで話せるようになることは珍しいらしい。

話せると言っても、頭の中では一度英語で考えたことを日本語に翻訳して話しているような感覚が強く、読解力も大幅に低下していた。そもそも読解力とは何かという話だが、私は、文章を読みながら、どれだけの内容を留保できるか、ということだと思っている。

前の文章を踏まえて次の文章を予測、理解するということ。長い文章、例えば論文や小説ならば、前の段落、全体を踏まえながら読み進めなければならない。もっと言えば、今まで読んだあらゆる文章を踏まえて、目の前の文章に対する理解を深められるかが問題なのだ。

どうやら、頭の中でことばを一時的に記憶、処理しておくような能力が著しく衰えているらしく、自分で文章を書いていても、読み返してみると誤字脱字が異常に多い(救急を急救、脱字を肌字と書いていたり、送り仮名や助詞の誤りが極端に多い。単語に関しては2文字の漢字で構成されるものに誤りが多かった。“癲癇”や“鬱”などの漢字が書ける一方で、“肌”、“脳”、“臓”などの同じ部首の漢字に混同が多く見られた)。

午後には、担当医より脳血管造影検査の説明がされた。私の脳内の影の正体を探るため、腕か脚の動脈からカテーテルを入れ、脳の血管を流れる造影剤を撮影して皆で観よう、ということらしい。つまり脳版バリウム検査。シンプルな発想かつ物騒な話である。

脳動静脈奇形という血管の病気

翌日。

暗い手術室のような部屋で頭だけ固定され、右手首に麻酔を打たれる。10名以上の医師が私からは見えない位置にあるモニターを見上げる中、太めのビーフンのようなプルプルした管が腕の動脈に差し込まれていく。肩のあたりでビーフンがつかえているのを感じた。「いくよー」医師の声とともに、左アゴ、耳、左頭頂部にかけて温もりが広がった。いや、結構熱い。4回程の造影剤注射のたびに医師たちから歓声があがる。楽しんでもらえたようで何よりだが、せっかくの機会、私も一緒に観たかった。

入院5日目。

血管造影検査の結果は、左の頭頂葉にいく動脈と脳表の静脈が正常と異なる形で連絡しており、脳動静脈奇形(AVM)という血管の病気が最も疑われ、これが原因で出血を起こしたと考えられる、とのことだった。治療に関して、ざっくりと説明して欲しいと頼むと、「頭蓋骨を大きめにパカッと開き、出血している部分が外はサクッと中はジューシーな状態になり次第、取り除いてしまったほうが良い」とのことだった。もうここで治療を受けようと決めたのだ。

「やりましょう。あと、造影検査のときの写真ください」。私は答えた。-次回に続く-(言語研究者)

《くずかごの唄》62 新型コロナの消毒薬

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【コラム・奥井登美子】「可愛いでしょう。私が作ったマスクなの、使ってみてください」「隣の小母さんが、私に作ってくれたマスクなの、どう似合うでしょう」

マスク不足を逆手にとって、手作りのマスクがいつの間にか、流行の一端、ファッションに昇格してしまった。ファッションショーで、目のきれいな女優さんが着けて歩いたら、面白い風景になる。プレゼント用としても、けっこう珍重されている。

ファッションの一部にもならないのがコロナ消毒薬。インフルエンザなどの感染症が流行るたびに、薬剤師会での勉強会は、消毒薬に関する法律と、その使い方だった。ウイルスの関わる感染症は、それぞれ実に個性的で、消毒薬も取り扱い方も千差万別なのだ。今回は研修会も全部取り止めになってしまったので、よくわからないままに、アルコール系のものがいいといわれている。

「簡易エタノール検知器」

私が今年、庭の薔薇(ばら)の手入れを後回しにしたのは、薔薇の棘(とげ)などが手に刺さったものなら、アルコール系の消毒薬は飛び上がるほど痛くて、怖くて、使えなくなってしまうからだ。

消毒用エタノールはアルコール70%液なのだが,それで手を消毒すると、皮膚に浸(し)みて痛い。アルコールはRNA(リボ核酸)の蛋白(たんぱく)質を溶かすといわれているが、手の皮の蛋白質にも影響があるのではないかと思う。

市販の消毒薬は50種類くらいあって、その中でアルコール系も20種くらいある。今、どこのお店でも入り口に消毒用の液体が置いてある。消毒薬の中にどのくらいのアルコールが入っているか。70%、50%、20%、手の浸み具合でわかる。私の手はいつの間にか、「簡易エタノール検知器」になってしまっていた。(随筆家、薬剤師)

《雑記録》12 「壺から金平糖」 日本経済はどうなる?

