月曜日, 10月 7, 2024
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《ライズ学園日記》5 「育ち」を支えるために

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【コラム・小野村哲】その子を知らずして、良い支援などできるはずがありません。しかし、その子が今「どのあたりにいるのか」「何が上手にできて、何に、なぜ、どの程度の難しさを感じているのか」など、理解することはとても困難です。

アメリカの教育哲学者デューイは「教育は、子どもの能力や興味、習慣を見抜く、心理学的洞察をもって始められなければならない」と言っています。

大学生だった私は、「子どもたちをよく見なさい」というだけのことだと思っていました。しかしそれから20数年後、あらためて読み返してみると、私は「わかったつもり」でいた自分に気がつかされました。

デューイは「能力」「興味」「習慣」を見抜く「心理学的洞察」から始めよと言いますが、「能力:capacities」「興味:interests」「習慣:habits」とは具体的に何を指しているのでしょうか? 辞書にhabitは「くせ、習慣」などとありますが、「習慣を見抜け」とはどういうことなのでしょう?

habitはhaveと同じ語源から生まれた語で、ここでのhabitは「あとから身につけたもの」とでも理解すべきかと思います。具体的には、学ぶことに得意意識をもっているのか、それとも苦手意識を身につけているのかなどがあげられます。

仮に英語学習の場面であるなら、英語に近いフランス語を母語としているのか、それとも言語間距離が遠い日本語を身につけているのか、なども考えられるかと思います。

わからないからこそかたわらに寄り添う

英語教材のキャッチコピーに、「赤ちゃんは文法を勉強しません」というフレーズが使われていましたが、だからといって高校生や成人学習者に「赤ちゃんと同じ方法で英語を勉強しなさい」とするのは明らかに矛盾しています。これなどは、学習者のhabitを軽視した典型的な例として挙げられるでしょう。

英語ネイティブはこうしているから、日本語ネイティブも同じようにすればよいという発想は短絡的に過ぎます。けれど多くの人は、capacitiesもinterests、habitsも辞書を調べて、日本語に訳したら、それで「わかったつもり」になっています。これはまさに、現在の英語教育の問題点でもあります。

だからといって、「わからない」では何も始められない、ということもあるかと思います。しかし、「わかったつもり」になってしまっているのと、「わからないから、少しでもよく理解できるように、よりよく見よう」とするのとでは、結果に大きな差が生じるであろうことは言うまでもありません。

わかったつもりでいれば、見る姿勢からして損なわれてしまいます。わからないからこそかたわらに寄り添う。その心と姿勢こそが信頼を深め、子どもたちと支援者双方にとって意義ある学びを可能にするのではないでしょうか。(つくば市教育委員)

《続・平熱日記》60 愛とお金とどっちが大事?

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【コラム・斉藤裕之】近ごろの若者に「愛とお金どっちが大事?」と聞くと、間髪入れずに「お金」と答える。ほぼ百パー。特に、女子に「お金にきまってるじゃん!」と突き放されると、少々へこむ。そこで同様の質問を、先日のグループ展の連絡用に作ったラインで同級生にしてみた。

「そりゃ愛、お金は無くなるけど愛は無くならない」「愛かな。お金のことを考えるよりも、愛のことを考える方がいい」「日常的にお金のことを考えることは多いけど、愛が励み。愛が大事」―。というわけで、回答は全員が「愛」が大事という、ややほっとする結果に。

この質問は、ズバリ、結婚の条件と言い換えてもいい。つまり「愛と金どっちとんねん?」と、なぜか関西弁になってしまう感じ。そりゃ、どっちもあるのにこしたことはないが、私たちの世代は「まず愛やろ。金は何とかなんねん」派が多数であるのに対して、今どきの若者は「愛はどうにかなるわ。まず金がないと話にならんちゅーねん」とくるわけだ。少子化の一因がここにあるのかもしれない。

今は、小学校でも起業についての話をしたり、経済の仕組みについて疑似授業をしたりしているのをテレビで見かける。小さいころから、しっかりとした経済観念や儲け方を学んでいるらしい。

これに対して、例えば私の場合、お金のことでガタガタ言うのは下品である、という教育をされた。例えば、人生ゲームのようなお金儲けシミュレーションゲームさえも父は嫌った。おかげで?金に縁のない人生を歩んでいる。

余談だが、弟も然り。では、愛が大事と答えた同級生はどうかといえば、多かれ少なかれお金に苦労してきたと察するが、おおむね愛のある日々を送っている。多分有名になって、これからリッチになるということにしておこう。そもそも、愛とお金が対立した二項ではないとは思うが。

私の8割減生活は普段と同じ

「先生、時給いくら?」と、平気で聞いてくる子供に初めは唖然としたが、実は家庭の中で、お金や仕事、年収などがリアルな話題として語られている、そういう時代。「マックの店員ぐらいかな」と答えることにしているが。

「先生、結婚しているの?」。これも、子供たちにとっては当たり前の質問。こちらは素直に、「はい」と答える。それが一番インパクトのある、子供たちにとって予想外の答えだから。

さて、愛もお金も大事だが、今は命あっての物種。「人との接触を8割減らしてください! 私の給料も8割減にしますから!」とか言われれば、政治家の愛を感じられるのに。しかし笑えるのは、私の8割減生活は普段とほとんど変わらないこと。直売所とホームセンターしか行かないもんな。

ここで一句。「コロナ禍の新聞の薄さほどの暮らしかな」。もうちょいで、なんとかなるよ。(画家)

《邑から日本を見る》62 東海第2再稼働の是非は住民投票で

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飯野農夫也氏の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】「いばらき原発県民投票の会」は22日、日本原子力発電東海第2原発の再稼働の是非を問う県民投票条例制定を求める直接請求署名簿を、県内全44市町村の選挙管理委員会に提出した。署名簿は90,899筆で、法定必要数の1.87倍にあたる。地域別では、県南地域が法定必要数の2倍近く、東海第2原発の再稼働にあたり事前同意が必要な周辺6市村では、東海村が1.95倍、水戸市が1.69倍、那珂市が1.47倍など。

各選管は署名が有効かどうかを審査し、その後署名簿は会に返付される。会では5月25日に大井川知事に条例案と署名を提出する予定だ。条例案は6月の県議会に上程される見通しだが、可決されるかどうかはわからない。

わが国では、国、都道府県、市町村いずれも間接民主制なので、国民、住民が事案に対して直接意思を表明できない。しかし、東京電力福島第1原発の事故でわかるように、原発の存廃は私たちのくらしに大きな影響を及ぼす。そのために、東海第2の再稼働には直接住民の意思を反映させよう、と投票の会が準備を進めてきた。

東海第2の再稼働に関しては、これまで報道機関の世論調査では県民のおおむね3分の2が反対という結果が出ている。また、茨城大学人文社会科学部の渋谷敦史教授らの調査では、住民・県民が直接意思表示する方法を望む人が7割を超えている。もし東海第2が再稼働され、事故が起きたときは、周辺住民の生命、財産は危険にさらされる。これだけは首長や議会に任せられない、自分たちの意思で決めよう、ということだ。

