【コラム・奥井登美子】東京にいる娘が、ガラス製の赤い派手なペンダントをくれた。よく見ると、花のような、きれいな円が散らばっている。

「ウイルス模様のペンダント、装飾品を扱っている友達につくってもらったの」

「いわれてみるとウイルス模様だわ、5種類のウイルスがいる」

「ママは家にじっとしていない。飛び回っていて、コロナが心配なので、友達に頼んでコロナのお守りをつくってもらったの」

「これ、お守りなの?」

「そうよ。これを首にかけて,コロナの防災と真剣に向き合って下さい」

彼女は医療機関でアルバイトをしている。PCRコロナ検査のボランティアをやりたいといっていたくらいだから、ウイルスというものがどういうものかよく知っているはずである。「お守り」という江戸時代のようなクラシック発想がおかしくて、私は大笑いしてしまった。

お祭りにも「疫病退散」の願いが

1858年に「コレラ」が流行し、江戸だけで10万人の死者。1862年には「はしか」が流行し、はしか除けの「はしか絵」がよく売れたという。

疫病の歴史を考えると、疫病がはやるたびに、人々はどう対処していいかわからずに、神様に祈祷し、病気よけの「お札」「お守り」「まじない」などをしたりして、心の安定を図ってきた。地域のお祭りの中にも、最初は「疫病退散」を願ったものが多い。

コロナウイルス報道も、家にいてテレビばかり見ていると、心が滅入ってしまう。医者にかかるほどの不安ではないが、何かが怖い。目に見えないウイルスにおびえている。

こういうときは、気の合った友達と会食でもして、「あ、は、は」「お、ほ、ほ」、くだらないおしゃべりをすると、いつのまにか発散してしまうが、その会食もおしゃべりも禁止となると、どう発散したらいいのかわからない。精神安定剤としての「お守り」が現代にあってもいいかと思う。(薬剤師)