月曜日, 5月 6, 2024
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いよいよジュネーブの国連審査へ《電動車いすから見た景色》33

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【コラム・川端舞】国連の障害者権利条約は、入所施設ではなく地域で生活する権利や、普通学校に通う権利など、障害者が他の人と平等に生活するための権利を規定している。その中でも、より重要だったり、誤解されやすいものについては、「一般的意見」という別の文章でより詳しく説明されている。

例えば、いわゆるバリアフリーを説明した「一般的意見第2号」では、バリアの撤廃が必要な事柄として、「建物、道路、輸送機関その他の屋内外の施設」「その他の屋内外施設には、とりわけ、法執行機関、裁判所及び刑務所、社会機関、社会的交流、娯楽、文化的、宗教的、政治的活動及びスポーツ活動の場と、買い物施設が含まれる」などと書かれている。

一見、とても細かい部分まで書かれているようだが、改めて考えれば、娯楽やスポーツ活動など、人生においてはどれも欠かせないものである。障害者が自分たちの権利を議論してつくった条約だからこそ、「どんな些細(ささい)なことでも、障害のない人が当たり前にやっていることは、障害者も当たり前にできるのが権利なのだ」と、はっきり意思表示できたのだと思う。

日本政府の矛盾点を指摘

そんな障害者権利条約を締約国が守っているか、定期的に国連が審査する。条約締結後、初の日本への審査が今月22~23日、ジュネーブでおこなわれる。

日本政府が国連に事前に提出した報告書では、例えば教育分野では「(障害児には)適切な指導及び必要な支援を行う特別支援教育が実施されており、…特別支援学級、特別支援学校といった、連続性のある『多様な学びの場』が整備され」ていると書かれている。

これに対し、全国的な障害者団体や家族等支援団体などで構成する日本障害フォーラムが提出した報告では、「現行の就学先の決定の仕組みは、地域の通常学校・学級に通うことが原則になっていない」など、障害児が障害のない子どもとともに育つ権利を謳(うた)う障害者権利条約と、日本政府の報告との乖離(かいり)を指摘している。

他の分野に関しても、日本障害フォーラムは政府報告の矛盾点を指摘しており、今回、ジュネーブで国連の審査委員と日本政府が直接対話するとき、これらの矛盾点がどのように話し合われるのか注目だ。

今後の日本の障害者施策が変わる、分岐点になるだろう場に立ち会えることに感謝し、将来、日本の障害者施策をよりよいものにするために働きかけられる、障害者リーダーに私もなりたい。(障害当事者)

明治初めの悪疫除け節《くずかごの唄》114

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悪疫除けひとつとや節

【コラム・奥井登美子】古い引き出しの中から、「悪疫除けひとつとや節」「明治12年7月9日虎列刺(コレラ)病予防商議として出縣申付候事 茨城縣」の2枚の紙が一緒に出てきた。

明治12年に茨城県にコレラ病が流行して、その時に皆が口ずさんだ「ひとつとや節」なのかも知れない。読めない字ばかり、ギクシャクしながら、何とか読んでみると、143年前なのに、今のコロナにも当てはまる部分がチラチラ。

そのころの日本人は流行病も唄にしてしまっていたのだ。テレビで、コロナの「ウイルス除けひとつとや節」をやれば、面白いに…。

悪疫除けひとつとや節(作者 清水近前人)

1つとや ひとをそこねるコレラ病 撲滅(ぼくめつ)させるはじん力ぞ

2つとや ふだん注意を怠るな 喰物(くいもの)衣類を清潔に

3つとや 三つのつとめは衣食住 貧富ほどよく衛生に

4つとや 酔って夜更かし呑喰(のみくい)を するのは病のもととなる

5つとや いつも気をつけ下水場を 綺麗(きれい)にするのは身の為(ため)ぞ

6つとや むやみな運動それは毒 運動せぬのも又(また)毒だ

7つとや なんでも病をよけるのは 空気の通りをあたらしく

8つとや やたら揉手(もみて)に神仏を 頼まずお医者に訳をきけ

9つとや ここもかしこもコレラ お巡りさん方ご厄介

10つとや とうとうコレラも行政の 力で撲滅お目出たや

(随筆家、薬剤師)

つくばのパスタ専門店「ルーク」《ご飯は世界を救う》50

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【コラム・川浪せつ子】新しい飲食店巡りがスキです。今回は、ズゥ~と前から気になっていたお店「ルーク パスタリストランテ」(つくば市台町)。ファサード(建物の正面)がとてもカワイイので、訪ねたかったのですが、4車線の右折道路を超えないと入れない場所。我が家からだと、とても行きにくいお店でした。

でも今回、意を決して、遠回りして右折しなくてもよいようなルートで。11時半からというので、開店5分前に行くと、先客さんの車2台。店主さんお1人でやっている、インテリアも良い感じの空間でした。

スパゲティーは日替わりと定番メニュー。絵を描く、そして、舌を満足させる。描くのは難しいけど、大好きな「カルボナーラ」を注文!

ネットの黒板には白墨の絵

ルークさんに行く前に、ネットで下調べ。そうしたら、毎日、ブラックボードに白墨(はくぼく)で、絵が描かれているのを見つけました。なかなか良い感じ。こういうセンスって、お料理にも出ますね。

食後、ちょっと店主さんとお話。7年前に開店したことや、コロナで大変だったことなど。頑張ってほしいお店でした。

今まで、向かい側のマクドナルドからルークさんを見ていたので、今回はマックのスケッチも。ハンバーガーは、息子たちが小さいとき以来かも。いつもは、出先の途中、コーヒーブレイクなどで寄っただけ。久しぶりのハンバーガーも、Goodでした。(イラストレーター)

コーヒーの花が咲いた《続・平熱日記》116

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【コラム・斉藤裕之】妻が亡くなった。長い間の闘病の末、最後は自宅で娘たちと一緒に過ごし眠るように旅立った。この数年は妻と毎週のように出かけ、相変わらず口ゲンカをしたりもしたが、彼女は残された時間を知っているかのように身の回りを片付け、子供達の喪服まで買いそろえ、公共料金の支払いの口座からネットフリックスの解約のことまで事細かに「パパへの申し送り」として書きまとめていた。

良き医者にも恵まれ自宅療養を選んだ妻。ちょうど夏休みに入って最後の1カ月は寝起きを共にしてやれた。そしてアトリエにベッドを置いて寝たいというので、猛暑の中アトリエを片付けて希望通りにしてやった。ある朝、アトリエからトイレに行くのに少しだけ敷居があってつまずきそうになるので、ベッドをアトリエから隣にあるリビングダイニングへ移動した。しかしその後、妻はトイレに行くことはなかった。

親兄弟だけのささやかな葬式。娘たちは花の好きだった妻をたくさんの花々で飾り、妻の好きだった曲をブルートゥースで流した。私は何も棺の中に入れてやるものを思いつかないでいたが、その朝探して見つけたつゆ草の青い花を入れてやった。