沖縄「辺野古」同様、軟弱地盤

東海第2原発については、昨年秋から今年にかけて動きが活発化してきている。日本原電は一昨年秋に、20年延長などの原子力規制委員会許認可を受け、再稼働の意向を表明し、なし崩しに安全対策工事を進めている。工事の内容は、電源の多重化や防潮堤の建設などだが、東海村など6市村の同意を得ていない。

日本原電と6市村で構成される原子力所在地域首長懇談会(首長懇)の会合が2月18日に開かれた。その席で原電側は、規制委に提出する書類に「原子力施設の使用開始予定時期は2022年12月」と記載し、安全対策工事の終了時期と再稼働時期を同時にしていた。これに首長側は反発。同月26日に、再稼働前に実施される使用前検査は再稼働に直結しないと確約せよと原電に申し入れた。

また、東海第2の再稼働に反対する市民グループの「とめよう!東海第2原発首都圏連絡会」は今月1日に、同意なき工事の中止を求める署名簿を原電に提出した。首長懇の申し入れを受け、日本原電は今月14日に「使用前の検査は再稼働に直結しない」という回答書を6市村に出した。

東海第2の所在地は沖縄辺野古と同様、軟弱地盤であり、津波に耐えられる防潮堤を造るのは無理、と専門家はみている。新型コロナウイルスの影響もあり、原電の思惑通り工事が進められるかはわからない。市町村が策定する避難計画策定も課題が多すぎて、進んでいない。東海第2が再稼働するかどうか、双方にとってこれからが真剣勝負になる。(元瓜連町長)00

《食う寝る宇宙》60 太陽から噴き出るガスの塊が地球へ

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【コラム・玉置晋】運用中の人工衛星に関わる仕事柄、僕は毎日、太陽を監視しています。とはいえ、望遠鏡をのぞいているわけではありません。人工衛星や地上の観測機器から得られた画像やグラフを見ながら、「今日の宇宙環境は静穏だから安心だね」とか、「太陽での爆発の影響が地球周辺にも及びそうだね」とか判断し、必要であれば人工衛星の運用者に注意喚起する取り組みを行っています。

こういった取り組みが仕事として確立しているのかといえば、まだ途上です。別な仕事の付帯的な位置付けで活動しつつ、徐々に確立していこうとしています。「求ム、宇宙天気アナリスト!」という求人情報が出る世界を目指しているところです。

地球のコアにはドロドロに溶けた金属が対流しており、電磁石の原理で地磁気を発生していますが、太陽から飛んできたガスの塊が太陽の磁場を運んできて、この地磁気を打ち消す現象が磁気嵐です。その結果、人工衛星が不具合を起こしたり、地上で停電が起きたりといった、影響が出ることもあります。

4月20日、太陽から噴き出すガスの塊が地球をかすめていたことを、皆さんは気付いていますか? この影響で、弱い「磁気嵐」が発生しました。

地球をかすめ、弱い磁気嵐が発生

弱いレベルの磁気嵐でしたので、幸いわれわれの生活への影響は皆無でしたが、もし、これが強力な磁気嵐だったらと思うと、恐ろしいものです。さて、この磁気嵐の元となった現象は、4月15日、太陽から淡いガスの塊が飛び出していたことにあります。地球を直撃するコースではなかったので、塊の端っこが地球にかすったようです。

僕は4月17日の時点で、このガスの塊の存在を認識していましたが、これが地球に影響を及ぼすかの判断は難しく、僕の予想では「磁気嵐は起きない」でした。まだまだ修行が足りませんなあ。

現在、情報通信研究機構宇宙天気予報センターから、24時間365日体制で、「宇宙天気予報」が出されています。みなさんも、是非、ご覧になってください。将来、「求ム、宇宙天気アナリスト!」が出たら、一緒に仕事をしましょう。(宇宙天気防災研究者)00

《茨城の創生を考える》15 新型コロナを機に企業も変わるべき

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ダイヤモンド筑波

【コラム・中尾隆友】新型コロナウィルスの感染拡大について、様々なメディアが心の暗くなるような報道ばかりをしている。しかし私は、茨城の企業が今回の出来事をバネにして、大きなチャンスをものにするように願っている。というのも、「テレワーク」という働き方が本格的に普及する環境になってきているからだ。

テレワークは日本の生産性を大幅に引き上げるポテンシャルを秘めている。日本の会社員にとって毎日の「通勤」は「痛勤」と揶揄(やゆ)されるほど肉体的または時間的な負担が大きいので、その負担をなくせるだけでも効果が大きいはずだからだ。

東京、神奈川、埼玉、千葉の1都3県と呼ばれるエリアの会社員は、毎日、満員電車や満員バスに押し込まれ、往復の長い移動だけで疲弊してしまっているが、茨城でも常磐線やTXで東京や千葉に通勤している会社員がいるし、圧倒的に多い車による通勤も決して楽ではない。

ところが、テレワークが一般的な働き方となった場合、毎日の通勤で体力を消耗することもなく、最初から仕事に集中できるようになる。仕事にあたる集中力を高めることができれば、業務の効率性は想定を超えて上がり、だらだらと長時間労働をする必要もなくなっていく。

これまで毎日の通勤にあてている体力と時間をすべて仕事に振り向けることができれば、どれだけの効果がもたらされるのか、想像してみてほしい。

テレワーク拡充で生産性をアップ

たとえば、午前7時から仕事を始め、午後3~4時に終わらせることが十分に可能となるのだ。これからテレワークの仕組みを拡充していくことで、ホワイトカラーの生産性を2~3割引き上げることは難しくはないというわけだ。

総務省の統計によれば、国内でテレワークを導入した企業の割合は2018年の時点で19%と、アメリカの85%と比べ4分の1以下の水準にすぎないという。新型コロナの感染拡大防止のため、足元では20%台後半にまで割合が増えているというが、残念ながら、茨城も含めて地方の中小企業ではほとんど普及が進んでいない。

企業のなかには、「労務管理が難しい」「営業マンに不向きである」といった意見が多いのだが、「できない理由を列挙する」のではなく、「できるためにはどうしたらいいか」を考える段階に来ているのではないだろうか。

日本人の働く場所が1週間のうち3日は自宅に切り替われば、ホワイトカラーの生産性が上がるばかりか、子育てや趣味にあてる時間が増えて生活に潤いが増えていくだろう。

そのうえで、私がお勧めする働き方は、自宅以外に集中力が高まる場所や空間をいくつも確保しておくということだ。たとえば、私は細かいデータを分析するときは、リラックスできる行きつけの喫茶店を利用したりしている。(経営アドバイザー)

《宍塚の里山》61 環境省のモニタリング1000調査

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生物相調査風景

【コラム・及川ひろみ】日本は、亜寒帯から亜熱帯にまたがる大小の島々からなり、屈曲に富んだ海岸線と起伏の多い山岳など、変化に富んだ地形や、各地の気候風土に育まれた多様な動植物相が見られます。

