【コラム・堀越智也】毎年、100年前には何があっただろうと、歴史の教科書を引っ張り出してみます。去年は中国共産党結成100周年。ソ連邦が成立したのは今から100年前です。僕が学生のころ、ざっくり言うと「これからは社会主義でなく資本主義だ」的な教育を受けました。現に中学生のとき、ソ連は解体され、東欧の社会主義圏は崩壊しました。そのころは、資本主義が肯定されたまま、世界は進んでいくのかと思っていました。

ところが、去年売れていた本とか経済関係のテレビ番組では、資本主義を否定する考え方あるいは修正する考え方が目立つようになりました。新型コロナが先進国の成長が行き詰まっている中で蔓延したこともあり、貧富の差を実感し、経済的・物質的な豊かさだけで幸せになれないと考える人が増えたのではないでしょうか。

資本主義を疑う考え方を整理すると、①資本主義を推し進めても市場には限界があることからどこかで行き詰まる、②経済的・物質的な豊かさだけでは幸せになれない―という視点があります。それぞれ密接に関連しているように思います。

何主義でも日々精進

その先を少し考えてみても、僕は経済学者ではないので、前者についての結論は出せません。また、哲学者でも宗教家でもないので、後者についての結論も出せません。資本主義の限界を語っている本でも、堂々とそれに代わるべきものが何かは分からないと言う著者もいるぐらいです。ただ、少なくとも後者については、生きていく以上、また法律の仕事を通して人の生活の重大な部分に関わる以上、日々考えていかなければなりません。

一つ、このことは確実に言えます。資本主義を疑うと、競争そのものを疑い、日々努力して成長することまで否定されてしまうことがあります。しかし、日々の努力を怠れば、仕事ではもちろん、仕事以外でも大切な人を守れなくなってしまうかもしれません。何主義でも、このことは同じでしょう。ということで、日々精進かと思うに至る、2022年元旦。(弁護士)