葬儀の前夜。にぎやかにお酒を飲みながら、思い出話をしているときのことだ。長女が話し始めた。「パパのどこが好きなの? あんなクソジジイなのにって聞いたの」。すると妻は答えたそうだ。「いろんなことがあるけど、パパの絵を見ると許せるの。ママはパパの絵が大好きなの」。

その言葉を聞いた瞬間、涙があふれてきた。芸大の同級生であった妻は、私の絵について今まで一言も口を出したことはない。すぐそばでずっと見ていただけ。これまでの不甲斐(ふがい)ない人生がこの瞬間に報われた気がした。絵を描いていいんだと思った。人生最高の宝物となったこの言葉を胸に。

白犬「ハク」と、妻と行った場所へ

葬儀の後、あんなに玄関にあふれていた靴も一足また一足となくなり、静かな日常に戻った。

私は早々に、段ボールで組み立てられたチープな祭壇を燃えるゴミに出して、簡素な木製の丸いテーブルに淡い花柄の布を掛けて妻の遺骨を置いてやった。布は最近長女夫妻が移った高円寺の新居を訪れたときに、車椅子で入った雑貨屋で見つけたもの。葬儀の時に使った大き過ぎる遺影も片付けて、次女が鉛筆で描いた小さな妻の絵を飾った。

妻が残していった大きなコーヒーの木。花が見たいと言うので、2カ月ほど前に買ったものだ。子供たちにも分けてやりたいと挿し木をするのを手伝った。その1ダースほどの小さな鉢に、ある日異変が起きた。一斉に白い花が咲き始めたのだ。

「ママ、コーヒーの花が咲いてる!」。小さな白い花を鼻に持っていき、「いい香り」と妻は満足そうだった。これを奇跡とみるか、たまたま開花の時期だったとみるかはどうでもよい。ともかく妻の願いはこうしてかなった。

それからもうひとつ。というかもう1匹。妻の希望で飼い始めた白い犬「ハク」。今となっては唯一の話し相手。車嫌いのこの犬をなんとか助手席に乗せて出かけてみようと思う。妻と行った場所へ。行けなかったところへ。ありがとう。本当に素晴らしい女性に出会えて幸せでした。(画家)

上り坂の市と下り坂の県のおはなし 《吾妻カガミ》139

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】つくばの市民有志から「市内に県立高校を新設してほしい」「県営洞峰公園内に宿泊施設はいらない」との声が出ています。しかし、いずれの要望にも茨城県の対応は冷たく、市民有志と県の間のズレが目立っています。その原因は「上り坂」にある市と「下り坂」にある県の違いにあるようです。今回はそのおはなし。

県立高設立要望vs県立高整理整頓

県立高問題については、118「…学園都市は公立高の過疎地」(2021年10月18日掲載)で触れました。要望のポイントは、▽つくば市は人口が増えているのに市内の県立全日制高が減っている、▽このため市外の県立高や私立高に行かざるを得ない、▽平均的な生徒が通える県立高を近くにつくってほしい―ということです。

これに対し県は、県全体の人口減(下り坂の主因)や少子化を踏まえ、県立高を整理整頓しているのに、つくば市を例外扱いにできない―との考えです。新設など問題外で、せいぜい学級増で対応するスタンスと聞きます。TX効果(上り坂の主因)でつくば市は人口が増えていますから、県の教育インフラ抑制方針を適用するのはおかしな話です。

県立公園で稼ぐvs公園は散歩の場

洞峰公園問題については、134「県営の洞峰公園…市が買い取ったら?」(6月6日掲載)で取り上げました。こちらを仕掛けたのは県で、▽学園都市の代表的な公園の管理を民間にまかせ、▽そこに宿泊&BBQ施設をつくって管理会社に稼いでもらい、▽その上がりで公園整備費をまかないたい(できるだけ税金を使いたくない)―といった計画です。

これに有志市民が反発。宿泊施設が建つと酔っ払いで夜の散歩が不快になる、BBQ施設ができたらその煙や臭いで散歩が不快になる―と反対。計画取り止め(公園の現状維持)を県に求めています。

要は、県営公園を使って、県の魅力度アップ=新しい遊び場づくり=を図り、同時に少しでも稼ぎたい「貧しい」県と、つくば市には公園らしい公園が必要と考える「豊かな」市民の対立です。県は当初計画を修正はするものの、基本構想は変えないようですから、有志市民とのズレは埋まりそうにありません。

つくば市は県から「独立」したら?

私は、これら問題の解決は難しいと思い、上記2コラムで2つの提案をしました。県立高問題は、県を当てにせずに市立高をつくり、つくば市が自分で解決したらどうか―と。また、洞峰公園問題は、公園を買い取って市営公園にして、現状のまま市民に供したらどうか―と。県と市の置かれている状況と方向が違うのだから、市は県から「独立」したら?ということです。

つくば市は、市民有志の要望を踏まえ、ペーパーにして県に出しています。しかし、県立高校問題の解決、洞峰公園の現状維持には、書類を運ぶ仕事ではなく、独自のアクションが必要ではないでしょうか。(経済ジャーナリスト)

洞峰公園の3角決斗 《映画探偵団》58

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【コラム・冠木新市】つくば市の洞峰公園野球場の青いベンチで考えごとするのが好きだ。円形の球場を眺めていると、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(1967)を思い出すからだ。

『続・夕陽のガンマン』のLV・クリーフ

「善い奴、悪い奴、汚い奴」の原題を持つこの作品は、米国の南北戦争時代、墓地に埋まった20万ドルをめぐる、ブロンディ(クリント・イーストウッド)、テュコ(イ一ライ・ウォラック)、セテンサ(リ一・ヴァン・クリーフ)の争いを描いている。

ラストは、5000の墓標に囲まれた円形の中央広場での3角決斗だ。カラスの鳴き声のなか、3人はそれぞれ敵となる2人をにらみながら決定的瞬間を待つ。

7月31日(日)午後、茨城県主催の「洞峰公園パ一クPFI事業に関する説明会」が洞峰公園体育館で開かれ、これに参加した 。会場は満員で、椅子を30席追加するほどだった。県は改修事業を進める前提での説明に終始した。

質疑応答では、県のグランピング計画などに期待する人は2人だけだった。4000名の署名を集め、地域参加型の整備計画を進めようとするグループが発言した。しかし、県の計画に反対なのか、進め方に異議を唱えているのか、紛らわしい感じを受けた。

圧倒的に多かったのは、計画白紙撤回を訴えるグループだった。「何でも反対の市民活動か」と皮肉る人がいるかもしれないが、私には素朴な人たちに見えた。

私の提案:市が公園を購入or運営費を負担

4時間半ぐらいかかり出席者も半数ぐらいに減ったところで、私も提案というかたちで発言した。

県の目的は、にぎわいをつくり出し、利益を上げ、修繕・運営費用をひねり出すことにある。公園を30年間観察してきたが、来園者は年々増加、特に新型コロナ禍でどっと増えた。にぎわいはもう充分である。