多様な生態系(高山帯・森林草原・里地里山・湖沼・砂浜・磯藻場干潟・サンゴ礁・島嶼)のそれぞれについて、環境省では全国1000カ所程度のモニタリングサイトを設け、基礎的な環境情報の収集を長期にわたって(100年)継続し、日本の自然環境の質的・量的な劣化を早期に把握することを目的に調査を行っています。

調査は記録を残すことだけが目的ではありません。結果を生かすことこそが大切なのではと、われわれは環境省のシンポジウムで質問しました。変化を捉えたなら、素早く保全に生かすことが調査の目的ではないかと主張しました。(環境省のHPには調査の目的に保全に生かすとは書かれていないことが残念です)

モニタリング調査を行う環境省の方針のもと、里地里山の調査内容について、日本自然保護協会が専門家、市民2団体と調査・検討を開始したのは2003年のことです。昆虫・植物・土壌・動物・水質などの調査項目が挙がる中、生態系を捉える上で、昆虫より上位に位置する動物の調査が必要だと提案した結果、アカガエルの卵塊調査、哺乳動物調査の項目が入り、試行錯誤をしながら、調査を開始しました。

より正確に里山の自然環境を把握

環境省は里地里山モニタリング調査を、当初、専門家に委託することを考えていました。しかし、身近な自然環境である里地里山調査は、年数回やって来る専門家による調査より、専門性を持った市民が足しげく通って調査する方が、より正確な里山の自然環境の把握ができるのではないか―と思い、(公財)日本自然保護協会と当会が2006年2月、モニタリングシンポジウムを土浦市民会館で開催しました。

そのとき、環境省「モニタリング1000」担当者を前に、これまで行ってきた市民調査を発表した結果、里地里山モニタリング調査は市民団体が行うことになり、その取りまとめを日本自然保護協会が行うという、現在の体制が確立しました。

市民調査と言っても、モニタリング調査に求められることは、正確さと全国一律の方法で実施することです。専門家が各サイトに出かけ、調査の正確さと手法(マニュアル)の指導を行うことで、この問題を解決しました。

われわれの会は、里地里山コアサイトとして、生物相調査(毎月)、アカガエルの卵塊(1~4月)、野鳥(繁殖期・越冬期)、中型哺乳類(5~10月)、カヤネズミ(6月・11月)、チョウルートセンサス(4~11月)、水質(年4回)―の調査を行っています。(宍塚の自然と歴史の会代表)

《ひょうたんの眼》26 10万円給付は手付金

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馬酔木の新芽

【コラム・高橋恵一】政府は、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う対策として、やっと国民1人当たり10万円を支給することにした。経済対策というより、生活不安を和らげる意味合いの方が強いであろう。感染拡大と外出「自粛」によって、国民は極度の多重不安にさらされている。

中国での新型コロナウイルス感染症の発生と、それに続く武漢封鎖が1月中旬。さらに、感染拡大が中国周辺だけでなく、ヨーロッパにまで一気に広がったことには、驚いた。

日本で最初に感染者が出てから3カ月。報道によると、感染拡大を受けて、台湾や韓国は、検査の徹底により、どうやら危機は乗り越えた。欧州では、イギリスが賃金の80%保証、スイスの現金給付などにより、徹底した外出規制と国民の生活不安緩和を手早く措置しているように見える。ドイツは、隣国の患者まで引き受けるほどに万全な医療体制を組んだようだ。早々と。

新型コロナの感染拡大は、地震や津波、大空襲などによる都市の壊滅的な破壊と同じような状態になろうとしているのだ。日本は、世界の動きを横目に見ながら愚図愚図(ぐずぐず)としていて、現時点での具体的な対策は、各戸2枚の布マスク配布着手と、補償もはっきりしないままの外出自粛要請だけなのだ。

先ず、さっさと10万円を支給する。国民に一口水を飲んで貰って、落ち着きを促し、広範な休業補償、生活保障をすることを宣言して、新型コロナの感染拡大を抑え込むべきだ。

連休中に各人の口座に振り込め

10万円は、国が国民の命と生活を守り抜く決意の手付金みたいなものだ。だから、スピードが肝心だ。東日本大震災の津波被害を受けた北茨城市では、被害世帯の当座をしのぐために、市が保証して銀行を巻き込み10万円の緊急無利子融資を実施した。危機管理の好例である。

選挙の投票券のように、予算成立の時には、給付金申請の用紙が届いていてよい。実務は市町村だろうから、市役所は連休前半を稼働してもらって、連休を後ろ倒しにしてもらう。金融機関も、だ。どうせ、連休後も外出自粛は続けざるを得ないだろうが、連休中には、各人の口座に振り込まれていて欲しい。

10万円一律支給で13兆円くらい必要になる。今後の追加対策で、真水で100兆円を超えるかもしれない。財源は、国債発行になり、その面から慎重意見がある。しかし、日本は下手な経済財政運営で、すでに1100兆円、GDPの2年分に相当する国債を抱え込んでいるのだから、2カ月分増えるだけである。

経済政策として、「ベーシックインカム」を確保するという個人消費創出先行の考え方があり、すでに取り組んでいる国もある。供給側を優遇して内部留保と格差が拡大する、現代資本主義の見直しが模索されているこのタイミングに、今回の経済対策は、将来の経済政策のヒントになるかもしれない。(元茨城県生活環境部長)

《県南の食生活》12 ミーコ(水路)の恵み

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現在(2019年)の田んぼの様子

【コラム・古家晴美】新緑が鮮やかな季節となってまいりましたが、新型コロナウィルスの影響で、おうちにこもって仕事や勉強をされている方もいらっしゃると思います。例年、ゴールデンウィーク前後になると、田植えをされている光景が見受けられますが、今回は田んぼや周辺の水路から頂戴(ちょうだい)してきた恵みについてです。

昭和30年ごろまでは、子供たちは夜になるとかがり火を持ち、まだ苗が植えられていない田んぼへやって来て、棒の先に針をつけた道具でドジョウを捕まえるドジョウブチをしていました。この時期はフナやコイの産卵期(ノッコミ)で、大人たちは産卵のために霞ケ浦から水路に上って来たノボリブナの魚群を玉網(たまあみ)で獲りますが、子供たちは川をせき止めて水を汲み出して魚を獲るカワボシ(カッポシ)を行っていました。

また、平成の初めごろまでは、5月に入ると、霞ケ浦の手前の堀に3~4メートルのシド(袋網)を張ったり、突きヤスを持って毎晩のように魚獲りに出かけたと言います。網にかかったドジョウが多過ぎて、酸欠で死んでしまうこともあったほど獲れたそうです。谷田部からわざわざやって来て、カーバイトランプを頭に照らしてドジョウを獲る人もいて、堤防はとにかくにぎやかでした。