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【コラム・瀧田薫】壺から金平糖(こんぺいとう)を取り出そうとして、手が抜けなくなって困った話。最近、この話をよく思い出す。

筆者の記憶では、主人公は名代の因業爺(いんごうじじい)。村の寄り合いで壺に入った金平糖を振る舞われ、壺に手を入れると、どうしたものか手が抜けない。引っ張りだそうと血管が膨れあがるほど頑張ってみるが、抜けない。最初は大笑いしていた周囲の衆も、だんだん心配になり、壺を押したり引いたり、ああしろ、こうしろと指図もしてみるが、壺はびくともしない。とうとう、爺様は泣き出す始末。

見かねた家の主、大事な壺だが爺様の手にはかえられぬと、煙管(きせる)で壺を叩き割ると、金平糖をぎっちり握りしめた爺様の大きな拳が出てきた。話はそこまでで、この話をどう解釈するかは、それぞれに任されているようだ。

さて、昨夜(5月26日)のことだが、偶然、NHKスペシャル「苦境の世界経済・日本再建の道は」(再)を視聴した。番組に招かれたゲストは、経済再生担当大臣・西村康稔氏、コロンビア大学教授・伊藤隆敏氏、そして三菱経済研究センター長・武田洋子氏のお三方であった。

正直、三者の話は噛み合わず、特に西村氏は浮いていたが、筆者なりに番組の内容をまとめると、今後生き残る企業の条件として、①変化への対応力②AIの活用力③長期的ビジョンを備え、持続可能な企業たることに重きを置く経営方針が必要ということだった。

いわゆる新自由主義の影響で、企業経営が「株主の利益と短期利益の優先」に流れていたとの批判は目新しいものではないが、新型コロナウィルスの影響でこうした企業経営の見直し論が力を増してくることは十分考えられる。

政府は新たな流れを邪魔するな

面白いと思ったのは、新時代の経営を目指す企業のモデルとして、SONY社の名前が挙げられたことだ。長い低迷からの復調ぶりは聞いていたが、改めてこの会社の今後の動きを追いかけてみたい。

次に、伊藤氏と武田氏の視点から出てきた「ニューノーマル」という言葉が目立った。コロナウィルスの影響で人々の暮らし方が変わりつつあり、それが今後の日本社会の「ニューノーマル」(日常性?)として定着するとの見方である。加えて、社会的距離(対人距離?)の取り方、テレワークの普及、地域分権の拡大、デジタル化の進行などが予想されるということだ。

番組の最後に司会者から「伊藤さん、これからの日本経済について、政府に何を期待されますか」との問いが投げかけられた。すると、伊藤氏から、口調はとても穏やかだったが、間髪をいれず、「政府には新たな流れを邪魔しないでほしいと思います」という答えが返ってきた。番組はこの言葉で閉じられた。

伊藤氏は、現政府が金平糖(既得権、旧技術、過去の成功体験など)を手放せるとは思っていない、と筆者は理解した。政治と大きな船、簡単に方向を変えられないものだが、現政府が手を抜けないまま、壺(日本経済)を叩き割ってしまう事態、それだけは勘弁してほしいと思う。(茨城キリスト教大学名誉教授)

《吾妻カガミ》83 つくばの市長選まで5カ月

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】コロナ禍の緊急事態宣言が解除され、用心しながら通常の仕事や生活に戻ろうということで、まちにも活気が戻ってきました。コロナの心配もあり、つくば市長選挙(10月25日)絡みの動きはこれまで水面下でしたが、こちらもそろそろ表に出て来そうです。

コロナ対応で力む現職

もっとも、早々と2期目出馬を表明した五十嵐市長にとっては、コロナ対応そのものが選挙を意識したものであったようです。現職にとっては日々の仕事が次の選挙の通信簿になりますから当然です。早めの出馬宣言(2月27日掲載)も、コロナの広がりを意識したものだったのかも知れません。

コロナ対応で点を稼ごうと思ったのか、拙速(せっそく)な判断もいくつか見られました。例えば、首相が学校を休校にするよう要請したのを受け、3月上旬、小中を休みにしながらも、自主(自習)登校は認めたことです。父母の困惑を読んで、気配りをしたのでしょうが、「密を避ける」というコロナ対応の基本に照らすと、これは真逆(まぎゃく)でした(後で取り下げ)。

市内事業者への配慮も含め、市長のフライングについては、本コラム「善政? つくば市のコロナ対応」(4月6日掲載)、「つくば市のコロナ対応を点検」(5月4日掲載)で取り上げました。詳細はそちらをご覧ください。