しかし、修繕・運営費で悩む県の立場は理解できる。それなら、県は洞峰公園を手放し、つくば市に買ってもらったらどうか。それがダメなら、修繕・運営費を市に肩代わりしてもらったらどうかと話をした。

県が計画を強行すれば、県とつくば市民の間に亀裂が残る。それでは、「茨城県 魅力度最下位」をさらにアピールするようなものだ。

計画反対側が強く訴えても、洞峰公園を知らない県民は、つくば市民の自分勝手としか思わないだろう。

では問題を解決する方法はないのか。つくば市が洞峰公園を購入するか、修繕費と運営費を肩代わりすればよいのだ。それを「バカなこと言うな」というなら、決斗で決めるしかない。

「善い奴亅「悪い奴亅「汚い奴亅

こういったことを青いベンチで考えていたのだが、3週間以上ベンチにこびりついたカラスのフンを見て、この件に関して市議と県議の発言が少ないことに気がついた。12月の県議選挙が近くなったら、何か発言が出てくるのかもしれない。

この問題で「善い奴亅「悪い奴亅「汚い奴亅に当てはまるのは誰だろうかと思いをはせ、ベンチを離れた。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

茨城県は「賢い財政支出」を 《地方創生を考える》24

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ダイアモンド筑波

【コラム・中尾隆友】日本経済が長期低迷から抜け出せないのは、潜在成長率が過去30年にわたって低下し続けているからだ。潜在成長率というのは、経済的に持続可能な成長率のことを指しており、その国の長期的な経済の実力と言い換えることができる。

政治の不作為が日本を没落させた

日本の潜在成長率はバブル末期の1990年に4%程度と高かったが、2000年代には1%を割り込み、2010年代には0.5%まで低下した。日銀の最新の推計では0.2%まで落ち込んでおり、このままでは2020年代にマイナスになるのではないかと危惧されている。

潜在成長率が低下の一途をたどってきた背景には、人口減少や少子高齢化によるマイナス面が非常に大きいのに加えて、生産性が一向に伸びてこなかったという要因がある。

これは、政治の不作為によるものだ。バブル崩壊後に、国や自治体は景気を下支えするために一時しのぎの公共工事を繰り返してきただけで、それらの政策は潜在成長率を高めることにはほとんど寄与してこなかったからだ。

過剰なインフラ大国・日本

国土交通省や総務省の推計によれば、全国のインフラの維持管理・更新費は現時点で5兆円を優に超える。当然のことながら、20年後、30年後にはこの費用は膨らんでいく。最大で12兆円に拡大する見込みだ。

インフラの更新だけでも困難なのは明白であるため、国土交通省は自治体に対してインフラの取捨選択を促している。しかし、しがらみが多い自治体ほどその動きは逆行する傾向が強い。

インフラの総量を示す公的固定資本ストックは、日本がGDP比で126%であるのに対して、米国が61%、ドイツが45%にすぎない。私たちの子どもの世代のことを考えれば、「新しい道路をつくろう」とか「鉄道を延伸しよう」とか、無責任で愚かな考えは出てこないはずだ。

やるべきことは極めてシンプル

人口減少という大きな足枷(かせ)があるなかで、潜在成長率を引き上げようとしたら、1人当たりのGDPを引き上げていくほかない。要するに、働き手1人1人の生産性を向上させるため、恒常的な「人への投資」が必要不可欠になるというわけだ。

やるべきことは、極めてシンプルだ。生産性を高めるためには、国・自治体・企業が協力して「スキル教育(学び直し)」を広く普及させることだ。

日本は人への投資額が官民そろって先進国のなかで最低水準にある。国だけでなく、茨城県にも賢い財政支出を心がけてもらいたいところだ。(経営アドバイザー)

信じる自由と自由ゆえの不安 《遊民通信》46

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【コラム・田口哲郎】
前略

つくばの公園を歩いていて、日々うつくしい景色にいやされています。ふと道ばたに転がっている石に目がとまりました。福沢諭吉の幼い頃に石ころにまつわる興味深い話があります。諭吉少年の村には神社があり、村人は小さな社(やしろ)を熱心に拝んでいました。その中には神様がいるから、小さな扉は絶対に開けてはいけない。開けたら天罰がくだると教えられていました。

でも、好奇心の強い諭吉は扉を開けます。そこにあったのは小さな石ころです。諭吉は拍子抜けして、その石ころを投げ捨て、その辺の石ころとすり替えました。天罰がくだるかビクビクしていたけれども、結局何も起こらなかった。石ころに神さまが宿るなんてウソだと思った、という話です。

注目したいポイントは、村人と諭吉が石ころから読み取る情報が違うことです。村人は石ころから神さまを、諭吉は石ころから石ころを読み取ります。それぞれが石ころにふたつの情報を与えています。このふたつの情報は要するに、宗教と自然科学です。

諭吉の時代は村や集落単位で宗教が決まっていたけれども、現在信じるも信じないも、個人の自由です。自由は良いことです。でも、自由だからこその不安というものもあります。昔はがっちり個人がはめ込まれていた共同体が行なっていた心のケアが、古い体制から個人が解放されたと同時に無くなってしまったケースが多いです。だからこそ宗教が必要だとは言いません。必要かどうかは個人の自由です。

でも、必要な場合に、必要としている人に適切なケアがゆき届くことは必要だと思います。とくに、地縁と血縁がなく、都会の新興住宅地で孤独に暮らしている人々にはそうでしょう。

パーソナルな新しい宗教が必要とされている

特定の宗教を信仰はしていないけれども、神や超越的な存在を信じて、個人的な精神的世界を育んでいる人たちがいます。スピリチュアリティーと呼ばれる新しい宗教現象とみなされるものです。今までの宗教におさまりきらない宗教的なものを広く指す言葉です。オカルトなども含まれます。このスピリチュアリティーは今までも広まってきていて、今後も広がると予想されています。

福澤諭吉の時代のように、これから国を発展させようという雰囲気のなかでは、宗教よりも自然科学を信じることのほうが有益だったのかもしれません。でも、国がある程度発展して、物質的に豊かになり、信教の自由が保障されている現在、自然科学と同じくらいにスピリチュアリティーのような広い意味での宗教が必要とされているのかもしれません。

何度も言いますが、何かを信じることは個人の自由です。ただし、この自由は常にすべての人々を幸福にするものであってほしいと思います。大勢をひとまとめに救うのも大切なことですが、ひとりひとりを大切にするていねいな救いが今の時代は求められているのかもしれませんね。ごきげんよう。

草々
(散歩好きの文明批評家)