いつもは島津(現阿見町)から自転車で売りに来る魚を買っていた方も、この時期には獲れ過ぎたドジョウを自宅で身を開かないままみそ汁に入れて食べ、残りを舟子(現美浦村)の魚屋さんに売りに行きました。

ドジョウ、コイ、フナ、ライギョ、ナマズ

湖岸に面していない農村部でも、田植え後に稲の丈が伸びてきたころ、大雨が降り水路から霞ケ浦へ大量の水が注ぎ込むようなときや、逆に霞ケ浦が増水して川の水がさかのぼってくるようなときには、途中に網やわなを仕掛けておくと、ドジョウのほかに、コイやフナ、ライギョ、ナマズなど様々な魚がたくさん獲れました。

フナはこってりとした味で、特にマブナの方はヒラブナ(ヘラブナ)よりも美味しかったとのこと。コイやフナはウロコと内臓を自分で取って、煮たり焼き浸しに、ライギョは切ってから火であぶり、皮をスルッとむいてから煮ると、背骨以外に小骨がなく、とても美味しかったと言います。

釣り好きの人にとって、この時期の夜の漁は、食糧確保と言う面ばかりでなく、獲ること自体が大きな楽しみだったそうです。疲れていても夜な夜な出掛けてしまうので、シーズン明けの6~7月になると、不摂生がたたり体調を崩すこともあったとか。

外に出て人に会いたいとウズウズしている方も多いと思いますが、このコロナウィルス騒動が1日でも早く終息しますように。(筑波学院大学教授)

《法律かけこみ寺》17 善悪の此岸

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土浦市文京町の神龍寺山門(写真は本文と関係ありません)

【コラム・浦本弘海】前回はクーリング・オフという制度の紹介をいたしました。ところで、新型コロナウイルス感染症の拡大をチャンスとばかり、詐欺や詐欺的商法が活発化しています。そこで今回も消費者として知っておきたい法律を紹介します。

最近、身に覚えのない使い捨てマスクが送りつけられる事案が発生しています。一方的に商品を送りつけ、送られた人が商品の購入をしない旨の通知をしないと購入だと決めつけて代金を請求する悪質な商法、これを「送りつけ商法」と言います。

身に覚えのない使い捨てマスクも、送りつけ商法と考えたほうがよさそうです(知り合いからのサプライズという可能性もありますが…)。

そこで、送りつけ商法の対処法を。

1.お金は払わない(代金引換の場合も)。事業者に連絡する必要も返送する必要もない。

2.マスクが送付されたら14日間は使用せずに保管する。14日以内にマスクを使うと商品を購入したとみなされるので注意!

3.送付から14日間を経過したときはマスクを自由に処分でき、事業者からの返還請求に応ずる必要はない(14日以内に引き取りにきた場合は返還のこと)。

世に詐欺人の種は尽きまじ

消費者庁の対応方法の資料には、最初に「とにかく、ひとまず落ち着きましょう。」とあります。これはあらゆる詐欺や詐欺的商法への最高の処方箋です。逆に落ち着かせないのが向こうの手口なので、少しでも不審に思ったら、まずご家族などに相談なさってください。

ちなみに上記対処法の法律上の根拠は、特定商取引に関する法律59条1項です(法律のコラムなので条文も載せたいところですが、かなり長いので省略します)。

石川五右衛門の辞世の歌に「石川や/浜の真砂は/尽きるとも/世に盗人(ぬすびと)の/種は尽きまじ」というのが伝わっていますが、世に詐欺人(さぎびと)の種も尽きないようです。

新型コロナウイルス感染症関連の消費者トラブルについて、国民生活センターのサイトにいろいろな実例が掲載されています。消費者庁のサイトでも注意喚起がされています。どうかご注意を!

なお、電話勧誘などでたしかに商品を買ったが後悔している!といった場合、前回紹介したクーリング・オフ制度が使える可能性がありますので、国民生活センターなどにご相談ください。(弁護士)

《吾妻カガミ》80 「大型コロナ病床をつくばに」の是非

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日本財団つくば研究所跡地

【コラム・坂本栄】新型コロナウイルスとの戦いの激化にともない、緊急事態の対象地域を広げるなど、国や自治体の対コロナ戦の陣形も整ってきました。2週間前のコラム(4月6日掲載)では、政府の取り組みを「初期対応は緊張感に欠け、…戦時の形にはなっておりません」と記し、つくば市については「ナイーブな施策が見られました」と指摘しましたが、やっと本気になってきたようです。

それでも、外出自粛(人の移動を抑える)や店舗閉鎖(群れる場を減らす)といった作戦の基本に対する国民・市民の不平不満を気にしているのか、オペレーションにはチグハグなところがあります。医療崩壊を恐れ、国と激論した東京都に比べると、国にもつくば市にもまだ甘さが見られます。

対コロナ作戦で各主体にばらつきがある中、実戦的な策が飛び込んで来ました。競艇の収益で公益活動をしている日本財団が、つくば市内に保有する1万7300坪の研究所跡地に、軽症コロナ患者(戦傷者)の病床施設(野戦病院)を建て、戦傷者を収容するという緊急支援策です。

その詳細は「『市の理解得ながら進める』 日本財団 つくばに軽症者病床9000床整備」(4月5日掲)をご覧ください。大型テントなどから成る施設の建設費、そこに詰める医者や看護師の人件費などは、すべて財団が負担するそうです。

同財団は、首都圏でコロナ患者が増えると想定、設備が整っている病院は重症者用とし、軽症者はつくばなどの施設に移すことで、東京の医療崩壊を回避したいと考えています。7月末までに稼働させたいと言っており、東京の医療崩壊(事実上の首都崩壊)を阻止するための、現実的な取り組みといえます。

「戦時」にコンセンサス型?

この支援に対し、つくば市はできれば断わりたいとのスタンスです。詳細については「つくば市長、受け入れに難色 日本財団9000床整備計画」(4月6日掲載)をご覧ください。

その理由を整理すると、①事前に何の相談もなかった②7月末の完成では遅すぎる③県と市で同様の施設(36床!)を用意する④市民の同意を得るのは難しい―ということでしょうか。①と②と③は断る理屈付けであって、市長が「(住民に理解してもらう)プロセス構築が極めて困難」と言っているように、本音は④にあるようです。

軽症者用とはいえ、コロナ感染源になるリスクを抱える迷惑施設―と、市民に受け止められるのを恐れたのでしょう。コンセンサス型の行政を進める市長にとっては、当然の判断かも知れません。

しかし、東京の医療崩壊は日本経済の破綻につながります。日本財団の支援は首都陥落を阻止する決定打ではありませんが、国の緊急事態宣言を受け、都が策定した対コロナ作戦を補完するものであることは間違いありません。非常時(戦時)のいま、首長に必要な素質はリーダーシップ型であり、通常時(平時)のコンセンサス型ではありません。

つくば市は、その成り立ちからしても、国との関係で特殊な位置にある自治体です。「つくばファースト」ではなく、「日本ファースト」が求められています。(経済ジャーナリスト、戦史研究者)