初期段階だけでなく、5月下旬にも「おやっ」と思う対応がありました。5億の税金を使って、70歳以上と18歳以下の市民に5000円の商品券をばらまくという善政です。第1波コロナの収束をにらんで、駆け込んだのでしょう。実にホットな対応です。その内容は「つくば市が第2弾の緊急経済対策」(5月21日掲載)でリポートされています。

挑戦者は着々出馬準備

前回の市長選は、五十嵐さん、保守系前市議、革新系元衆院議員の戦いになり、総合運動公園計画が住民投票で「否決」されるという前市長の失政に乗じ、市民運動を繰り広げた五十嵐さんが勝ちました。

今秋の選挙に名乗りを上げているのは、今のところ現市長だけですが、保守系の現職県議が着々と準備を進めています。市民の心がコロナで占められているとき、選挙は優先度が低いと考え、出馬表明は控えているそうです。「密を避ける」が求められているのに、会合は控えなければなりませんから、実にクールな判断といえます。でも、そろそろ正式表明するのではないでしょうか。

前回選挙での五十嵐さん勝利の主因は、総合運動公園反対で盛り上がった市民運動の流れを加速させたことです。選挙戦術としては見事でした。

今回選挙の争点の一つとして、挑戦者は、この運動公園問題の「あと処理の不手際」を突くようです。①用地を買い戻させる公約が反古(ほご)になった②用地処分が議会の反対で宙に浮いている―と。つまり、現市長は公約を守れないばかりか、それによって生じた問題を処理する能力もない、と。

現市長にとって、前回は追い風に作用したテーマが、今回は逆風になるわけです。選挙とは面白いものです。挑戦者は、現職の仕事の検証だけでなく、自分の学園活性化プラン(運動公園問題処理の対案も含め)も提起してください。発信力で有利な現職に比べると、コロナ禍で活動が制約されるという、ハンディキャップを負ってはいますが。(経済ジャーナリスト)

《土着通信部》39 霞の向こうの赤い月 6月の天文暦

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【コラム・相澤冬樹】写真はコロナではない。霞ケ浦から昇る月、夏至に一番近い満月を「ストロベリームーン」と呼ぶと聞いて、2年前の6月、土浦市蓮河原の湖畔まで行ってカメラに収めた。

しかし月はいつだって、赤く染まって地平から昇ってくるものだ。地平線近くにあるとき、月の光のうちの波長が長い赤い光が吸収されずに残ることで深紅に見える。6月の月に特有の色彩ではない。

霞ケ浦の土浦入りでは春以降、東方に低く雲が霞んでかかるようになるから、梅雨時に、これだけの月の出が見えることの方が貴重といえる。2年前は写真のシーンから1分後に、月は雲間に隠れてしまった。

月食も日食もある西の空

今年6月の満月は6日で、土浦では午後6時18分ごろが月の出の時間となるが、実は同じ日の早朝、半影月食が見えるとの予報がある。食の始まりは午前2時43分ごろで食の最大は同4時25分ごろ、月に地球の半影(真影ではない)がかかる半影月食だから、食が分かりにくい上、午前4時30分ぐらいには月没の時間となってしまうため、天体ショーとしては派手さに欠ける。

そして半月後の21日には、新月となった月が太陽を隠す日食が起こる。アフリカからアジアにかけての一部の地域で金環食となるが、日本では午後4時~6時ごろに部分食が見られる。最大食分は那覇で約0.84、東京で約0.47、東日本では半分も欠けない。

この日は夏至で、晴れさえすれば観測時間は長いが、よく見えないから、と太陽を直視してはいけない。日食グラスなど専用の観察器具を正しく使って、安全な方法で観察したい。コロナは危険(!)なのだ。

半影月食も部分日食も西に傾いた空の観望となる。5月まで西の空で光り輝き、主役を務めた「宵の明星」金星は6月4日に「内合」となる。太陽と地球の間に位置を移して、少し見にくくなる。

代わって西の空に存在感を増すのが水星で、4日に見かけ上、太陽から最も離れて(東方最大離角)夕方見つけやすくなる。水星は18日には「留」となって見かけの動きを止める。こちらも太陽近くを見ることになるので、観察には注意したい。

入梅は暦の上では10日。関東甲信の梅雨入りは平年なら6月8日ごろ、今年は7日ごろと予想されている。あすから6月、天体観望には空模様が気がかりだ。(ブロガー)