予科練平和記念館 《日本一の湖のほとりにある街の話》2

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予科練平和記念館=阿見町廻戸

【コラム・若田部哲】第1次世界大戦以降、戦略上、航空機の重要性が増すにつれ、多くのパイロットが必要となりました。そこで、より若いうちから育成することで、優秀な人材を養成しようとしたのが飛行予科練習部、通称「予科練」です。発足当初、全国から集められた14~17歳の優秀な少年たちに飛行の基礎訓練が行われました。

土浦市の隣、阿見町には、大正末期に霞ケ浦航空隊が設置されており、昭和14年(1939)に神奈川県横須賀市から、この予科練が移設されました。こうして軍事上の一大拠点となった同町の歴史を伝えるべく建設されたのが、今回ご紹介する「予科練平和記念館」。同館学芸員の豊崎尚也さんにお話を伺いました。

館内は「予科練」の代名詞であり、少年たちの憧れであった制服「7つボタン」にちなみ、7つの展示室により構成されています。

壁面の集合体で構成された館内は、至る所から空が見える印象的な空間となっているのですが、これはかつて予科練生たちが憧れ、昔も今も変わらない「空」を見せることにより、今日の平和について想いを巡らせてほしい、との設計意図だとのこと。この特徴的な空間の各所に、昭和を代表する写真家・土門拳による写真が配置され、厳しい訓練の様子や、つかの間の休息時のあどけない表情など、予科練生の日常を浮かび上がらせています。

「入隊」から「特攻」までで構成された7つの展示室では、入隊に当たっての少年たちの心情や、予科練での厳しい訓練の様子、訓練の合間のつかの間の憩いのひと時、そして予科練を卒業し、さらに厳しい本格的な飛行訓練へと移行していく様子が展示されます。

若い訓練生の8割が戦死

ところで、兵隊というと屈強の体格を想像してしまいますが、ここに集っていたのは少年たち。合格に達する体格の基準は150センチ後半程度だったとのことで、実際の教室を再現した教室の椅子や机の小ぶりさからも、年端もいかぬ子供たちであったことが実感され、胸が締め付けられます。

展示は、進行とともに緊迫の度合いを高め、終戦の年、昭和20年(1945)6月に起こった「阿見・土浦大空襲」を再現する展示を経て、最後の展示「特攻」へ至ります。暗い室内の壁面に、予科練生の命を示す小さな灯(あか)りが無数にともり、特攻の映像が流れます。映像が進むごとに減ってゆく灯り。予科練生を経て戦地へ赴いた2万4千人のうち、約8割の1万9千人が特攻などによりその命を落としました。

「1万9千人」。文字にすればたった5文字ですが、その1人1人に愛する人や、夢見た未来があったでしょう。全ての灯りが消え、室内が闇に閉ざされると、悲しみや虚無感とともに、言い知れぬ怒りが湧いてきます。

「戦争は、決して遠い昔の話ではない。70数年前に戦争を経験した方々がおり、その時代があって今という平和な時代がある。そのことに、展示を通して思いをはせてほしい」。豊崎さんはそう語ります。終戦の夏。少しでも多くの人に、この展示が語るメッセージに触れてほしいと思います。(土浦市職員)

「老後」がなくなる「人生100年時代」 《ハチドリ暮らし》16

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畑のナス

【コラム・山口京子】数年前までは、「人生100年時代」というフレーズを大げさに感じていました。ですが、両親を見ていて、100歳まで生きるかもしれないと思うこの頃です。病気をして心配したり、回復して食欲も出てきてほっとしたり。そうなればそうなったで、これからのことが気にかかります。本人たちは、「おまえにまかせた」状態です。今回は、お金の管理、施設や病院とのやり取り、行政から届く書類の手続きなどのあれこれ。

父は家で介護してほしかったのでしょうが、話し合った末、施設に入ってもらいました。母の方は、生活の自律度を見ると、もう数年は家で暮らせると思います。

両親の収入は公的年金のみです。これまでの蓄えと合わせて、おおまかなキャッシュフローを作りました。現在の状況が続くと仮定したものと、母も施設に入ると仮定したものとでは、大きく収支が違ってきます。状況の変化をふまえて見直しながら、妹たちと話し合っていくつもりです。

親のこれからを考えつつ、自分たちのことも気になります。これからの人生100年時代は、老後が長くなるのではなく、老後という概念がなくなり、定年という言葉も死語になっていくのでしょう。そもそも、一つの会社に生涯勤め続けることが現実的ではない状況が広がっています。子どもたちを見ていると、そうした状況をシビアに察知しているようです。

私たちの世代は定年があり、退職金を出す企業も多くありました。定年後のプランは退職金とそれまでの蓄え、公的年金あるいは私的年金を利用してどうにかなりました。でも、そういうプランは崩れつつあります。

『お金』はなぜ格差と分断を生むのか?

では、どういうプランを立てれば、自分の願う暮らしができるのか。「自分の願う暮らし」として、どんな生活をイメージするかは千差万別でしょう。まずは自分の願う暮らしをイメージして、その実現に向けて、できることをしていくことでしょう。自分のことでありながら、自分の手に負えないことです。

そういうことを考えていて、ある講座に出会いました。テーマは「『モモ』で読み解く知識ゼロからの経済学入門 『お金』はなぜ格差と分断を生むのか」です。ミヒャエル・エンデの「モモ」の物語をテキストにして、お金について考える内容です。

お金に振り回されない暮らしをしたいと思っていますが、お金そのものについてきちんと考えたことがありませんでした。講座のサブタイトル「お金はなぜ格差と分断を生むのか」も、今の私には奇妙なフレーズに思えます。その答えが、これからの講座で見えてくるのでしょう。楽しみなオンライン講座です。

前回コラム(7月13日掲載)で取り上げた、スイカだと思った苗は冬瓜(とうがん)だと判明しました。大きく育った実を、味噌汁や餡かけにしておいしくいただいています。ナスやミカンの実も育っています。(消費生活アドバイザー)

シンプル イズ ベスト? 《続・平熱日記》115

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【コラム・斉藤裕之】わけあってこの猛暑の中、アトリエの大掃除をすることになった。学生時代からの習作や、いつか出番があるだろうと思って集めたガラクタなどを思い切って処分することにした。市の焼却場に軽トラで何度か往復して、捨てるに忍びないものは知り合いの骨董(こっとう)店にトラックで持っていってもらった。

ちょうどこの7月でこの家に住み始めて20年になる。20年間、家族の足の裏でこすられた1階の杉の床は、夏目と呼ばれる年輪の柔らかいところが削られて冬目の硬いところだけが残って、凸凹になっていて妙に足触りが心地よい。夏涼しく冬暖かいとても住みよい家だと思うのだが、それには少しコツがあって、戸の開け閉めやエアコンの入れ方、ストーブのことなど、大げさに言えば家の中の環境への理解と手間が必要なのである。

2人の娘も家を出てこの家には帰って来るまい。だから将来は人に貸すなり売るなりしなければと思うのだが、少し変わった家なので、この際「斉藤邸取説」でも、を書き残しておこうか。