《続・気軽にSOS》59 「情報パンデミック」という言葉

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【コラム・浅井和幸】「情報パンデミック」という言葉が、ラジオや新聞から私の目と耳に入ってきました。「パンデミック」とは「広範囲に及ぶ流行病」とのことですから、「情報」が「広範囲に及ぶ流行病」のような状況をつくり出しているという意味ですね。

うまく伝言ゲームができずに広がるうわさ話。一見科学っぽいことを言って、宣伝したり、先導したりする―。不安が大きいと、このようなデマに正義感や愛の気持ちで加担してしまいやすくなります。「今は紙不足だから、ティッシュペーパーをたくさんストックした方がよい」「河原の石を風呂に入れると殺菌になる」という具合に。

それは、政府や知事になるような、頭のよい人たちですら起こしてしまいます。人は誰しも、不安が大きくなると、物や情報を手元に置いて安心したくなるものです。さらには、自分が持つそれらの物や情報を、人に認めて欲しくて行動してしまうのです。

今は、誰もがどこでも、多くの人に情報発信ができるようになっています。間違うことは仕方のないことですが、感情的過ぎないかを顧みることは大切ですよね。

不安が強くなると弱い00のをたたく

不安感を利用して、「注目」「名声」「金」などを手に入れようと、謀略をめぐらして忍び寄ってくる人が間違いなく現れます。安心するためにそれに飛びつき、それがデマだと知らされて、さらに不安が大きくなります。

不安が強くなると、自分より弱いものをたたきたくなります。自分は弱者だからという免罪符を持って、さらに弱者をたたいてしまう心理です。意識高い系の人(今は言わない?)は、自分より強いものならばたたくのは正義だと主張するかもしれませんが、反論がない相手や仲間がいないと同じような事態になります。

批判や愚痴というものは、一時のストレス解消になり、確かに必要です。しかし、直接のストレス解消にならずに、さらに強い批判や愚痴を追い求める状況―つまり、依存の状況になりかねません。

そうならないために、自分の言動から得た結果を観察して、次の言動につなげるような軌道修正を繰り返すことが大切です。批判や愚痴をやめる必要はありません。しかし、それと同じぐらいの楽しいことをしたり、口にしたりすること(プラスのストロークと言われることもあります)や、共感する心を持つことが大切です。

どうしても私たちは、どちらが上か下か、正しいか間違っているか、善人か悪人かという、0か100かの理論に陥ってしまいがちです。ディベートや裁判のようなルールでの振る舞いならば仕方ないのですが、日常生活では事実から離れていくことになります。しかも、苦しいとなれば、あまりよいことはないでしょう。

それぞれが、よりよい状況になるように、意見や気持ちのやり取りを考えましょう。と言っても、「批判」の本当の意味は、誹謗(ひぼう)中傷ではなく、正すために論じることも含まれますから、敵をやり込める言葉は「批判」ではないはずなのですが。(精神保健福祉士)

《電動車いすから見た風景》5 コロナに負けず、今の生活を続けたい

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介助者に使ってもらっているマスクと消毒液

【コロナ・川端舞】新型コロナウイルスの感染拡大は、皆さんの生活にも大きな影響を与えていると思います。私も定期的な通院や買い物以外はほとんど外出しなくなりました。

私のように介助者にサポートしてもらいながら1人暮らしをしている障害者の部屋には、自分が外出しなくても、毎日介助者は代わる代わる家に来るので、一般的な1人暮らしの部屋よりも必然的に人の出入りが多くなります。

こまめに部屋を換気したり、ドアノブなどを除菌ティッシュで拭いたり、できる限りの感染予防はしているのですが、私たち障害者が生活するためには、食事介助やトイレ介助など、どうしても介助者に近距離で接してもらう場面が多くなり、介助する側も介助される側も不安になることもあると思います。

私が一番心配しているのは、自分が感染することよりも、自分が感染した後、介助者にうつしてしまうことです。介助者の中には、私の介助以外に、他の障害者の介助にも入っている人もいて、私から介助者にうつすことで、その介助者が他の人のところにも行けなくなったり、最悪、他の障害者にもうつしてしまう可能性もあります。

そのような不安は、障害者よりも介助者の方が強く感じているのかもしれません。障害者の中にはもともと呼吸器が弱い人もいて、そのような人のところに行っている介助者は強い責任を感じているかもしれません。

介助者にも拍手を送りたい

そのような中でも、毎日介助に来てくれることをありがたく感じています。もちろん、介助者を派遣している事業所側も、コロナウイルスが身近になるたびに、対策を考えてくれています。多くの人のおかげで、私の生活が成り立っていることを感じます。

そんなに不安に思うくらいなら、家族に介助してもらえばいいと思う人もいるかもしれません。私の両親は群馬の実家にいます。実家に帰ることも一つの選択肢だと思います。

しかし、大学入学とともに、つくばで1人暮らしを始めて10年。その間、年末年始に実家に帰った時にしか、両親は私の介助をやっていません。10年の間に、両親の体力も私の障害の状態も変化しました。いつコロナウイルスが収束するかわからない今、私の介助を両親だけに任せるのは不安です。

そして何より、今まで私はつくばで人間関係をつくり、自分らしい生活を築いてきました。世間全体が混乱し、不安なニュースしか流れない今、できるだけ住み慣れた場所でいつも通りの生活をしたいと思うのは、自然なことではないでしょうか。

最近、医療従事者に拍手をおくる運動が世界で広がっていますが、今、不安を感じながらも、1人暮らしの障害者の生活を支え続けている介助者にも、私は拍手を送りたいと思います。今を一緒に乗り越えていきましょう。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

《ご飯は世界を救う》22 外出自粛の前に『珈琲屋かたみ』へ

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イラストは筆者

【コラム・川浪せつ子】緊迫した昨今。ウイルスの早い、収束を願うばかりです。3月末、東京都からの週末外出自粛令の出る1日前に、どうにか行ってきました。つくばみらい市、TXみどりの駅近くの「珈琲屋かたみ」さんへ。

今年は早めの桜満開。SNSで福岡堰(つくばみらい市)がガラガラとのことで、スケッチに行ってきました。途中、前々から気になっていたステキな建物。掃出し窓からレースのカーテンがヒラヒラ。風通し抜群! 「これだったら、室内に入れるかも」。

桜のスケッチ、写真をたくさん撮り、疲れ果てた帰りに寄ってみました。内部は天井が高く、内装もとてもオシャレ。メニューにはスィーツもいろいろ。ここのところ自粛でオウチ生活多く、体重増加だったので、アイスコーヒーフロート。

閉店間際でしたので、残念ながら、ほんの少ししか滞在できませんでした。でも、とっても気に入ってしまい、翌日のランチ時に一番乗り。「もしかしたら、コロナのことで、当分店舗ではランチできないかも」と。ランチ時には、3人の女性が働かれていました。飲み物まで付いて、裏切らない美味しさ! 次回はスィーツね、絶対。