《令和楽学ラボ》7 コロナ禍の保育園事情

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みらいのもり保育園の室内

【コラム・川上美智子】4月に開園したばかりの本園は、予期せぬ新型コロナウイルス感染症の流行に遭遇し、竣工式も、入園式もすべて中止し、4~5月は、感染予防・感染防止対応に終始しました。特に、首都圏通勤者の多いTX沿線のつくば市などは、4月2日に、知事より不要不急の外出自粛要請が出て、にわかに危機が迫ってきたことを感じ、対策の強化を余儀なくさせられました。

当園では、4月中旬に風邪症状を示す園児が10名前後も出て心配をしましたが、子どもたちは間もなく回復し、コロナではなかったのだと安堵しました。その後、政府の緊急事態宣言などを受け、小学校の休校や保育園の登園自粛などが出されましたが、保育園も、併設の児童クラブも、働く保護者がいる限り休園はしない方針で、保育士始め全職員が前線で頑張ってきました。

もとより、保育園は、新型コロナウイルスに限らず、感染症の宝庫で、次々と子どもたちが病気を持ち込むのが当たり前の場です。また、保育室の中で、子ども同士、保育者と子どもの間の密な環境を避けるのは、ほぼ不可能です。

そのため、感染症が広がらないように、園をつくる段階で、いろいろ感染症対策や安全対策を講じてきました。従来の次亜塩素酸ソーダによる消毒、アルコール消毒に加え、次亜塩素酸水製造装置の導入、非接触型の体温計の利用、おしぼり製造装置の導入、哺乳瓶殺菌庫、玩具のUV(紫外線)殺菌装置、HACCP(危害要因分析必須管理点)に準じた厨房装置などなど、出来る限りの装備をして保育を行っています。

2波、3波が来たときどうするか

保護者や訪問者には、マスクの着用、ハンドソープ、使い捨てペーパータオルを使った手洗とアルコール消毒をお願いしています。それでも、外から持ち込まれる感染症を予防することは難しい状況です。今後、第2波、3波が来たときどうするか、課題は残ったままです。せめて、PCR検査や抗体検査がスムーズに受けられる環境を国や県にはつくっていただきたいものです。また、治療薬やワクチンの早期開発が待たれるところです。

このような中でも、子どもたちは園での生活を楽しみ、成長し続けています。4月には鯉のぼり、5月にはお池の生き物の、大きな作品づくりにみんなで挑戦しました。この子どもたちが、安心して生活できる日常を早く取り戻したいと願うばかりです。(みらいのもり保育園園長、茨城キリスト教大学名誉教授)

《食とエトセトラ》3 萌木色、鶸色、若菜色、若苗色…

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目には青葉…筑波大学構内

【コラム・吉田礼子】先日、筑波大学構内と土浦市水郷公園をドライブした。新緑の美しさ、季節の移ろいや自然の再生する力に、活力が湧き起ってきた。コロナ禍で外出を控えていたが、買いものをして遠回りの寄り道。視界に入って来るもの、みな麗(うるわ)しい。

「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」。山口素堂の俳句が頭を過ぎり、日本に生まれ育ってよかったと改めて感じ入った。若いころは、どの季節が好きかと聞かれると、四季それぞれのよさがあって、どれが一番などと言えなかったが、今は確信をもって春と答える。

桜の花が満開になり、散り始まると、葉桜が芽吹き、いよいよ新緑が始まる。萌木色(もえぎ色、緑 の萌え出ずる色)、鶸色(ひわ色、雀の種類で羽の色が薄黄緑)、若菜色(わかな色、春の七種)、若苗色(わかな色、田植えの早苗の色)など、繊細で微妙な色の違いや色名を教えてくれる本(『日本の色辞典』) と巡り会えた。

先日、NHK BSプレミアムで、染色家・吉岡幸雄さん出演の「失われた色を求めて」が放送された。吉岡さんは、古代から日本人が愛(め)でた色を草木や自然界の染料・顔料を使って再現、2000年に『日本の色辞典』を発表した。17年に放送された番組が先日再放送されたが、昨年9月、73歳で急逝されたとのこと。胸が痛くなった。

日本ならではの色彩感覚は海外でも注目され、英国の博物館でも吉岡さんの作品の展覧会が1カ月以上開催された。

紅絹、古代紫、黄八丈、弁柄、堆朱

私が色に強く興味を持つようなったのは、小学5~6年生のころ。国語の教科書に玉虫厨子(たまむしのずし)の物語が載っていたことによってだった。玉虫色はどんな色なのか知りたくて、母に聞いたり虫の図鑑で調べた。

