【コラム・坂本栄】五十嵐つくば市長リコール署名運動(~8月10日)が進行中です。前回の137「つくば市長の宿痾…」(7月18日掲載)では、同運動の主唱者が問題視する「運動公園用地売却手順の違法性」を検証、「(市長は)民主主義の基本を軽んじ、市政運営の『金看板』を自ら降ろした」と指摘しました。今回も、五十嵐市政に多見される「民主主義の劣化」について検証します。

リコール運動のリーダー・酒井泉さんは、本サイトの記事「つくば市長に『NO』を突きつける…」(7月13日掲載)の中で、五十嵐市政の「情報統制」「政治宣伝」「大衆迎合」といった手法が「民主主義を壊す」と批判しています。私も本欄で同じことを言ってきましたが、深刻なのは「情報統制」と「大衆迎合」です。

劣化1:市民の市政批判を裁判沙汰で封圧

まず情報統制(メディア・コントロール)の事例。行政者は自分がまとめた政策を批判されるのを嫌がり、批判を封じたいという誘惑に駆られるものです。五十嵐市長も、市政批判を連載したミニ新聞を名誉毀損で訴えるという、絵に描いたような批判封圧の挙に出ました。

そのあらましは、126「…市民提訴 その顛末を検証する」(2月7日掲載)をご覧ください。提訴(2020年11月)→ 裁判所での審理(2021年)→提訴取り下げ(2022年1月)の経緯をまとめてあります。ポイントは、ミニ紙発行人の元市議を名誉毀損で訴えたものの、裁判に勝てそうにないことが分かり、裁判官を挟んだ協議の末、提訴そのものを取り下げるに至った―ということです。お粗末な幕引きでした。

上のコラムでも指摘しましたが、これは「市民の市政批判を萎縮させる」効果を狙った裁判沙汰であり、民主主義の基本である「言論の自由」を抑圧する行為です。市政に長く関わった元市議はこれに激怒。この分野に精通した弁護士に頼んで徹底抗戦。取り下げに追い込みました(事実上、五十嵐市長の自滅)。

訴訟のプロセスで、「言論の自由」抑圧だけでなく、他の「困った行為」も明らかになりました。具体的には、▽法律をよく調べないで1市民を提訴した=行政責任者としての適格性に疑問符、▽取り下げ後、被告市民への謝罪を対面ではなくネット上で済ませた=大人が備えるべき常識に疑問符、▽取り下げの実相を隠そうと図った=政治家としてのメデイア対応に疑問符―などです。

劣化2:退職金辞退というポピュリズム

次に大衆迎合(ポピュリズム)の事例。市長など政治家は票が欲しくて、平均的な投票者に受ける公約を並べたがるものです。それでも、選挙公約は政策中心であるべきです。ところが五十嵐市長は、「市長退職金辞退」という、絵に描いたようなポピュリズム公約を掲げ、2回の市長選に臨みました。

新興国だけでなく先進国でも、大衆迎合が民主政治を壊し、それが権威政治につながると、良識ある政治学者は懸念しています。研究学園都市でポピュリズム公約を掲げた五十嵐市長の鈍感さには、驚くだけでなく、恐怖さえ覚えたものです。121「…つくば市長を追撃」(2021年12月6日掲載)では、県南の市長たちがこの公約に白け、反発したという話を紹介しました。その選挙手法にも疑問符が付いたといえます。(経済ジャーナリスト)