さて20年分のホコリを払って、広々としたアトリエの床に布団を敷いて寝てみることにした。見上げると、20年前に故郷山口で弟が刻んだ梁(はり)や柱がたくましく見える。昔ながらの複雑な継手も、20年の間にやっとしっかりと組み合わさって落ち着いたように見える。特に2階の柱を支えくれている地松(じまつ)の梁は、自然な曲線が力強くカッコいい。

それから、2階の床になっている踏み天井。こちらは200枚だか300枚だか忘れてしまったが、ホームセンターで買ってきたツーバイ材全てに、「やといざね」といういわば連結するための溝を電動工具で彫ったことを今でも思い出す。酷使した右手は、朝起きると硬直して箸も握れなかったっけ。

「いい景色だなあ。木の色がきれいだなあ。このぐらいの広さの住まいがちょうどいいのかもなあ」。20年目にして改めて見入ってしまった。

「捨てる? 捨てない?」

「シンプルとミニマルの違いが分かりますか?」。フランス政府の給費生の試験で、試験官の中のある高名な美術家に質問された。その時は適当な理屈をこねて、その場をしのいだ。その後この命題はたまに頭をよぎることがあったが、布団に寝転がって、薄暗い明かりの中に浮かび上がるアトリエの美しい風景を眺めながら、今なら少しは気の利いた答えができるかもしれないと思った。

「もう少し色とか工夫をしてみたら」とアドバイスすると、「シンプル イズ ベストですよ!」と、あっけらかんと答える今の子供たち。シンプルのイメージは人それぞれ。シンプルがベストかどうかはさておき、アトリエの片付けも、もうひと頑張りしなければならない。

差し当たって、2台ある作業台をどうするか。「捨てる? 捨てない?」。心の葛藤と大量の汗はもうしばらく続きそうだ。(画家)

「真実が知りたい!」 赤木雅子さんが水戸で訴え 《邑から日本を見る》117

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赤木雅子さんのオンライン講演会

【コラム・先﨑千尋】森友学園問題に関する公文書改ざんを強いられ、それを苦に自死した元財務省近畿財務局職員の赤木俊夫さんの妻、雅子さんらの講演会が7月30日、水戸駅前の駿優教育会館で開かれた。この講演会は、旧動力炉・核燃料開発事業団(動燃、現日本原子力研究開発機構)の元職員6人が同機構に損害賠償を求めている訴訟で、原告を支援する団体が主催したもの。

雅子さんは、夫が自死した真相解明を求めて、国と、改ざんを指示したとされる元財務省理財局長の佐川宣寿氏を訴えてきた。この日は、雅子さんの裁判などを支援してきているジャーナリストで元NHK記者の相澤冬樹さんと対話する形で、別室からのオンラインで登壇した。私はそれを会場で聞いた。

雅子さんが起こした2つの裁判のうち、国は、昨年12月に雅子さんの賠償請求を全面的に認める「認諾」の手続を取り、改ざんが行われた経過などは不明のまま、いわば「肩透かし」の手法で国に対する請求を終結させた。残る佐川氏への訴訟は、氏への尋問は行わずに7月27日に大阪地裁で結審し、11月25日に判決が下される。

雅子さんはこの日、佐川氏に2度手紙を書いたが返事はなく、法廷にも姿を見せなかったことを非難し、「私は、夫がなぜ改ざんさせられたのかを知りたいから裁判を起こした。法廷で佐川さんにそのことを証言してもらいたかった。しかし佐川さんは姿を見せなかった。あまりにも悔しい。夫は日頃、公務員は権力を握っている人のためにではなく、国民のために仕事をするのだと言っていた。佐川さんは誇りを持って仕事をしてきたのか。佐川さんが本当のことをしゃべらない限り、私は幸せになれない」と怒りをあらわにした。

国、無慈悲、無機質な組織

この雅子さんの話を聞いて、相澤さんは「佐川さんはこの事件に関わったので、もうエラくなれない。ホントのことを話した方が、気持ちが楽になれるはずだ。ホントのことを話せない佐川さんはかわいそう。哀れだ」と語った。

さらに相澤さんは、7月27日の大阪地裁での雅子さんの尋問の様子を紹介した。その中で雅子さんは、尋問の最後に「参院選の街頭演説中に銃撃を受け死去した安倍晋三元首相の国会答弁がこの改ざんのきっかけになった。黒い疑惑のまま国葬にされるのは安倍さん本人も望んでいないと思う。安倍さん、昭恵さん、佐川さん、そして裁判長、私は真実が知りたい」と述べたという。閉廷後、傍聴席からは拍手が送られたそうだ。

相澤さんは安倍氏の死にも触れ、「死者を悼む。だが、この事件は、忘れられていた旧統一教会と政治家の関係を表に出した。それはよかったことだ」と話したことが印象に残った。

雅子さんと相澤さんのやり取りを聞いていて、本来は国民のためにあるべき国という機関は、結局は無慈悲、無機質で、血の通わない組織にすぎないのだと思った。安倍さんだって佐川さんだって、血が通っている人間であるはずなのに、非情にも雅子さんの声を聞こうとはしない。それはなぜなのか、私にはわからない。(元瓜連町長)

目抜き通りをご存じか 土浦キララまつりの夏《土着通信部》53

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【コラム・相澤冬樹】7月30日に始まった「土浦キララまつり」は8月7日まで続く。新型コロナウイルス「第7波」の急速拡大と歩調を合わせるようなタイミングとなってしまったが、何とかやり切れてしまいそうな雲行きである。

3年ぶりの本格開催。人出があっても、なくても、告知を担った媒体としては結果が気になるイベントで、2度目の週末となった6日、土浦の「まちなか」を訪ねてみた。暑さが幾分やわらいだこともあって、会場周辺には「密」にはならない程度の人出が繰り出していた。若者や家族連れが目立ち、途中出会った商工会議所の顔見知りは「パレードがないのは寂しいけれど、賑わいが少しは戻った感じでうれしい」と上気した表情で語った。

キララまつりは従来、土浦駅前通りを歩行者天国にして、市内の各種団体が隊列を組んで練り歩く七夕踊りパレードがメーンイベントだったが、今季は新型コロナ感染対策から実施を見送った。代わって亀城モールからモール505にかけ、飲食や雑貨などの露店ブースが立ち並ぶマルシェスタイルが集客の核となった。

失われた名前を探す

告知の段階では、この会場の説明に頭を悩ませた。亀城モールというのは、桜橋交差点の中央2丁目側から土浦駅方向に向かい、川口1丁目でモール505に接する、メーンストリート沿いの遊歩道。普段は小公園と歩道の組み合わさったオープンな空間になっている。土浦市の事業で、21年度に整備が完了したが、中央2丁目側がキララまつりで使われるのは今回が初めてだ。