母や周りの大人たちが話している色が面白い。着物で、藍染(あいぞめ)、紅絹(もみ)、古代紫(こだいむらさき)、黄八丈(きはちじょう)。塗り物で、溜(ため)ウルミ、弁柄(べんがら)、黒柿(くろがき)、堆朱(ついしゅ)、青磁(せいじ)、白磁(はくじ)、赤絵(あかえ)など、生活の中にあった彩、優しい響きの色名も、大切な日本の文化だと思う。

生活様式の変化や技術革新などにより、自然由来の染料や材料の入手が困難になり、絶滅の危機すら感じる。国を挙げて、文化遺産継承として歌舞伎などと同様に保護していく必要があるのではないか。  この2カ月、コロナ禍で不自由なこともあったが、新発見もあった、人の温かさ、優しさ、家族の絆。そしてテレワーク…。face to faceの大切さも感じた。これから経済は、予期せぬ展開もありそうで、予断を許さないと思うが、心を合わせて乗り切りましょう。(料理教室主宰)

《ひょうたんの眼》27 三密を避ける新しい生活とは

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【コラム・高橋恵一】新型コロナウイルス感染症の拡大対策のため、小池都知事が隣接県の知事に呼び掛けた。東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県、山梨県による首都圏知事の対策会議である。このニュースに違和感を覚えた。茨城、栃木、群馬が入らないで、山梨が首都圏か? 問題の本質から外れるが、茨城県人としては心穏やかではない。ちなみに、東京駅あるいは皇居を中心に同心円を描くと、一番遠いのが山梨県である。

話を感染対策に戻すと、大都市の隣接県で危険なのは、通勤電車の混雑である。東京一極集中の象徴で、三密の極みであろう。大体、ウイルス感染以前に、ラッシュ時の密着度はもともと異常なのだ。座ることも出来ず、下手すると痴漢のえん罪も受けかねない。輸送態勢の強化・改善、時差出勤の徹底、職場の郊外移転、勤務時間の短縮―。日本人の年間労働時間をヨーロッパ並みにすることだ。

次は、学校だ。1学級の定数を減らす。小学校だと、15人ぐらいが最良だと聞いた。さらに、児童生徒を、過重な受験勉強から解放してあげられないか。小学生がなぜ満員電車やバスで通学しなくてはならないのか。義務教育期間に、児童生徒が身につけなくてはならない学力はどれだけなのか。

受験のためだけの知識・技術は、その後の社会人として必要な知識なのか。絵画や音楽を楽しむことが主体の部活ではいけないのか。スポーツも楽しむ程度ではいけないのか。日本語の豊かさは、スポーツで「勝負」と言わずに「試合」という。金メダルだけが価値があるような風潮は疑問だ。

医療介護体制整備が喫緊の課題

それにしても、三密を避けるのが感染症対策の基本なのだろうか。親子・家族の関係は、会話と接触抜きに成り立たないだろう。友人関係だってある意味三密が無ければ、空々しいものになる。

特に、子どもの世界はより大切だ。会話力と共に育つ思考力、社会性。夫婦や恋人関係だって、コミュニケーション不足が不幸を生む主因なのは明らかだろう。特に日本人は下手なのだ。ついでに、三密の象徴になっているような飲み会を、この際、職場のお付き合いから家族ベースに直したらよいのではないか。変化してきているとはいえ、夜の街は男性社会の象徴なのだから。

検査体制を確たるものにして三密を取り戻している国が台湾だ。医療サービスも介護サービスも三密抜きに成り立たない。ここは、サービスの受け手も提供側も対象者全員の検査をして、対応すべきだ。

第2波、3波の流行や、別の感染症だってあるかもしれない。医療介護体制の整備が喫緊の課題だ。そのためには、施設整備が必要であり、従事者の確保が必要だ。さらに、従事者の給与・待遇の改善が必要だ。政府は、社会保障費の削減を指向し、この部分への支出を抑え込んできた。今こそ、命と生活を守る政治に180度変更すべきだろう。(土浦の地図愛好家)

《県南の食生活》13 新茶の季節

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畑の縁に植えられた茶の木:手前

【コラム・古家晴美】茨城県でもようやく緊急事態宣言が解除されましたね。油断は禁物ですが、ホッと一息、新茶を楽しまれている方もいらっしゃるのではないでしょうか。今年の八十八夜は、5月1日とのことです。緑茶はよく飲むけれど、茶葉は購入するという方がほとんどだと思います。しかし、昭和30年代ごろまでは、どこの家でも家庭で飲む茶葉を自給していた地域がありました。

ここで取り上げるのは、牛久市下根(しもね)・東猯穴(ひがしまみあな)・島田地区の自家用茶の栽培と製造です。5月上旬に1日がかりで1年分の茶を摘みます。隣近所の人々とユイ(労働交換)で互いに協力しながら行うこともありました。