キツイ自粛生活に小さな楽しみ

コロナがだんだん拡がってきたころ、ガーゼ立体マスクをたくさん縫いました。そのあと、いつも通っているフイットネス、月1の大先生の水彩画教室、私のやっている教室、大好きなカフェ―すべて閉鎖。ほかにもいろいろ重なり、私はコロナうつうつ。

家事など、最低限のことはできるのですが、なんだかパワーが出ず、倦怠感。そして眠い。どうしても、コロナのニュースばかりが気になってしまいます。どうもこんな感じは、私だけではないと気が付きました。

散歩などしていましたが、何だかうつうつ。本来は『#家にいよう』なのですが、こりゃだめだ。そこで、庭の草むしりを始めました。お日様ポカポカ。雑草は山のようになって、お庭はどんどんキレイに。そこで、やっと抜け出せました。

草むしり、バカにできないですね。「小さな積み重ねが大きな成果」なんて、ね。キツイ自粛生活に、小さな楽しみを見つけて過ごせれば、いいなと思います。(イラストレーター)

《くずかごの唄》59 スペイン風邪で日本人48万が死亡

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イラストも筆者

【コラム・奧井登美子】「きょうはお祖父さまの命日。お花を忘れないであげて下さい」。2月10日、兄の奥井勝二から必ず電話がかかってくる。

兄は千葉大学医学部の外科教授であった。成田日赤病院の院長をしていたこともある。ものすごく忙しい人なのに、祖父の死は頭から離れないようだ。彼がまっすぐ医学の道に進んだのも、母親から何回も聞かされた、祖父のスペイン風邪による死がきっかけだったのかも知れない。

祖父の平沢有一郎は、茨城県初の薬剤師国家試験合格者。北里柴三郎は福沢諭吉の援助で、「土筆ヶ岡(つくしがおか)養生園」という日本初の結核療養所を芝の白金三光町につくるが、祖父は北里柴三郎を尊敬し、明治28年(1895)までそこに勤務している。

奥井家に婿に来て、薬局をつくった。娘の教育も国際的で、外国人と交際し、英会話を習得させ、外国に留学させる夢を持っていたという。しかし、1918年、流行のウイルス性疾患のスペイン風邪により、53歳で亡くなってしまった。

母は留学をあきらめ、薬剤師免許を取得して薬局を継ぎ、幼い妹たちを育てた。有一郎の死は、奥井家にとっても存亡の危機であったらしい。

世界の死者は2000万~4000

当時、ウイルス性疾患の怖さは、世間では不明。医者にも、一般の人にも、よく解らない。まさに、深刻な医療崩壊であったという。医療崩壊に翻弄(ほんろう)された日本人の残酷さを、私も、母から痛いほど聞かされた。

森岡恭彦(もりおか・やすひこ)先生からいただいた本「医学の近代史 苦闘の道のりをたどる」(NHKブックス)を読むと、1918年のスペイン風邪で、日本人の死者は推計48万2000人、世界の死者は2000万~4000万人とある。

今のように、疾患別死者の統計がキチンとされてなかった時代とはいえ、48万人という数字はあまりに大きい。

昔と違って、今は、世界の医療情報がすぐにネットやテレビで公開される。知恵を絞って、新型コロナウイルスを鎮静させることができるか。人類とウイルスの永遠の戦いは、当分終わりそうもない。(随筆家、薬剤師)

《続・平熱日記》59 コロナに「負けるな」でなく「会うな」

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【コラム・斉藤裕之】今年の春は早く、桜とこぶしが同時に咲いている。その上、季節外れともいえる雪が降ったこともあって、いつもの年より桜の花は長く咲いていた。しかし令和2年、街に桜を愛でる人の姿はなかった…。こんなときに、あれこれと考えながら文章を書き始めても、途中で筆が止まってしまう。気の利いた表現や話題が不毛に思える。

自粛という文字を初めて紙に書いた。贅沢(ぜいたく)をしたことがないので贅沢という字を書けないのと一緒で、生きているうちに多分書くことのない文字のひとつに違いなかった。

「コロナに負けるな」なんて言うのは、そもそも日本語が間違っている。「歯を磨く」と一緒だ。歯は磨くものではなく掃除するものだ。コロナには勝負を挑んではいけない。とにかくやり過ごすのだ。つまり人に会わない。「コロナに会うな」が正解か。

しかし自粛といっても、じっと寝ているわけにはいかない。週末、カミさんはおもむろに冷蔵庫の掃除を始めた。日ごろから割と上品な冷蔵庫の中身ではあるが、カミさんに手渡されたのはジャムの瓶(びん)。フタを開けろということらしい。

中身が悪くなっているわけではなかったが、ずいぶん前から冷蔵庫の一画を占拠している。どなたが作ったのか、いついただいたのかさえ思い出せない。硬くて開かないフタはしばらくお湯で温めてからどうにか開封。小さなビンだが、10個もあっただろうか。もったいないけど中身をすべて処分。それから、賞味期限の切れた混ぜご飯の素だの、いずれも貰い物だが、すべて捨ててしまった。

コロナなんて「へのカッパ」

その間、私はというと、思い立って、これまた長い間使っていたダイニングのテレビ台を撤去。これは20年も前にリンゴの木箱を縦にして作ったもの。壊してストーブにくべようかと思ったが、思い直して、アトリエの一角にあった木箱2つをのけてそこに収めた。今度はその木箱の中身を片付ける。その中には、木のかけら、電線の束、缶のほか、小さな薄っぺらい木製の筆入れも。

筆入れの上の板をスライドさせて開けてみると、 もう何年も前から探していた万年筆発見! 軽くて書きやすい万年筆。実は今、しばらくぶりにインクを入れた、この万年筆で原稿を書いているところ。

さて、新鮮な空気を求めて、暖かいので土いじりなんかはいいのだろうが、それほどの庭もない。だから天気のいい日は、件(くだん)の山中にて薪割りの日々。待てよ、はたと思いついた。友人宅の庭にほったらかしてあったカッパ。

何年か前に、近所の中学校でいただいたケヤキを彫っていたもの。さっそく引き取ってきて、グラインダーで削り始めると、ケヤキの香りときれいな木肌が現れる。特にコロナとの関係はないし神頼みでもないが、これもなんかの縁。学校再開までに、何とか形になれば。「コロナなんて、へのカッパ」となる日が早く来るように。(画家)

《邑から日本を見る》61 森友問題で自死した人の手記

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飯野農夫也氏の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】

森友問題
佐川理財局長(パワハラ官僚)の強硬な国会対応がこれほど社会問題を招き、それにNOを誰れもいわない
これが財務官僚王国
最後は下部がしっぽを切られる。
なんて世の中だ、
手がふるえる、恐い
命 大切な命 終止府(ママ)