古い土浦市民には「旧祇園町」という方が、川口側の街区との接続を含め説明がしやすいのだが、1974年に行われた住居表示で祇園町の名はとうになくなっている。

中央1、2丁目をまたぐ桜橋交差点は昔、橋がかかっていた名残りで、亀城(土浦城址)から川口川が流れ出し、霞ケ浦水運と結んだ河岸(かし)になっていた。この川を、暗きょにして上に2階建てのマーケットが作られ、祇園町が出来たというのは、さらに戦前に遡る昔話である。

そういえば、踊りパレードが行われていた際には、その会場名は「目抜き通り」になっていた。かつて告知記事を書いた時、シャッター通りには似合わないから「駅前通り」と表記させてくれと頼んだことがある。

当時の商工会議所関係者は「なあに、今どきの人は目抜き通りの意味はご存じないでしょう」と平然と言ったものだ。確かに「生き馬の目を抜く」という語源も、その意味するところも現代では通じにくいとは言える。

さらに今回のマルシェを主催した「本町通り商店会」はかつて、「本町銀座通り」といっていた。本町も1974年の住居表示で中央2丁目に組み入れられたが、商工会議所近くの道路上を横断していた「本町銀座通り」のアーチはしばらく残ったはずだった。地元の顔見知りに聞いてみたが、「さあ、銀座の看板を下ろしたのはいつだったか」。遠い記憶になっていた。

まちなかの「楽しい!」を探す夏ーと銘打った今回のキララまつり。熱気と密に満ちた往時の七夕まつりの残像をたどりながら、ひとり忘れられた通り名を探す、夏のお出かけとなった。(ブロガー)

なんでひどいことをするの?《続・気軽にSOS》114

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【コラム・浅井和幸】人(Bさん)との行き違いで傷つき、相談に来られる方(Aさん)がいます。Aさんは、Bさんのこれまでの言動の説明をして、「こんなひどいことが人としてできるはずがない。どうしてBさんは、こんなことをするのか?」という質問をします。

無知で世間知らずの私は、「Bさんの行動理由で考えられるのは、〇〇と〇〇。環境的にこのようなことがあるとか、Aさんとのコミュニケーションのパターンから、〇〇も考えられますね」と、想像できるBさんの言動の理由をお伝えします。

Aさんと私の関係性がそれほどではない場合、こういったBさんが取る行動の理由の説明について、かなり高い確率で、Aさんは憤慨されます。「悪いやつ」に行動理由などはなく、悪い人間だから、ひどいことができるというのが、一般的な考え方です。こういった説明をすると、「理由があれば悪いことをしてもよいのか」と思ってしまうものです。

「悪い人間の気持ちなんて理解したくない」という言葉に、違和感を覚える人は少ないでしょう。理解すべきは「良い人間」の気持ちであって、「悪い人間」の気持ちなど理解してはいけないと考える人も多くいるはずです。敵と思われる人の理由なんて知りたくないもので、必要なのは「良い人間である自分」を受け入れてくれる人となります。

問題解決は、解決していない今の所とは別の所に行くことです。別の所に行くことは、また、別のストレスがあるかもしれないという不安が生じます。実際に、今よりも良い所に移ることはストレスになるものです(うれしいと感じていても、昇進やマイホーム購入も大きなストレスになります)。

苦しく、余裕がないときは、自分自身が動くのではなく、「悪いもの」を除くことを、意識的、無意識的に考えます。もっと緊急性を感じるときは、その場から逃げる可能性も増えますが、「いっぱいいっぱい」で、自分の変化は受け入れられないし、今持っているものも手放したくないというのは当たり前の感覚ですよね。

疑問を解決したいのか、同意を求めているのか

さて、冒頭の「どうして、ひどいことができるのか?」ですが、この言葉だけを見れば、これは明らかに質問です。しかし、この質問の目的が疑問の解決なのか、同意を求めているのかで、対応を変える必要があります。

しかも、この質問は無意識で、Aさん自身も自覚がない場合もあります。なので、Aさん自身が、相手の行動理由を知りたいと意識していても、無意識で知りたくないと葛藤状態のときは、不用意に回答してしまうと、Aさんをより孤独の状況に追い詰めてしまうので、要注意です。

ストレスが大きすぎる場合は、固まった状態で心身の回復が必要です。今まで「Aさんにとって最適、最高の言動をとってきた」ことと、「とりあえずは問題解決をしない」ことを支援者は頭の片隅に入れておく必要があるでしょう。Aさんに余裕が出てきたら、別の方法を試してみるぐらいの気持ちで、解決策を探る余裕が支援者には求められます。(精神保健福祉士)

ムシたちにも過酷な夏 《くずかごの唄》113

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【コラム・奥井登美子】

「今年の夏はゴキブリが台所に出なかったの、お宅はどうですか?」

「ゴキブリ? そういえばいつもの年より少ないかなあ」

コロナで、図書館でも、スーパーでも、どこへ出かけても体温を測っているけれど、その体温よりも気温が高いなどということは今まであまりなかった。

6月末から7月初め、気温が、人間の体温よりも高い日が何日かあった。我が家の庭の山椒(さんしょ)の木に、毎年たくさんイモムシが発生するが、今年は1匹もいなかった。昆虫の世界も、酷暑で、何か変化しているらしい。

熱中症を起こして救急車で運ばれる人が、がぜん多くなってしまった。我が家では居間にクーラーがなかった。クーラーの大嫌いな亭主が許可してくれなかったのだ。しかし、今年はクーラーがないと熱中症になってしまいそうで、とうとうクーラーをつけてしまった。

何か異変が起こっている

どんぐり山の昆虫観察会は、毎年1回、10数回以上続いている。救急係の私は、2~3日前に、刺されたり、かみつかれたら困る、マムシ君とヤマカガシ君とハチなどの下調査に行く。

昨年はコロナの影響で観察会は急きょ中止になってしまった。今年はコロナの心配をしながらも、断固決行することになった。

下調査でヘビはいなかったけれど、ハチの数がいつもの年よりも少なかった。森に住む黄金虫(ゴキブリの仲間たち)も見かけなかったが、あまり深く考えなかった。

観察会の当日は、たくさんの子供たちが来てくれてうれしかった。山に入る前にムシ刺されの注意はするが、毎回、何人かの人がムシに刺されてしまう。今年はどういうわけか、刺された人が1人もいなかった。虫たちも少なくて、しかも、何か元気がなかった。

憧れの国蝶(ちょう)オオムラサキもいなかった。人間は虫たちにも無視されてしまった。酷暑の地獄。人間の世界にも、虫の世界にも、何か異変が起こっている。(随筆家、薬剤師)

痛みのおはなし《ことばのおはなし》48

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【コラム・山口絹記】この1年と半年ほど、しつこい肩こりに悩まされている。「痛い」のかと問われると、痛いというよりは、重いとかだるい、という方が近い。「耐えられないほどなのか」と問われると、まぁそれほどではない。思い返せば、母はひどい肩こり持ちで、肩こりからくる頭痛で寝込んでいることもあった。そんなものに比べれば、私の肩こりなどきっと軽いものなのだろう。