茶の木の上の部分の新芽は腰をかがめて摘むことができましたが、下の方は座らねばなりません。その際は、俵(たわら)の側面の円形部分のわら細工をお尻に敷いたこともあったとか。摘んだ新芽はチャブカシという竹で編んだ蒸籠で蒸してから、ホイロ(焙炉、紙製やトタン製などの乾燥炉)の上にあけ、下から間接的に加熱しながら、茶葉が針のように細くなるまで手で揉(も)みあげるという、気の遠くなるような作業が必要でした。

その後に乾燥させて仕上げるのですから、一連の工程は、夜明け前に始めても終わるのは日暮れ後という、非常に手間のかかるものでした。特に茶を揉んでほぐす作業は、暑くなり始めた季節に火の前で行わねばならなかったので、大変な重労働だったようです。茶摘みは女性、手揉みは男性の仕事でした。

お茶を飲みながら新緑を眺める

平成に入ってからもしばらく、このような自家用のお茶を栽培していた農家もあったそうです。畑のまわりに植えられた茶の木は、飲用以外に畑の土の飛散防止にも役立っていました。自家用の茶を飲まなくなってからも、茶の木を防風用に残している農家もあります(『下根・柏田・東狸穴の民俗』『島田の民俗』)。

このような自家用の煎茶の栽培・製造は、関東各地で行われていました。しかし、昭和16年に、北海道から沖縄まで全国58カ所で行われた「食集調査」によれば、半数以上の28カ所で自家用の茶を製造していますが、西日本の大半の地域では、自家用の茶としては番茶を製造していました。

地域により若干の違いはありますが、自家用の「番茶」とは、「煎茶」に使う新芽を刈り取った後に出てきた2番茶・3番茶を刈り取り、ホイロを使った丁寧な手もみは行わず、干して保存し、必要なときに煮出して飲むものです。これらの番茶は、飲用以外に茶がゆや茶漬けなどに用いられてきました。

テレワークから徐々に日常生活へと戻りつつあるこの時期、お茶をいただきながら新緑を眺めるのもよいのでは。(筑波学院大学教授)

《続・平熱日記》62 ネット授業は苦手 黒板が恋しい

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【コラム・斉藤裕之】ついにネットで授業をする羽目(はめ)になってしまった。羽目という言い方は先生としてどうかと思うが…。まず一度に数百人を相手にするので、双方向のやりとりは無理。生徒の顔も見えないし、反応がない画面に向かって冗談を言う気も起こらない。

思った通り美術という分野はネットに向いていない。テクニックやハウツーを学ぶのにはネットで十分なのかもしれないが、そもそも失敗や工夫をしてなんぼの世界。先生はむしろ絵の上手い隣の〇〇君だったりする。美術の先生はインストラクターではないのだ。というか、私自身が普段特に何も教えていないことがバレてしまう。

学校にいると、いわゆる若者言葉を耳にすることがある。何の意味か分からないまま、特に気にすることもない。ところが、最近珍しく聞いた瞬間に意味が推測できる言葉と出会った。「エモい」だ。もしかして「エモーショナル、感情的」という意味?

学校再開までに「なんでもいいから絵を1枚描いてこい」でいいと思うのだが、昨今の教育は妙に過保護だ。それでも何とか授業をしなさいということなので、高校生に「表現」について一席ぶった。

心が動かされることが表現のきっかけとなる。しかし、それを表現たらしめるには理性的な構築の過程が必要となる。こんな話を、「エモい」とその対語として理性的、合理的なという意味のラショナル、「ラショい」という造語を使って説明してみた。

無観客、完全アウェイな感じ。伝えられないことのもどかしさ。黒板が恋しい。頭の中を南野陽子の「吐息でネット」のメロディーが巡る。当時はインターネットがなかったので、このネットの意味は違うらしいのだが、正直「ネットで吐息」である。

表現のきっかけは「エモい」できごと?