「この事実を知り、抵抗してきたとはいえ関わった者としての責任をどう取るか、ずっと考えてきました。事実を、公的な場でしっかりと説明することができません。今の健康状態と体力ではこの方法をとるしかありませんでした。家族を泣かせ、彼女の人生を破壊させたのは、本省理財局です。私の大好きなお義母さん、謝っても、気が狂う程の怖さと、辛さ こんな人生って何?」

森友学園問題で自死した元財務省近畿財務局職員の赤木俊夫さんの遺書(手記)を読む。何度読んでも涙が出る。赤木さんが自ら命を絶ったのはまだ2年前のことだ。『週刊文春』は3月26日号にその全文と、取材した元NHK記者・相澤冬樹さんの記事を載せている。さらに、「8億円値引きに問題がある」「赤木さんの妻の全告白」「安倍答弁と改ざんは関係あるという財務省幹部の音声」などを続報で伝えている。

この赤木さんの手記は国会でも取り上げられ、野党の議員が「文書の改ざんは、首相の『私や妻が関係していれば首相も国会議員も辞める』という発言がきっかけではないか」と質問したのに対し、安倍首相は、手記にはそのことは書かれていないと逃げ、「財務省が報告書をまとめているので再調査はしない」と答えている。

この答弁に対し、赤木さんの妻は「答弁はすごく残念で、悲しく、怒りに震えている。夫の遺志がないがしろにされていることが許せない。(首相と麻生財務相は)調査される側で、再調査しないと発言する立場ではない」と強く批判している。

保身のための政治や行政

手記に戻ろう。手記はA4判のワープロで7枚ある。

赤木さんは森友学園への国有地払い下げには関わっていなかったので、値下げなどの交渉経過は知らなかった。しかし、国会での安倍首相の「関係ない」発言ののち、当時の佐川理財局長が「交渉記録は廃棄した」と答弁したことから国会が紛糾した。つじつまを合わせるために近畿財務局が改ざんに手を染めることになり、赤木さんがその仕事を押し付けられ、抵抗したが、数回にわたり修正した。

手記は、その経過や国会での財務省の虚偽答弁について詳しく書いている。さらに、刑事罰、懲戒処分を受けるべき者として、佐川理財局長らの名前が実名で記載されている。

私は、赤木さんの手記と安倍首相らの答弁、関係者の証言を比べ、血の通わない、ひたすら保身のための政治や行政をしている人たちにやりきれない気持ちと強い怒りを覚える。

赤木さんの妻は3月18日に国と佐川氏に損害賠償を求めて、大阪地裁に提訴したので、今後法廷の場で公文書改ざんの真相解明がなされることが期待される。赤木さんの妻は「安倍首相や夫の職場のことを責めるつもりはない。ただ夫の死の真相を知りたい。それだけだ」と語っている。(元瓜連町長)

《食う寝る宇宙》59 国際宇宙ステーション見えたよ!

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【コラム・玉置晋】仲良しの宇宙ファミリー(2019年8月22日コラム参照)からこんな報告が届きました。4月6日と7日の夕方、茨城から国際宇宙ステーションが見えました。しかも、満月お月様との絶好のコラボレーションです。おじいちゃん、おばあちゃん、お母さん、3人の子供たちで観測したそうです。お父さんは残念ながらお仕事で不在だったとのこと。

おばあちゃん「中はどんな感じかな?」

子供「ししむん(僕の愛称)がいるんじゃないかな?」

お母さん(関西人)「あの人はコレステロールが高いから、宇宙に行けないんやで」

国際宇宙ステーションは、地上から約400キロの上空を、時速2万7700キロ!で飛行しています。とんでもない速さですね。地球1周たったの90分。

こんなに速いのですが、観測に適した軌道だと、地平線を登り始めてから、天頂を経て、再び地平線に沈むまで、10分~15分間の飛行軌跡を追うことができます。地上は夜でも、国際宇宙ステーションには太陽の光が当たって、反射する時が観測のチャンスとなります。

スーパームーン お財布フリフリ

国際宇宙ステーションとコラボレーションした満月のお月様は、いつもより少し大きめでした。スーパームーンと呼ぶそうです。僕の奥さんは金運が上がるといって、お財布を月光にかざしてお財布をフリフリしますが、功能は未だ確認できていません。スーパームーンとは天文学ではなくて占星術の言葉みたいですね。

月は地球の周りを楕円軌道で回っており、距離は35万7000キロから40万6000キロまで変化します。距離が近点かつ満月のパターンがスーパームーンの条件を満たすようです。なお、近点の満月は、遠点のものより1割程度大きく、3割程明るいらしいです。

スーパームーンとなる頻度は、満月となる周期(約412日)で、毎回14回目の満月がスーパームーンとなるため、大体年に1回は観られますので、特別に稀なイベントというわけではありません。とはいえ、お財布フリフリしたくなっちゃいますよね。(宇宙天気防災研究者)

参考:JAXA 宇宙ステーション・きぼう広報・情報センター

《映画探偵団》30 野口雨情の「茨城県行進曲」

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【コラム・冠木新市】この十数年、AI時代だというのに、なぜか昭和初期がずっと気になっていた。多分、茨城県出身の詩人野口雨情の民謡との出合いがそうさせたのだろう。

2013年9月、「雨情からのメッセージ/幻の茨城民謡復活コンサート」を筑波学院大学の大教室で開催した。雨情が作詞した地元民謡11曲を掘り起こし、オペラ、ジャズ、ポップスの歌手に披露してもらった。

雨情の地元民謡は、昭和元年(1926)から昭和17年(1942)の間に作られ、昭和大恐慌と大東亜戦争の時期にあたっている。最初に作られたのは、「茨城県行進曲」(作曲堀内敬三)だ。茨城新聞社が企画制作し、大正末か昭和初期に作られた。茨城県各地の四季の光景を明るく表現している。

霞ケ浦の 水に浮く 山は筑波の 優(やさ)すがた
海の公園 茨城は 春の魁(さきがけ) 春が来る
春だ 春だ 春だ

2012年、雨情生誕130周年記念番組を茨城放送で企画中に、この音源が入ったCDをプロデユーサーから手渡された。東日本大震災の時、茨城新聞社の資料棚が倒れ、出てきたレコードから起こしたものだという。私は野口雨情との縁を感じた。

結局、スポンサーの都合で企画は流れてしまったが、その後のコンサートに結びついた。しかし、当時は音源や楽譜集めに夢中で思いつかなかったのだが、「茨城県行進曲」とドイツ映画「メトロポリス」(1927)は同じ時期に作られていたことに、最近になって気が付いた。

フリッツ・ラング監督の「メトロポリス」

「メトロポリス」は、フリッツ・ラング監督が当時ニューヨークの光景に刺激され作ったSF作品である。物語設定が2026年になっていて、100年先の未来社会を想像して描いている。現在の時点に立つと、6年先である。ラング監督の予測した未来社会とは、少数のエリートが住む地上と大勢の労働者が住む地下とに二分されている。