とはいえ、つらいものはつらい。痛みや苦しみなどというものは、どこまでも主観的なものなので、他人の痛みと比べて自分の痛みが軽いから楽になれる、なんてことは当然ないし、自分がどれだけ苦しんでいても、それを見た他者の苦しみが軽くなることもない。だから、むやみに苦しみを訴えないようにしている。

一方で、もともと、肩こりとは無縁の人生だったこともあり、肩こりに悩む人に出会っても、「ああ、大変だなぁ」程度にしか感じてこなかった私も、すっかり共感できるようになった。なってしまった。一緒になって「つらいよね」と言い合っても、肩こりがやわらぐことはないのだけど、ふとした拍子に寄り添えるというのは、これはこれで悪いことではないように思う。まったく難しいなあ、と思う。

苦痛を正確に伝えられない

2カ月ほど前から、ついに鍼灸(しんきゅう)院に通うようになった。自分的には最後の手段、という感じである。つらさは一進一退だが、それでも毎回親身になってくれる鍼灸師さんと、痛みの原因について話し合いながら、日々の生活を改善するようになった。

それにしても、痛みをことばで伝えるというのはなんと難しいことだろう。今までも、海外生活のなかで、自分の痛みや病気などの症状を第2言語で伝えることの難しさは味わったことはある。しかし、もっともっと繊細な意味で、そもそも「重い」とか、「だるい」というのはどういうことなのかと改めて考えてみると、「重いもんは重い」「だるいと言ったらだるい」以上の説明ができなかったりするのだ。

鍼灸師さんもプロなので、自分の感じる苦痛を正確に伝えられなかったとしても、治療に大きな影響はないのだろう。それでも、なんとなく通じてないな、と感じるときに覚えるのは孤独感で、つまるところ痛みというのは自分だけのものなのだなあと、しみじみ感じ入ってしまうのだ。(言語研究者)

「カスイチ」ショートコースを走った 《夢実行人》11

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秋元コラム

【コラム・秋元昭臣】最近、「カスイチ」(霞ケ浦一周サイクリングコース、130キロ)のショートコース(霞ケ浦大橋で横断、90キロ)を左廻りで走ってきました。午前6時、JR土浦駅に近い霞ケ浦・土浦港区域にある「りんりんポート土浦」(サイクリスト向けの駐車場や自転車メンテナンス場が整備されている)を出発。

余談ですが、JR常磐線の土浦駅ビルには、サイクリスト向けショップのほか、自転車持ち込みOKの喫茶店やホテルがあります。また、駅東口(霞ケ浦口)の「サイクルステーション」には、自転車組み立て用の場所も用意されています。

走路上に描かれた矢羽根に誘導され、間もなく「霞ケ浦総合公園」に。この公園には温浴施設、淡水魚博物館、霞ケ浦を一望できる風車などがあり、ここからの出発もOK。阿見坂下信号を左折。施設を迂回して湖岸道路に入ると、「予科練平和記念館」。少し先の「旧鹿島海軍航空隊大山スロープ」はウインドサーフィンのメッカです。

江戸崎入り江の「古渡橋コンビニ」を通過して、次の休憩所は浮島。昔は、遠浅の水泳場にバンガローが並び、霞ケ浦の遊覧船「さつき丸」で遊びに来る子どもたちでにぎわいました。今は、春に開かれる「チューリップ祭り」が人気。

「自転車も乗れる」遊覧船・アイリス号

稲敷大橋を越えて左折。一般道を横断して潮来大橋を渡ると、JR鹿島線潮来駅に。近くにある「潮来観光協会」では、レンタルしてきた自転車の乗り捨てもOK。日曜日、駅前では、地場の野菜や果物を販売する朝市が開かれます。

潮来駅から川沿いに戻り、「北斎遊学館」を通過。北利根橋をくぐり、10キロほど走ると、「麻生温泉白帆の湯」。近くの「天王崎交流センター」には売店や喫茶室も。湖岸の養魚場からは、コイ、フナ、ウナギ、ナマズ、金魚などが出荷されます。

霞ケ浦大橋手前の「霞ケ浦ふれあいランド」には地元・行方市の土産品も。大橋で湖を横断すると、間もなく「歩崎公園」。一画には「かすみがうら交流センター」があり、近くには「水族館」や「歴史博物館」も。多目的浮桟橋からは「自転車も乗れる」遊覧船・アイリス号が発着します。

土浦に向かうコースの右方高台にあるのは「茨城県霞ケ浦環境科学センター」。終点目前の新港橋を渡り、「りんりんポート土浦」に戻りました。(元ラクスマリーナ専務)

情報戦争とオシント 《雑記録》38

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【コラム・瀧田薫】7月16日付の毎日新聞に、「本社オシント新時代取材班がPEP・ジャーナリズム大賞を受賞」との記事が掲載された。「PEP」とは、「Policy Entrepreneur’s Platform」の略称で、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブが立ち上げた日本発の政策起業家コミュニティーである。

そのホームページには、専門性、現場知、新視点をもって課題を発掘・検証する活動を支援し、公共政策プロセスへの国民1人1人の参画を促し、政策本位の政治熟議を生み出すことを目指すとある。

「オシント新時代取材班」の受賞理由は、オシントの技術を駆使して、報道内容の精度を高めたことと、フェイク・ニュースの欺瞞(ぎまん)性を積極的に暴こうとする「報道姿勢」にある。たとえば、ロシアと中国におけるサプライチェーンの動態を取材した「隠れ株主『中国』を可視化せよ AI駆使し10次取引先までチェック」(2021年12月)や「ロシア政府系メディア、ヤフー・コメント改ざん転載か 専門家工作の一環」(2022年1月)といった特集記事が高く評価された。

ところで、オシントとは「open-source intelligence」の略語であり、公開情報を検証する情報分析手法である。

2013年に、シリア政府軍による化学兵器使用疑惑が持ち上がったとき、1人のネットウォッチャーが攻撃の日に撮影された映像や画像をネット上で収集・検証し、どのような兵器がどこから来たかを突き止めた。兵器の正体は神経ガス・サリンを搭載できるソ連製M14型ロケットであること、さらに、ロケットがシリア軍の施設の方角から発射されたことまで明らかにした。これがオシントの事実上のデビューである。

「ベリングキャット」の衝撃

その後、このネットウォッチャーが立ち上げた独立系調査グループ「ベリングキャット」はウクライナ上空で撃墜されたマレーシア航空17便の事故を解明するなど実績を積み、最近はオシントの講座を開くなどの普及活動も展開している。

今回表彰された毎日新聞「オシント新時代取材班」のキャップ・八田浩輔氏もこの講習に参加し、そのときの体験を新聞紙上で紹介している(「ベリングキャットの衝撃」毎日新聞2020年2月6日付)。また、ベリングキャットの創始者E・ヒギンズ氏自身もオシントの現状を紹介している(『ウクライナ危機後の世界』宝島社新書)。