ところが、学校が始まるは始まるで困ったことがある。例えば、間隔をあけて座ると教室に全員入れない。美術室は向かい合わせに座るので、多分使えない。共同で道具や絵具を使うことが困難。ならば外で風景画なら密にならない! しかし、これから梅雨に高温多湿の季節。

天井高のある美術室に足場を組んで、2階建てにして上と下に20人ずつというのはどうだろう…。いや、いっそ9月始業のついでに20人学級にするべし…。新しい生活様式は、学校をも劇的に変えるのかもしれない。

そんなある日の夕方、老犬と散歩していると、ふと道端に咲き乱れる外来種のけしが目に入った。「丘の上、ひなげしの花で…」。アグネスチャンのヒット曲が脳裏に浮かぶ。ひなげしの花びらって4枚? 明らかに占いに向いてない。

同様の発見をもうひとつ。南沙織の「十七才」という曲の発想を得た海は、沖縄でもハワイでもない。作詞家の故郷で私の故郷でもある「富海(とのみ)」というひなびた浜。親父がステテコでマテ貝を掘っていた海水浴場らしい。まさにシーズンオフには確かに誰もいない海だ。表現のきっかけとは、実に些細なエモいできごとなのかもしれない。なんだかばかばかしくて、気持ちが晴れた。

因みに、ネット授業は途中で抜け出してさぼってもわからないらしい。「サボる」はサボタージュからきた、元祖流行りの言葉である。(画家)

《邑から日本を見る》64 すべては1人から始まる

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【コラム・先﨑千尋】この18日、私はまずインターネットで、政府与党は検事総長や検事長らの定年延長を可能にする検察庁法改正案の今国会での成立を断念するということを知り、おやと思った。そのとき、とっさに思い浮かべたのは、本田路津子の「一人の手」(One man’s hands)という歌。澄んだ彼女の声が耳元によみがえってくる。

一人の小さな声 何も言えないけど
それでもみんなの声が集まれば
何か言える 何か言える
(訳詩:本田路津子 作曲:ピート・シーガー)

今月8日に30代の女性がツイッターで「検察庁改正案に抗議します」と投稿した。それが瞬く間に広がり、これまで政治的な発言をしてこなかった俳優の小泉今日子さんら芸能人らも加わり、最初はバカにしていた安倍首相も無視できなくなった。

15日と18日には、松尾邦弘元検事総長ら検察OBも反対の意見書を法務省に提出。世論調査でも反対が多く(朝日新聞では反対が64%)、国会での野党の反対の声も大きく、追い込まれた官邸は白旗を上げざるを得なくなった。ツイッターデモが始まってわずか10日のことだ。

「火事場泥棒」

「火事場泥棒」という言葉がある。混乱に乗じて、用心が手薄になったすきに他人の物を盗む輩のことだ。日本だけでなく、世界中が新型コロナウイルスの対策に追われており、いつ収束するか見通せない。ただでさえ対策で後れを取ったと批判されている我が国は、この際患者の救済や感染防止対策に全力を注ぐべきではないのか。そんなときに「不要不急」の法案をぶつけてくる。

そもそものきっかけは、報道されているように、今年1月に安倍内閣が、翌月に定年退官になる黒川弘務・東京高検検事長を8月まで定年延長したことに始まった。安倍首相は、黒川さんを次期検事総長にしたかったから。しかし検察庁法にはその規定はない。

折しも、国家公務員の定年を65歳まで延長する法案が検討され、どさくさに紛れ検察庁法も自分に都合のいいように変えてしまおう、そうすれば黒川さんの件も開き直れる、と安倍官邸が考えたことが混乱の大本である。

公務員の定年延長はだれも反対しない。問題なのは、当初はなかった「検事長などを内閣が認めればそのポストに留まれる」という特例規定が盛り込まれたことだ。時の政権に都合のいい幹部は続投させるというみえみえの「政権への忖度(そんたく)」条項。国会審議では、その基準はこれから作るという答弁しかなかった。

安倍政権は、これまで憲法や法律の解釈を自分に都合のいいように変え、とどめは準司法官と言われる検察官まで意のままに操ろうと考えた。それにストップをかけたのは、1人のツイッターでのつぶやき。本田路津子の歌が現実になった。

文春の衝撃的記事

話はそれで終わらない。21日発売の「週刊文春」は、やり玉にあげられている黒川東京高検検事長が新聞記者と、今月に入って2回も賭けマージャンをしていたという衝撃的な記事、写真を載せている。さらに同誌は、森雅子法相の近くでもきな臭いことが起きている、と伝えている。

安倍政権は末期症状。のたうち回り、悪あがきしているようにみえる。賭博を認めた黒川さんが辞めても、定年延長を強行した安倍首相の任命責任とこれから法案処理をどうするのかが問題として残る。小泉さんらの閣僚は、閣議で何も発言しなかったのかということも知りたい。

私たちも声をあげよう。主権者なのだから。(元瓜連町長)

《食う寝る宇宙》62 人工衛星運用は大事な仕事

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【コラム・玉置晋】僕は人工衛星運用というちょっと特殊な仕事の近くで働いています。宇宙開発というと、ロケット打ち上げや衛星開発がニュースになりやすいですが、最も継続して絡むのは衛星運用です。

