【コラム・川端舞】今年は怒涛の1年だった。4月に本サイトで重度障害のあるライターとして取り上げられたのをきっかけに、他メディアからも取材を受けた。しかし私にとって一番大きかったのは、中学時代の出来事を複数のメディアに語ったことだ。

小中学校時代、介助員から支援を受けながら普通学校に通った私は、一時期、介助員との関係がうまくいかないことがあった。その時のことを公に話すと、当時の介助員を批判してしまうことになるため、ずっと話さないでいようと思っていた。

しかし、自分の経験を公表することで、現在、普通学校で介助員から支援を受けている障害児が自分と同じような経験をすることを防げるかもしれない。ずっと心の片隅でそう思っていた私は、今年、複数のメディアから中学時代の介助員との出来事を話す機会をいただき、自分の経験が普通学校で学ぶ障害児の役に立てばと願いながら、メディアで当時のことを話す決意をした。

私は中学時代の介助員を責めるつもりは全くない。当時、私が介助員との関係で悩んでいたといことは、介助員も同様に私との関係で悩んでいたということだろう。

関係がこじれた時、私と介助員双方の話を聞いてくれ、すれ違いを一緒に解決しようとしてくれる大人が近くにいれば、問題が複雑にならないうちに、関係を修復できたかもしれない。障害児の支援を介助員1人だけに任せ、他の教職員は支援に関与しないという状態では、何か問題が起きた時に過度に障害児や介助員を苦しめることになりかねない。

他の障害児者と出会う機会

障害児が必要な支援を受けながら、健常児と同じ学校に通うことは、大人になってから障害者と健常者が共に生きていくためにも大切なことだ。同時に、障害児が普通学校に通っていても、地域に住む他の障害児者と出会い、周囲からどのように支援を受ければいいのかなど、自分と同じような障害のある人に相談できる環境も必要なのかもしれない。

私は高校時代まで自分のような障害者に会ったことがなかった。中学時代、介助員との関係を他の障害者に相談できていたら、解決方法を見つけられたかもしれない。

内閣府によると、令和元年現在、日本の障害者は人口の7.6パーセントを占める。1つの学校に障害児が数人しか通っていないこと自体、不自然なことなのだ。(障害当事者)