【コラム・秋元昭臣】霞ケ浦は茨城県南東部に位置し、その先端が利根川に流れ込む、日本第2の面積の淡水湖です。西に土浦・高浜を持つ「西浦」、北に鉾田を持つ「北浦」、それに「常陸利根川」などを併せた総称ですが、一般的には「西浦」を霞ケ浦と呼んでいます。

その管理は、利根川の一部として「国交省関東地方整備局霞ケ浦河川事務所」が行っています。日本1の琵琶湖は国交大臣の委託を受けて滋賀県知事が管理しています。

昔は東京湾の一部で、「流れ海」と言われた時代もあります。海からの塩害防止の「河口堰(かこうぜき)」ができるまでは、汽水湖でした。銚子とは3時間遅れで潮の満ち干の影響があり、シジミや海の魚も獲れました。

そのころは水質もきれいで、湖岸には砂浜や13カ所の「湖水浴場」あり、学校の授業でも使われていました。小魚が泳ぐ姿を見て、子供ながら工夫して釣りを楽しんだものです。大きな黒いタンカイ(淡水域にすむ中型の貝)を足でほじくって遊びましたが、この貝が「貝ボタン」になっていたとは知りませんでした。

湖の干拓:霞ケ浦10%、八郎潟80

昔、霞ケ浦の広さは2位ではなく3位でした。では、2位はどこだったのでしょう。秋田県の八郎潟です。しかし、1956年から1977年にかけ、その80%が干拓事業によって農地になり、現在は18位です。

戦後の食料不足を補う干拓で、霞ケ浦唯一の島だった「浮島」も、本新島干拓(1942~1956年)によって陸につながりました。このように、10%もの水面が干拓されて農地になったものの、霞ケ浦の現在の広さは2位です。ちなみに、3位は北海道のサロマ湖、4位は福島県の猪苗代湖です。

霞ケ浦の流域人口と面積は、茨城県の約3分の1を占めています。琵琶湖の流域面積は滋賀県の79%、流域人口は12%です。

アオコが猛威を振るって湖面が緑色になり、腐敗臭が出たのは1974年ごろで、50年も前になります。最近10年の水質の指標「透明度」(30センチの白い円盤を沈めて見えなくなる深さ)は 50~90センチと、泳げたころの100~150センチには届きませんが、湖心では100センチも珍しくなくなっています。

今欲しいのが砂浜です。国交省では「里浜」造りを進めていますので、霞ケ浦が昔に戻りつつあることはうれしいことです。(元ラクスマリーナ専務)