地上には、高層ビルが林立し、高速道路を車が走る。また巨大なスポーツスタジアムや図書館と劇場などが一つに収まった建物、快楽の園ヨシワラハウス、エネルギー工場などがある。地下には、寂れた礼拝堂、殺風景な労働者の住居、墓地などがある。二つの世界を支配しているのがバビロンタワービルに入る大企業で、コンピューターや原発を連想させる機械が出てくる。

物語の主人公は大企業の御曹司フレーダーで、偶然出会ったマリアなる美女にひかれ、地下世界に足を踏み入れる。そしてこの物語には二人のマリアが登場する。

一人は労働者に聖書の教えを説くマリア。もう一人はその影響力を恐れ経営者が送りこんだ人造人間マリアだ。このロボットが作り手のコントロールを無視、地上のエリートを色香でたぶらかし、地下の労働者をたきつけて工場破壊をあおる狂態振りを発揮する。

ロボットが人間をたらし込んだり、機械破壊を命令する行為は不気味である。同じ女優が清楚なマリアと狂ったマリアを演じており、異常ともいえる目の輝きに圧倒され、何度見てもそら恐ろしくなる。

だが、ラング監督の未来予測は的中しているといえる。しかし、こんな未来は、私はごめんである。むしろ、雨情が「茨城県行進曲」で描いた自然の光景が未来のすがたであるべきだと思う。めざす未来は90数年前の新民謡にある。私は十数年ずっと未来を夢みていたのだ。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

《宍塚の里山》60 白い花に覆われたウワミズザクラ

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(上段左から)花を拡大、ブラッシ型の花、蕾・塩漬けの時期、(下段左から)上溝の名の由来となった木の皮・溝が目立つ、山を彩るウワミズザクラの花、ウワミズザクラの実

【コラム・及川ひろみ】コロナが社会を席巻(せっけん)している中ではありますが、そんな時こそ、ちょっと気分転換。4月中下旬、宍塚の里山には、こんもりと白い花に覆われたウワミズザクラが風に揺らぐ様子が、方々(ほうぼう)で見られます。

高さ10~20メートルにも及ぶ大木で、明るい林縁(りんえん)に多く見られるので、遠くからでもよくわかり、見応えがあります。花は写真のようにブラシ状です。桜のようには見えませんが、よく見ると5枚の花びらは小さな桜の花です。成長も極めて早いことから、里山の至る所で見ることができます。

ウワミズザクラはアンニンゴ(杏仁子)とも呼ばれ、若い花穂(かすい)を塩漬けにしたものをアンニンゴ漬けと言います。アンニンゴ漬けで有名なのは新潟県ですが、酒の肴(さかな)にすると、人から聞きました。

花の後、写真のような赤黒い実を付けます。この実の収穫は野鳥との競争です。特に、ムクドリが集団でやって来て実を漁り、あっという間に食べ尽くします。野鳥は美味しく実った時にやって来ますから、その直前に取るのが秘訣です。

黒い実は果実酒が最高

採った黒い実は果実酒が最高。アンニンゴ漬けもそうですが、この果実酒、いい香りがします。アンニンゴは、杏子(あんず)の種からつくるアンニン(杏仁)に似た香りがします。友人が数年前漬けたウワミズザクラのお酒を届けてくれました。「不老長寿の酒」と書いてあり、薬酒と言われています。

ウワミズザクラの名前の由来(ゆらい)は、写真のように樹皮に溝があることから、上溝から来ていると言われています。ウワミズザクラによく似たイヌザクラは、ウワミズザクラより少し遅く花を咲かせますが、それほど目立ちません。

白さがウワミズザクラのように際立たず、花穂が少し短く、花が少し緑がかっているからです。またウワミズザクラは、花が咲く小枝に葉がつくのに対して、イヌザクラは葉がまったくないことも見分けるポイントです。イヌザクラの樹皮は遠目にも白く見え、ウワミズザクラとは大違いです。

ウワミズザクラは秋に美しく赤や黄色に紅葉し、秋の里山を彩ります。間もなくウワミズザクラの花が見られます。思いがけない美しい里の花を、そして香りをお楽しみください。(宍塚の自然と歴史の会代表)

《雑記録》10 コロナ危機と人間の安全保障

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【コラム・瀧田薫】WHO(世界保健機構)が新型コロナウィルスのパンデミック(世界的流行)を宣言した。危機の核心は「感染が何処まで広がるか、どれほど深刻か、そしていつまで続くか」にあるが、フィナンシャルタイムス紙が最悪の場合を想定(2020年3月20日付)している。すなわち、世界人口の最大80%が感染すると予測し、致死率を1%とした上で、対応策(隔離、治療薬やワクチン)の効果を折り込み、死者3000万人程度になると予想している。

この数字をどれだけ減らせるかは、「時間との勝負」ということだろう。しかし、公衆衛生の専門家の間に、パンデミック終息時について確たる見通しはないようだ。東京オリンピックは1年程度の延期とされたが、これは「希望的観測」に基づく判断であろう。

それにしても、この国の防災システムと政府の危機管理はお粗末だ。グローバリゼーションのもたらすパンデミックの危機を何度も指摘されながら、対応策は閑却された。その結果、難民はもとより、外国人観光客まで国外排除の対象と成り果て、観光立国政策はほとんど破綻状態にある。当面、ウィルスとの闘いに集中するにしても、それと並行して、この国の防災そして危機管理の抜本的な見直しが必要であろう。

ちなみに、1994年、国連開発計画(UNDP)が「人間の安全保障」の理念を提示している。この理念の狙いは、グローバリゼーションに伴って登場してきた21世紀型の危機(難民、テロ、地域紛争、武器や薬物の密輸、飢餓、経済・金融危機、環境破壊、感染症など)に対処するため、国家中心の安全保障という従来の枠組みを見直すことにあった。

中村哲氏と緒方貞子氏の実践

意外なことに、当時、この国の政府は他国に先駆けて、この理念の具体化に動いている。1998年、小渕首相が「人間の安全保障基金」を立ち上げ、2000年、森首相がこの理念を外交政策の柱の一つに位置づけている。何はともあれ、この原点に一度立ち返ってみるべきだろう。そして、原点から約20年が経過した今、「人間の安全保障」の理念がこの国においてどこまで実現されたのか検証する必要がある。

検証の手掛かりとして、豊島名穂子氏の論文「日本による『人間の安全保障』の実態―難民政策との比較を通して」(東洋哲学研究所紀要24号・2008年 所収)が参考になる。論文は、日本の「人間の安全保障」政策は対外政策の枠内に限定されており、難民の受け入れなどは最初から想定されていなかったという。つまり、「人間の安全保障」の理念は「外交政策上のお題目」に過ぎなかったと喝破している。

ペシャワール会の中村哲氏や元国連難民高等弁務官・緒方貞子氏は、立場こそ違え、それぞれの生涯を通じて「人間の安全保障」の実践に邁進された。お二人は、日本外交の実態をどのような思いで見ておられたのだろうか。(茨城キリスト教大学名誉教授)