この書によると、ベリングキャットはロシアのウクライナ侵攻を調査中で、すでに多くの証拠がアーカイブ化されているという。将来、これがウクライナ紛争のアカウンタビリティ(説明責任)を果たすことになるだろう。

今後、AIを導入するなどして、オシントの存在感がさらに高まっていくものと期待される。旧来のジャーナリズムがオシントを取り込んで自らをどのように変えていくのか、また変えていけるのかどうか、見極める段階に来ているように思う。(茨城キリスト教大学名誉教授)

つくば市長に見られる 民主主義の劣化 《吾妻カガミ》138

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【コラム・坂本栄】五十嵐つくば市長リコール署名運動(~8月10日)が進行中です。前回の137「つくば市長の宿痾…」(7月18日掲載)では、同運動の主唱者が問題視する「運動公園用地売却手順の違法性」を検証、「(市長は)民主主義の基本を軽んじ、市政運営の『金看板』を自ら降ろした」と指摘しました。今回も、五十嵐市政に多見される「民主主義の劣化」について検証します。

リコール運動のリーダー・酒井泉さんは、本サイトの記事「つくば市長に『NO』を突きつける…」(7月13日掲載)の中で、五十嵐市政の「情報統制」「政治宣伝」「大衆迎合」といった手法が「民主主義を壊す」と批判しています。私も本欄で同じことを言ってきましたが、深刻なのは「情報統制」と「大衆迎合」です。

劣化1:市民の市政批判を裁判沙汰で封圧

まず情報統制(メディア・コントロール)の事例。行政者は自分がまとめた政策を批判されるのを嫌がり、批判を封じたいという誘惑に駆られるものです。五十嵐市長も、市政批判を連載したミニ新聞を名誉毀損で訴えるという、絵に描いたような批判封圧の挙に出ました。

そのあらましは、126「…市民提訴 その顛末を検証する」(2月7日掲載)をご覧ください。提訴(2020年11月)→ 裁判所での審理(2021年)→提訴取り下げ(2022年1月)の経緯をまとめてあります。ポイントは、ミニ紙発行人の元市議を名誉毀損で訴えたものの、裁判に勝てそうにないことが分かり、裁判官を挟んだ協議の末、提訴そのものを取り下げるに至った―ということです。お粗末な幕引きでした。

上のコラムでも指摘しましたが、これは「市民の市政批判を萎縮させる」効果を狙った裁判沙汰であり、民主主義の基本である「言論の自由」を抑圧する行為です。市政に長く関わった元市議はこれに激怒。この分野に精通した弁護士に頼んで徹底抗戦。取り下げに追い込みました(事実上、五十嵐市長の自滅)。

訴訟のプロセスで、「言論の自由」抑圧だけでなく、他の「困った行為」も明らかになりました。具体的には、▽法律をよく調べないで1市民を提訴した=行政責任者としての適格性に疑問符、▽取り下げ後、被告市民への謝罪を対面ではなくネット上で済ませた=大人が備えるべき常識に疑問符、▽取り下げの実相を隠そうと図った=政治家としてのメデイア対応に疑問符―などです。

劣化2:退職金辞退というポピュリズム

次に大衆迎合(ポピュリズム)の事例。市長など政治家は票が欲しくて、平均的な投票者に受ける公約を並べたがるものです。それでも、選挙公約は政策中心であるべきです。ところが五十嵐市長は、「市長退職金辞退」という、絵に描いたようなポピュリズム公約を掲げ、2回の市長選に臨みました。

新興国だけでなく先進国でも、大衆迎合が民主政治を壊し、それが権威政治につながると、良識ある政治学者は懸念しています。研究学園都市でポピュリズム公約を掲げた五十嵐市長の鈍感さには、驚くだけでなく、恐怖さえ覚えたものです。121「…つくば市長を追撃」(2021年12月6日掲載)では、県南の市長たちがこの公約に白け、反発したという話を紹介しました。その選挙手法にも疑問符が付いたといえます。(経済ジャーナリスト)

子どもの幽霊が出るらしい《短いおはなし》5

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【ノベル・伊東葎花】

タクシーの運転手をしていると「幽霊を見たことがありますか」などと訊かれることがある。答えは「ノー」だ。私には、霊感というものが全くない。

だから、客待ちの合間に誰かが怪談話を始めても、その輪に入ることはない。

「子どもの霊が出るらしい」

背中越しに聞こえてきた。またかと思いながら缶コーヒーを飲み干した。

夜、坂の手前で子どもが手をあげていて、うっかり乗せたら大変なことになるらしい。

修学旅行の怪談話みたいなひそひそ声で、内容はよくわからなかった。

「おお怖い。深夜に子どもは乗せるな、ということだな」

誰かが身震いしながらそう言って、怪談話はお開きになった。

下り電車が到着して、それぞれのタクシーがロータリーに向かう。

さあ、仕事だ。怪談話を気にする暇などない。

その夜、客を降ろして帰る途中、ライトが人影をとらえた。

ガードレールの切れ目で、手をあげている子どもがいた。

時刻は11時を少し回ったころだ。

てっきり親がいっしょだと思って車を止めた。

ドアを開けると、子どもはひとりで乗ってきた。

「さくら坂霊園までお願いします」

子どもが言った。霊園? この深夜に?

こんな時間に子どもがひとり。どう考えてもおかしい。

そこが、昼間の話に出てきた坂の手前だと気付いたときには遅かった。

昼間の話に出てきた子どもの幽霊だろうか。ちゃんと話を聞けばよかった。

「深夜に子どもは乗せるな」という言葉だけが、耳の奥で渦を巻いた。

しかしもう乗せてしまったものは仕方がない。私は車を発進させた。

後部座席は静まり返っている。バックミラーには何も映らない。

怖くて振り返ることは出来ない。

考えるな。前だけを見て運転しろ。

自分に言い聞かせて、ハンドルを握った。

初めて幽霊を乗せた、それだけのことだ。

霊園に着くと、きっと子どもは消えている。

そして後部座席が濡れている。そんなベタな話、今や誰も怖がらない。

大丈夫。怖くない。怖くない。

対向車もない寂しい林道を走り抜け、車は霊園に着いた。

クーラーがあるのに汗だくだ。車を止めて、恐る恐る振り向いた。

子どもはいた。つぶらな瞳で私をじっと見ている。

「いくらですか?」

はっきりした声だ。なんだ、普通の人間の子どもじゃないか。

何を怖がっていたんだ。

そうだ。この先に住宅が数軒ある。きっとそこの子どもだ。

塾か習い事で遅くなって、タクシーで帰るように親に言われたのだ。

バックミラーに映らなかったのだって、この子が小さいからだ。

まったく何を怖がっていたんだろう。

霊感がない私に、幽霊が見えるはずがないだろう。

ほっと肩を下ろしてにこやかに答えた。

「970円です」

子どもは、誰もいない助手席に向かって話しかけた。

「970円だって。お母さん」

(作家)