【コラム・斉藤裕之】迎える60回目の誕生日。その前に毎年恒例のアレを飲みにいかなくてはならない。「胃カメラ」。大事な検査であることはわかっているが、かなり憂鬱(ゆううつ)。大のおっさんが、涙を流しながら背中をさすられるあの苦しさ。もしもこれで拷問されたら、すぐにギブだ。麻酔を使う方法を勧めてくれた友人もいたが、「麻酔を希望しますか?」という看護師さんの事前説明に、やせ我慢して「いいえ」と答えてしまった。

いよいよ検査当日。まずは喉の奥に薬を数分間ためながら思う。「これ効果あんのかなあ?」「胃カメラを開発した人は自分で何度も飲んだんだろうな?」

そして横になるとチューブが挿入される。「はーい、食道を通過しますからね」。ここが一番の難所。「オエッ」となって涙が一筋流れる。指示通り大きく呼吸を試みる。「あれ? 意外にいけるかも」。何がどう違ったのかはわからないが、これまでよりも大分楽な感じで検査を終えることができた。もしかしたら胃カメラとともにコツも飲み込めたかも?

病気とは無縁に生きてきたが、偶然ともいえるタイミングで数年前に見つかった腫瘍。運よく命拾いしたのも胃カメラのおかげ。それから、コロナの時代を予測し準備していたわけではないが、ちょうど2年前の誕生日に特に決意することなく酒をやめた。煙草もあっさりやめた。

一汁一菜。9時前には眠くなり、夜明けとともに起きる。朝、小さな絵を描き、この夏の午前中は草刈りに出かける「晴耕雨描」の生活。

「肋骨が2本も折れてますが…

さて次の週、担当の先生の問診。血液検査や画像を見ながら、「胃の方は問題ないですね」。ほっとひと安心。しかし油断はできない。

「斉藤さん、腎臓に石ができてますねえ」と言われて、カテーテル手術に臨んだのは2年前。頼む、CT画像に変なものが映っていなければいいが。すると先生、CTの画像を見ながら「さいとうさん…」「はい」「肋骨が折れてますが」「はい?」「思い当たることはあります?」「あっ!」

はいはい。このエッセイにも書いた通り、昨年、イルミネーションの設置作業中に脚立から落ちた際のあれ。豊かな?骨折経験から「多分やっちゃったな」と思いつつも、医者に行かずじまいだったのを思い出した。半年以上多経ってもわかるんだなあ、と感心していると、「それも2本」「え!」「くっついてますけどね」。

「では1年後に」。マスク越しの先生のあきれたような薄笑いを感じながら、マスク越しにほほ笑み返し。病院を出ると、途端に熱波が体を包む。さあ、頑張って草刈りに行くとしよう。(画家)