人工衛星運用で一番イメージしやすいのは、地上から衛星に命令を送る人でしょう。他にもいろいろな仕事があって、地上から衛星に向けてアンテナを動かす人、衛星がどこを飛んでいるか難しい計算をする人、衛星が正常に動作しているか専門的な知見をフル動員して確認している人(僕はこれね)、衛星から送られてきたデータを有益な形に加工する人―など、たくさんの人に支えられています。

僕が人工衛星運用という仕事を強烈に意識したのは、2003年10月、太陽で大爆発(太陽フレア)が連発したときでした。ハロウィンの時期に起きたので、宇宙天気界隈では「ハロウィン・イベント」と呼ばれています。このときの日本の衛星の通信途絶のニュースは、僕に衝撃を与えまして、「こりゃあ、宇宙天気的に人工衛星をまもらんといかんなあ」という思いを持って、今に至っております。

現代社会は衛星に大きく依存

人工衛星運用者は、社会の機能を維持する「エッセンシャル・ワーカー(Essential Worker)」です。現代社会は、地球観測や通信・測位をはじめとして、衛星に大きく依存しています。ゆえに衛星の運用体制は、縮小する可能性はあれど、継続させる必要があります。

コロナ禍で社会のみんながリモートワークに移行する中でも、人口衛星運用者は24時間体制でシフト勤務をこなしています。最前線でがんばっている彼らは(そして私も)、実に誇らしい仕事をしていると思います。どうか、みな元気にこの状況を乗り切りましょう。

人工衛星運用。地味だけど大事な仕事の一つとして、みんなに知ってもらいたいですね。(宇宙天気防災研究者)

《宍塚の里山》63  いのち湧きいづる季節

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キアゲハ(上段)、アカボシゴマダラの幼虫(下段左)、ヘビの卵(下段中央) 、陸に上がりたてのアカガエルの子ども(下段右)

【コラム・及川ひろみ】目にまぶしい若葉。生き物にとっては食べごろな美味しい若葉。たくさんの種類のチョウやガの幼虫が若葉に食らいついているのが見られ、チョウやカミキリムシが花の蜜をちょうだいし、ときにはキリギリスの幼虫が花を食べるのが見られます。

しかし、植物は種類によっては若葉のときには葉の表面にふわふわの毛を持ち、昆虫はこの毛が邪魔で葉を食べることができません。また、植物はすべて毒があると言われるほど、やすやすとは食べられない仕組みになっていますが、爆発的に生き物が見られるのがこの季節です。

たくさんの生き物は野鳥にとっては格好な餌(えさ)。小鳥たちはこの豊かな生き物の季節に雛(ひな)を育てます。親がせっせと運ぶエサで育つ雛。ときには巣から早く出たいと焦るあまり、落ちることもしばしば。まだうまく飛べない雛。そんな雛を見つけても、かわいそうだと持ち帰ってはいけません。落ちた近くには母鳥が雛を見守っているのです。そして餌を運び、巣立を助けます。

アマガエルやシュレーゲルアオガエルがにぎやかに鳴く谷津の田んぼの畔(あぜ)や湿地の縁では、陸に上がったばかりの小さなアカガエルがぴょんぴょん、踏んでしまいそうなほどたくさん見られるのもこの季節です。

平穏そうなカエルたちですが、サギなどの仲間やヘビ、トカゲは虎視眈々(こしたんたん)と彼らを狙っています。そして、そのトカゲやカエル、ヘビを狙ってタカ、サシバが声高らかにピッィウィーと鳴きながら上空を飛んでいるのも見られます。彼らの子育てには欠くことができない生き物たちです。

里山の作業は3密と関係なくできます

今年は新型コロナウイルス感染拡大を防ぐために、観察会や子ども探偵団など、会の行事は自粛していますが、親子で、夫婦で、カップルで、宍塚の里山にやって来る人が大勢います。子どもたちは釣りをしたり、虫取り網を振りまわしたり、ときには泥ケーキを作ったりと、実に楽しそうです。

草木が勢いよく育つこの季節。管理を怠れば散策路、堤防、田の畔(あぜ)、農園周りなど、日当たりのよいところならどこも、またたく間に草に覆われます。初めて宍塚を訪れた方が気持ちよく過ごせるようにと、散策路、堤防、里山内の広場、畦、どこも会員が草を刈り、場所によってはベンチ代わりに丸太を置くなど、毎週のように10名近い人が里山の管理作業を怠りなく行っています。作業は3密などとは関係なく行えます。(宍塚の自然と歴史の会代表)